学園長室を後にし、夜も更けたからと学園寮のそれぞれの部屋へ帰宅した生徒達。
しかしその中の一人、桜咲刹那は、ルームメイトである龍宮と別れ一人で学園寮の中を歩いていた。その表情は暗く思いつめた物であり、学園寮の中を見回しながら、名残惜しむかのようにゆっくりと、ただゆっくりと学園寮の中を歩き続ける。
誰もいない食堂。人が疎らに入っている浴場。クラスメイト達の部屋。それらの前をゆっくりと通過し、ある部屋の前で刹那はとうとうその足を止める。
「見ていく、か。」
その部屋には扉が無く、壁には数本の亀裂が入り。扉が有ったはずの空間を囲うように、壁には幾枚もの札が貼られている。
そこだけを見ればまるでお化け屋敷かのような異様な様子だが、しかし先ほどから疎らに通る生徒達は一瞥すらしない。まるでそんな異様な空間は存在しないのだと言う様に。
暫くその部屋の前で立ち止まっていた桜咲だが、一つ呟くと再度ゆっくりと足を進める。そして、その異様な部屋……長谷川千雨の部屋の中へと、足を踏み入れた。
「……桜咲か。どうした?」
部屋の中へと入った刹那を迎える声があった。桜咲は首を傾げながら声のした方を見る。そこには玄関からは見えない位置で足を組んで椅子に座り、火の付いていないタバコを弄ぶ男性の姿があった。
黒髪をオールバックにして流し、髭を生やして、夜だと言うのに黒いサングラス。黒いスーツを着て電気も付けずに部屋の隅でただ座っているその姿は、知らない者が見れば少々心臓に悪い光景である。
「神多羅木先生、なぜここに?」
「何も知らん魔法生徒が入ってくるかもしれないだろう。ま、入ってきたのは事情を知る魔法生徒だったようだが。」
壁の太刀筋を見れば、それくらいわかるさ。そう、尚首を傾げる桜咲に答え立ち上がる神多羅木(かたらぎ)。
桜咲は恐縮そうにして頭を下げるが、神多羅木はそんな桜咲に近づき頭に手を載せる。桜咲は不思議そうに顔を上げ神多羅木を見るも、神多羅木はもう片方の手で自身の携帯電話を取り出し画面を見ているようだった。
10秒程度そうしていたが、その後神多羅木は頭の上の手を退かし。サングラスをしているためわかり難いが、桜咲の目を見つめてこう話す。
「正直、女子供の部屋に居るのは嫌なんだ。瀬流彦がやるよりはと思い張っていたが、1時間程で葛葉が来る、それまで変わってくれ。」
「あ……は、はい。」
桜咲の返事を聞いてか聞かずか、ほぼ言い捨てるような形で部屋を後にする神多羅木。桜咲は後ろ手に手を振る神多羅木を見送ると、大きなため息を吐いた。
再び静寂に包まれる室内。廊下の遠くから、誰か生徒の笑い声が響くのみ。桜咲はする事も無く、部屋を見渡した。
何も乗っていないデスク、何も入っていないクローゼット、部屋の隅の三脚、そして窓際に寄せられたベットと布団、月光を浴びる千雨とシャークティ。
桜咲は窓際に近づき寝ている二人の様子を見る。千雨は何やらムニャムニャと口元を動かし、シャークティはまるで彫像のようにピクリとも動かない。
少し焦りシャークティの様子を詳しく見る桜咲だが、微かに胸が上下していることを確認すると安堵の息を吐いた。
そして、再度千雨の眠るベットの隣に立ち。窓の外に誰も居らず、そこが廊下からも見えない位置であることを確認すると、バサリ、と純白の翼を出現させた。
「私は、どうしたら……。このちゃん……。」
一族の掟である以上、翼を見られた自分はここを去らないといけない。しかし木乃香の護衛を任せる相手がいない以上、去るに去れない。そう、掟と自分の思いの間で板ばさみになり、身動きが取れない桜咲。更には千雨の件もあり、心配する気持ちがそれに拍車を掛けている。
桜咲の白い翼は一族では禁忌とされ、迫害され続けていた。しかし、自分には神鳴流と木乃香が居たが、千雨には何も無い。最も、千雨は迫害されていたという訳ではないようだが……。
そんな、ほんの少しのシンパシーを感じながら、目を瞑り尚考え込む桜咲。しかしいくら考えようとも、答えが出るような問題では無かった。
柿崎達の言葉を思い出す。この禁忌とされる白い翼でも、受け入れてくれる人はいた。もちろん知らないからだとは頭ではわかっているが、それでも僅かに口角を上げる桜咲。そんな、自分にとっての柿崎達のような存在になることが出来れば、千雨にとって素晴らしい事ではないか――そんなことをつらつらと考える。
無意識にだろうが、僅かに翼が動き部屋の中にそよ風を発生させる。
桜咲は今だ思考の渦の中にいて、翼の動きはゆっくりとだが、徐々にそのふり幅が大きくなる。
そして――。
「……え?」
◆麻帆良 エヴァンジェリン邸◆
人形が多数佇む部屋の中。まるで精巧に出来た西洋人形のような金髪の少女……エヴァンジェリンは、ソファーに沈み込みながら一冊のノートを読んでいる。その後ろには茶々。が佇むが、なにもせずただエヴァンジェリンを見つめている。
エヴァンジェリンはとても興味深そうに、真剣な表情でノートを読んでいるため、部屋の中に響くのは時折ページが進む音のみ。
ノートのページが最後に到達するまでその状況が続くかと思われたが、しかしその静寂を打ち破る声が上がった。
「ケケケ。随分熱心ジャネーカ。面白イノカ?」
「……ああ。とても興味深いな。」
その声はソファーの片隅に並べて置かれたぬいぐるみ、それに混ざってただ一つ置かれた操り人形から発せられた。
エヴァンジェリンはその声の主を一瞥すらせず、ノートから目を離す様子は無い。
「オイ、オレニモ見セロ、前ニ置ケ、ページヲ捲レ。」
「お前が読んでもつまらんさ。」
ナンダ、スプラッタジャネーノカ? 尚そんな事を言う操り人形。
エヴァンジェリンはノートから目を離さないが、暫くたった後に。
「おい、茶々。」
「はい、マスター。」
「神奈川県うみなり市ふじみ町。私立せいしょう大附属小学校。インターネットで検索して何か引っかかるか?」
「……はい、いいえ。インターネット上にその地名は存在しません。インターネット上にその学校名は存在しません。」
ふむ。そう、茶々。の返事を聞き再度ノートへと没頭するエヴァンジェリン。
オイ、ナンダソコハ。入学希望カ? など等言いエヴァンジェリンを煽る操り人形だが、エヴァンジェリンが一切反応を返さないために諦めたのか静かになる。
再度家の中にはノートのページを捲る音だけが響くようになり、そのまま時間だけが過ぎていく。
そしてとうとうノートのページが空白になり、エヴァンジェリンは残りのページをパラパラと捲るも、その全てが白紙であることを確認するとテーブルの上へと放り投げた。
「……さて。」
ノートを手放した後も腕を組み暫く考え事をしていたエヴァンジェリンだが、一つ呟いて立ち上がる。そして玄関へと向かい――
「いい加減鬱陶しい、用があるなら入って来たらどうだ。」
そう、扉を開け誰も無い外へと言葉を放った。
少々の時間そのまま何も起きなかったが、エヴァンジェリンは立ったまま一つの木を見続ける。すると、その木の裏からガンドルフィーニが現れた。
ガンドルフィーニは罰が悪そうに顰め面をするも、諦めたのかエヴァンジェリンへと歩み寄った。
「……話がある。すこし時間をくれないか?」
「そんなことはわかってる。入って来いと言っているだろう。」
エヴァンジェリンはそう言い捨て、扉を閉めずに家の中へと入っていく。ガンドルフィーニは暫し玄関で立ち尽くしていたが、握りこぶしをつくると、意を決したかのように前を向き家の中へ足を踏み入れた。
ソファーに座りテーブルを挟んで向かい合う2人。ノートは裏表紙を上にしてテーブルの隅に寄せられる。2人の前には茶々。が入れた紅茶が置かれたが、その湯気以外に動くものは無い。
ガンドルフィーニはどこか一点を見つめ動かず、エヴァンジェリンは手を組み足を組み無表情でガンドルフィーニを見つめている。
だが、そんな状況に嫌気が差したのか。エヴァンジェリンは怒ったかのようにガンドルフィーニへ向けて言葉を放った。
「ええい、いい加減何か話せ! 何しに来たんだ!!」
ケケケ。オ見合イカヨ。そんな言葉が操り人形からも飛び、ガンドルフィーニは一度頭を振るといよいよ話題を切り出した。
「長谷川君のことについて相談したい。いったい彼女はなぜ眠り続けているんだ?」
ガンドルフィーニはこう続ける。
丸1日以上をかけて図書館島の文献を調べたが、長谷川君のように現実逃避でただ夢を見続けるなんて事例はどこにも見当たらなかった。もちろんまだ調べていない本は多数あるが、何か別に原因が有る気がしてならない。何か心当たりは無いか、と。
「本来ならお前のような犯罪者を頼る気は無かったんだが……悔しいが、お前が私よりも数段上の魔法使いというのは揺るがぬ事実だ。その知識を貸して欲しい。」
そう言い、テーブルに手を付き頭を下げる。
その様子を目を丸くして見つめていたエヴァンジェリンだが、頭を上げないガンドルフィーニに根負けしたか、ポツリポツリと語りだした。
「現実逃避、は別として。眠り続けるという現象だけ見れば、文献にはどんな原因があった?」
「単に事故や病気による植物状態というのも有るが。最も多いのは……呪いだ。」
エヴァンジェリンから返答が返ってきたために頭を上げるガンドルフィーニ。
「だが、呪いならば術式を問わず、その独特な魔力に気付くはずなんだ。もちろん実力に格差があれば秘匿も出来よう物だが……お前は何か感じたのか?」
「いいや、何も。」
「オイオイ、呪イカ? 誰カ呪ワレテルノカ? スプラッタカ?」
操り人形が合いの手を出すも、2人はそれに反応せず。ガンドルフィーニは返事を聞いて再度考え込み、エヴァンジェリンはそんな様子を見て何も言わない。
ツマンネー、そう操り人形の愚痴だけが数度響いた。
「時にガンドルフィーニ。」
数分後、唐突にエヴァンジェリンがガンドルフィーニへ呼びかける。腕を組み顔を伏せて考え込んでいたガンドルフィーニだが、自分を呼ぶ声に気付き腕を解く。そして顔を上げる前に、エヴァンジェリンが続けて言葉を放つ。
「お前、長谷川の趣味を知っているか?」
「趣味? ……いや、知らないが。」
「そうか。クラスメイトが言うには、パソコンらしい。それもデスクトップやノート等数台使いこなすらしいぞ?」
「そうなのか。」
それっきり、会話が止まる。ガンドルフィーニは首を傾げてエヴァンジェリンを見るも、返ってくるのは無表情と動かぬ視線。
何か、何か意味があるはずだとガンドルフィーニは考える。趣味はパソコン。デスクトップとノートを使う。デスクトップ……デスクトップ?
「……長谷川君の部屋に、パソコンは有ったか?」
「いいや、無かったな。」
その事に気付き。一度その違和感に気付くと、続けて様々な違和感が湧き上がる。
ガンドルフィーニの頭には千雨の部屋の情景が事細かに思い出され――
「机の上は?」
「何も無いな。」
「本棚は?」
「空だな。」
「クローゼットは?」
「空だ。」
「冷蔵庫は?」
「知らん。」
「何か、何か無いのか? 年頃の女の子だ、人形や鏡や、小物なんかが――」
「特に。無かったな。」
おかしい。明らかにおかしい。今まで気付いていなかったのが不思議な程だ。小物や何かは必ずある筈。ましてやクローゼットや本棚が空というのは有り得ない。と、そんな事を考えるガンドルフィーニ。そして……
「どこにいったんだ?」
思考はそこで行き止まり。おかしいことはわかったが、それ以上のことはわからない。ガンドルフィーニは助けを求めるようにしてエヴァンジェリンを見つめる。すると、エヴァンジェリンは一口紅茶を飲んだ後、ニヤリと口角を上げつつ喋りだした。
「私が知ったのも偶然なんだが。土曜日、長谷川の部屋でクローゼットの中を見ながら茶々丸を待っていたんだ。だが、扉が開いた音を聞き振り返るとそこに茶々丸は居らず。クローゼットへ向き直ると服が消えていた。両方この世から、少なくとも麻帆良からは完全に消え去った。そして、その後長谷川の夢へと入ると、そこには茶々丸と服があった。これをどう捕らえる?」
「ど、どう捕らえる……? まさか、物質が夢の中へ転移したとでも言うつもりか? そんな馬鹿な話があるか!! 大体絡繰君ならお前の後ろにいるだろう!」
茶々。を指差し、そう叫ぶ。それを受けたエヴァンジェリンも後ろに立つ茶々。を仰ぎ見る。
「茶々。自己紹介だ。」
「はい。私は『絡繰茶々。』です。」
「とまぁ、このように命令されたことしかしない。茶々丸の試作品だった物さ。」
か、絡繰君じゃない? まさか本当に夢の中へ? いや、だが、そんなまさか……。
混乱しながらもそう事を呟くガンドルフィーニだが、その脳裏にある人物の言葉が浮かび上がる。
『貴方は思い込みが激しい』
「物体は夢へと転移しない、これは思い込みなのか? いや、だが、これは1+1が2にならない程に非現実的だ。有り得ない。でも、有り得ないことが有り得ている? いったい何が起きているんだ?」
「更に言えば。」
頭を抱え混乱しているガンドルフィーニへ向かい、エヴァンジェリンは楽しそうにしながら更に言葉を重ねようとする。
ガンドルフィーニは顔を上げエヴァンジェリンを見つめるも――
「今日、あのガキ……ネギが無断で長谷川の部屋へと侵入し、一瞬だが魔法で強制的に長谷川を起こしているようだ。だがシャークティは死んでいない。この意味がわかるか?」
「な、なに!?」
ガンドルフィーニは高等部へ所属しているためネギの騒動を未だ知らなかった。よってネギがやったことに驚くも、それより何よりシャークティが死んでいないことに更に混乱は深くなる。
「女王メイヴの禁術、夢の終わりまで抜け出せない制約、死。例え一瞬でも起きたならばそれは夢が終わったことを表し、更に言えば魔法により起こされたならそれは夢が中断されたことを表すはずだ! だがシャークティは死んでいない? 夢は中断されなかったということか? 起きたのに? 起きたのに起きていない?」
ああ、もう、わからん! 本当の事を言っているのか!? そう、立ち上がりエヴァンジェリンへ詰め寄る。
エヴァンジェリンは混乱するガンドルフィーニの様子を見て笑みを深くするも――
「エヴァンジェリン! お前には何が起きているのかわかっているのか!?」
「いや。さっぱりわからん。」
その言葉を聴き、ガンドルフィーニはがっくりと膝をついた。
一通り混乱し、茶々が再度紅茶を淹れて一息つき。紅茶のお陰か、ガンドルフィーニは落ち着きを取り戻した。
「お前の言うことが全て事実だと仮定して――」
「事実だぞ?」
「仮定して、だ。逆から考えよう、その現象を起こすためにはどんな条件が必要だ?」
足を開いてソファーに座り前かがみで膝の上に両肘を乗せ、指を組み頭を支えるガンドルフィーニ。千雨が見ればきっと団長ポーズだと言う事だろう。まぁそれは兎も角。
その言葉を聴いたエヴァンジェリンもソファーの上で胡坐をかき、腕を組んで考え込む。スカート姿なのでパンツが見えていたが、正面に座るガンドルフィーニはスーツの上着を投げてそれを隠した。
「もう少し恥じらいを持て。」
「ハッ、吸血鬼に欲情するのか?」
そういう意味では無く……。そう言う様子を見て、エヴァンジェリンは素直にスーツで下半身を隠す。そして次の言葉を発した。
「まず物質転移。長谷川の夢が現実世界なら成立するだろう。精神世界では絶対に実現しない。」
夢なのに現実世界。そんな馬鹿な。思わずそう言うも、頭を振り考え直す。思い込みを捨てなければ原因の解明など出来そうに無い事だった。
続けて、次はエヴァンジェリンがガンドルフィーニへ向けて問いかける。
「次に起きたのに起きていない……これは、なんだろうな?」
「ああ……それなら似た文献を見た。多重人格者なら、隠れている人格の夢を見れるようだ。」
冷静になれば丸1日以上かけて図書館島で見た文献を思い出せるガンドルフィーニである。何気なく見ていた文献の中の一つを思い出し、エヴァンジェリンへと伝える。
別に脳に魔法をかけている訳じゃないからな、有り得るのか。そう返答し、
「あいつの境遇を考えれば、多重人格になってもおかしくは無いがな。魔法馬鹿の被害者なんだ、ストレスは多大だろう。」
「くっ……。」
だがあいつが多重人格なんて話は聞いた事が無いが? そうエヴァンジェリンは続ける。
あのノートは別の人格が書いた? 何て事をぼそぼそと呟くも、どうやらその言葉はガンドルフィーニへは届いていないようだ。
ガンドルフィーニもストレスの事を苦い顔のまま考え込むが、お互いそれ以上の言葉は出てこず。ただ時間だけが過ぎていった。
そして、5分か10分か。すっかり紅茶も冷めたころ――
ピピピピ……、とエヴァンジェリンの携帯が鳴り響く。
「ん、なんだ? ジジイから?」
茶々。に鳴っている携帯を取らせ、電話に出させてから受け取るエヴァンジェリン。そして、耳元へともって行き。
「もしもし。何の――」
『エヴァンジェリン! 今すぐ! 大至急! とにかく長谷川君の部屋へ来るんじゃ!!』
学園長の焦りの声が、電話越しに響き渡った。