しんしんと雪の降る山の中。
3歳ほどに見える小さな男の子が一人彷徨っていた。
長袖パジャマに裸足で歩くその姿はどう考えても尋常ではない。
足の皮は擦り剥け、小さな赤い斑点が雪の中に残っている。
しかし、男の子はただ歩いた。
ここにいては死ぬと本能的に気付いているのだろう。
声もあげず、泣くこともなくただ歩いた。
泣いたところで誰も助けに来ないことを、幼いながらもおそらく理解していた。
枯れ枝が足裏に刺さっても、耳や指先の感覚がなくなっても、ただひたすら歩き続け――――男の子はやっと石造りの鳥井を見つけた。
その見つめる奥には小さな社らしきものが見えた。
助かるかもしれない――そう思ったとき。
男の子の張りつめ続けた心の糸が遂に切れ、意識は闇に落ちた……
彼が再び目を開けたときに見えたのは、白く無情な空ではなく、温かな光で照らされた板張りの天井だった。
凍てついた体を包み込む暖かさに安堵してしまったのか、いつの間にか男の子は布団で寝ていた。
まだ意識は霞みがかったようにはっきりしない。
男の子は布団に潜った。
寒さに怯えることのない喜びを全身で感じていた。
もう少しこのまま寝ようと思ったが、先ほどまでのことは夢だったのだろうか、そういえば全然痛みも感じないし、こっちの方が夢だろうか。
そう考えながらも、布団のなかで暖かさを噛みしめながら、やっぱり寝ようと布団の中でモゾモゾとしていた。
状況把握よりもまだまだ小さな男の子にはこっちの方が大切なのだ。
「あっ、もう起きたんだぁ!」
甲高い声。知らない女の人のもの。
しかし性格なのか、疲れているからなのか、男の子は布団から出なかった。そしてすぐに安らかな寝息が布団の中で響いた。
「う~無視しないでよぉ! もうこうなったら突撃ぃいいい!!!」
自分の呼びかけに全く反応しない彼にムスッとしたのか、彼女も布団の中に飛び込んだ。そしてじゃれつくようにして首元や脇腹に手をあててくすぐる。
「うわぁあああ!くすぐったい!あああああっやめてええええええ!!」
思わぬ攻撃に耐えかねた男の子はすぐに布団から飛び出した。
「なんでこんなことするん?」
目に涙を浮かべながらも笑顔の男の子は訊ねる。
「それはお姉ちゃんの言うことを無視して寝ちゃうからだよ」
年上ながらも大人げなく男の子を叩き起した少女は、ピョコっと布団から顔を出して、笑いながら答えた。
少女も布団から出て男の子の前に立つ。
容姿から察するに少女は10歳ぐらいだろうか……人ならば。
明らかに少女の容姿は普通ではなかった。
銀色と言っても良いほどに輝く白髪。
前髪は切りそろえられ、後ろは腰まで届くまっすぐな髪であった。
瞳は赤く。肌は透き通るように白い。
服は薄い白い和服を1枚着ているだけであった。
その姿はまるで雪女を想像させた。
しかし、男の子の驚いた顔には恐れの色は全くない。
その瞳はきらきらと輝き、彼女に見入っているようだった。
「おねえちゃんきれいやなあ。まっしろやし、めぇもまっかでかっこええわぁ」
その言葉に逆に少女は驚かされた。
まだ恐れを知らない純粋な子供で良かったと思った。
「ありがとう。きれいって言ってもらえたのは久しぶりだな。僕はいい子だね」
少ししゃがんで、少女はぎゅうううっと男の子を小さな胸に抱きしめる。
男の子もぎゅっと腰に手をまわして抱きしめ返す。
久しぶりの温もり、人の温もりを二人は感じていた。
「ねぇおねえちゃん?」
「なぁに?」
「おねえちゃんがぼくをたすけてくれたの?」
少し体を少女から離して見上げる男の子。
「そうだよ。いつも人が来ない神社に僕が倒れてるの見つけて吃驚しちゃった」
「おねえちゃん。ありがとう」
「どういたしまして。お礼をいえるなんて偉いね。いい子だ」
わしわしと頭を撫でた後、抱きしめた腕を解放し顔を向き合わせる。
「それで僕のお名前はなんていうの?まだ聞いてなかったよね」
「このえかずは(近衛和葉)」
覚えのあるその苗字に、何の因果かと少女は少し顔をしかめた。
「おねえちゃんは?」
当然の疑問を和葉は口にした。
「…おねえちゃん?」
ふっ、と一瞬口元が歪んだ後、
「ふっ、ふっ、ふっ。聞いたら驚いちゃうよお!おめめが飛び出しちゃうよお! お姉ちゃんはねぇ、実はお狐様なのだぁああ!!!」
いきなり叫ぶ少女。
両手は頭に当てて耳に見立てたようにしていた。
「おねえちゃんって、『どろろんぱ』できるんやぁ! すごおい!!」
和葉の言う『どろろんぱ』とはおそらく変化のことを指すのだろう。
驚くといっても恐れの方ではなく、無邪気な瞳には尊敬のまなざしが籠っていた。
少女には先ほどの神妙な顔つきはもう見えない。
無邪気な幼児に合わせる表情は、既に母親のソレであった。
「お姉ちゃんはすごいから、葉っぱがなくてもできるんだよお!」
和葉のきらきらと期待した瞳は一瞬も見逃すまいとしていた。
「じゃあ、いくよお『どろろんぱ』!!」
少し霞がかかり、足元から出てきたのは白い狐だった。
毛並みは美しく、月の光に照らされて輝いていた。
「ほんまもんやぁあああ」
今度は和葉が狐の背中ををなでなでする。
「あのね」
美しい白狐の口から暖かい声がした。
「うん」
「私のこと怖くない?」
「ぜんぜん」
「そう。あのね。和葉はお家に帰りたい?それともお姉ちゃんと一緒にここで暮らす方がいい?」
二つの選択肢を狐は提示する。
また捨てられるかもしれない、いや二度と帰って来れないようにされるかもしれない家に帰るか、得体の知れない狐とここでひっそりと暮らすか。
まだまだ小さい子供に選ばせるのは酷だ。
しかし選ばせないわけにはいかなかった。
「かえりたい。でも……おねえちゃんといっしょがええ」
母親にすがるように、和葉は狐を抱きしめた。
「ねぇ和葉」
「なあに?」
「お願いがあるの」
「どんな?」
「……私に名前を頂戴。そうしたらずっと一緒にいれるから」
「そうなん? おねえちゃん、なまえないん?」
「ずうっと昔はあったけど忘れちゃった」
「う~ん。ぼくがつけてええの? せやったら、『ユキ』や」
和葉は即答した。
「ユキ?」
狐は聞き返す。
「おねえちゃんのなまえ『ユキ』がええとおもう」
もう一度はっきりと答える。
「……『ユキ』かわいい名前ね。ありがとう和葉」
『ユキ』と名付けられた狐はいつの間にか少女の姿に戻り、再び和葉を抱きしめていた。
雪みたいに私が白かったから付けたのだろう。
安直だけど可愛い名前でよかったとユキは思う。
「あんな。きょうはゆきがいっぱいやったから『ユキ』ってしたんやで」
「そうなんだ。私もね雪が大好きよ」
「どうして好きなん?」
「私の一番大事な人がね。雪が大好きだったの。だからこの名前とても気に入ったわ」
「ふうん。そうなんや」
なんとなく過ぎてしまう日々の中で、この大切な日を忘れてしまわないように。この雪の日を二人は絆として魂に刻みこんだのだった。
その後二人はユキがどこからか持ってきたおむすびを食べた。
下山するには日が暮れかかっていたので、とりあえず一夜を明かし翌朝下山することになった。
二人は色々と話したが、なぜ和葉はあそこにいたのか、なぜユキはここに住んでいるのか。自然とそういう話は二人ともしなかった。
好きな食べ物の話の他には、妹の「このちゃん」や、従姉妹の「もとこねえちゃん」、「つるこねえちゃん」の話はよく出ていた。
和葉の信頼する人のようだ。
「ユキねえちゃんみたいにぼくもへんしんできるようになるんかなぁ?」
「できるよ~。こんどやり方教えてあげるね」
「やったあ!じゃあおんなのこになるぅ」
どうして女の子になりたいの?と聞く前に和葉は無邪気に口を開く。
「おおきくなってもおんなのこやったら、みこのおねえちゃんたちといっしょにおふろにはいってもええんやろ?」
3歳にして立派な男の発想力。
ユキは一瞬教えることをためらった。しかしまだ3歳でもある。
その辺りはきちんと教育していけば、きっと大丈夫だろう。
その見通しが甘かったことを知るのはもう少し先のこと。
夜が明けておむすびを食べた後二人は出発した。
和葉は裸足だった上、目的地まで遠いので雪はおんぶして行くことにした。履物も用意できるが、あえて用意しなかった。服もそのままで行かせることで、この子の置かれた状況を糾弾してやりたいとユキは思っていたのだ。
「ユキねえちゃんさむいよお」
扉をあけるとまずそれを口にした。
「あったかくな~れ~」
ユキが軽く人差し指を振ると二人の体はほんのり白く輝いた。
「うわあ。あったかあい」
「すごいでしょ? 言霊っていうんだよ」
「ぼくにもおしえてぇ」
そんなやりとりを交わした後、ユキは和葉をおぶって人ではありえない速度で山の中を駆けていた。
10歳ぐらいの女の子が3歳の男の子を連れてきても威厳が足りなさそうだったので、ユキは成人の姿に変化していた。
和葉はどうもこちらの姿の方が気に入っているようだった。
随分山の中を走ったが、昼ごろには目的地に着いていた。
長い石造りの階段の入口でユキは立ち止まった。
「結界は相変わらずか。まぁ都合がいいわ」
やっぱり裸足だとかわいそうだと思ったユキは、脇に生えている樹の葉っぱを2枚ちぎると、一瞬で雪駄に変化した。
階段はゆっくりと和葉を降ろして、手をつなぎ二人は階段を上って行った。
「白狐殿はどうやってこの結界をくぐり抜けたのですかな」
よりによって第一声がそれだった。
二人の目の前には齢50ほどの男が正面に立ちふさがっていた。
ユキを狐と一目で看破できるあたり、それなりに高位の術者なのだろう。
警戒するのは当然かもしれないが、1日以上疾走していた当主の息子が帰ってきたのにも関わらずこの態度はなんだというのだ。
まず和葉の方に声をかけるのが人というものではないのかと、ユキはムッとしていた。
両脇には多数の巫女服姿の侍女たちが並び、多くのものは喜んでいるような雰囲気であったが、警戒や困惑をしている者もいたが、明らかに不快な顔をした者も幾人か見られた。
彼らの心中を察するのは技を使うまでもなかった。
ユキは瞳孔を細め、今まで和葉には見せなかった鋭い表情を彼らに向ける。
「口を慎め下賤。妾は白狐ではない。天狐じゃ。この姿を見てわからぬか?」
ユキの頭から耳と、尻尾が……4本生えていた。
そう、天狐。それは1000年以上生きた狐。
善狐の中でも特に上の霊格を有し、尾は4つ。神格化され、占いの力に優れていると一般には伝われている。
白狐も善狐の代表的な霊格だがあくまでも神の使いレベル。
しかし天狐は神格化されているといっても過言ではない。
周りの様子が変わった。
警戒心よりも畏怖の方が表情に表れていた。
男は何も言えない。
無礼な口を聞いたことに対する謝罪ですら怖れのあまりでなかった。
「近衛のことは平安の世からの縁じゃ。知り尽くしておるが故、破るのも容易いが、そもそも妾に結界自体が作用しておらぬ」
衝撃的な言葉だった。
おそらくこの狐は近衛家に仕えていた元・式神で結界の対象から外れているか、そうでないとしたら狐としての能力で結界を騙せるほど高い力を持っていることになる。
それくらいのことはこの場にいた誰もが容易に想像できた。
「通せ。妾たちは当主に用がある」
耳と尻尾を元に戻した後そう言い放つ。
奥へ進もうとすると、細身の長身にオールバック気味の短髪でメガネをかけた男がこちらへ近づいていた。
和葉と同じ歳ぐらいの女の子の手を引いている。
「かずくうううん!!」
てててっ、と赤い着物を着た日本人形のような女の子は和葉に駆けよりダイビングする。
「こ、このちゃっ!うわああああ!?」
「きゃああああ」
女の子を受け止められなかった和葉は地面に叩きつけられた。
「かずくん、おかえりやんな。うちも、とおさまもめっちゃしんぱいしたえ?」
「うん、ただいま。このちゃん」
崩れそうな顔で和葉は彼女の頭をなで、えへへっ、と少女も嬉しそうに表情を緩ませる。
こちらはもう大丈夫だろう。ユキは二人を見て微笑んだ。
「妾は近衛和葉が式、天狐『ユキ』。主のことについて汝に用がある」
関西呪術協会の長であり、近衛和葉と近衛木乃香の実の父でもある近衛詠春を眼差しで見つめた。「妾に嘘は通じぬぞ」と言わんばかりだ。
ユキと近衛詠春の二人は、とある部屋に移り会談を行った。和葉は木乃香と一緒に他の部屋で遊ばせている。
「で、何者かが和葉と木乃香を連れ去り、和葉は雪山に放置、木乃香は追撃部隊によって奪還した。そういうことでいいのじゃな?」
ユキは今までの情報を整理して確認をとった。
実は和葉と出会う前に現当主の子供2人が誘拐されるという非常事態が起きていたというのだ。
先ほどの陰陽師や巫女たちが敵意をあらわにしてきたのも無理はない。しかしこの状態はあまりにも……
「ええ、このような事態を呼んでしまったわが身が不甲斐ないものです」
正座で相対していたが、土下座の形をとって詠春は感謝の意を表す。丁寧や誠実と言えば聞こえは良いが、当主としては情けない構図でもある。だが、それでも頭を下げるのはやはり人の親だからか。
「天狐様には和葉を助けていただきどれだけ感謝してもしきれないほどです」
「当主よ、あの子が妾の所まで辿りついけたのは一重に加護によるものじゃ。覚えはあろう?」
「そうですか……が和葉を守ってくれたんですね」
「だから面を上げるが良い。それから妾のことはユキと呼べ。あの子がくれた名だ」
詠春は土下座を解いた。
その顔には驚嘆の表情が浮かぶ。
「和葉が名を? それではユキ様は」
「和葉の式と申しておるだろうに。今はあの子の力で顕現できておるのだ。たとえ 幼子相手とて主に仕えて何がおかしい」
「いえ」
「よい。本題に戻るぞ。木乃香をさらったのはあの子の莫大な力を悪用しようとか、旗印にして体制をかえようとかいう輩であろう?」
「犯人達は恥ずかしながら我が協会内の反体制の一派でして、誘拐後に要求を聞いたのではありませんがおそらくはユキ様の仰るとおりでしょう。ですが……」
「和葉が帰ってきたとき明らかに不味そうな顔をしている輩がおったが、お主の口から聞かせてもらおうか」
「――――和葉の『本質』はどれだけの人間が気付いておる?」
今までで最も小さな声で、しかし明確に聞き取れる声で呟く。
「私と彼女、そして三人の側近だけのはずです」
「ならばその問題は置いておいても良いか。ということは木乃香より力が低いからとはいえ、現当主の長男。利用価値の有無の問題ではあるまい」
「あの子たちは双子というのはご存知でしょうが、実は男女の双子のうち男子は忌み子として近衛家には伝わっておりまして……」
申し訳なさそうな顔から、しかめ面に変わる詠春。
親として当然の反応にある意味ユキは安堵した。
しかし双子の伝えなどユキは知らなかったのか額に皺を寄せる。
「大方占いの結果でも凶兆が出たと誰かがほざいたのであろう」
「ええ。真偽や可能性の大きさはともかくとして、妻を亡くした頃から、あの子を排除すべきだと唱える一派も出てきてしまったのです。我が子のことですから当然跳ね付けたのですが、まさかこのような強硬策に出るとは……」
「占いとはそもそも神からの助言であって、絶対の言葉ではない。稲荷のおみくじが最も身近な例であろう?しかし、奴らの言う占いとは、考えることを放棄した者が未来の可能性のごく一部を都合よく曲解したものにすぎん。人が扱う占いなぞ、いつの時代もただの政治の道具。実に不快じゃ」
「天狐ユキ様の、そのありがたいお言葉をウチのもの達に是非聞かせたいものです」
目を伏せながら詠春は苦笑した。
天狐は狐の中でも占いに優れ、神に近しい存在だからだ。
「して和葉を殺すこともなく山へ放置したのは、子供ゆえに手を下すのをためらったか、報復を恐れたか、その占いとやらを本気で信じて呪いが降りかかるのを恐れたか。そんな所は簡単に思いつくが、どう考えてもこの件は汝らを失脚させようとしているようにしか思えぬ」
一息ついて、ユキは続ける。
「おそらく、狙いは追手を二手に分散させること。そしてワザと放置した和葉を助けることができねば、出て来ぬ犯人の誘拐した責よりも救助できなかった責が表立った問題になる。捕まったとしても直接手を下さなかった犯人も、結果として間に合わず見殺してしまった協会を道連れにできる」
ユキの推論は止まらない。
それを聞いていた詠春の顔色が見る見る内に青くなる。
「仮に木乃香だけが助かった場合、長は木乃香を助けたのにもかかわらず、ワザと和葉を放置したのではないのか?とほざく輩が出る。最悪なら実は長の周りが手に掛けたのではないかなどとな。事の真偽はともかく我が子を見殺しにした長、という噂は失脚に十分であろう。しかも後継者第一候補である長男もおらず、妻も故人。となれば長女である木乃香に取りいれば体制を覆すのは容易い」
一気に可能性を列挙した後、ユキは付け加える。
「まぁあくまで事情をよく知らぬものの推論に過ぎぬが、な。あとは利害関係や派閥を洗い出すがよい。黒幕は確実に中におる。弱体化や勢力拡大を狙った外部からの工作にしろ内通者はいるはずじゃ」
詠春は何も返せなかった。
ユキが連ねる言葉の一つ一つに自分の力のなさを痛感した。
ユキが挙げた推測はどれも突飛なものではない。
冷静に第三者的視点から考えればごく当たり前のものであった。
しかし、どちらかが助かっても助からなくても相手の策にはまってしまう可能性には二人の親である詠春には気付くことはできなかった。
ただ漠然と、犯人たちは体制に不満があるのだということしか考えていなかった。
元々は一剣士であって、政治が得意だとはお世辞にも言えない。真面目すぎるとか、詰めが甘いとか紅き翼時代の頃からよく言われていたものだ。
だが、それを言い訳にしたこのままの自分ではいけない。
力のなさは罪だ。それを今、認識することができた。
変わらなければならない。組織も、自身も。それが組織の長として、二人の父としての務めだ。
口にはせずとも彼女の前で誓う詠春。そして改めて引き締まった顔でユキを見て口を開こうとするが、
「いい目をするようになったではないか。さっきまでの情けない男はどこへ行ったかの」
和葉もこんな男前になるのじゃろうかと笑いながら言う。
「言わぬともわかっておる。この天狐『ユキ』は和葉の式じゃ。ならばその役目無事に果たそうぞ。無論、和葉の傍にいる限り木乃香のことも任されよ。汝は汝がなさねばならぬことを果たすがよい。それがあの子たちのためであろう」
そう言って右手を差し出す。
そのどこまでも真っ直ぐな紅き瞳に詠春は応える。
「二人をよろしくお願いします。私はあの子たちが無事に過ごせるように尽力しましょう」
こうして物語は大きく狂い始めた。
生き残った英雄の息子。
彼と天狐との契約。
それが大きな変化を生み、
12年後には誰も予想し得なかった物語が始まる。