京都に行くのはもう五、六年ぶりくらいになるだろうか。鶴子姉さんを斬り、それから一年にも満たない間、各地の妖魔や悪党を斬り、そして当時の俺の異常性を恐れた上の人達によって数年間の軟禁、後、破門。
それから京都には一切近寄ってはいない。別に、行こうと思えばいつでも行けるのだが、別段行く意味もなかった。なぜなら鶴子姉さんを斬ってから劇的に強くなり、それから一年で頂を見つけたため、最早、己が行くべき場所など何処でもよかったからだ。
斬るという方向性は、鶴子姉さんがほとんど教えてくれたと言ってもいい、今から振り返っても、あの時の仕合は俺の生涯でもベスト3に入るくらい格別なものだった。
ちなみに二番は、封印されていたやばい鬼が本気で俺を殺しにかかってきたときで。
一番は戦いの最中に開眼した素子姉さんである。あれはやばかった。開眼直後に全力技撃ってきたから刀斬れたけど、もう一分奥技使われずに戦っていたら、俺は呆気なく敗北したかも。
あぁ、懐かしき夢のような修羅場体験。最近ではエヴァンジェリンさんとの戦いがよかったが、あれはちょっとエヴァンジェリンさんが油断したり余分なところがあったりで、そこまでのものではなかったなぁ。
ともかく。
そういうわけで、京都である。
竹刀袋に十一代目を入れた俺は、もう何年ぶりになるかわからない新幹線の乗り心地と、そこから見える景色を、飽きることなく堪能して、いつの間にか京都にまで辿り着いていた。
ふむ。まぁ会合までの時間は今しばらく、夜からとなっているので、暫くは辺りを散策でもして時間を潰すのもいいかもしれない。
そうと決まれば、早速周囲の気と魔力を探知して──お?
「あ、やば」
少し離れた場所でとてつもない魔力を感じた。西のお家元ということもあり、ちらほらと気や魔力は感じるけど、その中でも桁違い、エヴァンジェリンさん並? いや、もう少し下くらい?
にしても凄いものである。流石、京都だなぁと感心しているが、そうも言っていられるかどうか。気配を馴染ませるのは得意分野ではあるので気付かれることはないけれど、あっちから近づいているからなぁ……
まぁ、普通に顔を拝むくらいはしておこう。
「……」
そうして周囲と同調しながら人ごみの中を歩いていると、道の先から真っ白という目立つ髪色をした少年が現れた。
絡繰さんみたいな無表情で、ともすれば昔懐かし当時の俺を思わせる感じ。歩き方にも隙はなく、少年だというのに周りの注目を集めるような、そんな少年。
気と魔力を敏感に感じ取る術は俺専用なので、それだけでは気付かれることはないだろうけど、あの少年、それを踏まえても滅茶苦茶悪目立ちしてるから、じろじろ見ても気付かれたりしなさそう。周り皆見てるし。
特に接触することもなく、俺と少年はすれ違う。そのとき彼が僅かに俺を見たのは、きっと竹刀袋に仕舞った十一代目の気配を察したからか。
止まった少年を尻目に、俺は視線になど気付いた素振りを見せずにさっさと歩いていく。背中に浴びる視線は意識しない。意識しているのに意識しないというのもアレだが、まぁこういうのは表面上、相手に悟られなければいいのだ。
「……ねぇ」
などというのはやっぱし不可能で、迂闊にも、あぁ本当に、本当に迂闊にも、近寄りすぎたせいで、少年は俺に感づいて、声をかけてきた。
「……」
振り返り、少年の冷たい瞳を覗き込む。己の意志を強固な意志で隠し通しているような、そんな瞳だ。真正面から見たからわかる。この子は俺の幼少時のような、一人で完結しているような子ではない。
しっかりと大地に根を張った。意志を持った強い人間だ。見た目どおりの年齢なら凄いことだが、まぁあれだ。この魔力量を考えれば、早熟な天才、もしくはエヴァンジェリンさんみたいな化け物といったところか。
暫く俺と少年は互いに見つめあう。周囲を行き交う人達は、そんな俺達を遠目に見つめながら、距離を離してすれ違っていく。
だが少なくとも、少年のほうはそんな瞳は気にしておらず、品定めをするように俺を見つめていた。
さて。
試しにちょっかい出したのはいいけれど、本当にどうしよう。現在の俺の立場はかな微妙なものだ。和平のために赴いたはいいが、俺自身の友好を示す親書は未だに届けていないので、ここで問題を起こせば──学園長さん達の好意を無碍にすることになる。
それはいけない。立派な人間に変わっていくと決めた俺は、ここで問題を起こすわけにはいかないのだ。
うん。
竹刀袋、開けるのに数秒かかるようにしておいてよかった。
「道にでも迷ったのかな?」
俺は当たり障りのないことを呟いた。すると少年は「いや……呼び止めて悪かったね」と言って、人混みの中に紛れ込んでいった。
遠くなっていく少年の姿を追いながら、安堵のため息。にしてもびっくりした。これが街中でなかったら色々と大変だったかもしれないなぁ。
流石は京都、楽しい場所だ。俺は内心うきうき気分で、観光に洒落込むのであった。
─
ネギがその日、学園長室に呼ばれた用件は、端的に言うと、仲たがいしている西と東の関係を改善するための特使に選ばれたからであった。
「道中、向こうからの妨害があるかもしれん。この新書を奪おうとする西の強硬派によるものじゃろうが、おそらく、一般の生徒がいるところで、おいそれと危害が及ぶようなことはせんじゃろう」
ただし、と近右衛門は穏やかな雰囲気を一転させて、真剣な表情を浮かべた。
「万が一ということは得てしてありえるものじゃ」
「……ッ」
ネギの脳裏によぎったのは、あの夜の出来事だった。万が一といわれて、それ以上の最悪は思いつかない。
そんなネギの不安を察したのか、近右衛門は安心させるように微笑んだ。
「何、それこそ万が一の話であって……危険に対する保険はすでにかけておる」
「それって……あのときの人のことですか?」
「うむ。いずれ正式に紹介しようとは思っておるが、命の危険が起こった場合、彼が君の身を守ることになっている」
「あの人が……」
ネギが己の無力を感じた夜。モップという武器にもならない武器を使って、これ以上の悪夢はないと思われた、エヴァンジェリンを追い詰めた恐るべき剣客。
彼が護衛についてくれると聞いて、安堵と恐怖の二つが同時にネギの心中を襲った。
「……怪我とか、大丈夫だったんですか?」
ふと思ったのは、そんなことだ。
あの日、エヴァンジェリンに言われるがまま、ネギはぼろぼろの彼を置いて逃げた。結果として生きていたからよかったが、もしかしたらあのまま殺されていたかもしれない。
ネギの心を常に苛むのは、彼に対する恐怖と、たくましさと、罪悪感だ。常識を超えたあの戦いは、今でもネギの心を束縛し、幼い少年に回答のない葛藤を与えている。
「安心せい。彼はすっかりよくなって、今は先に京都に入っているところじゃよ」
「そうなんですか……よかったぁ」
ネギは肩の荷が下りたように安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分だ。
そして、次に会ったときにはちゃんと謝罪しようと心に決める。
「ともかく……万が一を考えて彼を派遣したが、あまり彼の力を当てにしないように。君だけでも潜り抜けられる問題程度ならば、彼はおそらく手出しはせん……まぁ一番なのは、何も起こらずに無事親書を届けられることなのじゃがのぉ」
そうなれば何も問題はない。誰の妨害もなく、ただ平穏無事に。
だが本当にそうなるのだろうか。近右衛門は、あの夜以降のエヴァンジェリンの姿を思い出して、そんな予感に苛まれる。
エヴァンジェリンは変わった。
良く言うと以前よりも社交的に。
悪く言うと以前よりも内向的に。
エヴァンジェリンは、驚くほどの変化を遂げていた。
最悪な言い方をすれば、アレは化け物になった。
「これは少しおかしな言い方かもしれぬが……くれぐれも、彼が出てくるような事態だけは避けるようにして欲しい。彼とは別に、君のクラスの桜咲刹那が、木乃香の護衛として、京都での任も受けている。出立の前に、事前に彼女と話を済ませておくのもよいじゃろう……」
近右衛門は、彼を信じていないわけではない。いや、全力のエヴァンジェリンと戦い、その身体に癒すのにも時間がかかるほどの裂傷を与えた時点で、彼の能力は、少なく見積もってもタカミチと己とほぼ同等クラス。最高で、かつての大戦の英雄クラスでも最上級のレベルに匹敵すると見て間違いない。
しかしそういうことではないのだ。彼を、青山を動かすということが、それだけで、例えるなら、無作為にターゲットを選んだミサイルのスイッチを押すような。
そんな恐ろしい予感。
「……ところで、明日菜君のことじゃが」
近右衛門は脳裏を苛む考えを振り払うように、別の話題を切り出した。
「あ、はい。とても、良くしてもらっています」
頬を赤らめ、顔を俯かせてネギは呟いた。
明日菜はあの日以来、ネギから離れるどころか、口は悪くしながらも、何かと手助けをして、こちらを気にかけてくれるようになった。
あんな状況を経験したのだから、普通は距離を置いて当然だと思う。現にネギはそう考えて、可能な限り距離を取っていたのだが、明日菜はそんなことは関係ないとばかりに色々と世話を焼いてくれた。
──これはネギには考えもつかぬことだが、あの戦いの最中、謎の記憶を思い返した明日菜は、そのときの記憶の人物を無意識にネギと重ね合わせていた。思い出した記憶自体はすでに覚えてはいないが、それでも無意識はその出来事を覚えていたからそうなった。
自分が守らなければ、ネギは死んでしまう。無意識下で明日菜が思っているのは、そんな脅迫に近い考えだった。戦闘の恐怖と、かつてのトラウマが混ざり合ったその考え方は、誰かが知ればそれは悲劇と思い、ネギ自身も罪悪感を覚えるだろう。
だが現実は、ネギはそんな明日菜に、いつも自分を守ってくれた姉を無意識に重ねて、さらに信頼を深めていくだけだ。互いが互いに別の誰かを投影する。そんな虚しい信頼関係が、二人の間には芽生え始めているのであった。
尤も、最悪の悲劇は、そのことに周囲はおろか、当人すら気付いていないということなのかもしれないが。
─
京都に来て早々、少々のごたごたはあったが、それ以外は特に問題もなく、観光をしながら、俺は関西呪術協会の本山に到着した。
立派な鳥居を見上げながら、いつ振りになるかわからないこの景色に、思わず感慨深いものを感じてしまう。最後に来たときには、兄さんはもう近衛の家に婿入りしていたので、あまり会う機会はなかったが、確か女の子がいたはず。当時から根暗だった俺は、青山では一番その子に歳が近かったのだが、そんな俺を遊び相手にするのは問題と感じた親の方針で、もう一人、ちっちゃい子が連れられていたはず。
うーん。懐かしい思い出過ぎてほとんど覚えていないなぁ。まぁ、その一人娘とは挨拶したくらいしか交流ないし、そもそも俺の中ではそのすぐ後に行った鶴子姉さんとの戦いが刺激的過ぎて、そこらへんはほとんど記憶にない。
確か、ネギ君のクラスにいる近衛木乃香という少女、あれって多分、苗字からして兄さんの娘さんのはず。魔力とかもとてつもなかったし。でも見た感じ、彼女は魔力が多いだけで、正直言って俺にはどうでもいい。
それよりも、そんな木乃香をさりげなく見ている彼女、桜咲さんのほうが俺としてはありだ。
神鳴流の使い手っぽいというのもあるが、あのストイックに近衛さんを見守る姿。
正直言って、ネギ君の護衛をしている俺からすれば、リスペクトそのものである。やはりああやって、昼夜、守るべき人を守るために己を粉にするという姿勢は、見習わなければならない。その点俺は、己の欲求のために、ネギ君を窮地に陥れたり、護衛だって、気配が感じられればいいやと遠くから察するだけ。
いかんなぁ。
実に問題である。
だがこれも惚れた弱み。俺は今回も、可能な限りネギ君には修羅場を経験してもらえるならば、経験してもらおうと思っていた。
そういう考えだから、京都に来て出会ったあの少年を見逃すなんていう阿呆なこともしてしまう。
あれは間違いなく、京都とは関係ない人間だ。東側の応援とも考えたけれど、だとしても、エヴァンジェリンさんクラスをそう何人も保有しているわけもないだろう。あの少年は楽観的に見ても敵である。気にしすぎということは出来ない。俺の勘も強く言っていたし、あれとは多分、遠からず激突することになる。
それはそれでいいのだが。
上手く、ネギ君とぶつけることが出来ないものかなぁ。
「……ハァ」
考えていても仕方あるまい。俺はそそくさと鳥居を潜って、久しぶりの本山に足を踏み入れるのであった。
へぇ、面白い術式あるなぁ……これは、うーん。有事の際に相手を封じ込めて時間稼ぎとか?
流石、西の総本山。こういう仕掛けもしっかり施してあるのか。だが今回の俺は敵ではないため、罠は当然発動するわけもなく、すんなりと階段を上がっていく。夜の風は心地よく、灯篭に灯った輝きは暖かい。
空を見上げるが、月はどうやら林の中に隠されているようだ。そのことに少し寂しさを感じながら、本山の入り口に辿り着く。
「お待ちしておりました。青山様ですね?」
大きな門を潜れば、出迎えに来てくれた若い巫女さんが丁寧に挨拶してきた。
「はい。ご案内、お願いできますか?」
「どうぞこちらに……そちらの荷物は?」
巫女さんは俺が持っている竹刀袋を見つめてそう言ってきた。
「刀です。預けるべきでしょうか?」
「出来れば、帯刀した状態で当主並び幹部の方々にお目通しするわけにはいきません」
ご理解くださいと、巫女さんは両手を差し出して、刀を渡すように言ってきた。
まぁ、俺としてもそれは全然構わないのだが……
「あなたは触らないほうがよろしいです」
「え?」
「数分、いや、あなたでは、一分もあれば刀に斬られる」
今の十一代目は、俺そのものとは言えないが、充分に俺だ。
触れれば、斬る。
竹刀袋の内側に護符を貼り付け、さらに鞘にも封印を施してはいるが、それでも大抵の術者ならば、数分も竹刀袋に触れるだけで、間違いなく斬る。
「出来れば、保管場所まで俺が持っていきたいのですが」
「ですが……」
巫女さんは困ったように言葉に詰まってしまった。まぁその対応は当たり前なので、俺は早々に十一代目を持ち込んだことを後悔していたのだが。
「相変わらず、常識を被ったようで常識外れですね、君は」
そんな懐かしい声を聞いて顔を向ければ、あぁ本当に懐かしい。
「兄さん。いえ、詠春様。お久しぶりでございます」
かつての青山の跡取りにして、今や西の長として活躍している懐かしき我が兄。近衛詠春様が、爽やかに笑いながら俺を出迎えてくれた。
巫女さんは一歩下がって慌てたように頭を下げる。俺もそれに習うわけではないが、挨拶の後、深く頭を下げた。
「破門された身でありながら、おめおめと馳せ参じたこの身ではありますが、親書のみでも受け取っていただけたらと思います」
「頭を上げなさい。話は鶴子とお義父さんから聞いている。頑張っているようだね」
顔を上げた俺は、昔と変わらず笑いかけてくる詠春様の笑顔に安堵した。近衛に婿入りしてから疎遠だったが、かつて幼かったころ、無口で無表情だった俺にもとても良くしてくれた、あのときの優しい兄のままである。
それが俺にはとてもかけがえのないことに感じた。同時に、鶴子姉さん共々、そんな彼らの優しさを無碍にして暴れまわった当時を恥ずかしく思うばかりである。
「昔に比べて、よく話せるようになったね」
「学園長……近右衛門様と、麻帆良の同僚、上司の方々あってこそです。方々、俺を暖かく出迎えた全てが、今であります」
今なら胸を張って堂々と言える。暴れまわっていたかつてとは違う。自己のみに没頭していた昔とも違う。
周囲の暖かさがあるから、こうしてはっきりと話すことが出来る。
「尤も、無表情に関してはどうにも」
「……それは仕方ないさ。味覚も、まだかい?」
「はい、ですが最近は少し、味というものを楽しめるようになりました」
俺の返事に、詠春様は小さく目を見開くと、とても嬉しそうに微笑んでくれた。
「それはよかった。医者は、絶望的とも言っていたのだがね……今から考えても、あれはやはり私達、家族の不注意だった……みんな、君の怪我の治療方法を探していたんだが、そうか。ゆっくりとでも、治っているのなら、それでいいんだ」
「詠春様……」
あんなことがあって表情を失った俺を、未だに心配してくれていたとは。やはり俺は阿呆だ。こんなにも素晴らしい家族がいたというのに、勝手に暴走してしまって。
若気の至りとは言えぬ。恥ずべき、ひたすらに猛省すべきだ。
「もう、昔みたいに兄さんとは呼んでくれないのかい?」
詠春様は寂しそうに目を細めながらそう言ってきた。
昔、恥ずべき、昔。
「俺は、青山です。詠春様……最早、兄さんの知る弟はいないのです」
だからこそ、俺は青山で居続ける。いつまでも、恥ずべきこそ。
そこに、後悔なんて、まるでない。
斬ったのだ。
「なら……青山君。昔話もそこそこに、そろそろ行くとしよう。刀に関しては、近場に封印結界を敷いた場所がある。そこに一時的に納めてくれないか?」
「……是非もなく」
先導する詠春様の背中に追従する。遅れて付いてくる巫女さんも引き連れて総本山へ。
さぁ、まずは謝罪会見、頑張ろう。