「おい、仕事を紹介してやる。付いて来い」
朝食を終え、私がやりますからいやいやこう言うのは居候の仕事いけません貴方はマスターのお客様なのですから、というやり取りの末、茶々丸から半ば無理矢理に皿洗いの仕事を奪い片付けていると、制服姿の二人が現れ声を掛けられた。
……って。
「エヴァ、その格好……何?」
なんだろう、そのいかにも学生服っぽいブレザーは。しかも茶々丸も着てるし。
なんだ、アレか、これが噂のペアルックか。
「見ての通り制服だ。そんな事も分からんのか。馬鹿なのか?」
「…………」
あれ? なんだろう、今すごく自然に罵倒された?
「……いや、じゃ無くてだな。俺が言ってるのは何で制服なんか着てるんだって言う事なんだが」
「そんなもん、学校に行くからに決まっているだろう。それすら理解できんのか。アホなのか?」
ま、またさり気無く罵倒された! 何なんだろうこの子は、語尾が他人を罵倒する言葉とかそんな感じのキャラなのか!? だったら是が非でも矯正をオススメする!
「い、いや、だからだな。俺が言いたいのはなんで学校なんかに行くんだって話! 大体、お前何歳だよ。昨日は数百年とか何とか言ってただろうが」
「少なくとも貴様の数十倍は生きてるだろうな」
「だろう。だったらなんで今更学校なんかに?」
「……仕方あるまい。そのような縛りを受けて封印されてしまっているのだからな」
「そういえばそんな事も言ってたな。大体、なんなんだ? その封印ってのは」
もしかしたら俺が何かの力になれるかも、そんな事を考えながら尋ねてみると、エヴァは苦々しく顔を歪め、絞り出すような声で、
「…………無限登校地獄」
「――は?」
なんだろう、今、どう考えても封印とかそんな術式には到底聞こえない名称が聞こえたが空耳だろうか。うん、きっとそうに違いない。
「……すまんエヴァ。もう一回言ってくれるか」
「……だから無限登校地獄だと言った」
どうしよう。聞き間違いじゃなかった。
いや、どうしようもないんだけど。
「…………なんだその封印。掛けたヤツはアホなのか」
思わず率直な感想が口から出てしまうが、こればかりは仕方ないだろう。
「正確に言えば封印と言うより呪いなのだがな。あと、お前の感想には全面的に同意しよう。かけた奴はアホなのだ」
エヴァはそう言うと、疲れたように大きなため息を吐くが、気を取り直すように頭を振った。
「まあ、それは今はどうでもいい。で、行くのか? 行かんのか?」
「え、いきなりか? 俺はてっきり早くても夕方くらいかと思ってたんだけど……」
「なんだ、イヤならいいぞ」
「誰もそんこと言ってないだろ」
急かすエヴァに苦笑しながら最後の一枚の皿を洗い終える。
「で、何処に行くんだ?」
「付いてくれば分かる」
エヴァはそうやって言い捨てると、こちらを待つ素振りすら見せずに一人で玄関を潜り、とっとと先に行ってしまう。俺と茶々丸はそんな彼女の後を慌てながら追うのだった。
そうやって三人、朝の森の中を歩く。
昨日は夜だった事もあって分からなかったが、この森は随分と綺麗だという事に今更ながら気が付く。確かに木々は生い茂っているが、それでもキチンと地面まで日の光が落ちている所を見ると、最低限ではあるものの人の手が加わっているのが伺えた。今歩いている道だって、舗装はされていないにしても、キチンと踏み固めらており、車の1台程度だったら通行も可能だろう。
そんな環境のせいか、どことなく朝一から森林浴をしているようで気分が良い。
……まあ、季節的に冬なのでかなり肌寒いのが難点だが。
そんな事を考えながら、一人先を歩くエヴァの小さな背中を茶々丸と並んでテクテク歩いていると、ふと、今朝のことが気に掛かった。
「そういえば、どうだった朝食は?」
先を歩く背中に問いかける。
さっきの様子から不評とは思わないけど一応気になったんで聞いてみた。
「……また作ったら食べてやる」
振り返らず、言葉少なに答えるエヴァ。
表情が伺えないので、良いのか悪いのか判断に迷うところだ。
「あれでもマスターは大変気に入っているんです」
「……そうなのか?」
茶々丸のフォローに顔を顰めるが、茶々丸はただ、はいと微笑むだけだった。
「茶々丸、余計な事は言うな、――ほれ、見えてきたぞ」
エヴァの言葉に視線を前へ向けると、ちょうど朝日が逆光になっているのか、その眩しさに一瞬目が眩んだ。手で日の光を遮るようにして、目が明るさに慣れるのをす数瞬だけ待つ。
そうして開けた視界の先には、
「――うお」
感嘆の声しか出なかった。
行き交う人々の多さに。
西洋風に統一された美しい町並みに。
そうか、これが、
「――これが、麻帆良学園都市だ」
俺の心情を読んだかの如く言う。
予想以上の光景に呆けている俺の様子にエヴァは、フッと笑うとこっちだと先を促した。
俺はそれに、始めて上京した田舎者のようにキョロキョロしながら続くのだった。
「着いたぞ、ここだ」
大きな建物の中に入り、暫くエヴァの先導によって歩いていると、そう言って一つの部屋の前で足を止めた。
なんと言うか、立派な扉だ。さぞかし地位の高い人がいる部屋なのだろう。
そんな扉の表面にの札には『学園長室』と書いてある。
いきなり学園長か、と思わなくも無いがここまで来たらエヴァを信用するしかあるまい。
「おいジジイ、いるか」
そう言ってノックも無しに乱暴に扉を開け放ち、躊躇なく中へと進むエヴァ。
いいのかよ、と心の中で突っ込むが、隣の茶々丸もこれといった反応をしていない事から、別段変わった行動という訳でもないのだろうか。
「何じゃ、誰かと思ったらお主か。どうしたじゃ、こんな朝から」
奥の机に腰掛けていた仙人のような顎鬚と立派な福耳を持った老人が、さして驚いた風でもなく顔を上げた。恐らく彼が学園長なのだろう。
「喜べ。今日は私がわざわざ良いアイディアを持ってきてやったぞ」
「ほう? それは珍しい事もあるものじゃな――で、後ろの人物は?」
その視線が俺を捕らえて不審気に眉を潜める。
「コイツの事を含めて今説明してやる」
「……聞こうかの」
それからエヴァは学園長に事の成り行きを説明し始めた。
昨夜、学園の結界を超え、侵入してきた事。
その後、エヴァに捕らえられ一時拘束し、危険が無いと判断し拘束はしていないが記憶が曖昧という事で保護した形を取っていると説明した。
これには正直助かった。
馬鹿正直に異世界からやって来たなんて分けの分からない事を言うよりは、こちらの方がまだ信憑性はあるし、変な誤解を招く可能性も幾分か低いだろう。
「……なるほどの、事情は分かった。これだけは確認しておくが本当に危険はないのじゃな?」
「ああ、この私が保証してやる」
「……あい分かった。お主を信用しよう。……それで? 良いアイディアとは何じゃ?」
「この前、人手が足りないとぼやいていただろう?」
「ほ? ……ああ、学園広域指導員や警備員のことかの?」
「ああ、それだ」
「まあ……の。もともと指導員の方は主に高畑君にまかせきりだったしの……それが最近は高畑君への本国からの召還が多くて、こちらを留守にすることも頻繁じゃからな……」
「知っている。そのせいで私にまで余計な仕事が回ってくるんだ」
「フォフォフォ、まあ、そう言ってくれるな。……それで、この話に彼がどう関わってくるのだと言うのじゃ?」
「私は、コイツを学園広域指導員に推薦する」
『――は?』
あ、学園長とかぶった。
ではなくて。
指導員だって? 俺がか? 教員免許持ってないんだけど?
エヴァの突拍子の無さに軽く眩暈。
「――これは唐突じゃな。理由を聞いてもいいかの?」
「ハン、そんなの単純だ。学園広域指導員などと長ったらしい肩書きなど、ようはこの学園で起こる馬鹿騒ぎを止めるだけだろう? なら十分だ。腕は立つ、人格も恐らく問題ないだろう。そしてこいつは現在職なしだ」
他に何かあるか? と付け加えるエヴァ。
……驚いた。
何が驚いたってエヴァが建前だけかもしれないが俺を認めているのだ。
素直ではないと分かっていたが、逆にこうやって間接的にとは言え褒められると照れくさい物がある。
その上、隣でこっちを見ながら微笑む茶々丸の笑顔に更に照れてしまう。
「ふむ。衛宮、士郎君……と言ったかの?」
「は、はい!」
突然話を振られてアセってしまう。
見ると、学園長は鋭い眼差しで俺を見ていた。
それはそうだろう。記憶喪失で目が覚めたら知らない所にいたなどと言う人物など、我が事ながら胡散臭いにも程がある。
「ワシは立場上、おいそれと君を雇う事は出来ん。いくらエヴァからの紹介だと言ってもの。しかも君は記憶が混乱していると言う。ならば普通の仕事の面接のようにもいくまいて……さて、そんな君にワシはどういった質問をすればいいんじゃろうな?」
「……それは」
それは、俺には答えることの出来ない質問だ。
事情を説明する? 嘘で塗り固める? それとも無言を貫き通すのか?
どれもが否だろう。
どこの馬の骨とも知れない男が多くの言葉を重ねたとしてもあまり意味は無く、嘘を吐くなんてもってのほか。かといって無言でいたら何も伝えることが叶わないからだ。
「……おい、ジジィ」
「ふむ、意地悪なことを聞いてしまったかの。ならば2つだけ質問させて貰おう――君は信用に足る人物かの?」
「――さあ、自分では分かりません。けれど、自分で言うのもなんですが、こんな素性の知れない男を懐に入れるのは危険だと思います」
「正直じゃな。質問を変えよう、覚えている範囲で良い――君の目標とはなんじゃ?」
「……目標ですか」
鋭い眼光で瞳を覗き込まれる。
目標、と言ったら一つしかない。
俺が俺であるために張り通さなければならない鋼の誓い。
ならばその質問に答える回答は一つしか存在しない。
「———正義の味方になる事です」
だから俺は胸を張ってそう答えた。
「——————」
「——————」
「——————」
俺の答えに三者三様で絶句してしまう。
そして、
「――ップ! ククク……フハ! アハハハハハハハハハッ!!!」
エヴァ、超爆笑。
後で苛めておこうと思う。
「……なるほどの、つまり『偉大なる魔法使い』か……その言葉に偽りは無いな?」
「ご立派です、士郎さん」
そんな反応されるとこっちも困ってしまう。
けれど、その言葉に嘘偽りは無い。
恥じる部分だってない。
その思いを込めて学園長の視線から逸らす事なく頷いて答えた。
「———うむ、良い目じゃ。……良かろう、君を学園都市広域指導員として迎え入れよう」
「! あ、ありがとう御座います! けど……本当にいいんですか? さっきも言った通り素性も知れないのに……」
「なに、これでも人を見る目に自信はあるでの。それともなにかの? 君は何か企んでいるというのかの?」
「そんな事はないんですが……」
「まあ、それはそれとして、じゃ……学園広域指導員、それだけというのもなんだか収まりが悪いのう、基本的に学園広域指導員は教職員が受け持つ副職のようなものじゃしな……衛宮君、他に特技とかないかの?」
「特技……ですか? そうですね……強いて言うなら料理とか機械いじりぐらいですかね」
「ほう、料理か! それはどれ程の腕前じゃ?」
「どれ程といわれても……」
答えようが無い。
まさかここで実際に作るわけにもいかないし、どう説明しようかと悩んでいると、
「そいつは結構やるぞ。今朝食べてきたがなかなかだった」
思わぬところから助け舟が出てきた。
そんな彼女を学園長が物珍しそうな表情で彼女を見た。
「ほう、お主が認めるとは珍しい。そうなると間違いはなさそうじゃな。これまた都合の良いことじゃ」
「と、言うと?」
「うむ、つい先日の話じゃが中等部学生寮の近くの飲食店が、店主の結婚を期にやめてしまってのう。うちは全寮制でな、利用者も多かった店なんで困っておったんじゃ」
とりあえず、ハァとか適当に相槌うってみる。
いや、流石に俺もそこまで話を聞けば、その先の流れもなんとなくだが予想できるけど……いいんだろうか?
「どうじゃ、そこで店をやって見る気はないかの?」
ほら、来た。
見事に予想通りの流れ。
でも、少し心揺れる提案だ。
俺が店を……か、しかしやってはみたいがやはり駄目だろう。
俺は資格とか持ってないし。
「……やってはみたいんですけど、それは流石に無理だと思います。俺、資格とか持ってないですし」
「良い、ワシが許す」
「……や、ほら。調理師免許とか食品衛生とかあるじゃないですか」
「なに、この都市に集まる食材は特に厳しい検査を受けているし、大抵はちゃんと洗ってやれば、まあ問題ないじゃろ」
――学園長、それは問題発言です。
いいんだろうか? そんな適当で。
俺が、資格とか免許がどうとか言っているのが馬鹿らしく思えてきた。
「クックック……いいじゃないか、労働は尊いものだぞ士郎?」
「……簡単に言うなよ、人事だと思って」
「人事だからな、簡単に言うさ」
でも、そこまで言ってもらえるならやってみるのも吝かではない。
「……分かりました。どこまでできるか分かりませんが頑張らせてもらいたいと思います」
「おお、そうか、引き受けてくれるか! では早速じゃが鍵を渡しておこう。それと開店の支度金も昼位までには準備しておくので後で取りにきなさい。無論これはきっちりと返してもらうがの」
「なにからなにまですみません……」
「いやなに、こちらからお願いしたんじゃからな、この程度は当然じゃろうて。後は……そうじゃな住む場所くらいか。生憎、店舗には居住スペースはついてないからの。衛宮君、昨晩はどこに?」
「昨日ですか? 昨日はエヴァの所に世話になりましたけど」
「――――ほう、それは本当に珍しい。そなたが、の。…………しかしそうか、ならば話は早い。エヴァよ、お主の所に彼を住まわせてやってくれんか?」
「は? 私の家にだと? …………ったく、面倒な。――しかしまあ良いだろう、地下なら開けれるだろうから、そこでも構わないなら好きにしろ」
エヴァは心底どうでもいいといった風にだが、やけにアッサリ同意した。
「って、え? いいのか?」
「ああ、変なものを拾ってきてしまったのは私だからな。その程度の責任はとらねばなるまい」
「拾ってきたって……犬とかネコじゃないんだから」
「なに、それよりは便利に使ってやるから安心しろ」
その言葉のどこに安心できる要素があるのだろうか。それって逆に安心できない発言だと思う……。
「フォッフォッフォッ! うむ、これでとりあえず話は纏まったの」
「はい、ありがとう御座います、学園長」
「うむ、衛宮君は明日の朝にでももう一度ここに来てくれんかの? まず先任の指導員を紹介するからの」
「はい、分かりました」
「では、衛宮君はこれからどうするんじゃ?」
「――そう、ですね。まず店の方を見させてもらいたいと思います。地図とかなんかありますか?」
「――その必要はない。私も一緒に行くからな」
「え? エヴァが?」
着いてくるというエヴァに、目線で学園長に良いんですか? と聞いてみる。
考えてみれば彼女は登校地獄とか言う、なんだか良く分からない呪いのせいで、強制的に登校しなければならないと言っていたのだが。
「ワシとしてはできるだけ授業に出て欲しいんじゃが……」
「イヤだね、くだらない」
「ふう……仕方あるまい。今日は衛宮君の学園案内ということで大目に見よう。それが学園行事の一つであるとすれば、恐らく呪いも反応はせんじやろ」
「マスター、私はどうしましょう?」
「お前はとりあえず出ておけ、タカミチの奴も今日から出るんだろう? いちおう概要だけでも説明しておけ」
「はい、分かりました」
「では、失礼します。ほら、行こうか、エヴァ」
「ああ」
学園長室の扉を後ろ手に閉じ、何とか上手く物事が進んだことに安堵の息を漏らした。
これで何とか当面の生活は確保したか。
そうして茶々丸はこれから授業にでなければならないという事で、そのまま学園町室の前で分かれる事となった。
「それではマスター、士郎さんも」
「ああ、付き合ってくれてありがとな」
「いえ」
それでは、と茶々丸はお辞儀をして背中を見せた。
「あ――茶々丸!」
しかし俺はソレを呼び止めた。
去っていくそれを見て、俺はやらなければいけない事を思い出したのだ。
茶々丸は数歩進んだ先で振り返った。
「はい? なんでしょうか士郎さん」
「えっと、その、なんて言っていいのか良く分からないんだけどさ……」
「?」
押し黙りながら、頭を乱暴にガリガリと掻く俺に、茶々丸は小首を傾げている。
ああ、くそ、こういうのはイマイチ苦手だ。
でも、これは大切な事なんだ。
だったらちゃんと言わなくてはならない。
ふう、と息を吐き出して気分を落ち着かせる。
そして、目の前で小首を傾げている少女に、
「これから――よろしくな?」
そう、鼻の頭をかきながら呟く俺に、茶々丸は一瞬呆けた後、
「――はい、こちらこそ宜しくお願いします、士郎さん」
嬉しそうに微笑んでくれた。