「――はぁ……なんか精神的に疲れた」
俺はとある部屋で景色を眺めながら、今日の出来事を思い出してぼやいていた。
『ホテル嵐山』。
今夜宿泊する場所の名前だ。
今日の新幹線での出来事以降、俺はなんとかバレることなく3—Aを尾行する事に成功していた。
そこから先に起こった悪戯紛いの妨害を思い出すと……。
「――あー、頭イターイ……」
思わず頭を抱えたくなる。
有名な地主神社での恋占いの石では、そこの石に辿り着く途中に落とし穴作ってたり、音羽の滝では流れてくる水の代わりにお酒を流したり……と、余りにも幼稚過ぎてため息しか出なかった。
刹那もソレを見ていたがただ眺めているだけ。
まあ、俺と同じくネギ君に任せて傍観していたんだろう。
「そりゃ、やる気は出ないか……あんなのだったら」
大きなことが起きないのは結構だが、これでは本当に子供の悪戯と変わらない。
変に気を張り続けていた分、余計に疲れてしまった……。
「……にしても、大河内さん。意外だったなー」
そんな緩んだ感覚で思い起こされるのは日中の事。
それは音羽の滝での出来事だった。
俺は遠くから呆れながら見ているだけだったが、滝には多くの女の子が群がっていた。
その中の一人に大河内さんの姿があった。
彼女は普段の一歩引いたような、大人びた雰囲気とは打って変わって、無言の圧力のような物を醸し出しながら流れ落ちる水を汲んでは飲んでいた。
確か音羽の滝のご利益は健康、学業、縁結びだったか。
いつの世も女の子というのはそういうのが好きらしい。
……まあ、その結果として酔いつぶれてはいたんだけど。
そのご利益を考えるとどれでも当て嵌まりそうだが、彼女の年齢を考えれば恐らく恋愛がらみだろうか?
まあ、大人しそうに見える彼女も年頃の女の子、好きな男性位はいて当然だろう。彼女程の美貌があれば選り取りみどりだろうに、その一途に思える姿勢には好感を覚えたものだ。
……でもアレって確か、本当は観光用の謳い文句で、本当の意味は”動・言葉・心の三業の清浄”を表してるだけじゃなかったっけ? で、アレが清水寺の名前の由来になったとかどうとか……。
まあ、どうでもいいか。
「それにしても参ったな……新幹線の流れで泊まる場所も同じだとは思ってたけど、これじゃあ迂闊に外に出れないし……」
まあ、刹那がいるから大丈夫だとは思うが、やはり妨害と言うのは気になる。
いつエスカレートして事を大きくするか分からないのだ。
出来る事なら見回りとかしたいんだが、知り合いに会うのは不味いと来ている。
――いっその事、堂々とバラしてしまうと言うのはいかがなものか。
「でもそうなるとネギ君の為にならないし……」
仕方ない、大事になったら出張るけど、些細な事はネギ君に任せるしかないか……。
先程までも微力な魔力が侵入してきていたが、あの程度ならネギ君に十分任せられる。
更に、今は誰かが結界でも張ったのか、何か膜の中に包まれているように感じる。
感じる力から推測する限り、恐らく刹那によるものだろう。
俺も心苦しいが二人に頑張って貰うか。
と、なると急に手持ち無沙汰になるんだけど……。
「――そう言えば今の時間だと、エヴァ達は飯か……ちゃんと食ってるかな」
思うのは家に残してきた面々のこと。
家には茶々丸がいるのだから何も心配する事など無いのだが、どうしても考えてしまう。
エヴァの奴、家を出るときも散々、愚痴ってたしなあ……。
わざわざ俺が出張る必要は無いとか、その程度自分達だけで解決させろとか色々。
まだむくれてたりしたらやだなー……茶々丸に当たってたりしなきゃ良いけど……。
エヴァの奴も子ども扱いされんの嫌がるクセして変な所で子供っぽいし。
あれはあれで味なのだとも思うが。
――と、そんな時だった。
「――って、あれ?」
――おかしい。
なにか異質な魔力を感じる。
それは先程まではなかった気配だ。
「…………」
目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
気配は大きく無いが、決して小さくも無い。
これは――!
「――敵方の術師かっ!」
だが妙だ。
結界を張った刹那本人がこの気配を見逃すわけが無い筈。
あいつがむざむざ術師本人の侵入を許すほど甘い結界を張るとは思えない。
わざと侵入させたのか、それとも結界を潜り抜けられたか……。
いずれにしてもあまり良くない展開だ。
「……出るべきか?」
焦れる。
ここでは判断がつかない。
体中を虫が這い回っているかのように落ち着かない。
奇妙な制限なんか無ければ今すぐにでも出て行くというのに――!
と。
「――――!」
次の瞬間、月の光が一瞬遮られた。
「今の!」
月明かりに薄っすらと照らされた風景を睨む。
すると、おかしな人影が蠢いていて、更に何かを抱いているように見える。
あれは……。
「――このか!?」
一瞬だけ見えたあの長い黒髪と横顔は間違いなくこのかだ!
くそっ、何がどうなっていやがる!
このかは刹那が守っているんじゃなかったのかっ?
いや、それより何でこのかが攫われている!?
「くそっ! もう秘密裏とかなんとか言ってる場合じゃ無い!」
俺は慌てて靴を履くと窓を大きく開け放ち、サッシに足をかける。
すると、遠くにアスナと刹那の走っている姿を見つけた。
向かっている方向からすると、あの人影を追っているに違いない。
「チクショウ! 間に合えよ――!」
ダン、と勢いをつけて飛び出す。
こうして『魔都』、京都の夜は幕を開けた。
◆◇――――◇◆
私は夜の街を走っていた。
傍らにはネギ先生と神楽坂さんの二人。
ソレと言うのも、隙を突かれ、猿のような着ぐるみを被った賊にこのかお嬢様を攫われてしまったからだ。
(何たる失態! 私が着いていながらみすみすこの様な強硬手段を許すとは――!)
これでは『あの時』とまるで変わらない。
私は二度とこの様な事が起こらない様に力を求めたと言うのに……私はまるで成長していない!
私は『あの時』誓ったのだ……お嬢様が川で溺れそうになっているにも関わらず無力だった『あの時』に誓ったのだ!
お嬢様を脅かす脅威全てを切り払う刀になると――!
「……お嬢様!」
ギリッ、と歯を強く噛み締める。
だと言うのにこの体たらく……私は、私はこの様な無様を晒すために存在しているのではない!!
「せ、刹那さん! 一体どう言う事ですか!?」
「ただの嫌がらせじゃなかったの!? なんであのおサル、このか一人を誘拐しようとするのよ!!」
傍らを走るネギ先生と神楽坂さんが息を切らせながら聞いてくる。
……出来る事なら秘密にしておきたかったが、ここまで巻き込んでしまっては仕方ない。
「……実は、以前より関西呪術協会の中に、このかお嬢様を東の麻帆良学園へやってしまった事を快く思わぬ輩がいて……。おそらく――奴らはこのかお嬢様の力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのではないかと……」
「え……?」
「な、何ですかソレ!?」
二人が驚くのも無理は無い。
だが、これは事実だ。
それほどまでにお嬢様の魔力は桁違いなのだから。
「私も学園長も甘かったと言わざるを得ません。まさか修学旅行中に誘拐などという暴挙に及ぶとは……。しかし、関西呪術協会は裏の仕事も請け負う組織。このような強行手段に出る者がいてもおかしくはなかったのです」
言い訳などできない。
私は一体何を学んで来たと言うのだ!
士郎さんの言葉が思い出される。
私のような人間は”絡め手”に弱いと。
……その通りだ、あの御方が身体を張ってまで教えてくださった事を、私は何も理解などしていなかった――!
「――これも私の未熟が招いた事!」
ダン、と地面を蹴り一気に加速する。
それで賊との距離が縮まり、逃げ切る事が不可能だと判断したのか京都駅の大階段で私達を待ち構えていた。
「フフ――よー、ここまで追ってこれましたな……」
よく見ると賊は女のようだった。
長い黒髪で妙齢の眼鏡をかけた女。着物を着崩し、肩口を大きく露出させている。
着ぐるみを脱ぎ捨てて、私達を侮蔑するように見下ろしていた。
「せやけどそれもここまでですえ……。三枚目のお札ちゃん、いかせてもらいますえ――」
女はそう言うと手に一枚の札を取り出した。
あれは――不味い!
「おのれ、させるか――!」
くっ、間に合うか!?
女との距離は高低差を含めれば20メートル近くある。
何とかして術の発動を止めなければ!
「――お札さん、お札さん。ウチを逃がしておくれやす」
そう呟き手にした札を私目掛けて投げつけた。
瞬間、
「喰らいなはれ――。”三枚符術京都大文字焼き”!」
眼前全てを覆う炎が私を飲み込もうと迫る。
「うあ!?」
迫る熱風に目を開けていられない。
器官を焼く熱で喉が痛い。
私はお嬢様を守る事も出来ずにこんな所で倒れるというのか!?
「――桜咲さん!」
神楽坂さんの声が聞こえたのと同時にグイ、と後ろに思い切り引き倒される。
……まさか素人である彼女が私を助けた?
「ホホホ……並みの術者ではその炎は越えられまへんえ。――ほな、さいなら」
女は私達を見下すように言って、その場を立ち去ろうとしている。
神楽坂さんは炎の向こう側で悠然としている女を睨みながらも、私を守るように手をかざしていた。
「……神楽坂さん」
私はその光景に目を疑った。
――炎が神楽坂さんを避けている?
そう、迫っていた炎は神楽坂さんに近寄れず、一定の距離で止まっている。
一般人であるはずの彼女のこの力は一体……。
それに、炎に怯まず向かっていく事できる人間が普通の世界にいるというのか?
「――ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 吹け、一陣の風……」
ネギ先生の声が聞こえる。
これは――呪文の詠唱か!
「”風花・風塵乱舞”!!」
瞬間。
荒れ狂う突風が炎全てを弾き飛ばした。
……スゴイ、少年と言って差し支えの無い年齢でこの力。
凄まじいまでの才気だ。
これが、ネギ先生の……ネギ・スプリングフィールドの実力か!
「逃がしませんよ! このかさんは僕の生徒で……大事な友達です!」
ネギ先生は、ザン、と私達を守るように立ちふさがる。
これが本当に10歳という少年の力か?
サウザンドマスターの系譜がこうも飛び抜けているとは……。
「契約執行180秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』!」
ネギ先生がそう唱えると神楽坂さんの身体は淡い光に包まれる。
「ネギ先生……神楽坂さん……」
その背中を呆然と眺める。
……私は二人を見くびっていたのかもしれない。
「――桜咲さん、行くよ!」
「え……あ、はいっ!」
呆然としていた意識が神楽坂さんの言葉でかき消される。
素人ならこのような場所に立ち会ってしまった場合には何もできないと言うのに……二人は、まるでこれ以上の脅威と相対したことがあるかのように女を睨みつけていた。
「もー……さっきの火、下手したら火傷しちゃうじゃない! 冗談じゃすまないわよ!? 大体アンタね、バカ猿女。何を偉ぶってるか知らないけど……アンタなんかに比べたら、シロ兄やエヴァちゃんの方が何十倍も怖いってのよ!! わかったらさっさとこのかを離しなさい、この三下ーーーっ!」
神楽坂さんが足場を強く踏み込んで弾ける様に飛び込んで行く。
その速度は素人とは到底思えない程の速度。
「――っ」
見惚れてばかりもいられない。
私も地面を蹴り、女に接近を試みる。
「アスナさん! パートナーだけが使える専用アイテムを出します! アスナさんのは『ハマノツルギ』! 武器だと思います!」
「武器!? そんなのがあるの? ――よ、よーし。頂戴、ネギ!」
神楽坂さんの言葉に頷いたネギ先生が小さく何かを呟いた。
見ると、神楽坂さんの手元に光が集束して形を成していくのが見える。
それは、
「……な、何よコレー! ただのハリセンじゃないのーー!?」
そう、ハリセンだった。
だが神楽坂さんの言う”ただの”とは違う。
手にしたソレから異質な力を感じる。
「ええーい! 行っちまえ、姐さん!!」
「もー、しょうがないわ――ねっ!!」
神楽坂さんはやけっぱち気味にソレを振りかぶると大きく跳躍した。
私もそれに合わせる形で女目掛けて刀を討ち下ろす!
「――!?」
が。
ソレは一瞬にして現れた、大きなクマとサルのヌイグルミによって防がれてしまう。
「うわった……!? な、何これ! 動いた!?」
「これは呪符使いの『善鬼』『護鬼』です!」
大きなヌイグルミのようなふざけた外見だが、その実は式神、力は本物だろう。
そもそも、『善鬼』『護鬼』とは西洋魔術師でいうところの『従者』にあたる。
術者が呪を紡いでいる間の護衛として使役されているのだ。
「間抜けなのは見てくれだけです! 気をつけて、神楽坂さん!!」
不味い。
時間をかければこの程度は簡単に突破できるが、今はその時間が一秒でも惜しい。
その証拠に女はお嬢様を担いでこの場から撤退しようとしている。
「ホホホホ。ウチの『猿鬼』と『熊鬼』はなかなか強力ですえ! 一生そいつらの相手でもしていなはれ!!」
「――このか! ……こんのぉおおーーー!!」
神楽坂さんが連れ去られようとするお嬢様を目にした瞬間、弾かれるように手にしていた得物を式神目掛けて横薙ぎに振るう。
「たああーーー!」
気合一閃。
次の瞬間、ただの一撃で式神を送り返してしまった。
神楽坂さん本人もその事に驚き、自分で持ったハリセンをまじまじと見つめている。
だが私はそれ以上に驚愕していた。
「――す、すごい……神楽坂さん」
本当に何者なのだ、この人は。その能力が神楽坂さん本人のものか、武器に宿っている物かは判断できないが、今のを見る限りだと強力無比な攻撃と言うよりも破魔、破邪の類の能力に思える。
だが、幾ら西洋魔術師の従者と言えども、あまりにもこの力は異質過ぎた。
「な、何か良くわかんないけどいけそうよ! 桜咲さん! そのクマみたいなのは任せてこのかを!!」
「……すみません! お願いします!!」
今の力を見る限り、確かに神楽坂さんの力は式神に対して絶対的なものを持っている。
ならば私はその期待に応え、お嬢様を取り返す事に専心するのみ――!
「このかお嬢様を返せ――!」
足場を強く蹴り、一息で女へと接近する。
もはや術者を守るべき式神はいない。近づいてさえしまえば斬り伏せるのは容易だ。
――だが。
「え~~い」
聴覚ではノンビリとした声だが、視界の端では鋭い剣筋が私に迫る。
「なっ――!」
イキナリの奇襲にギリギリ刀を合わせそれを防ぐが、大きく弾き飛ばされてしまう。
いや、そんな事より今のは!
――この剣筋……神鳴流!? マズイ! 神鳴流の剣士が護衛についたのかっ!
突如として現れた脅威に眼前を睨む。
そこにいたのは、
「あいたたー……。すみません、遅刻してしもて……どうも~~、神鳴流です~~。おはつに~~」
まるでエヴァンジェリンさんのような、フリルを過分に使用した服装に身を包み、眼鏡をかけた、小柄な少女だった。
手にした得物は平均的な長さの日本刀と小太刀の二刀。
「――え、お前が……神鳴流剣士……?」
余りにも予想外の風貌に、敵だと言うにもかかわらず思わず聞いてしまった。
が、少女はソレを気にも留めずノンビリとした口調で答える。
「はい~~~♪ 月詠いいます~~。見たとこ、あなたは神鳴流の先輩さんみたいですけど……護衛に雇われたからには本気でいかせてもらいますわ~~」
「…………こんなのが神鳴流とは……時代も変わったな……」
話をしながらも間合いを計る。
腐っても神鳴流だ、油断はできないだろう。
「フ……甘く見てるとケガしますえ。ほなよろしゅう――月詠はん」
猿女はそう言いながら、小さな式神の猿達にお嬢様を担がせた。
それを聞いた月詠は軽く頭を下げる。
「で、ではいきます。一つお手柔らかに~~……」
と、次の瞬間。
瞬きの間に、まるで火花の様に月詠が間合いを詰めてきた。
先程までのノンビリとした口調とは打って変わって、そこから放たれる剣戟は烈火のごとく。
「――むっ!?」
月詠は右手に持った刀で唐竹割を放つ。
私の頭上目掛けて落とされるソレを夕凪で弾くと火花が散った。
「――やあ、――たあ」
だが、連撃はそこからだった。
気合の入らない掛け声とはうって変わって、左手で持った小回りの効く小太刀は、私の夕凪の動きを封じるかのごとく繰り出される。
何度も目の前で咲く火花に目が眩みそうだ。
そして、ソレを目くらましに使ったかのように、身体を大きく捻ると刀を逆袈裟に切り上げてくる。
「ぐっ!」
夕凪を封じられている私は、迫るソレを相手の手首を掴む事によって防いだ。
が、そうなると私には当然の如く隙が出来てしまった。
月詠はまるでそれを待っていたかのごとく、小太刀を私目掛けて振り落としてきた。
「ちっ――」
グイ、と掴んでいた手首を力任せに捻り上げる。
そうする事によって月詠の身体は大きく流れ剣戟も乱れ、なんとか回避に成功。
(――っく! 意外にできる!?)
「ホホホ、伝統か知らんが、神鳴流剣士は化け物相手用のバカでかい野太刀を後生大事に使てるさかいな……。小回りの効く二刀の相手をイキナリするのは骨やろ?」
猿女の嘲笑する声が聞こえる。
確かに予想以上の難敵だ。繰り出される連撃は厄介な事この上なく、二刀のコンビネーションは私の手数の倍を超える。
――だが、
「――そうでもないぞ、猿女」
そう呟き返す。
私は掴んだままの手首を、身体ごと回る勢いで地面目掛けて投げ落す。
「あ、あら~~?」
月詠はギリギリの所で体勢を整えると、猫のようにクルリと着地をした。
が、――ソレで終わる訳が無いだろう!
「――ふっ!」
その回転の勢いそのままに、夕凪を力任せに叩き付ける。
私の全体重と遠心力を加えた斬撃。月詠はその一撃を片手では防ぎ切れないと判断したのか、二刀を頭上で交差する事によって防いだ。
ガギン、と激しい音がして月詠の顔が衝撃に歪む。
身動きが出来ないのだろう、しゃがんだ姿勢のまま、ギリギリと刃が軋みながら震えている。
「シッ――」
私は、その頭上で二刀を翳したまま身動きの取れない月詠の胴体目掛けて、思い切り右足で蹴りを放つ。
「きゃっ!」
しかしそれは、咄嗟に下ろした腕で防がれてしまった。
私が蹴りを放った分、夕凪から伝わる圧力が減少したのだ。その隙に下ろした左肘がガードに間に合う。
手に持った夕凪は右手の刀に。
放った蹴りは左手で。
お互いに次の手が出せない膠着状態。
私は繰り出した連撃を受け止められ、月詠はそれを防ぐ事で身動きが出来ないでいる。
この攻防は決定打を打つことが出来ずに仕切り直されるだろう。
が。
「――ふっ!」
”今”の私にはその先がある。
短い呼気と共に夕凪を握る手を捻り、刃を寝かせる。
「――――ッ」
月詠の表情が凍りつく。
武芸者だけが持ち得る勘が、その身に起こるであろう未来を先読みさせたか。
――だが、もう遅い!
「……――!」
イメージするのは”ある御方の動き”。遥かな高みに存在し続ける、その残像の動きに必死で自身を重ねる。
寝かせた夕凪が白刃の上を滑り、居合い抜きのように勢いを増して加速する。
だが狙うのは身体ではない。
身体を狙うには一旦刃を引かなければならない。それではどうしても隙が生まれてしまう。
ならば狙うのは――その左手に握られた小太刀のみ!
「はぁ――っ!」
十分に加速した夕凪が小太刀を捉え、鉄と鉄が激しくぶつかる音が目の前で起こる。
だが、小太刀を弾き飛ばされなかったのは月詠の修練を褒めるべきか、自身の未熟を嘆くべきか。
それでも小太刀を握った左手だけでは、加速した夕凪の一撃に耐えられる訳が無い。
加えて私の蹴りによって、左手は通常より間違いなく力が入らない筈。
「あ」
声を上げたのは月詠。
私は夕凪で弾き飛ばした小太刀をクロスステップするように右足で思い切り踏み締めて地面に叩きつけ、封じる。
そのままの姿勢で刃の上の右足を軸に、身体を捻る。
――頭の中には、いつも間近で見続けてきたあの動き。身体は小さく纏め、遠心力を最大限まで蓄えながら、そのイメージを追いかける。どんな間近にいようとも、決して手の届かないあの背中。それでもいつかは追い付こうと我武者羅に走り抜ける。
まるで刃の上で踊る独楽のように一回転。
私は蓄えた力を解放するかのごとく左足を繰り出し、渾身の――居合いの如き後ろ回し蹴りを抜き放つ!
「きゃん!」
防ぐ事すら出来ずに、月詠はソレを胸部に受けて派手に地面に転がって咳き込む。
私はそれを横目に猿女を睨み付けた。
すると、私の視線に怯えたかのようにその身体を振るわせた。
「な、なんでやの!? なんでそないな時代錯誤の野太刀で二刀相手にイキナリ戦えるんや!?」
「――――ふん」
猿女の驚く声がする。
ああ、確かにイキナリならば困惑しただろう。
以前までの私ならば後れを取っていたかも知れない。
――だが、お前は知らない。
私の師に当たる御方は、こんな打ち込みより激しく苛烈な二刀を放つ事を――。
何度も手合わせをしていただいて分かったのだが、士郎さんの剣には天才的な才能の煌きは感じない。
……恐らく才能に恵まれ無かったのだろう。その打ち込みは凡百で、洗練などされてはいない。
だが、それにも関わらず無我夢中で鍛え上げてきたのだと思う。
まるで鉄を打つかの如く。愚かしい程までに愚直に、ひた向きに、ただ前を見続けて……。
それ故に――あの人の放つ一撃一撃は、その人生が込められているかの様に重く――胸に迫る何かが篭もっている。
まるで、その一撃が命の輝きのように激しい魂が。
そんな御方に師事しているのだ、若輩の身と言えども、今の私はこの程度の二刀使いに負けるわけにはいかない――!
「さあ、これでお前を守るモノはいなくなった。――お嬢様を離せ」
刀を猿女に向けて睨みつける。
猿女はジリジリと下がるように睨み返すが、そこに浮かぶのは焦りの表情。
そこに、
「――テル・マ・スキル・マギステル。風の精霊11人! 縛鎖となりて敵を捕まえろ!! ――”魔法の射手・戒めの風矢”!」
ネギ先生の放った魔法の戒めが猿女目掛けて飛来する。
――いけない! その間合いでは!!
「あひいっ!? お助け――!」
迫る魔弾に猿女が咄嗟に目を瞑り、身近にあったモノで身を守る。
――ソレはお嬢様だった。
「――あっ、曲がれ!!」
ネギ先生はお嬢様に当たる寸前で魔弾の軌道を逸らし、最悪の事態は回避された。
とりあえずお嬢様が無事な事になんとか安堵する。
「――……ん? あら……?」
お嬢様の影に隠れていた猿女は、何時までも来ない衝撃に薄っすらと目を開けて確かめるように辺りを窺う。
「こ、このかさんを離してくださいっ! 卑怯ですよ!!」
ネギ先生はこのかお嬢様を盾にするなど、卑劣なマネをした猿女を非難する声をあげる。
だが、その言葉で猿女は事態を飲み込めたのか、厭らしくその顔を歪めた。
「――は、はは~ん……。なるほど……読めましたえ。甘ちゃんやな……人質が多少怪我するくらい気にせず打ち抜けばえーのに……。ホーホホホ! まったく、この娘は役に立ちますなぁ! この調子でこの後も利用させてもらうわ!!」
勝ち誇ったかのように高笑いをする。
――この女!! よりにもよってお嬢様を人質に使うとは――!!
頭が沸騰しそうなくらい血が昇る。
だが、その効果は絶大だ。その証拠に私は身動きする事が出来ない。
「こ、このかをどうするつもりなのよ……」
見ると神楽坂さんが式神によって捕らえられていた。
くっ……万事休すか!?
すると猿女は面白い事を思いついた、とでも言いたそうな表情で、とんでもない事を言った。
「……せやなー。まずは呪薬と呪符でも使て口を利けんようにして、上手い事ウチらの言うコト聞く操り人形にするのがえーな……。くっくっく…………」
「――――」
それを聴いた瞬間――頭の中で何かが切れた。
思考が冷たく凍っていくのが分かる。
――だが、
「――ああ、そうかよ。だったら当然、テメエが同じ目にあっても文句無いんだろうな」
それよりも更に冷たく、平坦な声が思考を遮った。
――この声は!
私がそう思った瞬間。
月の光を反射するかのような銀光が降り注いだ。
「ひっ――!? な、なんやこれは!!」
一瞬で飛来したそれは”矢”だった。
お嬢様に掠ることなく、猿女の衣服だけを地面に縫い付けるかのごとく、正確無比に打ち抜かれていた。
ソレを確認した瞬間、私たち三人は考えるより先に動き出していた。
「――”風花・武装解除”!!」
ネギ先生の魔法によって猿女とお嬢様を引き離し、身に着けていたモノ全てが花びらへと変わる。
続いて一瞬で式神を”送り返した”神楽坂さんが、ソレと同じように猿女を守る護符を一撃でその全てを砕いた。
――お嬢様を弄んだ報い、受けてもらう!!
「秘剣――百花繚乱!!」
「――――へぶっ」
”気”によって作られた花吹雪が猿女を吹き飛ばし、衣服すらも吹き飛ばされた猿女は、裸になったまま地面を転がった。
「……な、なな……」
ユラユラとふらつきながらも猿女は身体を起こす。
そして頼り無い視線で私たちを見ると怯えたように後退する。
「……なな、なんでガキがこんなに強いんや……」
そう悔しげに呟くとまたしても札を取り出し式神を呼び出した。
――まだやる気か!
「――お、おぼえてなはれーーっ」
が、猿女は仕掛けてくる事無く式神に抱えられるようにその場を離脱した。
それに月詠も便乗する形でその式神につかまり脱出する。
「あ、待て!」
神楽坂さんがそれを追おうと試みるが、相手は大きく跳躍するように離脱したので、一般人である彼女では追跡する手段がないようだ。
「……あいつめー」
神楽坂さんは悔しそうに言うが、今回はお嬢様を取り戻せただけで良しとしよう。
「追う必要はありません、神楽坂さん。深追いは禁物です」
と、そこに足音の様なものを響かせながら人影が姿を現した。
「悪い、遅くなった。怪我はないか?」
「やはり貴方でしたか……」
それは片手に大きな洋弓を握った士郎さんだった。
やはり先程の矢は士郎さんのモノだったか。
「え、衛宮さん!? なんでここに!」
「……えっ、ちょっ……シロ兄? ――本物?」
二人が驚いて士郎さんを見やる。
それも無理は無い、私だって驚いているのだ。先程の声だって何かの聞き間違いかと思った位だ。
「ああ、本物だ。それより怪我は無いのか?」
士郎さんはそれに短く答えると、あくまでもこちらの無事を確認してくる。
それは紛れもなく、私の師、衛宮士郎の反応だ。
ああ――全く、本当にこの人らしい……。
◆◇――――◇◆
――なんとか間に合ったか。
ここに到着したタイミングは本当にギリギリだった。
俺が来た時にはすでに決着が着いていたようだが、敵方と見られる女はこともあろうか、このかを盾として使っていたのだ。
それを確認した瞬間、俺は弓と矢を投影して射っていた。
その結果、なんとか無事にこのかを取り返すことが出来たのだ。
事が終わった後に皆の前に姿を現すと、流石に驚いたようだが、刹那だけは違ったようだ。
もしかしたら矢を放つ時に言った独り言が聞こえてしまったのかもしれない。
「ようよう、そんなコトよりよー……」
と、今まで黙っていたネギ君の頭の上に乗ったオコジョのカモが、何かを心配するように言う。
「そう言えばアイツ、薬や呪符を使うとか言ってたな。このか姉さんは大丈夫か!?」
「…………まさか!」
刹那が慌てて倒れたままのこのかに駆け寄りその身体を抱き起こす。
俺もネギ君から上着の半纏を借りて、裸のこのかにそれを見ないようにかけてやりながらこのかの手を握り、体内の魔力に異常がないか確認する。
「このかお嬢様! ――お嬢様しっかりしてください!!」
「ん…………あれ? ……せっちゃん……?」
ゆっくりと開かれた瞳が段々と目の前にいる刹那に合って行くのを傍らで見守る。
するとこのかは、まるで夢でも見ていたかのようにボンヤリと語り始めた。
「あー……せっちゃん……ウチ、夢見たえ……。変なおサルにさらわれて……。でも、せっちゃんやネギ君やアスナが助けてくれるんや……」
意識はまだボンヤリしているが、これと言った異常は無いし、妙な魔力が流れてたりもしていない。
この分なら大丈夫だろう。
俺が頷くとソレを見た刹那が安心した様に息を吐いた。
「……よかった。もう大丈夫です。このかお嬢様……」
刹那が心底穏やかな表情を浮かべてこのかを見つめていた。
その顔は慈愛に満ちていて、本当にこのかを大事に想っているんだと確信させられるモノだった。
このかもその表情を間近で見ていたのだろう。
まるで今まで凍っていたものが溶け出すように見る見る表情を緩ませる。
「――よかったー……。せっちゃん……ウチのこと嫌ってるわけやなかったんやなー……」
このかが万感の思いを込めたようにそう呟いた。
花が咲いたように微笑むこのかの笑顔を眺めていた刹那の顔が見る見る真っ赤になった。
「えっ……、そ、そりゃ私かてこのちゃんと話し……」
と、今度はいつの間にか自分の言葉遣いが変化したのに気が付いて顔を蒼くさせて飛び退る。
俺はその光景が余りにも微笑ましくて、思わず声を殺し切れずクククと小さく笑ってしまう。
それが刹那にバレて少し恨みがましく睨まれてしまったけど、それ位甘んじて受け入れよう。
だって、こんなにも色んな表情を見せる刹那は初めて見たから――。
「し、失礼しました!」
刹那が急に片手片膝を着いて礼の形を作る。
俺以外の面子は突然の刹那の行動に面を喰らっているようだ。
あー……アレ、イキナリやられると、びっくりしてどんな反応していいか分からなくなるんだよなー。
とか、ちょっとだけ昔のことを思い出してまた薄く笑ってしまう。
「わ、私はこのちゃ……お嬢様をお守りできればそれだけで幸せ……。いや、それもひっそりと陰からお支え出来れば……それで……あの……」
しどろもどろと言い訳じみたものを言う刹那。
そんな様子に不謹慎ながらも、次はどういった行動を取るのか楽しみで笑いながら眺めてしまう。
「――御免!」
って、逃げた!?
そこで逃げるか刹那!
「あっ……せっちゃーん――」
「……ったく、しょうがないな刹那は……」
このかにかけられた上着を直してやりながら、思わず呟いてしまう。
やれやれ、これが仲直りの切欠になりそうなモンなのにな……逃げてどうする、逃げて。
「って、あれー? なんでシロ兄やんがここにおるんー?」
「あー…………まあ、色々あってな」
このかもこのかで自分が危険な目にあっておきながら相変わらずポワポワとまー……。
……とりあえずアレだ、お前は自分の格好に少しは危機感を持て。お前、その半纏の下、真っ裸だろうがっ。
「――桜咲さーん!!」
と、何やらアスナが大声を張り上げて、刹那を呼んでいた。
見ると、刹那もその声に反応して足を止め、こちらを振り返っている。
「明日の班行動、一緒に回ろうねーー、約束だよー!!」
刹那はその言葉が意外だったのかポカン、とした表情で固まって、また慌てて駆けて行ってしまった。
「大丈夫だってこのか、安心しなよ」
アスナがこのかを励ますようにポンと肩を叩いている。
相変わらず仲が良くて結構な事で。
手を組んでうんうんと頷く俺。
「――で?」
と、急にアスナが首をグリン、と回して俺を見る。
「え?」
「いや、『え?』――じゃなくて! なんでシロ兄がここにいるのよ!?」
アスナが、うがーっと言い寄ってくる。
と、言われてもこのかの目の前で話す訳にはいかないし……。
俺は少し考えた後、アスナとネギ君をちょいちょいと、手招きして耳打ちするように小声で話した。
「詳しい話はホテルに帰ってからでいいか? 俺、お前達と一緒の場所に宿泊してるし。そうだな……ロビーに集合ってことでどうだ?」
「って、同じホテルに泊まってたの!? あー……もう、シロ兄ってばいつもイキナリで心臓に悪いわよ……。でも、まあ話はわかったわ。私はそれでいいけど……ネギは?」
「僕も構いません」
「うし、じゃあ俺は刹那をとっ捕まえてから行くから先に帰るな?」
「刹那って……――まあ、そこら辺も後でまとめて聞くからいいわ」
「おう、気を付けて帰れよ?」
じゃ、と言ってその場を後にする。
このかは最後まできょとん、と首を傾げていたのが印象的だった。
まあ、話の流れ上置いてけぼりになるのは勘弁してもらいたい。
――さてさて、俺は珍しくも動揺しまくっている刹那でも回収しに行きますか。