「着いたぞ。ここのようだな」
エヴァに案内をしてもらい、授業時間と言う事もあってか、ガラガラの電車に揺られ、徒歩で歩く事数分、寮の前にあるという店にやってきた俺達。
「へえ、良い感じの所だな」
「ふむ、私も初めて見るが……確かに悪くはない」
外観は赤煉瓦造りで、ここの都市の雰囲気に馴染むような趣のある、お洒落な造りとなっていた。
真新しいのではなく、歴史を感じさせるような落ち着きがある。壁を伝う何かの蔓が良い感じのアクセントとなり、妙に味のある店構えだ。
想像していた以上の立派な外観に、内心ワクワクしながら早速学園長から預かった鍵で中に入ってみる。
扉を押し開けると、扉についたベルがチリンと、綺麗な音を鳴らした。
「中も良い雰囲気だな。最近まで使われてたみたいだし、汚れも無い」
「そのようだな、落ち着いた雰囲気だ。見てみろ、オープンテラスもできるようになっているらしいぞ?」
エヴァと二人で店内をキョロキョロと見回す。
天井は高く、黒く塗られた梁がむき出しで走っている。それにマッチするように赤煉瓦の壁が石の暖かさを醸し出していた。テーブルや椅子は備え付けなのか、その雰囲気を壊すことなく、まるで店全体で一つの作品のように佇んでおり、全体的に落ち着いた色彩が特徴的だ。
かといって暗いわけではなく、採光の為なのか窓が大きく、見上げてみると天井にも幾つもの窓が日の光を受け入れていた。
カウンターの方に回って棚を開けてみると、流石に食材などはないが一通りの食器や機材も入っている。その上、電気、ガス水道も全て通っている。
「……スゴイな、これは。食材さえあればすぐにでも店開けられるんじゃないのか?」
「なに、だからと言ってそこまで急ぐ必要もあるまい。それよりお前はここで何を出す気なんだ?」
「なに、って……そりゃ料理?」
「馬鹿者。そうではない。流石にここの雰囲気で和食だの家庭料理という分けにも行くまい? まあ、意外性を狙うならそれもいいのかもしれんがな」
「あ、そっか。言ってなかったな。俺、基本的に和洋どっちもいけるし、お菓子とお茶とかも淹れられるぞ」
「ほう、そうなのか? 無駄に器用なのだな」
無駄とか言うな。にゃろう。
「ならば喫茶店といった感じがいいんだろうな。しかし、そこまで揃っていて中華はないのだな?」
「あー……中華も作れないことはないんだけど、知り合いにすごいのがいてな。中華はそいつにまかせてた」
中華鍋を、あの細腕の何処にあんなパワーがあるのか、不思議に思うくらいガンガン豪快に振るう遠坂を思い出して苦笑する。
そんな益体もない事を考えながら棚をガサゴソ漁っていると、とある一つの棚で四角い缶を一つ見つけた。
「お、紅茶の葉だ」
前の店の人の忘れ物だろうか?
製造年月日を見るとまだ最近のもので、未開封のものであった。
蓋をあけて香りを嗅いで見ると茶葉の上品な香りがする。保存状態も悪くない。
そこで閃いた。
「エヴァ、紅茶飲まないか?」
「紅茶、だと? 貴様が淹れるのか?」
「他に誰がいるんだよ」
「……フン、面白い。私は紅茶にはうるさいぞ?」
「そりゃ、プレッシャーだな。さ、座って」
エヴァをカウンター席に座らせ準備を始める。
さて、この目の前で得意そうに微笑む女の子に飛び切りのお茶をお出ししますか。
「よし、出来た。さ、どうぞ」
「うむ」
そうやって出来た紅茶をエヴァの前に、そっとさし出す。
それをエヴァは小さな手で掬うと上品に口元に運んだ。
その仕草は妙に様になっていて、まるでお姫様みたいだと年甲斐も無く思ってしまう。
「――フン、美味いじゃないか」
「そうか、そりゃ良かった」
紅茶にうるさいというエヴァのお墨付きを貰えた様で、なんとか一安心。
「しかし本当にお前は何者なんだ? 卓越した戦闘能力を持ち、料理ができて紅茶も淹れられる、全く……意味が分からん」
ため息混じりに言われる。
それを聞いて、言葉の羅列だけを見てみると我が事ながら確かに変だと苦笑した。
「そんなこと言われてもな……、俺は俺だよ」
「それでは答えになっていないではないか、ったく……」
エヴァはそう言ったきり黙ってしまう。
けれどそれは嫌な沈黙ではなく、なんとなく暖かい気がした。
冬の柔らかい日差しが店内を優しく照らし、ゆったりとした時間が流れる。冬の澄んだ空気が日光によって暖められているせいか店内は暖かく、その中に紅茶の香気が溶け込んでいる。まるで時の流れが、この空間だけ違うのではないかと錯覚するほどに穏やかだ。
俺自身もこういう穏やかな空気は好きだし、この沈黙を破るのは無粋な気がして、ただ雰囲気に身を任せていた。
しかし、そんな優しい沈黙を破ったのは意外にもエヴァの方からだった。
「……お前は」
「ん?」
その声に、午睡のように微睡みそうになる意識を引き上げる。
「お前は……前の世界で何をしていた?」
「え?」
質問の意図が分からず、エヴァを見てみると、彼女は顔を外の景色へと向けており、その横顔から何かを読み取るのは難しかった。
「お前も見た目通りの年齢ではあるまい」
「――なんで、そう思う?」
「……目、だ。お前のその目。生半可な事ではそのような目をする事など出来はしない。昨日から気になってはいたんだ。お前の見た目通りの年齢でそこまでの修羅場を経験してきたのかもしれんが、それにしては余りにも”ブレ”が無さ過ぎる。そう考えると、見た目通りの年齢ではないか、それともそうなってしまう程の地獄を見てきたか。…………或いはその両方か」
「――――」
――素直にすごいと思った。
別に彼女を侮っていたわけでもない。ましてや、下に見ていた訳でもない。
ただ、昨日会ったばかりの子にそこまで見透かされているとは思いもよらなかったのだ。
「ああ、相変わらず記憶ははっきりしないから確かな事は言えないんだけどな。少なくとも今の見た目通りの年齢じゃない気がする。今は俺が高校生くらいの頃の身体だと思うけど」
「やはりか、ならば本当の年齢は?」
「さあ、そこはまだ分からないけどな」
「……そうか」
「――でも、世界を飛び回って色んな事があったし、色んな事をやっていたのは覚えている」
穏やかな雰囲気に当てられたのか自然と口が動く。
棚に背中を預け、目を軽く閉じて己の中に意識を注ぐ。
バラバラのパズルのような記憶だが、それは何処にもはまることなく、あくまで一つのピースとして断片的に浮かぶ光景。
それは映像ではなく、まるでアルバムの写真ををバラバラにしてグチャグチャに混ぜたような、そんな連続性や順番も曖昧な記録だ。
「それは先程言っていた『正義の味方』というやつか?」
「…………だと、良いんだけどな」
目を閉じたまま少し苦笑交じりで答える。
もしかしたら自虐的な笑みに見えたかもしれない。
それでも、
「人の助けになりたくて良い事もやったし……悪いことだってやった。――それこそ人を手にかけたことだって……ある」
「――――」
「矛盾している事は分かっている。それを正当化しようとは思わないし、俺自身も許してはいない。これは俺の罪で罰だ、誰かに預ける事の出来ないい”咎”だ。けれど俺はこれ以外の生き方を知らないし歩き方も知らない。一度、誰だったかに言われた事があるよ。俺のしたことに意味はあっても、俺自身には意味が無いって………………俺は空っぽなんだってさ」
「――――」
「……でも、例えそうであったとしても構わない。……見える範囲だけでも良いんだ、世界全部なんて大仰なことは言わない。俺自身もそんな大層な事ができるような人間じゃない。でも、それだけの小さな世界の中であっても、そこで暮らしている皆が笑っていられたらどんなに幸せだろうって――それはどんなに綺麗な物だろうって、そう、思う……。その幸せは、輝きは、俺が生涯を懸けても良いくらい価値があるものなんじゃないかって……。だから俺はその為に歩き続けるんだ」
「………その願いが夢物語のようなものだと知っていて、それでもか?」
「それでも、だよエヴァ。……いや、だからこそ、か。そこに価値はある。――例え空っぽの俺自身に価値は無くても、その夢物語には価値がある」
その夢はまるで星のような物。
そして、それを目指して歩く道程は天に輝く星を目指して進むような道だろう。
少し上を見上げれば星はそこにあり、キラキラと輝き続ける。
夜空に手をかざしてみれば、掴めそうな気だってする。
――けれど、本当はそんな事はなくて。
どんなに近くに輝いて見えても。
どんなに前へ、前へと進んでも。
どんなに必死に手を伸ばしても――。
届きははしない。
辿り着けはしない。
……そんな事は最初から分かっている事だ。
その姿はきっと滑稽に映るだろう。
ありえない事をずっと続けている様は見苦しくもあるだろう。
――でも。
それでも、だ。
その道には何か意味があるんじゃないのか?
――馬鹿みたいに星に向かって歩く俺に意味は無くても。
星を目指して歩く道には価値があるのではないか。
御伽噺のような。
絵本のような。
それは、きっと誰もが一度は夢見た事がある”夢”だと、そう感じるから。……そう、願うから。
「――己自身を犠牲にしてでもか」
「ああ、そうだ。それにさ、俺はいつまで経っても変われない馬鹿みたいなガキだから、綺麗な星が見えているんなら、それを目指さないで進むなんて事はできない」
「………ならばお前は何処へ行こうとしている」
「――前へ」
ただ前へ。
俺にはそれだけで良い。
後悔や心残りはいつだってあるけれど、それに縛られては進めなくなる。
だから前があれば良い。歩く道さえあれば俺は進む事が出来る。
そして、いつか、きっと――。
「………そうか」
カタン、と空になったティーカップを置いてエヴァはそう呟いた。
「私は先に帰る。……紅茶、美味かったぞ」
そう静かに言って席を立ち出て行こうとする。
その表情はなにか遠くを見ているような、まるで昔を思い出しているような。
その場で、クルリと廻り背中を向けると、その動きにやや遅れるように長く綺麗な金髪が踊り、光に反射してキラキラと輝いた。
「なあエヴァ、何であんなことを聞いたんだ?」
「さあな、只の興味だったのかもしれんし、そうでなかったのかもしれん。私自身にも良くわからん」
エヴァは話している間もこちらを向きも、立ち止りもせずに扉のノブに手を掛けると開け放った。
「だがな、分かったこともある」
「なにがだ?」
「…………」
俺の問いには答えず、扉を開け放ちエヴァは出て行く。
だけど扉が閉まる寸前、小さいけれどそれは確かに届いた。
――――士郎、お前は私に似ているよ。
完全に閉じた店の中、その、小さな小さな呟きのような言葉がいつまでも頭に響いたような気がした。