——————突然ですが。
本日は私、絡繰茶々丸が。
我が家の一員たる衛宮士郎こと士郎さんの一日に迫りたいと思います。
———午前5時。
士郎さんの朝は一般平均と比較すると随分と早い。
「おはよう、茶々丸」
「お早うございます、士郎さん」
私もその時間に合わせて起動、士郎さんとの挨拶から一日は始まる。
士郎さんはそのまま洗顔、歯磨き、軽く身だしなみを整えた後、私と一緒に朝食の下拵えの準備をする。
「昨日テレビで見たんだけどさ、今日は桜ごはんっていうのを作ってみようと思うんだ」
「桜ごはん……ですか?」
「まあ、茶飯とかいろいろな呼び方もあるらしいんだけどな……。作り方も簡単で、普通にご飯炊く時に醤油とみりんと酒を入れるだけで良いらしい」
「なるほど。ではおかずはあまり味の濃いものではない方が良さそうですね」
「そうだな。じゃあ……玉子焼きとほうれん草のおひたし……あ、そういえば昨日の残りの肉じゃがもあったよな」
「はい」
「じゃあ、それ位でいいか。じゃあ俺は米研ぐから、茶々丸はおひたし頼む」
「分かりました」
と。
衛宮さんは献立から作業の指示までテキパキと動く。
……私は他の男性の方を知らないので比べようもないのだが……やはり他の男性の方々も、このように家事を要領良くこなすのでしょうか?
私の知識ではこういったものは基本的に女性が主にするものするものだと記録されているのですが……。
だがしかし。
今は男女平等の世の中、現に士郎さんがこうも積極的に作業するのだから、この知識は恐らく既に古い物なのでしょう。これは更新しておかなければなるまい。
上書き上書き。
———午前5時30分。
「———っと、そろそろ時間か。悪い茶々丸、後任せていいか?」
「はい、お任せください」
朝食の下準備も終わった頃、士郎さんはそう言い残し、玄関の脇に立てかけてあった袋を担いで出かけて行く。
———午前5時40分。
「おはよう、刹那。相変わらず早いな」
「お早う御座います、士郎さん。今日も宜しくお願い致します」
士郎さんと刹那さんの日課の早朝稽古。
士郎さんは袋から竹刀を取り出し、刹那さんはいつも使用している『夕凪』と銘打たれた刀を白鞘に収めたまま正眼に構える。
士郎さんはこの竹刀の他にも、二刀流用の短い竹刀も持っているのだが、稽古では基本的に通常の竹刀を使用している。
彼が言うには、二刀も一刀も基本は変わらないのでこれでも問題ないとの事。むしろ一刀の方が基礎を反復するには大事なんだとか。
私はそこら辺は良く分からないのだが、士郎さんが言っているのだから間違いない。
それはさて置いて、それより約一時間、二人の稽古の音が鳴り止む事はない。
———午前6時40分。
「———はぁ……はぁ……あ、有難う御座いました」
「有難う御座いました」
それぞれ得物を収め、互いに礼をする。
二人の状態の差はあからさまで、刹那さんが大きく呼吸を乱し、大量の汗を流しているのに対し、士郎さんは薄っすらと汗を滲ませている程度。
刹那さんが膝に手を付いて呼吸を整えようとしているのを横目に、士郎さんは傍らにあった荷物の中からスポーツドリンクの入った容器を取り出し、ソレを煽った。
……そういえば、この間マスターが言っていたのだが、どうも最近、士郎さんと刹那さんの間で危険な空気が流れているらしい。
マスターが渋い顔で眉根に皺を寄せて唸っていたのが印象的だったのだが……そのような心配が必要なように私は思えないのだが、実際の所はどうなのでしょう?
普段見る限りでは、特に険悪な雰囲気は感じられるような場面にはお目にかかったことがない。
むしろ、いつも仲が良い様に見えているのですが……マスターの杞憂ではないのだろうかと私は思う。
「———ん? 刹那、飲み物はどうした」
「……あ、いえ、その……出て来る時に荷物を玄関に置きっぱなしにしてきたみたいで……」
士郎さんはそれを聞いた後、一瞬だけ呆けたような顔をして、
「———馬鹿、それを早く言え。そんなに汗かいてるんだから水分取らきゃマズイに決まってるだろうが。荷物ごとって事はタオルとかもないんだろ? ほら、これ俺ので悪いけどまだ拭いてないから我慢して使え」
そう言って、刹那さんの手に強引にスポーツドリンクの容器を握らせ、タオルを首にかけた。
刹那さんは慌てたように握らされた容器と士郎さんの顔を何度か見比べる。
———うん、やっぱり仲は良い様に見える。
「……あ、有難う御座います」
「おう」
士郎さんが礼に対していつものぶっきら棒さで答えた。
すると刹那さんはその答えが可笑しかったのか、クスリと微笑んだ。
そしてスポーツドリンクを飲もうとして目を容器に移した瞬間、
「———————っ!?」
なにやら突然重大な事実に気が付いたかのように、いきなり真っ赤になって慌て始めた。
何故か妙に落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を確認すると、容器の飲み口をジッと凝視している。
傍から見ていると、不審極まりなく、ソレを見ていた士郎さんも首を傾げていたが「まあいいか」みたいな感じで気にしない事にしたらしい。
「って、うわ! ヤバ……もうこんな時間か。そろそろ帰らないと時間が無いな。よし刹那、今日はここまでにしよう。俺は朝飯の支度しなきゃならないから先に帰らせてもらうぞ」
「…………」
「……刹那?」
「———は!? は、はい! お、お疲れ様でした、明日も宜しくお願い致します!!」
「お、おう? じゃあまたな、その容器も後で返してくれればいいから」
じゃあ、と言いながら駆け出した士郎さんに、刹那さんは慌てて頭を下げて見送った。
やはり険悪な空気などにはなりそうもないように感じる。
……ただ、どうしてでしょうか?
頭を上げた刹那さんが、もう一度容器を見て赤くなるのを見ていると、こう……胸の辺りがムカムカしてくるのですが。
———午前7時00分。
「おーい、エヴァ。朝だぞー、いい加減起きろー」
早朝稽古から帰宅した士郎さんがマスターを起こす。
マスターは基本的に朝は弱いので、誰かが起こさない限り起きてはこない。
以前までは起こすのは私の役目だったのだが、士郎さんが来てからはすっかり任せきりになってしまっている。
「………………………………眠い」
士郎さんの呼びかけに、ムクリと身体を起こし、心の底からという感じの盛大な間を空けては重々しく言う。
その目は未だに半開きで、ともすれば虚空を睨み付けている様にも見える。
「お前、また夜更かししてたんだろ。だからいつも言ってるだろ? 早く寝ろって」
やれやれ、と言った風に、腰に手を宛がいながら士郎さんが言う。
「……仕方ないだろう、私は一番頭が動く時間帯が夜なんだから」
「そうは言ってもな、こうやって現に辛い思いしてるんだから少しは改めて見れば良いのに。大体お前だって、」
「…………ぐぅ」
「って、言ってるそばから寝てる!?」
士郎さんが話している間に、マスターは前のめりに倒れて再び寝てしまう。
士郎さんはそれに驚きつつも、仕方ないなとでも言うように苦笑を漏らした。
「ほら、起きろエヴァ。今日もいい天気だぞ」
ともすれば、まどろんでしまいそうな程の優しい声で呼び起こしながら、士郎さんはカーテンを一気に開け放った。
そうやって窓から見える景色は、確かに士郎さんの言うとおりに良く晴れ渡っていた。
「…………ぐあー、溶けるー」
まるで気の入っていない、やっつけ仕事のような声を上げるマスターに、溶けてないじゃんと士郎さんが朗らかに笑った。
こうやって、我が家の一日は幕を開ける。
———午前8時00分。
「では、行って来る」
「士郎さん、行ってまいります」
十分に余裕を持っての朝食後、玄関口に立ったマスターが扉を開けた。
いつもだったら私たちと共に家を出る士郎さんだが、今日は月曜日、お店が休みなのでお見送りをしてくれている。
「ああ、いってらっしゃい。気をつけてな」
士郎さん……そう言いながら玄関口から見送ってくださるのはいいんですが……なんと言えばいいのでしょう……とりあえず、その……エプロンで手を拭きながら見送ってくれる姿が異常なまでに似合っているのはどうしてなんでしょうか。
そして、その姿を見ているとなんだか妙に安心してしまう私も何なのでしょうか?
———午前11時30分。
「それじゃチャチャゼロ、出かけて来るからな」
「アイヨ」
私たちが登校した後、掃除などの家事を終えた士郎さんはそう言い残して家を出た。
ロングTシャツにジーンズ、それにスニーカーと言った、いかにもラフで涼しげな装いで、ジーンズのポケットに手を突っ込みながらテクテクと目的地に向かって歩く。
そうやって、しばらく歩いて辿り着いた先は麻帆良学園の中庭。
そう、今日は月曜日、恒例のお弁当の日だ。
「……ちょっと早く着き過ぎたかな」
お弁当の入ったバスケット片手に辺りを見回し、そう呟いた。
すでに昼休みには入っているが授業が終わったばかりなので、まだ学生の姿はチラホラと見える程度。この学園は広いので、前の時間が中庭近くでの授業ではない限り、中庭に辿り着くのにもそれなりの時間を要するのだからそれも仕方の無いことでしょう。
「…………」
士郎さんは手持ち無沙汰といった風に立ち尽くして私たちの到着を待っている。
その様子はどこかソワソワとして落ち着きが無い。
士郎さんが言うには、どうにも見知らぬ女子の中に男が一人だけと言った状況が酷く居心地が悪いらしい。なんでも、自分に視線が集中しているような錯覚を覚えて下手に身動きすらできないとか。
事実、士郎さんの仰る通りこの場の殆どの視線を集めていて、それらを向けている人物の反応も様々だ。
最初は訝しげに見ていたが、士郎さんだと分かると、いつもの光景だと興味をなくす者。
お店の常連なのか、にこやかに笑って手を振っている者。
初めて士郎さんを見るのか、興味深げに観察している者。
等等。
だが、このように歓迎、もしくは許容している者だけではない。
中には当然拒否反応を示す者もいる。
それらは、学園広域指導員の職務中に士郎さんから注意を受けたものだったり、女性だけの空間に男性が混じっていると言うことに拒否反応を起こしているものだったりする。
マスター曰く、これ等の感情は相手が士郎さんだからこそ向けられる感情であって、もしもこれがネギ先生や高畑先生の場合だと、また違った反応だと言う。
なんでも、前述のお二人に関しては、高畑先生の場合はコレまで培ってきた教職と言うキャリアが、ネギ先生の場合だと、子供なのに先生と言う、その稀有な立場が話題性を呼び知名度が高いのと、その整った見た目から来る特異性から拒否反応も無いに等しいのだと仰っていた。
ソレに対して士郎さんはそういった類の背景がまったくと言って良いほどに無い。
ある日突然現れた見知らぬ、それも見た感じ同じ年のような男性に注意されて面白いハズが無い。例え、学園広域指導員というキチンとした立場と資格を持っているとしてもソレは変わらない。それに加え、士郎さんは基本的に愛想を振りまくような性格ではない。直接お話をしてみるとその限りではないと分かるのだが、傍から見る分には少し怖いと感じられるそうだ。
例を挙げれば、同じクラスの宮崎さんがその最たる例だと言えるだろう。彼女の場合、最近でこそある程度慣れてきたとはいえ、最初の頃はかなり怯えられたと士郎さんが苦笑しながら仰っていたのを思い出す。
そのような結果、このように一部とはいえ、決して少なくない数の人間に疎まれてしまうという悲しい現状が出来上がってしまっていた。
「待たせたな、士郎」
「ああ、エヴァ。いや、俺も今来たばかりだから」
そんな中、漸く私たちも士郎さんと合流する。
ソレと同時に視線も否定的な視線も無くなる。
どちらが言い出すでもなく、示し合わせたように定番となっている中庭の端の方にある木陰へと足を向けた。
そこは程よく中心から離れた人の居ない場所で、喧騒は聞こえるがそれがうるさいと言うほどの物でもない絶妙な距離。
そんないつもの場所に敷物を敷いて、そこに全員で腰を下ろした。
『———いただきます』
そうやって昼食が始まると、マスターの機嫌は途端に良くなる。
学校などでどんなに嫌な事があっても、この一時だけは決してその笑顔が曇ることは無い。
———マスターは殊更にこの時間を大切にしている。いや、いっそ神聖視していると言っても決して過言ではないと私は思う。
その理由は様々あるが、その中でも一際大きな理由は、この目の前にあるお弁当そのものだろう。
……春の事件。
士郎さんとマスターが対立し、士郎さんが大怪我を負ったあの事件は今も記憶に新しい。
その事件の最中、士郎さんとマスターの心を再び通じ合わせるきっかけとなったのが、他ならないこのお弁当だ。
それ以来、マスターはこの時間をいつも楽しみにし、ソレを知ってか士郎さんもお弁当作りにいつも力を入れている。
……まあ、その影響で時々作り過ぎてしまい、すごい量になってしまう事があるのはご愛嬌でしょうか。
「———あー、食べた食べた! 流石にこれ以上は無理だ」
その例に漏れず、今日もまた作りすぎてしまったお弁当を少しでも減らそうと、孤軍奮闘していた士郎さんが木の幹に背中を預けながらそう叫んだ。
「……うぅ……動けん」
ちなみにマスターは当の昔に脱落。元々そんなにたくさんの量を食べられないのだから、今日は頑張った方でしょうか。いくら大切だからと言って、食べ過ぎて身動きが取れなくなってしまうのは本末転倒ではないでしょうかとも少しだけ思う。
……ちなみに私は適量頂きました。自分だけ逃げたとか言うのは無しです。そんな事言う人、嫌いです。
なにはともあれ、そんなこんなで昼食も終了。私は動くことのできない士郎さんに代わってお弁当を片付ける。
だからと言っても、お昼休みの時間はまだまだ長い。いつもだったらこの後に士郎さんの持ってきた紅茶でも飲んでゆっくりと過ごすのですが、今日はソレも無理そうな感じです。
「——————ん」
士郎さんは木の幹に背中を預け、足を投げ出したままの格好で大きく伸びをした。そしてそのまま穏やかな表情で目の前の景色を満足そうに眺める。
「……くぁ」
その横では、満腹になり更にこの陽気に誘われたのか、マスターが眠そうに欠伸をしていた。
「なんだエヴァ、眠いのか?」
「……んー、まあなー」
本当に眠いのだろう。その返事は伸びきっていた。
「そんなに眠いなら少し寝たらどうだ? 時間になったら起こすからさ」
「……んー、そうだな。そうするか」
マスターはそうやって気の抜けたような返事をすると、四つん這いでペタペタとシートの上を移動し、ある箇所に辿り着くとゴロンと寝転がった。
「おー、こんな所に良い枕がー」
「……おい」
その辿り着いた場所と言うのが士郎さんの投げ出されたままの足、正確にはフトモモ。
士郎さんが抗議の声を上げるが、マスターはソレをまったく意にも返さずに頭の置き心地を確認するように位置を直したりしていた。
「なんで俺の脚を枕にする」
「枕がないと頭が痛くて寝付んだろう?」
「いや、そうじゃなくて普通こういうのは茶々丸の方に行くモンだろうが」
「茶々丸は仕事をしているからな。ソレに対してお前は呆けているだけではないか」
「いや、茶々丸も仕事終わってるけどな」
「あえて答えるとするならば、其処に枕があるからだ」
「其処に山があるからだ、みたいな言い回しをするんじゃない」
「あー、ウルサイ枕だな。眠れんでは無いか」
「いや、だからさ…………はあ、まあいいか」
士郎さんは全く動こうとしないマスターに抗議の途中で面倒くさくなったのか、そうやって苦笑交じりの溜め息を吐くと共にマスターのオデコに掌を置いた。
「———エヴァ、暑くないか?」
「……ん、心地良いぞ」
「そっか」
「…………ん」
短くも穏やかなやり取り。
マスターはそんな空気に安心したのか、やがてゆっくりとした寝息を立て始めた。
士郎さんは、そんなマスターの頬に張り付いた長い髪を優しく耳の後に通していく。
……どうしてなんでしょう。
穏やかな、ともすれば微笑んでいるようにも見える表情で眠るマスター。
そんな彼女を目を糸のように細めて見守る士郎さん。
———そんな有り触れた、何でもない光景の筈なのに、それがあまりにも綺麗に見えて、掛け替えの無い貴いモノの様に感じてしまうのは、どうしてなんでしょう。
———午後1時30分。
そんな穏やかなお昼を過ごし、私たちと別れた士郎さんは家に一旦帰ってお弁当を片付けると、再び外へと出かけて行った。
「さて、と……今日はこの辺りかな」
士郎さんはそう言うと手に持った地図へと視線を向けた。
そこには×で殆どの箇所がチェックされた麻帆良学園の地図がある。
士郎さんはこうやって空いている時間を使っては学園広域指導員の仕事でもある、見回りを兼ねた散歩をよくしている。
そのおかげか、既に殆どの箇所には行った事があるらしく、行った事のない箇所もあと数日で全て埋まる予定らしい。
……ちなみに余談ですが、学園広域指導員というのはきちんとした仕事で、ちゃんと給与も支払われているらしいです。ある意味肉体労働で、危険も伴うと言うことで元々高給という話なのですが、更に士郎さんの場合は魔法関係のことも絡んでいるので特別技術手当てなるものが該当しているらしいのです。すると、これが結構な額らしく、そもそもお給料が支払われていると言うこと自体知らなかった士郎さんは、数か月分の金額が振り込まれている通帳を見て、声もでないほど驚いていたのは記憶に新しかったりもします。
閑話休題。
そんな士郎さんは辺りを注意深く見回しながら歩く。
どんなに些細な事も見落とさんとするその鋭い視線はまるで鷹のよう。
「——————む」
そんな視線がある一箇所で異変を察知したのか停止した。
そして、射抜くような視線で睨み付ける。
「……キャベツが安い。一玉118円か……」
……訂正、お野菜のお値段をチェックしていたようです。
でも確かに安いです……。
———士郎さん、ソレは取り合えず買いです。2玉ほどお願い致します。
———午後4時。
「今帰ったぞ」
「ただ今帰りました」
「おう、お帰り」
私たちが帰宅を告げると、家の奥から士郎さんの声が聞こえてくる。
士郎さんは基本的に私たち帰ってくる時間に合わせて帰宅しているようだ。
家に帰ってきたときに、出迎えてくれる人が居るのは良い事だろうとは士郎さんの弁。
そんな士郎さんがキッチンからお茶をトレーに載せて持ってくる。
「今日は暑かったからな、アイスティーにしてみた」
そう言って、大き目のグラスに氷のたくさん入った紅茶をテーブルに三つ並べる。
確かに今日は真夏日と言うほどではないが、この時期にしては暑かった。そう考えれば、ホットよりはアイスの方がマスターも喜ぶことだろう。
「ふむ。ま、たまには悪くないか」
マスターはそう言ってソファーに腰掛ける。
「紅茶にうるさい人は邪道だーって言うのかも知れないけど、俺はそこまでこだわらないし、要は美味しく飲むのが一番だろ?」
士郎さんもそう言ってマスターの隣に座ったので、私もそれに習って正面のソファーに腰を下ろした。
「して士郎、今日の夕食はなんだ?」
「今日はキャベツが安かったからな、お好み焼きにしようかと。ホットプレートで焼きながら食べればきっと美味いぞ」
流石です、士郎さん。
やはりお買い得商品は見逃しませんでしたね。
「……お前、今自分で今日は暑かった、とか言っておきながら、そんな暑そうなものをチョイスするのか?」
「それはそれ、これはこれ。食べるものに関してはまた別モンだろ? 鍋って訳でもないんだし。それとも嫌いか? 粉物とかは」
「いや、特に嫌いでもないからまあ構わんが……しかし、作るにしてもどっちを作るんだ?」
「どっちって?」
「ほら、良くあるだろう。関西風だとか広島風だとか」
「ああ、なるほどな。一応関西風を考えてたんだけど……広島風の方がいいか?」
「別にそのままで構わんさ。変なこだわりもないしな」
「そっか」
士郎さんはそうやって頷くと、一気にグラスを傾けた。
「よし、じゃあ俺は鍛錬に行ってくる。エヴァの方もそろそろネギ君が来る時間だろ?」
ここで士郎さんが言っている鍛錬とは桜咲さんとは別のことだ。週に一回程度、不定期でマスターの方の鍛錬に加わることもあるが、基本的には見ているだけであり、それはあくまでもネギ先生や桜咲さんの鍛錬であって、士郎さん御自身の鍛錬ではないらしい。やっている内容がまったく違うと士郎さんは仰っていた。それに、魔術方面の鍛錬らしいのでコレばかりは事情を知らない人間に見られるわけにはいかないのだとか。
———午後7時。
鍛錬を終え、夕食の準備を整えて、食事の時間。
この日の食卓での出来事は……多くを語らないでおこうと思います。
ただ、一言いうなれば……マスターがお好み焼きをひっくり返そうとヘラを握ってしまったからこそ起きた悲劇だ……と。
そして、その悲劇を一身に受けた士郎さんの頭の上には、お好み焼きが乗っていたと……。しかも焼きたてが。
———午後9時。
一騒動あって、騒がしくも楽しい夕食を終えた後の団欒の時間。
士郎さんとマスターはソファーに並んで座って本を読んでいる。
士郎さんは魔法関係の本。
マスターは伝奇物の本。
士郎さんはこうやってちょくちょく魔法関係の本を読んでいるので、こちらの魔法に関してもかなり詳しくなったそうだ。
それに対してマスターの方は、元々絵本や童話といったものは以前からよく読まれていたのだが、士郎さんが古くから伝わる有名な武具を作り出せると知った辺りから、こういった本を読むようになった。
「ところでエヴァ、今日は何の本を読んでるんだ?」
「今日はコレだ」
マスターはそう言って、本の背表紙を士郎さんの方へと向けた。
「……読めん」
「ククク……流石に原書は読めんか。これはな『ギルガメシュ叙事詩』だ」
「……うわー、よりにもよってそれかあ」
「ん? なんだ、気になる言い方だな。なにか問題があるのか?」
「あ、いや、こっちの話だからあんまり気にしないでくれ……」
士郎さんはそう言うと、何処か疲れたような顔をして溜め息をついては、何か小声でブツブツ言い出してしまった。はて、その本になにか嫌な思い出でもあるのでしょうか?
マスターはマスターで様子のおかしい士郎さんに小首を傾げていたが気にしないことにしたらしく、再び手元の本へと視線を落とした。
……まあ、士郎さん御本人も気にしないでくれと仰っていたので大した事ではないのでしょう。
私は気を取り直してお茶を淹れるべく席を立つ。
その途中で士郎さんの呟きが聞こえてきたが、気にしないことにする。
……ところで士郎さん。ただ、一つだけどうしても気になったのですが、
———金ピカって……なんですか?
———午前0時。
入浴後、少しのんびりと過ごした士郎さんは、いつも大体この時間にはベッドに入る。
現在は寝る前に歯を磨いているところだ。
「……なあエヴァ。お前もたまには早く寝たらどうだ? また明日も寝不足になるぞ」
そんな士郎さんが歯を磨きながらマスターへと問いかけた。
士郎さんがこの時間に寝るのに対し、マスターはまだまだ起きている。いつも大体、2時から3時、時には4時なんてこともザラだ。
「なに、私の場合は寝不足ではなく、朝起きるのが辛いだけだ。睡眠時間は十分とっている」
「へえ、そりゃ初耳だ。いつ寝てるんだ?」
「勿論授業中だ」
「……いや、そこはせめて休み時間とか言おう。嘘でもいいからさ」
「じゃあ休み時間」
「言い直しても意味ないからな。それにその言い方だと直す気無いだろ、全然」
「無論、これっぽちも無いな」
「……や、そこで自信満々に胸を張られても困るんだが」
士郎さんは苦笑すると洗面所の方へと歩いて行き、うがいをすると再び戻ってきた。
「さて、それじゃあ俺はそろそろ寝るからな。エヴァも程々にしとけよ?」
「はいはい、分かった分かった」
マスターはそう言うと穏やかに微笑んでから掌をヒラヒラさせて答えた。
「ん、じゃあおやすみ、エヴァ」
「ああ、おやすみ、士郎」
———こうやって、穏やかな就寝の挨拶を交わし士郎さんの一日は終わる。
賑やかで。
決して良い事ばかりではないけれど。
———それでも。
暖かく、穏やかな。
貴方と共に過ごす毎日を、私は愛しく思う。
———だから。
「茶々丸」
「はい」
———だから、どうか。
「おやすみ」
「———はい、おやすみなさいませ、士郎さん」
———貴方と共に過ごす日々が、明日もどうか、良い一日でありますように。