「さぁ、行くネ」
超はそう呟き立ち上がった。
《カシオペア》で作った空間を脱し、出てきたのは大学棟にある超の研究室。
時刻は三時ほんの少し前。まもなく吉良の演説が始まるだろう。
三時に吉良の演説、三時三分に鬼神兵が現れたはずだ。現在は二時五十八分。猶予は五分しかない。
現状で吉良を直接襲撃するという方法もある。しかし、それではダメなのだ。
『吉良を殺しては意味が無い』。それが超の導き出した答えだ。
吉良を殺した時点で、この時系列は終わりを迎える。それでは意味が無い。
「盤上をひっくり返す……」
この世界のルールこそ、破壊せねばならなかった。そのために全力を尽くさなくてはならない。
超は即座に葉加瀬に連絡を入れた。
「ハカセ、確か今は屋台にいるはずネ」
『あ、超さん。今までどうしてたんですか、超さんがいないから――』
「すまないが葉加瀬、緊急事態ネ。五分後に、麻帆良を襲う大事件が起きるヨ。屋台を飛ばして、この私の研究室へ横付けして欲しいネ。大至急」
『五分後』という超の言葉に、葉加瀬は疑問を持たない。なぜなら葉加瀬聡美も超の事情を知る数少ない人物なのだから。
『ご、五分? 良くは分かりませんが、とりあえずこの屋台を飛ばせばいいんですね』
「そうネ。詳しい事情はデータとしてすぐに渡すネ」
超はそう言いながらも、研究室から様々な物を持ち出していく。幸い、クラスの出し物のおかげで立体投射のライトは沢山あった。
それらを用意しながら、研究室の端末を次々と立ち上げる。
「くッ。やっぱりメインサーバーは電子精霊にやられてるネ」
地下の研究室は、完全に制圧されていた。ならば、頼みは外部。
「台湾、南米、欧州に用意してあるサーバーで、この麻帆良のネットワークにどうにかラインを作らないとダメネ」
その時、研究室の窓から、巨大なジェット音が聞こえた。
「来たカ!」
窓から見えたのは空を飛ぶ路面電車。
屋台『超包子』は、路面電車を改造してあり、自力での飛行までを可能にしていた。
「超さーん!」
「ハカセ、ナイスネ」
超は立体投射ライトの入った箱やら、バズーカ砲の様なものやらを屋台に次々と積み込んでいく。
その際に、ライトの一つを葉加瀬に投げた。
「ふぇっ、これって私達が開発していた」
「ホログラムウィンドウ。そのシステムを使うネ」
葉加瀬の目の前、空中にパソコンのシステムウィンドウが開いた。投射された立体ディスプレイを指でなぞれば、それに合わせてウィンドウの内容もスクロールされた。
それは超達が『超電脳メイド喫茶』で使っているライトの応用だ。それをネットワークのインターフェイス代わりの端末として代用する。
「ハカセ、私が伝えたい事は、そこに大体書かれてるヨ。三十秒程で読んで欲しいネ」
「さ、三十秒でですか?」
葉加瀬はそう言いながらも、すごい速度でホログラムウィンドウをスクロールしていく。葉加瀬もまた非凡であり、速読ぐらいは出来た。
葉加瀬が固まってる間、超は次々と荷物を運び入れていく。
見れば、屋台の運転手は四葉五月がしてくれている様だ。
「五月もつき合わせてすまないネ」
五月は軽く首を横に振った後、ニコリと笑った。超も合わせて笑みを作る。
超はバズーカ砲の様なものの砲弾らしきケースに、ライトをザラザラと入れていく。元々このライトをばら撒くというのは、来年考えていたケースの一つであった。
幾つかの砲弾を作るものの、これだけでは圧倒的に数が足りない。
来年のために仕込んでいた大型の投影機。更には今、祭りという事で設置されている大型街頭ビジョン。様々な物を使わなければ、この街そのもののネットワークを作り上げる事は出来ない。
しかし――。
「超さん!」
背後にいた葉加瀬が声を上げる。
「どうかネ、ハカセ」
「はい。疑問は多々ありますが、あなたが今まで何をやってたかも、これから何をするつもりかも、大よそは理解してるつもりです」
「上々ネ」
超はそう言いながら、取り出したキーボードを弄り出す。
葉加瀬も端末を立ち上げ、超の作業に参加した。
「私も手伝います」
「ハカセ、悪いネ」
「ここまで来たら一蓮托生です。正直信じたくはありませんが――」
葉加瀬のモニターには、メインサーバーのアクセスが拒否されたログが表示される。
「データは嘘をつきません。あれが事実なら、たった数分とはいえ、呆けてばかりはいられません!」
「そうカ」
超は笑う。
その時、超の耳に吉良吉影の声が聞こえ始めた。
世界樹がほのかな光を発し始めてる。
「はじまったネ」
耳を押さえて呟く超に、葉加瀬が問いかけた。
「超さん。これって吉良吉影という人物の……」
どうやら葉加瀬にも、吉良の声は聞こえている様だ。
「そうネ。奴の宣言が終わると、この街の中の異能者は一斉にスタンドを仕掛けられるヨ。ついでに三十分という期限付き。吉良を殺してもお終い、吉良を殺さなくてもお終い、本当に最悪なゲームネ」
超は笑みを作る。
「だからこそ、奴は油断するネ。圧倒的な優位、それこそが付け入るスキになるヨ」
超はそう言いながら五月に指示を出す。
これから出来るだけ人が密集している場所へと、先程のライトをばら撒かなくてはいけない。
超には超の戦いがある。彼女は決意を改めた。
第49話「strike back!」
麻帆良内の人が固まった場所の幾つかに、超の行動により投射ライトはばら撒かれた。
多くの人間が『学園全体鬼ごっこ』の花火か空砲と勘違いする。
ばら撒かれた地域は、麻帆良全体からすれば微々たるものだ。それでも多くの人に目に渡る形で、ライトは撒かれた。
そして、麻帆良の上空に、巨大なホログラムが現れる。
一人の少女――超鈴音だ。
彼女は神妙な面持ちで話し出す。
『ニーハオ、麻帆良の皆様。私の名前は超鈴音。今から皆様に早急に伝えねばならない事があるネ』
超の事を見た多くの人物が、ホログラムの出来に驚き、イベントか何かと勘違いした。
『これは演劇でもイベントでも無いネ。紛れも無い事実だと思って欲しいヨ。麻帆良はこれから大きな事件に巻き込まれるネ』
各所にばら撒かれた投射ライトでも、小さなウィンドウが空中に描かれ、上空と同じ超の姿を映し出していた。
それだけでは無い。外部サーバーを使い、電子精霊との電脳戦を行ないつつ、麻帆良内の幾つかのネットワークを手中に収めた超達は、大胆な電波ジャックを行なっていた。
『学園全体鬼ごっこ』の実況用の巨大街頭ビジョン、案内版の液晶ディスプレイ、様々な場所へと中継を映している。
今、麻帆良にいるほとんどの人が、超の姿を見ていた。
『私が開発した『T-ANK-アルファ2』と呼ばれるアンドロイド兵千体強と、『鬼神兵』と呼ばれる兵器の開発段階のプロトタイプ六体が、麻帆良の世界樹《蟠桃》と電子精霊に制御を奪われたネ』
超は映像の中に更にウィンドウを開き、二つの兵器の映像を出した。
『これらは本来、開発段階であり、それほどの能力を持っていなかったヨ。だが、世界樹の魔力を注ぎ込まれ、兵器としての力を底上げされているネ』
映像が切り替わり、麻帆良全体のマップが表示される。
『これらの兵器は地下にある工廠から、約二分十秒後に地表にあらわれるはずネ。その際、大きな揺れが起こるはずヨ。この赤丸の地点にいる人間は、出来るだけ早く退避して欲しいネ』
地図に丸が書き込まれる。その地点は六個。正確なデータでは無く、あくまで超の予想だった。
『これらは私の落ち度ネ。本当にすまないと思ってるヨ』
超が再び映像に表れ、深々と頭を下げた。
『でも、私は、この麻帆良を助けたいネ。だから、お願いだから力を貸して欲しいネ。魔法使い、スタンド使い、超能力者、誰でもいい、この言葉の意味が分かる人は、麻帆良のために力を貸して欲しいヨ。これからの事件では、誰か一人の力では解決出来ない、多くの人の力が必要ネ。そして、これらの言葉が分からない人間は、先程散布したホログラムウィンドウの表示に合わせて避難して欲しいヨ』
超は出来るだけ語気を強くした。この超の訴えこそが、これからの成否を決めるのだ。
『なお、これらの事柄に関する、分かる限りの情報を、今表示させているウィンドウに情報共有システムとして公開するネ。電子精霊の対策もあるので自由とは行かないが、多くの人が情報を手早く書き込めるように工夫したつもりヨ。多くの有志が立ち上がってくれる事を望むネ』
超の姿が消え、代わりにシステムの立ち上げ画面が出てくる。
丸いサークルの中に肉まんがクルクルと回るアイコンが表示され、次には情報共有システムの画面に切り替わる。
そこには鬼神兵の登場までの残り時間が表示されていた。その表示は百秒を切っていた。
◆
「……そうか」
千雨は走りながら、空中に浮かぶウィンドウを電子干渉(スナーク)で弄っていた。
超の考えは単純だ。かつて、どこかの時系列では一方的に情報を制御され、たくさんの戦力を持っているはずの麻帆良が、その戦力を有効に使えなかったのだ。
銘々に戦う軍隊ほど打ち破るのは容易だ。
だからこそ、超は一つの賭けに出た。
情報の開示。
何もかもを隠さずに明かし、その上で多くの人間の戦力の統一を図ろうというのだ。
もちろん賭けである以上、リスクも存在した。多くの人がパニックに陥る可能性もあれば、人が超の存在に不審を抱く可能性もある。
それでも超は行いに賭けたのだ。
超のシステムもうまく作られていた。
この情報システムには、マップ上に麻帆良の人口分布が表示され、主要な人間のマーキングがされていた。
更には一部の人間の能力の推察なども書かれている。
例えば吉良吉影の項目を見れば、そのスタンド能力の推定が書かれていた。だが『スタンド能力』が何か、は書かれていない。あくまで分かる人間にだけ分かればいいと、情報をうまく選別されてある。
システムのトップページでは、現状に置ける重要な項目を、出来るだけ簡素に書かれている。
多くの人が、ただ見ただけで何をすべきなのか理解するために、その点に注意してシステムは作られていた。
だが、それだけではダメなのだ。残り時間は八十秒を切っている。
今も多くの人間に動いてもらい、その被害を小さくしなくてはならない。
ならばこそ――。
「貸しを返す――いや、こっちも助けて貰ったし、イーブンかな」
超はかつて《学園都市》に潜入した千雨を助けてくれた。超への貸しは、屋台のバイトぐらいでは返済しきれてない。
「わたしも、貸してやるぜ。しっかり返せよ、〝戦友〟!」
電子精霊に制圧された麻帆良で、千雨の力は十全に発揮されなかった。巨大な演算装置があって、千雨の電子干渉(スナーク)は真の力を発揮するのだ。
だが、携帯電話を通して超のシステムに干渉する事ぐらい出来る。
携帯電話に内臓されていたセキュリティキーで、千雨はあっという間にシステム内部までダイブできた。
おそらく超も千雨が干渉してくるのを予想していたのだろう。
千雨が分割思考をシステム内部に常駐させた。そこで千雨は送られてくる情報の選別を、有機的に行なう助けをしようとした。
これほどのシステムを開放したら、イタズラや誤情報などが大量に出てくるのが常だ。それらを出来るだけ減らすためには、人間の判断が一番だった。
千雨にとっては、ただそれだけの行いだった。
システムのトップページの右上にある肉まんのアイコン、その下にもう一つアイコンが輝いた。そのアイコンの意味を、当の本人たる千雨は知らない。
◆
広瀬康一は困惑していた。
あの吉良の言葉を聞き、憤慨したと思ったら、見知らぬ少女が上空に現れ、鬼神兵やらアンドロイドやらと良く分からない事を喋っていた。
康一の手の中に、先程ばら撒かれた投射ライトが一つあった。
空中に浮かぶホログラムウィンドウ、それを指で触れれば、タッチパネルの様に弄る事が出来た。どうやらこの二センチ程度の小さなライトは、端末としての役割もあるらしい。
「どう思いますか、承太郎さん」
「鵜呑みには出来んな。だが、先程の吉良吉影の件もある、あながちブラフとも思えん」
康一は隣に立つ承太郎に聞いた。
二人は仗助達の出場する格闘大会の応援で、湖に面した会場へとやって来ていた。
承太郎もそのシステムを見ていた。
端っこに表示されているカウントは八十秒を切っている。
システムを弄くりだすと、何故か吉良の能力まで開示されていた。
「吉良吉影のスタンド能力まで……『平行世界を越える能力』。何故そこまで分かるんだ」
承太郎は訝しむ。ここまで相手の詳細が分かっていながら、なぜ未然に防ごうとしなかったのか。
そして、『平行世界を渡る』などという能力をどうして知れたのか。超鈴音という謎の少女への、疑問が尽きる事無く沸いてくる。
「『吉良吉影を殺してははなら無い。殺した瞬間にこの時間軸は破棄される』……て書いてありますが、どういう事なんでしょう」
康一は苛立ちを含ませながら言う。彼にしてみれば、このシステムは吉良を守ろうとしているかの様に思えた。
康一にしても、承太郎にしても、目の前に分厚い辞書を出されたら、その理解をするには時間がかかるだろう。このシステムはそういう面でのサポートが万全では無いのだ。だが――。
「え? 何ですか、コレ」
急に右上の肉まんのアイコンの下に、『金色のネズミ』が現れた。
そのネズミはトコトコとウィンドウを横断し、康一と承太郎の目の前に、二人が知るべき情報だけを表示させる。
「世界樹……あの樹がスタンド能力を持っている? それに吉良の能力が重なって……」
かなり簡略化された内容が提示され、康一はものの数秒で読み終わった。
隣にいた承太郎は、そのウィンドウを見て破顔した。
「……なるほどな。康一君、どうやらこの情報システムは信頼出来るらしい」
「え?」
承太郎はウィンドウを軽く手の甲で示した。その先にあるのは金色のネズミ。
「俺の〝戦友〟も戦ってる様だ。吉良の元へ向かおう。ついでに、出来るだけ多くの観客の避難を促すんだ」
◆
関東魔法協会の地下司令部では、超の登場により更に混乱の度合いを強めていた。
それはそうだ。
いきなり大量のデータベースを提示され、なおかつあと数十秒というカウント表示までされている。
更には吉良による謎のスタンド攻撃。
多くの関係者が混乱をするのは必然だった。
学園長の近右衛門も、司令部でモニターを見ながら唸っていた。
近右衛門の卓上のディスプレイにも、超の提示したデータシステムが表示されていた。
そこを見れば、超の推論による吉良の能力情報までがある。
「超鈴音君のぉ……」
2-Aには様々な能力や問題を抱えている生徒を集めている。その中でも超鈴音は群を抜いていた。中学生にして、大学棟に研究室を持ち、『天才』と呼ばれている少女。
この少女には魔法を知っている疑惑までがあった。
だが、今となってはそれは正しいのだろう。
このデータシステムには魔法に関する様々な情報まで明記されていた。
それこそ、吉良が結界規模の魔法障壁に守られている事まで。
「だが、しかし……」
信頼に足らない。カウントは七十秒を切ろうとしていた。近右衛門のこめかみに、汗が一筋流れる。
その時に、モニターに不可解な表示がされた。
「ふぉっ!」
モニターの右上に現れたのは金色のネズミのアイコン。
それが、麻帆良の結界の出力低下に関する情報や、地下の魔力の活性化のデータをヒョイヒョイと表示させた。
司令部の各所で、モニターを見ていた人間が声を上げた。
そして彼らはこのネズミを知っている。
かつてあった『スタンド・ウィルス』事件で活躍し、この麻帆良を、ボロボロになりながら救った少女。彼女が麻帆良内の演算装置を制圧した時にも、このマークは出ていた。
麻帆良に所属する魔法使い達は、少なからず彼女を敬意を持っていた。そして今、彼女はどうやら超と共に戦っているらしい。
超に対する信頼は無いが、彼女なら信頼出来た。
ならばする事は決まっている。
「皆の者! このシステムを全面的に活用するのじゃ! 鬼神兵の出現場所と思われる場所の避難に、近場の魔法使いを向かわせるのじゃ! あと市内全部で出来る限り放送せい! これは事実じゃと!」
近右衛門は声を張り上げた。多くの魔法使い達も、『金色のネズミ』の意味を理解し、コクリと頷く。
おそらく、鬼神兵の出現を止める事は出来ないだろう。ならば被害は最小限に抑えねばならない。
それに――。
「このシステムの情報が本当ならば……」
湖の向こう、麻帆良の北側には国際警察機構がいるらしい。更には南東からは範馬勇次郎が向かっており、麻帆良内部にはスタンド使いが侵入しているとの事。
そのどれもが初耳であり、近右衛門は混乱しないと努める。
「まるで、戦争じゃな」
いや、これは確かに戦争なのだ。
麻帆良を守る防衛戦。負けられぬ戦いがそこにあった。
近右衛門はシステムを弄ると、鬼神兵やアンドロイドに関するスペックが表示される。
スペック的には大した事は無いが、世界樹の強大な魔力を注ぎ込まれ、実物はもっと強化されているらしい。
超はそれに対処するために、それぞれの兵器の欠点や弱点を表記していた。
鬼神兵は脇腹の装甲が薄く、そこを突き破れば左胸に搭載された、核たる動力が剥き出しになるらしい。
アンドロイドは、首の後ろのパイプが口から放たれる魔力砲の魔力経路になっており、そこを破壊されると魔力の漏洩が起きるとか。
これらの欠点は、超からすればあと一年を通して強化される予定の物だった。
「麻帆良結界の制御かのぉ……」
今も奪い返そうとしているが、麻帆良結界の制御が電子精霊に奪われていた。
しかも、相手は結界の出力を無くしたまま、結界を維持している。この結界はエヴァの封印、呪いと連結していた。電源をオフにせず、ボリュームをゼロにしたオーディオの様な状態だ。
この結界の運用はエヴァを封じ、更には――。
「不死の吸血鬼をも殺しにくるか。確かにこれならば殺せるやもしれんな」
エヴァンジェリンは、封印された状態では幼子と同じであり、吸血鬼の特性たる不死の力は発動しない。
この状況でスタンドが爆発すれば、おそらくエヴァを殺せる。
しかし、エヴァはこちらの切り札でもあった。莫大な魔力、それを操る技術。どれもが人間の齢では達する事が困難な次元にある。
こちらに切り札を切らせない形で、切り札を殺す。ある意味理想的な戦略だ。
近右衛門は思考を巡らせていると、カウントは三十秒を切っていた。
「もうすぐか……」
避難は徐々に進んできている。
多くの観光客が、半信半疑といった様子でゾロゾロと混乱無く歩いていた。
超のデータシステムが街頭の所々で表示され、避難経路を明確に指示している。元々集団行動を好む日本人は、その指示に粛々と従った。
パニックが加速し、他人を押しつぶしたりするのが避けられているのは僥倖だ。
それでも、全員の避難は間に合わないだろう。一体どれ程まで被害を防げるか。
近右衛門の目の前のモニターには、麻帆良全体の魔力の活性化が見えた。
◆
「皆さん、静粛に! 静粛に!」
手を叩きながら雪広あやかは、クラス内にしっかり届く様に声を張り上げた。
クラスの担任教師がいない今、責任者はあやかである。
幸い、このクラスには投射ライトがたくさんあった。
クラスメイトの各々が、そのライトを弄くり、映し出されているホログラムウィンドウを見ていた。
男性客の面々も、皆が訝しげに超の放送を聞いていた。
「ねぇ、超のこの放送って何? ドッキリ?」
「いやー、超の事だから本当かも。でも魔法使いって何よ」
「うーん。なんか嫌な予感がするかも~」
「スタンド使いって……康一さん、関係してるの?」
クラスの中では小さな呟きが治まらない。
「静粛に! 静粛に!」
あやかは再び叫んだ。
シン、と静まり返った室内で、あやかは周囲を見た。
「みなさん、どうやらこれから何かが起こる……らしいのです。事実はどうあれ、もしもの事を考えると、とりあえず速やかな避難を皆さんにしてもらおうと、私は思うのですが」
「いいんちょ! でもでも、外見てみなよ」
暗幕を捲り上げて、外の窓下を見る風香が叫んだ。今はイベント中のため、廊下と窓に暗幕が張られていた。
そこには、ゾロゾロとゆっくりとした動きで避難をする観光客や生徒が見える。おかげで昇降口や校門は人で埋まり、身動きが出来ない状況だ。
元々この女子中等部での来客数が多かったため、この様な事態に陥っていた。
「これじゃ避難している間に、そのなんかでっかいロボット? とか出てきちゃうんじゃない」
ふむ、とあやかが顎に手を当てた。そこで近くにいた那波千鶴に顔を向けた。
「千鶴さん。どう思われますか?」
おっとりとした大人の女性、という雰囲気の那波千鶴は、頬に手を当てながら答える。
「そうねぇ。とりあえず皆教室で、その時間とやらが来るのを待った方がいいんじゃないかしら。校舎は元々避難所に使われたりするぐらい丈夫に作られてるはずだし」
ホログラムウィンドウに映った地図を見れば、鬼神兵とやらの出現ポイントは世界樹広場を中心にし、円状に六つ。幸いこの校舎はその円の外側にあり、多少離れていた。
「そうですわね。皆さん、本当にこの情報が信じられるか分かりませんが、とりあえず机の下に隠れてください。その後、特に問題が無ければ一端校舎外に避難し、先生方の指示を仰ぎましょう」
あやかがそう言うと、多少不満を持ちながらも了承の答えが帰ってくる。来客達もとりあえず指示に従うようだ。
そんな中――。
「これは起こりますデス、間違いなく」
夕映が確信に満ちた声を発した。
「綾瀬さん、ですが……」
無駄に不安を煽る夕映に、あやかは苦言を呈しようとする。
「いえ、事実デス。これから起こります」
夕映はそう言った後、刹那や真名がいる場所へ向かう。二人はどうやら今後について、内密に相談していたようだ。
「桜咲さん、龍宮さん、私はこれから行かなくちゃ行けない所があります。お願いします、クラスの皆を守ってくれませんか」
夕映がペコリとお辞儀をする。
その神妙な面持ちに、半信半疑だった人達の顔に不安が過ぎった。
「綾瀬さん……」
「綾瀬、やはりコイツは本当なのか」
刹那が返答につまる。真名は、ホログラムウィンドウを差しながら言った。指先には金色のネズミのアイコン。
「はい、あの人も戦ってます。これから起こるのは、大きな戦いです。だから、皆の事をお願いしたいのデス」
夕映の言葉に、真名は少し考えながらコクンと頷いた。
「いいだろう、クラスメイトぐらい守ってやるさ。な、刹那」
「うん、あぁ、そうだな……」
刹那は自分を見つめる木乃香を気にしながら頷いた。
「ありがとうございます」
そう言う夕映の背後で、不安そうな顔をしているのどかがいた。のどかの後ろにはハルナもいる。
「ゆえゆえ……どこかへ行くの?」
「はい。行かなくちゃいけません。のどか、それにハルナ、しっかりとお二方の言う事を聞いて避難してください」
のどかにそう言い聞かすと、夕映は目線を楓に送った。楓も、真名や刹那と同じようにコクンと頷く。
ホログラムウィンドウのカウントが二十秒を切っていた。
「皆さん、早く机の下に隠れてください」
夕映はそう言いながら、暗幕を閉めた。窓ガラスが割れ、破片が散らばるのを防ぐためだ。
夕映の行動にポカンとしていた人達も、とりあえずといった感じで机の下に入る。
カウントは十秒を切り、一瞬の静寂があった。誰かがツバを飲む音が聞こえた。
手に汗が浮かんだのは、一人や二人じゃない。
呼吸音、その合間に小さい地鳴りが混じり始めた。
ものの数秒で地鳴りは巨大な轟音へと変わる。
「う、嘘!」
「マ、マジで!」
「え? え? え?」
半信半疑だった生徒から、驚きの声があがる。
机のパイプ脚を必死で掴み、やってくる揺れに備えた。
教室が揺れた。
縦揺れ、遊園地のフリーフォールの様な落下感が間断無くやって来る。
ガラスの割れる音、悲鳴。多くの人が不吉な想像を頭に浮かべた。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
多くの悲鳴が重なり、誰が叫んで、誰が叫んでないのか判断出来ない。
激しい揺れは、何もかもをも破壊しようとしてるかの如く、その動きをなかなか止めない。
十秒だろうか、二十秒だろうか、揺れが収まった時、多くの人間が呆然としていた。
教室内は荒れ果て、せっかくの装飾も無駄になる。
蛍光灯が落ち、教室内の明りはホログラムウィンドウのみになった。誰かが光欲しさに暗幕を捲る。すると――。
「え……」
呆然とした呟き。
予期されていたはずのものだ。なにせ超は地震が起こる事、そしてそれにより何が起こるかを明確に言っていたのだから。
それでも、目の前に光景に呆けた声が出た。
多くのクラスメイトや来客が、暗幕を取り除き、窓の外を見つめた。
「嘘、でしょ」
「映画みたい」
「超の言ってた事、やっぱり本当だったんだ……」
そこでは巨大な鬼神兵が世界樹を取り囲む形で現れ、咆哮を上げていた。
鬼神兵の脚元の地面が大きく割れている。恐らく先ほどの揺れの原因はあれなのだろう。
六体の鬼神兵、それぞれが身の丈三十メートルを越えていた。まさに異形の化け物といった巨大な兵器の周りに、ぞくぞくと小さなアンドロイドが現れる。
小さいと言っても、それは鬼神兵に対してであり、アンドロイドの身長は二メートルを越えていた。
愕然とするクラスメイト、その中には雪広あやかもいた。
「委員長さん!」
夕映の声が叱咤する。
「委員長さん! あなたがしっかりしなくてどうするんですか!」
あやかはハッとし、周囲を見回す。
「み、皆さん! 怪我をした人はいませんか! いないのなら速やかに避難しましょう。ただ、慌てず、迅速にです」
混乱を押し殺し、あやかは毅然とした態度を取る。その姿に、クラス内の混乱が幾分か和らいだ。
その中で夕映は一人、窓へと向かった。颯爽と歩く夕映のメイド服のスカートの裾が、軽く翻った。
そのまま飛び上がり、窓枠に立つと、夕映は背後、クラス内の真名を見つめる。夕映の行動に、クラス一同が何をするのかと見守っていた。
「ゆ、ゆえゆえ?」
「こ、こら、ゆえ! 危ないでしょ、さっさと降りなさい!」
のどかとハルナが心配そうな声を上げた。
それに対し、夕映は少し嬉しそうな表情をする。
「私は大丈夫デスよ。真名さん、援護をお願いできますか」
見れば、真名はどこからか持ち出したのか、ライフル銃を握っていた。
「心得た」
どうやら魔眼を持つ真名にも見えている様だった。
夕映は背後をもう見る事無く、正面――窓の外を見つめる。
この教室へと向かってくるアンドロイドの一体を視界に納めた。
その瞬間、夕映は飛んだ。
窓枠が人工筋肉の膂力に負け、グシャグシャにひしゃげる。メイド服を翻しながら、夕映はまさに弾丸となって空を翔る。
「あちゃくら!」
「はいですぅ!」
夕映の呼びかけにアサクラは即座に反応する。アサクラの体が光を帯びると、ナイフへと姿を変えた。実体化モジュールの応用。強度こそ高くは無いが、すぐさま使える利点があった。
夕映はナイフを持ち、空中でのアンドロイドとの交差に身を備える。
その時、銃声と共にアンドロイドの顔が陥没する。真名の援護射撃だ。
アンドロイドは不意の狙撃に、一瞬体を硬直させる。
「貰ったデス!」
夕映はその隙を見逃さない。
アンドロイドの繰り出した拳をすり抜けながら、後頭部から伸びる二本のパイプをナイフで切断した。
吹き出る魔力。魔力を見る人工眼球を持つ夕映には、視界が魔力色に染まった。それでも、アサクラの援護で相手の場所くらいは分かる。
「落ちろぉぉぉ!」
とどめとばかりに、アンドロイドの背中に体重を乗せた踵落としを食らわす。
アンドロイドはまっ逆さまに地面へ向けて落ち、学園の塀にぶつかって落ちた。
幸い人のいない所だった。アンドロイドはその自重もあり、塀を粉々に破壊し、地面に大穴を開けていた。
それを横目で確認しつつ、夕映は蹴った反動を使い、近くの建物の屋根へと着地する。
夕映は本当だったら千雨から連絡が来た後、教室を飛び出したかった。だが、アサクラメモリーにより、このアンドロイドが来ることを知っていた。
そのため、夕映は待っていたのだ。このアンドロイドが来るまで。
かつてはかなりの苦戦をしたものの、今の夕映はアンドロイドの弱点を知っていた。
そして、体にはかつてない程の闘志が満ちていた。憎たらしげなアサクラが根性を見せたのに、マスターである自分が負けるわけにはいかない。小さな競争心が夕映を強くしていた。
ともあれ、これで2-Aの皆の安全はより高まったはずだ。
夕映は決意を改めて走り出した。
向かうは図書館島。アキラと合流し、ウフコックを千雨にまで届けなくてはならない。
そして、教室にいた2-Aの面々は、夕映の行動に驚きを隠せなかった。
「うっそ~……」
「ちょ、ちょっとゆえっちってあんな凄かったっけ」
佐々木まき絵と朝倉和美が、呆然としていた。
のどかとハルナも驚きはしつつも、どこか夕映の行動に納得していた。
「あー、なんか最近隠してるとは思ってたけど、あそこまでとはねぇ~。でも、ま、行っちゃったか。千雨ちゃん大好きっ子だもんね、夕映は」
「……うん」
ハルナは呆気らかんと、のどかはどこか寂しそうに、夕映の後ろ姿を見送った。
◆
世界樹広場。その中央の世界樹の幹に背中を預けながら、吉良吉影は麻帆良の街並みを見ていた。
顔には思案が見れる。眉を潜め、現状の推移に驚きを持っていた。
超鈴音の登場。それに次いで展開された、麻帆良全体の情報ネットワーク。
「何が起きている……」
少なくとも、吉良の記憶にはこれらの様なケースは無かった。
もちろん、今回の時系列は、様々な因子が盛り込まれている。それでも、この様な事態は初めてだった。
「超鈴音。思えば彼女が今まで事態に参加しなかった事の方がおかしいか」
名前は知っていた。麻帆良の地下で様々な暗躍を重ねる、麻帆良に置いて『天才』と呼ばれる少女。
吉良の計画とて、超の何かしらの計画があったからこそ、それに便乗する形で早める事が出来たのだ。
彼女の作った鬼神兵やらアンドロイドが無ければ、おそらく今年の決起は頓挫していただろう。
それを考えれば、彼女が自分に対し、何かしらのアクションが無かったほうが不自然。吉良は得心する。
「まぁ、いい。これもまた新たなケースだ。見届けよう」
吉良にとって全ては盤上の出来事。ルールは手中にあり、例え不足の事態が起ころうと、再起は容易に敵うのだ。
今までの戦いの記憶が、彼を後押ししている。
世界樹に小さな紫電が走り、電子精霊の情報を吉良に見せた。
北からは国際警察機構が、東からは範馬勇次郎という男が、西からは自分と同じ《矢》を持つスタンド使いが向かってきている。
そろそろ《学園都市》にも動きがあるだろう。
これらの要素が一つ二つ重なる事は、吉良の記憶にもあったが、これほど重なったケースは初めてだった。
だが、吉良は知っている。これこそが『ビューティフル・ドリーマー』の真骨頂。
停滞していた時系列を吹き飛ばす、因果の爆弾である。
「これからが見物だな」
麻帆良に向かってきた多くの勢力が敵対をしている。積極的な敵対はせずとも、そこに協調性などはないだろう。麻帆良も然りだ。必然、これらは潰しあい、擦りへし合う。
多くの戦力が潰れてくれれば、それだけ吉良の望む形になった。
吉良にとって、これらは作業なのだ。早く終わるに限る。
終わりの兆しが見えた途端、吉良の口に愉悦の笑みが浮かんだ。
視線の先には、悲鳴と怒号が乱れる街並み。
麻帆良結界の出力が低下したお陰で、上空には何やら飛行機の様なものも見える。
「さて、どうなる事やら」
呟きは誰に聞こえる事もなく消える。その言葉の端には、確かな余裕があった。
つづく。