その夜の事だった。
とは言っても、『別荘』の中での夜なので外の世界ではまだ大して時間も経っていないんだろうけど。
相も変わらず凄い場所だなと、改めて感心する。
騒がしくも楽しい夕食を済ませた後、騒ぎ疲れた女の子たちはもう寝静まっていた。
「……全く、ようやく静かになったか」
やれやれと肩を竦めるエヴァ。
目の前にはエヴァ、茶々丸、チャチャゼロ。
俺達はテラスから場所を移し、エヴァの個室で寛いでいた。
「まあ、あんだけ騒げば疲れもするだろうしな」
「———士郎さん、どうぞ」
呆れるように呟いた俺に、茶々丸が空になったグラスを見て液体を注いでくれた。
……ちなみにワインではない。俺はそんなにアルコールに強い訳ではないので、今飲んでいるのは普通の葡萄ジュースだ。
「騒ぎ過ぎだ。食事ぐらいもっと静かにとれんのか……ったく」
対してエヴァとチャチャゼロはワインを飲み続けている。
エヴァはゆっくりと飲んでいるので良く分からないが、そこそこは強いのだろう。酔っている様子は見られない。
「ケケケ、俺ハドッチデモイイケドナ」
それに対してチャチャゼロは……いや、チャチャゼロはどうなんだ? 酔ったりするんだろうか? 先ほどからカッパカパ飲んでいるが。
……そもそも、何処に入ってるんだよ、酒。どう考えても飲み食いできるような見た目ではないのだろうに。聞いてみたい気もするが、きっと聞かぬが華なんだろうとも思う。
シェードランプの淡い灯りの下で杯を交し合う。
遠くには波の押し寄せる音すら聞こえる、そんな静かな夜。
「———ん?」
何処からともなく遠雷のような音が聞こえる。
だがそれはおかしい事だ。この空間内で天気が崩れるような事などあり得ない。だとすれば一体……?
「……大方坊やだろうよ。先ほど私が見せてやった魔法の連携でも試しているんだろうさ」
エヴァが呆れたように言う。
どうやら同じようなことを考えていたらしい。
「ああ、なるほど。ネギ君も熱心だな」
「ふん、その程度でなければ私の弟子としては不足というものだ」
フフン、と言い捨てるが何処か嬉しそうに見える。
「やっぱり満更じゃ無いって感じだよな、茶々丸」
「ええ、そうですね士郎さん」
「アノガキノ何処ヲソンナニ気ニイッテンノカネェ」
俺の言葉に頷く茶々丸とチャチャゼロ。
そんな俺達をエヴァが顔をひくつかせながら睨んだ。
「何だ貴様等……含みのある言い方だな。言いたい事があるならハッキリ言え」
「いやー、なんでもないなんでもない。どれ、俺はネギ君の様子でも見に行こうかな?」
エヴァの物言いたげな視線を適当に回避して席を立つ。
広場へと続く階段に足をかけると並び立つ人影があった。
「ん? エヴァ達も行くのか?」
「どうせ私達だけでここにいても暇だからな。酒の肴に見物する」
「私はマスターと共にあるのが使命ですから」
「何カオモシレー事ネェーカト思ッテナ」
結局皆か。まあ、離れて見学してる分には邪魔にもならんだろ。
最終的にゾロゾロと階段を登る。
広場に出た途端、潮風が頬を優しく撫でた。
「えっと……ネギ君は———と。お、いたいた」
目標の人物を発見する。
だがその傍らに些か予想外の人物がいた。
「あれは……アスナか? さっき寝たと思ったけど……二人して何やってんだ? それに宮崎さんは何で隠れてんだ?」
ネギ君とアスナは向かい合う格好で何かをしようとしている所だった。
そしてもう一人。
宮崎さんはそんな二人から隠れるようにして、物陰から覗いている。
俺たちを含めたそれぞれの位置関係を言えば、ちょうど二等辺三角形みたいな感じだろうか。距離の近いのが俺たちと宮崎さんだ。
とりあえず挙動不審の宮崎さんの方に向かって歩いていく。
宮崎さんは近づく俺達には気が付きもしないで、熱心に二人を見ていた。で、結局、真後ろに立っても全く気が付きもしない。……特に気配とかも消してないのにこの距離まで接近されて気が付かないんだからよっぽど集中しているんだろう。
「……な、何してるんだろー……」
宮崎さんのそんな呟きが聞こえる。
その視線の先には当然ネギ君とアスナ。二人はなにやら魔方陣の上に膝で立って向かい合っていた。どうも何らかの儀式みたいだが……。
「エヴァ。あれ何の儀式か分かるか?」
「ふむ。アレは意識シンクロの魔法だな」
「———うひゃいぃっ!? エ、エヴァエヴァエヴァンジェリンさん!?」
突然真後ろで会話をした俺達に飛び上がらんばかりに驚く宮崎さん。
まあ、イキナリ後ろから声が聞こえれば、そりゃ驚くか……。
それにしてもエヴァエヴァエヴァンジェリンさんとは新しい呼び方だな。……長いから定着しそうにも無いが。
当のエヴァは驚く宮崎さんを完璧に無視し、思案顔でネギ君たちを眺め、
「お前、アレ持ってただろ。『他人の表層意識を探れるアーティファクト』。ちょっと貸してみろ。坊やの心をウォッチする」
と、言った。
そういえば宮崎さんのアーティファクトってそういう能力だったか。直接の戦いではあんまり役に立ちそうも無いけどこういう時とか情報戦には凶悪だな……。プライバシーもへったくれもないのである。
「おいおい。いいのかよそんな事して……」
「構うまい。先ほどのあの二人の会話を唇の動きで読んだが、どうやら坊やの昔話のようだ。それに坊や自身、遅かれ早かれ他の連中にも同じ事を話すらしいからな。ならばここで覗いても大した違いはあるまい」
「……いいのかなー……」
プライバシーの侵害っつーか、なんつーか。
いくら後で全員に話す心づもりだったとしても勝手にこんな事をするのはかなり気後れする。そりゃ、俺だって正直に言えばネギ君の過去に何があったかは興味はあるが……。
「ええ〜〜!? ダ、ダメですよそんなの……」
宮崎さんが再び声をあげる。
それは善良な宮崎さんにして当然の反応。
———が。
そんなことで諦めるエヴァではない。
むしろ獲物を追い詰める猟犬のような目付きを見せて唇の端を持ち上げた。
……あー、こりゃ落としにかかる前の顔だなー、とかそんな事を暢気に考える俺。
こうなってしまったエヴァはもはや止められない。
宮崎さんには可哀想だが犬に噛まれたと思って諦めて欲しい。
「———”好きな男”の過去を知っておいて損はないぞ? このままではあそこで姉貴面している神楽坂明日菜に掠め取られてしまうだろうな。それでもいいのか? ん?」
「う、うぅ〜〜?」
「いやいや、私としてはどちらでも構わんのだぞ? このままではそうなってしまうであろう可能性を示唆しているに過ぎんのだからな。だがまあ、今の場合は私が見たいのであって貴様に責はおよばんだろう。なんといっても私から頼まれて出すだけなのだからな。貴様は私が坊やの記憶を覗きたいといったから貸したのであって、ソレを”偶々”……そう偶々脇から見てしまうこともあるんだろうな。———なあ、宮崎のどか?」
「うぅぅ〜〜?」
すっかりメダパニ。
宮崎さんはエヴァの言葉に翻弄されまくって混乱しまくっている。
そして、
「ど、どうぞ」
「うむ」
落ちた。———合掌、南無。
エヴァは満足気な表情でうなずくと、早速手渡された本を開いた。
すると、最初は何も描かれていなかった本のページにじわじわと湧き出すように文字と絵柄が現れる。
やがて、それらがハッキリとした輪郭を伴って描き出される。
「……ふむ。士郎、お前も見るだろう」
エヴァはそう言うと石畳の上にペタンと座り込み、自分の隣をポンポンと叩いてそこに座るよう俺に促した。
「いや、しかしだな……」
俺は勝手にネギ君の過去を覗き見ることに少なくない抵抗を覚え戸惑っていたが、そんな俺に業を煮やしたのか、エヴァが俺の服を引っ張って強引に座らされた。
「いいからお前も見ておけ。仮にとは言え、お前も坊やに指導をしている立場なのだから必要な事だ。先程も言ったように、坊や自身どうせ後から全員に教えるつもりなのだから遅いか早いかの違いしかあるまい」
「……わかったよ」
不承不承でうなずく俺に満足したのか、エヴァは手にした本へと視線を戻した。
その反対側からは宮崎さんが興味深げに覗きこんでいる。
「———衛宮さん、なにしてるですか?」
そんな俺達に掛かる新たな声。
そちらを向くと、綾瀬さんを先頭に他の女の子達も全員起き出してしまったようだ。
「……貴様等か。丁度良い、貴様等も見ておけ。大好きな先生の過去だそうだ」
エヴァは彼女達を軽く一瞥しただけでそう言い捨て、再び視線を本へと戻す。
彼女達はその言動に惹かれる物を感じたのか、後ろに並び立ち本を覗いた。
そして俺もその様子を眺めた後、それに習うかのように本を覗き込むのだった。
◆◇—————————◇◆
———それは、六年前の異国の小さな山間の村だった。
真っ白な雪がしんしんと降り積もる景色の中で、ネギ君とその姉であるネカネと呼ばれた女性は暮らしていた。
そこは魔法使い達の住む、小さな村。
そんな村で生まれ育ったからなのか、小さなネギ君はその頃から極自然に魔法と触れ合って生きていた。
幼い彼に両親はおらず、年の離れた姉も魔法学校に通うため寄宿舎に身を寄せており休暇の時にしか家には帰って来れない為、自ずと彼はその大半を一人で過ごしていた。
幼く、孤独な彼に時間は何を与えたのだろうか。
見た事もない両親へと募る思い。
英雄であった父。
その考えが彼をある行動へと突き動かす。
悪戯ばかりしては、その度に危険な目に遭う幼い頃のネギ君。それは、今の落ち着いた彼からは似ても似つかない行動だった。
そんな事を繰り返していた彼だったが、ある日、誤って冬の湖に落ちてしまい、溺れはしなかったもののそれが原因で寝込んでしまったことがあった。
ソレを聞きつけた彼の姉であるネカネは慌てて学校から帰ってくると、何故そのようなことをしたのかと彼を問い詰めた。
「……だって、ピンチになったらお父さんが助けに来てくれるって思って……」
———それが、幼い彼を突き動かした原因だった。
自分が危機に陥れば、英雄である父親がきっと助けてくれる。自分の前に出てきてくれる。
そんな彼の考えを誰が笑うことが出来ようか。
幼い子供がただ父親に会いたい一心で起こした行動を、無理だ無謀だとけなす事など一体誰に出来ようか。
———そんな出来事を経て、時は過ぎる。
ある日、彼は村はずれの湖畔に一人で釣りに来ていた。
その途中、今日は彼の姉が帰ってくる日である事を思い出す。
大好きな姉に一刻でも早く会うべく、その幼い足を懸命に動かした。
弾む息に合わせて流れる風景。
小さな歩幅で緩やかな丘を駆け上る。
あの丘を越えれば村全体が見渡せる。そして優しい姉が満面の笑顔で抱きしめてくれる。
そう考えて丘の頂に駆け上りいつもの景色を見渡した。
……その筈だった。
「———え?」
———見慣れた筈の景色は、真っ赤に染められていた。
立ち昇る黒煙。
崩れ落ちる家屋。
そんな光景にネギ君はただ立ち尽くすのみだった。
「お姉ちゃーん! おじさーん!」
親しい者たちの名前を叫びながら駆け出す。
そうして、すぐに叔父の姿を発見した。
「……おじ……さん?」
だが様子がおかしい。
彼もそうだが、その周囲にいる人間全員が険しい顔をしたまま微動だにしないのだ。
———それこそ良く出来た石像のように動かない。
「……ぼ、僕が」
その光景に立ち竦む彼の周囲に異変が現れた。
地面から何かが無数に沸き立ってきたのだ。
「僕がピンチになったらなんて思ったから……」
———それは、正に異形だった。
人間離れした大きな体躯。牙。翼。
そのどれを取っても凡そ人間に真似出来る代物ではないのは明白。
その姿は———悪魔と呼んでも差障りはないだろう。
「僕があんな事思ったから……お父さんに会いたいなんて思っちゃったから……。お父さんお父さんお父さん」
そんな周りの光景すら目に入っていないのか、壊れたレコーダーのように言葉を繰り返す。
無常にも、そんな彼に時の流れは待ってくれない。
巨躯を誇る悪魔の拳が徐に上がった。
その腕を止める術など、彼にはないだろう。
彼はここで朽ち果てる。それが条理なのだろうか。
「——————お父さん!」
———だがそこに、条理を覆す存在が現れた。
「…………」
風に靡く赤い髪とフード付きの白いコート。
左手には杖。
そして右手一本で悪魔の巨大な拳を止める男が立っていた。
「……え?」
バシン、と。
右手から迸った電撃が悪魔の動きを封じた。
「———『雷の斧』!!」
たった一撃、その一撃のみで巨大な悪魔を葬り去ってしまう。
そこからは圧倒的だった。
拳の一撃で悪魔を仕留め。
蹴りの一撃で吹き飛ばし。
腕の一振りで押し寄せる軍勢を払い散らす。
そして、腰溜めに右手を構えた。
次の瞬間。
「———『雷の暴風』!!」
突き出した拳から放たれる極大のレーザーじみた強烈な一撃が、文字通り全てを灰燼へと変えた。
その様が余りにも一方的で。
化け物をすら圧倒して。
……そのどちらが化け物か分からなくなる。
「……っ!」
その様子に恐怖を覚えたのか、幼いネギ君はその場から逃げ出してしまう。
だが、その行動がいけなかった。
逃げ出した方向にはガパリと大きな口を開けた悪魔が待ち構えていたのだ。
その口腔内に収束する魔の気配。
それが光り輝き、解き放たれた。
だが、
「……おねえちゃん! スタンさん!」
ネギ君の前に再び二つの影が立ち塞がった。
彼の姉であるネカネと、老魔法使いのスタンと呼ばれる男性だ。
ネギ君の身代わりに悪魔の一撃を受けた二人は、足元から石へと変化していく。
状況から考えると、この村の現状を作り出したのもこの悪魔なのかもしれない。
悪魔が止めを刺さんと襲い掛かる。
だがこの老魔法使いもさしたる者。
その状況下に置いて反撃をして見せたのだ。
「———封魔の瓶!」
そう叫び、懐から取り出した小瓶を投げつけると、その中に目の前の悪魔は吸い込まれていった。
だがしかし。
老魔法使いスタンとネカネの石化の進行は止まらない。
対魔力の差なのか、スタンは既に胸の辺りまで、対してネカネは未だに膝の部分までと、その進行具合には開きがあった。
「……逃げるんじゃ坊主。お姉ちゃんを連れてな。ワシャもう助からん、この石化は強力じゃ。治す方法は……ない」
「スタンおじいちゃん!」
「頼む、逃げとくれ。それがどんな事があってもお前だけは守る。それが、死んだあのバカへのワシの誓いなんじゃ……」
スタンはそう言うと、早くネカネを治療できる術者を探すようにネギ君へと言いつけると物言わぬ石像へと変わり果てた。
「……お姉ちゃん。起きてお姉ちゃん」
最後の言いつけを守るように必死に倒れ付したネカネを揺り起こす。
そんな彼の背後に一人の男……先ほど圧倒的な力を見せ付けた男が立っていた。
「……すまない。来るのが遅すぎた」
彼はそうやって後悔するように呟くと、倒れたままのネカネへと足を一歩踏み出した。
「———っ!」
そんな彼の前に、ネギ君が立ち塞がる。小さな杖を手に持ち、ネカネを守るように。
「——————お前」
そんな彼の行動に男は目を奪われた。
「……そうか、お前がネギか」
男はその行動をを通して初めてネギ君のことを認識したようだった。
「お姉ちゃんを……守っているつもりか?」
彼はそう言うと、フワリと優しくネギ君の頭を撫でた。
「———大きくなったな」
「……え?」
「そうだ、お前にこの杖をやろう。俺の……形見だ」
———形見。
その言葉の意味。
そう、それは……。
「……お、お父さん?」
彼が、ネギ君の父親であると言うコト。
「……もう、時間がない。ネカネはもう大丈夫だ。石化は止めておいた。あとはゆっくり治して貰え」
「…………お父さん?」
「———悪いな。お前には何もしてやれなくて」
そうやってトン、と地面を蹴り空に浮かぶと、そのまま遠ざかっていく。
「お父さん!」
叫べどもその姿は見る見る小さくなっていく。
ネギ君はその姿を追って駆け出した。
何故、離れていってしまうのか。
折角出会えたのに何故。
「こんな事、言えた義理じゃねえが……元気に育て———幸せにな!」
「お父さ、」
上を見上げながら全力で走ったからだろう、躓いて転んでしまうネギ君。
そして次に見上げた空には。
「———お父、さん」
何も、浮かんでいなかった。
「…………お父さあーーん!!!」
◆◇—————————◇◆
———それが、坊やの過去だった。
なるほど、年齢に見合わないクソ真面目さはあのような体験をした反動……ある意味トラウマのようなものだったのか。
……なんだ、坊やにもそれなりの理由があるのではないか。
「……僕は今でも時々思うんです。あの出来事は『ピンチになったらお父さんが助けてくれる』なんて思った僕への天罰なんじゃないかって……」
「なっ……何言ってんのよ! 今の話の中にアンタのせいだった事なんて一つもないわ! 大丈夫、お父さんにだってきっと会える!」
「ア、アスナさん……」
神楽坂明日菜が力強く坊やに言い聞かせる。
それはなんの根拠もないが、妙に力のある言葉だった。
「任しときなさいよ、私がちゃんとアンタのお父さんに……ん? うわっ!?」
「……え」
と。
そこでようやく私達の姿に気が付いたのか、坊やと神楽坂明日菜が私達の姿を見て驚いた声を上げた。
……まあ驚くのも無理はないのかもしれない。なんと言っても私と士郎以外は、もうボロッボロに泣いているんだから。
「ううっ、ネギ君にそんな過去が……」
「ネギ先生……!」
そして遂に感極まったのか、全員が全員坊や達に向けて殺到する。
「き、聞いてたんですか皆さん!?」
「ネギ君! 私も及ばずながらネギ君のお父さん探しに協力するよ!」
「ウチもー!」
「ワタシも協力するアルよー!」
「わわわ私も〜〜」
「協力って……そんなダメですよ! 師匠(マスター)、この人たちに何か言って上げてください〜〜っ!」
坊やが涙目で私に懇願する。
そうは言われてもな……。
「ん……いやまあ、私も協力してやらん事もないが……」
「師匠〜〜!?」
いや、あのような話を見せられては、少しくらいなら協力してやるのも吝かではない気分になると言うか何と言うか……。
……って、私は誰に言い訳をしているのだ?
「…………」
しかし、先ほどから妙に士郎が静かだ。
このような場面ならば真っ先に協力するとか言い出すようなヤツなのだが……まさか感動で声も出ないと言う訳ではあるまいに。
「どうした士郎。妙に静かだな。それほど坊やの過去に感じ入ったか?」
「……ん? あ、いや。感じ入ったとかとは別なんだけど……ただ似てるなって思って……」
「似てる……なにがだ?」
「ネギ君の過去と俺のが」
「……お前と坊やのが?」
「ああ。勿論完璧にって訳じゃないんだけど、そういう部分が所々あるなって………………げっ」
「ん?」
今まで私を見て話をしていた士郎が、なにやら私の背後を見て奇妙な呻き声を上げた。
一体何事だと思って振り返ってみて……なるほどと納得してしまった。
「——————」
そこにあったのは、やたらと表情をキラキラと輝かせたガキ共達の姿。
士郎の過去と聞いて興味を惹かれた様だ。
うむ、完璧にお前の失言が原因とは言え、確かに呻き声の一つも上げたくなるような状況だな。
さすれば次に言い出すことも予想できると言う物。
「シロ兄の過去……そう言えばシロ兄って私達に昔の事話してくれた事なかったわよね……」
「ん〜……考えてみれば……そうやね。シロ兄やんっていっつもウチ等のお話聞いてくれるけど、シロ兄やんの方から教えてくれるいうんはないなあ〜」
「し、士郎さんの過去ですか……さぞかし苦難の道程だったのでしょうね。私には全く想像も付きません。……い、いえ。だからと言って決して見たいとかそんな事思っているわけでは無くてですね!?」
……刹那よ。貴様は誰に言い訳しているのだ?
しかしまあ。
私は小娘共とは違って、士郎からそこら辺の話はかなり聞いている。
だが、それはあくまで私が聞いた事柄に関して士郎が答えているのであって、当然の事ながら何から何まで知っている訳ではない。
士郎は聞かれれば包み隠さず答えてくれるが、そもそもその元である記憶が曖昧である事も手伝って不明瞭な部分が多い。
…………って、おや?
「…………」
「そんなこと言われても……参ったな。エヴァどうしようか……ってエヴァ、どうかしたか? 急に黙り込んで」
「……士郎、凄く今更な事を聞くが良いか?」
「……なんだよ改まって」
私が声を潜めて周りに聞こえないように話すと、士郎もそれに合わせて声量を落とした。
「……お前、記憶が曖昧なままなんだよな?」
「本当に今更だな。最初に話した通りそのままだけど……」
それがどうした? と、そんな問いかけるような視線を寄越す士郎。
「うん、その……だな。よくよく考えてみれば———坊やが今やったのとは逆に、私が士郎の記憶を覗いて見れば———その原因も分かるんじゃないか?」
「—————————あ」
「…………」
「…………」
……沈黙が痛い。
何故気が付かなかった私……。
いや、それを言うなら、このような基本的な魔法は以前士郎に渡した魔法関係の本にも記されているのだから、士郎も気が付けば気が付くようなモノだったのだが。
「……やっぱ、知識だけで覚えるってのはダメだなあ。俺、全然思いつかなかった……」
「……私は他人の記憶などに興味はなかったからな……そもそも覚えても使う機会が無いからと完全に記憶から消え失せていたぞ」
「…………」
「…………」
二人揃って大きな溜め息を吐く。
ずっとこうしていても話が進まない。いい加減気を取り直そう。
「ど、どうしちゃったの? シロ兄もエヴァちゃんも」
「ん、ああ、何でもない何でもない。揃って抜けてたなあって感じてただけだから……で、なんの話だっけ?」
「いや、だからシロ兄の昔の話。私たちシロ兄の事何にも知らないなあって」
「ああ、そうそう。その話だった……けど、俺の昔ねえ……エヴァ、どうしようか?」
「……ふむ」
この場合の士郎の問いは、話す話さないは別として、どの程度まで話せるかと言うさじ加減を私に問うているのだろう。
元が別世界の人間の士郎の判断では、魔法関係の基準が違うので下手に坊やの前で話せないのだから、私にその裁量を尋ねるのは解かる話だ。
「いや、それ以前にお前は記憶を見せる事に抵抗はないのか?」
「抵抗? そりゃ無くは無いけど、別に見られて困るような事はないしな。見ても面白いもんじゃないとは思うけど」
「面白いとか面白くないの話ではないのだが……」
やたらあっけらかんと言う士郎に思わず脱力する。
普通なら他人に記憶を覗かれるというのは、少なくとも良い気分ではないだろうからと思ったからこその質問だったのだが……。
まあ、そういうヤツだよ。お前は。
「じゃあさ、エヴァが決めてくれよ。最初にエヴァが確認してみて、その後で皆にも見せていいか判断するってのはどうだ?」
「———は? 私がか?」
「ああ、俺じゃどうにも判断付け難いからな。お前に全部任せる」
いや、全部って。
私はそれでも別に構わんのだが……。
余りにも簡単に決めすぎてやしないか?
「……お前はそれで問題無いのか?」
「問題なんかあるもんか。エヴァが判断してくれるんだろ? だったらそれ以上に信用できる物は無いに決まってる」
「———っ!」
だぁーーっ! お、お前はそういう小っ恥ずかしい事をサラリと言うな!
ホラ見ろ! そのせいで小娘共が呆気に取られているじゃないか! あー、顔が熱い!
「コ、コホン! それは兎も角としてだ! 士郎がそう言うのであれば私も吝かではない。貴様等はどうだ? 士郎自身が見せても良いと言っているのだから、それを望むのであれば私の独断ではあるが、見せるか見せないかを決めるが」
「私はどっちでも良いわよ。元々興味があるだけだったし、シロ兄が見せたくないって言ったら無理に見るつもりもないし」
「うん、ウチも。そら聞きたいかって聞かれたら聞きたいに決まっとるけど無理に聞くモンでもないしな」
「ふん、よかろう」
まあ私自身も興味はあるしな。
「では士郎。気を楽にしてそこに座ってくれ。先ほどの坊やの魔法とは少々違うからな、お前が強く抵抗するよう意識してしまっては術が成功しないからな」
「ああ、わかった」
士郎はそう頷くと、胡坐をかいて目を閉じた。
さて、後は術をかけるだけなのだが……。
「———ふむ」
どうせだ。いっその事、こいつの記憶の初め……産まれた直後から見させてもらうのも悪くないかもしれん。
自分の記憶を覗いてくれと言い出したのは士郎なのだし、これくらいの役得はあっても構わんだろう。
そう考えた私は、術を更に強めに掛け、最も古い記憶まで遡る。
……しかしアレだ。
こうしてみると分かるのだが、士郎の抗魔力の低さは呆れるほどだ。
士郎自身が抗おうとしていないのもあるんだろうが、ソレを加味したところでこの低さはちょっと問題なのではないだろうか?
確かに、攻撃系の魔法などは喰らわなければ良いだけの話なのだが、これでは精神に干渉する類の術にはまるで無防備ではないか。
まあ、士郎のことだからそんな弱点を曝け出したままという事はないだろうから、何がしかの対抗策はあるんだろうが。
それはさておいて、士郎のヤツはどのような幼少時代を過ごしていたのか興味が沸く。
コイツのことだからくそ真面目に魔術の鍛練を繰り返していたか。それともこういうヤツに限って昔はやんちゃだったという落ちであろうか。どちらにしても可愛げの無い少年時代を過ごしていたのだろうと内心ほくそ笑む。
———しかし、そうやって意識が繋がる瞬間。
何かが聞こえた気がした。
「——————?」
何かが軋むような、ギギギと言う音。
まるで、錆び付いた重い扉を強引に開くような音。
恐らくは気のせいなのだろう。ただそんな気がしただけなのだ。
だから私は特に気にせず術を紡いだ。ここで集中が乱れては術が失敗してしまう。
……だけど、私は感じてしまったんだ。
その音が。
まるで。
———決して開いてはいけない、地獄の釜が抉じ開けられたような音だと。
そう、心のどこかで感じていたのだった。