遠くにポンポンと言う、狼煙の上がる音がする。
そして、それに追随するかのように人々の楽しそうな喧騒が響き渡っている。
天気もその雰囲気を読んだかのごとく快晴だ。
太陽の光を浴びた空気はポカポカと暖かく、それでいて吹いてくる風は肌に心地良い。
そんな中に響く、アナウンスの声。
『お待たせしました。これより、麻帆良学園祭を開催いたします』
今日は一年に一度きりの祭典。
この日の為に色々準備してきたであろう、学生達が主役のお祭りだ。
「———麻帆良祭か」
そんな事を呟きながら家の扉を潜った俺は、鍵を掛けながら今日の予定を思い返す。
とは言っても、学生で無い俺は特にこれと言った用事があるわけではないのだが。
俺の予定は用事と言うか、単純にエヴァと学園祭を見て回るだけ。特に目的地がある訳ではなく、まあ二人でブラブラ回って見ようと言う話だ。
「さて、待ち合わせ場所はっと……」
だが、その当人であるエヴァの姿はここにはない。
彼女は俺より三十分程早く家を出いて、今頃はすでに待ち合わせ場所にいる事だろう。
と言うのも、エヴァの提案で別々に家を出ようということに決まったからであった。
なんでそんなメンドクサイ事をするのかと理由を尋ねたところ、
「いいか士郎、こういうのは様式美だ。見るんじゃない、感じるんだ。せんすおぶわんだーだ。……分かるな?」
いや、分かんねえよ。
その時は何となく頷いてしまったが、思い返してみれば何の事だかサッパリ分かりゃしないのである。
何はともあれ、そういった経緯で決めた待ち合わせ場所へと足を動かす。
そして、中心部に足を踏み入れた時の人の数の多さときたら、それはもう凄いのなんのって。
いや、来る途中から何となくこうなっているであろうという予測はあったのだが。
本当に見渡す限り、人、人、人。
確かにいつも人の多い所だが、今日に限って言えば普段の倍以上の人の数だ。
更にいつもと違うのは、その人たちの世代の幅が広いことだろう。親子連れや恋人同士と見られる人たちも多く見受けられ、物珍しそうに辺りを見回しているのは恐らく外部からのお客さんなのだろう。
しかし、そうしてしまう気分もよく分かる。
ここ、麻帆良学園都市の学園祭というのは、学校だけでなく、都市全てがお祭りムード一色に染まるのだ。
見慣れた町並みは様々な装飾で美しく彩られ、通い慣れた道のりには屋台がひしめき合っている。
そこ等を歩く学生たちは大きな声で客寄せをしていたり、普段見ないような華美な服装や何かの仮装らしきものをして人々の目を楽しませている。
そんな光景に目を奪われながら歩いていると、程なくして待ち合わせ場所に着いたのだが、
「……いや、ここも凄い人込みだな」
ある程度予想は出来ていた事なのだが、待ち合わせ場所も物凄い人込みだった。
エヴァが指定したのは開けた場所にある広場なのだが、当然そんな格好のスペースは何がしかの催し物をしており、それを目当てにしている人たちが多数見受けられた。
この中から、あの小さな少女を探し出すのは中々の難儀だと痛感する。
こんな事なら広場と言う大雑把な指定ではなく、もっと事細かに決めておくんだった。
「……ん?」
と、溜息混じりに首を巡らしてエヴァの姿を探していると、何やら奇妙な光景に出くわした。
何と言うか、男性連中が皆こぞって一箇所を熱心に注視しているのだ。
その癖に、その視線の向かう先は妙にぽっかりとした空間が開いており、一定の距離を取って眺めている。
その様子は、何か恐ろしいものがあるから近寄ることが出来ないと言うよりは、近寄りたくても近寄れないと言った雰囲気の方があっているように見えた。
「……何だ、一体」
何とかその原因を確認してみようと背伸びをしてみても、思いのほか人の壁が高く、背の低い俺はそれをうかがうことが出来そうにもなかった。……うぅ、ちくしょう。
仕方なくその場でピョコピョコとカエルのように跳んで確認してみると、一瞬だが金色の髪のような物が見えた。
「あれ、エヴァか?」
だとしたら何であいつがこんなに注目を浴びているんだろうか?
確かに人目を惹く奴だが、幾らなんでもここまで注目される事は今までなかった筈だ。
「すいません、ちょっと通してください」
取り合えずそれらしき人物を確認したのだからさっさと合流した方が良いと考えた俺は、謝りながらも少し強引に人込みを掻き分けていく。
そうして、開けた視界の先にいたのは、
「———うわ」
思わず感嘆の声を上げてしまう。
そこにいたのは残念ながらエヴァではなかった。
なかったが、とんでもないクラスの美少女が退屈そうに壁に寄りかかって俯いていた。
どの位とんでもないかって言うと、セイバーやライダー等と言った、規格外と言える様な連中と同じレベル位にとんでもない。
年の頃は15、6歳位だろうか。恐ろしい程に整った顔立ちは少女と大人の女性の中間と言ったところ。切れ長の瞳はどちらかと言うと冷たい印象を受けるが、それが彼女の持つ涼しげな雰囲気にはとても似合っていた。
先ほど見かけた金色の長い髪は毛先で軽く波打ち、それを風にフワフワ遊ばせている様子はいっそ神秘的ですらある。
身長は恐らく俺と同じくらいだろうが、膝丈まである白いワンピースから覗くスラリとした足と、腰に巻いた幅広の黒いベルトの位置から考えると、めちゃくちゃ足が長い。
また、スタイルも非常にバランスが取れていて、腰に巻いた幅広のベルトのせいで、折れてしまいそうなほど細い腰と、調和を崩さない大きさの胸が強調されていた。
なるほど、これは注目を浴びる訳だ。むしろ注目されない方がどうにかしている。傾国の……といった表現は彼女にこそ当てはまるのかもしれない。
その証拠に、男のみならず、女性までもがその容姿に見蕩れてしまっているほどだ。
……けどなんか、どっかで見たことあるんだよな……。こんな綺麗な子だったら一度見たら忘れなさそうな物だが、覚えているようで覚えていない。それでいて、他を圧倒するような美貌だというのに何故か親近感すら沸く。
……知り合いの親族かなんかだろうか?
「……っと、いけね。エヴァを探さないと」
目の前の少女が何故か妙に気に掛かるが、そんな事よりエヴァを早く探さないと。
約束の時間に遅れている訳ではないが、彼女は俺より三十分も早く出ているので退屈してる筈だ。
すると、俺のつぶやきに反応したのか、少女が顔を上げた。そしてそのまま切れ長の瞳で俺を見る。目が合う。
うーむ、こうして正面から見てみると、やっぱりびっくりする位の美人さんだ。
で、その美人さんは俺の顔を見るなり、向日葵のような笑顔を見せると、
「———士郎」
そんな言葉を口にした。
「———はい?」
思わず間の抜けた返事をする俺。
えーっと、士郎って誰だっけ?
って、俺か。
…………いやいやいやいや、待て待て待て。
なんであんな美人さんが俺のことを知ってるんだよ。
何処となく見覚えがある様な気はするけど、少なくともこんな気楽に話しかけられるような相手を覚えていない訳がないだろうが。
———ああ、そうかそうか。考えてみればシロウなんて結構ありふれた名前だもんな、きっと同じ名前の人がここにいるに違いない。おーい、どっかのシロウさーん、美人さんが呼んでますよー。
「士郎、遅かったではないか。時間に正確なお前が遅刻とは珍しい……うん? どうした士郎。……士郎?」
美人さんは俺の前にテクテクやって来て、可愛らしく小首を傾げながら俺の目の前でパタパタと手を振った。
……どうやらどっかのシロウさんはこの士郎さんらしい。
「…………えっと」
だからと言って、当然のごとくその顔には見覚えがない。いや、しつこい様だがどっかで見たような気はするんだけど。
それに、普通ならこんな女の子が近くにいれば緊張するはずなのに、逆に何故か妙に安心してしまっている自分も良く分からない。
そんなこんなで、安心しているんだか戸惑っているんだか、訳の分からない混乱状態に陥ってしまう。
で、そんな混乱した俺の取った行動は。
「———どちらさまでしたっけ?」
素直に尋ねてみる事だった。
普通なら、こんな親しげに話しかけてくる相手に向かって、お前誰だ、何て聞こうものなら怒られてもしょうがないような気もするが、彼女は一度、きょとんとしてから自分の体に視線を落とすと『ああ、なるほど』と、逆に納得してしまっていた。
すると彼女は途端に表情を一変させ、ニヤリと言う擬音がこの上なく似合いそうな笑み浮かべ口の端を持ち上げた。
そして、俺にしな垂れかかる様に体を預けると、その白魚のような指先で俺の胸元を甘える様に突付き始める———って、ええええええーーーッ!?
「ななな、何をッ!?」
「———酷いではないか。幾度となく同じ屋根を共にしたことがあるというのにその言い様……。もしや私の事など遊びでしかなかったのか?」
「はぁッ!? い、いや、あの……ッ!?」
混乱ここに極まれり。
周囲の男連中からどよめきと殺気じみた視線をビシバシ受けているが、こちとらそんなもの知ったこっちゃないのである。
そんなものよりこちらの方が数百倍心臓に悪い。
胸元からこちらを見上げる瞳はフルフルと潤み、瞳の輝きは綺羅星のごとく輝いている。
服越しにでも確かに伝わる感触は、その温かな体温と柔らかさでもって俺の頭をグラグラと沸騰させ思考能力を奪っていく。
間近にある小さな頭からは金色の髪から漂ってくるシャンプーのものであろう甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。
「…………んん?」
と。
そこで、ふと何かに引っ掛かるものがあった。
俺はそのまま、もう一度だけ鼻を鳴らす。
この香り…………これは家で使っているエヴァ特製のシャンプーの香り。
手製の物なので市販なんかされていないし、香りが凄く良いので俺も気に入っており、同じものを使っているんだから間違える訳が無い。
エヴァの性格を考えると、この手のものを他人に譲り渡すような事はしないだろうし、そもそも他人に譲れるほど余分なものを作っておいたりはしないだろう。
……そう考えると。
そして何より、俺の事を———士郎と呼んだ。
「———まさか!」
確信に至った俺は、目の前の少女の肩を両手で掴み、全身が視界に収まるように引き剥がした。
「あん」
そんな、鼻に掛かる妙に甘ったるい声に脳が蕩けそうになるが、それを何とか気合で堪えて目の前の人物をジッと見詰める。
真正面から見詰めていると思わず引き込まれてしまいそうになる、恐ろしいほどまでの美貌だが、……面影はある。
砂金を散りばめたかのような金色の髪。
雪のように白く透き通った肌。
切れ長で涼しげな碧眼。
そして、何よりも、見知らぬ少女の筈なのに沸くこの親近感。
「…………お前、エヴァか?」
俺がそう言うと、目の前の少女はニィと口の端を持ち上げ、
「———漸く気が付いたか士郎」
そして、少女……つまり、エヴァは大層ご機嫌な様子でそんな事を口にしたのだった。