関東魔法協会の地下本部が崩壊し、麻帆良全土にひび割れの様な音が響いた。
都市を包む結界の崩壊。
麻帆良という土地を安定させていた枷が外れる。
そして、時を同じくして麻帆良東部に光の柱が現れた。
異常とも思える魔力量。溢れるばかりの力の奔流が、空を貫く光の柱を作っている。
「ククク……ハァーッハッハッハッ!! ジジイにしては中々の英断だッ! 今度あのハゲ頭を撫でてやろうか!」
光の根元にいるのはエヴァンジェリンだった。
彼女の力を封じる鎖も解かれた。今、エヴァンジェリンは全盛期の魔力を、思うが侭に使える。
エヴァの体は酷い有様であった。体中から血を流し、骨が剥き出しの部位もある。
それらも、光の柱が現れると共に、するすると元に戻っていく。吸血鬼の異常なる回復力が、エヴァンジェリンの莫大な魔力に後押しされて活性化していた。ものの数秒でエヴァの傷は快癒する。
周囲は荒れ果てていた。麻帆良東部の森林部は更地かと言わんばかりに変形し、スクラップとなった鬼神兵が倒れていた。
鬼神兵の近くには、意識があるものの立ち上がるのも困難な高畑がいる。少し遠くには辛うじて頭部と胴体は残っているが、戦闘不能だと一目で分かる茶々丸も倒れていた。
激戦の余波がうかがえる。そんな中、まだ立っているのはエヴァと範馬勇次郎――そしてトリエラだ。
勇次郎はほとんど無傷であるが、対するトリエラは満身創痍であった。
体中は血に染まっている。肩口からねじ切られた自分の腕を、口元でくわえながら、両足と片手を地面にそえて構える姿は獣に似ていた。いや、獣そのものと言っても過言ではない。
トリエラの唯一勝っている点は回復力。
吸血鬼の利点を使い、トリエラはただ愚直に勇次郎に向かい続けた。
「フーッ、フーッ」
鼻息荒く、血走った目で勇次郎を睨みつける。己が闘争本能に身を任せたそれは、獣性のもの。人の姿をした獣に等しい。
そんなトリエラにも、エヴァの封印解放の余波は届いた。
血の盟約の繋がりにより、エヴァの魔力がトリエラの回復能力も加速させた。おもむろに口にくわえた腕を取り、肩口に付ければあっという間に繋がる。
トリエラは繋がった腕を軽く回し、その感触を確かめた。
勇次郎がエヴァの変容を見る。
「おいおい、バアさん。やっと本気かよ。待ち飽きたぜ。いや――」
そう言いながら、勇次郎はトリエラに視線を動かす。
「そうでもないか」
勇次郎からすればトリエラは圧倒的に弱かった。鬼神兵にも、高畑にも、茶々丸にも届かない、この場にいた中で最弱の存在だろう。
ところがどうだ、気付けばこの場に残っているのは勇次郎とエヴァとトリエラだけである。
トリエラとて、別に逃げ隠れてたわけでは無い。ほとんど前線で勇次郎や鬼神兵に対し、お粗末な肉弾戦をこなしていただけだった。
最初は勇次郎も嘲った。生意気な小娘、それこそ犯すくらいしか価値の無さそうな女だと思っていた。
しかし、その認識はすぐ覆される事となる。
真祖でも無い吸血鬼の回復力などたかが知れている。それなのにトリエラはその回復力だけを武器に、砕けた拳で相手を殴り、折れた足で蹴りを放ち続けた。
とてつもない激痛が走っただろう、それこそ戦意を根こそぎそぎ落とされる程に。
なのにトリエラの心は萎えなかった。自らが求める強い何か。トリエラはあさましいまでに戦場で生き続け、逃げる事も無く敵へと向かい続けた。
その姿は勇次郎に取って賞賛に値するものだった。
(こいつを犯す? そんな勿体無い事出来るか)
勇次郎は笑う。
トリエラは単なる〝雌〟で無く、勇次郎にとって〝獲物〟になった。自らの強さを底上げする〝餌〟として。
ましてや今はエヴァもいる。
魔法使いと従者は、セットで始めて真価を発揮するのだ。
エヴァの魔力はピシピシと勇次郎の肌を叩く。勇次郎は濃い戦いの匂いに酔いそうになる。
勇次郎は物足りなさを感じていた。せっかく久々の戦場にやって来たものの、肩透かしをくらった気分である。
しかし、今目の前にいる主従は、自分を満たしてくれるかもしれない。
得も知れない高揚感が身に溢れた。
「くはははは、ババア、俺をもっと楽しませろよ!」
エヴァも口元で弧を描く。
先程までの勇次郎との戦いは、エヴァにとって歯噛みする戦いであった。身の不自由さに苛立っていた分、今は解放感に包まれている。
未だ呪いのために学園の外には出れないものの、力は解放されていた。
エヴァの瞳が強い光を放つ。
「小童が生意気な口を聞く。どれ、私が躾をしてやるかッ!」
エヴァと勇次郎、二人の体から強大な力が溢れ出た。
空気が振動し、地鳴りすら聞こえた。
「トリエラッ! 前衛を務めろ。数秒でいい、あの小童を足止めしろ」
「――了解」
マスターたるエヴァの命に、トリエラは短く返す。
『闇の福音』と呼ばれる吸血鬼、『地上最強の生物』と呼ばれる男、生ける二つの伝説が再び激突しようとする。
その中でトリエラは疾駆する。
「あああぁぁぁぁぁぁぁッッッーーーー!!」
心を駆け巡る思い、身を焦がす程の熱さがトリエラを動かし続けた。
そんなトリエラの拳を顔面に受けながらも、勇次郎は笑みを絶やさない。
激闘は更に過熱した。
第54話「double hero/The second rush」
《学園都市》の学生、佐天涙子にとってその話は寝耳に水であった。
「学園祭?」
ほんの数日前の放課後、行きつけのファミレスにて、対面に座っていたのは佐倉愛衣である。
「はい、今度麻帆良で学園祭があるんです。佐天さんも行きませんか?」
「ふーん、学園祭かぁ」
涙子はドリンクバーから持ってきたジュースを飲みながら、少し考える。確か麻帆良とは、目の前の愛衣と同じく〝魔法使い〟が集まる土地らしい。
涙子もここ一ヶ月程で魔法やらオカルトには詳しくなった。なにせ当事者だ、詳しくならざるをえない。
ここ《学園都市》は超能力開発を始めとし、様々な最先端科学を研究する都市だ。そこを一ヶ月程前から、ある人物達がオカルトや妖怪を使い襲い始めた。
涙子はそんな事件のトリガーともいえるものを引いてしまった人間である。彼女が持つ霊槍《獣の槍》が、事件の起因に関係していた。
その後涙子は、愛衣や様々な人の助けを借りながら、《学園都市》を襲った事件を解決した。
その時の縁だろうか、佐倉愛衣とは戦友とも呼べる仲になっている。事件解決後も、学校が違うながらも、こうやって放課後にしばしば会うのは慣例になっていた。
そこで切り出されたのが冒頭の話である。
麻帆良からの国内留学生である愛衣は、ルームメイトであり姉弟子である、同じ留学生の高音・D・グッドマンと共に、学園祭で一旦麻帆良に戻るらしい。
それに同行しないか、というお誘いだ。
「確か麻帆良の文化祭も規模が大きいって言ってたよね~」
「こちらの学園祭、一端覧祭でしたっけ? その規模は良く知りませんが、麻帆良もかなり大きい文化祭をやりますよ」
「ふーん」
とは言っても、涙子はどちらも知らない。なんとなくテレビや話で聞いた事はあるが、麻帆良には今まで縁が無かったし、《学園都市》にはこの四月に入ったばかりだ、十一月の文化祭はまだ未経験である。
「興味はあるかな。麻帆良って綺麗な所らしいし、見てみたい気がする」
「それじゃ――」
「でも、たぶん無理。さすがに学園祭までの時間が無さ過ぎるよ、〝外〟へ出る申請は一ヶ月くらい経たないとたぶん下りないし。かなり厳しいと思うよ。ほら、佐倉さんは特別にしてもさ、私はただの一中学生だし~」
涙子は顔をテーブルに突っ伏しながら、ひらひらと手首を振る。
この一ヶ月で涙子は有名になっていた。もっとも、『毛玉女』とか『毛玉人間』とか、訳の分からない名前でだが。
それらは、涙子が《獣の槍》を使った時の風貌を現している。奇異な姿ながらも、学園都市中を飛び回りながら人助けをするその姿は、今では概ね好意的に受け取られている。一部では熱狂的なファンがいるくらいだ。
されとて、それは表沙汰に出来る事柄では無い。
愛衣もコネを持っているが、それを使えば涙子の素性が怪しくなる。
「そうですか。残念です……」
「うーん、まぁ一応申請してみるけど、期待しないでよ。麻帆良の学園祭がすごいって事は、きっと他の学生も沢山申請してるだろうし」
《学園都市》は閉鎖的だ。都市そのものが壁に囲まれ、最先端の技術の漏洩を防いでる。それは人間も同じであり、外への出入りには厳しい制限がある。
近場でそれほど大きなイベントがあるのなら、他にも申請を出している人間は多いはず。後発の涙子の申請など通るはずは無かった。
しかし数日後、涙子の携帯に届いたメールには外出申請の許可が表示されていた。
本来は交わらぬ線と線は、邂逅の時を迎えようとしていた。
◆
麻帆良にやって来た涙子と愛衣の二人と、高音はそれぞれ別行動を取る事となった。
高音は学園長の元へ向かい、愛衣は涙子を案内する。
「うわ~、賑やかだねぇ」
見渡す限りの人、人、人。
欧風な街並みに、人がごった返していた。まるで某遊園地に来た気分である。
涙子は愛衣に案内されるまま、様々な場所やイベントを巡った。
しかし午後三時、麻帆良に異常が起こった。
吉良吉影なる人物による宣言、そして超鈴音と呼ばれる少女のスピーチに、巨大な人型兵器の登場。
突如溢れ出した大量のアンドロイド兵器に、民衆はパニックになる。
そんな街中で、涙子は立ち上がった。
「佐倉さんッ!」
愛衣に呼びかけながら、涙子は体の内から《獣の槍》を取り出す。その途端、涙子の風貌が一変する。
背中に届く程の髪が更に伸び、立っていても地面に広がる程の長髪に変わる。爪も伸び、目もぎょろりと見開いた。
一見すると変わってない様な細身の肉体も、筋肉が瞬時に密度を上げ、強靭なものに変わる。
周囲の人間が涙子の変貌に驚くも、それに躊躇はしない。
近くで暴れているアンドロイドに、涙子は一気に肉薄した。
「てぇい!」
ぶるんと槍を振るい、アンドロイドに攻撃を仕掛ける。抗魔力を持つアンドロイドの装甲は硬い。
しかし、抗魔力を持つからこそ、涙子の《槍》の敵では無かった。
「このぉぉぉぉぉぉ!!」
破魔の霊槍、それが《獣の槍》だ。妖(バケモノ)を殺すために作られた槍は、魔力すらも斬る。
涙子の放った一閃は、アンドロイドの装甲を断ち切った。
「佐天さん、行きます!」
そこへ魔法使いである佐倉愛衣の援護射撃が追い討ちをかけた。
殺到する炎の矢が、涙子の作った切り口に入り、アンドロイドを粉々にする。
「ナイス、佐倉さん!」
「はいっ!」
二人は息の合ったコンビプレーでアンドロイドを駆逐していき、観光客の避難を助けた。
だが、守るべき人も、倒すべき敵も多かった。
混乱の中、涙子と愛衣はそれぞればらばらになってしまう。
それでも涙子は、いつの間にか構築された戦線の先頭に立ち、槍を振るい続けた。
そして涙子は一人の少女の叫び声を聞く。ただ体が動くまま、アンドロイドの群れへと飛び込んだ。
◆
佐天涙子は千雨を背後に庇いながら、槍を構える。
「ほら、そこの人。今のうちに逃げた、逃げた」
背中を向けながら、しっしと追い払う仕草をした。
そんな涙子を見ながら、千雨は苦虫を潰した様な表情をする。
息は荒い。ここまで走り通しだったため、足はぷるぷると震えていた。それを電子干渉(スナーク)で誤魔化しながら、どうにか立ち上がる。
「――助けてくれた事は感謝する。だけど、それとこれとは話が別だ。わたしには約束がある
、ここで引き下がれるかってーの」
土と埃と血に塗れながらも、千雨の瞳には未だ輝きがあった。
救いの無い葛藤の中で、自らが導き出した答え。今までの数々の思い出が、千雨の中で熱く輝き続けている。
「あっ――」
ちらりと背後を見た涙子は、一瞬千雨に見とれてしまった。
戦場と化してしまった麻帆良。
この状況でも、背後に立つ少女の思いが揺るぎ無いと、涙子は直感で分かってしまった。
《学園都市》での壮絶な一日。
仲間達と戦い抜いたあの日々、涙子はそういう人間をたくさん見た。
「ふーん」
ただ素っ気無く、涙子は千雨の事を見直す。
それと共に、ふつふつと体から湧き上がる思いは何なのだろう。悲哀、憤怒、不安、どうととも取れる淡い感情だ。
ただ、涙子の理性はこの感情を是としている。そうだ、これは〝期待〟だ。
途端、ぶわっと感情が膨れ上がった。
〝期待〟と判断した時、得も知れぬ高揚感が涙子を襲う。
「知っている、この感覚ッ!」
ペロリと唇を一舐め。
かつてモノレール上で妖怪と戦った時、一人の青年に感じた感覚。涙子の中でそれは鮮明に残っている。
千雨の存在を意識しながらも、油断はしない。
周囲を囲っていたアンドロイドが一斉に涙子に襲い掛かってくる。
体勢を低くし、アンドロイドの拳を避けた。槍を振るい、次々と放たれる攻撃を捌いていく。
千雨の眼前では目まぐるしい攻防が行なわれていた。
「うわ……」
その光景を、千雨はただ呆然と見てしまう。
もはや千雨の肉眼では捉えきれず、知覚領域でやっとその攻防を理解出きるくらいだ。
涙子とアンドロイド群、お互いが致命打を与えられぬものの、戦いは拮抗していた。圧倒的な手数で攻めるアンドロイドを、涙子はいなし続けている。
「ね、ねぇ! そ……このメ、ガネちゃん!」
「メ、メガネちゃん?」
激しい動きで声を途切れさせながらも、涙子は千雨に呼びかけた。
千雨は聞きなれぬ自分の呼び名に、目を丸くしている。
「なんで、メガネちゃんは、逃げないの? ……どこへ、行きたい、の?」
単純な疑問だった。
涙子はこの事態をまったくと言っていい程理解していない。
ただ目の前に害意があったため、涙子は事態に飛び込んだに過ぎない。
だが、おそらくこの少女は違うのだろうと、涙子は推測した。
麻帆良の制服を着た女子学生、大きなメガネが印象的で、涙子はつい『メガネちゃん』などと言ってしまった。同級生だろうと予測し、馴れ馴れしい呼び方をしている。実際は千雨の方が年上なのだが。
彼女は何かを知っている、何かを為そうとしている。
それは涙子の直感だ。
「……そんなの決まってるだろ」
涙子はアンドロイドとの攻防を繰り返しながらも、千雨の小さな呟きが聞こえた。
「意地だ。これはわたしの、いや〝わたし達〟の意地だッ! あの世界樹には腹が立つ野郎が偉そうにふんぞり返っている。そいつをとっちめにいってやる!」
その答えに、涙子は笑った。
けったいな大儀では無く、只の意地。
「――でも、分かりやすくていいね、ソレ!」
涙子が槍を大振りすると、それに合わせてアンドロイドが距離を取る。
そして幾つかのアンドロイドが、口内への魔力の集束を始めた。
ほんの一呼吸後、この場に魔力砲が放たれるのが予想出来た。
涙子は背後の千雨の腕を掴んだ。
「へ?」
グイと引っ張られ、千雨はポスンと涙子の背中に収まる。おんぶされる格好だ。
「特別だよ。私があなたのタクシー代わりになってあげる。まかせて、《獣の槍》があればひとっとび、ってね!」
千雨達のいる場所に、魔力砲が殺到する。
爆発。
その炎の中から千雨を背負った涙子が飛び出した。
強靭な足腰のバネを使い、上空へと一気に飛び上がる。
そのまま四階建ての建物の屋根へと着地した。
「よっと」
「げほっ! げほっ!」
涙子はさも当たり前の様に呟き、背負われた千雨は驚きながら咳き込んでいる。
そんな二人へと、屋根の上にいたアンドロイドが一斉に襲い掛かった。
「えぇっ、こんなに!」
十や二十じゃきかない数だ。
アンドロイドは無秩序に破壊をしているわけでは無い。ある程度ターゲットを絞って行動している事を、涙子はこの十数分の戦いの最中で理解していた。あくまで一般人はその余波に巻き込まれているだけなのだ。
ならば、このアンドロイド達の動きはおかしい。
まるで自分達を集中的に狙っているかの様だ。
「もしかして……」
涙子は背中にしがみ付いている少女を見る。
先程、千雨を助けた時にも違和感があった。たかが一人の少女を相手に、あれだけの数のアンドロイドが集中するだろうか。
涙子の中にあった予想が確信へと変わる。
「そっか、メガネちゃんこのロボットにモテるんだね」
「げほっ、こんなのにモテたくねーよ!」
間違いない、アンドロイド達は千雨を狙っている。
それを知るなり、涙子は口角を吊り上げた。
アンドロイドが襲い掛かってくる。不安定な足場だが、涙子はうまくかわした。
「ほっ、やっ、とっ!」
「うわ、おえっぷ」
涙子は軽やかに避け続けるものの、背中にしがみ付いた千雨はその動きに翻弄されて、乗り物酔いの様な状況だ。
涙子の長い髪が顔中にまとわり付きながらも、千雨は必死に周囲を見た。
「ど、どうなってやがる」
「ほ、本当に、洒落になんないんだけど」
涙子は屋根から屋根へと飛び移るが、数で押すアンドロイドはそのルートを片っ端から潰していく。
「道が無いか。――だったら!」
涙子はその場から一気に空中へと飛び上がる。
無防備な跳躍。それを隙と見たアンドロイド達が、魔力砲の照準を涙子に定めた。
「お、おい。やばいぞ!」
「だまっててッ!」
千雨の心配も余所に、涙子は思考を集中させた。
頭にある自らが生み出した演算式、それらをカチカチとはめていく。
構築された〝ソレ〟を、一気に発露した。
「おい、これってまさか――」
千雨の知覚領域が、その発動を察知した。千雨は〝ソレ〟を知っている。
「……超能力?」
涙子の意思が、周囲に一つの変化を作った。
風がなびいた。
空気が一気に圧縮していく。
涙子の飛ぶ先に、小さな空気の塊が出来上がった。
――空力使い(エアロハンド)。
《学園都市》で空気の流れを操作する能力として区分される〝ソレ〟が、発動する。
とは言っても、涙子の能力は所詮レベル1、ピンポン玉程の空気の塊を作る程度しか出来ない。
しかし、《獣の槍》と合わさればその力は一気に飛躍する。
「いっけぇぇぇぇぇぇ!!」
涙子は自らが作った空気の塊を足場とした。小さな塊は爪先で乗れる程の大きさしか無い。そこに足を掛けて更に高く飛ぶ。
飛ぶ瞬間に空気の塊を破裂させ、跳躍を加速もさせた。
「――いっ!」
ぐん、と体にかかる重圧が強くなり、落とされまいと千雨は必死にしがみつく。
アンドロイドの魔力砲の一射目は見事に反れた。
それでも相手は機械、再度予測した涙子の軌道に合わせ、次々と射撃が繰り出される。
涙子達の眼前に、幾つもの光条が過ぎる。光線が絡み合い、麻帆良上空に光の網を作った。
「お、多すぎでしょ!」
涙子が焦った声を出す。
「――くそっ!」
千雨は背中をよじ登り、涙子の後頭部と自らのおでこをごちりとぶつけた。
「え? 何?」
「いいから黙ってろッ!」
涙子の逡巡も構わず、千雨はそのまま電子干渉(スナーク)を使う。
千雨の周囲にパチリと紫電が走った。
(こいつの肉体なら、大丈夫だろ)
本来、人に対してこんな荒業は行なわないが、危機に瀕して手段など選んでいられなかった。
くっついた額と後頭部を通じて、直接涙子へ情報を送る。
千雨の知覚領域が、そのまま涙子の脳裏に投影された。
「え? え?」
ほんの一瞬の出来事。涙子は戸惑いの声を上げた。
「な、何これ!」
空中、風が涙子の頬を叩く。
眼下には広大な麻帆良があり、頭上には手で掴めそうな雲があった。
そんな視界が一気に広がる。まるで背中にも目が出来た様な感覚だった。三百六十度だけではない、上も下も、周囲の空間そのものが視界に入る。
また、周囲から迫ってくる光線の予測軌道も見えた。
それはまぎれも無く、千雨が感じている世界だ。
「すごい! すごいよコレ!」
涙子達へ向けて幾つもの光線が突き刺さるが、涙子はそれを体を捻り、ギリギリで避ける。
それだけでは無い、あらゆる角度から迫る光線を、体の回転、捻り、槍を振る反動、全てを使って紙一重で避けていく。
千雨の周囲への感知能力と、涙子の身体能力が合わさった結果だった。
「ははははははッ!」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇ!」
余りの高揚感に、涙子は笑い声を上げる。対して千雨は絶叫した。
視界はくるくると空と地上が入れ替わり、浮遊感と落下感が絶え間なく襲う。ジェットコースターに乗っている気分だった。
網の目を避ける様に、次々と跳躍していく。
「――ふっ!」
空中で回転しながら涙子が槍を振るった。魔力砲を弾き、一番近いアンドロイドへ突きを喰らわせる。
槍は装甲を容易く貫いた。
しかし、一撃では仕留めきれない。動きの止まった涙子に、何体ものアンドロイドが追いすがった。
「くっ――」
「下だ、下に降りろ!」
千雨はルートを提示する。涙子の脳内に、目標ポイントが示された。
「下?」
「いいから早くッ!」
「りょ~かいっ!」
アンドロイドに槍を突き刺しながら、鉄棒の要領でくるりと逆上がりをする。体の上下が入れ替わった瞬間、上空に作っておいた空気の塊を足裏で掴み、跳ねた。
存在しない天井を蹴った様に、涙子は地面へと真っ逆さまに落ちてゆく。
「どりゃッ!」
矢の様な落下。
「だ、だから加減しろー!」
再び千雨は叫んだ。
普通に地上に降りろというのに、とんでもない速度で地面に向かっているのだ。
地面が目前に近づくと、涙子は槍を手近な建物へと突き刺した。刺さった槍が壁面を破壊しながら、ゆっくりと落下のスピードを落としていく。
丁度良くブレーキが効いた所で、涙子は槍を引き抜き、地面へと降り立った。
「えーと、ここに降りたらどうするの?」
千雨は頭を抑えながら、ふらふらと涙子の背中から降りる。
「こいつを使うんだよ」
そう言いながら、千雨は近くに乗り捨てられた車を指差す。
「上空じゃ、あのレーザーみたいなので進路阻まれて進めねえ。だったら地上を車か何かで一気に行くしかないだろ」
「車かー。でも私運転出来ないよ」
「安心しろ、槍女。この手の事は得意なんだよ」
千雨が車の車体に触れる。一瞬パチリと紫電が走ったと思ったら、エンジンが掛かり出した。
「おぉ、すごい。――って、槍女って何よ。私にはちゃんと――」
「あーうるせえ。お前こそわたしの事をメガネちゃんなんて呼んでたろ!」
◆
二人の口喧嘩が始まろうとしたが、状況がそれを許さなかった。
何体かのアンドロイドが、千雨達に向けて落下してくる。
アンドロイド達の攻撃から逃げるため、車のシートに腰を下ろす事も出来ず、そのまま車体にしがみ付く形で車は発進した。
「わわわ」
千雨は車体によじ登れきれず、両腕と片足を天井部分に引っ掛けている格好だ。そんな格好をしながらも、車体を通して車をコントロールしている。
アンドロイド達によりでこぼこになった道を、車は一気に疾走していく。
「ほら、危ないでしょ」
車の天井に軽やかに立っている涙子は、千雨をヒョイと掴み、天井に部分に大の字に寝転がれるように誘導する。
「あ、ありがとよ」
「どういたしまして。メガネちゃんはこのまま運転に集中してて。私が露払いするから!」
そう言うなり、涙子は車のボンネットで槍を構えた。不安定な足場のはずだが、ほとんど意に介さず動いている。
「――、やばい!」
千雨の知覚領域が、アンドロイドの魔力砲の襲撃を感知した。車のハンドルを切り、急激な蛇行をする。
突然の蛇行には、さすがの涙子も少しバランスを崩した。
「うわっと! ……さすがにこのままじゃ戦えないか。はぁ、これ高かったんだけどなー」
少し悔しそうな顔をしながら、涙子は履いていたサンダルを脱ぎ捨てた。
《獣の槍》の力により、涙子の足の爪はまるで鉤爪の様に変化している。足裏に力を込めると、メキメキと音がした。金属がひしゃげ、足裏がボンネットそのものを鷲掴みにする。
「よし、いける!」
その有様を見ていた千雨は、口元を引きつらせながら呟いた。
「うわー、化け物かよお前。引くわー」
「人間リモコンのメガネちゃんには言われたくないよ!」
涙子は千雨の能力を、リモコンの様な超能力と理解した様だ。《学園都市》で超能力とオカルトに触れた、涙子ならではの解釈であった。
車は更に加速し、涙子の髪が筆で線を描くかの如くなびいた。
髪の下には不敵な笑み。
車が加速し、周囲の建物が後方に流れていく。
前方に幾つかの影。数体のアンドロイドが立っていた。
その口元に魔力の光。
「ちっ、避けるぞ掴まって――」
「大丈夫、このまま真っ直ぐ進んでッ!」
千雨の声が遮られた。涙子の瞳には自信があった。
あの日の事件を戦い抜いた己と、相棒たる《獣の槍》への揺るがぬ自信。
千雨はそんな涙子を見て、舌打ちをする。
「くそ、言う通り真っ直ぐ走ってやる。しっかりどうにかしてくれ!」
「まーかせて!」
どこか不思議な口調で涙子は答える。
半身で構える涙子の姿は、サーブボードを車に変えたサーファーさながらだ。
そのまま涙子は槍を前面に突き出した。
「ゴォォォォ!」
前方から放たれた魔力砲。
光条が車へと突き刺さろうとする――が。
「こんのぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!」
涙子は《槍》の切っ先でそれを受ける。
光の洪水が、槍によって引き裂かれた。
真っ二つに割れた魔力砲は、車の周囲の建物を破壊していく。
その間も光は未だ放たれ続けている。
涙子はそれを必死に受け続けた。腕の筋肉が盛り上がり、その表面に血管も浮かび上がる。
「メガネちゃん、もっと速く!」
「わーってるよ!」
光を引き裂きながら、車はその根元へと突き進む。
エンジンが唸りを上げた。
「貰ったぁぁぁああああああああ!!」
魔力の奔流を潜り抜け、車はアンドロイドをすり抜けた。
その瞬間、涙子の槍が一閃する。《獣の槍》がアンドロイドをすだれに変える。
「――ッ!」
落ち着いたのもつかの間、涙子は視線を上空に向ける。
そこにはまた、魔力砲による攻撃をしようとするアンドロイドが一体残っていた。
「まだ!」
その魔力砲を受け止めようと涙子は身構えるが。
「こいつは狙いたい放題だな」
パン、という小さな破裂音。
魔力砲を撃つ瞬間のアンドロイドの口内で小さな火花が出来、続いて頭部が爆発した。
「え?」
涙子が呆気に取られて視線を戻せば、車に張り付きながら銃を構える千雨がいた。
「正面向いてタイミングさえあえば、わたしでも倒せるみたいだな」
千雨は体勢を戻しながらそんな事を言う。
「メガネちゃんすごい! リモコンだけじゃないんだ!」
「うるせぇ、さっさと前向いてろ、来るぞ!」
世界樹に近づくにつれ、敵の数は増えていく。
アンドロイドの集団を時に槍で、時に銃弾で、次々と千雨達は駆逐していった。
情報システムがその有様を表示していく。
吉良陣営と麻帆良陣営、彼女達はそんな拮抗した戦線から飛び出した一本の矢だ。
アンドロイドの集団を切り裂いていく姿は、麻帆良にいる人々の目に、確かに触れられていた。
「げ……」
「嘘でしょ」
あともう一息で世界樹広場という所で異変が起きた。
建物を掻き分け、破壊しながら一つの巨体が出てくる。
身の丈四十メートル近い姿。
鬼神兵と呼ばれる兵器の登場だった。
「くそ、戻ってきやがったか」
鬼神兵の何体かは、最前線で魔法使い達と戦っている。
千雨はその隙間を縫って突き進むつもりだった。
しかし、鬼神兵は千雨達の迎撃のために戻ってきた。
周囲の建物より明らかに大きい巨体。それでいて、それなりの素早さもある。
千雨達が乗る車程度、簡単に踏み潰せるだろう。
(このままじゃ道が塞がれる。どうする、車を乗り捨てるか。でも、足が無ければ――)
千雨は思案する。
その間にも、巨体は進路を塞ぐように動いていた。
見上げると首が痛くなるほどの大きさに、千雨は歯噛みする。
すると――。
「――漫画や御伽噺だと、巨人が小人に負けるって王道だよね」
涙子が呟いた。
「は?」
「大丈夫、まかせて」
そう言いながら、涙子は千雨の体を小脇に抱えた。
「うわ、ちょっと待て。お前どうする――」
「黙ってて、舌噛むよ!」
涙子は車のボンネットから飛び出した。
車の加速を使い、そのまま近くの建物の壁へと着地する。
「行っくよぉぉぉぉぉ!!!」
そして走った。
垂直にいきり立つはずの壁面を、重力すら無視して涙子は裸足で駆け抜けていく。
《槍》を前方に突き出し、空気の壁をも破壊した。
乗り捨てた車が隣を並走していたが、それすらも追い抜き、涙子は益々加速していく。
「■■■■■■■ォォォォ!!!!!!」
鬼神兵の咆哮。ビリビリと空気を振動させる。
次いで放たれたのは、涙子達へ向けての拳打だ。
家屋一戸分もありそうな腕が、地面へと突き刺さる。
乗り捨てた車はその余波に巻き込まれ、空中に舞い上がり、無残にひしゃげている。
粉塵が周囲に巻き起こり、涙子達の姿が消えた。
しかし――。
「――甘ァい」
涙子は跳躍し、巨人の腕に飛びついていた。その装甲に槍を突き刺し、どうにかしがみ付いている。
小脇に抱えられた千雨は、声を押し殺しながら、必死に涙子の体に抱きついた。
「行くよメガネちゃん。しっかり掴まっててね!」
涙子はそのまま鬼神兵の腕上を走り出す。
鬼神兵もその姿を見つけ、虫でも追い払うかのような仕草をする。
だが、涙子は跳躍しながら槍を駆使し、鬼神兵の頭部へ向けて足を速めた。
「こんのぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ォォォォ!!」
すれ違い様、涙子は鬼神兵の頭部へと一撃を与える――が。
「――ッ、さすがに倒す事は出来ないか」
人間で言う眼球部分を《槍》は確かに引き裂いたが、それでも相手は兵器、どれほどダメージを与えたのかは分からなかった。
涙子はそのまま、鬼神兵の背中を一気に駆け下りていく。
降りてくる涙子達を迎撃するため、何体かのアンドロイドが地上から魔力砲を放ってくる。幾つかが涙子の体を掠め、血が舞う。しかし、足は止めなかった。
「――ふッ!」
息を吐きながら、涙子は鬼神兵の背中を蹴った。
体が空を翔る。
眼下には戦場となった麻帆良の街並み。そして、涙子達の飛ぶ先には、世界樹広場があった。
それでもこのままでは届かない。広場までは涙子の跳躍では埋められない距離があった。
「まだ、まだーーーー!!!」
カチリと脳内で演算式が構築された。
勢いを失い、落下するはずの涙子の足元に小さな空気の塊が出来る。
超能力。
それを蹴り、更に高く、高く跳躍した。
広場への距離は一気に埋まる。アンドロイドの追っ手をすり抜けながら、一直線に世界樹広場へ向かった。
空中でくるくると回転しながら、跳躍の勢いを削ぎ、涙子は着地した。
石畳に着地の勢いの痕跡が残る。裸足なのに石畳を削ったのは、《獣の槍》の肉体強化故だった。
「到着、っと。メガネちゃん着いたよ」
涙子が小脇に抱えた手を離すと、千雨はペタリと地面に倒れた。
どうやら目を回した様だ。
千雨は電子干渉(スナーク)で体を操作しながら、立ち上がる。
「くっ、お前もうちょっとやり方無かったのかよ……」
「ほらほら、文句言わない。メガネちゃん、やる事あるんでしょ」
千雨の背中がパシッと叩かれる。押し出された先には、世界樹広場へと続く階段があった。
(そうだ、この先に――)
千雨がチラリと背後を振り向くと、こちらに矛先を向けたアンドロイド群と鬼神兵がいた。
そこへ、涙子が立ちはだかる。その背中、その光景に千雨は数ヶ月前、共に戦った戦友の姿を垣間見た。
自分を『仲間』と呼んでくれた、あの人の姿を。
「さぁ行った行った。私の仕事はここまで。タクシー代わりの私は、あのおっきいのを倒しながら帰路につくだけ、ってね」
そう言いながら、涙子はニコリと笑う。
「あぁ、ありがとよ槍女。死なないでくれ、今度何か礼するからな!」
「――って、メガネちゃん。私にはちゃんと名前が……って、まぁいっか」
階段を上っていく千雨を一瞥した後、涙子は再び鬼神兵達へと向き直った。
「ったく。お祭りに来たと思ったらこの騒ぎ。今年の春から、私呪われてるのかな」
《槍》を見つめ、少し目が引きつった。
「まぁ、こんな《槍》持ってるなら、呪われてるんだろうね。――けれどもさ!」
佐天涙子はかつて力を求めていた。
《学園都市》という歪なヒエラルキーを持つ社会で、その底辺にいた涙子が力を求める事は自然な事だった。
そして今は力がある。様々な悔恨と苦悩の果てに、涙子は力の矛先を自らの信念で決める事にした。
ちっぽけな正義感。
良心とでも表現していい。
幼稚で果てしなく単純な思いを、笑わない友人と仲間がいた。
だからこそ涙子は槍を持ち、戦える。
今という時間の中で、涙子の思いは強く体を動かす。
千雨の足音は遠くなっていく。
彼女の姿に、涙子はシンパシーの様なものを感じていた。
姿や形では無い何かが、おそらく似ているのだ。
「まぁ、後はメガネちゃんに任せようか。私はお手伝いするだけかな!」
目の前には倒しそびれたアンドロイドが軍勢を作り、その中心には鬼神兵までいる。
涙子は槍を構え走り出そうとするが――。
「え?」
アンドロイド達に向け、大量の炎の矢が突き刺さった。装甲にはばまれ致命傷に至らぬものの、足並みは止まった。
「佐天さーーーん!」
「あ、佐倉さん!」
上空、箒に乗った佐倉愛衣が降りてくる。
その背後には何人もの魔法使いの姿があった。
佐倉愛衣、涙子にとってこれほど頼りになる援軍はいなかった。
「佐倉さん、合わせて!」
「ふぇっ? も、もう佐天さんッ!」
涙子は愛衣の姿を確認するなり、無造作に敵陣へ突っ込んだ。
愛衣はそんな佐天の姿に驚きながらも、必死に追いかけ、サポートする。
こうして長谷川千雨と佐天涙子の邂逅は、お互い名前を知らぬまま終わった。
彼女達が再会するまでには、後に数年の歳月が必要であった。
つづく。