月明かりに照らされて踊る黄金の髪に思わず目を奪われる。
年のころは10歳くらいだろうか、目の前の少女は不機嫌そうにこちらを睨み付けている。ただ、その不機嫌そうな顔を差し引いたとしても随分と綺麗な子だ。
黒を基調とした、丈の短いスカートから伸びる素足はまるで雪のよう。
桁違いに整った目鼻立ちは幼いと言えども、美しいと表現してもなんらおかしくは無いだろう。
――まあ、それはそれとして、いきなり侵入者扱いはあんまりではなかろうか?
確かに、ここが誰かの、それこそ、この目の前の少女の家の私有地だったとしたらその表現も間違っちゃいないんだろうし、俺の方に非があるんだろう。
だが、こんな夜更けに小さな女の子が一人で出歩くというのもなんだか釈然としない話だ。
先ほど見た限りでは、この付近に民家らしき建物は見えなかった。
もしや、この子も迷子かなんかなのだろうか。
この不機嫌そうな感じも、迷子になって心細い所に偶々オレと出会い、怯えて逆に強く出てしまったとか。
ああ、だとしたらこっちが無言のままと言うのも不安だろう。ここはなんとかして安心させてあげると言うのが年長者としての務めだろう。
よし、まずは———、
「えっと……こんばんは。こんな夜更けにどうしたんだ? 君も迷子かなんかか?」
うむ、我ながら完璧なファーストコンタクトだ。目線を合わせ、屈む様にして笑顔で語りかける。
「――――」
む、反応なし。なかなか警戒心の強いお子様らしい。まあ、こんな所で見ず知らずの男に出会ったのだから、その警戒心も当然と言えば当然か。
ならばと、バックに入っていたお菓子袋から飴を取り出し、食べるかな? なんて考えながら差し出してみる。
よし、コレで可愛らしい笑顔で――、
「………………(ピキッ)」
お、おや? なにやら笑顔は笑顔でもなにか種類が違う笑顔のような?
なんて言うか、俺の周りでもこういう嫌な風に笑うヤツいるよなー、とかそんなの。
「――おい、貴様」
「ん?」
反応有りか? 妙に迫力のある笑顔はそのままだが。
「要するに貴様は――この私をコケにしている訳だな?」
――反応はあっても、とても嫌な方向に反応してくれました。
それはそれはものすごい笑顔で笑いかけてくれる。
まあ、青筋が浮かんでいる辺りでその意味は真逆になっているっぽいが。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック――」
目の前の少女から奇妙な呟きが聞こえた。
なんだろうとその言葉の意味を考えようと頭を捻らせていると、少女は懐から試験管のようなものを取り出し、ソレを放り投げた。
すると次の瞬間――、
『氷爆』
その一言で周囲の空気が瞬時に変わり、冷気を帯びた。
状況の変化はそれだけでは止まらず、空気中に大量の氷が発生し、それが爆砕する。
「なっ――!?」
まるで雪崩のようだ。
一瞬にして視界が白く埋め尽くされる。
いや、驚いているのはそんな事では無い。
「――魔術師!?」
そう、これは間違いなく魔術行使。
ならばこの子は魔術師……それも一瞬でこのような魔術を使う事ができるほど高位の魔術師だと言う事だ。
しかし、
「……威力が低い?」
詠唱速度は速いが威力が奇妙な程低い。
コレなら!
「――投影開始(トレース・オン)」
眼前に盾を敷く。
なんの魔力付加も無い只大きいだけの鉄の盾だ。
眼前に展開した鉄の大盾は雪の爆発から俺を完全に守りきり、その全てを受け止めていた。
だが、盾の影に隠れて吹雪が止まるのを待ちつつ、ちょっと後悔。
「ぐあ……鉄が冷えて、冷たさで手が痛い……ッ」
盾を支えている手の冷たいこと冷たいこと。
凍傷になったらどうすんだ、とか考えつつ、やたらと余裕がある自分に気づく。
何だろうと頭を捻るとすぐ答えに当たりついた。
「――ああ、そうか。殺気がまるでないんだ」
そう、突き刺すような殺気がまるでない。
確かにこの吹雪もまともに喰らえば凍えはするだろうが、命に係わるような威力ではない。悪くて雪に埋もれて身動きが取れなくなる程度だろうか。
すなわちそれ等が意味する事は、彼女の目的は俺の捕獲、拘束であって、抹殺ではないと言う事だ。
ならば話し合う余地は十分に筈だ。
それなら、と吹雪が弱まってきたのを見計らって盾の影からヒョッコリと頭だけ出す。
「――貴様、その馬鹿でかい盾をどこからだした?」
突然現れた盾に鋭い視線が向けられる。
「それはいきなり攻撃を仕掛けてくる物騒なようなヤツには教えられないな……それより一つ聞いていいか?」
「――フン、なんだ。命乞いなら聞かんぞ」
ハン、と鼻で笑うように見下した目線を向けられる。
うむ、なんでか知らんがその仕草が妙に様になっている。
――でも、小さい頃からそんな仕草が似合うようになるのはどうかと思う。
そんな事では碌な大人にならないぞ?
主に、赤いのとか赤いのとか赤いのとか。あ、あと金ぴかとか。
――ではなく。
「ああ、そんなんじゃないよ。俺が聞きたいのはな――」
顔の前で手をパタパタ振りながら言葉に溜めを作り、会話に間を持たせる。
――そう俺はこれが言いたかったんだ。
今、万感の想いを込めて言葉に乗せよう。
そして紡がれる言葉は――、
「――チョコレートの方が好みっだったか?」
ブチン、と何かが切れる音が目の前の少女からしたような気がする。
俺、思うんだ。実際そんな音が人からしたらかなり危険だって。
いつか突然倒れないかこの子の将来が心配です。
「――つまり、貴様の遺言はそれで良い訳だな?」
おおう、キリキリと目尻が釣りあがる釣りあがる。
どうやら俺は押してはいけない赤いボタンを押してしまった模様。
怒髪天を突くといった具合で爆発寸前っぽい。
――うん、わざと押したんだけどな。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 来たれ氷精、大気に満ちよ! 白夜の国の凍土と氷河をッ!!」
詠唱を謳い上げる幼い魔術師。
俺の周囲の気温が一瞬で下がるのがわかる。
もう一瞬後には発動するであろう魔術。
しかし、
――俺はこの瞬間を待っていた!!
『――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』
『――凍る大地』
ほんの一瞬だけ速く魔術を起動させる。
瞬間――、
「なっ!?」
盾から一気に純粋な魔力へと変換、更に意図的に魔力の流れを暴走させて小規模の爆発を起こす。
爆発により巻き起こった爆音と閃光は、周囲をそれこそ光速で白く染め上げた。
咄嗟の出来事に一瞬だけ立ち竦む少女。
一瞬。確かにそれは一瞬だけだっただろう。
だが。
「――そこまでだ」
十分だった。
背後に回りこみ、少女の首筋に凶器を押し付けるには、十分な時間だった。
◆◇—————————◇◆
『――壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』
『――凍る大地』
(重ねられただとッ!?)
それは予想外の出来事だった。
確かに油断していただろう、相手を軽く見ていた事も間違いない。挑発され、頭に血が上っていたのも事実だ。
だが、まさかこちらの呼吸が読まれているとは思わなかった。
(しかしそのような無詠唱呪文など押し切ってくれる――!)
無詠唱呪文。
それは本来必要な手順を省略し、簡易的な言霊だけで魔法を発動させる方法だ。
だが、当然必要な術式を省いてしまっている分、どうしても威力は下がるし放てる魔法も限られてくる。
そのような魔法ならば打ち勝てる。
ソレを踏まえての判断だったし、その判断は決して間違ったものでもないと後で考えても断言できる。
だが起きたのは――、
「なっ!?」
それは光の洪水だった。
あふれ出す光の洪水と爆音が周囲を飲み込んだ。
皮肉にも自身の魔法で生み出した氷の結晶が、光を乱反射させ光量が数段増し、その眩しさに一瞬目が眩んでしまった。
そして――、
「――そこまでだ」
背後に人の気配。
そして首筋に当てられる鋭利な刃物の冷たい感触。ピタリと皮膚に押し当てられているソレは確実に頚動脈を狙っている。
「――ッ」
その感触に思わずゴクリと喉を鳴らす。
少しでも動けば容赦しないという意志表示だろう。
「――まさか、この私が背後を取られるとはな」
身動きせずに声だけを上げる。
いかな私とて魔力を封じられた状態の今では、満月の今夜であろうと首を落とされては助からんだろう。
「……詠唱完了に合わせて閃光術を使用。それだけではなく、その瞬間に発動した私の魔法すら利用しての目眩まし。そして跳躍し背後を奪う……か」
あの一瞬でこれほどのことを実行するとは……
状況判断、戦略、観察力、応用力、実行力、そしてそれを可能とする身体能力。
これらは一朝一夕で身に付く事ではない。
更に鍛錬だけではとてもじゃないが身に付く芸当ではない。
実戦……本当の意味での戦い。それはすなわち数多くの殺し合いを潜り抜けて来た証だ。
(――この男、恐ろしく戦場慣れしている)
「……動くな。いくつか質問に答えろ。――なぜ攻撃してきた?」
「フン、貴様が結界を突破して侵入してきたからに決まっているだろうが」
「違う。俺は気が付いたらあそこにいたんだ」
「だったら寝ている間に空から落ちてきたとでも言うのか? ハ、馬鹿らしい」
表面上は冷静さを装いなんとか会話をしているが、頭の中では脱出の手段を必死になって考える。
『糸』を使えば……いや、駄目だ。この男の手練手管を考えれば指先のちょっとした動きすら見落としはしないだろう。出来るかもしれないがそれは余りにも危険過ぎる。
茶々丸を連れて来なかった事が悔やまれる。
「――二つ目。ここに居る魔術師は君だけか?」
「……『魔術師』? ……ああ、魔法使いならうじゃうじゃいるさ。そういう場所だからな」
「――『魔法使い』がうじゃうじゃいるだって? ……なら君もその中の一人か」
「そうともさ。もっとも、魔力を封じられた身ではあるがな」
「――」
背後で何事か考える気配を見せる男。しかし、幾ばくも油断は見られない。
マズイ、マズイ、マズイ!
気持ちばかりが焦る。
なんとか時間を引き延ばすか、茶々丸に知らせる事ができなければこのまま終わってしまう!
真祖たる私がなんという体たらく――、
「最後の質問だ。――君は悪人か?」
「…………は?」
けれど、そんな焦りなど瞬時に吹き飛んでしまう。
それは余りにも予想外の質問が来たからだ。
だってそうだろう? 敵対している者に対して善悪の所在を問う間抜けがどこにいる。
そんな突拍子もない問いかけに思わず興が乗る。
「――ハッ! 何を言い出すかと思えばそんな事か。『悪』か……だと? ああ、私は悪だともさ! ここにいる他の魔法使いの連中は皆良い子ちゃんばかりの集団だがな、私は間違いなく『大悪』さ!! 幾人もの人間の血を啜り、血祭りに挙げてきた血の道を歩む者さ。『人形使い』『闇の福音』『不死の魔使い』――私に勝る『悪』などそういないさ!! ――さあ、私を殺すか人間!」
自分は『悪』であると謳い挙げる。
それこそが自分に架した罰。
それこそが自分に架した罪。
――それこそが自分が背負うべき十字架。
「――そっか」
しかし男はそれを切欠にしたかの如く、気の抜けた返事と共にあっさりと首筋から刃をどけた。
――訳が分からない。
何故殺さない?
生かしておいてもこの男に益は無いはずだ。
ましてや『悪』だと認めた私に情けなどいらないはず。
いや、むしろ殺しておいたほうが世の為とも言えるだろう。
それとも温情でも掛けられたか。
見た目は只の幼い少女のこの身。
――軽く見られたか、この私が……
腹立たしい。
怒りの余り後ろを振り返る事もできない。
「貴様――なぜ殺さない? 私は大虐の罪人、貴様如きに情けを掛けられる謂われはないぞッ!?」
腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!!!
命を握られ、それをあっさりと無価値だと放り出されたのが腹立たしい!
――良かろう。ならば私が貴様の命を貰い、
「――君はさ、悪人なんかじゃない。きっと」
そんな私の激情を余所に、男はあっさりと、それでいて穏やかな声で言葉を吐く。
「――なん、だと?」
「あ、いや……上手くは言えないんだけどさ、君はきっとそんなんじゃない。さっきの攻撃にしたって別に俺を殺そうとはしてなかったみたいだし……」
「……たったそれだけの事でか?」
「勿論それだけじゃないんだけど……ああ、くそッ、なんて言えば良いんだろうな……その事もあるんだけど、君はさっき自分で自分の事を『悪』だって認めただろ? それは即ち、自分のしてきた事が悪い事だと理解している証拠だ。悪い事だと自覚しながらも、その事を続けなきゃどうしようもなかったと認めている証拠だ。そんな君だ、人を殺してきたって君は言ったけど、そこにはきっと理由があるはずだ。――殺したくて殺したんじゃない。そうしなきゃきっと生きていけなかった……そんな気がする」
「――何故……そう、思う?」
どうしてだろう。
目の前の男の言葉を聞いていると、先ほどまでの激情が嘘のように穏やかになっていくのが分かる。
「……改めて聞かれると答えに困るし、理屈じゃないんだけどさ。あえて言うなら――自分を自分で悪人だって言える人に、本当に悪い人はいない……そんな気がする」
「――――」
それこそ何の証拠も無いけどな、と付け足す男。
その余りにも穏やかな声に思わず振り返り、男の顔を見つめる。
――深い瞳だと思った。
真っ直ぐで、厳しくて、悲しくて……それでも優しい瞳だと。
……不思議な感じだ。
この男を身近に感じてしまう。
先ほどまで戦っていた事すら忘れて。
心が穏やかになっている。
不意にパキン、という枯れた音がした。
よく見れば男は細くて黒い棒状の物を持っていた。
それは――、
「――ポッキー?」
そう、それは棒状のスティック菓子にチョコレートをコーティングした定番のおやつ(ビター味)。
――それをモグモグ食べていた。
「――貴様、もしやさっきの刃物は……」
「え? ……刃物? いや、流石に女の子に刃物を向けるのはちょっと……な」
とか言いつつ、またパキッといい音をさせてモグモグと食べる。
――つまり、あれか?
私はこの菓子を突きつけられて脅されていたというのか?
――この、『人形使い』『闇の福音』『不死の魔法使い』と恐れられたこの私がか?
「――っ」
なんたる無様、この私が、私が、――私が!
「――ククク……フハ! アハハハハハハハハハっ!!!」
――面白い!
ここまでコケにされればいっそ気持ちいい!
「ククク……面白い! 面白いぞ人間!! ――気に入った。我が名はエヴァンジェリン。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。――貴様の名を聞こう、人間」
男は少し面食らった様に呆けた後、
「――俺は士郎。衛宮士郎だ」
微笑んで、そう応えるのであった。