エヴァンジェリンは、装備を確かめながらログハウスを出た。
体を覆うマント、その中には魔力の代用たる薬品が幾つも収納されている。
場所はエヴァの家がある麻帆良東部。自宅たるログハウスの周囲は緑で覆われていた。
喧騒から離れたそこからでも、麻帆良中心部の騒動の音は聞こえている。
エヴァの背後には、従者の絡繰茶々丸が付き従っている。彼女の手にはスピーカーモードの携帯電話があった。
「おいジジイ! いいからタカミチをこちらに寄こせ」
『ぐぬ、じゃがエヴァよ……』
苦渋に満ちた近右衛門の声が携帯から聞こえた。エヴァは苛立たしげに叫ぶ。
「貴様は阿呆か。あの鬼神兵モドキくらい、そっちの魔法使いで処理しろ。分かってるのか、コッチに来るのはあの戦闘狂だぞ」
エヴァとしても、麻帆良を守るなどという偽善に満ちた行いはこりごりだった。それにこの前も、似たような〝らしくない〟行いをしている。
されど今回は規模が違う。
確かに麻帆良の中央で起こっている災厄は脅威だろうが、これからコチラへとやって来る存在は、そんな比では無い。
超のオモチャに世界樹が魔力を注ごうと、注ぎ込んだ筐体自体が脆いのだ。封印が解けたエヴァならば、余裕で一掃できようレベルだ。
「迷うなジジイ。貴様とてあのバカ――範馬勇次郎の習性ぐらい理解しておろう」
範馬勇次郎。魔法界に置いても脅威と為される武道家、いや闘争家とでも言い表そうか。
勇次郎は戦場を好む。より強い者との闘争をなによりの愉悦とし、無手で戦場に飛び込むのだ。
その上、彼にとって敵や味方など存在しない。
自分に牙を向く全てと戦い、蹂躙する。
勇次郎が麻帆良のの中心部へ至れば、おそらく今よりも凄惨な光景になるだろう。
エヴァとて封印された体で勇次郎と対峙するのは無謀だと分かっていたし、自分がそんな偽善染みた行いをするのをおかしく思う。
されど、戦う理由はあった。
プライド。
縛られているとはいえ、自らが存在するこの土地を一方的に荒らされている。更にはそこへ外から飛び込もうとする輩がいるのだ。エヴァからすれば許せる存在では無かった。
『ぬぅ、分かった。タカミチを送ろう。エヴァ、頼んだぞ』
「ふん。だったらさっさと結界を解除しろ」
『今やっているんじゃが……制御を中々取り戻せぬのじゃ』
「何から何まで後手後手。怠慢のツケが出たな、ジジイ」
エヴァは皮肉気な笑みを浮かべる。その後、二三言葉を交わし、電話は切れた。
「さて、茶々丸。トリエラと範馬勇次郎はどうだ」
「はい、超さんのシステムに寄れば、トリエラさんはまもなく到着するかと。高畑先生もギリギリ、範馬勇次郎の到着前に間に合うかと思います」
フン、とエヴァは鼻を鳴らした。
「私の魔力が戻ってれば、こんな七面倒な言しなくていいものを……」
それは虚勢でもあった。エヴァも全力を出せば、範馬勇次郎に劣るとは思わない。だが勝るとも言えなかった。
エヴァも化け物だが、範馬勇次郎もまた化け物なのだ。
横目には、麻帆良を襲う災厄が見て取れた。鬼神兵による攻防など、魔法界での戦争では珍しくも無かった。ある意味見慣れていた。それでも――。
「自分が住んでいる場所が壊されるのは、気分が悪いな」
茶々丸はホロウィンドウにタッチせず、自らの電脳から直接アクセスしてシステムを操作している。機械オンチのエヴァからすれば、茶々丸がどのような操作をしているのか分からない。
それでも、覗き込んだウィンドウに見慣れたモノが見えた。
金色のネズミ。
そのアイコンを見て、エヴァは口元で弧を作る。
「ククク……ただの中学生が聞いて呆れるぞ、千雨。まぁ良い。貴様はせいぜい麻帆良でも救ってろ」
エヴァは南に視線を向けた。
東京の方角、そこから確かに巨大な存在が近づいてきていた。
気や魔力といった分かりやすいものでは無い。感じられるのは生命の放つ存在感、そのレベルが違うのだ。
ビシビシと肌に当たる感覚に、エヴァは久しく無かった強敵との戦いを思い出す。
そこで、ふと千雨との戦いも思い出した。
あのとき自分は全力では無かった。それでも素人同然の身体能力しか持っていなかった千雨に対し、エヴァは圧倒的に能力は勝っていた。
こちらの攻撃が一撃でも当たれば千雨は死に、相手の攻撃は何発当たろうと防げるはずだった。
その状況を千雨はひっくり返してしまった。
自らの油断を悔しく思いながらも、今となってはその戦いっぷりに称賛の念が沸く。
そしておそらく千雨は今も戦っているのだろう。
(ヤツの事だ。また何か起こすのだろうな)
千雨に出来たのだ。エヴァにすれば自分も出来ないはずでは無かった。
まったく魔力を持たず、今のエヴァは吸血鬼としての能力のほとんどを失っている。
胸にはスタンドより、小さな爆弾が仕掛けられていた。
爆発すれば、おそらく自分は死ぬだろうという確信がある。
この窮地にあって、戦う相手はあの範馬勇次郎だ。
「燃えぬはずが無いな。ククク……」
エヴァは歩き出す。
「行くぞ茶々丸。途中でタカミチとトリエラと合流し、範馬勇次郎を迎え撃つ」
多勢に無勢は卑怯、などという考えには至らない。闘争はかくも残酷なのを、エヴァは長い年月を通して知っていた。
麻帆良の戦火は、より強く燃え上がろうとしていた。
第51話「図書館島崩壊」
「烈老師、あれって何アルね」
隣に立つ古菲が疑問の声を上げた。並んで立ちながら烈海王は湖の向こうを見て、その存在を確かめる。
湖に面した格闘大会の会場にも、様々な所で超のシステムが情報を映し出されていた。
この場所にも危険域として警告されている。その理由は何も鬼神兵などによる攻撃ばかりでは無い。
烈の視界には湖上に並ぶ水柱の横列があった。水の壁にも思えるそれが、まるで波の様に向かって来ている。
「どうやらこの情報は確かな様だな。あれは《梁山泊》、我が国の恥知らずどもだ」
手の甲で近場に立てられた液晶ビジョンを指し示した。そこには《梁山泊》に関する注意と、その目的が書かれていた。
国際警察機構が中心に行なわれる『麻帆良制圧作戦』の発動は、先程麻帆良に隣接する市や町の自治体に説明、勧告されたらしい。
その作戦の旨は「麻帆良の治安回復」なるものであったが、彼らの今までの所業を知っているものは、そんな言葉など信用できなかった。なにせ作戦名に『制圧』なる言葉が入っているのに、信用など出来ないだろう。
そしてその国際警察機構の実働部隊である《梁山泊》、その名前は烈などの武術家ならば嫌でも知っていた。
その身を古代の武具で包みながら、近代兵器を超越する武威を見せる猛者達だ。
反面、その力の方向性に品位は無い。自らを英雄奸雄と称しながら、まるであさましい獣の様に無駄な戦いと殺戮を好む、野蛮な輩だ。
烈とて『武は自らのためにある』という意識を持っているが、そこに誇りも持っていた。そのため、彼ら誇り無き《梁山泊》に対しては嫌悪を持っていた。
その《梁山泊》が今、湖の上を滑走しながらこの麻帆良へと向かってきていた。
烈の目算では千人前後。それだけの人間が水上を走る事により、巨大な水柱がそこいらで上がっている。
あと数分もしないで麻帆良に上陸し、この街を更なる凄惨な場に変えてしまうだろう。
「アイツら、敵アルか?」
古は訝しげに《梁山泊》を見た。
「おそらく、な」
この格闘会場の近くを、多くの避難客が通っている。麻帆良中心部の騒乱に対して、多くの人が外縁部へ向けて逃げていた。
烈らの背後にも、群れを為して逃げようとする一般人が沢山いる。
今、《梁山泊》が突入してきたら、即座に被害が出る事は明白だった。
彼らの正義は彼らだけにしか理解出来ない、と誰かが言っていたのを烈は思い出す。
ふと、湖上の集団が二手に分かれた。百名程が図書館島の方へ流れていった。残りはまっすぐこちらへ向かうらしい。
そして、その百名は図書館島に迫り、その建物を破壊し始めた。図書館島の扉や門、更には屋根を壊し、内部へと流れ込んでいく。図書館島から逃げ出す人々も、その行動に恐怖の悲鳴を強める。
「なッ!」
システムの情報に半信半疑だった人も、その目の当りにした事実に声を上げた。
「もしかしたら救援かも」と思われた存在は、賊の類だという事が明白になる。
「老師! ワタシあいつらボッコボコにするアル!」
隣で古が声を荒げる。
今の状況で、更に場を荒らそうとするだろう彼らの存在に、古は腹を立てた。
「古菲さん、付き合いますぜ!」
「あぁ、こんな時に救助じゃなく、攻め込んでくるとか、何が『警察』だ!」
古菲の後ろからゾロゾロと格闘大会の参加者が出てきた。彼らも武を嗜む存在、目の前の暴虐に怒りを表している。
それらは今にも飛び出してしまいそうだ。
いきりたつ古に、烈は手の平で静止をかける。
「古よ、相手の力量が分かっているのか?」
「うぐ、それは……」
彼ら《梁山泊》は只でさえ水上を走っているのだ。その力量の程は素人目にもわかる。更には敵は幾らか図書館島へ向かったとはいえ、千に近い。
烈は振り向き、大会の参加者達にも言う。
「君らも武を志す者。彼我の実力差を理解出来よう」
ぐ、と多くの者が口をつぐんだ。
「だ、だけど! 今、俺らがやんなきゃ誰がやるんだ!」
例の超の放送にあった「魔法使いらしき人々」は、空を駆けながら鬼神兵やアンドロイドと対峙している。
とてもじゃないが、こちらへと余力を割り振れるとは思えなかった。
災厄は目の前にまで来ていた。
武道家のひよっ子たる彼らにも義憤があり、誇りがあった。
自らの土地を蹂躙される屈辱、それに抗うべき思いが彼らを駆りだてている。
「そうだ! 俺らだって出来るはずだ!」
「こんな数値なんてアテになるかよ!」
参加者の一人が、ホログラムウィンドウに映る数字を指差す。
システムには暫定的な戦力数値なるものが割り振られていた。これは超が一般人に対し、現在の脅威を知ってもらおうと、戦力を分かりやすい数字に直したものだ。
もちろん戦いは数学ではない。明確な数値による勝敗など有り様が無いが、それでもおおよその指針にはなった。
一般人を1と基準し、アンドロイドが100と書かれていた。梁山泊の兵士の一人一人が70程度であり、格闘大会の参加者は5とされていた。
これらの数値から考えれば今いる三十名程度の参加者で、兵士の二人程度は倒せる計算になった。
それでも、そこに彼らの死があっての事であり、無謀の極みとも言える。
「このまま、このまま黙っていられるか! 麻帆良が荒らされてるんだぞ!」
烈は彼らの声を聞き、顔をに皺を作る。そして――。
「その意気や良し!!!」
烈の強い声に、周囲の空気がピリピリと振るえた。
その意外な答えに、古をはじめ、多くの参加者が驚く。彼らも目の前の人物が、麻帆良の誇る天才格闘少女たる古の師匠だと、少し前の二人のやり取りで知っていた。故に、烈の言葉が不思議に思えた。
「君らの意志は汲み取った! 武を志す者として、見上げた心意気だ!」
この極地に置いて誰かのために武を振るう勇猛さに、烈は侮蔑では無く感嘆を感じた。
ならばこそ、彼らを生かしたいと思った。
「だが、君らはまだ未熟だ。私が――」
チラリと古を見る。彼女の瞳には強い闘志があった。
「――私と弟子の古が先陣を切ろう。君らは取りこぼした者から、周囲の避難民を守って欲しい」
烈の言葉に文句を言いそうな参加者達に背を向けて、烈は湖に向けて歩き出す。
その後ろを古が追いかけた。
「ろ、老師! ワ、ワタシも良いアルか!」
「ふむ、さすがに私一人では難しかろう。お前には付き合ってもらうぞ」
そう言いながら、烈は上半身の道着を脱ぎ捨てた。彼の鍛え抜かれた半身に、闘気がみなぎっていた。
靴も脱ぎ捨て、裸足になる。烈にとって靴とは手を覆うグローブに似ていた。グローブは拳を守るが、同時に相手をも守っている。裸足になった烈の足は、抜き身の真剣に等しかった。
「時に古よ、水上を走る事は出来るか?」
「え……、あははは、何度かやったけど、すぐ沈んでしまうアルよ」
「ふむ。相変わらず鍛錬が足りぬな」
烈としては意外だった。古ほどの実力を持ちながら、水上を走れない。相変わらずのムラのある粗忽ぶりに苦笑いを浮かべる。
天才的な才能を持ちつつ、莫大な鍛錬を課してきた古菲は、烈にとって発芽直前の種子に似ていた。
今、目の前に実戦という餌がある、その時、彼女は大きな成長を遂げるかもしれない。
(自らの武の追求にばかり目を向けていたが、弟子の成長にも心が躍るとはな)
烈は近くの街路樹に近づき、その根元に軽く手刀を放った。
「はッ!」
ピシリ、という小さい音と共に、街路樹がメキメキと折れる。
それを見守っていた格闘大会の参加者は、烈の小さな挙動から生み出される、莫大な威力に口を開けて驚いた。
烈は次々と街路樹を切り倒し、それを真上に放り投げる。
「フンハッ!」
樹の断面に拳や蹴りを入れると、まるで街路樹がロケットの様に空を飛んだ。湖上の中央に辿り着いた樹が、そこで内側から弾ける。
烈が街路樹に気を込めたために起こった現象だった。それを幾度か繰り返すと、ものの一分も掛からずに、湖の中央へ向けて木片が浮かぶ道が出来ていた。
木片の大きさは小さい、更に破片と破片の間は広いものの、烈にとっては充分すぎる施しである。
「さぁ、道が出来たぞ古」
「あ、ありがとうございますアル、老師!」
烈の自分への気遣いに、古はしどろもどろな感じで感謝の拱手を行なう。
「硬くなるなよ古。戦いはすぐそこだ。お前の成長の証、見せてもらうぞ」
「はいアル!」
《梁山泊》は湖の中央を通り過ぎていた。早くしなければ、彼らはまもなくコチラへ上陸してしまうだろう。上陸は完全に防げないだろう、それでも、押し留めるぐらいは出来るはずだ。なぜならば――。
「我が名は烈海王! 海王の名を継ぐ武人だ!」
声を張り上げ、湖上の《梁山泊》に名乗りを上げた。
幾千幾万の猛者の上に立ち、初めて名乗れる称号。『海王』の名は中国の武術史の中で燦然と輝き、歴史に残る。伊達や酔狂では名乗れぬのだ。
「行くぞ!」
烈は一気に水上に飛び出す。そのまま水上を走りぬけ、一路《梁山泊》の元へと向かった。
烈の走りは静かであった、《梁山泊》には水柱を上げる荒々しさがあったが、烈はほとんど飛沫を上げずに、彼ら以上のスピードで水上を駆ける。
「ま、待ってくれアル!」
古はそれを追いかけるべく、木片の散らばった道を行く。幾ら木片とはいえ、普通であったら人が乗ったら沈む、小さな木片だ。
そこを古は陸地であるかの様な足取りで進んだ。
圧倒的とも思える二人の技量を目の当たりにした、格闘大会の参加者は、その実力差に悔しさを滲ませながらも、自らの決意を行動に移そうとする。
「さぁ、俺達もやるぞ! あの二人に負けてられるか!」
◆
明石裕奈の父である明石教授は戦っていた。麻帆良に所属する一魔法使いとして、今この時に杖を振るわぬ道理は無い。
「このぉッ!」
彼の手から放たれたのは、幾本もの魔法の矢。それが周囲を取り囲むアンドロイドに向かっていく。
アンドロイドの装甲は、魔力耐性があるため強固だ。真正面からの攻撃はけん制程度にしかならないだろう。
それでも、わずかな時間は稼げるはずだ。
「葛葉先生ッ!」
麻帆良市街の屋根から屋根へと飛び移りながら、教授は叫ぶ。
教授の叫びに呼応するが如く、スーツ姿の女性が風の様にアンドロイド群の間をすり抜けた。手に持つのは長刀。魔法先生にして京都神鳴流の剣士でもある葛葉刀子だ。
「はぁぁぁぁぁぁッ!」
叫び声を上げながら、刀子は手に持つ刀を握り締める。彼女が立ち向かうのは、身の丈四十メートル近い鬼神兵だ。
鬼神兵の腕が刀子を押しつぶそうと、拳を振り下ろした。
「せいッ!」
刀子は上空に飛翔する。先程まで屋根を走っていた家屋は、鬼神兵により粉々に破壊された。飛んだ勢いのまま、鬼神兵の腕へと着地する。
「斬岩剣ッ!」
火花が散る。足元へと振るわれる一刀だが、それは分厚い鬼神兵の装甲に阻まれた。
「――硬いッ」
そこへ、刀子に向けてアンドロイドの魔力砲が何本も放たれた。
刀子はそれを回避しながら、鬼神兵の腕部を上っていく。
この鬼神兵とアンドロイドの連携が厄介であった。その相互的な連携を断つために、教授は先程からけん制を行なっているのだが、敵の数が多いため、どうしても取りこぼしがある。
人で言う肘に当たる部分に辿り着いた刀子は、長刀に気を込めた。刃に紫電が走る。強度が弱いだろう関節部分に、最大の一手を叩き込む。
「神鳴流奥義! 雷鳴剣ッッ!!」
光が爆ぜた。雷を纏った刀は、激しい音と共に、鬼神兵の関節部へと突き刺さる。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
突き刺さった刀で、内部構造を引き千切っていく。刀子は歯を食いしばり、力を込めた。メキメキと音を立てながら関節の半分が壊れる。腕部の肘先は、ただぶら下がっている様な状況だ。
鬼神兵が残った手で刀子を握りつぶそうとするが、刀子はそれを察して退避する。
「一度退くしか無いわね」
「援護します」
後退する刀子とすれ違う様に、教授の放った中級火炎魔法が飛んでいく。
教授の隣に刀子が並び立った。
二人は戦闘を続けながら話し合う。
刀子が苦い顔をした。
「これは更に戦線を下げる必要がありますね」
「そうですね。現在構築している戦線では、とてもじゃないですが一般人の避難まで持ちません」
世界樹の中央部から現れた鬼神兵とアンドロイド軍団。麻帆良側はそれを覆う様に、円状に戦線を敷きながら戦っていた。しかし、こちらの戦力は少ない。それに、高畑が戦線から抜けたのも痛かった。
もちろん情報システムを通じて、学園長からの説明は受けていた。
「範馬勇次郎に、国際警察機構」
ギリっと歯噛みをする。
前者はかの英雄『紅き翼』と並んで有名な人物だ。ただ、その評判はまったくといっていいほど対称的だが。
後者に至っても悪評が耳に入る。そして何故今介入するのか、という憤怒の感情もあった。
これらの勢力、人物に対応するため、麻帆良の戦力は分散される事となった。
そのため、教授と刀子の受け持ちも広い。今はどうにか戦線を維持しているが、それが何時まで持つのかも怪しかった。
それでも教授は引けなかった。
魔法使いとしての誇りも責務もある。しかし、今はそれよりも背後にある校舎に戦いの意義を見出していた。
教授が受け持つ戦線の背後には、娘が通う麻帆良学園の女子中等部の校舎があった。
おそらく娘は避難を開始しているだろう。それでもこのまま戦線が崩壊したら、娘へ被害が及ぶかもしれない。
「負けられませんね。親として、娘を守るためにも負けられないッ!」
その時、風が吹いた。
「――それは〝わし〟も同感だ」
「え?」
教授の耳に低い男性らしき声が聞こえた。そして教授の脇を黒い人影が通り抜ける。
黒い人影は一気にアンドロイド群の中に突っ込み――。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
黒い人影が撫で切る様にして破壊する。ほんのすれ違う一瞬で、アンドロイド十数体がスクラップと化した。
「遅いぞッ! デカブツがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そのまま人影は鬼神兵に肉薄し、刀子が苦労して破壊した片腕をもぎ取った。鬼神兵はその衝撃でバランスを崩して倒れた。
人影は振り向くことすらせず、一切止まる事無く、走り去っていく。
黒い人影の所業に、教授と刀子は唖然とした。自分達が戦っていた中をただまっすぐに走り抜けた人影は、その進路上にあるものを蹴散らして、そのまま走り抜けていってしまった。
「……一体何だったの、今のは」
「わかりません、けれど――」
背後にあるのは麻帆良学園の中等部。そこから来たのか、もしくは中等部を通っただけなのか。
黒い人影の姿はほとんど視認出来なかったものの、顔に片眼鏡(モノクル)を付けていたのだけは分かった。
何はともあれ、教授達にすれば望外な事だった。敵か味方かは分からぬものの、少なからずこの戦場は好転した。
「今が好機です。一気に攻勢に出ましょう!」
「了解です、明石教授」
◆
徐々に激しくなる揺れに、アキラはただ目を丸くする。
「一体何が」
「アキラ君、急いだほうがいいみたいだ。国際警察機構の実行部隊が、この図書館島に攻め込んでいるらしい」
ドクターがやはりモニターから顔を離さずに言う。
「国際警察機構……」
超のシステムにもそんな名前があった。『警察』という名前の組織が、なぜここへ攻めてくるのか、その意味が理解できなかった。
「警察なんて名前が付いているがね、実行力の無い国連が、治安維持を名目に集めた、国家に所属しない武装組織だ。言っちゃ悪いが『世界平和』をお題目に暴れる荒くれ者さ。恐らく彼らの目的は僕か――」
ドクターは補足しながら一拍置いた。
「――ウフコックだろうね。彼らが殊勝に文献やら歴史書を漁りにここに来たとは思えない。まったく、薄汚い火事場泥棒さ」
吐き捨てる様に言う。目的がドクターとウフコックならば、急いで避難しなければならない。
「じゃ、じゃあイースターさんも!」
「僕は遠慮するよ。君には君の使命がある様に、こんな僕にもやる事はあるのさ」
モニターには様々な数字の羅列が映っている。
「それに、このサーバーにはあちゃくらの実体化データがある。端末に本体は入っているが、実体化モジュールの維持となるとこのサーバーは必須だ」
ドクターが説明する間も、頭上では激しい音が聞こえてる。
「さぁ、急いでくれ。ウフコックを千雨の元まで届けてくれるんだろ」
迷いを残しつつも、アキラは研究室を飛び出した。
「イースターさんも無理はしないでください!」
「僕は無理なんてしないさ」
そんなドクターの呟きを耳に残しつつ、アキラはエレベーターへ向かった。ボタンを押してドアを開けるも――。
「なッ」
中は破片で埋まっていた。どうやらエレベーターシャフト自体が破壊に巻き込まれ、埋まってしまった様だ。
「ど、どうしよう……」
「仕方あるまい。アキラ、階段で上を目指そう」
「――ッ、はい!」
アキラはスタンドを出して飛び乗った。ウフコックはブレザーの胸ポケットに入れてある。
この階の通路は狭い。そこを素早くすり抜けていく。フロア中央にある階段から、一つ上のフロアに昇った。
そこで見たのは驚愕の風景だった。
「嘘……」
そこは広く作られたフロアだった。
二十メートルに及ぶ高さに、縦横数百メートルの巨大な直方体の空間だった。
そこには本棚が森の如く並び、空中にも回廊が作られ、縦横無尽に書架が配置されている。
その巨大な空間の天井が崩れていた。
破片が本棚の森に落ち、グシャグシャに押しつぶす。
迷宮となっている上層部へ続くこの空間の天井に、吹き抜けの大穴が出来ていた。今もその吹き抜けは大きくなり続けている。
「まずいですね」
気付けば隣にクウネルが立っている。相変わらず、幽霊の様な唐突な現れ方だった。
「クウネルさん、これってやっぱり……」
「はい。国際警察機構の《梁山泊》とやらの仕業です。地上の建物内の人々はどうにか避難した様ですが。《梁山泊》は地下迷宮内のトラップやらセキュリティ対策のゴーレムなどを、力ずくで破壊しながら進んでいます」
巨大な吹き抜けからは、破壊音が未だ聞こえている。ときおり数メートル規模の石材の破片やら書架が、穴からボロボロと落ちていた。
「ギャオォォォォォオオオオオオオオ!!!!」
「うっ……」
臓腑を抉るような咆哮が聞こえ、アキラは思わず耳を塞いだ。
ズシン、ズシンと何か大きな物が連続で壊れていく音。
「これは……」
クウネルが何かを察し、自分とアキラを包むように、球状の魔力障壁を作った。
その時、天井の穴が更に大きく広がる。そこから落ちてくるのは、穴よりも大きな生物の体。
爬虫類の様だが、背には巨大な羽根が付いていた。今その羽根の一本がもぎ取られ、おびただしい血を噴出しながら、それが落ちてきたのだ。
どうやら先程の音は、上の階のフロアが連続して壊れていく音だった様だ。
「ド、ドラゴン!」
アキラが声を荒げる。それはドラゴンであった。正確にはワイバーン、ドラゴンの一種である。この図書館島の地下迷宮のガーディアンとして存在するワイバーン。強大なはずの竜種が、無様な醜態を見せていた。
地響き。ワイバーンの体は大量の瓦礫と共に、本棚の森へと突っ込んだ。
落ちてくる破片をどうにかクウネルの魔法で防御しきると、天井が綺麗に無くなっていた。
それだけでは無い。その上のフロアも、それまた上のフロアも、ほとんどの階層の地面と天井が大きく崩れていた。見上げるだけで遠くに地上の陽光が見えた。
図書館島の地下は、数百メートルの深さの巨大な縦穴へと変わり果てていた。
「ぬぅ、見つけたぞ!」
「あやつ、リストにもあった者だ!」
「金色のネズミ、《楽園》の産物だ!」
上空から次々と落ちてくるのは、古代の大陸の兵士を思わせる格好の《梁山泊》だった。
彼らは標的をアキラとウフコックに見定め、次々と落下してくる。
アキラの隣に立つクウネルが囁いた。
「大河内さん、あなたのスタンドとやらなら、壁ぐらい昇れるでしょう。幸い地上までは一直線です。一気に駆け抜けてください」
「け、けど!」
「大丈夫、まかせてください。これでも私は司書なので」
そういってクウネルは自分の顔の前で指を一本立てた。
「ほら行ってください、露払いは私がしましょう」
「は、はい!」
アキラはクウネルに急かされるまま、再びスタンドに乗った。
『フォクシー・レディ』はそのまま跳ねる様に飛びながら、壁面に残った書架を足場にして上って行く。
「――ッ!」
しかし、剣を掲げた《梁山泊》の一人が、上空からアキラ目掛けて落ちてくる。
「貰ったァァァァ!」
アキラは身構え、スタンドで迎撃しようとするも、相手のスピードは速い。
「やらせませんよ」
クウネルの小さな声と共に、《梁山泊》の一人が球形に形作られた重力魔法により、壁へ叩きつけられた。
「グァァアアァァァ!」
そのまま《梁山泊》の一人は壁面に埋もれてしまう。
「き、貴様はアルビレオ・イマ!」
「『紅き翼』の一人のお前はやはりここにいたのか!」
「その首貰うぞ!」
壁面を上るアキラのすぐ横にフワフワと浮かぶクウネルは、まるで残念なものを見たかのように首を振った。
「それは勘違いです。私はクウネル・サンダース。この図書館島の司書をやらせて頂いてます」
「ほざくな! 下郎!」
槍を持った兵がクウネルに襲い掛かるが、それもまた簡単にいなされる。
ある者の剣の一筋は、巨大な岩をも真っ二つにし、ある者の矢は放った一本の矢が、いつの間にか数百という数になり突き刺さった。
しかし、そのどれもが当たらない。
アキラは壁を上りながらも、次々と周囲で起こる激闘に、目を白黒させる。
「ク、クウネルさん!」
「大丈夫ですよ。ほら、大河内さんは前だけ見て、危ないですよ」
クウネルはそう言いながらも、両手で魔法を行使して、次々と《梁山泊》の兵の超人的な妙技を退けていく。
アキラにすれば目で追うのも難しい攻防だ。
クウネルに促され前方――本来であるならば頭上だが――を見れば、大きな書架が落ちてくる。
「うわ!」
それを『フォクシー・レディ』はヒョイと、横に避けてそのまま上る。しかし、一緒に落ちてきた本の一冊が、アキラのこめかみに当たる。血が一筋流れた。
走る速度はまるでジェットコースターの様だ。巨大な図書館島地下の壁面を、アキラは凄まじい速さで上っていた。
顔に空気があたり、目を開けているのも辛い。周囲の光景はあっという間に後方に流れる。
そんな世界でありながら、クウネルも《梁山泊》も生身で付いて来ていた。ある者はアキラとクウネルを追いかけるために、背後から壁面を上り、ある者は上空から落ちてきて襲撃をかける。
クウネルはその一連の攻撃を、一人でいなしていた。
「さすが歴戦の英雄!」
「だが多勢に無勢よ!」
「よもや貴様も長くは持つまい!」
《梁山泊》が叫ぶ。
確かにクウネルの顔色が、どこか青白かった。
「ははは、確かに持たないかもしれませんね、けれど――」
クウネルは話しながらも、《梁山泊》をまた一人倒した。
「何も、私一人で戦う必要は無いですよね」
その時、アキラの背後――もはや穴の遥か底に見える場所から咆哮が聞こえた。
「ギャオォォォォオオオオ!!!」
それと同時に、垂直に巨大な炎の柱が出来上がった。
「うわっ!」
悲鳴を上げるアキラだが、クウネルが自分を含めた周囲に魔力障壁を張っていたので、直撃は避けられた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
「しまったぁぁぁ!!」
《梁山泊》の何人かが火達磨になり、落下していく。
それと代わるかの如く、穴深くからドスドスという、けたたましい足音が聞こえた。
ワイバーンだった。先程翼をもがれたワイバーンが、背から血を流しながら、壁面を巨大な足爪で鷲掴みにしつつ、目まぐるしい速さで上ってきた。
「ちぃぃ、仕留め損ねたかぁ!」
《梁山泊》がワイバーンに襲い掛かるが、それよりも早くワイバーンの咆哮が響いた。
「■■■■■■■■ッ!!!」
「――ッ!」
ビリビリと空気を揺さぶる咆哮。その威力で《梁山泊》の襲撃者も一瞬硬直する。
「し、しまっ――」
気付けば遅い。ワイバーンの喉奥にチロリとした火が灯ると、それは一気に膨れ上がった。
竜の吐息(ドラゴン・ブレス)。
口から放たれる猛烈な炎が、再び《梁山泊》を襲う。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
またしても数人が火達磨になった。
ワイバーンの目に灯るのは怒り。
ガーディアンとしての責務が守れなかった自分と、図書館島を破壊した愚かな侵入者への怒りだった。
「あ、ありがとう!」
アキラはワイバーンに向かい、お礼を言うと、ワイバーンは一鳴きで返事をする。
「やれやれ、あなたもどうにか起き上がってくれましたか」
クウネルは顔色を悪くしながらも、笑みを絶やさない。
アキラはクウネルとワイバーンに囲まれて頭上――外へと向かう。
先程から《梁山泊》を次々と屠っているが、その一人一人は弱くは無い。アキラが立ち向かえば、あっという間にやられるだろう。
明らかにこのクウネルとワイバーンが強いのだ。
しかし、二人も本調子では無い。クウネルの顔色は悪く、ワイバーンは大怪我を負っている。
それでも、二人はアキラとウフコックのために戦ってくれた。アキラが出来ることは、一刻も早くこの場所から脱する事だった。
「お願いします! 私達を地上まで守ってください!」
「おまかせあれ。迷子を入り口までエスコートするのも、業務の一つだと私は考えてますから。なぜなら――」
クウネルは笑みを深める。
「私は司書ですから」
上空から《梁山泊》の第二陣が降りてくる。図書館島は次々と破壊され、積み木を壊すように容易く崩壊していった。
アキラが真っ直ぐ上を見れば、《梁山泊》や破片の向こうに、確かな光が見える。
空。蒼い空。
「邪魔しないで!」
崩壊の真っ只中を、アキラは向かうべき場所へ、力の限り突き進んだ。
つづく。
●ワイバーン
ドラゴンっぽい何か。
3話にチラリと登場。