「———全く、余りにも気が付くのが遅いから、このまま気が付かないのではないかと少し心配してしまったぞ」
そう言ってエヴァは不機嫌そうに唇を尖らせた。
そういった所は姿形が見慣れない事になっていようとも変わらないらしい。
しかしそれで問題が解決されるわけではない。
「……いや、気が付くも何も。それ以前にその格好は……」
「うん? ———ああ、これか?」
エヴァは俺の言葉にもう一度自分の体に視線を落とすと、まるで俺にその姿を見せ付けるようにその場でクルリとターンをして見せた。
「…………」
その姿に、相手がエヴァだと分かった今でも思わず目を奪われてしまう。
舞い上がるスカートの裾と髪は光を反射して煌き、長い手足はまるでバレリーナのごとくその存在を主張する。
その光景に、周囲からも感嘆の声が漏れた。
「———どうだ?」
そして、当の本人は得意気に腰に手を当てて得意気にポーズを決めていた。
それがまた恐ろしく決まっているから何ともコメントに困る。
「どうだって言われても……あんまりにも綺麗だからビックリした」
答えに窮した俺は結局、思ったことをそのまま口にした。
まあ、それ以外に思い浮かばなかったって言うのもあるんだが。
「……っ」
そして何故かそのまま絶句して固まってしまうエヴァ。
聞かれたから素直に答えたと言うのに、その内容がお気に召さなかったのだろうか?
「……ふ、ふん。そうか。それならまあ良い」
「いや、お前が良いなら俺も別に良いんだけど……で、結局その姿はどういうことなんだ?」
鼻を鳴らしてそっぽを向くエヴァに俺はもう一度疑問を投げかける。
目の前の美しい少女がエヴァだというのは理解したが、どういった経緯でそのような姿になったのか肝心な部分を俺はまだ聞いていない。
第一、眼前のエヴァは変わり過ぎだ。
変装というよりは変身。成長というよりはもはや進化だ。
それぞれのパーツに面影こそ残っているものの、毎日見慣れた俺だから何とか分かるレベルであって、他の人間から見たら彼女が誰かなど到底判別など出来ないだろう。
「これは私の作り出した魔法だ。姿形を変化させる上で、術者本人の未来の姿を反映させている」
「未来の?」
「ああ……とは言っても、確実にこの姿に成るのではなく、あくまで仮定の姿だがな」
「はあ……」
なるほど、と何となく頷いて見るが実はさっぱり意味が分からない。
要するに、エヴァが成長していればこの姿になっていたかもしれない、と言う解釈で良いのだろうか?
……とんでもないな、おい。
「しかし、なんだってその格好で?」
「なに、折角の祭りなのだ。たまには違う姿で出歩くというのも悪くあるまい? それにほれ、周囲の連中だって仮装しているではないか」
「それはまあそうだけど」
でもお前の場合だと仮装じゃなくて進化だけどな、とは口に出さないでおく。
「でも、魔法って事は魔力使うんだろ? 大丈夫なのか?」
「そこら辺も心配いらん。普段お前から分けてもらっている魔力に加え、満ち始めている世界樹の魔力を利用し上乗せすれば、祭り期間中ならばある程度の魔法行使くらい可能だからな」
「へえ」
「ま、そんな些細なことはどうでも良いさ。それより士郎、何処から回る?」
そうやって周囲を楽しげに見回すエヴァの仕草は普段のままだ。
話をしていて目の前の少女がエヴァだという事実に頭が漸く追いついて来たのもあるが、こういった行動の節々に彼女らしさがにじみ出ていて、それが俺を余計にリラックスさせた。
そうだ、どんな格好をしていようがエヴァはエヴァじゃないか、と。
「そうだな。取り合えず何処で何やってるか分からないし、適当にぶらついて見るか」
「ふむ。それもそうだな。では行くとするか」
そうして、周囲を魅了するような笑顔を振りまきながらエヴァは俺の横に並び立つ。
そして、至って自然な動作で俺の左腕を取ると、そこに自身の腕を絡めたのだった。
「………………………あの、エヴァさん?」
盛大に間を空けることによって、俺は何とか声を絞り出す事に成功した。
「うん、どうした?」
そんな俺の苦慮を知ってか知らないでか、ニコニコと上機嫌のエヴァは隣で可愛らしく小首を傾げるだけだ。
周囲の男連中の殺気は、もはや実体を持っているんじゃないかと思うくらい濃密に叩きつけられているが、それでもまだ生温い。それこそ今の俺にとっては暖簾に腕押し、ぬかに釘状態。効かないのではなく、受け取る側の精神状態が著しく一つの事柄に傾倒していて意味を成さないのだ。
……面倒な言い回しはやめてはっきりと言おう。
———俺の二の腕が、エヴァの胸の谷間に挟まっています。
新手の精神攻撃か何かかこん畜生ッ!?
思わずそんな叫びを上げたくなる位に凶悪的に柔らかな感触。そして本当にこの行為が精神攻撃であるならば、俺は声を大にしてこう言いたい。
———効果は抜群だと。
そんなアホな感想はさて置き、これが意図的なものであるなら一刻も早く何とかして貰わなければ俺の精神が崩壊してしまう。割と切実に。
「おい、どうした士郎。早く行くぞ?」
だが、当の本人の様子を見る限り、全く意識はしてないらしい。
エヴァが悪戯を仕掛けてくる時は、先ほどのように口の端を持ち上げる癖があるのだが、今回に限って言えば全く平然としている。経験則で言うならば、これは間違いなく”素”の状態だ。
そんな彼女は、その状態で遠慮なくグイグイと俺の手を引くものだから、こちらとしてはその度に魂が抜け出しそうになる感触が二の腕から伝わってくるから大変だ。まあ……色々と。
「……ソウダナ行コウカ」
魂が半分以上抜け出し、思わずチャチャゼロのような片言にしか返事ができない俺に違和感を覚えることもなく、エヴァは俺の腕を掻き抱いて嬉しそうに歩き出す。恐らく、祭りの陽気に当てられて普段なら気が付くようなことでも気が付いていないんだろう。
ところが俺はそうも行かず、歩く度に押し付けられるような胸の感触にドギマギしっぱなしだ。
……落ち着け俺。これは幻。これは魔法。本当のエヴァはもっと小さい。つまりこれは……贋チチ! そう、贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ贋チチ……!
———自身すら騙すのは得意だろう衛宮士郎。ならばこのような贋作に戸惑う俺ではないッ!
「お、アレは何だ?」
フニョン。
「——————って、思えるか馬鹿ーーーーーーッ!!」
「ぬあッ!? ど、どうした士郎!?」
ああ無理、もう無理、ああもう無理ッ!! 俺のガラスの心はそんな刺激に耐えられるように作られてはおりません!
ついに耐え切れなくなった俺は、両手をがばーっと上に上げてエヴァの無意識お色気攻撃を振り払った。その様は一見すると降参のポーズに見えるが、心情的にはあながち間違っちゃいない。……少しだけ惜しい事をしたと思ったのは秘密だが。
俺の突如の奇行に驚きの声を上げたエヴァだが、今は奇妙な物を見るような目で俺を見ていた。
「い、いや、ほら。今日は暑いだろ? だから俺も汗掻いてるし、エヴァに汗の臭いが移ったら悪いと思って……」
「……別に私は構わんのだが。まあ、お前がそう言うなら……」
俺のその場凌ぎの言葉に、エヴァは不承不承ながらも頷いた。
俺はそれに安堵の溜息を吐く。あのまま行けば冗談抜きでぶっ倒れていたことだろう。……まあ、気持ち良かったかと聞かれれば頷くしかないんだが。
「ほれ士郎、行くぞ」
エヴァはそう言うと、今度は手を握ってくる。
うーむ……腕を組むよりは精神的にマシだし、手を握って歩くのは普段から偶にやっていた事だから違和感は無いんだが、これって普通に恋人同士に見られるんではないだろうか?
しかしまあ、これ位なら……いいのかな?
「そうだな。何時までもこうしてたら日が暮れちまうもんな」
俺自身、照れくさいのもあって顔が赤くなっている自覚があるものの、結局はなし崩し的な流れに身を任せ、エヴァの好きにさせることにした。
そうやって笑うエヴァが綺麗だったし、なにより、繋いだ手の温もりが心地良かったから。