修行しようと意気込んでいた俺だったが、具体的なトレーニング方法は何もわからなかったりする。
だが麻帆良には図書館島がある。
第二土曜日の休日、朝から乗り込んで資料を探した結果、武術の解説本やら、VHSの映像資料やら色々出てきたのだが……そんな中で、俺が思わず手に取ったのは『拳児』全21巻だった。マガジン世界のここでも、無事に存在したらしい。と言うかマンガ単行本まで置いてあるとは……。図書館島、侮りがたし。
思わず通読する。
……………………。
…………。
……。
よし。八極拳の修行をしよう!
と最初は思ったのだが、待って欲しい。八極拳は剛の拳であり、どう考えても女子供向けではない。女子に向いてるのは……八卦掌、これか? 資料はあるかな……。
あと、でも、形意拳の、崩拳だけは修行しよう。うん、そうしよう。
朝早く起きて洗顔、朝食の下拵えをする。
ストレッチの後、崩拳の修行をしながら世界樹前広場に行き、資料と首っ引きで八卦掌の練習。
まずは歩法か……えっと、扣歩と、擺歩? 聞き覚えがあるな。
…………。
ああ、思い出した。サンデーの某武術マンガの週刊版で、主人公が最初に教わる歩法にして技。それがコレだ。
……おお、何かテンション上がってきた。我ながら単純だが。
えっと……丁字歩、反丁字歩……趟泥歩。んで、拳児でもやってた走圏か。
早速やってみよう。えっと、こうして、こうして、こうかな?
流れ的にはこんなもんか。
で、八歩で一周するように。右回り、左回り。
っく、これ、やたら足腰にクルな……。
歩法は、まあ形はこんなものか。走圏を何十周かして、おおむね流れは把握した。無論練度なんぞないようなもんだが、それはこれから少しずつ上げていけばいい。
八卦掌の手法は……裹・滾・鑚・掙……こうで……こうで……こうで……こう、かな? 何か違うな……。もっと全身を使う感じか?
こう、こう、こう……うわ!? な、何か身体中持っていかれそうな感じがしたが……基本的には間違ってなさそう、かな?
八卦掌では螺旋と捻転が重要ってのは、こう言うことか。常に心がけよう。
手法も混ぜ、走圏を続行。螺旋と捻転。円の動き。……段々頭がこんがらかってきた。
ほどよく脳と筋肉がシェイクされ、一応套路を形だけは覚えたところで、次の修行に移ることにする。足腰立たなくなったからやめたわけではないぞ? 確かにガクガクしていて動けないが。タオルで顔を拭き、スポーツドリンクを呷りつつ次の予定を思い出す。
今日のメニューは以下、気と魔力の操作、カンカ法の密度と持続時間の向上、瞬動の習得、の予定だ。
よし、順次頑張ろう。
一息ついた俺はベンチから立ち上がり、まずは気と魔力の運用に取り組んだ。
……色々試してみた結果、どうもこの体は相当なチートスペックだと実感した。
気と魔力に関しては、頭カラッポにして、左手に魔力、右手に気、と集めた段階で、それぞれに意識を集中してみると、それだけでおおむね感覚的につかめてしまった。カンカ法を使えるのだから把握できてもおかしくはないとは言え、扱いの習熟速度が明らかに異常だ。
気は体内から湧き出す感じで、魔力は外部から引き込んで体にまとわせる感じのようだ。全然質が違う。確かに、これをそれぞれ等量にして合成とか、普通に考えたらまず無理だろう。究極技法とか言われるのも頷ける。
――何故かできちゃうんだけどね、俺。
気を集中していくと、徐々に密度が高まっていくが、それにつれて集中した部分の肉体にえらく負担がかかるのがわかった。どうも、鍛え方が足りないらしい。気の運用で身体強化はされるものの、素の肉体強度がないと強化した能力に耐えられない感じだ。気の総量も少ない。こちらも鍛錬で増えそうな感触はある。
魔力の運用はそれに比べれば楽だ。子供先生がもっぱら魔力による身体強化を用いていたのは、魔法使いだからと言うのもあるけど、体が未発達であることも理由の一つだったんだろう。ただし、外部から取り込んで運用可能な魔力量と言うのは、どうも先天資質に大きく依存するんじゃないかと言うのが、使ってみた印象だ。どうも、こう、魔力を扱っていても、自分の魔力容量が変化しそうな感覚がない。魔力密度の向上とかはできそうな印象なので、そっちの方面で対応していくべきか。
カンカ法の強化は、正直言って難しい。
発動は(何故か)できるものの、その維持や収束、つまりは「カンカの気」の操作がさっぱりわからなかった。発動したらしっ放し。自然に切れるまで手が出せない。
どうしたものか。
……これも究極的には「気と魔力の運用」の一部だよな。前段階となる気と魔力の強化訓練を地道にやっていけばなんとかなる……かな? 合成する時の量とか質とか上げられれば、多分いけるんじゃなかろうか。
どの道、一朝一夕ではムリっぽい。
まあ、まだ時間はある。今後色々試していこう。
瞬動は、試したら一応できたが、到底「瞬」動などとは言えないレベルである。単純に気や魔力の絶対量が足りないようだ。気は体ができてこないと無理っぽいので、魔力ベースで再挑戦。少しマシになったが、やはり瞬動モドキでしかない。
カンカ法発動状態で試したらあっさりできたけど。
思わず虚ろな笑いをもらした。色々な人にケンカを売ってないか、この体。
そして極め付け。ふと思いついて、居合拳を試してみたのだが……カンカ法状態だと、割とあっさりできてしまった。
えーと……すまん、保護者。
何だかひどく申し訳ない気分になって、思わず心の中で謝ってしまう。
無論、八卦掌と同じく、使いこなすには到底習練が足りないが。今後も鍛錬に組み込んでいこう。そうしよう。手札は多いに越したことはないからな。うん。
……重ね重ねすまん、保護者。
修行を終えて、崩拳しながら帰り、整理運動として再度ストレッチ。炊飯器のスイッチを入れ、シャワーを浴びて汗を落とし、髪を乾かしてブラッシング。ああ、面倒だ……。
身支度が終われば朝餉の支度だ。昨夜のうちから炒り子(イワシの煮干し)を水出ししておいたので、それを出汁に味噌汁を作る。具は大根と人参だ。並行してグリルでアジの干物を焼く。付け合せにホウレンソウのお浸しと白菜の浅漬けを小切りに。
よし完成。
「朝ごはん」
端的に告げると、飄々とやってきた保護者殿が完成した料理を食卓に運んでくれる。彼は早起きだ。何せ、修行のために早起きした俺より先に起きていた。
ちなみに、修行はちゃんと保護者殿の許可を得てやっている。
「拳法マンガを読んだらカッコよかったから、私も修行する」
と告げたところ、苦笑しつつ認めてくれたのだが。
……いまさらだが、世界樹前広場でやるとマズい修行がいくつかあったような気がする。
崩拳や八卦掌、これはいい。
後は…………全部ダメじゃないか? ちょっと浮かれすぎていたか。反省。
そうすると、修行場所を考えなきゃならんな。気や魔力の扱いも、今後の修行が上手くいって総量を増やすことができてくれば、多分魔法関係者に捕捉されてしまうだろう。気や魔力を遮蔽できて、多少動いても問題ない場所が必要だな。
…………。
うむ、全く見当がつかん。
まあ、そんな都合のいい物件をすぐに見つけることはできまい。今はメシだ。
「いただきます」
「いただきます」
二人して手を合わせ、朝食に箸をつけた。アジの身をほぐし、白米と一緒に口にする。
いい塩加減だ。普通に美味しい。素朴な味わいと言うのだろうか。
「何だか、ほっとする味だね」
保護者殿も笑顔で感想を口にする。家庭の朝食に対するものとしては合格点、と言うかほぼ理想的な評価だろう。
かなり嬉しい。口の端にいつの間にか薄い笑みが浮かぶ。
確かに、今日は上手くできた。
こくこくと頷きつつ食べていく。
微笑ましげに見守る保護者殿の視線は、とりあえず見なかったことにしておく。
「じゃあ、行ってくるよ、アスナちゃん」
「ん。行ってらっしゃい」
教員をしている彼の出勤時間は、当然早い。ちなみに、弁当までは渡していない。手の込んだものでなければ作れるが、と聞いたところ、そこまではしなくていいとのことだったので、手控えた。まあ、三食俺の料理だと飽きるだろうしな。
俺も登校準備だ。今日の時間割に合わせて昨夜のうちに揃えた教科書・ノート・筆記具等に不備がないか確認し、体育や特別授業の有無、その準備をチェックし、髪をツーテールに結って鈴とリボンの髪留めをつける。
「行ってきます」
一応挨拶を声に出し、合鍵で施錠して出発。寮の玄関で掃き掃除をしていた管理人の爺さんにも挨拶する。
「管理人さん、おはよう。あと、行ってきます」
「おお、アスナちゃん、おはよう。気を付けていっておいで」
目を細めて顔中で笑顔になる管理人に手を振って、学校に向かった。
さすがに道中崩拳で、とはやらない。汗だくになるし。
とは言え、実は鍛錬も兼ねてはいる。汗をかかない程度に早足で、規則正しい呼吸を心がけつつ、一定のペースを保って歩き続ける。体力がついてきたらそのうちパワーリストとパワーアンクルを装備しようと思う。心肺機能を鍛えるためにマスクをつけるのもいいかもしれない。えーと……リビングハイ・トレーニングロウ、だっけ? ん? それだとマスクを常用しなきゃならんのか?
よろしくないな……。却下だ。
無為な思考を中断し、内面と外面に意識を振り向ける。
手足の、筋肉の、血流の、気の動きを意識し、無意識の連動を認識し解析し最適の動作を模索する。無論言うほど簡単なことではないが、諦めずやれば絶対に身になるはずだ。最終的には指先の一本ずつまで精密動作可能になりたい。目指せスタープラチナ。
並行して、視覚、聴覚、嗅覚、皮膚感覚、外「気」の流れ、魔力の流れを感知し、統合し、外界情報を立体的に把握しようと努める。なお、あくまで「努める」だけで、必ずしもできるわけではない。と言うかできない。できるようになりたいと考え、努力しているだけである。現実的に考えれば無理だが、ここはネギま世界。麻帆良なら……麻帆良ならなんとかなる! はず。多分きっと。
目は意図的に焦点をぼかして、見の目ではなく、観の目を鍛えようと意識する。見の目は精密視力、観の目は周辺視・総合視・動態視などのことだ。見の目は別に鍛える。高いところからひたすら遠くを見続けるだけなので、簡単と言えば簡単だ。楽ではないが。
この内面・外面把握訓練だが、死ぬほど集中力を消尽するシロモノである。まあ、疲れるからこそかえって「有効だろう」と判断しているが。
普通の小学生にはやや早い登校時間だが、学校が近づくとちらほらとちびっ子どもが増えてくる。中にはクラスメイトもいるので、総スルーはできない。
「おはよー、アスナちゃん」
「おはよう、兼一。早いな」
「おにわのかだんにお水をあげてきたー」
「そうか。日が高くなってからだと、水滴レンズで葉が傷むからな。いい心がけだ」
「そーなのー?」
「うむ。ま、何年かすれば理科で習う。それまで待っておけ」
「よくわかんないけど、わかったー」
頷いて駆けていく。
「おはよ、アスナちゃん!」
「おはよう、純夏。珍しく早いな。武もお早う」
「おうー」
「眠そうだな。だが、挨拶はしっかりしろ。おはよう」
「ん、ぐ。お、おはよう」
「よろしい」
のんびり歩いている二人を置いて先行する。
「あーっ、アスナちゃーん、おはよーっ!」
「おはよう、桜子。朝からハイテンションだな」
「いっしょにがっこいこー!」
「む。まあいいが、歩調は合わせんぞ? しっかりついてこい、桜子隊員」
「がってんだー、たいちょー!」
「そこは「了解」とか「Roger,wilco」とか「Ma'am,yes,ma'am!」とかだ。が、よかろう。行くぞ」
「りょーかいだー!」
ノリがいいな。
そんなこんなで、会話が増えるとそちらに脳の処理容量を取られ、いっそう疲弊する。
が、我慢して修行と会話を並行しつつ学校に向かう。この修行は、一見してバレないのが素晴らしい。脳の使い過ぎで段々頭が痛くなってくるがな。
その後も何人かとあいさつしたり隊列に加えたりしつつ登校。教室の自分の席に座り、修行を切り上げた。
ランドセルの中身を机に移し、授業の準備をする。
俺の机の周りで談笑する級友どもに、パンパンと手を叩いて注意を惹き、呼びかけた。
「お前達、話に夢中になるのは、朝の準備を済ませてからにしろ」
はーい、と返事をしてバラバラ散っていく。うむ、素直でよろしい。
「あ……」
「ん?」
微かな嘆声が聞こえたのでそちらを見ると、片手を腰に当て、もう片手を人差し指を立てて伸ばしかけた格好で、いんちょちゃんが口をぱくぱくさせていた。
「どうした? っと、挨拶が先だな。おはよう、あやか」
「う……お、おはようございます、アスナさん」
「相変わらず固いな、あやか。もっと砕けた口調でかまわないぞ?」
「わっ、私の勝手ですわ!」
「ふむ。ま、言い回しなど個人の自由か。気に入っているのならば口を挟むまい。差し出口を謝ろう。済まないな、あやか」
謝意が伝わるように深めに頭を下げる。
「う、あ、う……そ、そこまでしていただかなくても結構ですわ!」
顔を赤くしたいんちょちゃんは、荒っぽい足取りで自分の席に向かった。どうも怒らせてしまったみたいだな。――理由はよくわからんが。
一応謝ったんだし、これ以上はどうしようもあるまい。放置でいいや。
などと思っているうちに、授業の支度を整えたちびっ子どもがわらわらと再度集まってきた。
いや、いいんだが、何故俺のところに来る?
「お前達、騒ぎすぎて余所のクラスの迷惑にならないようにな」
注意はしておく。
『りょうかーい!』
大きな声を揃えた。桜子の入れ知恵か……。満面の笑顔でVサインを出している幼女を半眼で見るが、溜息をついてスルーした。
それよりもだ。
「騒ぐなと言っただろう」
威圧感を込めてぐるりと見回す。
『……りょうかーい』
先ほどより静かに声を揃えた。ムダに結束力が高いな。が、聞き分けがいいのはよろしい。
微妙に声を抑えつつ、俺の席の周りで雑談に興じる級友ども。
ふと気付くと、自分の席でいんちょちゃんが微妙に恨めし気な眼差しをこちらに向けていた。
やっぱりうるさかったか? すまん、きちんと統制しておくから許してくれ。
そんな思いを込め、片手拝みを向けてみると、ぷいっと顔をそむけられる。
やれやれ、嫌われてしまったな。
ま、当分一緒の教室で過ごすんだ、時間をかけて打ち解けていけばよかろう。
そう思い決め、俺は時折周囲の雑談に口を挟みつつ、授業前の時間を潰した。
お分かりだろうが、小学校の授業なぞまともに受けるつもりは全くない。そんな真似をすれば、精神的苦痛で死ねる。――とまで言うのはいささかオーバーだが。
では、まともに聞いていない授業中、俺は何をしているのか?
勉強である。
ちなみに矛盾はしていない。やってるのはいわゆる「内職」だ。生活費をやりくりして高校のテキストを何冊か購入し、小学校の教科書に隠してこれに取り組んでいる。大学のテキストは単価が高いので今は手が出ない。なお、テキストや学習参考書の類は各学校の図書室では充実しているらしい。図書館島にもなくはないが、そんなものは自分で買え! とばかりに、閲覧は自由だが貸し出しは禁止されている。
あとは図書館島で原書を借りてきて読んだりしている。内職で。
勉強と一時限交代で修行もしている。朝にやっていたアレの簡易版だ。さすがに体を動かすわけにはいかないので、体機能の意識的把握は上手くできない。なので、外界の空間認識と立体的把握の訓練をする。
……何だかんだで脳を酷使しているので、時折一時限使って頭を休める。意識的に何も考えずにボーっとするのだ。やろうとすると難しいような気がしたが、考えてみればカンカ法の前段階としてよくすることなので、何と言うことはなかった。
勉強、修行、時々休憩。これが俺の学校生活のローテーションである。休み時間にはちびっ子どもの相手をしている。
当然、授業のノートなど一切取っていない。が、当てられれば全て正答。さぞ扱いに困る生徒だと思う。すまん、担任教師。
だからと言ってまともに授業を受けてやったりはしないが。
ただし、体育と芸術科目(音楽と図画工作)は別である。息抜きのレクリエーションには最適だからな。
このボディ、運動神経も音感も優れているし、精密動作はまさに集中訓練中である。何でも高レベルでこなせる。何この万能超人。まあ、この高い基礎スペックをもってしても、原作開始後の展開は、到底予断やら余裕やらを持てないシロモノなのだが。
……明るい未来が見えない。
算数の小テストを終えた空き時間で、窓の外を見上げて嘆息する。
いっそ麻帆良から逃げようかとか思うが、外で正体がバレて襲われたら身を守る術がない。
よくよく考えたら、髪色も微妙なオッドアイの瞳も名前も変えてないってどうなんだ。
しかも苗字がガトウ? だかのミドルネームから取ってるし……隠す気あるのか、保護者殿。
危険から遠ざけて一般人として幸せに暮らさせようと記憶を消すのはまあいいのだが、その後の処理が杜撰すぎる。
うーん、「アスナ」の重要性を認識できてなければこんなもんなのかな?
ま、実際祖国は滅びてるし、「アスナ」を狙ってた『完全なる世界』は『紅き翼』が壊滅させたと思ってるんだろうし、それほどの危険はないと判断しているんだろう。俺は原作知識と言うチートによって『完全なる世界』が潰れてないと知っているからこそ危機感を募らせているわけだが、そうでもなければその判断を妥当でないなどとは言えまい。
実際、麻帆良にいる限りにおいては、それほど危険はないわけだし。確か悪魔が侵入したりしたことはあったと思うが、麻帆良内での直接的な危険はアレくらいだったはずだ。それもネギと関わりさえしなければ巻き込まれなかったはずのものだしな。麻帆良祭? 火星人? いや、あれは「アスナに対する直接危機」ではないだろう。
なお、今のところ、京都はともかく(学校行事だからな)、ウェールズとか魔法世界とか行く気はさらさらないのは、念のため申し述べておく。アスナの立場的に危険すぎる。
ん? でも確か、白坊主一味がゲート破壊に走ったのって、「アスナ」が誘拐される前だったような。
つまり……アスナがいなくても作戦遂行は可能なのか? それとも、麻帆良からアスナを拉致する算段がついていたのか?
前者ならいいが、後者だと「麻帆良内なら安心」とか安穏としてられんわけだが。
判断がつかない以上、危険から逃れるために、やはり修行は必須だな。そう結論したところで、教壇で女教師が声を上げた。
「はーい、時間です。そこまでー。お隣の人とテスト用紙を交換して、答え合わせをしましょう」
む、終わりか。テスト時間は堂々とよそ見していても叱責されないので楽なのだが。
先生が黒板に小テストの答えを書いていき、赤鉛筆で級友の答案を採点する。ちなみに教師の解説より先んじてとっとと終わらせてしまった。
暇な時間が経過し、採点時間が終了した。隣の級友に答案を返す。
「ほら、返すぞ才人。どうも繰り上がりがよく理解できていないようだが、それでも半分は合っている。慌てず考えれば全問正解できるはずだ」
「ああ、わかった! つぎは百点とるぜ!」
「うむ、頑張れ」
きりーつ、れーい、で算数の授業終了。
で。
「アスナさん! 勝負ですわ!」
つっかかってくる、いんちょちゃん。
ちなみに、お題はさっきの小テスト。
見せ合うと、お互い満点である。
「くっ、やりますわね」
いやいや、いくら何でも、一桁の足し算を間違えるとか、さすがに無理だから。
「次は勝ちますわよ!」
何度もテストの点数勝負を吹っかけられているが、当然無敗だ。勝ちか引き分けかしかない。つまりは、いんちょちゃんからすると一度も俺に勝った例がないということである。
あー、だから小学校の勉強で挑まれても、負けようがないと言うか。
肩を怒らせて席に戻るいんちょちゃんの後ろ姿に、何となく罪悪感を覚える俺だった。
放課後になった。
「アスナちゃん、あそびにいこー」
「いこー」
「いくー」
「おれもー」
「あたしもー」
既に決定事項にされているようだが……俺の意思は? まあ、付き合ってやるが。
あー、冷蔵庫の中身はどうだったか……うむ、今日は買い物しなくても大丈夫だろう。
こいつらに意見を聞いてもまとまらないので、遊びに行くときには俺が案を出し、異論があるか確認することにしている。
集まってきたちびっ子の数は7人。ぐるっと見回すと、どうやら運動が苦手な子はいないな。
「よろしい。ならば缶蹴りだ」
『りょうかーい』
異論はないようだ。
「俺は空き缶を入手しておく。学と栄一郎と桜子は麻帆良東第二公園、他の者は麻帆良東第三公園に行き、使用状況を確認。誰か一人を伝令として桜通り中央広場に送り、報告せよ。よし行け」
わーっ、と小走りに駆け去るちびっ子ども。俺も急ぎ足で、やや離れたコンビニを目指した。
「缶蹴りに使いたいので、スチールの空き缶をいただいていいでしょうか」
礼儀正しく問いつつ、ちょこんと小首を傾げると、コンビニ店員は微笑ましげに相好を崩して了承してくれた。ゴミ箱からよさそうなコーヒー缶を見繕い、念のため3本ほど確保。水道を借りて一応洗っておく。
「ありがとうございます」
ぺこり、となるべく可愛らしく見えるよう深くお辞儀をし、手を振って立ち去った。――男のプライド? はは、何を馬鹿な。この身は幼女。備わった愛らしさを手管として利用することに躊躇いなどない。
微妙に鼻の奥がつんとするのは気のせいだ。気のせいだったら。
偵察部隊の伝令によれば、第三公園では他のグループが遊び始めているとのことなので、そちらに行ったチームに第二公園へ移動するよう再度伝令を出し、俺ともう一人の伝令も移動。全員第二公園で無事合流を果たした。
「では、ルールを説明する。
1ゲームの制限時間は20分。公園の敷地内から出たら失格。缶を蹴る際、障害物や他人のいる方向に蹴ったら失格。鬼は、誰々見つけたポコペン、と宣言しつつ缶を3回踏みつけることにより対象を捕獲する。勘違いは捕獲に至らないが、虚偽申告は禁止だ。
鬼は回り持ちで全員が一回ずつ務める。最初の鬼は私がやろう。以後の順番は応相談だ。
ゲームの終了は制限時間の経過、または鬼による全員の捕獲。鬼は前者の場合、その時に捕まっている人数分のポイント、後者の場合は10ポイントを得る。制限時間経過時に鬼に捕まっていない者は1ポイントを得る。ゲーム中に缶を蹴って被捕獲者を解放した者は、解放した人数分のポイントを得る。最終的に一番ポイントを稼いだ者が優勝。優勝者には俺がおやつを奢ってやろう。
なお、ルールに明示されない策略は、そのすべてを有効とする――ただし、他人に迷惑をかける行為は一切禁止だ。
以上。何か質問は?」
いっぺんに説明したら、ちびっ子どもはぽかんと口を開けていた。噛み砕いて説明し直し、何とか内容を理解させる。
「ではゲームを始めよう。そうだな、才人、缶を蹴ってくれ。私が缶を拾ってきて、踏みながらゆっくり10数えたら開始だ。――ああ、言うまでもないが、公園外まで蹴っ飛ばそうとか阿呆なことは考えるなよ?」
「うっ!? わ、わかった」
カーン、と景気のいい音を立ててスチール缶が飛ぶ。
わーっ、と走り出すちびっ子ども。
さて、それでは全力で遊ぶとしようか。
――ちなみに、優勝者は学。やたらと目と反射神経と要領がいいので、上手いことポイントを稼いだ。同じく目と頭がいい栄一郎が次点。才人は運動神経はいいのだが要領が悪くポイントを稼げずじまい。栄一郎を見習って、もうちょっと頭を使った方がいいぞ?
俺や桜子はミスは一切しなかったが、ポイントはそれほど伸びなかった。俺の場合、策略を駆使して場を掻き回すことに注力してたしな。意表を突かれてあたふたする鬼役のちびっ子どもの姿を、たっぷり鑑賞し愛でさせてもらった。
奢ると言いつつ、優勝した学には持参していた自作のクッキーを進呈した。学も嬉しそうだったから文句はあるまい。
なお、使用した空き缶はきちんと捨て直した。
解散し、帰宅。シャワーを浴び、夕食の支度をして、自宅でできるストレッチや套路をこなす。
保護者殿の帰宅を待って、食事。今日は煮込みハンバーグをメインに、サラダとパスタを付け合せにした。何だか出来合いの弁当でよく見るメニューの気がしたが、まあよかろう。あと白米とコンソメスープ。白飯は正義。
食後、皿洗いを保護者殿に任せ、再度シャワーを浴びて、ホットミルクを飲みつつ髪を乾かし(面倒だ……)、歯磨きして就寝。
明日も修行で早起きなので、早く寝るのだ。
寝る子は育つ。お休みなさい。
眠りに落ちつつ、何だかんだで小学生生活に慣れ始めている自分を発見し、微妙に情けない気分になった。
だからと言ってどうしようもないので、慣れるのはいいことだ。いいことなのだ。…………多分。
――――――――――
気や魔力、咸卦法などの設定には一部独自解釈が入っていますので、ご承知おき下さい。
どこかで聞いたような名前があるかもしれませんが、気のせいです。例えば、一部神奈川在住のはずの人がいるように見えても、名前だけの別人です。多分。
缶蹴りの詳細はカット。そこまで書いてたらキリがないので。
何も起こらない話で、すいません。
なお、今後も当分、大したことは起こりません。