世界樹広場へ向かう康一達の前には、何度もアンドロイドが立ちふさがった。
まるで自分達を標的にしてる様な、しつこいまでの襲撃である。
それらも承太郎の能力を駆使しつつの、四人での共闘によりなんとか撃退していった。
「うわっ!」
そんな四人の目の前で、車がスピンした。
制御を失った車は、通り沿いの店舗のディスプレイに突っ込み、盛大にガラスをぶちまけて止まる。
幸い、世界樹広場に近いこの当りでは避難が進み、事故に巻き込まれた人はいない様だ。
「うおっ、マジかよ」
「承太郎さん、どうします?」
仗助が驚き、薫が承太郎に訪ねた。今は先を急いでいる、そのため承太郎の答えも一拍遅れた。
「……とりあえず助けよう」
車はボンネットが潰れている。ガソリンが漏れているかは分からないが、危険な状態ではあるようだ。
中の人間を助け出すだけはしようと、承太郎は判断した。幸い自分達にはスタンドがあった。
その時、車から声が上がった。
『このっ!』
助手席のドアが乱暴に蹴られて飛んだ。そこから這い出して来たのは、金髪を逆立てた青年――フーゴだ。
『ボス、大丈夫ですかボス!』
フーゴはそのまま後ろのドアに近づき、無理矢理こじ開けた。
『いてて……。くっそ、トチっちまった』
ドアの無い運転席から出てきたのは、帽子を被ったどこか軽い調子の男。ミスタだ。
『トチっちまった、じゃねーぞミスタ! てめェ、何やらかしてやがる!』
フーゴが怒る。
「えーと、あの人達って外国人?」
康一は眼前で行なわれているやり取りを見ながらも、どうにも言葉が理解できなかった。それは仗助も薫も同じらしい。
「イタリア語だ。外国人観光客という所か」
承太郎が冷静に解説する。
承太郎達が車に近づいたとき、フーゴが弄ってた後部座席のドアが開いた。
そこから一人の青年が降りてくる。
波立つ様にカールした金髪。スラリとしながらも、力強さを感じさせる肉体。顔は整っており、女性ならば振り向かざるを得ない程の美青年だ。
なによりそれらに合わせて、彼からは周囲に対して神秘性を感じさせるカリスマがあった。
彼の青い瞳には強い漆黒の意志が見れる。
降り立った一人の青年に対し、承太郎は一人の男を幻視した。
「ディオ……」
かつて承太郎が死闘の果てに倒した、強いカリスマを持つ帝王の名前だ。未だに彼のシンパは多く、死した後もディオの影響は世界的に根強い。
そんなディオを、承太郎は視界に映る青年と重ねた。
だがすぐに思い立ち、自分の記憶と照らし合わせる。承太郎は彼の名前を知っていた。
若くしてイタリアのギャング・ファミリーを手中にした、謎の青年。
「お前は、ジョルノ・ジョバーナか」
承太郎の声を聞いて青年――ジョルノは振り返り、承太郎の事を目にして、軽く驚く。
そして笑った。
「そういうあなたは、――空条承太郎さんですよね」
流暢な日本語。確信に満ちた声で、ジョルノは問い返した。
第52話「それぞれの戦い」
スタンド使いは引かれ合う。
今まで何度思い出したか分からない言葉が、承太郎の脳裏に過ぎった。
確信がある。目の前のジョルノ・ジョバーナの異質な雰囲気、裏打ちされた自信の背後にあるのが『スタンド』だという事の。
承太郎達とジョルノ達。二つのグループの間に緊張が走った。
『おいおいジョルノ。何言ってるんだが、俺にはサッパリわからねーぞ』
その緊張を壊したのはミスタだ。この面子の中で唯一日本語を理解していないミスタが、疑問をそのままジョルノにぶつけた。
『大した事じゃないよミスタ。僕達の目の前にいる人が、〝あの〟空条承太郎ってだけだよ』
ジョルノの言葉に、ミスタは驚きと共に、ベルトに挟んでおいた拳銃に手をかける。臨戦態勢に入った様だ。
『おいおい、それってアレだろ。フーゴの持ってきた――』
『えぇ、例のリストにもある、最大級の危険人物です』
フーゴが補足する。
ジョルノ達とて無能ではない。自分達の力を脅かしえる存在、具体的にはスタンド使いに関する情報も集めていた。絶対数の少ないスタンド使いの中で、一番有名であり、そして最強のスタンド使いと言われているのが、目の前にいる空条承太郎であった。
承太郎のスタンド能力はその強力さ故に、良く知られていた。『時を止める』能力。これは相手が能力の詳細を知っていても、完全に防ぐことが難しい、汎用性の高い能力ともいえる。
ジョルノ達とて、ある程度仕入れられた情報には目を通している。今回の麻帆良への介入に際しても警戒していた人物、それが承太郎であった。
今、ジョルノ達は承太郎と遭遇してしまった。そこには、只の偶然とは思えない引力が働いていた様に感じられる。
『これは嵌められたかもしれませんね』
フーゴが呟く。
彼は違和感は覚えていたのだ。
本来、世界樹の西側にいた彼らは、車を拝借して世界樹へ一直線に向かうはずだった。
だが、鬼神兵を迂回したり、サイボーグの妨害を受け、何時の間にやら世界樹の北側へと至ってしまった。
そしてタイヤのパンクによるスピン。気付けば目の前に承太郎がいた。
この混乱の中。敵と遭遇しない方がおかしい。それでも、承太郎という存在と出会ってしまった形に、何かしらの力が働いていると思わざるをえなかった。
『フーゴ、考えるのは後だ。これも好機と考えよう』
ジョルノの言葉にハッとする。
『はい、ボス』
フーゴもイタリア語で返した。そして体を軽くほぐし、目の前のグループと相対した。ボスの命令一つで、いつでも相手を殺せる様に、神経を張り巡らせる。
「はじめまして空条さん。お名前は常々拝見していますよ」
「こちらも名前は聞いている。ジョルノ・ジョバーナだな。イタリアのギャング組織《パッショーネ・ファミリー》の若きボス。そしておそらく《矢》の所持者でもある」
康一達はギョっとする。康一は《矢》を持っているという事に、そして仗助と薫は年下に見える目の前の男がギャングのボスであるという事に。
「お互い自己紹介はいらなかった様ですね。どうです、共闘といきませんか?」
「共闘、だと?」
承太郎は眉をピクリと動かす。
「あなた達の目的も恐らくキラなる男ですよね。幸い、僕も目的は同じです。それに、こちらには色々と算段もあります」
ジョルノはにこやかな笑顔を向けている。温和な語り口だが、状況を考えれば不気味だった。
「何が目的だ?」
「そうですね……空条さん、あなた方が所持している《矢》の一つを共闘の報酬として貰いたい」
確かに承太郎の所属するスピードワゴン財団には、保管されている《矢》があった。
「一方的だな。何よりこちらにメリットが無い」
「ありますよ。なら、証拠をお見せしましょう」
ジョルノの背後にスタンドが浮かび上がった。そして、そのスタンドの手の甲には《矢》が見える。
「あ、あれは《矢》!」
康一が叫ぶ。康一は一度《矢》に刺されているが、その形までは覚えていなかった。しかし、承太郎から渡された資料で、その形状をしっかり把握していた。
ジョルノのスタンド『ゴールド・エクスペリエンス』の手の甲にある《矢》が動き出した。まるで皮膚の下を這いずる様に、スタンドの体表を昇り、腕から胴へ、胴から顔へと至った。
《矢》が額に辿り着いた時、周囲に輝きが広がる。
「な、なんだコイツは!」
「うお、どうなってやがる!」
仗助と薫が腕で光を遮る。スタンドが見えないはずの薫にも、この光は見えたらしい。
ジョルノのスタンドの体が、まるで《殻》の様にひび割れ、その下から新しいスタンドが現れた。
「《矢》を取り込む、だと……」
承太郎はその一連の出来事に驚嘆していた。スタンドを覚醒させる《矢》を、スタンド自身が取り込む。その様な行動の結果を、承太郎は知らない。
「そう! これこそが僕のスタンド『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』!」
『ゴールド・E・レクイエム』と呼ばれたスタンドは、その名の通り黄金の輝きを持った人型のスタンドだ。ただジョルノの背後に佇むだけで、他者を圧倒する力強さがあった。
力の奔流。
場はジョルノという青年を中心に回りだした。
「どうです? これが《矢》の力。《矢》の本当の使い道です」
ジョルノはじっと承太郎を見つめた。承太郎のこめかみに汗が一筋流れる。
「……君は《矢》を手に入れてどうするつもりだ?」
「僕は自らの正義を貫きたい。そのために力は必要不可欠だ。《矢》はそのための礎。僕の力を磐石にしなくてはいけない」
ギャングのボスが『正義』という言葉を吐く。だが、そこには薄っぺらい欺瞞もためらいも無い。ジョルノの瞳には強い意志が宿っていた。
しかし――。
(こいつは危険だ)
承太郎の本能が強い警鐘を鳴らしていた。
目の前の存在は言葉だけなら温和で高潔だが、その裏にあるどす黒い野心が見え隠れした。才能に裏打ちされた野心。
間違いなく目の前の青年は、ディオの血を受け継いでいた。
「そうか。なら、君に《矢》は渡せない! 『スター・プラチナ』!」
承太郎の背後にスタンドが現れ、時間を止める。
ジョルノとは十メートル程離れていたが、承太郎からすれば指呼の距離だ。
承太郎は一気にかたをつけようと、距離を詰めてスタンドの拳の連打をジョルノに向けて放った。
「オラオラオ――」
ジョルノに拳が当たる瞬間、承太郎は驚愕に目を見開く。
(何、だと……)
拳はジョルノに触れるほんの少し前で止まった。それだけでは無い。まるで自分のスタンドが、映像の巻き戻しの様にスルスルと戻っていく。
〝ジョルノを攻撃する直前〟の姿にまで戻った。
(時を戻す能力なのか? いや、だがそれでは――)
気付いたらもう一度ジョルノへ攻撃出来る体勢へと戻っていた。未だに承太郎のスタンド能力は働いていた。
もう一度攻撃しようと拳打を放つが。
「オラオラオ――」
またもジョルノへ触れる間際に、攻撃は戻ってしまう。
承太郎が幾ら繰り返してもジョルノへの攻撃には届かなかった。
やがて承太郎がジョルノへの攻撃を諦めると、時間の流れは順調に動き出した。
体感時間にして五秒ほどの『スター・プラチナ』の時間停止が終わる。
ジョルノの目の前に急に現れた承太郎へ、周囲からの驚きの視線が突き刺さる。
『テメェ!』
『チッ!』
ミスタが銃を向け、フーゴも身構えた。
「うおっ!」
「何時の間に!」
仗助と薫も、承太郎の動きに目を丸くした。
その中で、ジョルノだけが涼しい顔をしている。承太郎の身長は高い。そのため承太郎がジョルノを見下ろす形だが、その顔にはビッシリと汗が浮かんでいた。
「どうでした、僕への攻撃は?」
「これが、《矢》の力ってわけか」
ジョルノはニヤリとする。
「えぇ、『全ての攻撃を無かった事にする』。これが僕の『ゴールド・E・レクイエム』の能力です。この場合の攻撃とは、僕の肉体に害を与えるものや、敵意ある行動になります。つまり、僕への攻撃は永遠に届きません。例え届いたとしても、その攻撃は無かったとされる。そして僕への攻撃を諦めるまで、永遠に時間は進みません」
「――ッ」
承太郎なりの推察とほぼ同じであったが、それだけに衝撃であった。もちろんブラフの可能性もある。
だが、ジョルノの言葉通りなら、目の前の青年のスタンドはまさに『無敵』。
承太郎ですら『敵』に為りえない。
(なら、なぜこいつは俺達に取引などを持ちかける)
承太郎の冷静な部分が、ジョルノの言動の不可解さに引っかかった。
わざわざ自分の能力を明かしている。
それに、これほどの強大な能力を持つならば、承太郎達を容易く葬れるはず。なのに、やらない。
(いや、やれないのか)
何かしらの制限があるのかもしれない。
それにおそらくジョルノの目的は《矢》。
(《矢》を俺から引き出すため――)
承太郎は視線を鋭くした。
「ジョルノ・ジョバーナ。こいつは俺への挑発って所か?」
承太郎の言葉に、ジョルノは笑みを強くした。
「なるほど。流石に鋭いですね。ご明察です。僕の力を知れば、噂通りのあなたならば、僕を放っておけない。必然、あなた自身が《矢》を持ってやって来てくれる」
ジョルノの能力を相手にするならば、同じ土俵に上がるしかない。今、手元には無いにしても、承太郎には自らも《矢》を使う選択肢しか思いつけなかった。
《矢》の力を使った承太郎に負ける、とはジョルノは思っていない。それは彼の自信の表れでもあった。
承太郎に《矢》を使わせ、そして自分の目の前にやって来させるために、わざわざ《矢》の使い方と自分の能力をジョルノは見せつけたのだ。
「最初から共闘なんてする気は無かったってわけか」
「いえいえ。状況が状況です。温和に解決出来るならそれが一番でしょう」
承太郎が苦虫を潰した様な表情をしている。
承太郎へと、ミスタとフーゴの攻撃の照準が定まっていた。対してジョルノにも、康一がスタンドで、薫が拳に纏った気で狙いを定めている。
一触即発の空気があった。
そこへ、第三者の乱入があった。
上空から落ちてきたアンドロイドだ。
承太郎とジョルノを目標とし、アンドロイドは自重を乗せた打撃を振りかぶっていた。
「なッ――」
周囲は一瞬唖然とする。アンドロイドを視界の隅に視認してほんのコンマ一秒で、その姿は承太郎達に肉薄した。
しかし、ジョルノの『ゴールド・E・レクイエム』の能力により攻撃は無効化され、アンドロイドの拳は承太郎達が立つ場所のすぐ横に突き刺さった。
石畳が粉々に破壊され、破片が宙を舞う。
それらの幾つかが承太郎の頬を浅く抉ったが、ジョルノには破片が一つも掠らなかった。
承太郎はこの隙にジョルノと距離を取り、康一達の所へ戻る。
「康一君、君は世界樹へ向かうんだ。ここは俺達が引き止める」
承太郎が叫ぶ。
「え、でも――」
ためらう康一に、承太郎は言う。
「あの男は危険だ。決して吉良吉影が持つ《矢》を渡してはいけない。康一君、だからこそ君が行くんだ」
目の前ではジョルノ達とアンドロイドの戦いが始まっていたが、ジョルノ達が圧倒していた。
ミスタと呼ばれた青年が拳銃を放つと、その銃弾が容易くアンドロイドの眼球部を貫いた。弾丸はそのままアンドロイドの内部を破壊していく。
「時間が無い。頼む」
承太郎は康一の背中をドンと押す。そして承太郎は薫も見た。
「豪徳寺君、君も康一君に付いて行ってくれ」
スタンド使いとの戦いは、スタンド使いで無いと難しい。
スタンドが見えない薫からすれば、先程の一連のスタンドのやり取りも、ほとんどが分からなかった。そのため、承太郎の真意をしっかりと汲み取った。
「分かりました、こっちは任せて下さい。仗助、死ぬなよ!」
薫は仗助の肩を叩きながら走り出した。ためらい気味な康一の背も叩く。
「ほら行くぞ康一」
「う、うん!」
康一はチラリと承太郎達を振り返った後、世界樹へ向けて走り出した。
「康一、俺の分もしっかり殴って来い! いいな!」
「分かった!」
仗助が叫び、康一が走りながら答えた。
丁度その時、ジョルノ達が戦っていたアンドロイドが破壊された。
承太郎は背後にいる仗助に話しかける。
「すまんな仗助。貧乏くじだ」
「はは、なーに言ってるんスか。モノホンのヤクザ相手に喧嘩。これもまた味がありますよ」
仗助は軽口を言いながらも、どこか緊張していた。
アンドロイドが破壊され、ジョルノ達の注意がこちらへと向く。
『なるほど。あなた達が足止め、という事ですか』
ジョルノがイタリア語で呟く。
『ヘイヘイ、ボス。あんたも先に行くべきだ』
ミスタがジョルノに話しかけた。
『クージョーナントカってのは、俺らがぶっ殺す。だからあんたは先に行って、《矢》をガメられない様に、キラとやらをぶっ殺してきてくれ』
ミスタが拳銃の弾丸を詰めなおし、銃口を承太郎達へと向ける。
『いささか不本意ですが、僕もミスタに賛成です。私達の中でキラに対抗出来るのはおそらくあなたしかいない。空条承太郎ならまだやり様があります。何より、相手は僕の能力を知りませんから』
フーゴが言う。
二人は知っていた。ジョルノの使う《矢》の力は、恐ろしく能力者の精神を疲労させる事を。後々を考えれば、ジョルノは力を温存させるべきだった。
そしてそのジョルノの力を温存させるための露払いこそが、彼らの仕事だった。
『ミスタ、フーゴ……。分かった。君達に命令だ。〝僕を先に行かせろ〟』
ミスタの拳銃にスタンドが現れる。フーゴの背後にも人型のスタンドが現れた。
『了解だぜボス!』
『了解!』
ジョルノは一気に走る。世界樹へ向けて走るが、選んだ道は康一と異なっていた。
「ちっ! 行かせるか『スター・プラチナ』」
「やらせませんよ、『パープル・ヘイズ』」
承太郎のスタンドの『スター・プラチナ』が時間を止める。
対してフーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』が拳を振るった。
フーゴのスタンドは体が紫色の人型のスタンドだ。手の甲には球状のカプセルが片手に三個、両手で合わせて六個ある。
ジョルノを追いかけた承太郎の針路に合わせて、『パープル・ヘイズ』は拳を地面に向けて振るい、カプセルの一つが割れた。
承太郎はそんな『パープル・ヘイズ』の所作を気に留めながらも、時が止まった空間の中でジョルノへと向かう。
『パープル・ヘイズ』の横を通り抜けた時、承太郎の腕に違和感があった。
「なにッ――!」
見れば、自分のスタンドの腕の一部が奇妙な形で腫れ上がっていた。コートの袖を捲り上げ、自分の腕も確認する。そこにも同じような小さい腫れがあった。
承太郎はこれと似たような現象をしっていた。
「『フォクシー・レディ』……」
アキラのスタンド『フォクシー・レディ』のウィルスに似ていた。いや、それよりも厄介かもしれない。
この空間は時間が止まっている。止まっているといっても、ほんの少しずつ時間の流れは戻ってきているのだ。
その些細な時間の流れで感染し、即座に腫れを作る。
アキラの能力よりも即効性がある様だ。
腕の腫れている部分に触れないように、承太郎はスタンドでその部位を大きく抉った。腕からは血が飛び出す。肉の破片は地面に捨てた、
そして、フーゴのスタンドから距離を取る。
チラリとジョルノを見れば、康一とは別の道で世界樹へ向かうらしい。
(ジョルノ・ジョバーナ。ここまで予想していたのか)
仮にここでジョルノが康一と同じ道を選んでいたなら、フーゴのスタンドを省みずに追走していただろう。
だが、康一に直接的危険が無いのならば、承太郎は目の前の敵を優先する。
おそらくジョルノはそこまで予想し、あの進路を取ったのだろう。
時間が動き出す。
そこでフーゴは、腕から血を流す承太郎を見て感心した。
「なるほど、さすがですね」
「くっ。厄介な能力だな」
「それはお互い様です」
フーゴが承太郎の前に立つ。
「ちょ、承太郎さん。腕、大丈夫なんスか!」
腕から血を流す承太郎に、仗助は近づこうとするが――。
「おわッ!」
仗助の足元に銃弾が突き刺さった。
『おいおい、そこの坊や。テメェの相手は俺だぜ』
仗助にはミスタが立ちふさがった。
ミスタの言葉はイタリア語だ。それでも彼の放つ怒気は、仗助へと伝わった。
「テメェ、上等だッ!」
仗助もそれに相対する。
承太郎と仗助、二人の戦いが始まった。
◆
超は情報システムの維持に四苦八苦しながら、戦況を見つめていた。
戦況は芳しくない。
自らが作り上げたシステムのおかげで、戦力の無駄な偏りやロスは少ないものの、麻帆良に敵対する存在の数が多かった。
そして、超が注意していた人物の詳細が、たった今、超の放ったスパイカメラの一つにより判明した。
ジョルノジョバーナ、『ゴールド・E・レクイエム』。
ジョルノと承太郎のやり取りの一部を、超はしっかりと掴む事が出来た。ただ、ジョルノ達とアンロイドとの交戦の余波で、空中を飛ぶ小型のスパイカメラは粉々に破壊された様だ。
「攻撃を無効化する能力。何ともまぁ、バカらしいくらいの力ネ」
超の時代のデータにも残っていなかったジョルノ・ジョバーナのスタンド能力。能力の詳細を知れば、データに残らなかったのも頷けた。
また、承太郎とジョルノの一連のやり取りの時に発生した時空間の乱れも、超はしっかりと観測している。おそらくジョルノの言葉に嘘は無いだろう。もちろん、全ては言ってないのだろうが。
「攻撃したという分岐した未来そのものを破壊する。やってる事は吉良の縮小版といった所カ」
選択肢を選択肢にしない。相手がノーと答えるまで、永遠に同じ質問を繰り返す様に、ジョルノの能力は相手の選択肢を潰している。
超は麻帆良側の戦力を脳内で巡らせるが、彼に対抗出来る人間が思い浮かばなかった。
範馬勇次郎とて脅威だが、戦力の飽和でどうにか出来る相手ではある。
しかし、ジョルノ相手では戦力が戦力なりえない。
どのカードを切ろうともゼロに帰結してしまう。その様な相手では対処が出来ようはずが無い。
「いや、違うネ。私は何を勘違いしてたヨ。そう、戦うと考えるからこそ――」
選択肢を潰している。違う、ジョルノという脅威を前にして、自らが選択肢を狭めていたのだ。
相手は単なるスタンド使い、やり様があるはずだ。
「私も、覚悟を決める時ネ」
超は立ち上がり、モニターの前から離れる。
幸い、こちらの情報システムの維持のため、葉加瀬やドクター・イースターまで参加している。あと二・三十分程度なら持たせられるだろう。
超は《カシオペア》を握り締めた。
「おそらくチャンスは一度。外せないネ」
◆
麻帆良東部にある森林区域で、トリエラはエヴァンジェリン達と合流した。
エヴァの格好はいつもの少女趣味なファッションと違い、外套を纏った〝いかにも魔法使い〟といった様相だ。傍らにはいつもどおり茶々丸が立っている。
周囲がそこそこの大きさの森に囲まれている広場。芝生が広がる、一辺が二百メートル程の正方形型をした森の中にある開けた場所だ。
この森というのも、麻帆良の結界の境目であるから残されたものだった。麻帆良結界の境界線は、不意の事態には戦線になる可能性がある。
そのため民間人の被害を避けるため、家屋などの建築をしなかったのだ。また、森は魔法の秘匿性を助ける役目もある。単純に人目に付きにくいからだ。
「茶々丸、タカミチは?」
「あと十秒ほどで到着する見込みです」
トリエラは無言。ただ二人のやり取りを聞いていた。
そして十秒が経ち、高畑が空から落ちてきたかの様にして、三人の前に現れた。
降り立った高畑はいつものスーツ姿だ。しかし服はところどころ破れ、顔にも幾つか傷が見える。
高畑はエヴァ達三人に向かい、軽く手を上げた。
「や、すまない。ちょっと手間取ってね」
「ふん、なんとか間に合ったようだな」
エヴァはそう返すなり、高畑の背後をジッと見た。
「――来るぞ」
エヴァの呟き。
風が吹いた。トリエラは体を叩く強風に、目を細める。
ほんの数秒で風は治まった。
そして、トリエラは視界の変化に気付く。
「え……」
風が治まった時、エヴァやトリエラ達の向こう五十メートル程先に、一人の壮年の男が立っていた。
髪はなびかせるままにしつつ、顔は笑みを作っている。
筋肉質の体躯は大きく、その立ち方ですら他者を圧倒する何かがあった。
男はゆっくりと歩いてくる。笑みを作りながらも、その瞳は鋭く、トリエラの心は萎縮させた。
(なに、何なの)
バクバク、と自分の心音が聞こえる。
エヴァに事前に聞いていたはずなのに、目の前の男の名前すら思い出せない程、トリエラは混乱した。
「来たか、『オーガ』」
エヴァは背後に茶々丸と高畑を従えながら、男に近づく。トリエラは立ちすくみ、歩くことすら出来ない。
「よぉロリババア、久しぶりだなぁ」
男――範馬勇次郎は笑みを作りながら、手を上げた。
「クソガキが、一丁前の口をきく様になったな、えぇ?」
勇次郎の物言いに、エヴァは言い返した。
だが、勇次郎は無言。
ただじっとエヴァを見つめた。
「くはッ!」
そして噴出した。
堪えきれぬといった感じに、腹を押さえて笑い始める。
「くはははははははははッ! おいおいババア、噂は本当だったのかよ! あの『闇の福音』とか呼ばれたお前が封印されてるとか! 本当に魔力がねぇよ! くははははは!」
勇次郎は嘲るような視線を、エヴァに向けた。
「惨め過ぎるぜバァさん! 惨め過ぎて笑いが堪えきれねぇ、クハハハハハハハハ!!」
「貴様――」
憤怒の表情のエヴァンジェリンを、高畑が手で制した。
そのままエヴァの前に立ち、勇次郎と向かい合う。
「お久しぶりです、範馬勇次郎さん。僕を覚えておいでですか?」
勇次郎は笑うのを止めて、高畑を見た。
「高畑・T・タカミチか。前に会ったのは、確か二十年前の大戦で『紅き翼』の後ろに隠れてたガキンチョの時か。腕を上げたようだな」
範馬勇次郎はさも当然の様に言う。
この男は『地上最強の生物』などと言われ、その肉体のスペックばかりに目を引かれるが、実際の所、知能の高さも群を抜いているのだ。
記憶、知能、知識とてそこらの大学教授では顔負けのものを持っている。
また、強者の存在を知ることもやめない。常に情報のアンテナを広げ、貪欲なまでに強さを求めるのだ。
その渇望もまた、『地上最強の生物』たる所以の一つであった。
「覚えててくれましたか」
高畑は相好を崩した。
「範馬さん、僕はあなたが何故この場に来たか、分かっているつもりです。ですが、今はこの状況です」
手で戦場となった麻帆良を高畑は示す。
「どうか、手を引いては貰えないでしょうか」
高畑は勇次郎に懇願した。
高畑の後ろにいるエヴァが言う。
「おい、タカミチ。無駄だ、やめろ」
「エヴァ、ここはまかせてくれ」
二人の呟きを流しつつ、勇次郎は退屈そうに答えた。
「なんだ高畑・T・タカミチ、お前は昔馴染みのよしみで、俺を追い返そうというわけか。この楽しそうな〝祭り〟に、俺を参加させないために」
「えぇ、そういう事になります。かつてナギ達と戦ったあなたは誇り高い戦士でした。あなただったら、きっとより良い返事をしてくれるはずです」
高畑は毅然と答える。その真っ直ぐな視線に、勇次郎は自嘲気味の微笑をした。
「俺に対して、そう真っ直ぐ言える奴はなかなかいねぇよ。たいしたもんだ、あのガキンチョがな」
「それじゃ――」
「あぁ、昔馴染みのよしみだ。ここは手を引いてやるよ」
勇次郎は肩をすくめながら、両手を挙げた。
高畑はその答えを聞き、ほっとする。
気を緩めてまばたきをした一瞬、視界から勇次郎が消えた。
「――んな事言うわけねーだろ」
衝撃。
高畑の頭部に、勇次郎の蹴りが入る。高畑の体はそのまま森林へと飛ばされた。
「――チィ! だから言わんこっちゃ無い。ジジイのもうろくがうつったか、タカミチ!」
エヴァがすかさず魔法薬を放り投げる。自身に魔力は無いものの、媒介を使った魔法なら構築出来た。
腐っても大魔法使い、魔法の構築力は世界有数だ。
高畑を蹴った勇次郎の足先を氷漬けにした。
「茶々丸! トリエラ!」
エヴァが声を上げる。戦いの合図だ。
「了解です、マスター」
茶々丸はエヴァの声と共に、巨大なライフルを構え、勇次郎に向けて斉射する。
「――ッ!」
対してトリエラも、固まってた肉体が一気に動き出した。恐怖を血の束縛が上回り、エヴァの命令のままに走り出す。
にわか仕込みの瞬動で一気に間合いを詰め、勇次郎に向けて最速の拳を放った。
「へぇ、氷漬けの足も、なかなか悪くないじゃねぇか」
勇次郎は一連の攻撃を受けながら、笑みを浮かべていた。蹴りを放ったままの足は、膝から先がエヴァの魔法により氷の球体の中に埋まっていた。
茶々丸の銃撃は、勇次郎の肌の上を滑るばかりで、肉を抉るまでに至って無かった。
そしてトリエラの攻撃も軽く避けられた。
「よっと!」
勇次郎は氷漬けの足を、そのままトリエラに叩きつけた。
トリエラはカウンター攻撃に目を見開く。
「――グッ!」
腹に当たった攻撃で、思わずくぐもった声を漏らす。
パキパキ、と骨が折れた音がした。
トリエラを攻撃すると同時に、氷は盛大に砕け散った。トリエラは高畑と同じ様に吹き飛ばされ、地面を盛大にバウンドする。
トリエラにとって幸いだったのが、勇次郎の足に氷があった事だ。あの氷があるからこそ、トリエラのダメージは軽減されていた。仮に氷が無ければ、不死であるトリエラは死ぬ事は無いが、それでも幾つもの肉片へと姿を変えていただろう。
地面に倒れたトリエラは、四つんばいに起き上がるが、喉から湧き上がる嘔吐感を堪えきれず、地面に盛大に吐いた。
吐いたのは血だ。口から滝の様に血が溢れる。
トリエラが血を吐いた時、森の奥から高畑が起き上がった。
勇次郎に飛ばされた高畑は、森の気を数十本道連れにしても止まらず、かなりの距離を飛んでいた。ただ、咄嗟に張った魔法障壁で致命傷は避けていた。
高畑はふらついたまま、戦場へと戻ってくる。
そこでは残ったエヴァと茶々丸が、勇次郎と対峙していた。
戻った高畑は、勇次郎に問いかけた。
「範馬さん……騙したんですか?」
高畑は自分が甘い事を言っているのを知っていた。それでも、勇次郎の姿は自分も憧れた『紅き翼』のジャック・ラカンと通ずるものがある。
戦士としての矜持。そこにかけた交渉だったのだ。
だが、口から出た言葉はたやすく反故にされた。それに対する怒りが、高畑にはある。
「おいおい、高畑ちゃんよ。お前は何様だ。俺が誇り高い戦士だ? 馬鹿じゃね~の。それを決めるのはお前じゃない。〝俺〟だ。戦うか否かも全て俺が決める」
勇次郎にとって、行動の選択は全て自分の意志によって為されるのだ。
それはある意味当たり前の事なのだ。人が社会という集団の中で存在する以上、それを続けるのは難しい事だった。
だが、勇次郎はそれを生まれてから現在まで、平然とこなしてきている。
究極のエゴイズム。
他者による偶像すらも全て否定し、全てを自らの基準によって為す。そこに他者の意志や意見など介入しない。
「だから言ったのだ、タカミチ。何故お前を呼んだのか分かってるのか。奴とお話し合いなどさせるためでは無いぞバカモノ」
エヴァはそう言いながらも、視線は勇次郎から離さない。
場は完全に勇次郎が握っていた。
その時、麻帆良の街から鬼神兵の一つがこちらへと突進してきた。巨大な体躯の鬼神兵からすれば、エヴァ達がいる場所まで小走り一つの距離だ。
「ちっ、ここに来て乱入か」
エヴァは背後へと飛ぶ。茶々丸達もそれに続いた。
森の木々をなぎ倒しながら、鬼神兵は得物を見定めて拳を振り上げた。そこらの家屋と同じ大きさを持つ腕が、勇次郎へ向けて振り落とされる。
轟音。飛び散った土砂が、空中に柱を作った。
周囲を舞う砂煙が風で飛ばされると、鬼神兵の拳の先に人影が立っていた。
「ふん、デカブツめ。無駄な事を」
エヴァは遠めに状況を見ながら呟く。エヴァ達三人は近くの森林まで退避していた。
自分より張るかに大きい質量を持つ鬼神兵の一撃を受けながら、勇次郎はその場所を一歩も動いていなかった。
両手をポケット入れ、胸を反らしてふんぞり返っている。鬼神兵の拳はしっかりと勇次郎の頭部に当たっているが、ピクリとも動かなかった。
「ククク、懐かしいな。鬼神兵か。これだ、この戦の匂いこそ、俺を沸かせる」
ポケットから引き抜いた右腕の筋肉が盛り上がる。皮膚に血管が浮き出る程力み、拳を握った。
勇次郎の戦いとは力の解放にあった。解放をするためには、力みが必要不可欠だ。勇次郎は右腕に力を溜め、振りかぶった。
「ぶっ飛べ」
自分の頭部に拳を当てている鬼神兵、その腕に対し勇次郎の拳が返された。
巨大なドラを叩くような音と共に、鬼神兵の腕が破裂した。
「ゴォォォォオオオオオオ!!!」
鬼神兵が咆哮を上げながら、殺しきれなかった衝撃のために後ずさる。
その鬼神兵の口内に、膨大な魔力が溜まっていく。個人では為しえない、巨大兵器であるからこそ放てる魔力砲。勇次郎に照準を定めたそれが今、発射されようとしている。
「タカミチ、今だ!」
エヴァが叫ぶ。
高畑を呼んだ理由は他でもない、現在のエヴァ陣営に欠けている一点突破の火力故だった。
高畑は前もって用意していた究極技法(アルテマ・アート)の『咸卦法』を発動させる。高畑の周囲に力が満ちた。
勇次郎と鬼神兵が戦っているこのタイミングに便乗し、勇次郎に追撃をかけようとする。
「はぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
裂帛の声。高畑が力を溜めた。
「喰らえ!」
エヴァはマントから取り出した魔法薬を勇次郎に投げつける。魔法薬の瓶が割れ、液体が飛び出す。エヴァの詠唱と共に、液体は粘性の水の鞭となり、勇次郎の体を簀巻きにした。
「へぇ……」
勇次郎は感心したと言わんばかりに、自分の身に撒きついている魔法を見る。
エヴァの拘束魔法により、勇次郎の動きをコンマ数秒程制限したはずだ。
それを見届け、エヴァは自分の従者達に命令を下す。
「茶々丸、トリエラ! 上へ飛べ!」
主の命令に、茶々丸はエヴァの体を抱え、ブースター機能を使い空高く飛翔した。
離れた場所にいたトリエラも、エヴァの声は聞こえている。痛む体に鞭を打ち、背後にあった樹に飛び上がった。
樹の枝を足場にしつつ、どんどん上る。てっ辺まで行き、更に上空へと飛び上がった。
その時、鬼神兵の魔力砲が放たれた。
それに合わせて高畑も渾身の一撃を撃つ。『咸卦法』を最大限に纏った拳は、巨大な光の柱となり、勇次郎へと突き刺さる。
二つの光線は勇次郎を中心に地面を抉った。まるでその場所が爆心地になった様に、余波が地表を放射状に広がる。
周囲の樹木が次々と空中に舞い上がり、熱波が草花を焼く。
空中に退避していたトリエラも余波の爆風に巻き込まれ、更に上空へ飛ばされた。
体がきりもみをしながら、麻帆良を見下ろす高さまで至る。
(く……何なのよ、コレは!)
眼下には一瞬で荒地に変わった麻帆良東部が見える。その中心には片腕を失った鬼神兵が未だ健在であり、近くには高畑の姿もあった。
まだ周囲には砂煙が立ち込めている。
そんな中で、鬼神兵の矛先が今度は高畑に移った様だ。鬼神兵の残った腕が、高畑に向けて振り回されている。
だが――。
「面白いことしてくれるじゃねぇか!」
鬼神兵の足に掴みかかる人影があった。
砂煙が晴れると、そこにいたのは範馬勇次郎だった。
トリエラの強靭な視力が、その姿を視認する。道着は破けてボロボロであり、体も砂や埃で汚れてるものの、皮膚の上には傷が一つも無い。
「なんで無傷なのよ」
トリエラが呟く。勇次郎は小さな体躯で鬼神兵の足にしがみ付いた。足回りだけでも、家屋一つ分もある巨大な足だ。勇次郎の両手ではとても抱える事は出来ないだろう。
「シャァァ!!」
だが、勇次郎のかけ声と共に、鬼神兵の体が浮かび上がった。勇次郎はそのまま抱えた足を軸に、鬼神兵を投げ飛ばす。
地面に叩きつけられた、数百トンという物体は、それだけで巨大な地震の様に地面を揺らした。
土煙がまた柱を作った。
「嘘」
トリエラが呆然とする。
見れば、投げた瞬間を狙って高畑が一気に勇次郎に近づき、連打を仕掛けている。エヴァも茶々丸に魔法弾による援護をさせながら、勇次郎に拘束系の魔法を放っていた。
倒れた鬼神兵は、倒れながらも口内に魔力を再びチャージし始める。勇次郎も高畑も一網打尽にしようとしているのだろう。
激しいやり取りは、トリエラの知る戦場とレベルが違っていた。
何故エヴァが自分を呼び出したのかやっと理解する。
「なりふり構ってられないのね」
あの男、範馬勇次郎の牙はたやすく麻帆良に穴を穿つだろう。そして、その穴の中には夕映や、その友人達も含まれているはずだ。
エヴァはその事態を察し、向けられる限りの戦力をここに向けたのだろう。
その中でもトリエラは一際実力不足だった。かつて高畑から一本出し抜いた事もあったが、それでも勝てたわけでは無い。
しかし、トリエラにも勝っている点があった。それは足掻く事だ。
『社会福祉公社』から逃げて十年間。トリエラは平穏無事に過ごしてきたわけじゃない。ガラクタの様な肉体で生きていくため、吸血鬼にまでなり下がり、汚く生き足掻いた。
ただ生きるためだけに費やされた十年だった。
そして辿り着いたのだ。
あの『社会福祉公社』で過ごした短い思い出。ヒルシャーや共に過ごした姉妹達との繋がりの先に見つけた、小さな絆の証。
今のトリエラは十年間、自分のためだけに浅ましく生き抜いただけの存在では無い。
彼女の内には、守るべき絆が宿っていた。
目前にある危機は、その絆さえ食い破ると、本能が警鐘を鳴らしている。
「だったらッ!」
トリエラの瞳が紅く輝いた。食いしばった口元には、長く伸びる犬歯が見える。
数百メートルの高さにまで飛ばされたトリエラは、眼下に見える勇次郎を強く睨みつけた。
勇次郎もトリエラの放つ殺気に気付いたのか、視線を一瞬上空に送る。二人の視線が交差する。勇次郎は心地よいとでも言う様に、笑みを作った。
トリエラは体に力を入れる。ピキピキと筋肉が絞り込まれ、血管が浮き上がった。
脳裏に夕映達の姿が過ぎった。それだけでは無い、『社会福祉公社』で共に過ごした人の顔が次々と過ぎってくる。
もう、あの様な出来事は起こさせない。
トリエラにとって、『社会福祉公社』での日々は無駄では無かったはずだ。
ならば――ならばこそ。
「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」
トリエラは一直線に戦場へと落ちていく。真っ青な空に、紅い瞳が軌跡を残した。
溢れんばかりの闘志を宿したトリエラは、範馬勇次郎へと挑みかかった。
◆
施設が半壊し、ポッカリとした地下への大穴を開けた図書館島。
その大穴の淵から、アキラがスタンドで飛び出してきた。
胸ポケットに入れたウフコックを大事そうに抱えている。
未だ地下ではクウネル達と《梁山泊》がやり合っていた。アキラはどうにかそこをすり抜け、地上へと辿り着いたのだ。
いつ追撃がくるか分からず、止まるわけにはいかない。
「ウフコックさん、大丈夫ですか」
「大丈夫だ」
声を返すウフコックをチラリと見るが、やはり視線は定まっていない。
アキラは迷いを振り払いながら、麻帆良と図書館島を繋ぐ橋へと向かう。
来た時には避難客でごった返していた橋も、今はほとんど人が見えなかった。
橋の向こう、麻帆良では暴れる鬼神兵の姿が見えた。それだけでは無い、アキラから見て左手、麻帆良東部の森林では、爆発や巨大な砂柱が見える。森林部では大きな戦いが起こっている様だった。
スタンドを走らせながら、状況をおおまかに理解する。
そこへ、アキラを呼びかける声が聞こえた。
「アキラさん!」
「夕映!」
クラスの出し物のメイド衣装をボロボロにしながら、夕映がこちらへと走ってくる。
橋の中央で合流した二人は、お互いの無事を喜んだ。
「アキラさん、ウフコックさんを連れて来れたんですね」
「うん。でも、イースターさんやクウネルさんはまだ……」
チラリと背後を見ると、図書館島の地下からは戦いの音がまだ聞こえる。
夕映もアキラの視線で事を察した。
「とにかく先を急ぎましょう。このままここに留まってたら大変です。ウフコックさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、夕映。問題無い。千雨の元まで頼む」
アキラの胸ポケットから顔だけ出したウフコックが言う。口調はいつもよりどこか弱々しかった。
「じゃあ、行くよ。夕映、乗って――」
「おやおや、これは僥倖だな」
アキラが夕映を呼びかけた時、声が重なった。
「え――」
二人が見上げれば、橋に並んでいる街灯のてっ辺に男が立っていた。
いつから男がいたのか、いつ男がやって来たのか、何もかもが二人には分からない。
男は白髪混じりの髪を綺麗に纏め、口ひげとあごひげも整えられていた。目元を隠すサングラスに、黒色のスーツを着ている。
口元には嫌らしい笑み。
その男こそ、国際警察機構のトップたる九大天王の一人。
中条静夫、またの名を『静かなる中条』という。
中条は街灯の上からしゃがみ込み、アキラの胸元にいるウフコックを指差した。
「これこれ君達。そのネズミ、《楽園》のやつだろ」
中条の不躾な物言いに、アキラはさっとウフコックを隠した。夕映はその間、アサクラによって目の前の男のデータを伝達されていた。
「いかん、いかんな~。君達の様な前途ある若人が、そんな危険な物を持ち歩いちゃいかんだろ」
ニタニタと笑いながら、中条はのたまう。
中条の放つオーラが、この場を覆っていた。明らかな実力の差異。
「ウ、ウフコックさんは物なんかじゃありません!」
恐怖を押し殺しながら、アキラが言い放つ。
「ほう……」
アキラが言い返した事を面白いとでも言う様に、中条は笑みを強くする。
「中条殿、あまり苛めるものでは無いですぞ」
また違う声が聞こえた。今度も気付かないうちに、中条の隣の街灯に人が立っている。
見るからに警察官といった出で立ちの、小太りの中年の男。九大天王の一人『大塚署長』だ。
「いやはや大塚君。関心してるんですよ、僕は。まさか言い返して来るとはね」
二人の男の会話を聞きつつも、夕映は愕然としていた。
アサクラから特殊眼球に投影されている情報を見れば、目の前の二人は九大天王というらしい。
超も九大天王には強い注意を呼びかけていた。一般人に分かりやすく危機を伝えるために作られた、個々の戦力数値。アンドロイドを100と定義されたのに対し、九大天王の九人に付けられた数値はどれもが四桁だ。数値をただ信じるわけにはいかないが、おそらく目の前の人間は夕映達を容易く殺せる実力者だと、彼らが放つ威圧感で理解できた。
夕映はアキラのスタンドに跨ぎながら機をうかがう。いかにこの場から逃げるのか、もしくはウフコックだけでも先に行けるのかを考えた。
(やはり私が囮に……)
しかし、果たして自分程度で囮に成りえるのだろうか。彼らは夕映達に感知されずに、目の前に現れたのだ。その実力差ははっきりしていた。
仮に夕映が数秒の時間を作った所で、アキラ達を逃がせるか、甚だ怪しかった。
「早速目標を一つ完了出来るな」
「戴宗殿を先行させて、我々はゆっくりやって来たが、なんともまぁ」
「残り物には福がある、ってヤツですかね」
再度の聞き覚えの無い声に、夕映の背筋がゾワリと粟立った。
二人の男の周囲に、また人影が増えていた。
夕映達を囲むように、街灯に立つ男は都合八人。六人もの姿が瞬時に増えたのだ。
(う……あ……)
夕映は目の前にいるアキラの服をギュっと握った。アキラも周囲を警戒しながら、背後の夕映と顔を合わせる。
二人とも驚愕と不安が溢れそうだった。それでも、気丈に表情だけは保つ。
釣り竿を持った男、学生服の男、赤いジャケットの男、忍者装束の男、背中に龍の刺青をしている男、杖を持つ白髪の老爺。先程増えた六人それぞれが、強者であった。
彼らは八人で軽い談笑をしている。
まるでウフコックを手中にしたかの様に。
(アキラさん!)
(――ッ、分かった!)
限りなく無謀に近い。それでも、今この時しか無いように思えた。
彼ら相手に囮が意味を成さないのなら、夕映が一緒に付き添いつつ、迎撃をするしか無い。
アキラは一気にスタンドを走らせようとする。
「――え?」
そこでアキラははたと気付き、固まる。
(アキラさん!)
夕映が急かすものの、アキラは固まったままだ。
「え、何で……」
アキラは自分の胸元を見た。そこにあるはずのウフコックが消えていた。
「ふむ、これが《楽園》の兵器。ただのネズミにしか見えませんな」
その声に顔を上げると、街灯に立つ忍者装束の男が、ウフコックの襟首を掴んでいた。
「ふむふむ」
「ぐ……」
ウフコックが辛そうなうめき声を漏らすが、忍者装束の男はじろじろそれを観察していた。
忍者装束の男は九大天王の一人『影丸』。影の如く消える、忍術のエキスパートである。
夕映は影丸がウフコックを奪った事に歯噛みする。
「この! ウフコックさんをかえ――」
パチン、と指が弾かれた。その音で夕映の声は遮られた。
音と共に、夕映とアキラは一気に体が重くなった。
「――ッ!」
体に急激な負荷。まるで背中に巨大な重りを背負ったような感覚。
アキラの『フォクシー・レディ』もその衝撃で消えてしまう。アキラと夕映はそのままスタンドの背から落ち、体を地面に押し付けられた。
「な――に、が」
辛うじて夕映は声を絞り出せたが、アキラは無言。いや、喋れる程余裕が無いのだ。呼吸一つでさえ困難な程の圧力に、アキラは必死に耐えていた。
「何、ちょっとお痛しようとしてたので、僕の念力で押さえ込ませてもらったぜ」
そう言うのは赤いジャケットの男、九大天王の『ディック牧』だ。彼の指弾き一つで、夕映達は無力化された。
ディック牧は生粋の超能力者。《学園都市》の様に人工的に作られた存在で無く、生まれながらの超能力者であった。そのため、《学園都市》の様に、能力者に対して一つの能力という常識は当てはまらない。《学園都市》流に言うならば多重能力者(デュアル・スキル)にして『原石』。ディック牧は幾つもの超能力を操る複合能力者であった。
夕映は重圧に耐えながら、顔を少し動かし、どうにか上方を睨みつけた。だが、夕映の視線もどこふく風、八人の男は気にしたそぶりが一切無かった。
「いやはや、早速当りを引くとはなぁ。こうなると戴宗君に悪かったかな」
中条の言葉に、他の面子から同意と取れる仕草をする。
「まぁ、彼の神速ならば、すぐにでも戻ってくるでしょう」
大塚署長が答える。
九大天王の残りの一人、『神行太保・戴宗』は偵察に出ていた。彼は足に札を貼ることにより、高速で移動する道術を会得している。その速さを生かし、戴宗には麻帆良全体の偵察を指示していた。
麻帆良も大きいとは言え、たかが街一つである。戴宗は間もなく戻り、九大天王に様々な情報をもたらしてくれるはずだった。
九大天王達の中で、戴宗への信頼は厚かった。
そんな中、ディック牧の念力に抗おうとする人がいた。
「――ッ!」
呼吸はままならない。体は夕映の様な義体でも無く、トリエラの様に不死でも無かった。気や魔法を扱えるわけでも無い。ただの生身であるはずの肉体が、その力に抗えるはずは無かった。
それでも――。
「――――ッッッ!!」
歯を食いしばり、拳を地面に叩きつける。そのまま、片腕の肘を二十センチ程上げた。あご先が地面から離れ、自分達を念力で押さえつけているディック牧を見た。
「ウ、フコック、さん、をは――はなせぇ……」
アキラは絶対的な力へと抗う。強い輝きが瞳を過ぎった。
目の前の存在に勝てるとは思えない。それでも、負けるわけにはいかないのだ。
千雨との約束が、アキラに力を与える。
「へぇ、僕の念力に逆らえるのか」
それでも、アキラの行動は、ディック牧に興味を抱かせるに留まった。
ウフコックは九大天王の手の中にあり、アキラ達は圧倒的な力に押さえつけられている。
だが、彼女たちは抗うのをやめなかった。
◆
大通りをひた走りながら、千雨は引き金を引いた。
しかし、弾丸は無情にアンドロイドの装甲に火花を散らしただけだった。
「くっ、このぉ!」
ゴロゴロと石畳を転がる。その頭上を魔力砲が通り過ぎた。
「ちくしょう! わたしって奴はぁ!」
アンドロイドの攻撃から逃げる千雨の口から愚痴が漏れる。
脳裏に過ぎったのは、女子寮を出てからこれまでの事だった。
◆
女子寮を出た千雨は、世界樹広場を目指して一路走っていた。避難する『学園全体鬼ごっこ』の参加者達をかき分け、世界樹まで真っ直ぐ一本の大通りまでやって来たものの、そこで千雨は一人の子供を見かけてしまう。
大通りにはまだ避難し切れてない人がチラホラいたが、それでも多くの人間は麻帆良の南部に逃げていっている様だ。
千雨が踏み込んだのは、そんな避難民を守るために、麻帆良が作った円状の戦線の内側だった。
自らの知覚領域を最大限に使い、外敵から身を隠す様に進んでいく。なにせ千雨の武器といえば、たった一丁の拳銃だけだ。相手がアンドロイドとなれば、豆鉄砲もよいとこだろう。
自らの実力を知る千雨は交戦を避け、吉良と戦うためだけに世界樹広場へ向かう選択をしたのだ。
大通りの建物から建物へ、隠れるようにして身を進める千雨の視界に、逃げ遅れた子供が見えたのだ。
石畳に尻餅を付き、泣いていた。まだ残っていた幾人かの避難する人間も、我先にと焦るばかりで、座り込んでいる子供に気付いていない。
千雨は舌打ちをする。何故誰も助けないんだという苛立ち。しかし、その対象に自分も入る事を考えれば嘲りも浮かぶ。
その時、上空からアンドロイドの一体が落ちてきた。ほとんどのアンドロイドが屋根の上で戦っている中、その一体だけが地表に現れたのだ。見ると、どうやら一部損壊しているらしい。ダメージのために屋根から落ちてきたのだろう事が予想できた。
「キャァァァァ!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
恐怖による悲鳴。ダメージのため、体の一部から火花を上げるアンドロイドに、逃げ遅れた人々が一斉に悲鳴を上げる。
そんな中、先程の子供は座り込んでいた。
泣きはらした目で、すぐ近くにまで迫るアンドロイドを呆然と見ていた。恐怖のためだろう、カタカタと体が震えていた。
それに気付いた避難客の女性が、子供を助けようと走り出したが、彼女は物陰に隠れている千雨より遠い場所にいた。
千雨は一瞬逡巡する。
(どうする、どうする)
焦り。自らの無力を知るが故、千雨は出て行く事をためらった。ここで出て行けば、吉良のスタンド世界そのものを破壊する、という千雨の目的が果たせなくなるかも知れない。
しかし――。
「――お父さん、お母さん」
子供がポツリと呟いた言葉。それを千雨の知覚領域がしっかりと知覚した。
カッと目の前が赤くなる。
気付いた時、千雨は物陰を飛び出していた。アンドロイドに襲い掛かられる子供は、半年前の千雨に似ていた。
突如現れた暴漢。自分を庇う両親。炎上する車。フラッシュバックするあの夜の惨劇。血を流しながら、自分を抱きしめてくれた母親。暴漢の前に立ちふさがった父親。《学園都市》での、つかの間の再会をした両親の顔。
溢れるばかりの思いが、ちっぽけな正義感が、かつての悔恨が、千雨の両足を勝手に動かしたのだ。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」
拳銃をアンドロイドに向け連射しながら、子供にかけよる。弾丸は幸い、ダメージを追ったアンドロイドの装甲の隙間に入り、動きを阻害した。それをチャンスと思い、千雨はアンドロイドの壊れた装甲の隙間に手を突っ込んだ。
電子干渉(スナーク)。
小さく散った火花。アンドロイドの表面上には何かの電磁対策がされており、千雨の今の状態での電子干渉(スナーク)は通り難かったが、直接内部を触れればこっちのものだった。
アンドロイドの制御機構をさんざんミキシングし、機体をダウンさせる。
千雨の攻撃を受けたアンドロイドは、そのまま機能停止し、石畳に倒れこんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息を切らせた千雨の背後には、呆然とする子供がいる。
駆け寄ってきた大人の女性に子供を託し、千雨はその場を離れた。
なぜならば、千雨は自らの場所を相手に教えてしまった。アンドロイド達は千雨を捕捉し、標的として狙い始める。
千雨の周囲に、大量のアンドロイドが立ち塞がった。
◆
石畳から起き上がった千雨は、這う様にして走った。背後にアンドロイドが二体、前方には三体の姿がある。おそらくそれで充分だと思ったのだろう。周囲にはまだ沢山のアンドロイドが知覚領域から感じられた。例え目の前の五体を倒しても、すぐに増援が来ることは予想できた。
しかし、千雨からすれば周囲の五体だけでも余裕は無い。
(釣りが出る所じゃねーぞ!)
知覚領域と高速演算をしながら、細い糸を手繰る様にして、アンドロイドの攻撃を避けてきた。
相手の攻撃は千雨にとって必死の一撃。対して千雨の攻撃は相手にダメージをほとんど与えない。
「はぁ、はぁ、はぁ……くそ、どうしろっつーんだ!」
先程、千雨は情報システムを通じて、救援の要請を出してある。とは言っても、周りの魔法使いは戦線の維持で動けなさそうだ。
チリチリと背中に痺れる様な焦燥感が過ぎる。
ここまで走ってきたため、体力も底をつきそうだった。
銃を撃つが、回転式拳銃のため、すぐに弾込めが必要になった。ウフコックがいた時には必要無かった作業だが、今ウフコックはいない。
「ちっ!」
走りながら弾倉に弾を込めるものの、焦っているため手付きがおぼつかない。
不意に手が滑り、弾丸を何発か地面に落としてしまう。一瞬の思考のロス、背後からの攻撃の反応が遅れる。
アンドロイドの無慈悲な拳が、千雨の後頭部に突き刺さろうとしていた。
「こなくそぉぉぉぉ!」
千雨は体を倒れこむ様にして避けようとする。拳は千雨の髪先を掠る距離で、なんとか回避した。
攻撃は避けたものの、態勢が崩れた千雨はその場に倒れてしまう。
「うっ!」
石畳が頬を擦る。
息が荒く、ガクンと体から力が抜けた。
千雨の意志はここで休む事を是としていない。それでも、疲労で体が言う事を効かなかった。
即座に意識を切り替え、自らの体を電子干渉(スナーク)で操作しようとするも――。
「ぐっ……」
目の前には二メートルの巨体。アンドロイド数体が自分を見下ろしている。
不安が心に押し寄せてくる。恐怖が目尻に涙を溜めさせた。
それでも、千雨は決めたのだ。
自らが為すべき事を、為したいと思う事を。
力が抜けた体を操作し、死中に活を見出すために立ち上がろうとした。
「こんな所で、寝てられるかよぉぉぉぉ!!」
千雨が叫ぶ。
その時、視界に人影が舞い降りた。
◆
仗助達に促され、先を急ぐ康一と薫は、ある人物と遭遇してしまった。
「ほう、こんな所にいるからには、お前ら一般人では無いな」
気付かぬ内に目の前に立ってた男は、指を康一達に突きつける。
男は古い大陸の戦装束の様な格好をしている。しかし、コスプレなどと違い、しっくりと様になっており、わざわざ装っているとは思えない姿だ。
頭髪は頭巾で隠されていた、飄々とした表情。細い目が見開き、鋭い瞳で康一達を見つめている。
足には何故か札が貼られていた。康一達は知らなかったが、それこそが男の素早さの仕組み。道術のタネであった。
男の名前は戴宗。『神行太保・戴宗』と呼ばれる九大天王の一人だ。
「お前ら、何者だ?」
戴宗の指がクイと曲がる。それは康一達への返答の促しだった。
康一も目の前の人物の異常さは感じていた。先程のジョルノとはまた違う異質さ。
戦いの中で育まれた、武人としての強さ。目の前の男はそれを持っていたのだ。
戴宗の強さをより感じていたのは、康一よりも薫だった。試合や喧嘩を繰り返してきた薫には、戴宗の実力が自分と天と地ほどの違いがある事が分かった。
(分かってる。分かってるさ。でもな、男には男なりの見栄の張り方ってもんがあるんだ)
薫はゴクリと唾を飲み込み、康一の前に出た。
「おいおいおっさん。人に名前聞くときにはまず自分から、ってのを知らないのか」
薫は堂々と、胸を反らせて戴宗に言う。
戴宗も薫のそんな姿を見て、口角を吊り上げた。
「クククク。坊主、なかなか言うじゃねーか。確かにそうだな。俺は戴宗、九大天王の戴宗だ」
康一達は『九大天王』という聞き覚えの無い名前に疑問を持つが、とりあえず流すことにした。
「た、戴宗さんっつーのか。俺の名は豪徳寺薫、コイツは広瀬康一。俺らはただの麻帆良の高校生だよ。道を開けてくれ、急いでるんだ」
そう言いながらも、薫のこめかみには汗が流れた。内心の不安を必死で隠し、目の前の戴宗に対応する。
戴宗は微笑しながら、降参とばかりに両腕を広げる。
「単なる、ね……。了解、分かった、分かった。さっさと言ってくれ」
オーバーなアクションをしながら、戴宗が道を開ける。
二人のやり取りを見守っていた康一の背中が叩かれた。
「ほら行くぞ、康一」
「う、うん」
薫に促され、康一も走り出した。
走りながら戴宗に近づいていく、薫はこの男を信じていなかった。明らかに見下した表情。最悪の状況を考え、薫は拳を握った。
戴宗の脇を走り抜ける時、ギラリと戴宗の瞳が光った。
戴宗の手の平から衝撃波が飛び出す。
「――ッ!!」
薫はそれに気付き、体の前で腕を交差させ、衝撃波を受けた。しかし、衝撃波は薫ごと背後の建物へと吹き飛ばした。ショーウィンドウのガラスが割れ、その中に薫は消える。
「薫くんッ!」
康一も瞬時に事態を悟る。カチリと自分の中の二つの力、超能力とスタンド能力の歯車が合わさり、異能《エコーズ》が起動する。
「このぉぉぉぉ!!」
怒りにまかせたまま、康一は戴宗に向けて音の弾丸を放った。キィンという甲高い音ともに、不可視の鋭利な衝撃波が戴宗へと飛ぶ。
「おっと」
対して戴宗は、それを手足から衝撃波を放つ『噴射拳』でいなした。
完全にいなしたと思った康一の衝撃波だったが、戴宗の頬に浅い傷が出来ていた。戴宗はそれに気付き、感心した様に言う。
「へぇ。ただの高校生、って言う割には面白い芸じゃないかい」
康一の最大の一撃が、いともたやすく防がれた。それは目の前の男との実力差を物語るものでもあった。
戴宗は頬の傷を指で拭い、指先に付いた血をペロリと舐める。
「魔法使い、鬼神兵、アンドロイド、オーガ、吸血鬼、吉良吉影、おおよその勢力やら何やらの情報は掴んでいる。だが、お前らは何だ? 戦場の真っ只中にいて、中途半端な術を使う。魔法使いかと思ったがそうでも無い。戦い方は素人臭い。どうにも興味が引かれるねぇ」
マジマジと康一を見つめる戴宗を、康一はにらみ返した。
「あんたこそ何なんだ! 今、何が起こっているのか分かってて、何で僕らの邪魔をする!」
「そいつはこっちの台詞だ。今、この麻帆良って土地はうまい果実だ。誰もが蜜に引かれてやって来ている。かくいう俺達の組織も同じでね、この土地の利権やら技術は美味しく戴こうってんだ。だからこそお前に興味がある。いや、興味が沸いたとでも言うかな」
戴宗の瞳が鋭くなった。
「お前本当に何者だ? スタンド使いとは戦った事あるが、それに似てるが何処か違う。お前が俺を攻撃した〝力〟に、強い違和感を覚えるぜ」
歴戦の戦士としてのカンが、康一の素性を鋭く洞察していた。
「まぁ、いい。面白そうなヤツだ。手土産にしておくか。何、心配するな。死にはしないさ。〝死に〟はな」
戴宗の言葉に、康一の背筋が凍った。
今、康一と薫の命は、この男の手の平にあった。
ガクガクと足が震えた。弱い自分が飛び出してしまいそうだ。
それでも――。
「やれるもんならやってみろクソ野郎! 僕が返り討ちにしてやる!」
心で友人の真似をして虚勢を張った。
「良く言ったぜ康一!」
康一の後方、割れたショーウィンドウの中から、薫が飛び出してきた。
「くらえよ、おっさん! 漢魂ァァァァァァァァ!!」
薫の拳から気の塊が繰り出された。走りながら、薫はそれを繰り返し放っていく。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
気でけん制しながら、薫はインファイトに持ち込もうとしている様だ。
康一もそれに合わせて音の弾丸を飛ばす。
対して戴宗は、その場を動かず、全ての攻撃に対処していた。
「素人としては悪くない。まぁ、その程度だ」
「ほざくなぁぁぁぁ!!」
戴宗の間近まで迫った薫は、相手の頭目掛けて蹴りを放つ。
薫の渾身の蹴りが、戴宗に頭部に決まるものの――。
「――ぐッ!」
足に強い痛みが走った。ニタニタと笑う戴宗の顔、まるで巨大な鉄塊を蹴った様な感触だった。
がら空きの薫の胴体に、戴宗の手の平が押し付けられる。
「ほら、もう一度だ。しっかり飛べよ坊主」
「しまっ――」
腹に激痛。戴宗の手から衝撃波が放たれた。内臓が揺さぶられ、口から血が飛び出した。薫はそのまま、前より早い速度で、空中を飛ばされる。
「薫君!」
空中を舞う薫に合わせ、康一がその射線に飛び出した。自分より二周りも大きい薫の体を、康一が受け止める。地面を何度か転がった後、康一は薫の姿を見た。
「薫君……」
薫の腹部の服が破け、青色になった皮膚が見えた。口には吐血の痕もある。
康一は薫を寝かせた後、立ち上がった。
「あなたは――」
「おぉ、おぉ、良い目だな少年」
ギリッと歯を食いしばる。足もとの石畳の破片がカタカタと揺れている事に、康一は気付かない。それら破片が寄り集まり、〝ナニカ〟の形を創り出そうとしていた。
しかし康一は、それらに気付く事無く、戴宗との距離を詰めた。
康一の通り一遍等の戦い方を見て、戴宗は肩をすくめるが、その行動は半ばで終わった。
「――」
戴宗の口から声が出せなくなった。それだけでは無い、耳に何かが詰まったかの如く、自分の心音すら聞こえない。完全な無音。
感覚器官は一瞬のパニックに陥る。戴宗も平衡感覚が揺らいだのを確かに感じた。それでも戴宗は九大天王であった、状況を瞬時に察し、目の前の康一に相対した。
(こいつ、『音』を消したのか)
康一は《エコーズ》を展開し、無音の空間を作り上げたのだ。手の中の《卵》はブルブルと震え、周囲の音を吸収しながら、戴宗へと近づいていく。
相手のパニックを望んだが、あまり効果は無かった様だ。それでも――。
「このぉぉぉぉ!」
無音空間を解除する。急に音が戻ってきた事により、戴宗はまたほんの少し硬直した。
康一はその瞬間を狙い、目前の戴宗の腹に自分の手の平を当てた。先程薫がされた事と同じ状況。
康一の体に『音』が巡った。圧縮された音が、康一の手の平から放たれた。
「お返しだぁぁぁ!!」
キン、と甲高い音が響き、戴宗の腹に衝撃が届く。
「――ぬぅぅ!」
くぐもった声。しかし戴宗の体には傷一つ付いてなかった。戴宗は腹に添えられた康一の手首を掴み、そのまま捻り上げた。
「あうッ!」
康一は地面に捻り倒される。そして康一の胸元に、戴宗の足の裏が置かれた。
「面白かったぜ少年。覇気はなかなかだったが、如何せん未熟すぎる。残念だったな」
胸を踏みつける戴宗の足の力が強くなり、康一は歯を食いしばり痛みに耐えた。
戴宗の手が康一へと振り下ろされようとする時、声が聞こえた。
「――未熟とな。貴様が言うか、戴宗ッ!」
低く力強い声が聞こえた。戴宗はその声を聞き、驚愕の表情を浮かべる。
地面に仰向けになり、見上げる格好となっていた康一には、辛うじて建物の屋根から飛び降りた人影が見えた。
人影は着地するやいなや戴宗に肉薄し、腹部に拳を放った。
「――ぐゥッ!」
戴宗のくぐもった声。後方の建物へと吹っ飛ばされる。建物を破壊しながら突き進み、瓦礫の中に体が埋もれた。
「げほッ! げほッ!」
束縛が解けた康一は、咳をしながら起き上がった。
目の前には戴宗を投げ飛ばした人影――中年の男性がいた。
黒い髪を後ろに流し、顔には片眼鏡を付けていた。彫りの深さや鼻の高さを見る限り、日本人では無く欧米系だろう。あごと口にひげを生やしているが、整えられて不潔には感じられない。
広い肩幅、屈強そうな肉体を黒のスーツが覆っていた。黙っていたら富裕層の紳士に見える様な、戦場に似つかわしくない整った身なりである。
康一は突如現れた男性に、どう言葉をかけるべきか迷った。
「あの――」
「そこの小僧、貴様が広瀬康一だな」
「は、はい!」
男性の言葉に思わずコクコクと頷いてしまう。男性は康一をチラリと横目で見て、表情を険しくした。
フン、と鼻息を一つ鳴らした後、忌々しそうに口を開く。
「勘違いするなよ小僧。わしは貴様を助けるつもりは無かった。だが、貴様には借りがある。ただそのためだけに来ただけに過ぎん」
「は、はぁ……」
康一は良く理解出来ぬものの、とりあえず相槌をうった。
「――チッ。情けない男だ。しかし、戴宗相手に立ち向かった事だけは褒めてやろう」
前方で建物が弾けた。ガラガラと崩れていく家屋から、戴宗が幽鬼の様に歩いてくる。
その瞳には怒りがあった。
「なぜだ、なぜ貴様がいる!」
憤怒のまま、戴宗は言葉を吐いた。
「いて悪いか戴宗。堕ちたものだな九大天王も。為す事は下郎の如き所業よ」
「ほざくな!」
男性と戴宗の間で風がぶつかり合った。余波が康一の髪を揺らす。
「小僧、わしの娘に感謝しろ。貴様など本当は助けたくも無いが、たまの娘の頼みで来てやってるのだ」
「む、娘さん?」
康一は一体誰の事を言ってるのかと思ったが、今日のお昼に父親の事を話していた少女を思い出した。
「む、娘ってもしかして――」
男性は懐から葉巻を取り出し、口に咥える。そして、手をかざすだけで葉巻に火をつけた。口からフーッ、と紫煙を吐き出す。
「良く見ておけ小僧! わしを倒せねば、娘などやらんぞ!」
風が男性の周りを舞う。周囲への威圧感は、先程の戴宗以上だった。
「わしの名はアルベルト! 十傑衆が一人『衝撃のアルベルト』だ!」
つづく。
●千雨の世界 52話時点でのサブ資料
http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/novel/c-sub052.html
(2012/02/29 あとがき削除)