時間はほんの少し遡る。
2-Aの生徒達は雪広あやかの指示の元、混乱する事も無く校舎外へと避難した。
校庭で合流した同学年担任の教諭も加わり、世界樹から離れる形での避難措置が取られた。
世界樹を中心とした市街部と北部が主な騒乱の場となっている。それに、どうやら麻帆良東部でも激しい争いが起きている様だった。
そのため、世界樹から見て南西に位置する女子中等部の生徒達は、南へ進む形で避難する事となる。
多くの生徒達が、不安の表情を浮かべて避難していく。例え現実と認めたくなくても、振り向けば視界には巨大な鬼神兵の姿が見え、黒煙もそこらで上がっていた。
2-Aの生徒もいつもとは違い、表情を硬くしたまま避難の列に加わっていた。
「美砂! 無事か!」
そこへ男性の声がした。避難の列に加わっていた美砂は、その声の主を探してキョロキョロと顔を動かし、目当ての姿を見つけると表情を緩めた。
「パパァ!!」
美砂は人を掻き分け、父親の元へ急ぐ。そして父親の胸へと抱きついた。
「おぉ、美砂、無事だったか」
「パパ~~。恐かったよ~」
美砂は涙混じりの顔を、父親の胸元へ擦りつけた。父親も娘の背中をゆっくりと撫ぜる。
硬い表情のままだった2-Aの生徒も、そのやり取りに幾分和らいだ雰囲気になった。
「美砂、良かったじゃない。お父さん無事で」
釘宮円が美砂に話しかける。
「ううん、私はパパが強いの知ってたから、心配なんてしてなかったわよ」
そう言いながらも、美砂はギュウっと父親の腰に腕を回し、強く抱きついた。
「ははは、そうさ。パパは強いからな」
父親は美砂の頭を優しく撫でた。
美砂の父親はある事柄を調べるため、麻帆良の隣の市にいた。麻帆良の急変を知り、飛ぶが如き勢いで麻帆良へ戻ってきたのだ。
何かを思いついた様に、美砂はバッと顔を上げた。
「そうだ、パパ、お願いがあるの!」
「ん、お願い?」
「そう!」
父親は抱きつく美砂を促しながら、2-Aの避難の列に合わせて歩いていた。
「康一さんを助けて欲しいの!」
「康一……広瀬康一だと」
この後に及んで、娘の口から男の名前が出てきた事で、父親のこめかみには血管が浮き出ていた。
「私は良く分からないけど、きっと今康一さんは戦ってると思うの! あの超が言ってた『スタンド使い』ってのが康一さんだと思うし。パパ、すごいんでしょ。だから康一さんを助けてほしいの」
「ぬぬぬ」
父親は逡巡した。娘のたまの頼みであり、出来ればしてやりたい。康一に借りもある。しかし、この状況で娘を放り出すなど、父親からしたら心配極まりない事であった。
「出来ん」
「なんで! パパ、康一さんに借りが出来た、って言ってたじゃん!」
「お前を放っていけるか!」
「普段から放ってるじゃない! たまにしか会いに来てくれないし!」
「ぬ、それは……」
美砂の言葉に、父親は言葉を詰まらせる。
突如始まった親子喧嘩に、周囲のクラスメイトは気まずそうに視線を反らした。
「えーと、御二方、ちょっとすまないでゴザルがよろしいか」
二人の間に割って入ったのは意外にも長瀬楓だった。
「ふむ、君は?」
「あ、申し送れたでゴザル。拙者、美砂殿のクラスメイトの長瀬楓でゴザル」
「ちょっと楓。邪魔しないでよ」
「まぁまぁ、美砂殿。ここは拙者におまかせあれ」
楓は美砂を落ち着かせながら、美砂の父親に向き直った。
「美砂殿のお父上の心配はご尤もでござろう。ですが、拙者は友人よりクラスメイトの安全を頼まれているでゴザル。その点に関しては、信じて欲しいでゴザル」
美砂の父親は、楓の実力をいち早く見抜いた。おそらくそこらの雑兵相手には遅れを取らぬだろう実力。あごに手を当て、ふむと頷いた。
「ねぇ、パパお願い。康一さんを、麻帆良を助けてよ」
美砂は懇願する。
「わしに、この街を助けろ、と」
「だってパパすごいんでしょ。お願い、この街はね私の友達がたくさんいるの。思い出もいっぱい詰まってるの。知ってるでしょ、私幼稚舎からここに通ってるんだよ」
父親が世界中を飛び回っている事を知っていた。それに母親と正式に籍を入れていない事も、美砂は知っている。以前、姉と言われる人物とも会ったが、その姉も異母姉妹であった。おそらく父親は女性関係がズボラなのだろう。それでも、経済的に不自由しなかった事は、幸いだった。
それに、父親は足しげく自分の元にやって来て、様々な話をしてくれたし、プレゼントも持ってきてくれた。幼い頃、美砂にとってはそれが嬉しかった。父親に肩車されたまま、夜の街並みを、本当に空を飛ぶように走った時など、父親のかっこ良さにはしゃいだものだった。
美砂にとって父親は初恋であり、憧れであり、スーパーマンなのだ。
「ねぇ、お父さん。お願い、お父さんのかっこいい所、もう一度私に見せて」
美砂が本当に幼い頃、父親の事を「お父さん」と呼んでいた。それがいつしか軽い口調の「パパ」へと変わっていったのだ。
美砂の父親は、口元にフッと笑みを作る。
「男のため、というのは気に食わんがいいだろう。広瀬康一とやらの十人でも二十人でも助けてやる。美砂、見せてやろうパパのかっこいい所を」
「パパ……」
美砂は笑顔で父親を見つめた。
背後を振り返れば、遠くの屋根の上で二人の魔法使いらしき人物達が、アンドロイドや鬼神兵を相手に戦っているのが見えた。
「長瀬君、娘の事はよろしく頼む。行ってくるぞ、美砂」
その瞬間、美砂の父親の目がギラリと鋭利な光を宿した。
避難列の中から、父親の姿が消える。
「え?」
事のやり取りを見ていたクラスメイト達が声を上げる。美砂や楓に合わせて真上を見れば、上空二十メートル程に美砂の父親の姿があった。
「シィィィィッー!!」
呼気一つ。美砂の父親は何も無いはずの空中を蹴り、砲弾の如き速さで空を駆けた。
屋根から屋根へと飛び移りながら、先程見えた魔法使い達の戦いの場へと突っ込む。
そして、そのまま魔法使いが苦戦していたアンドロイドを瞬く間に破壊し、自分よりも遥かに大きい鬼神兵を張り倒して走り去った。
鬼神兵が倒れた音は、この場所にまで響いた。
「嘘~」
誰かの呆れ声が上がる。彼女たちが目撃した夕映の所業も驚きだったが、それ以上の行いにもはや呆れの感想しか浮かばなかった様だ。
「いやはや、何とも凄いでゴザルな」
「あはは……あんたの話。本当だったのね」
楓は驚嘆し、円は目元をヒクつかせながらぼやいた。
「円、信じて無かったの? 言ったじゃない。パパはすごいんだって」
美砂は笑顔を浮かべる。こんな状況にありながら、父親への信頼は揺るがなかった。
第53話「Sparking!」
美砂の父親――『衝撃のアルベルト』は戴宗を睨み付けた。
アルベルトはBF団と呼ばれる組織の一員だ。
BF団は首領ビッグ・ファイアを頂点とした組織であり、そのエージェントの中の精鋭十人が『十傑衆』である。
十傑衆であるアルベルトの実力は九大天王と肩を並べる。元々九大天王は十傑衆に対抗するために国際警察機構が作ったものなのだから、当たり前とも言えるが。
アルベルトは背を向けたまま、康一に喋りかけた。
「小僧、この男はわしが受け持ってやろう。貴様は貴様の為すべき事をしろ」
「は、はい!」
その時、アルベルトと戴宗の間の風が強くなった。
衝撃波を操るアルベルトと、両手足から衝撃波を噴射する『噴射拳』の使い手戴宗。
お互いの力が似ているため、彼らは戦場で幾度も拳を交えていた。
「ふん、戴宗よ。小僧一人に熱心な事だな」
「ふざけるなよアルベルト。お前が何故この場にしゃしゃり出てくる。よもや義侠にでも目覚めたか」
お互いが纏う風が強くなる。それを見ていた康一は、腕で顔を隠した。
「義侠か。貴様を倒せるならそれも悪くないわッ!」
アルベルトの足元が爆発した。それはアルベルトが地面を蹴った結果だった。
一足飛びに戴宗へ近づき、その顔を右手で掴む。そのまま勢いに任せて、戴宗を建物の壁へと叩きつけた。壁面に巨大なヒビが入る。
「うおおおおおお!!」
顔を掴まれた状態で、戴宗は両手から衝撃波を撃ち放つ。
アルベルトはそれを左手でいなし、顔に当たるものは首を傾げて避けた。
「どうした戴宗ォォォォ!!」
両足から衝撃波を放ち、アルベルトは加速する。戴宗をより強く押した。
メキメキと地響きをたてながら、三階建ての建物は形を崩していく。戴宗を建物ごと押し切ってしまう。
「まだまだぁぁぁぁぁぁ!!」
土台を引き千切られた建物は、そのまま隣の建物にぶち当たり、さらに次の建物をも動かした。まるで積み木の家を子供が乱暴に転がしたかの様に、建物群が地面をスライドしていく。
「でしゃばるな、老人がァァ!」
顔を掴まれたままの戴宗が、右足の裏から衝撃波を放ち、強烈な足蹴をアルベルトの腹にぶち込む。
「ぬぅ!」
腹を蹴られたアルベルトは、そのまま真っ直ぐ上空へ、都合百メートルの高さまで瞬時に飛ばされた。
にも関わらず、アルベルトは口元に弧を作った。
「笑止ッ!」
まるで空に天井があるかの如く、アルベルトは逆さまの体勢で宙を蹴った。速度をグングン上げながら、戴宗へ向けてまっ逆さまに落ちていく。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!」
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
落ちてくるアルベルト、迎え撃つ戴宗の拳が重なる。
戴宗の足元に巨大なクレーターが出来、石畳が次々と捲れ上がった。
「――ッ!」
康一は危険を感じ、ボロボロの薫を引きずってその場を離れた。
「この、未熟者がぁぁぁぁぁぁ!」
アルベルトの咆哮が聞こえたと思った途端、二人を中心に爆発が起きる。康一は《エコーズ》を起動させ、自らと薫を守るために力を展開した。
「くっ……!」
崩れた家屋の破片が飛んできた。それらを身を低くして耐える。
ほんの数秒の後、砂煙に覆われた視界が一気に晴れた。強風が吹き、それらを流したのだ。
「え?」
晴れた視界には、戦闘の痕が見れる瓦礫の山が出来ているが、アルベルトの姿が見えない。
キョロキョロと見回すと、遠く数百メートル先の建物の屋根の上にアルベルトらしき姿が見えた。超人と言える速度で走りつつ、片手には戴宗らしき人間の襟首を持って引きずっていた。康一にはあの戦いの趨勢は分からなかったが、どうやらアルベルトが勝ったようだ。
「一体何処へ……」
疑問は尽きない。アルベルトが戴宗を引きずって何処へ行くのか。
だが、彼の助けがあり、どうにか康一達は生き延びる事が出来た。
「あ、薫君!」
友人の容体を思い出し、康一は薫に駆け寄った。
「――痛ッ! ってなんだこれ、どうなってんだ俺は」
痛みにより、薫は意識を取り戻した様だ。いつもの制服はボロボロに破け、顔も肌も先程の戦いの余波で埃塗れになっている。
仰向けのまま、視界を周囲に巡らせば、廃墟といわんばかりの風景が見えた。
ほんの数分意識を失ってただけなのに、薫は事態の変化についていけなかった。
「おい、康一。あのバンダナのおっさんはどうした?」
「あぁ、うん。良く分からないけど、知り合いのお父さんが助けてくれた……んだと思うよ、たぶん」
「知り合い? お父さん?」
康一もどう説明したものか、と逡巡する。
「と、とにかく助かったんだよ。それで薫君、体は……」
薫は腕を上げてみるが、それだけで痛みが走った。戴宗を蹴った足と、戴宗に殴られた腹は強い鈍痛が絶え間なくある。
「――ッ、悪い。とても付いて行けそうに無い。康一、お前は先に行け。なに、調子良くなったら追いかけっからよ」
そう言ってニカっと笑う薫。
そんな薫の態度に、康一は言葉を詰まらせた。ここに来るまで、承太郎や仗助の助けを借りている。先程だって薫の奮闘が無ければ、自分は死んでいたかもしれない。
康一は薫の服を掴み、ズリズリと引きずり始めた。
「お、おい康一!」
「薫君。建物の下だと危ないかもしれないから、ここで待ってて!」
康一は薫を近くの茂みにへと押し込む。薫をここに放置などしたくは無いが、その上での苦肉の策だった。
「薫君、行ってくる。すぐ戻ってくるから!」
「そんな必要ねーよ。ちょっと休んだら俺が追いつく」
康一はそう言いながら、世界樹広場に向けて走り出す。
街路樹の横にある茂み、その中に体を埋めながら、薫は走り去る康一を見つめていた。
足はどうやら骨折している様だった。服を捲れば、腹は青くなっている。骨の数本やられてるかもしれない。
「康一にはあぁ言ったものの、無理かな」
深く溜息をつく。それだけでも痛みが走った。
「死ぬなよ、康一」
◆
ほんの少しだけ上体を起こしたアキラを、九大天王の八人は見下ろしている。
彼らからすればアキラなど、地面を這う蟻に等しかった。踏み潰すのは容易。
アキラも目の前の人間達が、自分の敵うような相手では無いと分かっている。それでも、退けなかった。
アキラの中にも、アサクラの記憶がある。ありえたかもしれない何時かの可能性。あの中で千雨は血みどろの無残な姿になっていた。そして自分を含め皆が死んでいった。
そんな未来が許せるはずが無い。
アキラはそれら全てに抗うが如く、体をどうにか持ち上げようとする。
「返せ……ウフコック、さんを、返せぇ!」
腕で上半身を持ち上げる。体には念力での強大な負荷がかかっていた。
「頑張るね。だけど、ほらこれでおしまいだぜ」
ディック牧が再び指を弾くと、体にかかる念力が強まった。
「――がッ」
起きた上半身が、再び地面に押し付けられた。アキラはその衝撃に声も出せなくなる。
その近くで、同じく念力の攻撃を受けていた夕映も耐えていた。
(あちゃくらッ!)
夕映はアサクラに直接呼びかける。
(マスター! 情報システムに救援を出してますが、麻帆良側の戦力は離れた場所に戦線を構築していて無理そうです……)
(くッ)
夕映は歯を食いしばる。
相手はウフコックと自分達をモルモット程度にしか考えていない。
ここで自分が倒れたらどうなるか、それを考えると背筋が冷たくなる。
アサクラメモリーにあった様に、千雨もアキラも死んでしまう光景。トリエラもスタンド攻撃を受けているだろう、その末路はどうなるのだろうか。
夕映のまなじりに涙が溜まる。
「……お姉、ちゃん」
ポツリと零した言葉は、九大天王にも聞こえたらしい。
「おやお嬢ちゃん。お姉ちゃんが恋しくなってしまったのか」
「悪いことをしてしまったな。すぐに楽にさせてあげよう」
彼らが言う。
九大天王はただ当たり前の様に、夕映達を殺そうとしていた。戦場に長くいた者達の狂気が、彼らを覆っている。
その時――。
「――悪いな。お姉ちゃんじゃ無くってさ」
声が聞こえた。
九大天王が全員、不意を突かれた様に声の方を向いた。
アキラ達が倒れている場所の近くの欄干。そこにもたれ掛かる様にして立つ男がいた。
「何奴!」
誰何の声に、笑みを浮かべ何処吹く風。
「おいおい、大の大人が寄ってたかって女の子苛めるなんて、見てらんないな~」
緑色のジャケットに黒いシャツ、黄色いネクタイ。派手な装いをしながらも髪は短髪。黒髪に黒い瞳をしているが、どこか欧米系の血も感じられる顔立ちである。
「なッ……貴様は」
「何故、貴様がいる! 貴様は死んだはずじゃ!」
九大天王の古株が男の顔を見て驚いた。
それは彼が十年前に死亡と断定されたはずの男だからだ。
「あ、なたは……」
地面に押し付けられ、傾く視界の中で、夕映はその男の顔に見覚えがあるのを思い出す。
今日の昼間、図書館島のガイドをしている時に、トリエラと共にやってきた男だ。印象深い名前を名乗っていた。
あの大怪盗と同じ名前。確か――。
「ルパン、さん」
夕映と男――ルパン――の視線が合う。
「お嬢ちゃん、ちょっと待ってな。いーま、助けてやるからなぁ~」
ルパンはそう言うと、自らのジャケットの懐を探る。
「それにしても、けったいな奴らだね~。こーんなネズミ一匹に、何熱くなってるんだか。なぁ」
そう呼びかけながら、ルパンが懐から取り出したのは金色のネズミ――ウフコックに間違いなかった。
「こ、ここは?」
いつの間にかルパンの手の中にいたウフコックも驚いている。
「何だと!」
九大天王が一斉に影丸を見た。ウフコックをしっかりと手中にしていた影丸だが、気付けば手元からウフコックが消えていた。
それを確認し、再びルパンを見た彼らは、更に驚いた。
「なッ――」
ルパンの背後には、いつの間にか夕映とアキラが立っていた。二人も一瞬の出来事にポカンとしている。
「あれ、なんで私ここに?」
「あちゃくら。今のは?」
「だ、だめです~。観測できませんでした」
そんな周囲の驚愕を眺めながら、ルパンはニシシと笑う。
「おいおいアンタら。俺が誰だか忘れたのかい。俺はルパン三世、かの名高き怪盗ルパンの孫だぜ。〝盗む〟事に関しちゃ、誰にも負ける気がしないな」
大怪盗ルパン三世。彼はかつて多くの美術品や宝石を堂々と盗んでいった。世界中の新聞で彼の名前が載らない月は無く、国際警察機構もルパン専門の捜査官を派遣したものだった。
ルパンは目の前の男達からスリをしたに過ぎない。ただすった対象がウフコックやアキラであり、すられたのが世界屈指の超人ばかりというだけだ。
「ルパン三世……」
夕映はその名前を聞き驚く。十年前に死んだはずの有名な怪盗だ。彼に関する本は死後も出版され続け、夕映も何冊か読んだ事があった。
本人かどうか分からない。それでも、ルパンの顔は本に載っていた写真に似ている気がする。
「あの、なんで私達を――」
おずおずと夕映が問う。
「お嬢ちゃんのお姉さんに頼まれたんよ。それに俺は紳士だからね、女の子がイジメられて放っておく趣味は無いのよ」
「お姉ちゃんに」
ルパンは飄々と答えつつ、手で掴んでいたウフコックをアキラへと渡した。
「ほらよ。今度は離すんじゃねーぞ」
「あ、ありがとうございます」
ウフコックを受け取ったアキラは、深々とお辞儀をする。
「お礼はいいから、急いでるんだろ。このおっさんどもの相手はお兄さんがしてあげるから」
ルパンはさっさと行け言わんばかりに、シッシッと手で追い払う。
アキラも夕映も、もうためらわなかった。ここまで来るために沢山の人の助けを借りている。ここで立ち止まる事など出来ない。
「ありがとうございます!」
「ありがとうデス。ルパンさん、今度ぜひお礼をさせてください!」
ルパンはそれを聞き、軽く返す。
「ならお姉ちゃんによろしく言っておいてくれ。お兄さんがどれだけかっこ良かったか、懇切丁寧に説明してくれたら嬉しいぜ」
その言葉に、夕映は微笑を浮かべる。
「分かりました。お姉ちゃんへの報告はまかせてください!」
アキラが出したスタンドに飛び乗る。二人が去るまで、ルパンは九大天王と対峙し続けた。
アキラ達が一気にこの場を離れていく。
九大天王とて、ただ見逃したわけでは無かった。単に自分達が追撃する必要性を感じなかっただけである。《梁山泊》を数人差し向ければ、アキラ達など簡単に捕まるだろうという算段だ。
「よもや貴様が生きているとはな。まぁ生き死にが曖昧な世界だ、不思議な事では無いか」
そう言いながらも、中条は内心で訝しんでいた。何せ、十年前に彼もルパンの遺体を確認しているからだ。
そして、ルパンを追いかけていた元同僚を思い出す。彼はルパンの遺体を見た後も「奴は生きている」とほざき、辞表を叩きつけて自主的な捜索を始めた。
当初は気が狂っていると思ったものだが、今考えれば彼の考えが当たっていた事になる。
「そいつはお互い様だ。もっと死んでると思ったが、変わらない顔ぶれがちらほらいやがる」
十年以上前にルパンは九大天王と何度か遭遇している。その時と変わった顔ぶれもいるが、半分は同じ面子であった。
その中に、かつて自分をしつこく追いかけてきた存在はいない。
そこに少しの寂しさを感じたルパンだったが――。
「待て~~い!」
「へ?」
背後からドタバタとした音。次いで手首にヒヤリとした感触があった。
ルパンが右手を上げると、その手首に手錠がはめられている。
そして手錠のもう片方を握るのは――。
「ふふふ、ついに捕まえたぞ、ルパァ~ン!!」
茶色の古めかしいトレンチコートに紳士帽。帽子のつばの下からは、ギラギラと光る瞳があった。顔には幾筋ものしわが刻まれ、髪には白が混じっている。
体はほこりまみれだ、恐らくここに来るまでに色々あったのだろう。
ルパンも、九大天王も、その男の登場に唖然とした。
その場の全員が、この男と面識があったからである。
元九大天王であり、怪盗ルパンの専任捜査官をしていた男。
銭形幸一であった。
「お~い、とっつあん。久しぶりだっていうのに、相変わらずだなぁ」
「ふん! 貴様を捕まえるのは、ワシの生涯の本懐だ」
軽い口調のルパンに対し、銭形は歯を食いしばりながらクククと笑う。
銭形はもう片方の手錠を、しっかりと自分の手首につけた。
本来、二人の間には十年という隔たりがあったはずだ。しかし再会した二人の間には、年月による隔たりなど存在しなく、彼らの関係はまったく変わっていなかった。
銭形により手錠をはめられたルパンだが、体は仮想構築されているに過ぎない。実体化モジュールを使った肉体のエミュレート、そのためルパンには余裕があった。
「おいおいとっつあん、俺には手錠なんて効かないんだぜ。あらよっと――あれ?」
ルパンは右手だけ実体化を中止させ、手錠をすり抜けようとしたが失敗する。
体の実体化が無理矢理固定された様な違和感があった。
「グフフフフ、ルパン知っておるぞ、貴様の肉体が仮初だって事はな! どうだワシ謹製の特殊電子手錠はッ!」
「うえっ、これとっつあんが作ったのかよ!」
この手錠がルパンの肉体に影響されているらしい。先程からハッキングを試みているが、ルパンにしても難解なセキュリティが施されていた。
以前、銭形が自分を追いかけるために大学で勉強したらしい事は聞いていたが、まさかここまでだとは思わなかった。
「その歳で大学行って、これ作るってよ~。とっつあん分かってるか、俺ってば肉体の人格を電子化した、云わば偽モンよ」
「ハッ! 貴様が本物か偽物かなど関係ないわ! ワシには『ルパン』と呼ばれる人間がいる限り、日夜永遠に追い続ける義務があるのだよ!」
そう言いながら銭形はガハハと笑う。
そんな二人のやり取りを見つめていた九大天王、その一人の影丸がひっそりと動き出した。
目の前の銭形が、以前の九大天王であった事は聞いていた。それでも、このくだらないやり取りを見ていると、嘲りが心中に浮かぶ。
何より、先程手に入れた《楽園》の代物を無様に奪われたという屈辱が、彼を動かした。
自らの足元の影に、トプンと沈みこんだ。姿を消した彼は、今度はひっそりとルパンと銭形の足元の影から現れた。
まるで影を水の中の様に移動し、二人に肉薄する。
おそらく二人は気付いてないだろうと思い、影丸は内心で笑う。
腰から取り出した直刀を構え、無言のまま一気に二人に切りかかった。
「――ッ!」
影丸は驚きで目を見開く。彼の必中の一撃はルパンと銭形を繋ぐ手錠、その鎖で止められた。
「ほんっとしつけーのな、とっつあんってばさー」
「何を言う、逃げる貴様が悪いのだ!」
二人は背後の影丸を一顧だにしていない。相変わらず不毛な言い争いを繰り返しているばかりだ。
「こ、このぉぉぉ!」
無視された事に怒りを覚えた影丸は、次々に連撃を繰り出す。しかし、直刀によるどの攻撃も、ルパンと銭形の見事な動きにより、全て手錠の鎖で止められた。
「くっ、ならばッ!」
影丸は一旦距離を取り、クナイと手裏剣による攻撃を繰り出そうと、懐に手を入れるが――。
「なッ――!」
懐にあったはずのクナイも手裏剣も消えていた。
そこで初めて、ルパンは影丸の方に顔を向けた。ニヤニヤと嫌らしい笑みを作りながら、ルパンは懐から何かを取り出した。
「もしかしてこれがお探しの物かな~」
ルパンが取り出したのは、片手いっぱいのクナイや手裏剣だ。
「い、何時の間に!」
「あれ、さっき言ってなかったけ。俺様は〝盗む〟事はピカイチなんだよね~」
ルパンは懐から次々と、影丸が持っていた暗器を取り出し、地面に放り投げる。
先程のほんの少しの接触で、かなりの量を盗んでいた様だ。
例え武器が無くとも九大天王、影丸はすぐさま対応を変えようとするが――。
「ぐっ!」
そのまま地面に倒れてしまう。気付けば動きを戒めるように、都合五つもの手錠が両足首にはめられていた。
「ふん、若造が。足元も確認せんで」
指先でくるくると手錠を回しながら、銭形が吐き捨てる。銭形が言葉を吐くと同時にロープを投げた。ロープは影丸の体に絡まり、グルグルと簀巻きにしてしまう。
繊維合金を織り込んだロープでの束縛。幾ら忍であろうとも、脱出が不可能な銭形流の縛り方である。それを銭形はほんの一瞬で為した。
「ぐっ……!」
口にまでロープが絡まり、影丸はうめく事しか出来ない。
「貴様ッ!」
ルパン達の所業に、怒りを感じた天童が飛び出そうとするも、中条がそれを制した。
「中条殿ッ!」
「待ちたまえ天童君。少し話をしてみようじゃないか」
中条は街灯から飛び降り、十メートル程の距離を置いてルパン達と対峙する。
銭形はそんな中条の姿を見て、フンと鼻を鳴らした。
「中条、ますます偉そうになりおったな」
「ご無沙汰してます、銭形さん。健勝な様で何よりです」
「はっ、心にも無い事言うな。背中がムズ痒くなるわ」
銭形はギョロギョロと九大天王を見回す。
「相変わらず、くだらない事をやっておる様だな。今回の一件、どうせ貴様らが原因の一端を担っておるのだろう。ここに来るまでに、危険に瀕してた民間人がたくさんおったぞ」
銭形は何人もの人間を助けながら、ここまで走ってきたのだ。そのため、言外に中条を非難しているのだ。
「それがどうかしましたか。私達の正義は、いずれより大きな災厄から人々を救う。そのためにも多少の犠牲には目を瞑らねばなりません」
然もありなん、と答える。
「変わらんのう。貴様らの押し付けがましい倫理に呆れてた事もあり、ワシは辞めたのだ。義理も人情も無く正義を語る、ワシには理解出来んわい」
「そうですか、銭形さん。影丸君の行いはこちらの不手際です、申し訳ありません。ですがどうでしょう、ルパンをそのままお引渡し願えたら、銭形さんに関してこちらで最大限の便宜を図らせていただきますよ。望めば九大天王への復帰も可能です」
銭形の言葉を聞きながらも、中条はそうのたまった。
銭形はため息一つ漏らしながら、九大天王の一人、大塚署長に目を向けた。
「おい、大塚よ。どうだ、ワシが抜けた後に座った九大天王とやらの席の座り心地は」
「……銭形、先輩」
日本の警察官の制服を着た大塚署長。彼は銭形と同じく、日本の警察からのたたき上げで九大天王にまで上り詰めた人間である。
十年前に銭形が《国際警察機構》、そして九大天王を辞めた後、その後釜に座ったのだ。
二人は似たキャリアのため、おのずと先輩後輩の間柄になっていた。
大塚は、問いかける銭形を強く睨み返す。
その反応にため息を漏らした後、銭形は隣のルパンのわき腹を肘で小突いた。
「おいルパン。貴様は何故ここにいる、こいつらに何か目をつけられたのか?」
「いんや、こいつらが俺の知り合いの妹さんにちょっかいかけてたんだよ。八人がかりで嬲ろうとしてたから、俺様が止めに入ったって寸法さ。なにせ俺は紳士だからね~」
銭形はルパンの言葉を聞いて、粗方を把握する。おそらく嘘は言ってないが、真実も語ってないだろう。
九大天王が介入する存在、それが何かしらの特殊な事情を抱えているのは明白だった。
それでも、銭形は決意する。
「おい、中条。こいつを引き渡せば、ワシを九大天王に戻してくれるんだな」
「えぇ、銭形さん程の実力があれば是非も無いかと」
銭形の言葉を聞きながらも、隣にいるルパンは涼しい顔だ。
「なら御免だ。貴様らの様なヤツらの味方をするぐらいなら、犯罪者で十分だわい!」
銭形はそう言いながら、コートの裾口から手錠を取り出す。
「ルパン、協力せい!」
「おいおいとっつあんいいのかよ、俺を逮捕出来なくなっちまうぜ」
「ふん《国際警察機構》ばかりが警察じゃないわい。貴様など埼玉県警に突き出してやる!」
その言葉にルパンは微笑する。
「銭形さん正気ですか。影丸が拘束されたとは言え、九大天王。こちらには八人もいるのですよ」
「――いいや、七人だ」
どこからか聞こえた声と共に、橋の下に水柱が上がる。
何かが橋の近くの湖上に投げられたのだ。水柱が収まると、水上にプカプカと浮かぶ人影があった。
それを見て九大天王の誰かが声を上げる。
「戴宗ッ!」
九大天王の一人戴宗が、ボロボロの姿で浮かんでいる。一人先行し、偵察任務を行っていたはずの彼が、無残な姿で戻ってきたのだ。
黒い影が橋向こうの建物から飛んでくる。その影は九大天王と同じく、橋の街頭のてっ辺に着地し、腕組みをしながら見下ろした。
「笑止ッ! 笑止ッ! 笑止ッ! 国際警察機構の腑抜けどもがッ! よもやここまで腐り果ててるとは、見下げ果てた奴らよ!」
ギラギラとした瞳、片眼鏡を付け、口元には葉巻。〝衝撃のアルベルト〟がそこに立っていた。
その姿を見て、ルパンは顔を引きつらせた。
「げっ……」
「貴様、ルパンか!」
ギロリと睨み付ける。
美砂の異母姉妹の姉であり、アルベルトの娘である女性がいる。
そのアルベルトの娘とルパンはかつて親交があり、娘はルパンの大ファンでもあった。
しかし、アルベルト本人はその関係に腹が立ち、何度もルパンを叩き出そうとした。ルパンもルパンで、そんなアルベルトの猛攻をヒョイヒョイと避け、いつの間にか逃げ切ってしまう。そんな関係も十年ほど前、ルパンの死亡により終わってしまうのだが。
二人の間にはそんな事があり、ルパンはアルベルトを苦手としていた。
「おいおい、なんでアルベルトのおっちゃんまでいるんだよ」
「貴様、生きていたのか。それに銭形までおるか」
アルベルトの鋭い眼光に、ルパンは及び腰になる。
手錠で繋がれた銭形は、後ろに下がるルパンをグイッと引っ張った。
「久しいなアルベルトよ。よもや、お前は《国際警察機構》に協力するなどと言わんよな?」
銭形の言葉に、アルベルトは笑いを堪えるかの様に答えた。
「わしが《国際警察機構》に? これ以上笑わせるな。たとえ奴らがどれだけ変わろうが、わしの生涯の敵である事は変わらん!」
「なら協力しろアルベルト。ワシはどうにも腹の虫が収まらん。こいつらが街中に入る前に、この橋の上で叩き返す。さすがに手が足らん、貴様も二、三人相手をしてやれ」
アルベルトはそれにフン、と鼻息荒く返した。
「――いいだろう。貴様に協力するのはしゃくだが、虫の居所が悪いはわしも同じだ。だが、勘違いするな、元九大天王である貴様の味方になったわけでは無いぞ」
銭形とアルベルトが闘気を発する。手錠で繋がれたルパンは、戦意を上げる銭形にズルズルと引っ張られる形だ。
「交渉決裂ですか。まぁいいでしょう。だが、あなた達は我々の実力を勘違いなされている様だ」
それに対して、中条がスーツのジャケットを脱ぎ、軽くシャドーボクシングをして拳を温める。
「老いぼれどもが騒いでやがる」
「我々に勝つつもりか」
「とんだ思い上がりですな」
九大天王が次々と銭形達へ敵意を向ける。
一触即発の空気が場を支配した。
その空気を切り裂いたのは、銭形であった。
「どぉおりゃぁぁ!!」
銭形が空高くへと手錠を投げた。
遥か上空まで飛んだ手錠は、そこで一瞬煌いた後、大量の投げ手錠へと分裂した。
「なぬッ――」
九大天王の一人が驚きの声を上げる。
分裂した数千の手錠が、まるで豪雨の様にこの橋へと降り注ぐ。
「ガハハ、これがワシからの宣戦布告だぁぁぁ!!」
銭形の声。
大量の手錠が舞う中、敵味方各々が動き出す。
今、総勢十人の超人による乱戦が、図書館島を繋ぐ橋の上で始まった。
◆
「ちぃッ!」
承太郎はフーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』から距離を取った。
そこへフーゴの背後から、承太郎を狙ったミスタの銃弾が襲い掛かる。
「オラオラ!」
スタンドの拳の連打で、承太郎はそれをどうにか防ぐ。
承太郎は予想以上の苦戦を強いられていた。
こちらのスタンド能力は『時を止める』という反則的なまでの力を持っている。
しかし、相手もさるもの。
フーゴとミスタの二人は、しっかりと承太郎への対応をしていた。お互いの短所を補うコンビプレー。
そのため、承太郎も決め手に欠いていた。
ウィルスをばら撒きつつ、パワー型の『パープル・ヘイズ』が遠距離からの攻撃を防ぎ、ミスタは承太郎の隙を突いて狙撃や牽制を繰り返す。
相手にこちら側の能力がばれているというのも痛かった。
そして問題の一つがこちらの味方、仗助の存在であった。
仗助もスタンドを使うが、それは数分前に発現したもの。まだ扱いに慣れていない上に、その能力も判明していない。
故に、承太郎は仗助を守るというハンデを背負いつつ、手練二人を相手にしなくてはいけなかった。
「わわッ!」
背後では仗助がスタンドを出しつつ、何やら慌てている。
仗助はスタンドを御しきれていない。
おそらくは自分と同じパワー型のスタンドなのだろうが、その溢れる力を持て余している様だ。
『くそッ、厄介だな』
フーゴが舌打ちをする。
決め手に欠けていたのはフーゴ達も同じだった。
幾ら承太郎のスタンド能力を知っているとはいえ、その力は強大だ。ほんの少しの隙が、自分達の死へと繋がる。
(だが、後ろの男のおかげで均衡を保てている)
フーゴ達が仗助を攻撃すれば、承太郎は下がらざるを得ない。仗助もスタンドで防御を行おうとするも、それは拙かった。
歴戦のミスタからすれば、その防御の隙間を狙うのは容易い。かろうじて致命傷は避けているものの、仗助の体には少なくない傷があった。
(しかし、このままではマズイ。僕の能力には限りがある)
フーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』は強力だ。拳にあるカプセルが割れると、中から致死性のウィルスがばら撒かれる。日光に当たるとあっという間に殺菌されてしまうものの、感染すれば三十秒程で死に至る強力なウィルスだ。
しかし、能力で使われるカプセルは両手に三個ずつ、合計六個しかない。もう二回ほど使用しているため、残りは四個。今後の戦闘も考えれば、出来るだけ多く残したい。
フーゴは一気に畳み掛ける事を決意する。
『ミスタ一気に畳み掛けるぞ! あの〝変な髪形〟のガキに牽制をかけ続けろ、僕が空条承太郎を殺すッ!』
『良いプランだ。俺もこの戦いには飽き飽きしていた頃合だ』
イタリア語でのやり取りだったが、距離が離れてたため承太郎には良く聞き取れず、イタリア語の分からない仗助には理解できないはずだった。
しかし、仗助はフーゴがチラリと自分を見た事に気づいていた。その視線が自分のどこの部位を見ていたかも。
「あぁッ!!」
仗助がこめかみに血管を浮かび上がらせながら吼える。
「おいイタリア野郎ッ! てめー今、俺の髪型を馬鹿にしただろう!」
「やめろ、仗助」
仗助が無防備に歩いていく。承太郎の静止も振りほどき、メンチを切りながらフーゴに近づいた。
そんな仗助に、承太郎は頭が痛くなる思いだった。
仗助は昔から今のリーゼント頭に憧れており、その髪型を貶されるのを何よりも嫌う。現に今、本来理解出来ないはずのイタリア語ながら、相手の視線と口調で何を言っていたか察してしまったらしい。
こうなると仗助は止められない。
承太郎も一気に加勢しようとするが――。
「クッ!」
承太郎の体に次々と銃弾が向かってくる。
四方八方から、ジグザグに飛んでくる弾丸を、承太郎はスタンドで叩き落した。
『余所見するなよ、おっさん!』
ミスタの罵声。
『予定変更だぜフーゴ。お前はそのガキをさっさと始末しろ。ウィルスに感染すれば、おそらくクージョーは助けようとするだろう。その隙を狙う!』
その提案にフーゴも乗る。
目の前に迫る仗助に対し、無慈悲な『パープル・ヘイズ』の一撃を放った。
「貰ったッ! 『パープル・ヘイズ』ッ!」
『パープル・ヘイズ』の拳が仗助に向かう。
「舐めんなよッ! ドラァァァッッ!」
フーゴの拳に合わさるように、仗助のスタンドの拳がぶつかった。
「なにッ!」
拳と拳が正面からぶつかる。その威力故に、『パープル・ヘイズ』の右の拳のカプセル、残っていた二つともがヒビ割れた。
(クソッ! しくじった)
まさかの捨て身の戦法に、フーゴは大事なカプセルを一度に二度も失った。それでも、ウィルスさえ間近で散布してしまえば、仗助の感染は必須。フーゴは冷徹な計算でもって、勝利への確信を抱いた。
しかし――。
「なッ――」
割れたはずのカプセルが、動画の逆再生を見るかの様に復元していく。
その現象に、フーゴは一瞬硬直した。
「ドラァァァァァ!!」
その隙を逃さず、仗助のスタンドの拳が『パープル・ヘイズ』の顔面に突き刺さる。
「ぐっ!」
スタンドの影響を受け、フーゴが吹き飛びかけるが、どうにかこらえた。
「この、クソガキがぁぁぁぁぁッッ!」
フーゴは怒りを露にしながら、再び『パープル・ヘイズ』で殴ろうとする。
(さっきの現象は何だ? いや決まっている、こいつのスタンド能力だ。じゃあ一体――)
フーゴの中で様々な思考が過ぎる。
『パープル・ヘイズ』の拳は、再び仗助のスタンドの拳で止められた。カプセルは割れるものの、瞬時にそれは元に戻る。
「こいつぅぅぅぅぅぅ!」
「ドラドラドラドラァ!」
拳と拳がぶつかり合うのが繰り返された。
(この野郎の能力は復元? 物体を元に戻すのか?)
その攻防で、フーゴは確信する。仗助のスタンド能力はおそらく復元、カプセルが割れた時、同時にあった拳の傷さえも修復された。そこから推測されるのは、物質や生命を復元するという能力の方向性。
(なら、ウィルスをばら撒かせないために、こちらを修復し続けるはず。なのに――!)
フーゴ側の傷はすぐに復元した。しかし、仗助の傷は元に戻らない。おそらく仗助のスタンド能力は自分に適用されないのだろう。
この状況は圧倒的にフーゴに優位なはずだ。
(なんで、僕が押されてるんだ!)
拳と拳のぶつけ合い。フーゴは仗助により傷の復元をされ続けているにも関わらず、体の芯に強い痛みを感じた。
「どうしたイタリア野郎ッ! ドラドラドラーーーッ!!!」
仗助の攻撃はより一層激しくなる。
一撃当てれば終わるはずの優勢な戦いが、いつの間にか仗助により逆転されていた。
「いい加減くたばれーーーッ!」
フーゴの理性が飛び、『パープル・ヘイズ』が野獣の様に仗助に襲い掛かろうとした。
「――なッ!」
だが気づいたら、襲い掛かろうとした『パープル・ヘイズ』の両腕がブランと下に垂れていた。痛みがフーゴの体を走る。
(まさかッ――!)
仗助とのスタンドの打ち合い、度重なる傷の復元で、フーゴのスタンドは確かに磨耗していたったのだ。
折れた両腕を垂らしたフーゴの目前に、仗助の顔面があった。
「どうした! 仕舞いか、この野郎ッ!」
仗助の生身のヘッドバットがフーゴに決まる。
「――ぶッ!」
体勢を崩すフーゴに、仗助のスタンドの追い討ちがかかった。
「ドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラーーーーッ!」
スタンドによる拳の嵐が、フーゴの体とスタンド、両方に降り注ぐ。
「――ガハッ!!」
フーゴは血を撒き散らしながら、地面へと沈んだ。
倒れたフーゴを見下ろし、そこで仗助は怒りが静まったのか、ハッと周囲を見渡す。
今がどの様な状況か思い出したのだ。
すると――。
「うぇっ?」
少し離れた地面にもミスタが倒れているのを確認し、仗助は変な声を上げた。
「こっちは片付けた。良くやったな、仗助」
承太郎がミスタを倒していた様だ。承太郎の能力は一対一なら絶大な力を発揮する。さすがのミスタも、承太郎相手では時間稼ぎが限界だった様だ。
「にしても、お前のそのすぐ頭にくる癖、どうにかならんのか」
「いやー、どうしても髪型貶されるとカーッとなっちまうんッスよね」
ボリボリと首の後ろをかく仗助。
「とにかく急ごう。時間をくってしまった、康一君や豪徳寺君が心配だ」
「そうッスね、急ぎましょう」
戦場の中心となる場所へと、二人は走り出した。
◆
関東魔法協会の地下本部で、近右衛門は考えあぐねていた。
現状に置ける手の少なさが、彼の苛立ちを強くさせている。
「ぬぅ……」
現在、魔法協会の魔法使い達は、鬼神兵が現れた世界樹広場周辺を囲む形で戦線を作っている。円状に囲まれた戦線は、北部を除いたお椀型になり、避難民を守る壁となっていた。
しかし、東部の戦線は崩れてしまっている。
東部では範馬勇次郎とエヴァンジェリン達の戦いに、鬼神兵が混じる形で死闘が行なわれていた。
幸い、避難民は西部と南部に誘導されているので、巻き込まれた人数は少ないだろう。
湖に面した北部は、国際警察機構の侵攻に晒されている。避難誘導はかけたものの、戦線の維持のため、そこまで戦力が回せないのが現状だった。
そしてなにより――。
「吉良吉影」
吉良吉影と言われる今回の犯人は、あの世界樹を味方に付けているらしい。
超の情報によれば、よほど密度の高い魔法障壁に守られているとか。
それでも、彼を殺せば多くの魔法使いに仕掛けられている『スタンド』が解除できるはずなのだが、これまた超の情報システムによれば、殺すこと自体がこちらの不利になるらしい。
だからといって放置する訳にはいかない。速やかなる処置が必要であった。吉良のスタンド発動まで二十分を切っている。
本来、近右衛門は戦線を維持しながら、鬼神兵の数を減らした段階で、高畑に吉良討伐を命じようと思ってたのだ。
システムの情報通りならば、高畑くらいの腕が無ければ、あの障壁を破るのは至難の業だ。
現時点で魔法使いを複数向かわせた場合、避難民を守るための戦線は崩壊する。
(わしが行くか……しかし)
近右衛門は極東一の魔法使い、などと呼ばれているが、その肉体はとうにピークを過ぎていた。魔力量と魔法の構成だけならば、人間の中ではかなりのものだろう。
されど、実戦を離れた期間の長さが、近右衛門に不安を抱かせる。痩せ衰えた体に、かつての力強さは無い。魔力による強化が無ければ立つ事さえも難しいだろう。それに、近右衛門は元々前線で戦うタイプでは無いのだ。
現状打破の手を考えている中、情報システムのマップの中に、一つのマーカーを見つける。
「ふぉっ、これは――」
魔法使いが構築している戦線の内側に、金色のネズミのアイコンマーカーがあった。
「彼女が向かっているのか」
近右衛門が知っている少女は、再び最前線で戦っている様だ。彼女には魔力も無く、気も扱えない。
魔法使い達から見れば無謀とも思える状態で、彼女は最前線をひた走っているのだ。
「ふぉっふぉっふぉっ、わしは確かにもうろくしていた様じゃな」
二ヶ月前にエヴァに言われた言葉が過ぎった。
「未だ矜持がある」
ニヤリ、と近右衛門は強い笑みを作った。こめかみを汗が伝う。
身の守り、保身。人が長く生きていると、それらにより眼が曇っていく。近右衛門は腹を括った。この戦いは誰しもが流血を避けれぬ戦いだと気付いたのだ。
そうと決まれば、行動は早かった。
「皆の衆、この場から退避せよ。これから本部を破棄する!」
近右衛門の言葉に、本部で作業していたスタッフ達が驚愕の表情をした。
「学園長、しかし――」
「しかしもへったくれも無いわ! これからこの地下本部ごと『麻帆良結界』を破壊する」
結界の破壊、その意味を魔法使いの彼らはよく理解していた。
この大きさの結界は何も不可視の壁、というだけでは無い。この土地の安定にも必要不可欠であり、世界樹の力の影響を外に漏らさない役目もあるのだ。
『麻帆良結界』は云わば、建物の骨組みに等しい。世界樹という巨大な霊樹を抱えている麻帆良が、地脈などの安定をさせるために、一世紀以上の長い時間をかけ、改良改築してきた代物だ。
そのため、結界の根幹はこの施設に直結している。結界の破壊は、この施設の放棄と同じ意味なのだ。
結界が無くなれば、世界樹の持つ巨大な魔力により、いずれ何かしらの災害がこの地を襲うかもしれない。地脈やらに乗せた呪詛を街に蔓延させる輩もいるかもしれない。
簡易的な結界ならば再構築は可能だろうが、一度破壊した後に『麻帆良結界』と同規模の結界を構築するのは数十年単位での時間が必要だろう。
破壊すれば長年抑えられていた地脈は乱れる。そこからもう一度情報を精査して、こまかく構築を考えるのだ。
結界の再構築には、巨大な歴史的建造物を一から作り直す程の根気が必要なのだ。
「現状では『結界』などお荷物に過ぎん。それに『結界』を壊せば、こちらの〝切り札〟が息を吹き返す」
近右衛門はそう言いながら、足元に魔方陣を構築していく。空中に光の筆が現れたかの様に、魔力による光の軌跡が、複雑な幾何学模様を作った。
巨大な施設である地下本部をまるごと壊すのは難しい。それでも『麻帆良結界』の基幹部分である場所を破壊すれば、麻帆良結界はドミノ倒しの様に崩れるはずだ。
施設の中央部が破壊される様に、近右衛門は次々と魔方陣を作っていく。
「早く退避じゃ! そして戦線の維持に参加じゃ。わしもすぐに追いつく。我ら魔法使いの意地、見せてやれ!」
この地下本部にいたスタッフは魔法使いであるが、それでも戦闘に秀でているわけでは無い。魔法とはなにも戦う術では無く、総合的な体系技術なのだ。
それでも、彼らは一般人よりはるかに戦闘力を持っているだろう。
近右衛門の指示に首肯した彼らは、手に持てるものだけを持ち、急いで施設から退避していく。
人員が施設から完全退避するまでの数分、近右衛門は司令部で施設内部を見つめた。
ガランと人がいなくなった光景に、どこか郷愁の念が沸く。
「ここともお別れじゃな」
スタッフから退避完了の報告が持たされた瞬間、近右衛門は施設を破壊した。近右衛門の魔力光が設置した魔方陣から放たれ、次々と施設の支柱を破壊していく。結界の根幹となる、施設の中央も破壊された。
近右衛門はそれを見届けると、あらかじめ用意しておいた短距離転移の術式で地上へと飛ぶ。
老爺の瞳には、戦士たる鋭さが宿っていた。
◆
「こんな所で、寝てられるかよぉぉぉぉ!!」
周囲をアンドロイドに囲まれ、千雨が疲労で倒れてしまった時、人影が空から舞い降りた。
「――え?」
知覚領域にも確かに反応があった存在だ。
千雨が叫んだ時、その人影はあっという間に数百メートルを走り、目の前までやって来た。
その人間離れしたスピードに驚くものの、麻帆良の魔法使いならやってのけるだろう。先程出した救援要請により、やってきた魔法使いかと思ったのだが――。
「――よっと!」
近くの建物の屋根から飛び降り、千雨とアンドロイドの間に飛び込んできた。
余りのスピードに、人影は靴裏を石畳に擦りつけ、砂煙を上げながら止まる。
「な、なんだ」
千雨は人影の存在に驚きを隠せなかった。
その体躯は小さい。
千雨の知覚領域が、目の前の存在の体格をしっかりと把握する。千雨と同じくらいの背、華奢な体つき。おそらく同年代の少女なのだろう。
千雨が驚いたのは少女だという事では無い。
「てぇいっ!」
少女は掛け声を上げながら、手に握った棒の様なものを振るった。
振るうと同時に少女の長髪が、空中に筆で文字を書く様に軌跡を残す。
その髪は異常だった。地面にまで着く程の長髪であり、その髪が少女の体躯や顔までも覆ってしまっている。
千雨が驚いたのは、そんな少女の奇異な容姿なのだ。
少女の手により振るわれた物は棒では無い。古い装飾、骨董品屋にでも置いてありそうな槍である。
槍は近くのアンドロイドの体に突き刺さった。
「うわ」
千雨はその現象の意味をしっかりと把握する。槍の成分はおそらく粗悪な鍛鉄。対してアンドロイドの装甲は最新技術の合金で出来ていた。単純な強度では後者が勝る。
なのに槍は、アンドロイドの装甲を軽々と突き破った。
「そりゃぁぁぁぁ!!」
少女は槍を持ち上げる。その切っ先にはアンドロイドが突き刺さったままである。
少女の細腕が、信じられない程の膂力を発揮した。
槍を肩に担ぎ、背負い投げの要領でアンドロイドを地面に叩きつける。
「ゴォォォーー!」
アンドロイドの口から音が漏れた。石畳は破壊され、アンドロイドも上半身をその隙間に埋もれさせた。
少女は素早く槍を引き抜き、まだ残っているアンドロイドへと対峙する。
そんな少女の後ろ姿を見つめながら、千雨は呟いた。
「お前は、一体――」
「え、私?」
少女は注意を前方に向けながらも、チラリと背後の千雨を見た。
「うーん、そうだね。えーと」
少女はしばし逡巡した後、何かを思いついた様に笑みを浮かべる。
「通りすがりのヒーロー……見習いってとこかな!」
「……は?」
◆
幾度目もの連鎖の果てに、超が見逃した希望の断片が姿を現す。
本来交わらぬ線と線が交差し、状況は加速した。
――《佐天涙子が来訪しました》
つづく。
●佐天涙子
二章の裏話的な話「るいことめい」の主人公。
別スレにて連載中。
獣の槍と呼ばれるアイテムを手に入れ、超人的な身体能力を得ている。
千雨の世界本編でも20話後半でチラリと登場。
また24話冒頭の都市伝説、同話のフレンダの台詞中にもちょこっと出てます。
●千雨の世界 勢力マップ
http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/novel/tizu004.jpg