「結界を張る意図とな? 学園の皆を守るために世界樹の魔力を利用して設置しておる。これで答えになるかの?」
長い顎髭を弄びながら、問いに対しておどけた声色で返す。
対する和葉は納得がいかないと、学園長に対して猜疑の目を向ける。
「いえ。これは研究に大きく関わることです。私と貴方の間の信頼関係の問題だけでに留まらないので、きちんとした回答を頂きたい。まずこれだけの世界樹の魔力がありながら、結界の強度が弱すぎます。本来なら本国の三大国の首都並みか、それ以上のものを作れるはずです」
両手を広げながら力強く訴えかける和葉。
その切実さは学園長にも伝わったようだ。
彼は髭を弄ぶのを止め、声のトーンを一つ落として答えた。
「全てを理解して欲しいなど言わぬ。じゃが、おぬしこそこの地の特異性に気がついておるはず。深い事情があるのじゃよ」
「生徒や世界樹の警備に気を使っていないわけではないんだ。だからこそ僕や刀子さんみたいな人材がここには投入されている。どうか僕らを信用してもらえないかな?」
フォローをするように、高畑が落ち着いた声で語りかける。
彼は遠くから右手を差し出すが、和葉は首を横に振った。
「学園長、高畑さん、貴方たちの事を人間的には信用したいです。しかし危機管理能力には疑わざるを得ません。今回のプロジェクトのこと、その必要性も誰よりもご存じのはずですよ? 万一があっては困るのです。それに刹那から聞きました。高畑さんは学園に常駐しているわけではないんでしょう? 不在の際はどう対処するおつもりで?」
表情は至って冷静さを覗かせながらも、声に必死さが段々とこもる。
まぁ落ち着けと言わんばかりに、手をひらひらと振ってなだめる学園長。
「大丈夫じゃよ。高畑君以外にも切り札はある」
「あぁ、“彼女”のことですか」
和葉の言う“彼女”が誰の事か理解できた人間たちは、また一層と顔色を悪くした。
誰も言葉を発せない。
「沈黙もまた答えですよ。なるほど。高位の霊格に対して、強力な弱体化の術式が織り込まれてるのはそういうわけだったのですね。確かにそれなら彼女を押さえ付けることが可能ですし、万が一は力を解放させればいい。それにそもそも強力な鬼は侵入したところで弱体化するので相手にはならない。そういうことですか?」
学園に来て初日にも関わらず、結界について深い考察を述べることができる和葉に、学園長を含めて誰もが驚く。
しかし学園長は自信満々な様子で答えた。
「そこまで理解できておるとは流石じゃのう。ならわかったじゃろ? 一見穴があるようじゃが、きちんと安全の事は考えておるのじゃよ」
場に居た半分くらいの者がその言葉に頷こうとしたが、突然のユキの言葉にそれは遮られた。
「東の長よ。何事にも例外はある。ならばお主らは今の妾を見てどう思う?」
先程まではただの巫女装束だったが、頭の上には狐の耳が現れ、背面には毛並みの良い大きな尾が四本棚引いていた。
それを見て彼女の言わんとすることに気付く一同。
皆の疑問を代表して刀子が口を開いた。
「ユキ様、そのお姿は!?」
「幻術の応用じゃな。それ以上はここで口にすると不味かろう」
首を右に傾け、さしたることではないかのように平然と彼女は言う。
しかし、彼女が変わったのは見た目だけではなかった。
纏う魔力の密度は控えめであれど、場における彼女の存在感そのものが増大している。
一言で形容するならば“神々しい”という言葉がまさに相応しい。
手練の戦士になるほどにソレを痛感させられ、熱風に肌が晒されるような感覚を覚えた。
「なっ、馬鹿な! そんな手段があるわけが」
「落ち着いて。目の前の彼女がソレを証明しているんだ。でも、この事実を“彼女”に知られては大変なことになるね」
黒人で眼鏡を掛けた男性教師、ガンドルフィーニは急に取り乱し、上体と共に右足を一歩前に踏み出す。
しかし高畑の言葉によって制されたことで、再び彼は後ずさった。
「そうじゃのう。ユキ殿、いかにしてこの結界の効力を逃れているかは問わぬがくれぐれも他言無用で頼めるかの?」
「結界の術式を一から強固なものに作り直せば、色々と解決すると思うが?」
事態の重さを理解した学園長はユキに懇願したが、一言で拒絶される。
「しかしそれはじゃの……」
「つまり何か事情があって難しいんですね。話が進みそうにありませんから、今はもういいでしょう。それから最後にもう一つ気になったことが。認識阻害魔法が結界に付与されているのは当然の措置だと思いますが、あまりにも強力過ぎではありませんか?」
「世界樹の存在を隠さねばならんからの。多少仕方ないのじゃよ」
仕方ない。
その言葉が学園長の立場を表しているようであると、場に居る誰もが感じていた。
和葉の言の正しさを、学園長を含めほとんどの者は理解している。
「多少ですか? 精神系の術に長けた私ですら、完全に気を抜けば抵抗できない程ですよ? 気付かないうちに貴方たちも侵されていることでしょう」
「むう」
「私はまだ今日一日学園を回っただけですが、気に目覚めている一般人の多さ、オーバーテクノロジーのロボット、たびたび起こる非常識な乱痴気騒ぎ。思い当たる節はありませんか? この学園の異常性について認識が薄れて来ているのではないですか?」
とても聞き逃していいことではなかった。
どういうことだと、多くの者たちが動揺を隠せない。
ただし、学園長を始め何人かの人間の顔には、動揺と言っても疑念ではなく焦りの感情が見え隠れしていた。
「世界樹の存在に、切り札の“彼女”。それだけじゃないですね。初対面の人たちの前で質問攻めにするのは私も居心地が悪いのですが、あえて問いているのです。先ほどは最後と言いましたが質問を変えましょう」
右手の中指で眼鏡の鼻当て部分を持ちあげ、ズレかけていた眼鏡を直す。
両肩が上下するほど大きく呼吸した後、和葉は最大の疑問、核心点を突いた。
「一体貴方たちは“何”を怖れているのですか?」
再び流れる長い沈黙。
学園長や高畑などは堅く口をつむり、事態を理解できていない魔法生徒たちは気まずそうに辺りの様子を伺ったまま時が過ぎる。
「これ以上議論しても今日はもう進展しそうにないですね。最後にもう一度申し上げます。プロジェクト・レゾナンスの主任として、改めて貴方に学園結界の改善を要請します。もちろん私も本国の研究者として手を貸しましょう。前向きにぜひ検討して頂きたい」
結局、先に妥協したのは和葉の方だった。
ときどき険悪な雰囲気に陥ったためか、最期の言葉は努めて明るくしているようだ。
「うむ。お主の申すところは理解できた。じゃがもう少し考える時間が欲しい。検討しておこうぞ」
二人は更に一歩前に出て、固い握手を交わす。
「それではこの場は解散じゃ。皆、遅い時間に済まなかったの」
学園長が周りに呼びかけると、ホッと胸を撫でおろす者、その場で考え込む者、和葉たちの方に歩み寄る者など、反応は様々だった。
「和葉、後は個人同士で交流するがよい。人選はよく選んだつもりじゃが、特にスタッフとは仲良くしておくがようにな」
「ええ、是非そうさせて頂きます。ってもうこの口調はいいかい? 正直もう疲れた」
腰に両手を当てて間延びする和葉。
「アレだけビシバシされてはのう。お互い疲れるじゃろうて。頼むから老い先短い儂の命を縮めんでくれんか?」
「ははっ、でも爺さんもこれで多少やりやすくなっただろ?」
「さてのう? じゃがお主がこれだけ立派になって誇らしいわい」
先程見せてなかった汗を額に長いながら苦笑いする学園長と、二ヤついた笑みをこぼす和葉。
対峙していた時の緊迫感はほどけたようであった。
「あの奥の方に固まっているのが明石教授たちだろ? ちょっと挨拶してから帰るとするや。やりたいことが色々あるし」
「ふむ。何かあればすぐに頼るが良い。できる範囲で助力しよう」
「おう。サンキュ! じゃあな、爺さん!」
片手を挙げて学園長の元を立ち去ろうとする。
しかし学園長の奥から現れた高畑によってその足は止められた。
「待ってくれないかい?」
「お久ぶりです。高畑さん」
「クルトからよく噂は聞いてるよ、随分頑張っているそうじゃないか」
「うーん。本当はクルト先輩みたいな駆け引きとかは苦手なんですけどね。本業は研究者なんで」
気恥ずかしそうに頭を掻きながら笑う和葉。
高畑とのやり取りは当然ながら皆の視線を集めていた。
「やけに謙遜するじゃないか。魔法の方もかなりの腕前だと聞いてるけど、どうだい? ちょうどいい機会だ。ここで一つエキシビジョンマッチでもやってみないかい?」
「いえ。それはまたの機会に。ここでもし高畑さんと私のどちらが勝っても、強硬派が調子づく要因を与えてしまいますから」
自らの戦力差を冷静に分析して述べる。
高畑と同じレベルまで到達してはいるものの、それは違う次元においての強さだ。
そして彼が懸念しているのは、残念ながら負けた場合のことだ。
その情報が外に漏れれば、改革派の代表が弱いというイメージを持たれてしまう。
逆に紅き翼の高畑が破れるのは、学園として良いことではないだろう。
故に彼は迷った。
そんな彼に高畑は純粋な眼差しで無言の圧力を掛ける。
周りの好奇な視線も重くのしかかって来た。
振り向いて刹那と目を合わせると、彼女も無言で見つめて来た。
その決意に溢れる瞳の輝きに彼は降参した。
「はぁ……いいですよ。そっちの火消しを自分でしてもらえるんなら。でしたら三対三のチーム戦はどうですか? せっかくなら天狐の実力と刹那の本気も把握しておきたいでしょう?」
そう言って二人の式の肩に手を置く和葉。
周りは正気を疑った。
高畑は世界最高レベルの実力者だ。
三体一ならハンデとして理解できるが、普通に考えれば三対三にする必要はない。
和葉が三対三を選んだ理由。
それは至って単純だった。
高畑クラスが三人相手ならともかく、そうでないなら団体戦において絶対の自信があったからだ。
まだ勝利条件は設定されていないが、先に二人が倒れればという条件なら易いし、二人を排除できれば、またはしなくても三対一に持ち込めば良い。
強硬派に対する立場がなくなる可能性があるので、負けるわけにはいかない。
どんなにせこいと思われようと、受けて立つ以上、勝利という言葉が必要なのだ。
あちらに足手まといをつけたことで、高畑が負けても言い訳は立つはずだと考え、彼はこの案を提案した。
「いいねぇ。団体戦か、面白そうだ。で、僕は他の二人を指名していいのかな?」
「特に指名があるならいいですけれど。やりたそうにしているのは…………そこの黒人のダンディーな人と、黒子を連れたお姉さんみたいですね。どうします?」
指を胸の前で組んでボキボキと鳴らしながら、嬉しそうな顔をする高畑。
和葉は視線を送ると、ガンドルフィーニと高音が前に出てきた。
「こんな機会は滅多にないからね。つい興奮を抑えきれなかったみたいだ。ガンドルフィ-ニと言う。よろしく頼むよ」
「高音・D・グッドマンです。“深淵の探究者”、貴方の功績は色々と伺ってます。胸を借りるつもりで臨ませていただきます」
「こちらこそよろしくお願いします」
タラコ状の豊かな唇を横に広げて笑うガンドルフィーニと、長い金髪を揺らしながら礼をする高音。
二人に対して和葉は握手を求めた。
その後、和葉、刹那、ユキの三人と、高畑、ガンドルフィーニ、高音の三人が学園長を挟むようにして対峙した。
学園長が場を仕切る。
「では判定は気絶か降参した場合、わしが危険と判断した場合とする。3人とも負けた時点でチームの勝敗を決する。よいな?」
両陣営とも首を縦に振る。
和葉は飴玉大の紅い宝玉を手にして呟いた。
「それじゃせっかくのエキシビジョンだし、全力全開で行ってみようか」
―――― レイジングハート、セットアップ!!
和葉は紅い宝玉を空へ放り投げる。
桜色の輝きが体を包み込み、収束していく光が衣服へと変化する。
白地に青線がアクセントになったコート、その下に着込んでいる朱色のスーツ、茶のパンツ姿、そしてさり気なく眼鏡も外れている。
そこまではまだ驚く人間は少ない。
しかし、その左手に携えているものが異常だった。
白と桃色を基調にした柄、その先に存在する三日月状に近い黄金の装飾と紅い宝玉が特徴的な杖。
あまりにも男性に似つかわしくない。
まるで典型的な魔法少女アニメに出て来るようなデザインの杖だ。
それを見て反応した人間は数人。
しかしその反応は様々だ。
「えっ、エリオ? いや魔王か?」
「すごいわ。アクセルモード、良い感じに再現できてるわね」
「おいおいレイハさんって、やばすぎるだろ!」
「うわっ痛い。コスプレ?」
「まさか……ネタだよね。いや、まさか万が一そうなら」
などと、賛否両論の声が囁かれる。
この場において最年少であり、褐色の肌をしたシスターのココネは、彼の姿に目が釘付けになっていた。
彼女はそれまでのやり取りでは常に無関心を装っていた。
しかしこの段階において、彼女と同じくシスターである春日に向かって話しかけた。
「ミソラ……あれってレイジングハート?」
「え、やっぱココネもそう思う? てか思いっきし、あの兄さんそう言ってたよね」
和葉を指差して尋ねるココネ。
まだ幼いココネに付き合って、魔砲少女アニメを欠かさず見ていた春日は冷や汗をかきながら答えた。
「あなたたちはあの装備を知っているのですか? ココネ、美空?」
シスターシャークティは問う。
「あの兄さんはヤバいっす。レイジングハート・エクセリオンとか冗談抜きでマジヤバいっす! 今すぐここから離脱しましょう、シスターシャークティ!」
気が動転している春日は早口で言葉を連ねる。
若干どころではなく、明らかにその顔は涙目だ。
しかしシスターシャークティーには彼女の訴えが理解できないのか首を傾げる。
ココネも春日に同意して彼女の腰に震えるように抱きついた。
「アレ……アニメのアイテム……本物だったら…………学区ごと消し飛ぶ、かも」
「はぁ、アニメのアイテムですか。でもそれはお話の中のことでしょう?」
ココネの訴えもむなしく、再び首をかしげるシスターシャークティ。
「いやぁ、シスター。僕も娘とそのアニメを見ているんですけどね。正直土下座してでも模擬戦を止めて欲しいですよ。いや本当に」
そこへ横で話を聞いていた弐重院が二人に同意を示した。
彼の顔色がかなり悪いことから、シスターシャークティ―も認識を改めると、二人に優しく笑顔で語りかけた。
「弐重院先生もそう仰るのでしたら、防御を少し上げておきましょう。ココネ。万が一のことがあっても、主が我らをきっと守って下さっていますから。きっと大丈夫ですよ」
シスターシャークティーはココネの頭に手を伸ばそうとする。
が、既にココネは春日の頭の上にいた。
「逃げるよココネ!! 高畑先生には悪いけど余波でも私らの命がないよ」
――――アデアット!!
春日はアーティファクトの靴を装備し、高畑の居る方に向かって敬礼する。
「……シスター……お元気で」
ココネがボソッとシャークティーにそう告げた次の瞬間、大量の土埃を巻き上げた二人の姿は彼方へと消え去っていた。
戦いが始まってから約二十分。
学園と外との境界線上にある山の上まで、二人は無事に逃げ伸びた。
見晴らしの良い木の上から、彼らの戦いを任務用の双眼鏡で見守っていた。
これだけ離れた場所からでも真剣勝負の緊迫感を、真冬の凍てつく風が二人の下へ届けてくる。
無事に戦いが終わるの見届けていた二人。
しかし観測していた所とは別の地点に突如現れた強烈な魔力の気配が現れた。
疑問に思い、双眼鏡をそちらに向ける。
刹那たちの戦いが行われているところから約3km。
それを見た彼女たちの背に悪寒が走る。
師のものとは比較にならない絶望の足音。
レンズの先に映っていたのは、幾重にも展開された巨大な魔法陣。
しかも彼女にとって最悪な事に、丁度ここから対角線上にソレはあった。
「ちょっマジ!? 射線上とかありえないって!!」
「あっ……カートリッジ差してる。もう無理、ミソラ……間に合わない」
一点に収束されていく魔力が臨界まで達しようとするのは、未熟な彼女たちにも充分わかった。
「もう……ダメっ」
ココネは頭を押さえるようにしてしゃがみ、そんな彼女を庇うように春日は覚悟して抱きしめた。
――――そして閃光が走る。
目を瞑っていても感じられるほどの“白い”閃光。
しかし、いつまでたっても“桜色の”砲撃はやって来なかった。
二人は目を見開いて状況を確認する。
既に桜色の魔力球と魔方陣は跡形もなく消え去っていた。
しかし代わりに彼女たちが目にしたのは、三百m下の地面に向けて一直線に墜落する少年の影だった。
「ミソラ……あの人……」
安堵よりも彼への心配と疑問を向けるココネ。
「私たちのお祈りのせいじゃないよね? 一体、何が起きたんすか? ワケわかんね。ココネ、わかる?」
「……さぁ?」
二人は互いに見つめ合って、混乱する頭を整理しようと努めていた。
「ってか、木乃香の兄さんまだ墜ちていってるけど、大丈夫なの?」
「ミソラ。間に合う?」
「無理。遠いッス」