「そうか、長谷川が目を覚ましたのか。」
「ああ。シャークティ先生が目を覚ましていないが、それは明日の朝から調べるそうだ。」
麻帆良学園寮の一室、龍宮真名と桜咲刹那の部屋にて。
学園長達と共に千雨の部屋を後にし自室へと帰ってきた桜咲は、考え事をしながら寮の中を歩き回っていたこと、偶々千雨の部屋へと寄ったら千雨が目を覚ましたこと、だが未だシャークティの目が覚めず明朝から調査を開始すること等を龍宮へと伝えていた。
桜咲は自身が原因となった千雨の部屋でのネギによる魔法行使騒動、一般人への魔法バレ、そして一見受け入れられたようでも全く安心など出来ない翼バレ等様々な心労を抱えていたが、少なくとも千雨の件に関しては目を覚ましたために一息つけるといった所だ。
そして二人は今後の調査の行方、魔法生徒への情報公開、更にはネギに対する魔力封印はどうなるのか等を話している。
桜咲は部屋服に着替えいつも胸に巻いているさらしを解き刀を整備しながら、龍宮は寝巻き姿で銃を分解、清掃しながらだ。
「そもそも何故長谷川さんは眠り続けたのだろうか? 起きたとはいえ、原因がハッキリしないことには……。」
「さあね。案外誰かの呪いかもしれないぞ? 長い眠りといえばそれが定番だ。」
「む。それは、そうだが……。でも、誰が?」
ま、それを調べるのが先生達の役目さ。そう龍宮が続ける。
桜咲は納得がいかない様子ながらも、刀の一部に油膜を見つけそこへアルコールを塗りだした。
そして再度拭い紙にて丁寧に油を取りつつ、龍宮へと語りかける。
「シャークティ先生が起きない理由もよくよく調べる必要が有るな。朝までに起きれば何の問題も無いが。」
「その辺りはエヴァンジェリンの領域だろう。彼女が判らなければ、やはり情報公開で案を募るのかな?」
「エヴァンジェリンさんが判らないことが、魔法生徒に情報を伝えた所で判るとは思えないんだが……。」
ま、それもそうだな。龍宮はそう返答し、ばらし終った銃を机の上に置いて桜咲へと振り返る。
「言い方は悪いかもしれないが、シャークティ先生の命より長谷川の命の方が重いのさ、この場合。取りあえず長谷川が起きたなら5割は解決済みだ。」
残りの3割は原因究明、そして2割がシャークティだ。龍宮はそう続け、それを聞いた桜咲も苦々しい顔で同意する。
「柿崎さん達にもその辺りの現実を知ってほしいものだが……難しいだろうな。」
「案外学校育ちの魔法生徒の中にも、わかってない人は居るかもしれないぞ。」
情報公開には学園長やネギ先生の失態を公開するといった罰則の面も有る。この先どのように動くかは2人の決めることでは無いとはいえ、公開した場合に起きそうな事態を想像し溜息をつく。
そして銃を分解し終わった龍宮を見て、桜咲も一度刀を置いて一息つくことにした。
「お茶とコーヒー、どっちにする?」
「ホットコーヒー。砂糖4つで。」
「……聞くだけ野暮だったな。」
桜咲は立ち上がり台所へと向かっていく。まず電気ポットに水をいれスイッチON、龍宮のカップにはコーヒー1、クリーム1、砂糖4を入れる。次に急須の中に残る萎びた茶葉を確認し、そのまま何もせず湯のみを用意。
そして電気ポットからお湯が沸いたという知らせを待つ体制となり、手持ち無沙汰になったためか携帯電話の画面を見始める。
龍宮はそんな桜咲を見て、ふと思いついたことを聞くことにした。
「そういえば。」
「何だ?」
「まだ長谷川の部屋の扉は壊れっぱなしで、葛葉先生は長谷川が起きた事を知らないんだよな?」
「……あ。」
手に携帯を持っているにも関らず、慌てて壁掛け時計へと視線を向ける桜咲。
その時間は既に部屋へと帰ってきてから30分は経とうとしており――
「は、長谷川さんの部屋へいってくる!」
そのまま取る物も取り敢えず、部屋を飛び出したのだった。
◆◆
「神多羅木先生も、女生徒の部屋に居るのが嫌だからって刹那に頼むなんて……相変わらずのマイペースと言うか、無責任と言うか。あの人に頼んだ私が馬鹿だったのか……。」
学園寮の廊下にて。葛葉は歩いて千雨の部屋へと向かっていた。
学園長の所へ行く前に神多羅木へ連絡し、その後私用を終わらせて千雨の部屋へと行き交代する予定だったのだが、その神多羅木から桜咲と交代したという連絡が来たために少々急いでいるようだ。
深夜なので廊下に人の通りがほぼ無いとはいえ、事情を知らない生徒に見つかる可能性が無いとは言えず。もし見つかった時に何処まで話しても良いか判断出来ない桜咲では荷が重い、そう判断した為だ。決して桜咲の能力を疑う訳ではないが、やはり先生と生徒では背負う責任の重さが違うのである。
そんな事を考えているうちに、とうとう千雨の部屋の入り口が見えてくる。
刹那により扉が切り倒された痕、その周りを囲うように張られた札。当然だが部屋の中からは物音一つしない。葛葉はそれらを一瞥しただけで特に反応を示さず、そのまま千雨の部屋へと入っていく。
そこで――
「は、長谷川さん……? 何をやっているの!?」
葛葉は、窓際で月明かりに照らされた、シャークティに馬乗りとなりその首に手をかける千雨を発見した。
「あ……」
千雨は顔を上げて葛葉を見る。その顔は涙を流し、前髪を顔に張り付かせて、青い顔で口元を震わせ憔悴しきっていた。
葛葉は急いで千雨の元へと向かい、取り敢えずシャークティから引き剥がそうと千雨を両手で抱きかかえる。すると、千雨は何の抵抗も無く葛葉の腕の中へと収まった。
千雨を抱いたまま自らの足で立たせようとするも全く力が入らない様子で、葛葉が気を抜けば即座に床へと崩れ落ちるのが判る。葛葉は仕方無く、シャークティが眠る布団の横へ2人で座り込んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
千雨は葛葉の腕の中で、葛葉へ抱きついてガタガタと振るえながら、ただごめんなさいと謝り続ける。
葛葉は一瞬最悪の事態を想像したものの、何の痕も無く綺麗なままなシャークティの首を見て、更に微かに上下する胸を確認し一息つく。そして長谷川が起きていることに困惑し、とりあえずその頭を撫でながら喜ぶべきか、問いただすべきか迷いだす。
しかしそのまま1分経ち、2分経っても千雨の震えは止まらない。葛葉は少々思案した後、千雨へと優しく言葉を掛ける事にした。
「長谷川さんは何時起きたの?」
だが。
「なぜシャークティ先生の首へ手をかけていたの?」
千雨からの返答は無く。いや、その質問を聞き嗚咽する声が大きくなったことが返答だろうか。
葛葉は全く話が出来ない状況に途方に暮れ、兎に角落ち着かせる為にソファーへと移動する。
このソファーも玄関から見えない位置へ移動させたほうが良いだろうか、そう千雨を抱きかかえたまま考える葛葉だが。それも千雨が泣き止まないことには始まらないと、そのまま座ることにした。
そのまま5分程経ち。エヴァンジェリンを先頭にして千雨の部屋へと来た学園長、ガンドルフィーニの3人だが、葛葉と千雨の様子を見たためか急いで部屋へ入ろうとする男2人をエヴァンジェリンが玄関で押し留める。
更にその後ろから桜咲も来たが、先生達と共に玄関で待とうとした所を、これもエヴァンジェリンにより部屋の中へと押し込まれた。
葛葉は千雨を抱きかかえたまま軽く頭を下げ、続いて桜咲へと視線を向ける。
桜咲は状況を把握できないながらも、今尚葛葉の腕の中で泣きじゃくる千雨を見て、葛葉の隣へと座り共にその背中を撫でることにした。
「い、いったい何があったのですか?」
当然と言えば当然だが、状況を聞こうと葛葉へ質問する桜咲。しかしその言葉を聴いた途端千雨がビクリと肩を震わせ、より強く葛葉へとしがみ付く。
葛葉は桜咲へ視線を向けるも、ただ首を横に振るのみだ。
2人は千雨を刺激しないよう、葛葉は子供をあやす様に頭を撫で、桜咲は何も言わずに背中を擦り。兎に角落ち着かせることを優先することにした。
「エヴァンジェリン、一体何があったんだ? 何かに気が付いたから来たんだろう?」
一方、玄関ではガンドルフィーニがエヴァンジェリンへと問いかける。
元々帰るつもりだったのが、エヴァンジェリンが意味有り気な言葉を残し学園寮へと引き返したために、引きずられるような形で付いてきた学園長とガンドルフィーニ。千雨の部屋へと移動している間はエヴァンジェリンへ何を聞いても無視され、到着してみれば千雨が葛葉に泣きついているという状況。2人は事情が見えず、困惑した顔でエヴァンジェリンへと視線を向けた。
それを受けたエヴァンジェリンは、一度溜息を吐き。視線を部屋の中へ向けると、天井の片隅から1匹の蝙蝠が飛来した。
「残しておったのか。」
「最近血を吸う機会が多いからな、この程度なら造作無い。」
蝙蝠はエヴァンジェリンの肩に留まったかと思うと、そのままズブズブと体の中へ沈んでいく。完全に体の中へ消えたことを確認すると、エヴァンジェリンは2人にこの場に残るように言い、本人は部屋の中へと入り葛葉の横に立ち語りだした。
「蝙蝠を残した理由は些細な事さ。夢の中では私のことをエヴァンジェリンと呼んだのに、起きたらマクダウェルさん。夢が終わったなら目覚める筈のシャークティが起きない。そしてガンドルフィーニから聞いた、多重人格者の隠れた意識、その精神が見る夢の話。どれ一つとっても何の確証も無いが……どうやら残して正解だったようだな。」
そこで言葉を一度切り。エヴァンジェリンは、葛葉の胸の中に顔を埋める千雨へと手を差し出す。いつの間にか千雨の嗚咽は止んでいて、全員の視線は千雨へと向けられる。
エヴァンジェリンは千雨の頭を掴み、少々強引に葛葉の胸から引き剥がす。そして、涙で濡れた顔を覗き込み。右手で優しくその顎を押し上げ、きつく目を瞑る顔を真正面から捉えた。
「ほら、言って見ろ。なぜシャークティを殺そうとした?」
「んな、そ、それは本当ですか!?」
エヴァンジェリンの言葉を聴き、驚きを露にする桜咲。玄関口でも息を呑む気配がし、ガンドルフィーニが部屋へと入ろうとするが、学園長がそれを押し留める。エヴァンジェリンが何の意味も無い事を指示するとは考えにくく、ここは彼女に任せようという腹だ。
止められたガンドルフィーニは渋々ながらも玄関へと留まり、固唾を呑んで部屋の中の様子を見守ることにした。
部屋の中では桜咲が説明を求めようと視線を彷徨わせるが、エヴァンジェリンは千雨から視線を外さないために、未だしっかりと千雨が抱きついている葛葉へと目を合わす。
「私が来た時は、長谷川さんがシャークティ先生へ馬乗りになって、首に手をかけている所だったわ。絞めてはいないようだけど。」
「そんな……どうして……。」
葛葉の言葉を聞き、驚きを隠せない桜咲。シャークティは千雨を起こすために最も尽力し、千雨の夢の中で対話していると聞いているが、そんなシャークティを千雨が殺そうとするとは考えられない事だった。
そんな桜咲の驚きの声を聴いたためか。千雨はゆっくりと、恐々と目を開く。
そして、エヴァンジェリンはそんな千雨へ優しく笑みを作り。左手で頬に触れ、今尚揺れるその瞳を、しっかりと見つめ――
「ほら、怒りはしないさ。言って見ろ、ここには私達3人しか居ないんだ。」
「……本当?」
「本当さ。周りを見てみろ、私達しかいないだろう? この4人だけの秘密だ。」
エヴァンジェリンはそこまで話し、何気なく左手を千雨の目の前へと持っていく。困惑する桜咲と葛葉、そしてガンドルフィーニを一瞥した後、口元に弧を書く。その後左手を千雨の頭に置き、自身の体は窓の方へと避けた。
キョロキョロと部屋を見渡す千雨。その視線は一通り部屋を見渡した後、最後にエヴァンジェリンを経てシャークティへと固定される。
千雨は葛葉に抱きつくのを止め、立ち上がりシャークティへと歩み寄る。葛葉は思わず止めようと手を出すも、その手はエヴァンジェリンにより遮られた。
そして皆が見つめる中、千雨はシャークティの傍へ座り込み、その頭を優しく撫でる。
「でも……言っても絶対信じてくれないもん。」
シャークティの頭を撫でながら、そう零す。その表情は今にもまた泣き出しそうで、その感情は綱渡りのようにギリギリのバランスの上に立っていることが伺えた。
そして。
「そうでもないぞ、2A、長谷川千雨……いや、こう言った方がいいか。聖祥大学付属小学校、2年1組、長谷川千雨。」
その言葉を聴き。千雨はシャークティを撫でる手を止め、エヴァンジェリンへと振り向き大きく目を見開いた。