それはあくまで個人の戦い。
悪魔一人と人だった者の戦い。しかし、逸れのどちらもが次元を超えた戦いをしている。
士郎の放った剣軍は間違いなくベルフの身体を貫き、向こうの世界へ戻すにふさわしい威力を持っていた。
その威力はネギの魔法障壁はおろか、熟練した魔法使いのそれさえも貫通しただろう。一発ではなく、複数の剣弾が圧倒的な速度と一点に集中した威力にはただの対物魔法障壁では太刀打ちできない。
それでも――――
「素晴らしい!
ここまで私を動かせるとは!」
目の前の悪魔には届いていなかった。
しかし、士郎もあの程度の攻撃で目の前の悪魔が倒れるとは考えていない。その程度ならばライダー達が遅れを取るとは思えなかったからだ。
座からの情報や法具の有無さえわからずとも、ライダーは英霊であり人外。ただの悪魔など相手ではない。
例え人質を取られていようとも。
ベルフはすでに人の姿など晒していない。
それはまさに悪魔。鋭い鉤爪のついた腕が四本。口は裂け、人の骨格など見る影もない。背中には大きな翼。何より、士郎を警戒させたのはその口から生える二本の牙。
ただの牙ではない。間違いなくあれは最悪の代物。そう感じ取った。
「素晴らしい…素晴らしい!
あなたほどの強者に会えるのならば私が無意味に過ごした数百年を有益なものにしてくれる!
もっと! もっともっともっともっと! 私をもっと楽しませてくださいエミヤシロウ!」
見た目だけならトカゲに近かっただろうが、これに比べればどこぞの島にいると言う恐竜の子孫とかいうトカゲの方が余程マシだろう。
士郎には最初から油断なんてものはない。
最初から最期まで目の前にいる相手を倒すことが最優先だ。このままにしておいては学園に被害を及ぼさないとも限らない。
得物を弓から二振りの中華刀に変え、士郎は迎え撃つ。
四つ手の悪魔であろうとも、対処はできる。速く、鋭くてもまだ青い槍兵に及ばない。
だが、何故か士郎はすぐに決めにはいかない。いや、いけない。
一歩踏み出すたびに背中に冷たい感覚が過り、慎重に攻めていた。動きを大胆にすれば自分も危うい。
しかし、いつまでもこのままでは千日手。
退路を確保し、フェイントを入れて干将を振るう。
瞬間
ベルフの口から放たれる液体。
それに干将が触れた瞬間に音を立てて干将が腐食する。
やはり、と士郎は思考するが、それで終わらない。
液体と一緒に突き出された腕を莫耶で切り落として後ろに跳び、莫耶を投げるが、それは叩き落されてしまう。
「ふむ、良い剣ですね。
私の腕を切り落とせるとはなかなかのものです」
どうとでも無いように語るベルフ。
叩き落した莫耶を拾いながら、液体を吐き出して莫耶も溶かしてしまう。
「ですが、武器を失ってしまっては―――おや?」
「驚くふりをするな。
これも予想の範囲だろう? 依頼者とやらから情報を得ているはずだ」
「これはこれは、それもわかっていましたか」
白々しい、と士郎は思う。
だが、決して自分も有利ではない。腕を切り落としても全く安心できない。
すぐに投影して干将・莫耶を構える。
「そうです、そうこなくては」
楽しそうに悪魔が哂う。
そして、生々しい音を立てて切られた腕が生える。
接近戦は士郎にとって不利という訳ではない。
腐食する液体と、四つ手の動きにさえ注意していれば戦っていられる。
だが、時々ではあるが後ろに跳んで即座に弓を構えて剣を撃つ。
それが、ベルフには気に入らなかった。
死の危険、一瞬の油断、そのスリルが堪らない。
なのに、手を抜いたかのような剣が放たれるだけの攻防。構えた二刀も素晴らしくはあるが、自分の求めていたものがこの程度だったのかと、落胆を隠しきれない。
だからと言ってこれ以上の戦いが期待できるかといえばそうでもなさそうだ。
所詮、人間などこの程度か…
やはり、エヴァンジェリンを相手にするべきだった。
この学園には彼女以上の化け物などいないのだから。
今は魔力を封じられていると聞くが、それの要因さえ破壊してしまえば伝説の存在である彼女と戦えることができる。
契約などあってないようなものだったのだから。
そうと決まれば行動は早い方が良い。
つまらなくなったおもちゃで遊んでいるのは時間の無駄というもの。
さっさとこの学園を壊してしまおうとベルフは結論した。
ならば早く。
この動く肉を喰い、アリを踏み潰すがごとく。
変化は一瞬。
士郎もベルフがこちらに対しての興味が無くなってきているのは承知していた。
自分も目的の為にベルフを足止めしているに過ぎず、ベルフはそんな士郎の行動に飽きたのだ。
士郎もベルフを倒してしまいたいが、見てしまったものをまずどうにかしなければいけないと判断した。
だが、まだはや――――
そこで士郎は自分の失態に気がつくのだった。
もっと早く決着をつけるべきだったと。
どこかにいつでも倒せるという慢心があったのかもしれない。
つい数秒前には体格的にはヘルマンと大きな違いはなかったはず。
それが、一瞬で。
本当に一瞬でゾウの二倍はあろうかという巨体になった。
四つ手のトカゲの頭は変わりないが、翼が違う。二枚が六枚。
士郎の放つ矢を避け、腕を振るった時には轟音を立てて木々が薙ぎ払われた大地が広がるだけだった。
士郎の姿はそこには無く、遠くで木々が倒れる音がするだけだった。
「ちっ、油断しおって…」
失望した、とでも言うようにエヴァンジェリンは士郎の戦いから目を離した。
士郎の強さには興味がある。しかし、あの程度の悪魔相手に油断したとはいえ一撃をもらう程度なのか。
いや、違う。
あの男は甘いと判断した。
戦いの場は非常だ。いつどんなことが原因で命を落とすかわからない。ならば常に対応できるように。迎撃できるように。いかなる奇策、奇襲にも動ずることなく冷静な判断で対応するべきだ。
士郎のように、足止めに留め、まるでいつでも殺せるというような行動。
それは戦いに置いて決して愚かなことではない。エヴァンジェリンはそのような行動を否定はしない。
全ては自分次第なのだから。その油断で殺されるも自分次第。弱者の命を弄ぶことも、この世界には快感に思える輩もいる。
例え、ここで衛宮士朗が倒れようともそれは自己責任であるべきだからだ。
この程度の悪魔、屠れて然り。
「結局、奴も人ということか」
興味を失った眼でエヴァンジェリンはネギの戦いに興味を移す。
眼に映るのは暴走したネギ。
悪魔から放たれる魔法。
ネギを跳びつきそれを避ける小太郎。
「ふん…」
やはりぼーやの潜在能力はヤツ譲りか。
脳裏にこの学園で待ち続けた男の姿を映すが、それをすぐに破棄。
希望はあるが、今はどうでもいい。
それにしても暴走状態であれば悪魔を圧倒していたというのに、決め手の一つも打ち込めないとは。
情けない。それでも私の弟子かと、エヴァンジェリンは舌打ちをする。
意識ではなく、無意識のレベルで身体に叩きこむか。
ネギの地獄がここで決まったが、それはまだ先の話。
戦いの行方を見届けながら修業の内容を考え――――
「クッ」
「? どうかされましたか、マスター?」
「あれを見てみろ」
エヴァンジェリンが指差す先には―――
「え?」
アスナは腕の拘束が唐突に外れたことに驚いた。
魔法を消し去る不可思議な力を通りぬけ、アスナを縛る拘束の鎖を砕き、木乃香たちの水牢を破壊された。
なにがどうなっているのか。
地上に降り立つヘルマンは、見た。
悪魔の眼を持ってしてもそれは視認することは難しい。
しかし、雨の中を飛来するすれは、雨を弾き、水の軌跡を残していた。
その事実と、改めて彼女たちの拘束していたものを破壊した飛来物を見る。
それは黒塗りの矢。
間違いなく、ベルフと戦っているはずのエミヤシロウのものだ。
それはほぼ同時に彼女たちの拘束を破壊した。
いかなる手段を持ってして、この芸当を成し遂げたのか。
寒気が走る。
少なく見積もったとしても数百メートルはある距離を正確無比に彼女たちを傷つけることなく拘束だけを射抜くその技術、千里眼のごときその眼、必殺であるべきそれを射る躊躇の無さ。
今を持って悪魔は安堵する。
とてもではないが人の範疇の考えではない。行動ではない。
彼と戦わなくてよかった、と。
ベルフは動き出す。
森の木々を踏み倒し、今にも飛び立たんとしていた。
この森を抜け、この学園を破壊し、あの真祖の吸血鬼と戦いたい。
だが、その前にあの邪魔な人間どもを掃除しなければ。
ベルフの視線の先には麻帆良の魔法先生達がいる。
この騒ぎを嗅ぎつけられない彼らではないが、さすがに遅すぎたというべきだろう。
守るべき生徒は浚われ、ネギという子供を戦わせてしまった。
だが、彼等はもう成すすべは無い。
この悪魔はヘルマンのような伯爵ではなく、公爵。
悪魔の中の最高位の爵位を持ち、戦いを欲するがために召喚されやすい伯爵の爵位まで自ら望んで堕ちた。
その考えは間違ってはいない。
彼は確かに楽しめた。エミヤシロウという男は一時ではあったが彼を楽しませることができたのだから。
それが長く続かなかったのはざんね―――
『あなたは私を飽きさせませんね』
この結界内の魔力が根こそぎ喰らい尽くしたような虚ろな空間。
寒気を通り越して痛覚に感じさせるほどの殺気。
人知を超えた存在という圧力。
先程の人間とはとても思えないが、それでも―――
『どうでモイイッ!! ワタシヲタノシマセロニンゲン!!』
ベルフは確実に隙を見せた。いや、故意に見せただけかもしれない。
彼の力をもってすればただの人間にとってあってないようなものかもしれない。
だが、エミヤシロウにとっては絶対の好機。
それすらも楽しみだと、悪魔は嗤う。
その場に留まることなく跳び退くように背後に振り返る。
その眼には――――
木々を跳び越え―――
深紅の槍を―――
あれは不味い―――
投合せんとする―――
あれはワタシを―――
“人外(エミヤシロウ)”がいた―――
殺し得る―――
まるでコマ送りのように投合された深紅の槍が貫かんと迫ってくる。
防ぐために全力で迎撃をするための四本の腕は紙のように貫かれた。
避けるには余りにもこの身体は大きすぎた。
いや、仮に避けられたとしてもあの槍の有効範囲が大きすぎる。
そんな、死の気配を禍々しく感じさせる深紅の槍が身体に触れるその時まで―――
――――悪魔は嗤う。
悪魔の半身を槍が消し飛ばした。
かろうじて死には至っていない。
まだ動けるはずだ…
結界を消し飛ばすほどの魔力の爆発がなければ――――
「…私は、死ぬのですか?」
士郎は応えない。
「これが、死の気配なのでしょうか?」
元の国に帰るように、煙とならない。
残った半分の顔面と辛うじて肩と思われる部分が灰のように少しずつ崩れていく。
「まだやりたいことがあったんですがねぇ…」
もうこの悪魔にできることはないだろう。
士郎の他に、麻帆良の魔法先生達がベルフを囲む。
その中の一人、シスターシャークティが完全にベルフを滅するべく、超高等呪文を唱える。
しかし、他の先生たちに余裕なんてものはなかった。
この悪魔を滅することができる魔法使いという認識。
結界を消し飛ばすほどの出鱈目な魔法。
それを知らずにこの学園の中に置いていたという事実。
学園長は知っていたのだろうか?
いや、確実にこの男の実力を見抜いていたはずだ。今回の悪魔の襲撃だって察知していたはずだ。
むしろ意図的に私達に知らせなかったのではないか?
疑問は尽きない。
しかし――――
目の前の悪魔を見てしまうと、自分たちだけで勝てたのかという疑問が残る。
明らかに普通の悪魔ではない。ここまで灰となっているにもかかわらず口を聞くことができる。死を恐れていない。
なにより―――
倒した衛宮士郎自身の負傷の程度を見て、とてもではないが余裕というものは無い。
左腕はだらりと力なく下げられ、身体中至る所に血の滲みが見て取れる。
なにより、精神の疲弊が激しい。いや、意識が朦朧としているのかもしれない。
魔法先生が無事か話しかけても虚ろに“俺がやらなければ… 俺がやらなければ…”――そう繰り返す。
迸る魔力に驚きながらも、この場に彼がいてくれたことに感謝しなくてはならないだろう。
すでに口すらギリギリあるという状態で溜息を吐くベルフ。見て魔法先生達は彼が諦めたのだと見て取れたのだろう。
安堵ともとれる溜息を洩らしている。
「仕方ありません」
その呟きに、士郎は背筋が凍る。朦朧としていた意識がクリアになる。
「妥協しましょう」
こいつは―――
「“彼等”で」
この人達を道連れに―――っ!!
魔力の嵐が我々に叩きつけられる。
その瞬間、私の防御が甘くなり、ネギ君の肘が腹部に突き刺さるように決まる。
だが、魔力の嵐に動揺したのは私だけではなく、ネギ君と小太郎君にしても同じ。
一瞬のすきを突いて距離を取り、トドメの一撃を回避する。
雷の上位古代語魔法らしきものは私を捕らえることなかったが… 私にとって状況が悪いのは変わらない。
すでに人質は解放され、エミヤシロウの次に厄介だろうと判断した長身に魔眼を持つ女性。
彼女の捕縛すら解こうとしているのだから。
すぐには意識は戻らないだろう。
しかし、それも時間の問題。退魔師の少女はすでに意識を取り戻しているようだが、状況判断ができていないというところだろう。それもまた、時間の問題だ。
「ふむ、すばらしい才能と、短期間で付けた力、か…
やはり君はサウザンドマスターの息子たる力を有している。将来が楽しみだ」
「は、そんな余裕かましといて大丈夫なんか、おっさん!」
小太郎君が今にも跳びかかってきそうに構えるが… 警戒している。
いや、先程の魔力の嵐の動揺を落ち着かせようというところか。
だが、あれは確実にもう一人の悪魔のものではない。
その少々前に感じ取った黒い魔力が彼のものだ。やはり、伯爵などではなかったようだが…
それも、どうでもいい。
「問題ないよ。私は、君たちを――――っ!?」
なんだこれはっ…!?
先程までの魔力の嵐のどころではない!
魔力は確かに感じる。しかも膨大な。
だが、この絶対零度の中に悪寒。肌で感じる憎悪。今にも殺されると思うほどの殺気…
なにより…
声に聞こえない慟哭。
悪魔の私には感じられないが、何かしらの叫び。
まさか吸血鬼の真祖? いや、彼女ではあるまい。
だが、これが人間の魔力か? これが人間に与えられたモノなのか?
この方向は… エミヤシロウと彼が―――――
「――――っ!?」
気がつけば私は悪魔の姿を取り、石化の魔法を放っていた。
だが、目の前にはおろか視界のどこにも人のすがたなどない。
あるのはただ、雨の降る舞台だけ。
危険だ。
依頼者にとってもここでネギ君が倒れるのは不本意だろう。感情の見えない何かだったが、それでもネギ君にだけは感情を見せた。
依頼は遂行できそうにない。だが、少しでも依頼者の要望に応えられるような仕事をすることが私の使命だ。
「ネギ君! ここから逃げ―――」
逃げろ。そう言いたかった。
だが、それは無理な注文のようだ。
ネギ君は強烈な殺気を浴びせられた影響か嘔吐し、小太郎君は腰を抜かし、茫然としている。
スライムが浚ってきた少女達は一人を除き、意識を手放している。
唯一意識を保っているのが退魔師の少女。だが、それもギリギリだ。
呼吸を荒くし、眼を見開き、全身が震える。それを抑えるように自らの身体を抱きたい。しかし、彼女の視線の先に倒れる長い黒髪の少女に向けて震える手を伸ばす。
守らなければという意思。
すばらしいが…
ここから生きて帰れればの話し、か。
「ヘルマンとやら」
「君は…吸血鬼の真祖」
「中々楽しませてもらった。ぼーやの潜在能力が見れたのは貴様のおかげだ。
だが、今はぼーやどころから貴様の身すら危ういぞ」
「一体、どういう…」
言葉の途中で、私はもう一つの対象のことを思い出した。
自分の中の疑問が晴れる。依頼者が殺せと言ったのは間違いではない。彼は万人に危険なのだ。
「衛宮士郎はヒトではなくなった。
表現するなら化け物といっても過言ではない。化け物という意味ではアレは私と同類かそれ以上だろうさ。
今はこの学園の教師が足止めをしているが、それも長くは続かん。もし、還るのであれば痛みを感じさせずにやってやるが?」
そう言ってくれるのは先程言っていたネギ君の潜在能力の感謝という意味なのだろう。
だが、彼女はそう言わない。照れているのか数かしいのか…
どうでもいいか。
「そうもいかないのだよ。
私は悪魔。依頼者の依頼を達成してこそこの存在がある。ネギ君は残念だったが、前途有望な少年の未来を閉ざされてしまうのは本意ではない。
そして私は依頼を果たすためにやらなければいけないことがある」
私の言葉を聞いた吸血鬼の真祖は、その従者ともう一人の長身の少女?と共に気絶した少女たちを運ぶ。ここにいては彼女たちの命は保証できない。
さて、私も行くとしよう。
一歩踏み出すと同時。
「メドゥーサさん!」
私の横を紫電が如く駆け抜ける姿。
彼女の纏う気配や魔力を感じ取って初めて知る。
彼女も人外なのだと。
あとがき
…すいませんとしか言えないです… すいません…