「———と、まあ、こんなもんか」
刹那シールドを展開してネギ君の魔法を回避してから数分後。俺達は反省会と称してテラスで茶々丸の淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
「ネギ君は魔法の使いどころをもっと考えた方が良いな。あんな場面で使うと逆に利用されかねないからな」
「うっ……、よく分かりました」
刹那におもいっきり魔法を直撃させたのが応えたんだろう、ネギ君はさっきから刹那に目を合わせられないでいた。
刹那は別に気にしてもないと思うけど……。
「それにしてもアスナ、お前スゴイじゃないか。剣道を習い始めて間もないとは思えない動きだったぞ」
「……それでもシロ兄には全然当たらなかったけどねー」
「そりゃ単純に年季が違うからな。アスナの場合は習った期間を考えれば驚異的なレベルだ」
「そ、そう……? いやー、そこまで褒められると私も照れ、」
「これは師匠である刹那の教え方が良かったのかな?」
「……ちょっと、そこでそっちに行くわけ?」
アスナが半眼で俺を見る。
いやまあ、こうなると分かっててからかったんだけど。
「は? い、いえ……私の教え方と言うより、アスナさんご自身の才能による所が大きいでしょう。アスナさんは非常に覚えが早く、教えてる私も驚いていますので……」
唐突に話を振られた刹那が紅茶のカップを置きながら答えた。
しかし、アスナの力には本当に驚いた。刹那から剣道を教えてもらってそんなに日も経ってないのにあの動き……筋が良いってレベルじゃない。この子もある種の天才……か。
まったく、俺にもその欠片でも良いから才能が欲しかったもんだ。
「……どちらにしろ今の貴様等と士郎の差はこんなもんだろ。万が一すらあり得ん。坊やは士郎との修行から多くを学ぶのだな」
「は、はい! 師匠!」
大きな返事で頷くネギ君。
いやまあ……、エヴァのヤツもまんざらでもないんじゃないか? 弟子ってやつ。
そんな二人を見て苦笑する。
それで話は終わったのか、座ってた子達は各々で景色を眺めたり、物珍しそうに建物を見て回っている。
「……さて、そろそろ夕飯か。今日は人数も多いし……茶々丸、一緒に作るか」
茶々丸に声をかけ、腰を浮かせる。
夕暮れも近い。特にネギ君たちは身体を動かしたからお腹も減っているだろう。
それに人数も多い事だし二人で作らないと大変だろう。
「———それでしたら私にお任せください。ここには姉達もいますから……」
「え、でも……それじゃ茶々丸が大変じゃ———、」
「良いから任せておけ。ここの事は茶々丸たちのほうが断然詳しい。そんな中にお前が入っても戸惑うだけだろう」
エヴァが服の裾を掴んで座らせようとする。
……いや、しかしだな。
「誰かに働かせてるのに自分だけ寛いでるのってどうも落ち着かなくて……」
「……ワーカーホリックか、お前は。良いからお前は座っておればよいのだ」
呆れるようにして言われてしまう。
「むう……そこまで言うなら……、悪い茶々丸、任せていいか?」
「ええ、お任せください」
では、と言って下の階に繋がる階段を下っていく。
しかしそうなると俺は本当に手持ち無沙汰なんだが……。
「———ほれ、士郎。暇なら少し付き合わんか?」
エヴァが何処からか持ってきたのか、片手にワインのようなボトル、片手にワイングラスを二つ持って、それをチン、と鳴らした。
「……酒、だよな? 俺、あんまり強いのは飲めないぞ」
「安心しろ、これはそんなに度数は高くない。それに白ワインだからな、飲みなれていないヤツでも結構いけるはずだ」
ふーん、と相槌を打ちながらエヴァの持っているボトルを眺めてみる。ドイツ語らしい言葉で書かれていて意味は分からないが、何かやたらと高級そうなラベルが貼られている。
確かにどんな味がするのか興味があるな……。
「じゃあちょっとだけ」
「うむ、そうこなくてはな。ほら、グラスを押さえろ」
エヴァがコルクをポン、と抜いてボトルを傾ける。
俺がグラスを押さえると、そこに若干黄色がかった液体が流れ込む。
香りの感じだと結構爽やかな香りが漂ってくる。
「んじゃ、俺もお返しに———」
今度は俺の番。
エヴァの押さえるグラスにワインを半分ほどまで注ぐ。
「……んじゃ、ま、お疲れ様って事で。———乾杯」
「ああ、乾杯」
チン、とグラスを軽く当てる。
そしてそのままグラスの中身を一口だけ含む。
と。
「———美味い」
思わず感嘆の声をあげる。
いや、これは本当に美味い。俺はワインの味なんてろくに分からないがコレは文句無しだ。葡萄の爽やかな甘さと香りが鼻から抜けるようだ。コレは確かにワインを飲み慣れて無くても飲めてしまう。
「エヴァ、これ凄く美味いぞ」
「そうか。気に入ったのなら何よりだ。ドイツ産のワインは甘い物が多く、飲み慣れていない者でも飲みやすいからな。だからこそお前にも飲めると思ったが……どうやら当たりの様だな」
そう言うと、エヴァは微笑んでワイングラスを傾ける。
もしかしなくても、エヴァは俺の為にこのワインを選んでくれたのだろう。でなければ俺の感想なんて気にしなくても良いんだろうし。
「で? お前の目から見て坊やはどうだ?」
エヴァがグラスをくるくる回しながら聞いてくる。
なんの脈絡も無い話の振りをする彼女だが、先ほどの手合わせの事を言っているんだろう。
「年齢を考えれば満点、大変よく出来ましたってとこ、文句の付けようも無いな」
「年齢を考慮しない単純な実力で評価すると?」
「力の使い方がなっちゃいない。もっと頑張りましょう、だな」
ふむ、と頷いてワイングラスに口をつけるエヴァ。
実際、ネギ君の才能と能力自体は間違いなくズバ抜けて高いのだが、如何せん経験不足だ。これはさっきも言ったが、年齢を考えれば仕方の無い事だと思う。
今の彼の戦い方は、言ってしまえば圧倒的な潜在能力にモノを言わせた力技。ゴリ押しもいい所だ。あれでは下手をしなくても封印された状態のエヴァであっても勝てるだろう。
「どのようにしてその欠けた部分を鍛えられるか、それが問題か……」
「基本的には日々の修練で磨くもんなんだろうけど、本当の意味では実戦でしか鍛えられないからな」
「実戦ね。そうは言ってもそのように都合のいい相手などなかなか見つかるまいて」
「そりゃそうだけどな。でも実戦での緊張感とかは模擬戦とかじゃ味わえないからな」
「それは分かっているんだが———いっその事、私が本気で相手をしてやろうか? 本気で」
「……いやー、それはいくらなんでも……」
いきなり本気モードのエヴァが相手とかどんなイジメだ。
そんなもん、修練どころか、一方的なワンサイドゲームになるのがやる前から目に見えている。
「……あの、エヴァンジェリンさん。少し宜しいでしょうか?」
と。
エヴァとああでもないこうでもないと話し合っていると、不意に声がかかった。
その声の主である綾瀬さん、それとそれに並んで立っている宮崎さんが俺達を真剣な表情で見ていた。
「何だ貴様等、何か用か?」
「折入ってお願いがあるですが……」
「…………」
お願い、と言う単語を聞いただけでエヴァは露骨に嫌そうな顔をした。
けれど綾瀬さん達はソレに臆することなく、真剣な表情をしている。
ただ、どうしてだろう。
その真剣な表情を見るに、こちらもキチンと聞かなくてはならない筈なのに、その話の続きを聞きたくないと願っている自分がいた。
「———私たちに魔法を教えて頂けないですか?」
———その言葉を聞いた瞬間、自分でも良く分からない感情に囚われ、体を硬直させた。自分の中にある世界がキチリと音を鳴らして軋んだのだ。
怒りを感じているわけではない。
悲しいわけではない。
ましてや嫌悪しているわけでもない。
ただ、何とも言えない脱力したような感情……そう、虚無感といったようなモノが全身を縛っていた。
自分が何故そのように感じるのかが分からない。
考えてみればその言葉は、幼い頃、俺自身が切嗣に向けて放った言葉と奇しくも一緒なのだ。今更、他の誰かが同じようなことを言っていたとしても何も可笑しくは無い筈。
切嗣に魔術を教えてくれと何度も頼み込んだ昔の自分。そうすれば切嗣のように、誰かの為になれると夢見た幼い自分。
恐らく二人もそのような憧れから今のように言っているのだろうに何故……。
「……なあ、二人とも」
自分でも意識しない内に、気が付くと俺は二人に声をかけていた。
「? なんです?」
「……な、何でしょう?」
横からかかった俺の声に二人は首を傾げる。
隣ではエヴァが俺を見上げていた。
「何で魔法を習いたいと思ったか聞いていいか?」
「———存在を知った、からでは理由になりませんですか? 今まで既知でなかった存在に出会ったものに憧れを抱くのは、人間として至極普通の反応だと思うですが。……危険と冒険に満ちた『ファンタジーな世界』……胸が躍るものです。学校の授業のように退屈ではなく御伽噺のような非日常。私もそんな世界が見てみたいのです」
綾瀬さんが淀みなく答える。
「……宮崎さんもか?」
「……は、はい。ネギ先生に聞いたんですけど私たちみたいな一般人でも魔法は使えるって聞いた時、その……ワクワクと言うかドキドキと言うか……」
宮崎さんはごにょごにょと語尾を濁すが言いたい事は分かった。
ファンタジーな世界。
御伽噺のような非日常……か。
「……二人とも、平和な日常は嫌いか?」
「嫌いではありませんが退屈ですね。私はそのようなものより見たことも無い世界、未知の可能性が自分にある事が大事です。ですから私達は『そちらの世界』に足を踏み入れる決意をしたのです」
「……で、です」
憧憬にも似た感情が篭もった瞳で俺やエヴァ、そしてネギ君を見る二人。
「…………そっか」
そう呟いてワイングラスを一気に煽る。
その言葉で先ほどまで感じていた虚無感の理由を理解した。
———平和は退屈だと。
———危険と冒険こそが望みだと。
それはつまり、衛宮士郎の夢を全否定されたように感じたからだ。
未知のモノに憧れを抱く感情は理解できるが、俺はソレに頷く事は出来ない。それが危険を孕んでいるのなら尚更だ。
———誰もが平和な世界。それが俺の夢だから……。
けれども、これは俺だけの誓い。綾瀬さん達や他の誰かに強要するような類のモノではないのだ。
「———ハ、ケツイケツイ。決意……ね」
今まで黙って話を聞いていたエヴァが吐き捨てるように言った。その表情は綾瀬さん達の角度からでは見えないだろうが、隣に座った俺からはハッキリ見える。頬杖を着きながら、グラスの中でワインを躍らせて眺めているその表情。
……それは嘲りだった。
「エヴァンジェリンさん、どうかしましたですか?」
「……いや、何でもないよ。どちらにしても私はそんなメンドくさい事はイヤだね。頼むなら向こうに先生がいるんだからそっちに頼め。魔法先生にな」
エヴァはそう言って、犬でも追い払うようにしっし、と手を振った。
「……うっ」
綾瀬さん達はソレで取り付く島も無いと判断したのか、踵を返してネギ君の所に向かった。
「———ふん。その憧れがどのようなものかすら理解できていない小娘如きが、よくもまあ決意などと軽々しく言えたものだ」
苛立たしげにワインを煽るエヴァ。
俺はその言葉を否定できずに苦笑を残して席を立った。
「…………士郎?」
いぶかしむエヴァの声を置き去りに、夕日の沈んでいく景色の見える展望台へと歩く。そしてそこに並ぶ柵に両腕を組んだ状態で置き、顎を乗せて夕日を眺めた。
……俺はこの世界が好きだが、そこにずっと暮らす人達の考えは違うんだろう。ここの人たちにとっての当たり前が俺にはとても尊く感じる。多少のトラブルがあれど、誰もが笑って暮らしている。
———そう、それはまるで夢の様な世界だ。
「———どうした士郎。あんな小娘の戯言に感じ入る物でもあったか?」
そこにかかる厳しい文面とは裏腹に優しいエヴァの声。
見ると、両手には新たに中身の注がれた俺のワイングラスと、自分のワイングラスを持って、こっちに歩いて来ていた。
エヴァは手に持ったグラスを俺の肘のすぐ近くの柵の上に置くと、今度は自分でそこに手をかけ、伸び上がるように飛び乗って腰掛けた。そしてそのまま振り返り気味の格好で沈む夕日を眺めると、ふうと軽く息を吐いた。
俺もその一連の動作を眺めた後、夕日へと視線を戻す。
「……………」
「……………」
お互いに何も語らずにただ夕日を眺める。
背後からはネギ君に魔法を教わっているのか、呪文の詠唱のような声が聞こえる。どうやら綾瀬さんや宮崎さんだけでなく他の子達も一緒に混じって習っているらしかった。
俺はそんな楽しそうな声に思わず苦笑を漏らして目を閉じた。
「……昔、さ」
ポツリと、独白の言葉が零れ落ちた。
「……ん?」
エヴァが俺を見たのが気配で感じられる。
俺はソレに構わず続けた。
「俺も昔、親父に頼んで魔法……いや魔術を無理矢理教わったんだ」
「…………」
「一番始めに親父から教わった事は心構え。……魔術を習う、という事は常識から離れるという事。死ぬ時は死に、殺す時は殺す。魔術師にとって一番初めの覚悟とは、死を容認する事だ———ってさ」
「……ふむ、含蓄のある言葉だな」
瞼の裏に映る赤さは夕日の物か血潮の物か。
潮風が頬を撫でていく。
「事実、俺の世界では魔術と死は隣り合わせだった。初歩の魔術だって一歩間違えただけで簡単に死に至る。俺だって死にそうになった事なんて一度や二度じゃない。……でも、そんな事はどうでも良かったんだ。俺は魔術師になりたくて魔術を習ったんじゃない。親父みたいに、切嗣みたいになりたかったから魔術を習ったんだ」
「クク、お前らしいと言えばお前らしい話だな」
エヴァの薄く笑う声。
瞳を開いて横目でそちらを見てみると、穏やかな表情で夕日を眺め、強い風に遊ぶ黄金の髪を片手で抑えていた。
「……なあ、エヴァ」
「ん?」
「俺はここでの生活が好きだ。エヴァがいて、茶々丸がいて、チャチャゼロがいて、刹那たち皆がいて、皆が笑っているこの世界が好きだ。……ホント、争いの無いここは俺の夢みたいな場所だよ」
「そうか。それは何よりだ」
「…………でも、そこにいる人達にはそうじゃないのかもな。平和が当たり前すぎるとそれが退屈に感じるんだな」
「———士郎?」
きょとん、とした表情で俺を見る。
俺はそれを視界の端で捉えて、もう一度夕日へと視線を戻す。
「俺にとっちゃ夢みたいな世界でも……彼女達にとっては退屈なだけの世界なんだ」
それは衛宮士郎の理想が根底からして否定されているのと同義。
彼女たちにとっては何気ない言葉で、悪意なんかはこれぽっちも篭っていなかった筈の言葉なのに。
お前の目指している夢なんて、他人から見たらなんの価値もないモノなんだと、まるで世界からそう突き付けられているようで。
「……俺は」
…………ただ、その事実だけが俺をこんなにも打ちのめす。
「……士郎。所詮は物事の分かっていない小娘の戯言だ。お前がソレを気に病む必要はないのだぞ?」
エヴァが俺にワイングラスを差し出しながら言う。
俺はソレに礼を言って受け取った。
「お前が元いた世界と、この世界の神秘に対する心構えに大きな隔たりがあるのは分かった。お前がその世界で何を見聞きし、何を思ったのかは分からないが、その全てが甘い物ではない事は理解しているつもりだ。だが、それは平穏しか知らないガキ共には理解できない次元の話だろう」
———強い風が吹いた。
一際強いソレは彼女の長い髪を大きく後方へと靡かせた。
「———ならばそれで良いではないか。誰に理解されずとも、私がお前を理解して全てを肯定しよう。お前を理解できないモノに無理に理解させる必要もない。この私が理解しているのだ。———それで良いではないか」
「———……エヴァ、お前」
———それは、これ以上ない言葉だった。
物事の正否、可否、善悪。
それら全てを度外視して無条件に俺を容認するといったその言葉。
ソレが胸の深い所に染み入った。
スッ……とグラスを掲げて微笑むエヴァ。
「——————」
泣いてしまいそうだった。
夕焼けの中、風に靡く黄金の髪を片手で抑えながら微笑むその姿。
その姿が余りにも衛宮士郎という人間には美しく映って、泣き出してしまいそうだった。
「……エヴァには敵わないな」
込み上げて来る感情を隠すように俺は笑う。そうでもしなければ本当に涙が溢れそうだったから。
組んだ腕を解き、グラスを持ち上げる。
「ふふ、敵う必要も無いだろう? 我等が相対する事など最早あり得んのだから、私は常にお前と共にある———だろう?」
面白そうに彼女は笑う。
ああ……ホント、お前には敵わないよ。
俺達はグラスを掲げて、
「———ああ、家族だもんな」
チン、とグラスを響かせあった。