…………………………………………………。
…………………………………………………。
…………………………………………………。
………………………………………おかしい。
これは…………………………どう言う事だ?
私は確かに魔法攻撃の直撃を受けた筈。
あの距離、速度、タイミング、どれをとっても回避は不可能だったのは間違いない。
だと言うのに何故私は――無傷で転がっているのだ?
全身のシステムをどんなにチェックしても異常な箇所は一つも見受けられない。
もしや寸前で軌道を逸らされたのか?
そう思って辺りを見回してみても……激しい土煙でよく見えなかった。
更に謎は深まっ、
「……え」
――――待て。
今、視界の端にナニカがよぎった。
「――――そんな、何故……」
気分が昂る。
嬉しい誤算、とでも言うのだろう。
馬鹿な、あり得ない、何故、どうして、まさかそんな――。
自分で自分を焦らしたいのだろうか?
人工知能たる部分で、視界に一瞬映ったソレを否定しようと躍起になる。
だが冷静に事実だけを告げる量子コンピューターには、そんな機微が伝わるはずは無く、只、結果を導き出していた。
それでも、その結果をあえて信じようとせず、自分で”何をやっているんだろう?”と自分自身が信じられない疑心暗鬼に陥りながらも、恐る恐る視界の端に移ったソレを正面から捉えた。
――それは、
「…………し、ろう、さん?」
私の腰にしがみ付く様に、うつ伏せになった衛宮士郎――士郎さん、だった。
間違いない、士郎さんが寸前で助けてくれたのだ。
ほんの数日会っていなかっただけなのに随分と久しぶりな気がする。
何故ここに士郎さんが? 今の時間帯はお店を……ああ、休憩時間か。
ならばここにいても不思議ではないのか……。
「あ、ありがとうございます士郎さん……助かりました」
こんな体勢だが、とりあえずお礼だけはちゃんとしないと……。
しかしこのタイミングでの登場、これではまるで以前に言っていた『正義の味方』のソレではないか。
……完璧だ、完璧過ぎる位のタイミングと言って良いだろう。
――もしや何処かで出るタイミングを計っていたのではないか?
…………まあ、士郎さんに限ってソレはないか。
感情で動いているような人だし。
……って、士郎さんに対して失礼な考えをしてしまった。
いけない、いけない……この御方に対して、なんて不忠を!
――と、自己整理はこの位にして、この如何ともしがたい状況を何とかしないと……。
「あ、あの…………士郎さん? そろそろ退いて頂ければ助かるのですが……」
私が身じろぎすると「う……んっ」と、言う声が聞こえる。
それは別に構わないのだが……その、この体勢は…………何とかならないでしょうか?
士郎さんは私の腰の辺りにしがみ付いているような形になっていて…………そうなると自然と士郎さんの頭の位置が丁度…………私の、えっと……胸、の位置に来るのであって。
私も女性型といった風に作られたからには、それなりに『羞恥心』と言うものはプログラムされてる訳でして……。
私のような堅い胸で満足できるのでしょうか?
――じゃなかった。
どうせなら、マスターのような生身の人間の方の胸のほうが柔らかく……ああ、マスターに胸と呼べるようなモノはありませんでしたね。
――でもなくて……っ!
駄目だっ、この状況では変な事にしか思考回路が回らない!?
改善の為にも一刻も早く体勢を直さなければっっ!
「も、申し訳ありません。失礼します、士郎さん」
無理矢理体勢を直して起き上がる。
士郎さんはその反動で、私の身体の上を滑り落ち、
――――ヌルリ、とした感触を伝えて、真っ赤な水溜りへと沈んだ。
「――――え」
春の風が、ザァと土煙を攫って行く。
視界が晴れた。
「――ゴホ、ゴホッ……! ちょっ、ちょっと、今のってシロ――」
「え、ええ……僕も見まし、た………………」
なにか声の様なものがしたけど……聞こえない。
そんな些細な物より、すぐ目の前での出来事の方が何十倍も重大だ。
真っ赤な水溜りはどんどん広がって行く。
そこに、力なく横たわる――士郎さんの身体。
これは……なんだ?
士郎さん…………こんな所で寝ては、お風邪を召してしまいますよ?
ああ、いけません。士郎さんのお洋服が真っ赤に染まって……早くお洗濯しなければ染みになってしまいます。
……目の前の状況に人工知能はその機能を手放した。
しかし、量子コンピューターは、それを補うかのようにフル稼働をして現状を把握し始める。
現状把握。当機に損害無し。
現時点での敵対戦力。対象者二名。
されど、敵対者の戦闘意欲無しと断定。
理由は不明。
現時点での調査の必要認めず。
当戦闘地域における負傷者を一名確認。
対象者氏名、外見的特長から衛宮士郎と断定。負傷者の現状を把握。
現観察段階で後頭部に大規模の衝撃の痕跡確認。更に裂傷による失血――多量。
現時点での優先順位決定を開始――等と、そんなモノ、イラナイ、必要ない、なにを優先させるかなんて計算――不要!!!
――士郎さんが私を助けて傷付いてしまった!!
「――――士郎さんっ!!!!」
私は慌てて士郎さんの状況を確認する。
意識は…………無い。
先程の呻き声は、只、肺の中の空気が漏れ出したモノだったらしい。
全身に打撃を受けたような痕跡を確認。
先程の魔法を全身に受けたようだ。
左側頭部の裂傷からの失血、――いけない、危険域に近い!
裂傷が魔法によるものかは不明、切り口を見る限り鋭利なモノにより切り裂かれている。
「――え……あ、ちょっ、ウソ……シロ兄、シロ兄なのっ!?」
「……あ、あ、あぁ……ぼ、僕……」
うろたえる声が聞こえる。
――静かにしてくれないだろうか。
今はそちらに向ける意識や聴覚といった、ほんの僅かなものを裂く事すら惜しいのだ!
……裂傷の原因判明。
先程の魔法によって地面が抉れているのを発見。
その破片が鋭利な弾丸となって飛散したようだ。
良く見ると、頭部の裂傷の他にも小さな傷があるのが確認される。
意識が無いのは、魔法による衝撃が頭部を直撃したモノだろう。
失血による意識の喪失ならば、こんなに早く意識不明にはならない。
「失礼します、士郎さん」
私は自分の制服の袖を勢い良く引きちぎって、包帯代わりにして強く傷口にまきつける。
これで少しは失血を抑えられるだろう。
けど――、
「――駄目です……これでは足りません」
今出来る応急処置では限界がある。
すぐに病院へ行かなければ……。
――いや、病院でもここまでの出血に対応できるかどうか……。
このままで……。
「……――――ッ!」
冷静な量子コンピューターが嫌になる。
どんな最悪の結果すら簡単に割り出してしまう。
が、
「――そういえば」
今度は掌を返したように冷静な量子コンピューターに感謝した。
以前、マスターが大量の魔法薬を士郎さんの為に準備していたはずだ。
アレならもしかしたら……、
「ウソ…………それって、血……なの……?」
「え、え、衛宮さん……? え、そんな……」
未だにうろたえるお二人に構っている時間は無い。
私は士郎さんを抱え上げると、急いで家へと飛んでいこうとする。
と、
「これは……?」
士郎さんの荷物だろうか、大きなバスケットケースが無造作に転がっていた。
大事なものだといけないので回収する。
「――失礼します。最優先事項ができましたので」
二人に別れを告げて、ゴウッ! と空に飛び上がった。
何か叫んでいたようだが轟音にかき消されて聞こえない。
(――士郎さん、貴方を死なせはしません!)
◆◇――――◇◆
私は最速で家へと辿り着き、乱暴に扉を開け放った。
バタン、という大きな音が静かな屋内に響く。
「……なんだ、茶々丸騒々しいぞ」
先に帰宅していたのだろう、ソファーに座り本を読んでいたマスターが、顔を上げないまま苛立たしげに出迎えた。
良かった、居てくれた。
「マスター……ッ! 士郎さんが!!」
士郎さん、というその言葉にピクリと反応を見せると、イライラを更に増したように、勢い良く読んでいた本から顔を上げる。
そして射抜くかのようなキツイ目線で私を睨みつけた。
「――士郎、だと……!? あの馬鹿がどうしたのだとっ……!! …………………――――待て、何だソレは……」
そこでようやく私の抱えた士郎さんに目が行ったのだろう。
マスターは目を丸くして、血が流れ落ちる士郎さんの姿を我を忘れたかのように凝視する。
頭部から流れ落ちた血は士郎さんの体を伝い、その体の半分を真っ赤に染め上げ、ダラリを下がった手からは今もポタポタと零れ落ちている。
マスターの手に持った本がバサリ、と床に落ちた。
「マスター、士郎さんがお怪我をっ――既に危険なレベルです!」
その声で我に返ったのか、ハッとした様子で苛立たしげに声を荒げた。
「……ちぃ!! 何をしているのだこの馬鹿はッ!! 茶々丸ッ! ボサッとするなっ、その馬鹿をソファーに寝かせろ!!」
マスターは慌てながらも冷静に救急薬や魔法薬の入った箱を取りに走った。
……良かった、万が一にもマスターが士郎さんを見捨てる事が無くて……。
しかし、思えば当たり前だったのかもしれない。
元々、あんなに強い絆で結ばれていた二人なのだから――—。
「おい、茶々丸!! タオルをありったけ用意しろ! それと毛布だ!!」
「――はい、マスター!」
マスターは箱を持ってきて士郎さんの傷を見ながら、私に大声で激を飛ばす。
私は慌てて指示に従って命令された物の準備を始めた。
と、
「――――…………ぁ」
マスターの大声に反応したのか、士郎さんがゆっくりと瞳を開けていた。
けれどその瞳は焦点はまるで合っていないようで、眼球が小刻みに左右に振れている。
瞳孔は散乱し、呼吸も浅く速い。
恐らくその瞳では物の形を識別する事など不可能だろう。
「…………よぅ、エ……ヴァ、ひ、さし……ぶりだ――な」
……それだって言うのに、傍らにいる人物を当然のように言い当てた。
そして、状況に似合わない暢気な挨拶をする。
失血による意識の混濁によるものなのだろう。
それでも士郎さんは血の気の無い顔でいつものように続けた。
「――なん、だ……? 不、景気な……顔して。ちゃん、と……飯、食ってる――か?」
「……――この馬鹿が……いいから喋るな!!」
マスターはそれを怒鳴りつけながらも治療を続けた。
きつく縛った布を解くと、血が一気に溢れ出し、マスターの手を真っ赤に染めた。
それに顔を顰めながらも、箱の中にあったビンから取り出した、ドロリとしたゼリーのような物を傷口に大量に塗りつけると、あれ程止まらなかった血がピタリと止まった。
「……ったく、……しょうが……無ぇ、な。――ほら、……今日は俺が…………弁、当……作って、きたから……皆で食おう……ぜ」
こちらの声は聞こえていないのだろうか。
いや、聞こえていても同じ事を言ったのかもしれない。
マスターの声を無視して、それでも士郎さんは話を続けた。
「――……っ! お前は何処まで能天気でいれば気が済むのだ!!? そんなモノのコトより自分の心配をしろっ!!」」
一瞬、マスターの目から何かがこぼれ落ちたかのように見えた。
私はそれを見ない振りをして士郎さんの身体に毛布をかける。
一瞬触れた士郎さんの体温は、とても生きているとは思えないほど低くて、不吉な事を連想させてしまう。
「……――アレ? 何処、いった……? 俺、持ってきたのにな………弁当。――ははは、寝ぼけてん、のかな。さっきから、や…………たらと……眠い、し」
かけた毛布をはだけ、手探りで何かを探す仕草をする。
虚ろな瞳はキョロキョロと宙を彷徨った。
けれど、その瞳は何も映してはいないだろう。
「動くな!! 治療が出来んだろうがっ……お前、このままだと――……本当に死ぬぞっ!」
そう言い放ったマスターが自分の言葉に一番驚いたようだ。
何かを堪えるように歯をかみ締めていた。
良く見るとマスターの身体が小刻みに震えているのが分かる。
「……怒るな、よ。……――今、見つけて………やっから。なあ…………エヴァ。――そしたら、また…………皆で、一緒……に……さ………………」
バタ、と何かを探していた手が――落ちた。
「……っ!? ――くそ、くそっ、くそっっ!! 自分ひとりで好き勝手抜かしおって!! まだ私は何も言い返してないだろうがっ!! …………死なせはせん、死なせはしないぞっ!! ――死ぬと言うなら私の一生分の文句を聞いてからにしろっ!」
マスターは必死にボロボロの士郎さんの治療を続ける。
ボロボロと涙をこぼしながら――。
◆◇――――◇◆
3時間後、何とか士郎さんの容態は落ち着きを見せた。
周囲には士郎さんの血が染み込んだタオルや、薬品の入っていたビンなどが散乱している。
それが、それまでの状況の壮絶さを物語っていた。
実際、士郎さんは一時、失血で本当に危険だったのだ。
だが、増血作用のある魔法薬を無理矢理飲ませると、見る見る内に顔色が良くなっていった。
ただ、これは強い副作用を持っていて数日は目を覚まさないとの事だ。
マスターは士郎さんが横たわっているソファーの傍らに力なく座り込み、血に濡れた格好を気にも留めず士郎さんの寝顔を呆然と眺めていた。
「…………マスター、これを」
私はある物を、力なく床に座ったままのマスターに手渡した。
それは士郎さんが持っていたであろう大きなバスケットケース。
中身は……言うまでも無いだろう。
「……………………」
マスターはそれを無言で受け取ると、蓋を開けた。
中身は地面に転がったり、魔法で抉れた地面から飛んできた破片によってぐちゃぐちゃだった。
でもそれは、
「……………――っ!」
マスターが声に詰まる。
確かにそれはぐちゃぐちゃで、所々砂が混じって、見るも無残な惨状だった。
でも、声に詰まったのはそんな惨状による物ではないだろう。
――分かった。
分かってしまったのだ。
私達には分からない筈がなかった。
お結び、野菜のサンドウィッチ、鳥のから揚げ、玉子焼き、ミニハンバーグ等……。
忘れも、見間違いもしない。
それは、確かに士郎さんが初めて作ったお弁当そのままだったのだから。
そこには、いつの日かの穏やかな昼下がりの光景が再現されたかのように様に存在していた。
「…………………くそっ」
吐き捨てた言葉は何に向けての物か。
呟き、マスターはその一つを手に取り頬張る。
本来なら砂にまみれたそれを食べるマスターを止めるのだが、そうする気にはなれなかった。
ジャリ、ジャリと砂を噛む様な音がする。
それでもマスターはそれを無理矢理飲み込み次を手に取った。
「……マスター、私も頂いて宜しいでしょうか」
「……好きにしろ」
マスターと二人、黙々とそれを食べ続ける。
見た目は、とてもじゃないが士郎さんが作ったとは思えない位に原型を留めていない。
それでも、その一つ一つが心を込めて作られているのが分かる。
そこに込められた想いまでも……。
「…………くそ、くそっ。ちっとも減らないじゃないか………、こんなに大量に作って……何、考えてるんだ馬鹿が。こんな物、とてもじゃないが私達二人だけでは…………っ!」
ポロポロと涙をこぼしながらも口の中のものを何とか飲み込んでいく。
その姿はイライラを募らせていた姿ではなく、士郎さんと出会ってからのマスターに戻っていた――。
「………――茶々丸」
どれ位そうしていただろう、不意にマスターが声をかけてきた。
その声はとても冷静で、既に先程見せていたような涙は流していなかった。
ただ士郎さんの傍らに座り込み、その寝顔を眺め続けている。
「何があった。――全てを話せ」
有無を言わせない声。
私はそれに逆らえず、事の始まりから全て包み隠さず伝えた。
マスターと分かれてからネコ達のエサやりに行った事。
その隙を突かれてネギ先生と神楽坂さんに襲撃を受けた事。
戦闘になり私が危機的状況に陥った事。
そして、――私を庇って士郎さんが怪我をした事を。
「……そうか」
全てを聞き終わったマスターはただ一言呟いた。
そして横たわったままの士郎さんの髪をゆっくり、ゆっくりと撫で始めた。
「…………なあ、士郎。お前は本当に私達の味方だったのだな……? こんな身体を張るような馬鹿な真似までしおって……。誰がここまでしてそれを証明しろと言った……馬鹿者が。――いや、馬鹿は私か……。結局はお前を信じ切れなかった私の招いた事態なのかもしれん。……なあ、士郎。私を許してくれるか? 愚かだった私を許してくれるか? ……なあ、士郎。またここで共に暮らしてくれるか? 今までと変わらず私の側にいてくれるか?」
「……マスター」
士郎さんは答えない。答えられない。
マスターは士郎さんの右手を手に取り、自身の頬へと宛がった。
その手の甲にも、破片による切り傷が生々しく血を滲ませている。
マスターはそれを見つけると、愛おしそうに手の甲に口をつけ、舌でそれを綺麗に舐め取ってから絆創膏を張った。
そしてその手を毛布の中にゆっくり戻す。
その様はまるで聖母のように穏やかだった。
が。
「――だがな、士郎。このままでは私の気が収まらん」
瞬間で声色が180度変わる。
今までのが春の心地良い風だと言うならば、それはまるで極寒の冬の吹雪のよう。
もう一度、士郎さんの頬を優しい手つきで撫でると、徐に立ち上がった。
「――茶々丸……潰すぞ」
感情を感じさせない声でそう告げた。
それは私に意見を求めているようなモノではなく、すでに決まった決定事項を伝達する為のものだ。
「潰す……と、申しますと?」
意味が分からず思わず聞き返す。
「――――全てだ」
ゾワリとした感触が全身を駆け巡った気がした。
「ヤツの身体、人格、尊厳、未来――あらゆる物全てだ」
ゆっくりとこちらを向く。
その表情には何の感情も映ってはいない。
――何も映っていない。
――そこには深い闇だけがあった。
「――償わせてやる。我が家族を傷付けた罪、あの坊やに償わせてやる」
只々、氷のように冷酷で、燃え盛る狂気を身に宿した『闇の福音』が、その本当の姿を現にしていた。