千雨が空間の穴に飛び込んで数分が経っていた。
上空にはけたたましく動く光の歯車。そこから伸びる光のケーブルは千雨が消えた場所でぷっつりと途切れているものの、おそらく空間を越えた先で千雨に繋がっているのだろう。
魔法使い勢と国際警察の対立はこう着状態になっていたが、世界樹の沈静化を確認した中条はいち早く動き出した。
ポケットにある通信機を取り出す。
「呉先生、例のものを頼みます。世界樹の接収作業を始めましょう」
その言葉が均衡を破ろうとした。
「中条、貴様ッ!」
近右衛門が声を荒げたと同時、空の幾何学模様に変化が起きた。
「おい、あれ……」
誰かが空を指差した。
見れば、上空にあった光の歯車が徐々に崩れていっている。崩壊は僅かだが、それでも一部の機構が壊れれば全体に歪が出てくる。
歯車が噛み合わなくなっていき、不協和音が麻帆良に響いた。
「千雨ちゃん……」
その光景がアキラを不安にさせる。
ジジジ、と残っていたケーブルが奇妙な振動音を発したかと思うと、突然千雨の姿がそこから現れた。まるで何かに押しだされた様に地面をゴロゴロと転がる。
「――ッ!」
「千雨ちゃん!」
倒れている千雨にアキラは近づき、その身を起こさせた。
「あ……」
アキラは千雨の姿を見て息を呑んだ。千雨が身に着けているスーツは所々破れ、血が付着していた。顔にも幾つもの傷が有り、腹部に至っては奇妙なへこみが出来ていた。
なにより――。
「千雨ちゃん、手が……」
千雨の右手の手首から先が無くなっている。それを見て、アキラはくしゃりと表情を歪ませた。
「ま、待ってて! 今、魔法使いの人を呼んで治療を――」
「アキラ、いいんだ。大丈夫、〝いらないんだ〟」
千雨は走り出そうとするアキラを呼び止める。
「え、だって……」
アキラの戸惑いに千雨は首を振り、そっと右腕を差し出して傷口を見せる。アキラは驚愕に目を見開き、口を押さえながら言葉を失った。
「……」
目尻からボタボタと涙が溢れる。
傷の断面には〝何も無かった〟。
体を覆うスーツの下は空洞。僅かに空間にノイズが走るだけで、そこにはもう肉体が存在していなかった。
アキラと千雨は特殊なラインで繋がれている。その意味を、千雨はラインを通じてそっと伝えた。
「あぁ……」
必死に涙を止めようとするものの、その努力は空しく意味を成さない。アキラは力なく地面に膝を付いた。
千雨はアキラをここまで悲しんでしまう事に痛みを感じながらも、それ程に自分を思ってくれる事に嬉しさも感じていた。
「ごめんな。そして――」
アキラの慈愛に対し、千雨は精一杯の感謝を示そうとした。そっとアキラを抱き寄せる。彼女の感触、肌の熱さ、ほのかな汗の匂い。千雨は自分にしっかりと刻み込む。たとえどれだけ離れようと、どれだけの時間が経とうと、どれだけ自分が無くなろうと、決して失わない様に、しっかりと、強く、強く。
「――、――だ」
千雨の言葉は、アキラの耳元で小さくそっと囁かれた。
座り込んだアキラをそのままに、千雨は立ち上がる。
「ウフコック、さっきのは?」
「やはりそうだろうな。……来るぞ!」
見つめる先は世界樹。千雨が一時的に沈静化をし、主犯たる吉良も無力化したはずだった。
それでも、この場所に戻る時に千雨達は世界樹の力の激流に巻き込まれ、あの世界の隙間から押し出されるように戻ってきたのだ。
世界樹が淡く発光し、柔らかな魔力を発露し始める。
と同時に突如、その世界樹の幹の辺りには強い力を発する《矢》が現れた。
強い力の予兆にいち早く気付けたのは千雨とウフコック、そして近右衛門と九大天王だった。
「皆の者、障壁を!」
近右衛門の言葉に合わせ、魔法使い達が負傷者達を守るように魔法障壁を張り始めた。
「幻妖斉殿、お願いできますかな」
「ふん、もうやっとるわ」
中条が言葉を発する前に、察していた無明幻妖斉は九大天王三人を守る結界を構築している。
「ウフコック、頼む!」
千雨のスーツから離れた金色のネズミは、空中でクルリと反転(ターン)し、千雨とアキラを覆う球状の盾を作り出した。
導火線に火が灯されるかの様に、《矢》はジワジワと世界樹の幹に沈んでいく。それが沈みきった時、衝撃が広場を襲った。
それはまるで魔力の爆発だ。
「……ぐッ、……あッ!!!」
「――きゃッ!!!」
千雨達はそれに必死に耐える。ウフコックが作った盾の中にいても、その衝撃の強さは感じられた。
多層構造の盾は、その表面をほんのコンマ数秒で破壊され続けている。ウフコックが反転(ターン)で継ぎはぎを繰り返している状況だ。
〈くぅぅぅぅぅぅ!!!〉
ウフコックのくぐもった声、彼の体も限界が近かった。枷の呪縛、肉体の浪費、先程は心臓まで一度破壊されている。そしてここに来ての反転(ターン)の連続使用。
「ウフコック!」
千雨はたまらず声を上げるが、すげない声で返された。
〈心配そうな声を出すな、千雨。『もう止まらない』のだろう。だったら前を向けッ! 私も共に進んでやる!〉
千雨はこくりと頷いた。
「あぁ。……あぁッ!」
広場を覆った衝撃は、世界樹から放たれた魔力の奔流であった。それは以前の魔力の放出の比では無かった。
あれが強風の中だとしたら、これは塵すら残さない爆発の中心の様だ。
それでも爆発は永遠に続かない。世界樹の力の放出が収まってきた時、千雨は盾の外へ出ようとするが――。
「ぐ……、くそ。何だよ、これは!」
収まってなお黄金色の魔力が世界樹を中心に吹き荒れていた。気を抜けば体ごと飛ばされる激流の中で、千雨は立ち上がる事すらままならない。
只でさえ異常な魔力量を放っていた世界樹だったが、今は更にそれを越える力を放っていた。
考えられるのは《矢》の力。吉良は《矢》を使い、自らのスタンドの力を更に引き出していた。暴走すら起こさせる《矢》の特性を、千雨は先程の戦いで得ていた。
「世界樹のスタンドが暴走しているのか?」
それを確かめる術は無い。だが、このまま放置出来る分けも無かった。
世界樹広場の周囲の建物は、先程の魔力の爆発によって破壊されていた。幸い、近右衛門が渾身の結界を作った事により、魔法使い勢も無事である。
反対側には飄々とした九大天王の姿もあった。
夕映の存在も感知できた。アサクラの連絡によれば、うまく建物を壁にして持ちこたえたらしい。現在こちらへ向かっている様だ。
千雨は前回と同じく、世界樹に時間の逆行を行なおうとしたものの、上空の機構を確認して愕然とした。
「駄目だ、足りねぇ。もう一度構築する時間も、力も――無い」
麻帆良上空の機構は、魔力放出の余波で半ばが壊されていた。
再構築しようとするものの、千雨の力は激減していた。
《カシオペア》の機構を再現するために、世界中に放たれた自分の分割思考、分身体。本来ならばそれは千雨の演算を脳内で分散して効率化を図る技術だったが、広がり過ぎた感覚によりそれらは独立した自我を持ってしまった。
小さな虫が巨人の視界を得たように、千雨の感覚は世界を睥睨する程に広がってしまったのだ。
そのため〝個〟が崩れてしまう事を防ぐため、遠くへ飛ばされた凧の糸を切るが如く、千雨は分割思考の幾つかの切り離しを行なっていた。
未だに感覚は広がり続けている。それと同じ速度で千雨は自らを失っているのだ。
魔力の激流が容赦なく体に叩きつけられ、千雨は立ち上がれない。
失われた右手は地面すら掴めず、左手ももがく様に空を切ろうとしたが、その手がしっかりと誰かに握られた。
「アキラ……」
「千雨ちゃん」
目尻に涙の痕を残したアキラは、真っ直ぐに千雨を見つめ、掴んだ手を強く握り締めた。
「千雨ちゃん、さっき言ってくれたよね。私も、私もね――」
アキラの口が言葉を紡ぐが、その声は魔力の激流にかき消された。
それでも千雨にはしっかりと伝わっていた。
微笑を浮かべた千雨が、アキラの手を握り返す。
「ありがとう」
過ぎるは万感の思い。吉良が見せた幻よりも強く、千雨の心を満たしてくれた。
世界樹を振り返る。
「頼みがある。あの樹をぶっ壊す、……手伝ってくれアキラ――」
不安そうな千雨の声を、アキラが遮った。
「うん」
千雨の不安を拭うようにアキラは笑う。知っているのだ、目の前の少女が何より恐がりで、何より涙脆い事を。
「でも、きっと大丈夫だよ。一人では立ち上がれなくても……」
アキラはグイと千雨を引っ張り上げた。荒れ狂う魔力の激流の中、千雨とアキラは支えあう様に立ち上がった。
「二人なら立ち上がれる。それに、ウフコックさんもいる。出来るよ、私達なら」
盾から分離したウフコックは、アキラに抱えられるようにして胸元にいた。
ちっぽけな千雨達の前には、巨大な世界樹が立っている。激しい魔力の奔流は、世界を覆い尽くして全てを塗り替えようとしていた。
それでもなお、千雨達は立ち向かおうとしている。
「そうだな。やろう、最後の大仕事だ」
第57話「ラストダンスは私に」
世界樹の力の異常さ、その仕組みをいち早く理解したのは近衛近右衛門だった。
周囲に放たれている魔力の勢いは凄まじく、まわりの魔法使い達も驚きを隠し得ない。
しかし、問題はそこだけでは無いのだ。
「明らかに世界樹の魔力保有量を越えておる……」
世界樹という超常の物体の魔力保有量は、細かく測定出来るものでは無いが、ある程度の大枠では予想出来た。現在放出されている魔力は、その大枠に収まるものでは断じて無い。
「地脈の流動が激しい。これは吸い取っておるのか」
地面に触れた手が、敏感にそれを察する。
慌てて周囲に視線を向けた。魔力で視力を強化すると、麻帆良に点在する樹木が徐々に枯れていっているのに気付けた。更に遠くを見れば、麻帆良を囲む山々の緑まで失われ始めていた。
視界を覆いつくす金色の波動が、世界を喰らっていく。
世界樹はその力を際限なく広げ、魔力を根こそぎ吸収しようとしていた。千雨が世界中の電力をコントロールし、空にカシオペアの機構を再現した様に、世界樹もスタンドの力まで使い、幾つもの平行世界からも魔力を吸収して、自らの力と変換した上で放出していた。
その放出した魔力で何を行なうのか、そこまでは近右衛門を理解し切れない。それでもこのまま放置すれば、日本中の魔力が吸い取られるのは時間の問題であった。
目の前の存在は『世界樹』、神話より語り継がれる神の遺産は、人間の知己を遥かに越えていた。
「ぐぬ……」
動こうとした時、膝が地面に落ちた。先程の魔力爆発から皆を守るために張った結界は、近右衛門の魔力の残りを継ぎ込んだ。
実際あの時に結界を構築してなければ、各々の魔法障壁では耐えられなかっただろう。
それでも、近右衛門は立ち上がらなければならなかった。
世界樹の一度目の魔力放出時、この場にいたほとんどの人間が余りの魔力量に呆然と立ちすくむしか出来なかった。
あの時は一人の少女の働きで助かったものの、再びあの様な事を期待してはならない。何より全てを一人の少女に託すのは、魔法使いとして、大人として許容出来るものではない。
今回の魔力放出は数分前の一度目とは比にならない。それでも近右衛門を含めた魔法使い達の瞳には、一人の少女の行動が焼きついている。
竦む足を叱咤し、戦える者全員が立ち上がった。
「皆の者! これから世界樹を破壊する! あのまま暴走を許せば、麻帆良だけでは無い、日本全土が危機に陥るじゃろう。わしらの背中には多くの人々の命が掛かっている。立派な魔法使い(マギステル・マギ)の矜持を持つのなら、その意気を力の限り見せいッ!」
近右衛門の声に対して、一斉に鬨の声が上がる。
士気は高いが、近右衛門の冷静な部分が今の状況の問題部分を指摘していた。
(この魔力の奔流。果たして皆が魔法を使えるのか。何より、魔法で世界樹が壊せるのか)
川底に沈む木片を燃やすのに、火の付いたマッチを川に投げ込んで意味があるのだろうか。燃えさかる火の中に、水の一滴を垂らして意味があるのか。
この魔力の暴風域で魔法使い達の真価を発揮するのは難しいだろう、と結論付ける。
今必要なのは『魔法以外』の世界樹の破壊手段なのだ。
近右衛門はまず最初に、九大天王との共闘を思いつく。
彼らも正義を自称する徒だ。この状況であれば協力体制を作れるのでは無いか、と近右衛門は淡い期待を巡らす。
視線を横に向ければ、離れた場所で九大天王の三人が笑みを浮かべて立っていた。
「ククク、ハーハッハッ! 見てくださいよ、この力。《矢》にしろ世界樹にしろ、ここまでのモノだとは思いませんでしたな。これは我らが得るべき力です」
中条の言葉に、釣り竿の男がニヤニヤと笑いながら頷く。
「同感ですね。これほどの脅威は我らが管理するに限る。中条殿、接収作業を始めましょう」
釣り竿の男が指をパチンと弾くと、麻帆良上空を周回していた国際警察機構の輸送機に動きがあった。
巨大な寸胴型の輸送飛行機の腹部が開き、巨大な何かを落としていく。その数は五つ。激しい振動が物体の質量を容易に想像させる。
落ちてきたのは人型の機械。鬼神兵より一回り小さいシルエットのロボット兵器が、少し離れた麻帆良外縁部に落とされる。
落ちてきたロボット兵器は各々が別の姿をしていた。その先頭に立つロボットがまるで戦意を溢れさせるように、咆哮を上げた。
「ゴオオオオオォォォォォーーー!!」
頭に角を生やしたシルエット、狂気の天才が創り上げたロボット『ギルバート』だった。
中条は通信機に話しかける。
「呉先生。ロボット兵器のコントロールは?」
『現在電子防壁とセキュリティを最大にしていますので、十分程は完全な制御を保てるはずです。申し訳ありません、世界樹上空は魔力の放出により近づけないため、降下場所が離れました』
電子戦の想定は為されていた。だが、現在電子ネットワークには規格外の千雨も含め、学園都市の《シスターズ》もいる。中条からすれば十分という時間も御の字であった。
「構いません。それにそれだけ時間があれば充分です。さぁ、行きましょうか」
五つの巨大なシルエットが世界樹に向けて近づいてくる。それと共に進む《梁山泊》の一部軍勢もあった。そんな一団を背後に引き連れる中条が、近右衛門には醜悪な化け物に思えた。
(共闘じゃと? あやつらにそんな言葉が通用するものか!)
自らが思いついた手段を即座に却下した。
(しかし、どうするんじゃ。この状況下で打てる一手が……)
打開策が思いつかない。麻帆良勢の戦力は激減していた。現在でさえ、麻帆良各地に存在するアンドロイドの残党と《梁山泊》兵の対処に負われ、全戦力をここに振り分けられないのだ。
その時、近右衛門の視界の片隅に何かが見えた。
世界樹の根元、魔力放出がより激しい場所に立ち上がる人影。強い魔力光によりシルエットしか見る事は出来ない。
それでもその人影を、近右衛門は――この場にいる人々は、知っていた。
立ち上がる彼女達は人々に背を向けている。決して世界樹から目を逸らさず、立ち向かおうとしていた。
近右衛門はその光景にどこか得心する。この数ヶ月、彼女はいつもそうだった。大人達が作り上げた状況の中で必死にもがき、子供なりの道理で全てをどうにかしてきたのだ。
それは『世界』を変える事に似ていた。
過ちを過ちのままとせず、理不尽を理不尽だと声高に指摘する。それは誰しもが経験する幼稚な行いだろう。過ちは変えらぬまま、人は大人になって看過する術を得ていくのだ。
それでも時には過ちそのものを変えてしまう人間がいる。
近右衛門はそんな人間を知っていた。
多くの尊敬と多くの怨恨をその身に宿す、そんな偶像染みた人間を。
「英雄、か……」
知らず呟きが漏れていた。
かつて知己となったその存在も、最初は今の彼女より幼い姿だった。
(彼女に背負わすわけにはいかない、なんて考えは年寄りの傲慢なんじゃな)
恐らく放っておいても彼女達は勝手に立ち上がり、勝手に走っていくのだろう。
そして彼女達はきっと為してしまう。出来る、出来ないなどもはや問題にすらならない。
為せる事を為すのは常人だ。
為せぬ事を為す事こそが、『英雄』たる資質なのだ。
(ならば、我らのやる事は決まっておる)
二ヶ月前、近右衛門達は彼女達に矛を向けてしまった。
あの事件での忸怩たる思いは、今でも近右衛門ら魔法使いの胸に残っていた。
矛は向けるべき方向に向かねばならないのだ。汚名はそそがなくてはならないのだ。
そして、今がその時だ。
「皆の者、我らは長谷川君らを助けるために動く! いつぞやの汚名をすすぐのじゃ! これは血戦じゃ、力を惜しむなッ!」
「おうッ!」という鬨の声と共に、魔法使い達が一斉に飛び出していく。
目前に迫る脅威から、千雨達の一分一秒を稼ぐために。
魔力の激流の中、魔法の行使は困難を極めた。各々が状況の中で最善を尽くして国際警察機構へと立ち向かっていく。
それに対し、中条は嬉々とした表情で応対した。
「止められるなら止めてみるがいい。この『静かなる中条』をッ!!」
中条の周囲に莫大な気が溢れた。魔力の激流すら一時吹き飛ばす程の量。命を燃やして放つ『ビッグバン・パンチ』、その使い手たる中条の力量はこの場に置いても抜きに出ている。
連続して放たれる拳打はまさに暴風雨だ。数人の魔法使いが瞬時に無力化される。
釣り竿の男も振るった竿で、魔法使い達を撃退していった。
九大天王の力は圧倒的であったが、その時転機が訪れた。
魔法の詠唱を行なっていた幻妖斉が目を見開く、紡いでいた言霊が消えた。それどころか彼の周囲は無音。音そのものが消え、せっかく作り上げた術式も霧散する。
(何じゃと!)
幻妖斉の目前に、その原因たる存在が立っていた。
工業製品を思わせる、滑らかな光沢を持った人型の物体。
《エコーズ》であった。
魔法使い達の後方で立ち上がった康一が、《エコーズ》を使い、ピンポイントで幻妖斉の魔法を無効化していた。
「《エコーズ》、吸い取れッ!」
《エコーズ》は幻妖斉と自分を含めた周囲数メートルに音を吸収するフィールドを作り上げた。
かつて純粋な『スタンド』であった頃より遥かに微弱な力、それでも効果は出ていた。
(ちぃっ! 面妖なッ!)
されど幻妖斉も歴戦の猛者、詠唱を封じられたとて魔法くらい使えた。無詠唱の魔力を《エコーズ》にぶつければ、脆くもその体は崩れていく。
「ふん!」
崩れれば《エコーズ》の力は解除され、幻妖斉の周囲は音を取り戻した。だが――。
「ぬっ……」
幻妖斉の目の前で《エコーズ》が復元されていく。瞳を爛々と輝かせながら、《エコーズ》は再びフィールドを作り出す。
(再生するのか、ならば!)
無詠唱で幾本もの魔法の矢を作り出す。それを《エコーズ》の力の源、康一へ向けて放った。
詠唱も無く、世界樹の影響もあってかなり威力は落ちるものの、生身の人間に当たれば容易に体を貫ける。
康一へ向けて放たれたそれを遮るように、二つの人影が飛び出した。
「ドラドラドラァー!」
「漢魂ッ!!」
リーゼント頭の二人組、東方仗助と豪徳寺薫だ。それぞれがスタンドと気を纏った拳で魔法を撃墜していく。
「舐めた事しやがるな、オラァ!」
「空気読めよ、ジジイ!」
二人は幻妖斉にメンチを切るが、もちろん無音のフィールドにいる幻妖斉には聞こえていない。
意気揚々と立っているものの、周囲の状況にはさすがの二人も驚いている様だ。
「おい薫。それにしたって何なんだこれ。うちの担任も大概だが――」
チラリと仗助が視線を向ければ、そこには彼らのクラスの担任教師が跳ね回りながら魔法を使っている。
「周りは超人だらけじゃねぇか」
「しかもこの強風の中でだからな。魔力、だっけか。恐ろしいなメルヘン、いやファンタジーって言うのか?」
周囲は黄金色の光に包まれ、強風が荒れ狂っている。体格の良い二人ですら立っているのがやっとという有様だ。
「……よく康一は生き延びたな」
「ははは」
二人の背後で康一が乾いた笑いを浮かべた。康一とて今の状況には驚きを隠しきれない。
その康一だが、服はボロボロに破れているものの、肌に目立った傷は無かった。魔法使いによる治療と、先程駆けつけて来た仗助のスタンド能力で治癒されている。
三人の背後から伸びた手が康一の頭を掴み、ガシガシと荒々しく頭を撫でる。
「うわっ!」
驚いた康一の横に立っていたのは空条承太郎だった。所々服は破れているものの、偉丈夫な姿はそのままに、目には穏やかさがあった。
「よくやったな康一君」
「じょ、承太郎さん……」
康一から離れ、承太郎は歩を進める。
「仗助、豪徳寺君。ここは頼む」
この場所には康一の他にも動けない負傷者が固まっている。
「は、はい」
「うぃっス。でも承太郎さんはどうするんスか?」
承太郎が帽子のつばを掴み、深くかぶりなおす。白いコートが魔力の激流によってはためいた。
「今、戦友が戦っている」
千雨が立ち上がる姿を、承太郎も見ていた。
「……それに、だ」
初めて麻帆良を訪れた時を思い出した。騒がしい場所だと思ったが、それと共に美しい街だとも思ったのだ。今、その景観は消えていた。悲鳴と怒号が飛び交い、戦火が街を焼いている。
「――ヤツらは俺を怒らせた」
普段から物静かな承太郎が怒りを露にする。義憤が光となり、瞳に力強さを抱かせる。
かつて誰かがいった『黄金の精神』、それはこの同じ黄金色の嵐の中でも、一際強い光となって輝いた。
承太郎の歩みは、強者の歩みだ。
単純な力自慢では無い、内にある人間としての強さ、それが歩き方として出ているのだ。
承太郎の向かう戦場には、ロボット兵器に《梁山泊》兵まで加わろうとしている。
それでもなお、歩みに変わりは無い。
体躯以上に巨大な背中を、康一達はただ見送るばかりだった。
そんな中、薫が視界の片隅に何かを見つけて指差した。
「なぁ、あれ何だ」
薫が示す方向には空を飛ぶ巨大な飛行機があった。ロボット兵器を落とした飛行機とはまた違う、独特なデザインの飛行機。
仗助は訝しげに見るばかりだが、康一には見覚えがあった。
別にあの飛行機自体知っているわけでは無い。あのデザイン、あの先進さを感じさせるフォルムは、自分がかつていた場所を思い出させる。
「……《学園都市》」
不安そうな康一の声。いつの間にか、南の空に幾つもの機影が現れ始めていた。
◆
『おいおい、何だこいつは。聞いていないぞ』
「同感だな」
通信機から聞こえる声に、操縦桿を握った男は頷いた。
編隊のオープンチャンネルを開くと、そこらかしこで罵倒が毒づかれている。
《学園都市》を出発した飛行輸送機の集団は、埼玉県麻帆良市という目と鼻の先な場所へ向けて飛んでいた。
本当なら数分で往復出来そうな退屈なフライトなはずだったが、いざ離陸という時、上空に巨大な幾何学模様が発生したのだ。それは幻でも無く、離陸した後の上空からも見渡す限り満遍なく存在していた。
先月に話題になった都市伝説の様だった。あれも確か《学園都市》上空に描かれた魔方陣、とかいう馬鹿馬鹿しいタイトルだった。どこぞの研究施設で行なわれた、放電現象をコントロールしたアートだと発表されて沈静化したが、この模様もその延長線上なのかもしれない。
だが、問題は上空の幾何学模様ばかりでは無い。
眼下に見渡せるようになった麻帆良は酷い有様であった。
巨大な人型兵器がそこらかしこに倒れており、街はまさしく廃墟といった有様だ。
戦火も未だ収まらず、上空からでも望遠カメラで戦闘の様子がまざまざと確認出来た。
何より皆が驚いたのは麻帆良の中心部にそびえ立つ、黄金の光の柱だった。
巨大な噴水か何かに思えた。
『こちらアルファ・スリー。全機、あの金色の光に近づくな。コントロールを持っていかれるぞ』
通信機から聞こえた声。確かに先程から操縦桿が重い。
金色の光はまるで嵐だ。
《学園都市》謹製の特殊合金パネルの装甲を容赦なく叩いている。
ヘルメットのディスプレイに新たな情報が表示された。視線ポインタで詳しく見ていくと、どうやら降下ポイントが変わるようだ。
「〝お客さん〟には難儀な事だな」
数十機の輸送機のカーゴには〝お客さん〟を乗せていた。
彼らの任務は『麻帆良で起こっている大規模テロの鎮圧』、また『《学園都市》から盗まれた物品の確保』というものらしい。
その盗まれた物とやらは、麻帆良の中心部に立て篭もっているテロの主犯が持っているとの事。
そのため《学園都市》としては、〝お客さん〟こと実用化されたパワードスーツ部隊を二つに分け、片方を中心部に直接降下させ、もう片方を外縁部から補給路を確保しながら鎮圧、侵攻していく予定だったのだ。
この気流の激しさもあり、中心部への降下は中止され、現在は指定された降下ポイントへ向けて動いている。
『全機、降下準備』
アナウンスが入った。ポイントまであと五秒という所だった。
カーゴではパワードスーツを着た兵士達が、身を強張らせているだろう。何度もの試験はしたものの、パワードスーツの実戦投入は今回が初めてだ。予期せぬアクシデントも予想出来る。
「……ん、何だ」
急に男の持つ操縦桿が動かなくなった。金色の光のせいでは無い。慌ててコックピットのタッチパネルで調べるが、ソフトウェア上ではエラーが見つからない。
「ハードエラーか。いや、そんなはずは……」
《学園都市》製のこの飛行機は、幾通りものアクシデントを想定されて作られており、エラーの原因が見つからないというのは、まずありえない。
「ぐ……この、一体何なんだ!」
ガンガン、と操縦桿を殴りつけるがビクともしない。周囲の輸送機では次々と降下作戦が始まり、パワードスーツが地面へ向けて落ちていっている。
『おい、どうなってやがる! ハッチが開かないぞ!』
「黙れ! コントロールが聞かなくなってやがるんだ!」
カーゴからの通信を一喝した。操縦桿だけでは無い、タッチパネルは使えるものの、各種のスイッチ、コパイロット用の操縦桿までが動かなくなっている。
自動操縦用のAIも反応が無い。
「な、何だ!」
急な揺れ。旋回。見れば操縦桿が勝手に動いていた。
「おい、何だこれは」
操縦桿はまるで意志があるかの様に輸送機を動かし、その機首を変えた。
視界に別の輸送機の姿が近づいてくる。このまま行けば――。
「おい……おい、止めろ、止めろォォォーーーー!!」
男が絶叫を上げている時、機体底部に動く人影があった。
「……やけに容易かったな」
機体の装甲にペタリと手足を貼り付けているのは、一ヶ月ほど前、夕映を狙って《学園都市》へ潜入したスタンド使い、リゾット・ネエロだ。
良く見れば、彼の右手右足に違和感を覚えただろう。服の下には《学園都市》で作られた最新型の義手義足が付けられている。麦野沈利との戦いにより重傷を負ったリゾットは、《学園都市》に収容され、その力を研究材料とされていたのだ。
この一ヶ月の記憶は、まさに拷問といって過言でなかった。されどそのお陰で得られるものもあったのだ。
彼の磁力を操るスタンド『メタリカ』は、実験という名の拷問、様々な薬物の投与により異常な程成長をしている。義手義足も彼のスタンド能力で自由自在に動かせる一品だ。その内部にはリゾットを殺すための爆薬や、無力化するための薬品などが入っているが、今の彼の力を考えればまったく意味が無い機構であった。その程度のものを首輪代わりにしている当り、可愛く思えてしょうがない。
「やっと自由になれた。こいつは手土産だ。ありがたく思えよ《学園都市》」
リゾットが『メタリカ』の力を強めた。彼はもうこの輸送機のコントロールを掌握している。このまま真っ直ぐ飛べば、他の輸送機と衝突回避不可能なコースに入るはずだ。
「こんなものか」
タイミングを合わせ、リゾットは輸送機から手を離した。空中に身を投げ出してなお、彼の表情に焦りは無い。
先程までコントロールしていた輸送機が、他の輸送機二機を巻き込み爆炎を上げた。その墜落していく様を見て、リゾットは笑みを浮かべる。
こうしてリゾット・ネエロは《学園都市》を脱出した。
彼の誇りと復讐心が巻き起こす惨劇は、また別の話。
◆
突如現れた飛行機の集団が何かを地上に落とした後、数機かがもつれ合う様に墜落していく姿は佐天涙子にもはっきり見えた。
「嘘、やばいよあれ!」
「ど、どうしましょう!」
「どうしましょうって言われても、……この状況じゃ無理でしょ」
佐倉愛衣の慌てぶりに突っ込みつつ、涙子は眼下の風景を見た。
涙子達はアンドロイド兵と戦っていたものの、途中で《梁山泊》兵が参戦したため、愛衣の箒に乗って上空に退避したのだ。
幸い、アンドロイドと《梁山泊》は潰しあいをしていたし、涙子がいた場所の避難は完了していたはずなので、逃げても問題が無いはずだ。
「それにしたって……これ一体何なのよ」
世界樹から上がる光の柱、上空には崩れた幾何学模様、鬼神兵のほとんどは破壊されていたが、まるでおかわりでもするかの如く、今度はロボット兵器が降下された。
そこに来て今度は輸送機の墜落である。
涙子達のいるのは麻帆良西部、輸送機が落ちるのは恐らく東部あたりなので、追いかけてもまず間に合わない。それに東部はいち早く観光客の避難が為された所のはずだ。愛衣曰く『怪物が戦っている場所』らしく、空から見ても東部の異常さは一目瞭然だった。
森林部だった場所が、ゴルフ場でも作るかの様に更地に変わっており、大地には幾つものクレーター、巨大な氷柱まで見えた。
「わわっ!」
二人の乗る箒が揺れた。慌てて愛衣は魔力を集中し、姿勢制御をしようとする。
麻帆良上空の気流は乱れ、飛んでいるだけでもかなりの集中力を必要とした。
「このまま上にいてもやばいね。とりあえず下に降りようか」
吹きすさぶ魔力流を避けるため、愛衣の操る箒は高度を落としていく。
そうしていくと、世界樹へ向かっていくロボット兵器の姿がしっかりと見え始めた。
「あのロボット何なんでしょう? 味方……でしょうか」
この時点で愛衣達はロボット兵器の所属を知る術は無い。しかし、愛衣に対して涙子は明確な答えを返した。
「いや、あれは敵だよ」
「え、敵ってそんな根拠……」
「うん、間違いない。どうみたって悪者だわ」
五体のロボット兵器達は建物を破壊しながら世界樹へ向かっていく。そのうちの一つ、『ギルバート』は背中のバーニアに火を灯して浮かび上がり、衝撃波を発しながら低空を一気に駆け抜けた。
「うッ!」
「きゃあッ!」
その衝撃波のせいで、涙子達の乗る箒は盛大に煽られた。
「これ、本当にやばいよ!」
今、世界樹で何かが起こっているのは理解できていた、そこで多くの人間が戦っている事も。
残った四体のロボット兵器はどうやら空を飛べないらしい。その足元には共に進んでいく《梁山泊》兵の姿は見えた。
「ほらね、やっぱり悪者だ」
涙子は得意気に言う。あのロボットが《梁山泊》とやらの一派の持ち物ならば、世界樹へ辿り着かせるのは状況を悪化させるだろう。
「行ってくるね、佐倉さんッ! サポートよろしくッ!」
箒から飛び出した涙子は、くるりと体を捻った後、頭上に作っておいた超能力の足場を蹴った。
矢の様な速度で落下する。目標はもちろんロボットの一つ。
「あぁ、もうッ、佐天さんッ! 勝手なんだから!」
愛衣も怒りを露にしながらも、涙子に追随する。
落下の速度をそのままに、涙子はロボットの頭部に飛び蹴りを食らわした。
ガツン、という衝撃音はあるものの、圧倒的な質量差の前にはロボットに変化は無かった。
「痛ッ! さすがに無理あるか」
その反動で近くの建物の屋上に着地した時には、ロボットの反撃の拳が迫っていた。
「うわッ!」
避ける暇すらない。涙子は覚悟を決めてタンクローリー以上の質量の激突を受け止めようとする。
手には《獣の槍》。ざわりと髪をなびかせた後、肉体の強化を一段と強めた。
「ぐぐぐぐぐぅぅーーーーー!!」
しかし、拳を止める事など出きるはずも無く、涙子の体は容易く空中へと放り出された。衝突の瞬間にミンチにならなかっただけ常人離れしていたものの、このままでは何処かに激突してしまう。
「佐天さん!」
愛衣の悲鳴。
涙子は来るべき激突に歯を食いしばったが、体はフワリと誰かに優しく受け止められた。
「えっ?」
受け止めてくれた人物は、黒衣を纏った長身、顔には仮面を付けている。その姿に涙子は見覚えがあった。
呆然とする涙子の周囲を、同じ装いの人影が駆け抜けていく。その数は十六、次々とロボット兵器へ殺到していった。
「相変わらず無鉄砲ですわね、佐天さん。あなたはもう少し思慮深さを持つべきですわ」
フワリと横に舞い降りたのは、愛衣の姉弟子にして、同じ《学園都市》への留学生に選ばれた高音・D・グッドマンだった。
普段は金糸の様な髪は埃で汚れ、肌も所々に傷がある。
それでもなお、彼女の気高さは失われていなかった。亡き師への思いを心に宿しながら、彼女はこの戦場を駆け回っていたのだ。
涙子を受け止めたのは高音が操る『使い魔』であった。彼女は総勢十七の影の使い魔を操る、特異な魔法使いなのだ。
「行きなさいッ!」
高音の指令と共に、涙子の傍に残っていた使い魔が、ロボット兵器へ向けて走っていく。
涙子達が立つ建物の屋根部分へと、愛衣も降り立った。
「お姉さま無事だったんですね!」
愛衣の言葉を聞きながらも、高音は真剣な表情を崩さない。
「愛衣、佐天さん。これからこの場を死守します。学園長の連絡によれば、世界樹が暴走し破壊作業を行なっているとの事です。妨害する可能性の高いあれらロボット兵器は、ここで足止めをします」
「いや、それは良いんですけど。もうロボットの一台はおっきい木の方へ飛んで行っちゃってるみたいですけど」
先程ロボット兵器の一台『ギルバート』は飛行能力を使い、世界樹へと辿り着いてしまっている。
「あ、あれは仕方ないでしょ。あんなの止められるわけありませんもの! 幸い、残りの四台は飛行能力が無いようなので、こちらで対処します。よろしいですわね」
二人が頷いた時、ロボット兵器はもう百メートル程先まで近づいていた。
涙子は槍を構え、愛衣は箒に魔力を込めた。
「いきますわよッ!」
「了解ッ!」
「は、はい!」
高音の言葉を合図に、二人は動き出す。
涙子は建物の屋根から屋根へと飛び、高速で走っていく。手に持つ《獣の槍》を煌めかせながら、ロボット兵器の一台へと肉薄した。
狙うは装甲が薄い関節、駆動部位。
ロボットの頭部が光り、熱線が放たれる。涙子を追尾して撃たれつづけるそれを、涙子は紙一重でかわして行く。
放たれたミサイルは愛衣の魔法が迎撃してくれた。他のロボットの攻撃は高音の使い魔が牽制する。
「ここまでお膳立てされたなら――」
ペロリと乾いた唇を一舐め。
前傾姿勢のまま建物の屋根から飛び降り、ロボットの周囲の細い路地を滑る様に駆けた。
ロボット兵器の足元。
超能力を足場にしながら、その膝に向けて一直線に飛びかかる。
「決めなきゃ女がすたるでしょッ!」
《槍》に渾身の力を込めた。
突き刺すは装甲の隙間。人型をしてるが故の最大の弱点、巨大な質量を支える脚部に狙いを定めたのだ。
「どぉうりゃぁあッ!」
覇気。突き刺した穂先を今度は横薙ぎに振るう。関節部位を完全には断ち切れなかったものの、それで充分だ。
ロボット兵器はバランスを乱し、建物を壊しながら倒れた。
涙子はその場を離れながら周囲を確認する。
一台の足止めは完了したものの、その一台とて移動できないだけで兵装は生きていた。まだ完全な状態のロボットは三台。
対してこちらは涙子を含めて三人。明らかに無理のある戦力比だった。
その時、ロボット兵器の一つが変形した。体をスパイクの生えた球体にし、グルグルと素早く回転し始める。
「いいッ!」
そのまま回転の勢いを使い、こちらへ向けて高速の突進をしてくる。
撒き上がる粉塵、轟音。
相手と涙子の質量比を考えれば、今度こそ触れた瞬間にミンチになるだろう。
回避しようと涙子が足に力を込めた時、その球体へ襲い掛かった人影がいた。
「シャァーーーーーーッ!」
獰猛な獣を思わせる叫び声。衝撃波を纏いながら生身でロボット兵器にぶつかった人物は、『衝撃のアルベルト』だった。
その小さな体が、巨体の突進を止めてしまう。
「はぁぁぁ?」
さすがの涙子も驚きを露にした。学校の校舎程の巨体を、ひと一人が押し返してしまったのだ。
同じ時、違う方向からは爆発音が聞こえた。
高音が牽制していたロボット、その装甲に魔法が爆ぜる。見れば南から飛んでくる援軍の姿があった。
「先生方!」
明石教授と葛葉刀子の二人だった。
両者とも満身創痍の装いながら、はっきりとした戦意を持っている。
「グッドマン君と佐倉君か。君達は援護を頼む。我々が前衛を勤める、出来て足止めだ、欲張らないでくれ!」
そう教授が言いながら、二人はロボット兵器の方へと向かっていく。
二人の視界に、ロボットと生身で殴りあうアルベルトの姿が映った。
「あれは……」
「そうですね。おそらく先程の人物なのでしょう」
モノクルを付けた中年に目を向ける。
教授達が先程まで死守していた戦線で、鬼神兵を一撃で殴り倒した人間がいた。
あまりの高速にしっかりと視認出来なかったのだが、戦うアルベルトの姿を見て同一人物だと確信した。
「これは引けませんね」
「同感です。行きますよ!」
紫電を纏った刀を掲げて刀子は突撃する。刀の細かい刃こぼれが激闘の余波をうかがわせた。
そこに槍を構えた涙子も並走する。視線でお互いを確認し、こくりと頷く。
その姿は何もかもを打ち砕く砲弾に似ていた。
二人は迫り来る光線、レーザー兵器すら切り裂いていく。
豪放な二人の女傑の姿に、教授はやや辟易とした苦笑いを浮かべる。
「……女性は恐いですね」
元気なのはいいが、娘にはもう少しおしとやかさを持って欲しい、そんな事を考えながらも明石教授は二人の援護のための魔法を構築していった。
◆
魔力の激流、その根元で支え立つ千雨とアキラの目前に、巨大な人型の影が映りこんだ。
「行け、ギルバート!」
中条の声。
低空を飛んできたギルバートは、その速度を突進力に変え、魔力の嵐を突き進んできたのだ。
「うわッ!」
二十メートルを越える巨体が世界樹の幹に掴みかかかろうとするが、大きければ体に受ける魔力の量も増え、あと数メートルが近づけないでいる。
「ゴオオオオオオオ!!」
ギルバートの咆哮。バーニアの出力を上げてなお、幹には触れられなかった。
埒が明かないとばかりにギルバートは胸部を突き出す。その意図を千雨は正確に察知する。
「正気かよッ!」
胸部の放射板が輝き、赤い稲妻を思わせる溶解光線が放たれた。光線はやはり魔力の流れに勝てず、周囲に散らばった。
無秩序な破壊、光線は千雨達をも襲うが、間一髪でウフコックの反転(ターン)したシールドが間に合う。
その陰に隠れながら千雨はギルバート、強いては国際警察機構に対する苛立ちを露にした。
「クソッ! ……やるぞ、アキラ、ウフコック!」
左手にはアキラ、胸元にはウフコックがいる。異能と超科学、その二つの力を千雨が繋いだ。
電子干渉(スナーク)。紫電が走る。
「あッ!」
「くッ!」
ピクリとアキラとウフコックが反応した。
上空に残った力の残照を束ねて、一つの力の形にしていく。
「お前ら……いい加減にしろぉッ!」
シールドの陰から飛び出し、手首から先が消失した右手を振りかぶった。千雨の肩口から飛び上がったウフコックがクルリと体を捻れば、存在しないはずの右の拳が構築されていく。
巨大なシルエット。拳の軌跡に合わせ、千雨の背後から轟音を上げながら膨大な質量をもった塊が飛び出していく。
列車の如く加速したそれはまさしく『拳』だった。金属の継ぎはぎで出来た『拳』。
アキラの『スタンド』を核にし、ウフコックの無尽蔵の資材により形作られた『拳』は、ギルバートの体を遠く、数百メートル先まで吹き飛ばす。
世界樹の嵐の中、『拳』の姿はあっという間に変わっていった。『腕』が、『肩』が、『胴体』が、『脚』が、『頭部』が、そして五本の『尾』が形成されていく。
『オォォーーーーン!!』
巨大化した『フォクシー・レディ』が遠吠え染みた声を上げた。
全長二十メートル程の姿。鬼神兵の半分、ロボット兵器より一回り小さい体だ。
そのサイズは今の千雨達の限界だった。
目の前の世界樹を破壊する、そのイメージで形作られた姿は、奇しくも鬼神兵をモデルにしていた。
それでもこのサイズとなれば、ウフコックが作れるのはせいぜいハリボテであった。
そのためのアキラのスタンドが必要だった。ウフコックが作り出したのは云わば『鎧』、スタンドが身につける巨大な『鎧』だった。
そして、スタンドが『鎧』を身に纏うという矛盾を、千雨が上空の機構で調整している。
構築されたばかりの巨大化した『フォクシー・レディ』は、ギルバートの二の足を踏まない様に、四本の尾を地面に突き刺して体を固定した。
スタンド能力の制限として、現在千雨に『スタンド・ウィルス』を感染させているので、五本の内一本は硬化して動かないままだ。されど、四本の固定でどうにか『フォクシー・レディ』は飛ばされる事を免れた。
「ぐぅぅぅぅ! 頼むアキラッ!」
「うん、『フォクシー・レディ』、進んでッ!」
千雨とアキラは『フォクシー・レディ』の足を盾にして、魔力の激流を防いでいる。
アキラは自らのスタンドに指示を出す。
『オーライ、アキラ!』
巨大化したためか、スタンドから嫌に低くなった声で返された。
西洋鎧を模しつつも、狐の印象を残す頭部に瞳の明りが灯った。
『フォクシー・レディ』は四本の尾と二本の足を交互に使い、一歩一歩を確実に進んでいく。一歩進むたびに魔力の激流はより強まっていった。
装甲がひしゃげ、割れ、剥がれていく。『鎧』に反転(ターン)しているウフコックはその度にそれらを補修していく。
千雨もウフコックの負担を軽くせんと、『ループ・プロセッサ』の一部を装甲の表面に転写し、魔力の分解を微少ながら行なっていた。
視界が金色に染まっていく。
風は酸素すら奪い、呼吸すらままならない。繋いだ手を強く握り、二人はお互いの存在を確かめた。
暴風雨にありながら、霧中を進むような心地。
不安があり恐怖がある。それでも、それを払拭する様に鮮やかな色彩が心を巡っていた。
千雨にとってモノクロだった『世界』に、色を与えてくれたのは紛れも無くアキラだ。
一歩一歩を共に支え合い歩いていく。
やがて千雨達は世界樹の幹にまで辿り着いた。
「ウフコック、やるぞ!」
「『フォクシー・レディ』お願いッ!」
二人の掛け声に合わせ、『フォクシー・レディ』の巨大な両手が世界樹の幹に突き刺さる。
「いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
メキメキと幹が割れた。硬く閉じた門をこじ開けるかのように、『フォクシー・レディ』は世界樹を引き裂いていく。
しかし――。
「うわッ!!!」
ゴウ、っと更に魔力の激流が強まった。
フワリと千雨の体が浮き上がり、そのまま飛ばされそうになる。
「千雨ちゃんッ!」
アキラは千雨を掴んでいる右手を引っ張った。幸い、アキラのもう片方の手は『フォクシー・レディ』の脚部に作られた取っ手を握っている。
宙に煽られている千雨を、アキラが必死に引き戻そうとした時、奇妙な声が聞こえた。
「■■■■■■■ィィィーーーー!!」
可聴域にギリギリ収まる甲高い奇声。音の方向を見た千雨達は驚愕した。
世界樹の割れた幹の先には、吸い込まれたはずの《矢》が浮かんでいた。魔力の激流が強くなったのは、おそらく《矢》のせいだろう。
そしてその《矢》から巨大なヴィジョンが浮かび上がっていた。
広く繁った枝葉を抱き寄せるために、細く長くしたかの様な腕。女性を思わせる優美な曲線を持つ上半身。瞳はあるものの鼻も口も存在しない無機質な頭部。下半身は存在しない。
《矢》の中から半身を覗かせる様に現れたのは、世界樹の『スタンド』。
「――『ビューティフル・ドリーマー』」
かつて吉良が口にした名前を千雨は思い出した。
それは『ビューティフル・ドリーマー』の顕現だった。
◆
同時刻、まるでタイミングを見計らったかの様に、世界樹広場へ上る青年の姿があった。
漆黒の思いを宿した青い瞳。流れるような金髪。
《パッショーネ・ファミリー》のボス、ジョルノ・ジョバァーナだった。
今、世界樹は《矢》の力により、天地を喰らうかの如き暴走をしていた。それは《矢》の確かな価値を示すものでもある。
ジョルノの手には、対となる様にもう一つの《矢》が握られていた。
吹き荒れる嵐、その中で魔法使いが、《梁山泊》が、スタンド使いが戦っている。
目前に戦場が迫りながらも、ジョルノの足取りに不安は無い。
自らが構築できる『世界』、それは絶対なる力だった。
手の平の《矢》が体に飲み込まれ、ジョルノの背後に浮かび上がった『スタンド』が割れていく。
光を飛び散り、生まれたのは『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』。
因果律すら歪め、ジョルノへの攻撃を全て無効化する能力は、比肩すら出来ない力だ。
この力がある限り、ジョルノは目前の戦場に入ってもおそらく傷一つつかないだろう。
それだけでは無い、あの魔力嵐さえ彼を避け、もう一つの『矢』にまで辿り着けるはずだ。
靴音を響かせながら歩くジョルノの前に、立ちふさがる人間がいた。
「おっと、ここは通行止めネ。部外者は通れない事になってるヨ」
ジョルノにイタリア語で話しかけたのは超鈴音だった。
服や肌は汚れ、時折痛むのか脇腹を押さえている。それでも彼女はいつも通りの飄々とした笑みを浮かべていた。
「君は……」
ジョルノはどこか見覚えのある少女に眉をしかめた。
「私は超鈴音ネ。はじめまして、《パッショーネ・ファミリー》の若きボス、ジョルノ・ジョバーナさん」
言外の意味を込めつつ、超は自己紹介をした。
「へぇ。あの時の女性ですか。すいません、東洋人の顔立ちはどうにも覚えにくくてね」
思えば半時間程前に、麻帆良全域にスピーチをした少女だった。
「ジョルノさん、これは警告ネ。あなたはここへ来ないほうがいい。あなたは部外者ヨ。大人しく踵を返して帰る事を強く勧めるネ」
超の言葉に、ジョルノは首を振る。
「それは無理だ。僕には夢がある。そのためにもあの《矢》の存在は放置出来ない」
超には超の、ジョルノにはジョルノの、背負うべき思い、信念があった。決して譲り合いなど不可能な決意、故に二人は衝突せざるを得なかった。
「こちらこそ忠告しよう、超鈴音。君はそこを退くべきだ。知らないだろうが、僕のスタンド能力は誰にも防ぐことが出来ない」
「――知ってるよ。あなたのスタンドがどれほど異質で、どれほど脅威かを」
ジョルノの声を遮り、超は淡々と話し始めた。まるで独白をするかの様に。
ジョルノは少し感心していた。能力は知られたが、彼の力はその程度で揺らぐ事など無い。
「あなたの力は発動している限り、打つ手が見つかりそうにないネ。本当にその能力の法則が維持され続けるなら、この場……いやこの麻帆良であなたを傷つけられる存在はいなくなる。必然、あなたを止めれる者も存在しないヨ」
超はふーっ、と長く息を吐き、遠くを見回した。
麻帆良の街並みは崩れ、初夏の濃い緑は失われていた。
形も、色も無くなっている。まるでこの都市で過ごした二年間が失われるように。
騒がしい日々。いま振り返れば、毎日がお祭だった様に思える。
特にこの二ヶ月、千雨が来てからは退屈などしなかった。
大学の研究棟の学生、超包子の常連、クラスメイトの面々が思い浮かぶ。
クスリと笑いが込み上げた。
(あぁ、私はこんなにも楽しかったのカ)
超は再びジョルノを見据える。
「さっき、一度はあなたの存在を利用する事も考えたネ。この世界樹の暴走を止めるために、危険な存在ながらあなたに託そうかとも思ったヨ。けれど――」
目を瞑れば、振り向かずとも背後で彼女達が戦っているのが分かった。
「必要が無くなったネ。むしろあなたの危険性が増したヨ」
超が危惧したのは、ジョルノがあの世界樹の暴走を御した場合だ。スタンドや世界樹といった人知を越えた存在は、超の予測を容易く超える。そんな存在を、目の前のジョルノが御した時の危険性は大きい。
超が喋っている間も、ジョルノの歩みは止まっていない。彼は確実に世界樹との距離を縮めていた。
「それで君はどうする気だい。君は僕に危害を加えられない、歩みすら止めれない。御託は家に帰ってしておくれ、バンビーナ」
超はポケットからそっと時計を取り出す。
ヒビの入った懐中時計、航時機《カシオペア》だった。
「これは賭けネ。あなたの『スタンド』と私の意志。どちらが勝つか、私はそれに賭けるヨ」
「一体、何を――」
言っているんだ、という言葉をジョルノは飲み込む。目前の超が消え、背中にフワリと包み込む様な感触が現れた。
《カシオペア》を使った擬似的な瞬間移動。
敵意を一切出さず、超はジョルノの背に抱きついた。母が子をあやす様に、優しく、そっと。
「君はどう――」
再びジョルノの言葉を遮られる。悪意無き抱擁は『ゴールド・E・レクイエム』の壁を打ち抜いた。
超は手に持つ《カシオペア》のスイッチを押した。
莫大な魔力を吸い取った航時機は一気にうねりを創る。損傷のためコントロールは効かない。未来への一方的な片道切符だ。
「ジョルノさん、〝何時〟へ落ちたい?」
気休めの問いかけ。ジョルノは驚愕を露にした時、うねりが二人を覆った。
(再見、みんな!)
再会を心に思い描きながら、超は時を越えていく。
この日を境に、超鈴音とジョルノ・ジョバーナの足取りは忽然と消えた。
◆
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らしながら地面に胡座をかき、頬杖を付く。
図書館島と麻帆良を繋ぐ橋は崩壊し、その袂に銭形幸一の姿はあった。
愛用のトレンチコートは破れ、帽子もボロクズの様になっている。
それでも四肢に異常が無いのは、銭形の頑丈さ故だろう。
彼の背後にはロープや手錠で幾重にも拘束され、気を失っている九大天王の六人が山積みに置かれていた。
この場で行なわれた銭形・ルパン・アルベルトと九大天王による戦いは熾烈を極めた。
お互いの力が拮抗したため、数で勝る九大天王が優位に戦いを進めていたものの、銭形達は経験による巧みさで捌いていったのだ。
しかし、事態の急転を察した中条は、この場に九大天王のうち戦闘可能な四人を残し、自らは二人を引き連れて世界樹へ向かったのだ。
それが均衡を崩した。
銭形達は若い九大天王に隙を与えず、あっという間に倒してしまった。
その後、ただ放置しておいても危険なため、銭形は元々倒されていた二人を含め、合計六人の九大天王を拘束し、そこらに転がして置いたのだ。
事態が決したと見るや、アルベルトは高笑いを浮かべて走っていった。
銭形が不機嫌な理由はそれでは無い。
左腕を上げると、ジャラリと空の手錠が揺れた。
ルパンを拘束するために作った特殊電子手錠だったが、戦いの真っ只中の間に、どうやらルパンは開錠キーを作り上げたらしい。
気付いたら逃げられていた、それが銭形の不機嫌の理由だ。
追いかけたくとも、後ろに山積みになった輩を押さえられるのは自分しかいない。生真面目な彼の気質が、この場を離れる事を許さなかった。
「くそー、ルパンめ! まんまと逃げおって!」
器用に胡座をかきながら、地団駄を踏む。
彼が逃げた方向は知っている。銭形は空を見上げた。
「見ておれルパン! 貴様はワシが絶対捕まえてやるッ!」
視線の先には、上空を周回する国際警察機構の輸送機の姿があった。
◆
呉学人。
国際警察機構に所属するエキスパートである彼は、中条などから尊敬を込めて『呉先生』などと呼ばれる知識人だ。
今回、彼はこの『麻帆良制圧作戦』で管制を勤め、上空から各所へ指示を出している。
また彼の乗る輸送機には、危急のためにロボット兵器までが搭載されていた。
遠隔操作で動くロボットのコントロールには強固なセキュリティを施してあるが、《学園都市》や麻帆良を相手では不安が残るため、緊急時、もしくは巨大な施設の接収のみの運用が想定されていた。
このロボットの運用管理も彼の仕事だ。
現在麻帆良に投下された五体のロボット兵器の制御も、彼を含めた国際警察機構北京支部のチームが行なっていた。
「……マズイですね。バッカスが脚部破損。サターンも損傷部位が増えています。なんとか継戦出来てますが、……このままじゃ世界樹への処理が行なえない」
次々と映し出されるロボット兵器の状態に、呉は悔しげに顔を歪める。
世界樹に辿り着いた『ギルバート』も、その力を発揮できずに撃退されてしまった。今はこちらの制御で、どうにか継戦出来るように調整している真っ最中だ。
呉の手の平がタッチパネル式のキーボードを叩いていく。浮かび上がる幾つものウィンドウを並行して処理していく様は、彼の知能の高さを窺わせた。
この戦いは佳境を迎えようとしていた。暴走する世界樹を止められるのは、国際警察機構であり、我らが九大天王だと彼は信じている。
時に暴論を持って為される彼らの行動は、彼らなりの正義なのだ。呉もまた自らの正義を信じている。
「おぉっと、こいつは意外に警備がザルだなぁ。駄目だぜ、天下の国際警察機構がこーんな時代遅れのシステム使ってちゃ」
聞き覚えの無い声が呉の耳朶を打つ。慌てて振り向くと、そこには緑色のジャケットを着た男が立っていた。
「き、君はルパン! どうやってここに……、君は確か九大天王と交戦中だったのでは」
「んん、あいつらだったらとっつあんがノシちまったよ。いやー、あの年であんだけ暴れまわるんだから、困ったジジイになったもんだわ」
ルパンが苦笑いを浮かべて首を振る。呉がパネルに手を触れれば、拘束された九大天王の姿がモニターに映った。
「そ、そんな……」
「荒事はとっつあんにまかせておくわ。俺様は俺様の仕事をさせてもらおうかなーっとね」
その言葉を切っ掛けにし、呉は巨大な扇子を取り出し身構えた。彼もまた国際警察の一員、戦いの心得は知っていた。
「何が目的です」
「そいつはあれだ、下で暴れてるデカブツを止めるのさ。制御システムをごっそり頂いて停止させるって寸法さ」
馬鹿馬鹿しいくらいに正直に語り出すルパンに、呉はより警戒した。
「させると思いますか?」
「いやいや、させるも何もさ――もう〝終わっている〟だろ」
ルパンの手にわざとらしい作りのスイッチが握られていた。
「ポチっとな」
ボタンを押し込んだ途端、周囲にあったモニターに警告表示が出るが、その甲斐も無くシステムはルパンの姿を模したデフォルメアイコンに制圧されていく。
「なッ……、幾ら《学園都市》には劣るとは言え、国際警察機構で使われているシステムを、こんな短時間で……」
「呉先生とやら。あんた目の前にいる俺が誰だか知っているんだろ」
ニヤリと笑みを作った。
「伊達や酔狂で『大怪盗』名乗ってるんじゃないんだぜ。そんじゃま、お疲れさーん」
ルパンがモニターに触れると、溶けるように姿が消えた。彼はまた電子の世界に戻ったようだ。
輸送機内にけたたましいアラームが鳴り続けている。
応答すらしなくなったシステムコンソールを前に、呉はただ呆然と立ち尽くしていた。
◆
顕現した『ビューティフル・ドリーマー』は、麻帆良全土へ響き渡る甲高い声を上げた。
頭部に口は存在しないものの、おそらく精神のヴィジョンであるスタンドには関係が無いのだろう。
『ビューティフル・ドリーマー』は巨大な体を折り曲げて、『フォクシー・レディ』の鼻先に顔を突きつける。野生の動物が匂いを嗅ぐ様な仕草だ。
そして――。
「――ぐッ!」
アキラが呻き声を上げた。
『ビューティフル・ドリーマー』は長すぎる両腕を窮屈そうにくの字に曲げ、『フォクシー・レディ』の腕を掴んだのだ。強靭な握力が装甲の表面をギチギチと握りつぶしていく。
『スタンド』のダメージは本体たるアキラにも影響を与えた。
涙を浮かべながら、アキラは痛みに耐えた。
「アキラ!」
千雨も声を荒げる。アキラの右手は吹き飛ばされそうな千雨を掴み、もう左手はスタンド表面の取っ手を掴んでいる。
そんな状況も重なり、アキラの体は悲鳴を上げている。
「ウフコック、どうにか出来ないのか!」
『無理だ! 手が足りんッ!』
ウフコックは巨大な『鎧』の維持で限界であった。膨大なリソースを装甲の修復に割り当てていた。
その時、『フォクシー・レディ』の右腕が限界を迎えた。バキリという音ともに、『ビューティフル・ドリーマー』に折られてしまう。
「うあああァァーーーーー!!」
アキラが悲鳴を上げた。
千雨を掴む腕が歪に曲がっている。
「アキラ、離せ! その腕じゃ限界だ」
その姿は見ていられなかった。折れた部位はすぐに腫れあがり、それを千雨を掴む事で悪化させている。
痛みで目尻に浮かんだ涙も、強い風に煽られ中空に舞った。
下唇を噛み、必死に堪えるアキラに千雨は声をかけ続ける。
「アキラ、わたしを離せ! わたしならどうにかなる! だから!」
「――だ」
アキラの呟き。
「え?」
「嫌だッ! 絶対に離さないッ!」
涙を浮かべつつも、怒りを露にしてアキラは叫ぶ。
「『フォクシー・レディ』ィィィッッ!!」
ギラリと『フォクシー・レディ』の瞳が光った。
掴まれた腕はそのままに、目先に浮かぶ『ビューティフル・ドリーマー』の頭部に頭突きを喰らわせる。
大質量同士のぶつかり合い。『フォクシー・レディ』の頭部はへこみ、アキラは額から血を流した。
「――まだァッ!」
更にもう一発。
『ビューティフル・ドリーマー』の体が揺らぎ、魔力の激流も少しだけ弱まった。
アキラはその機を逃さない。
「こんのぉぉぉぉ!!」
痛みを押し殺し、千雨の体を一気に引き寄せた。折れた腕から奇妙な音がしたが、それすらも無視をする。
千雨はアキラの体に抱きつく形で、スタンドの脚部に体を固定した。
「アキラ……」
不安そうな千雨に、アキラは青い顔で返す。
「千雨ちゃん。今だけは、今だけはこの手を離さないで。お願い」
それはアキラの懇願だった。
例え戦いの中にあろうとも、アキラはこの時間の意味をしっかり理解していた。
「……うん」
だからこそ、千雨も答えた。
千雨は振り向き、激流の根源を見つめる。
『ビューティフル・ドリーマー』の体は再び安定し、魔力の勢いも戻ってきた。
《矢》が強く輝いている。
全てはあの《矢》だった。世界樹の割れた幹の中央に輝くそれこそが、全ての元凶だ。
「あの《矢》さえ――」
ほんの数十メートル先に浮かぶ《矢》は、魔力の激流に覆われ、『ビューティフル・ドリーマー』の陰にも隠れていた。
千雨は装甲に触れ、ウフコックのリソースの一部を借りて装甲にスパイクを創り出す。
知覚領域のおかげで《矢》の正確な位置は分かっていた。それでも――。
「くそ、何なんだ、この魔力ってのは!」
流れ出る膨大な魔力が千雨の射撃計算を乱した。辛うじて知覚は出来るものの、千雨にとって未だ魔法や魔力は理解しがたい存在なのだ。
何とか照準を合わせてスパイクを射出したが、それらは全て明後日の方向に反れて消えた。
「ぐ……どうする、ここまで来て!」
『フォクシー・レディ』の体は『ビューティフル・ドリーマー』に押さえつけられ、常に魔力の激流を体に喰らっていた。
千雨達とて動けば魔力の激流に飛ばされる。
このままこの場にいても、持って数分で『フォクシー・レディ』の維持は限界を向かえ、瓦解するだろう。
世界は黄金色に染まっていた。
原初の光が周囲を覆いつくし、創生の安らぎがやって来ようとしている。
「あの《矢》さえ――」
浮かんでいるのはみすぼらしい《矢》なのだ。触れれば容易く壊れてしまいそうなそれに、千雨達は触れる事すら叶わない。
「あの《矢》さえ、壊せれば!!」
――《矢》を壊せばいいんデスね。
声が聴こえた。
声、千雨が心通わせ、大切に思っているもう一人の少女、その声が。
視線を背後に向ければ、多くの人間が戦う向こう――世界樹広場の入り口に小柄な少女の姿があった。
「夕映ッ!」
着ていたメイド服は無残な有様だが、立ち姿に不安は無い。
遠くにありながらもしっかりと千雨の方向を見つめ、拳を突き出してコクンと頷く。
「まかせてください、千雨さん」
綾瀬夕映の意志は、静かな、そして力強い言葉で現された。
最後の欠片が揃おうとしていた。
◆
夕映の目前には血と肉と異能が飛び交う戦場が広がっていた。だが、彼女の目的地は戦場の更に向こうだ。
夕映の脚力を持ってすれば、ほんの十数秒で辿り着ける距離だが、どうにも遠く感じた。
荒れ狂う魔力風が彼女の肌を叩く。気を抜けば体ごと持っていかれそうだが、彼女の目的地では更に強い風が吹いているのだ、この程度でねを上げる分けにはいかない。
心臓は強く鼓動を打っていた。
死を強く感じる。肌を刺すのは何も魔力だけでは無い、戦場という空気が夕映の体を切り裂いていく。
ほんの二ヶ月前には、この場に立つ事など想像出来なかっただろう。
(甘えてばかりはいたくない)
されど、体に燻る思いは周囲の魔力よりも強く荒れ狂っていた。
今のこの時間、この意味を――自分の為すべき事をしっかりと確かめる。
夕映の心は千雨で占められていた。その歪な精神は千雨という拠り所を持って、初めて再び立ち上がる事が出来たのだ。
それでも、のどかが、ハルナが、木乃香が、クラスメイトが、アキラが、トリエラが、そしてジョゼがいた。
トリエラを含め、沢山の姉の顔が過ぎる。《学園都市》での刹那の邂逅、あの一時で夕映は受け継いだのだ。彼女達の生き様、彼女達の思いを。
夕映の人とは異なる体は、多くの繋がりで出来上がっていた。
(誰かのために生きられるなら――)
それは何て幸せな事なのだろうと思う。
誰かのために生きられるなら、きっと強くなれると思った。なぜなら誰かのために生きるためにはその人に触れなくてはならない、触れるためには手を伸ばさなくてはならない。自分のためだけに生きるよりずっと大変で――ずっと暖かいはずだ。
そして夕映は誰かに愛されて生きてきたのだ。彼女の背中を、肩を、足を、祖父や沢山の姉妹が後押ししてくれていた。その中には『あの男』もいた。本人の意志はどうあれ、彼の技術が夕映を生き延びさせてきたのだから。
「――あちゃくら、準備はいいデスか」
「はいです! マスターの視覚情報の調整完了です!」
強すぎる魔力により、それを視認する特殊眼球の機能が視界を塞いでいたのだ。
今、アサクラの働きで夕映の視界がクリアに開けた。
「――ふッ!」
呼気一つ。
抑えられないとばかりに、夕映の体が飛び出した。義体の人工筋肉が限界まで力を振り絞る。
夕映が進むのは戦場の真っ只中だ。
片側からは魔法使いが魔法を放ち、もう片側からが《梁山泊》兵が矢や槍を振るっている。
そこを全速力で駆け抜けようとしていた。
「マ、マスター、幾らなんでも無茶です!」
「分かってるでしょう、もう時間がありません!」
千雨やウフコックと通信ラインを持つ夕映達は、現状をしっかりと把握していた。
世界樹の力の放出は最終段階に進もうとしている。
力の大きさ故だろう、世界樹の『スタンド』は誰にでも見える形で顕現している。見上げるばかりの巨体が、広場を覆いつくさんとしていた。
「最短距離を突き進みますッ!」
夕映の戦いが始まった。迫り来る魔法や矢を紙一重でかわしながら戦場を走っていく。
「マスター、左方から矢が三つ! このままだと直撃しますッ!」
「――ッ!」
アサクラのサポートで、眼球にも情報が表示される。
体を捻り、跳躍。両手に持つナイフを煌めかせ、矢を落とす。
そんな夕映の動きを、魔法使いに指示を出していた近右衛門が気付く。
「皆の者ッ! 道を作れいッ!」
それを戦場に立つ人間がどう捉えたのかは分からない。
それでも、近右衛門の指示により、夕映の目前にはか細い道が戦場を貫くように出来ていた。
(あぁ……)
それもまた繋がりの形だった。
人の体が壁を作り、頭上を光が飛び交っている。そんなアーチ下をを夕映は単身駆け抜けていく。
金色の嵐の奥に、千雨の姿がはっきりと見えている。
一歩、一歩と夕映が近づいて行く時、突如視界の右方に異常が起きた。
地響き、轟音。
その男の着地は、それだけで魔力の激流を一瞬かき消してしまう。
服は破れながらも、その下に見える肌には傷一つ無い。強靭な肉体、背中の筋肉は盛り上がり、まるで鬼の形相だ。
「どうやら、祭りには間に合ったようだな」
ニヤリと笑みを浮かべた。
範馬勇次郎は禍々しい形相を世界樹、その『スタンド』に向ける。
「クハハハハハハハ!!」
獣の様な荒々しい気が周囲に巨大なうねりを作り出す。人間の中でも随一の気の使い手たる中条すらたじろぐ量だった。
跳躍。勇次郎が世界樹へ向けて百メートル以上の距離を、脚力のみで飛ぼうとしていた。
低空を砲弾の様な軌道で進む。
例え勇次郎とて、生身の肉体である限り魔力の激流を浴びざるを得ない。ましてや空中となれば押し返されるのは目に見えていた。しかし――。
「クハハハハハハハ!!」
歓喜を漏らしながら、空中で振るい続ける拳の一撃一撃が、魔力の激流を切り裂いていく。
「ば……馬鹿な」
誰かの声。
勇次郎の行いは、氾濫した河川を拳一つで叩き割りながら歩くにも似ている。
激流から身を守るのでは無く、激流を食い破ろうとする選択。それは彼の気質そのものを現していた。絶対的な自信の表れ。勇次郎は自らが負ける事を想像しない、例え相手が自然現象だとうと、神の遺物だろうと、だ。
勇次郎が進路上には千雨達――『フォクシー・レディ』の姿があったが、彼はその姿を一顧だにすらしなかった。強大な力を持つ『ビューティフル・ドリーマー』を前に、千雨達は周囲を飛び回る〝蚊〟に等しい。
その〝蚊〟を追い払うために拳を軽く握る。
凝縮された気は勇次郎にとっては何気ないものだが、千雨達からすれば無比の一撃だ。
その突進は止められるはずが無かった。魔力の激流に逆らい、勇次郎に追いすがれるはず無い――そのはずだった。
刹那の時、勇次郎のあご先に『スタンド』の拳がめりこんだ。
「オラァァ!!」
「……ぬ、ぐッ……!」
強烈な破裂音。
承太郎が勇次郎の目前に突如現れた。
『スター・プラチナ』の連続使用、時を止めた状態では魔力の激流も関係ない。
承太郎が現在止められる時間は五秒程、一呼吸を置いて再び使用されたほんの十秒余のアドバンテージを使い、承太郎は勇次郎に襲撃をかけたのだ。
「チィッ!」
勇次郎の体が宙を浮いていた事もあり押し返せたものの、承太郎の拳はあご先へのたった一撃で砕けていた。
慣れぬ連続使用で疲労が一気に体を襲い、更には吹き荒れる魔力も重なり、承太郎は膝を付きそうになる。
「やれやれだぜ……」
宙を浮いていたために、拳打の一撃で後ずさったはずの勇次郎が、すぐ目前にまで近づいていた。
瞬動に似ていたが技ですらない、勇次郎にとってはただ地を駆けたに過ぎなかった。
「どうやら寝ている暇も無さそうだ」
「やるな若造、楽しくて楽しくてしょうがないぜ」
承太郎はすぐさま『スター・プラチナ』を発動させるが、能力の持つ五秒というアドバンテージすら勇次郎にとっては焼け石に水だろう。
承太郎が持ち応えられる一連の攻防はほんの数秒でしかない。
だが、そのほんの数秒が夕映の力になる。
承太郎の横を駆け抜ける時、ほんのわずかだけ目線が交差した。
(ありがとうございますッ!)
心の中で礼を言う。全ては後回しだ。
「ギルバートッ!!!」
中条の叫び声。
先程吹き飛ばされたはずのロボット兵器『ギルバート』が、再び背中に噴射光を輝かせながら、世界樹へ向けて突撃していた。
だが、それは奇しくもルパンにコントロール制御を奪われた時間と重なっていた。上空の輸送機から放たれた停止信号が届き、ギルバートは内燃機関を停止させる。
「何ッ!」
指示を出していた中条が驚きを露にする。
空中で突如動きを止めたギルバートの巨体は、そのまま魔力の激流を受け、地面を破壊しながらゴロゴロと猛烈な勢いで転がってくる。
そして、その無慈悲で巨大な鉄塊は夕映の視界を覆った。
「くぅ! あちゃくら、回避ルートを!」
「む、無理です! マスター間に合いません、せめて防御姿勢を!」
どう防御しろと言うのだ、という悪態は飲み込む。自らの数千倍もありそうな質量に対し、防御などしても意味は無さそうだ。
その時、上空から飛来する人影があった。
赤く輝く瞳が宙に軌跡を作る。握られた拳を転がる鉄の人形に叩きつけた。
「夕映から離れなさいッ! このポンコツッ!」
明らかな重量差を覆し、ギルバートの巨体は夕映から離れるように反れた。
「お姉ちゃん!」
夕映の傍に着地したトリエラは、夕映の肩を叩きながら背後を示した。
「行きなさい夕映。あとの煩わしい事はぜーんぶ私がやってあげるから、ね」
トリエラに示された方向を見ると、まるで魔力の激流を引き裂くように、氷柱の道が出来ている。
夕映がハッと気付き頭上を見上げれば、そこには外套をはためかせながら、空中で腕を組んでいるエヴァンジェリンの姿があった。
「エヴァンジェリンさん……」
「ふん、さっさと行け綾瀬夕映。貴様がいるとトリエラが役に立たん、目障りだ」
夕映の顔も見ずに、エヴァンジェリンはそう吐き捨てる。
「はいッ! ありがとうございます!」
「――チッ」
去り際の夕映の快活な返事に、エヴァは苛立ちながら舌打ちで返した。その鬱憤を晴らすべく、エヴァンジェリンは無造作に魔法を編み上げ、周囲に解き放つ。
無秩序に放たれた魔法は激流の中にありながら、この場を氷の世界に変えてしまう。
幾つもの氷柱がエヴァがターゲットと指定した者を襲っていく。その中にはもちろん、承太郎に仕掛けようとしていた勇次郎も含まれる。
勇次郎が魔法への対処をしている隙を使い、承太郎は大きく間合いを取った。
「すまん、助かった」
宙に浮かぶエヴァの足元に並んだ承太郎は、そう声をかけた。
「ふん、いつぞやの『スタンド使い』とやらか。その〝なり〟で良くもあの化け物に相対したものだ」
ふふん、と愉快そうにエヴァは笑った。
「よぉ、バアさん。まだ生きてやがったか」
周囲の氷柱を粉々に破壊した勇次郎が、エヴァに向けて問いかける。
「はん、たかが心臓を握りつぶしたくらいで死ねるか」
はためく外套の下の服は胸部が破れ、エヴァの薄い乳房が露になっている。真新しい鮮血が服を汚してもいた。
「塵芥にまでしてみろ、そうすれば千年程は眠ってやるぞ、坊や」
「まったく、しつこいバアさんだぜ。せっかく楽しい獲物を見つけたのに、邪魔をするなんてなぁ」
ボリボリと頭を掻く勇次郎に、エヴァは嘲笑で返した。
「獲物? 獲物だと馬鹿を言うな」
エヴァの背後には吹きすさぶ魔力流の根源があり、そこから巨大な人を模したヴィジョンが浮かんでいる。エヴァは振り向きもせずに、それを親指で示した。
「あれは〝木〟だぞ。たかが〝木〟だ。貴様はどこぞの空手家の様に、木に拳でも打ち込んで喜ぶ趣味でもあるのか?」
エヴァの口が歪んだ弧を描く。押さえ切れぬ嘲りが表情となって現れた。
「あんな木一本壊すのには女子供で充分だ。なに喜べ、退屈せぬよう貴様の相手はもう一度私がしてやる。貴様の不味そうな血肉を抉り取り、道端にでも捨ててやろうか」
「はッ! ここに来て口が回るようになったな、ババア!」
エヴァはあご先を上げ、勇次郎だけで無く周囲へも、見下すような敵意を送る。
「来てみろ人間共、よもや私を前にして、この場を通れると思うなよ」
◆
並び立つ氷柱が、夕映の体を魔力の激流から守ってくれた。
『フォクシー・レディ』まで辿り着いた夕映は、その尾を足場に跳躍する。
「千雨さんッ! お願いします!」
(頼む!)
求めるのは千雨の知覚領域の力。アサクラを通じて眼球に《矢》の位置情報が送られてくる。
それを元に《矢》を破壊するのに最適な場所を割り出していく。
「頭部、ですか」
『フォクシー・レディ』の頭部からならば、《矢》への距離が一番近い。世界樹の『スタンド』にも近くなるが、それでもやるしかなかった。
背を跳躍しつつ、なんとか『フォクシー・レディ』の肩によじ登る。
「――ッ!!!!!」
ゴウ、と魔力の奔流が夕映の顔を叩いた。呼吸すらままならない勢い。
氷柱や『フォクシー・レディ』の体に隠れてここまで進んできたものの、ここにきて夕映は魔力の激流にその身を晒した。
「ままま、マスター!」
「しっかり掴まってろデス、この馬鹿!」
吹き飛ばされそうになっていたアサクラを鷲掴みにして、服の襟元へ押し込んだ。
気を抜けば押し流れそうな場所、目前には『ビューティフル・ドリーマー』の顔がある。ギョロリと瞳だけがある顔に、夕映は生理的恐怖を感じた。
『フォクシー・レディ』の頭部に掴まり、その表面装甲に紫電を走らせた。電子干渉(スナーク)、夕映の手の平には人工皮膚(ライタイト)が使われている。
(ウフコックさん、お願いします)
〈了解だ〉
装甲の表面から出て来たのは、ウフコックが作り出したライフルだ。
「あちゃくらッ!!」
「はいですぅ。千雨様から送られてくる位置情報と、マスターの魔力感知から、射撃コースを割り出しました!」
夕映の瞳は魔力を感知する。その流れすらも正確に見えていた。
夕映だけに見える道筋。
視界にはワイヤーフレームが重ねて表示され、《矢》へのルートが明示されている。
呼吸を殺し、腕の震え必死に止めて、照準を合わせた。
連続する射撃音。
魔力の流れの隙間に、弾丸が飲み込まれていく。必中の気配。
(よし!)
しかし、弾丸は《矢》を目前にして薄い魔力の流れに阻まれてしまう。
「――なッ!」
夕映はそれで確信してしまう。〝この弾丸〟は届かないと。
幾ら魔力の流れの隙間を通ろうと、《矢》の周囲には常に魔力が溢れ出ているのだ。
ほんの少しでいい、ほんの少し魔力の流れを引き裂くことが出来れば――。
「マスター! もう一度やりましょう! 今度こそ!」
「……駄目デス。これじゃ届きません」
夕映の手がライフルを放り投げた。
グっと歯を強く噛み締める。
(どうしますか。この状況で、何をすれば……)
脳裏に様々な人の顔が巡っていく。そして夕映は自らの『知識』に行き着いた。
《楽園》の断片を押し込まれた脳裏の片隅に、自衛のために置かれた技術。
その中にはあったはずだ、魔力すら切り裂く力が。
夕映は目を見開き、慌てて装甲に手の平を当てた。
「ウフコックさん、〝コレ〟をお願いします!」
ウフコックに人工皮膚(ライタイト)を通じて送ったデータは、一本のナイフの形状についてだ。
装甲からスルスルと出てきたのは、何処にでもありそうな片刃のナイフ、しかし刀身部分には文字が刻み込まれていた。
ルーン文字。ナイフ自体はマジックアイテムでは無い、ただルーン文字を含めたナイフの形状が魔力を弾く性質を持つのだ。
かつて欧州で天才と呼ばれた殺し屋は、これで幾人もの魔法使いを屠っている。《学園都市》では超能力さえ切り裂いて見せたのだ。
『ピノッキオのナイフ』。今、そのナイフが夕映の手に渡った。
(ピノッキオさん、あなたは何を求めていたのでしょう)
麻帆良に戻ってきた後、夕映はあの事件を引き起こしたピノッキオの素性を教えて貰っていた。
(あなたが何を求めてナイフを振るっていたのか分かりません。けれど――)
多くの屍を作り上げた技術、それは今、夕映へと受け継がれている。
(あなたの力が、人を救う事も出来た事を、私が証明して見せます)
腕に力を込める。『フォクシー・レディ』の頭部装甲を左手で鷲掴みにし体を固定、右手に構えたナイフを振りかぶった。
「貫けぇぇぇぇええええええええええええええええ!!!」
腕を鞭の様にしならせ投擲。
アサクラの示したコースへと見事に乗せたソレは、弾丸と同じく魔力流の隙間へとスルリと入り込み――。
(あっ……)
刹那の確信。
違わず、魔力の流れを切り裂いたナイフは、《矢》へと突き刺さる。ピシリとひびが入った次の瞬間、《矢》はボロボロと崩れ去った。
「■■■■■■■■■ィィィーーーー!!!!!」
《矢》が崩れると共に、『ビューティフル・ドリーマー』も絶叫を上げながらヴィジョンを消失させていく。
魔力の流れが一気に弱まっていく。広場は黄金色の光りに染まっていたが、風は穏やかに髪を揺らす程度だった。
「すげぇよ夕映――よし、一気に片付けるッ!!」
千雨の声が響く。夕映はそれに合わせ、『フォクシー・レディ』の頭部へとしがみ付いた。
力は弱まったが世界樹は健在だ。ヴィジョンを失っても『ビューティフル・ドリーマー』の力は残っている。
だが事態は決していた。
体は限界を超えてなお、千雨の瞳は輝いている。体は焼き尽くされても、心すら切り刻まれても、その光に衰えは一切無い。
誓いが足を動かした。約束が背中を押してくれた。絆が温もりを伝えてくれた。
「こんのぉぉぉぉ!!」
『フォクシー・レディ』の体が世界樹にぶち当たる。装甲表面にある幾何学模様がより強く輝いた。
折られた右腕はもう動かない。だが――。
「『フォクシー・レディ』ッ!」
アキラが叫ぶと、地面にアンカー代わりに突き刺していた四本の尾が宙を舞う。
体を捻った勢いで、巨大な尾を世界樹にぶつけた。
メキメキと音をたてながら、世界樹の樹冠が折れていく。
〈千雨! 照準を付けろッ!〉
「りょーかいッ!」
『フォクシー・レディ』の装甲表面に大量の棘――スパイクが構築されていく。
千雨はそれを世界樹の根元へと定め、発射した。
大量のスパイクが地面を破壊し、幹と根を断ち切った。
「まだ、まだぁぁぁぁぁぁああ!!」
動く左手が振り上げられる。ウフコックが左腕の装甲を次々に追加していき、まるで鉄球の様に姿を変えていく。
「これで、とどめだぁぁぁ!!!」
腕先の大質量の鉄球が、世界樹の残った幹へとめり込んだ。
「いけぇぇぇぇぇぇえええええええ!!」
千雨達の声が重なる。
世界樹はギチギチと音を鳴らしながら破壊されていく。
轟音。飛び散る木片。跳ね回る光。
やがて左腕が振りぬかれ、残ったのは粉々になった世界樹の欠片だけだった。
音が鳴った。
カチン、とガラスが割れた様な音が『世界』に響いた。次いで何かが崩れ落ちる音へと変わる。
それは『ビューティフル・ドリーマー』の終焉の音だった。
◆
世界樹の幹が粉々になったのを切っ掛けにして、『フォクシー・レディ』の崩壊が始まった。
くらりとした眩暈が千雨を襲う。
装甲の表面にあった幾何学模様が消え、『スタンド』と『科学』を繋ぐものが無くなった。
「や、やばい! 逃げろ!」
咄嗟の千雨の声。装甲の表面からスルリと落ちてきたウフコックをキャッチした後、『フォクシー・レディ』の脚部から飛び降りた千雨達は、ふらふらな足取りでその場を離れた。
『フォクシー・レディ』の本体を覆っていた『鎧』が、ポロポロと崩れ落ちてくる。
破片の一つ一つはそれだけで数百キロ、数トンの重さを持つ塊だ。崩壊に巻き込まれまいと、千雨とアキラは支えあいながら走った。
金属の崩落音が収まって振り返ると、そこにはスクラップの山が鎮座していた。
呆然とした千雨の元に、崩壊時に肩部から飛び降りた夕映が着地する。
「夕映……」
「千雨さん」
夕映はそのまま千雨に近づくと、無言のまま腰に抱きつき顔を埋めた。
「夕映――、」
千雨は夕映の頭を撫ぜようとして、自分の右手が無い事に気付く。視線で合図、ずっとアキラと繋いだままだった左手を離し、夕映の頭に置いた。
「ありがとな」
「……」
夕映の抱きつきは更に強くなる。そんな夕映を見かねてか、彼女の襟元からピョコンとアサクラが飛び出した。
「んもう、マスターってば甘えん坊さんですね~」
「うるさい。黙るデス、このバカAI」
夕映の容赦ないデコピンが直撃し、アサクラは「ギャー」と悲鳴を上げた。
そんなやり取りの中、千雨の体を強い疲労が襲う。痛覚は遮断しているのに残る、このしこりの様な感覚は――。
ふと顔を上げ、周囲を睥睨して千雨は目を見開いた。
「な、なんだよ、これ……」
そこには未だ戦場が広がっていた。
範馬勇次郎の振るう拳をトリエラが受け止め、承太郎が中条に向かいスタンドで攻撃を仕掛けている。《梁山泊》の進撃は止む事無く、魔法使いたちも残る力を振り絞り応戦していた。
遠くでは爆発音も聞こえる。《学園都市》の降下部隊が《梁山泊》兵と衝突した音だとは、千雨も知らない。
「何でだよ。吉良も消えたし、世界樹も壊した。《矢》も存在しない。――なのにッ!」
悔しさが涙となって溢れた。
繰り返される惨劇の連鎖は断ち切ったはずだった。様々な人の助けを借りながらそれを為し、残ったのが目の前の光景だ。
まるで千雨達が為した事が無意味だと言われた様な気がした。
「ウフコックさん!」
その時、アキラの悲鳴が耳朶を打った。
アキラの手の中にいたウフコックは、ぐったりと倒れて意識を失っていた。口元からは泡が吹き出ている。
「ウフコック!」
血や泥で汚れてしまった金色の毛に、千雨はそっと触れてスキャンする。知覚領域を展開すれば、ウフコックの危険な状態がより鮮明に理解できた。
ウフコックの体は酷い有様だった。《学園都市》での歪みが、この度重なる戦いの中で更に酷くなっている。
「――ッ」
くらりと、視界が揺らいだ。倒れそうになる体を、腰に抱きついていた夕映が支えてくれた。
「千雨さん!」
「あぁ、大丈夫。大丈夫だ」
この状況でも千雨の感覚は広がっている。失いそうになる自分を保つため、ネットワークの海へと広がっている分身体を切り離し続けていた。
千雨の心は切り刻まれていた、今をもってなお。
「ふぅー」
千雨は空を見上げ、深く息を吐く。
蒼穹は失われ、黄金色の光が空を覆っていた。そこには自らが創った出来の悪い歯車の破片も残っている。
「……この二ヶ月、本当に嫌な事ばっかりだった。何かというと変な事件が起きて、巻き込まれて、痛い思いしてさ」
目を瞑り思いを馳せる。千雨の口元に笑みが作られた。
「でもさ、けっこう楽しくもあったんだ。はは、カラオケとか初めていったよ。もう一回くらい行っとけば良かったかな」
周囲には戦いの音が響いている。
「だから、こいつは恩返しだ」
目を開き左手を空に伸ばす。虚空の何かを掴む様に拳を握った。
その瞬間、上空の光の模様、歯車の断片が寄り集まり、光の輪が出来上がった。
残骸から再び創り出した小さな機構。
「ウフコック今までありがとう。そして、ごめんな」
千雨はそっとウフコックに近づき、その毛皮に唇を落とした。
淡い光がウフコックを覆い、体が徐々に小さくなっていく。その現象の中、千雨の力がウフコックの体内を駆け巡り、精神野に施された〝枷〟を次々に破壊していった。
更にウフコックの細胞に寿命を植え付けた。自らの不死に押しつぶされる事無く、限りある時間を必死に生きていけるように。
「これは私のわがままだ」
千雨が唇を離した時、ウフコックの体は二分の一程に縮まっていた。
「千雨ちゃん。これって――」
「ウフコックの体の時間を戻した。これでもう赤ちゃん同然だ。アキラ、新しいウフコックの事、頼めるか?」
アキラは手の平に収まるウフコックの体を優しく抱きとめながら頷く。
「夕映」
声をかけると、夕映は腰に顔を埋めたままブンブンと首を振っていた。
「嫌デス! 絶対に嫌デス! 千雨さん、どこにも行かないでください! せっかく私は、私は!」
縋り付く様な夕映の体をそっと離し、目を合わせるように屈んだ。
夕映は涙を流しながら鼻をズビズビとすすっていた。必死に何かを言おうとするものの、口はただモゴモゴと動くばかりだった。
そんな夕映に、千雨はコツンとおでこを合わせた。
「ありがとうな。夕映、こんなにも学校が楽しかったのは夕映のお陰だ。ぶっきら棒な私を色々と誘ってくれてさ。むかつく事もあったけど……やっぱり楽しかったよ」
「えぐ……ち、違うんデス。わ、私は、千雨さんに、まだ……」
夕映が言葉を言い終わる前に、千雨はその体を抱き寄せた。
「はは、自分のために泣いてくれる人がいるのってさ、こんなにも嬉しいのな。ほんとに、たまんねぇや」
体を離しながら、夕映の襟元で涙ぐむアサクラの頭を指で撫ぜた。
「あちゃくら、短い間だったけど楽しかったぜ。それにお前のガッツのお陰で本当に助かった。たまには夕映と仲良くしろよ」
「ち、千雨さま~~!」
立ち上がり、千雨はアキラと向き合う。
「アキラ」
「うん」
千雨の体にノイズが走った。体の色素が徐々に失われ、透明になっていく。
「わたしは――」
「千雨ちゃん」
千雨の言葉を、アキラが遮った。
「覚えてる? 二ヶ月前、私が『スタンド』を暴走させた時に、千雨ちゃんが助けてくれた事を」
「あぁ」
「あの時ね。すごく寂しかった、恐かった。でも――」
暗闇を引き裂き、光と共に千雨がやってきた光景は、未だアキラの目蓋に焼き付いていた。
「千雨ちゃんが来てくれた。今度は私の番。千雨ちゃんが何処に行こうと、そこが天国だろうと、地獄の果てだろうと、きっと私が見つけてみせる。会いにいってみせる。少しの間寂しいかもしれないけど、待ってて。絶対に見つけるから、ね」
「アキ……ラ……」
その言葉に千雨の嗚咽が漏れた。必死に我慢していたものが、溢れ出していく。
不安が無いはずなどないのだ。恐くないはずないのだ。
肉体を失い、心まで刻まれている。体はゆっくりと、ネットワークの海へ溶けようとしていた。
ポロポロと零れる電子の涙が、光の粒子を纏いながら中空で消えていく。
再構成された光の輪が空からゆっくりと降り、千雨達の周囲を囲った。
「だから約束」
「うんっ……うん……」
そっと突き出されたアキラの小指に、千雨の小指が絡まり――
「え……」
千雨の体がグイと引き寄せられ、唇が重なった。
「ん……」
それはついばむ様な口付けだった。
千雨の目前に、潤んだアキラの瞳がある。
「は……」
夕映がその行動に呆けていると、周囲の光の輪がハートの形に変わっていた。
アキラから離れると、途端千雨の体は急激に色を失い始めた。
「約束……約束したから!」
「千雨さん、私も、私も会いにいきます!」
霞む視界の中で、アキラと夕映が必死に千雨に呼びかけてくれた。
(なんだ、わたしってけっこう……)
心に優しさが広がった。
(しあわせじゃん)
ハートの輪に、千雨の体が吸い込まれていく。
「あぁ! 待ってるから!」
その言葉を最後に、千雨の体は完全に消失した。
残ったのは周囲に浮かぶハート型の輪。
輪が、弾けた。
膨張するかの様に、光は波となり放たれた。
光の波は麻帆良全土を通過し、世界中へ向けて飛んでいく。
◆
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
パワードスーツの中では、自分の荒い息遣いが嫌に鮮明に聞こえる。
男は戦場に立っていた。
瓦礫となった建物を壁に、ホバー走行をしながら敵に攻撃を仕掛ける。
敵――古代の兵士の装いをした狂人どもだ。《梁山泊》と言われる輩達は剣や弓といった大昔の兵装を扱いながら、尋常ならざる攻撃をしてきている。
幾ら《学園都市》謹製の最新鋭パワードスーツを着ようと、奴らの総攻撃の前には何人もの仲間が屠られていた。
手に持つライフルの弾丸を、ディスプレイの視線制御を使い、跳弾仕様の特殊ショットガンシェルへと換装する。
引き金をひいた。
建物と建物の間、小さい路地裏を移動していた敵兵に向かい、特製の弾丸が放たれる。壁や地面を跳ねた幾つもの弾丸が、角度を変えて敵兵に直撃した。
「よしッ!」
相手への対処法は理解出来るようになってきた。
乱戦になってこの方、相手の異常さが際立ち、どうにも押されていた。
なんせ相手は生身なのに、正面からの弾丸ならば、古臭い剣で易々と切り払ってしまうのだ。漫画かよ、と当初は悪態を突いていたものの、なんとか凌げる様になってきている。
こうなればこちらのものだった。
こちらには最新鋭の有機コンピューターネットワーク《シスターズ》のサポートもあり、情報管制は万全だ。
乱戦とは言え、仲間同士の連携には問題が無い。
「たぎってきたな!」
ピス、と小さな空気の抜ける音。首元にチクリとした感触。どうやら過度な興奮状態を察した制御AIが、自分に向けて沈静薬物を投与した様だ。
興奮は士気を上げるが、同時に冷静な判断力も失わせる。
心は高揚したままだが、そのどこかに冷静な自分も戻ってくる。
『こちらの戦線がどうにも堅い。救援を頼む!』
視界に発信者のIDと位置情報が表示される。ここから近い。
「了解。チビる前に行ってやる。漏らすなよ」
口元に笑みを作り、指示された最短ルートを駆け抜けていく。
何時からだろうか、男が戦場に立ち始めたのは。
日本を抜け出し、幾つかの民間軍事会社を渡り歩いて傭兵となり、そして今は《学園都市》に雇われている。
鉄と油の臭いはすれど、空調が効いた分厚い棺おけの内側にまで血の臭いは届かない。それが男の知っていた戦場と、今の戦場の明確な違いだった。
ほんの数秒もの思いにふけっていたら、いつの間にか目的地に辿りついていた。
前時代的な矢が周囲の地面に刺さっている。ただしそれらは一本や二本で無く、数千本という量だ。しかもこれらの矢はパワードスーツの装甲すら傷つける異常極まりない兵器だと、男はこの短い戦いの中で嫌というほど知らされている。
遮蔽物に身を隠し、補助アームで物陰から射撃している仲間達がいた。こちらはライフル、相手は矢で応戦している。
「戦況は?」
「くそ、あいつらクレイジーすぎるぜ。どっからあんなに矢が沢山打てるんだ。《シスターズ》の計算だと、秒間三十本以上撃つ奴もいやがる。M4カービン以上だぞ、馬鹿げてる!」
それでも彼らが戦場に立てるのは、《学園都市》には超能力者と呼ばれる化け物がいるからだった。
戦術目標は麻帆良の鎮圧が最優先事項だが、思いの他に進みは遅い。避難民の存在や領空問題もあり、航空戦力による援護が期待できないと言われていた。彼らもパワードスーツの力を過信し、必要あるまいと思っていたものの、この状況となれば航空機の援護は不可欠だ。
「空爆要請を送るか」
「だな。《学園都市》からならば一分もかかんねぇだろ」
《学園都市》のピンポイント爆撃の精度は常軌を逸している。地面に置かれた一円玉でさえミサイルで打ち抜ける、と豪語する程だ。
早速《シスターズ》を通して援護要請をしようとした時、光が視界を染め上げた。
「はっ……」
真っ白になったモニター。周囲を飲み込む光の波。
男は一人の少女の幻影を見た。淡い光を持った白い髪、少し釣り目の幼い顔立ちの少女が目前に現れ、自分の体をすり抜けていく、そんな幻影。
パチリと、小さな刺激が体を巡った。
脳裏に思い出が蘇る。
あれは暑い日だった。夏休みに母の田舎に行くと、いつも祖母は自分に優しくしてくれた。
出来の良い兄と比較されて育った幼少期、あの祖母との日々にどれほど救われた事か。
祖母の葬式の時、号泣していた自分に対し、母と兄は泣きもしていなかった。
外で泥だらけになって遊んでも、笑って許してくれる祖母。田舎の古い家が恐くて、泣いていた自分の手をぎゅっと握ってくれた。
あの温もりが、手の平に蘇ってくる。
(なんで、俺は、ここに……)
在りし日の優しさが、心に満たされていく。
パワードスーツ越しのライフルに、重さを感じられるはずなど無かった。なのに、今は無性に重たい。
ライフルが地面に落ちる音。周囲にも同じ音が連なり、力無くマニュピレーターが下げた仲間達がいた。手に持つ武器を次々と地面に落としていく。
それは何もこちら側だけでは無い。
《梁山泊》兵も呆けた様に虚空を見つめ、剣や槍、弓矢が手からこぼれ落ちていく。人によっては瞳から涙を流すものもいた。
「何なんだよ。何なんだよ、コレ」
男の目にも涙が流れ、思い出がとめどなく溢れてくる。
戦意は粉々に砕けていた。
光の波は黄昏を創っていく。
◆
麻帆良を中心に発生したハート型の光の波は、放射状に広がり、地球表面をくまなく走り抜けていった。
その電子の光の波に触れた者は、ほんの少しだけ脳裏の記憶野を刺激された。
富む人間も、貧しい人間も、老いた人間も、若すぎる人間も、母から産まれて誰かしらとの繋がりのある人間には、いつかの優しさの記憶が存在する。
それはある人にすれば大した事の無い出来事かもしれない。しかし、わずかな微笑み、わずかな言葉、そんな事でも救われる人間はいるのだ。
光の波に触れた人々はそんな記憶を思い出すと共に、白い髪の少女の幻影を垣間見た。一秒にも満たないわずかな時間。確かに見たのだ、ぶっきら棒な顔をしつつ、照れてはにかむ、そんな少女の幻影を。
世界を塗り替えていく。
それはほんのひとときの安らぎだった。
有史以来、世界で人が刃を、武器を、掲げなかった日々は無い。争いは無くならず、人類はそうやって進化を続けてきたのだ。
だが、この時だけは違っていた。
共有するヴィジョン。駆け抜ける優しさの波は、人の手から刃を、武器を落とさせた。
世界から争いの音が消えた。
それは人類にとって初めての黄昏の時間だった。
後に『奇跡の一時間』と呼ばれる、世界中から争いが消えた、人類の最初にして最後の安らぎのひととき。
少女の思いが、願いが、ほんの少しの間だけ人の持つ悪意を打ち破ったのだ。
放射状に広がった光の波は世界中を駆け抜け、ブラジルの片隅で対消滅した。
そして人類最後の安息の一時間。
さぁ、『千雨の世界』が始まる。
千雨の世界 最終話へ。