「ふん、あのヘルマンとやらもよくやる」
世界樹の上に立ち、眼下を見下ろしながらそう呟く。
私たちがその場に辿り着いた時、ソレはすでに始まっていた。
世界樹と呼ばれる神木近くの野外ステージ、そこにガキ共は捕らえられ、拘束されている。そして、その前方で坊やともう一人の少年……あれは確か詠春のところで捕らえられていた狗族の小僧だったか。その二人の戦いが繰り広げられていたのだ。
私の見立てでは、あの男は恐らく魔族……それも支配階級である上位魔族だろう。
上位魔族とはその名の通り、一般的な魔族とは一線を画す強力な能力と高い知能を保有している。
だが、それも結局は一般的な魔族と比較してのこと。あの男も私や士郎の手にかかれば一捻りといった程度でしかない。
しかし、それは比べる対象が私や士郎である場合だ。坊や達程度の力量では厳しい物があるだろう事は間違いない。
だから私は目の前の光景に違和感を覚えた。
戦況は若干押されながらも拮抗している。あくまで二対一という条件は付くのだが、どちらかに大きく天秤が傾くといった状況ではない。
それこそが違和感の正体だ。
つまり、奇妙なことにあのヘルマンとか言う魔族は手を抜いている。何がしかの思惑があるのだろうが、先ほどから坊や達を挑発しているとしか思えない言動が見られるのもそのせいだろう。
まあ、そんなことは私の知ったこっちゃない。これはこれでいい機会だ。上手くすれば、鍛錬等では見ることのできない、坊やの潜在能力を見られるかも知れん。
そう考えた私は傍観に徹し、近くにあった世界樹の上から観戦することに決めた。
それに地力を上回る相手だからといって、すぐに助けを求めるような逃げ癖が付いても面倒だ。
この場を自力で乗り切れたら良し、乗り切れなかったとしても、この程度でくたばるのだったら所詮ソレまでだったと言う話だ。
弱肉強食。それが自然の摂理だろう。
だが。
「……にしても、刹那のヤツは何をやっとるんだか」
思わず呆れの言葉が口をついて出た。可笑しな事に、強者の側である刹那までもが捕らえられているのだ。
今のヤツの実力から考えれば、あの程度の輩に苦戦、もしくは敗北を喫する事など、どう考えてもありえない。
大方、搦め手にしてやられたか油断を突かれたのだろうが、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
士郎に師事してからというもの、刹那の実力は格段に上がっている。それこそ以前までとは比べ物にならない程にだ。
にも拘らずこの体たらく。
逆に士郎に師事する以前までのヤツなら、実力的には劣っていたとしてもこのような結果にはならなかったろうに。
平和な日常と言う名のぬるま湯に浸かり過ぎて腑抜けたか。これでは以前までの方がまだマシだ。
実力は上がっているのに逆に弱くなっているなど、滑稽過ぎて笑い話にもならん。
結果、ここで果てる事になろうとも、ソレこそ自業自得。自身の愚かさを悔いて死ねばいい。
だけど、まあ。
「しかし士郎———お前、もう少し殺気を抑えられんのか?」
「…………」
ここにはそれで納得しない男がいるのだがな。
私の隣に立った士郎は、鋭い眼差しで事の成り行きを見守っている。
士郎はここに辿り着いた当初、捕らえられているガキ共を目にした瞬間に飛び出そうとした。士郎の性格を考えればソレは当然の行動だろう。
だったら何故未だに私の隣に立ち、あまつさえ世界樹の上まで移動して文字通りの高みの見物を決め込んでいるのか。
その答えは簡単。
私が止めたのだ。
確かにこの場を収めるのは簡単だ。私か士郎のどちらかが出張れば良いだけの話なのだから。
しかし、それではあまりにも進歩がない。
あの坊やのように、力を求めている者がいつまでも誰かの庇護下にいるなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。毎度毎度誰かが助けてくれる状況など本来ありえないのだから。
だからこそ、あの坊やには経験を積む必要があるのだ。独力で事を成し遂げるということを。
そもそもこのような状況下自体、本来ならばありえんのだ。坊や達にとっては間違いなく実戦だろうが、厳密に言えば、いざと言う時の私や士郎と言ったバックアップが存在している時点で限りなく実戦に近い模擬戦に他ならない。
今にも飛び出していきそうな士郎に私がそう説明すると、士郎は苦々しい表情をしながらも頷いた。
だが、士郎はここで一つの条件を出した。
その条件と言うのは、今、隣に立っている士郎の姿が何よりも雄弁に語っている。
私はその士郎の姿をもう一度確認した。
「——————」
黒塗りの大きな洋弓を構え、鋭い目つきで狙いを定めているその姿。
そして、その右手に握られているモノこそが条件の正体だ。
「――赤原を往け、緋の猟犬」
遡る事、数分前。
士郎は怖気を覚えるほどの冷たい声色でそう呟き、投影したモノを弓に番えた。
「———”赤原猟犬(フルンディング)”」
矢と呼ぶには余りにも歪なその形状。元々は剣であったような形を、溶かして再び固めたようなソレは、事実、元は剣なのだろう。私は以前、その力を士郎から”その様な能力”なのだと説明を受けていた。
凶悪なまでに歪んだそのフォルム。
醜悪なほど抉るという事柄に特化したその姿、それはいっそのこと美しさすら感じさせた。
だが、それらは全て副次的なもの。
怜悧ながらも狂熱を帯び。
怖気を感じるほど流麗に。
禍々しく、狂ったように立ち昇る暴虐的な魔力。
それらは狂おしいまでにある一つの事柄を欲していた。
———相手の命を喰らい尽くすという事象のみを。
万が一、小娘どもに危害が加わろうとした場合、あの男を滅ぼし尽くす。
それが士郎の求めた条件の全てだった。
「…………」
無言で、一挙手一投足を見逃すまいと鋭い視線で狙いを定めている士郎。
先ほどから番えた鏃が微妙に動いているのは、戦闘によって移動を続けている男の動きに合わせてのものだろう。
時折、ギチリという弓の軋む音が聞こえてくる。
……正直、生きた心地がしない。
ソレが自分に向けられている訳でもなく、まして自分に向けられる事も無いと確信しているのに、その微かな音に込められた膨大な殺気と魔力だけで肌がチリチリと痛い程だ。
私ですらこうなのだ、気の弱い者などそれだけで意識を失いかねない。
ましてやソレを直接叩き込まれている、あのヘルマンと言った男の重圧は想像を絶するだろう。鏃のように一点に集束された殺気を隠してもいないのだから。
士郎の頭の中では既に、数十回、数百回、数千回、数万回もの回数、あの悪魔を射殺すイメージが繰り返されている事だろう。
その上、士郎の投影した剣は時間を重ねるごとに魔力が増大している。投影した当初の魔力量ですら膨大だったというのに、今ではソレを更に超え、許容量を超えて溢れ出した魔力が視覚化すら可能とさせ、血のように赤い紫電を伴って唸りを上げているのだ。
そのような規格外な一撃を受けては、あの程度の悪魔では一溜まりもない。それこそ、跡形も無く葬られる。
「———6年前の出来事をを覚えているかね?」
そんな時だった。
風に乗って男の声が届く。
見ると、坊やに向けてなにやら語りかけているようだ。
「なにを言って……」
「だから6年前の出来事だよ。あの雪の日の夜、君は”あの”場所に居ただろう?」
「……な、何でそれを?」
「そんなもの、簡単に想像はつくと思うがね」
「———まさかアナタは」
男はニィと、それこそ邪悪に笑うと帽子を取った。
すると、そこから現れたのは今までのような初老の男の顔などではなく、まるで能面染みた顔。事実、それは人間の顔などではない。———魔族の特有の顔だ。
そしてその顔には見覚えがあった。
「———そう、君の仇だよ。ネギ・スプリングフィールド君」
それは坊やの記憶に出てきた悪魔だった。
「——————」
坊やの息が荒い。
目の前に現れた存在が現在の自分を縛っているからなのか。
それとも、ただただ衝撃で動けないのか。
が、次の瞬間。
「———ほう」
思わず感嘆の声が出るほどの膨大な魔力が坊やから湧き上がった。
「ぬうッ!?」
「———」
坊やは猛り狂う魔力に身を任せ、我武者羅に、それでも圧倒的な力で悪魔を攻め立てる。
———魔力の暴走。
言ってしまえば簡単だが、それは単純に我を忘れて剥き出しの力を見境無く振るっているに過ぎない。
「——————」
隣に立つ士郎の矢先がピクリと揺れ、弦を更に強く引き絞る気配が伝わる。
ギチギチギチ、と。
そんな弓が軋む音だけで、ゾワリとした悪寒が駆け巡り、私の全身が粟立つように震える。
それに伴い殺気が爆発的に膨れ上がり、それを鏃の鋭さで悪魔目掛けて叩き付けたのが解かった。
「っ!?」
それを受けてしまった男は、身を竦ませてしまう。
それこそ、心臓を鷲掴みにされたような物だろう。それほどまでに士郎が放った殺気は荒々しかった。ましてやあの程度の悪魔ならば尚更だ。
———そして、それを見逃すような坊やではなかった。
「———ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来たれ、虚空の雷、薙ぎ払え! 『雷の斧』!!!」
ズドン、と。
坊やの放った魔法が直撃する。
通常時ならまだしも、今の暴走状態の魔力をそのまま叩きつけられたのだ。
潜在的には私すら上回る一撃、流石にソレを受けては一溜まりもなかったのだった。
◆◇—————————◇◆
「……ふん、終幕か」
眼下では小娘共も救出され、事態は何事も無く集束を迎えている。
どんでん返しも無いハッピーエンド。
物語の主人公である王子様(坊や)は悪魔に囚われた姫君を無事救出しましたとさ、めでたしめでたし……ってか。
まあ、適当な暇潰しにはなったし、収穫もあった。
坊やの潜在能力を引き出す切欠になったあの言葉。
そして暴走した魔力の矛先が全て”暴力”という解かり易いほどの破壊衝動に向かった事実。
「……これは”アレ”を試してみる価値があるか」
———闇の魔法(マギア・エレベア)。
これはそもそも私がかつて編み出した呪法なのだが、前提として膨大な魔力と、なによりも”素質”が重要な術。
だがそれも、今し方見た限りでは”素養”はある。
あとはこれからの修練次第か……。
そう考えると、まずはコレからの修練内容もそれに見合った物にせなばな。
「——————」
と。
私がアレコレ考えていると、隣に立ったままの士郎が大きな溜め息と共に手に持った武器を霧散させた。
「と、言うわけだ士郎。どうにかなっただろう?」
「……そうだな」
そうは言うものの士郎の表情は晴れない。
その視線はひたすらに厳しい表情で一点を睨みつけている。
まあ、士郎のその苦悩に満ちた表情の理由も、大方の見当はついているのだが。
「……やれやれ」
私はそれに若干呆れつつも、その視線の先を追いかけた。
そこには倒れ付したまま消えていく男と、それを見届けている坊や達だった。
トドメを刺していない所を見ると、あの男はこのまま自分の国に帰る事になるだろう。
坊や達の甘さのお陰で命拾いしたのだ。
———だが。
それと同時に私は違う事を考える。
この場からの先ほどまでの戦場までの射角、距離などは士郎ならばどうとでもするだろう。
だが、番えた矢の能力は未知数だが、込められた魔力を単純に威力に換算したとすれば……。
そして、それを放ったらどうなるか。
小娘共は離れた場所に捕らえられていたからまだどうにかなっただろう。
———だが、坊や達は。
「———帰るか士郎。夕飯が冷めてしまう」
私はそんな思考を振り払い士郎に語りかける。
「……ああそうだな」
士郎はそう言い、男が完全に消え去るのを見届けると、一瞬だけ何かを後悔するかのように強く瞳を閉じた。
そして、次の瞬間にはそれっきり全く興味を無くしたかのように振り返ると、迷うことなく木の枝から飛び降りた。
私はそれに続く前に、もう一度だけ坊や達を流し見て呟いた。
「———ふん。だがまあ、本当に命拾いしたのは……一体どちらだったのだろうな」
そんな私の呟きは、周囲に冷たく響いたのだった。
◆◇—————————◇◆
士郎と二人並んで雨の降りしきる夜道を歩く。
互いに急いで家から出てきたせいで傘も持っていないので全身ずぶ濡れだ。まあ、この陽気だし、体調を崩すことも無いだろうからたまには構わないだろう。
そのような事より、私は先ほどの出来事を思い出していた。
戦いの場から小娘たちの捕らえられた場所までは距離があったからなんとかなっただろう。
———だが、坊や達は別だ。
遠距離戦ならまだしも、接近戦だったのだ。
そうなると、士郎が弓を放った場合の結果は自ずと決まっている。
——————そう。士郎は、万が一の場合、坊やもろとも消し去ろうとしたのだ。
いざと言う時、士郎は悔いはしても戸惑いはせずにそれを実行しただろう。
それだけの覚悟を士郎は持っている。
例え誰に罵られ様とも、誰も救えない様になるよりならば、少しでも多くの人間を救う為に遭えて謗りを受けるだろう。
だが、世界の誰もが士郎の行動に異を唱えようとも、私の答えは決まっている。
世界全てが否定しようとも、士郎の出した解についての私の答えはいつだって是なのだから。
「…………」
「…………」
二人で夜道を並んで歩く。
互いに何も語らず、雨が降っているにも拘らず傘も差さずにただ黙々と家に向かって足を動かす。
「……なあ、エヴァ」
「……ん、なんだ?」
士郎の呼びかけにそちらを見上げた。
士郎は感情の篭らない声で、
———雨、止まないな。
夜空を見上げながら虚ろに呟いた。
その言葉に、士郎に向けていた視線をそのまま夜空へと移す。
「そうだな。早く止むと良いのだが」
漆黒の闇から落ちてくる雨は日中のそれより寒々しい。
夜の眷属たる私にとってこの闇は好ましい物だが、雨は嫌いだ。
月明かりが閉ざされてしまうし、何より気分を陰鬱にさせる。
「……雨、止むよな」
「…………」
士郎のその問いかけを、私は何を馬鹿なと笑い飛ばせなかった。
普段ならば出来たことを、この時だけは何故か出来ない。
その答えを間違ってしまうと、なにか取り返しの付かない事になってしまう。そんな自分でも良くわからない予感が心の何処かにあったからだ。
……雨は途切れることを知らず、未だに降り続いている。
そんな曖昧な感情に囚われた私は、士郎の問いに答えるべき言葉を持っていなかったのだった。