――Return to the 《turning-point》for chapter 42.
◆
「ん、あっ……」
千雨は目元をぐしぐしと拭った。いつの間にか寝入ってしまったらしい。
ぼーっとする頭で、なんで寝てたのかを思い出す。確か銃を取りに寮に――。
「――って、時間」
ぱっと周囲を見れば、壁時計は三時少し前を指している。
「三時。あれ、わたしは三時頃に寮の部屋に行って、それで」
違和感。そして周囲をしっかり見れば、それは確信に至る。
「ここって、教室」
千雨がいたのは、2-Aの教室だった。整然と並ぶ学習机の列。少し汚れた黒板。そこは紛れも無く見慣れた教室の風景だった。千雨の服装は記憶通りの制服。ブレザーにチェック柄のスカート、ここに二ヶ月で慣れた装いだった。
だが、何かがおかしい。千雨の記憶が確かならば、現在は麻帆良祭の初日。教室は一週間掛かりで、喫茶店へと改装したはずだ。
それにあれ程の喧騒は一転静寂に変わっている。
一瞬、自分が寝すぎたのかとも思ったが、それにしては不可解な点が多すぎる。先程まで千雨は自室にいた、それが何故教室にいるのか。仮に寝すぎたとしても、周囲は夜とは思えない明るさだ。必然、多少の喧騒はあるはずだった。
そこから導き出される答えを、千雨はここ数ヶ月で培っている。
「またオカルトか……」
不可解な状況は、その言葉に押し付けるに限る。千雨の経験則でもあった。
教室内を観察しながら、窓から外を眺めた。
麻帆良の街並みが遠くまで見える。もちろん麻帆良の象徴たる世界樹も、視界の中央にそびえ立っていた。
その風景を見ながらも、やはり違和感がある。どうにもハリボテ臭いのだ。街に人影は存在しなく、空は雲が動いてるものの、チープなゲーム画面を見ている印象がある。
全てが作り物の様に感じられた。
ジオラマの街に、一人だけ放り出されたようだ。
「漫画や小説だと『これがわたしの心象風景だ』とか『あなたの夢の世界だ』とか言うんだろうな」
千雨は窓ガラスに手を当てながら、自嘲気味に呟く。不思議と落ち着いていた。
教室の壁時計は三時少し前を指したまま、秒針は動いてない。携帯電話の時計表示も二時五十八分を指したまま固まっていた。ボタンを押しても反応が無い。
「さて、と。どうしたもんやら」
千雨はスタンド・ウィルスを通じてアキラに話しかけるも、やっぱり無反応。夕映への通信も無駄の様だ。
知覚領域を広げてみても、周囲に人の存在は確認できなかった。
しかし。
「こいつは――、なるほど。なんとなくわかったぞ」
この街、いや空間には千雨なりに感じる歪さがあった。そのシステム、カラクリの作り方は、妙に誰かのものに似ている。
「おい、そろそろ出てきたらどうだ」
千雨は虚空に呼びかける。そんな千雨の声を待っていたかの様に、人影が目の前に突然現れた。
「なははは、さすがに千雨サンにはバレバレネ」
「御託はいいから、さっさと要件言ってくれよ、未来人」
千雨の目の前には、この一日行方知れずだった超鈴音が立っていた。
◆
千雨と超は教室の学習机を挟んで座っていた。目の前にはなぜか紅茶が入ったティーカップが二つ。超が指を弾いた途端に、いきなり現れた代物だ。
「――って事は、ここはリアルなヴァーチャル空間みたいなもんなのか」
「まぁ、要約すればそういう事になるネ。でも別に完全な仮想空間ってわけでもないヨ、千雨さんは肉体ごとココに転移させてもらったネ」
話を聞く限り、ここは超の作り出した仮想空間らしい。全てが出来の良い模造品で囲まれた場所に、千雨は招待された様だ。
千雨は喉を潤すために、目の前の紅茶を一口飲んだ。しっかりと紅茶の香りが口いっぱいに広がる。
「で、一体なんでわたしをこんな場所に呼んだんだ。普通に電話じゃ話せないってか?」
「――と言うよりも、これしか方法が無かったヨ」
「方法?」
超は指を弾いて、空中にモニター画面らしきものを浮かばせた。
「今、この空間は時間の流れがゆっくりになっているネ。私の航時機《カシオペア》を最大限に使い、時間の流れを歪めた小さな空間をどうにか作ったよ」
「時間の流れを遅くしている?」
その言葉に千雨はハッとする。手の中の携帯は無反応だが、液晶ディスプレイに時計の時刻は表示されていた。
「んじゃあ、この携帯が無反応なのも」
「無反応っていうより、レスポンスが遅れてるだけネ。実際はちゃんと反応してるだけヨ。もっとも《カシオペア》で調整すれば通常通りに動かせない事は無いが、外部の時間の流れを考えれば携帯電話なんて無意味ネ」
そう言いながら、超は千雨の携帯をヒョイと取った。
「ちょっと拝借ネ」
「お、おい何だよ」
千雨の携帯に何かをしている。
「まぁまぁ、ちょっとしたおまじないヨ。ほい、お返しするネ」
今度は軽く携帯を投げられ、千雨は慌ててキャッチする。
ブーブー文句を言う千雨を流しつつ、超はモニターに何かを表示させた。
「千雨サン、よく聞いて欲しいネ。これから通常時間の二分後、麻帆良では大規模な事象が発生するネ」
「事象?」
「そう! 麻帆良そのものを覆う大規模な結界、いや時空間の閉鎖とも言うべき現象ヨ」
超が話す言葉をどうにか受け止めようとするものの、単語そのものが理解できなかった。
「あー、よくわからんが、麻帆良が壁がなんかで隔離されるって事か」
超は少し嬉しそうに頷く。
「端的に行ってしまえばそうネ。ただ、物理的な閉鎖では無いヨ。麻帆良を出るも入るも自由。もっとも、麻帆良には魔力持ちや魔物を排除する大結界があるがネ。問題は時系列の閉鎖ヨ。本来あるはずの連続した時系列が失われ、現在より通常時間の二分後を持ってして、この麻帆良を中心とした時空は――」
「タイム! タイムだ! わたしにそういう難しい説明するな。するんだったら葉加瀬とでもしてろ。もっとわかりやすくたのむ」
「むぅ、せっかく良いところだったネ」
超はしぶしぶといった感じで、事象の説明を判りやすい言葉を選んで説明していった。
麻帆良は通常時間の三時を持ってして、それからの一時間程をひたすら繰り返しているのだそうだ。
何度も何度も、麻帆良ではその一時間が繰り返され、いつ終わるともわからない鬼ごっこを行なっているらしい。
「あれか、『時をかける少女』とかそういうヤツか」
「タイムパラドックスという点では正解ネ。しかしこの時間のループ現象は最高にタチが悪いヨ」
超はモニター画面に図を表示させる。
「これが一時間だけの繰り返しだったら、毎回ほとんど同じ事が起こっておしまいネ。だけど今回のは違う。これは麻帆良という舞台を使って、平行世界で起こりうる事象を際限なく再生させているのヨ」
モニターには幾つかの横線が表示される。そのどれもが一つの他の平行世界の時間軸を模しているらしい。そしてそれらの平行世界の三時からの一時間だけを切り取り、現在の時間軸に重ねていく。
「もっと簡単に言ってしまえば、麻帆良という舞台を使って、物語の『イフストーリー』をひたすら演じさせてるネ」
千雨は頭を捻りながら言葉を発した。未だに信じられない、半信半疑といった感じだ。
「つまり、よく漫画とかである『もし○○が死ななかったら~』とかいうヤツか」
「そうネ。沢山の因果律をこの麻帆良に集中させながら、ある人間だけがその世界を移動し続けているヨ」
「――ある、人間?」
「千雨サンもよく知っているはずネ。《矢》により起こった、一連の事件。その引き金を引いた人間を――」
その言葉に反応し、千雨は椅子を倒しながら立ち上がった。
「そ、そいつって!」
「吉良吉影。それがこの事件の犯人の名前ネ」
「きら、よしかげ」
その名前を千雨は反すうする。そしてしっかりと心に刻み込んだ。
「表面化したのは春先の『スタンド・ウィルス事件』だったカ。だけど、実際はもっと根が深いみたいネ」
超はモニターに幾つかの情報を表示させた。
「私はこの空間に留まり、《カシオペア》を使い、ほんの少し未来の時間軸を観測し続けてるネ。おかげで従来のデータベースになかなかアクセスできないせいか、この情報は不完全ヨ」
超が表示させたデータは、吉良吉影の一般的なパーソナルデータだ。学歴や職歴。更には部活動に在籍した時の経歴、成績表もあった。
「可も無く不可も無く。そんな人間としての履歴ネ。余りにも長所が少なく、余りにも短所が少ない。こういう傾向にある人間は得てして、何かを隠しているものヨ」
モニターには今度は地図が表示された。麻帆良と近隣の市などが表示されている。
幾つかの矢印が地図の部分部分を示していく。更には何かの数字も表示された。
「これは麻帆良とその隣接する市町村の失踪者や行方不明者のデータネ。ここ十年での失踪者の増加傾向は、麻帆良近辺だけを見ると明らかに近似値を越えているヨ」
「――何が言いたい?」
おとなしく聞いていた千雨だったが、その超の言葉に嫌な確信を持つ。
「吉良吉影は『スタンド・ウィルス事件』のはるか昔から、この地を中心にして〝なにかしら〟の事件に関与していた事が高いって事ネ」
「いやいや、だってここは魔法使いの住処の麻帆良だぜ。その吉良ってやつの可能性とは限らないじゃねーか」
千雨も吉良に対して思うところはあるものの、超の言葉を鵜呑みには出来ない。
「それはそうヨ。それに私自身も穿った見方をしてるのは承知ネ。それでも――」
今度は棒グラフが表示された。それは失踪者の推移を時系列順に並べたものらしい。
「吉良吉影は今勤めている会社で、二度ほど長期の出張をしているみたいネ。〝彼が麻帆良にいない期間の失踪者数は明らかに減っている〟。これは確実なデータヨ」
千雨はじっとデータを見つめ、息を吐いた。
「あぁ、わかった降参だ。こいつは間違いない。さすがに関連性を否定できないわ。んで、今回もこいつが何かをやってるってのか」
「そう。この男は麻帆良という魔法使いの極東本部という場所を根城にしながら、多くの人に気付かれずひっそりと、淡々と事件を起こしてきたネ。そして吉良は麻帆良そのものに牙を剥いたヨ」
そう言いながらも、千雨は未だに実感がわかない。
「いやさ、超の言いたいことはなんとなく分かった。けれどもお前って未来人なんだろ。なのになんでこんなに後手後手に回ってるんだ?」
「ふふふ、痛い所を突かれたネ」
疲れた顔を見せながら、超は背もたれに体を預けた。
「はっきり言って予想外としか言い様が無いネ。本来私の知っている時間軸と形が変わってしまってるヨ。あるべき形が大きく崩れてしまってるネ。私の知る歴史では、この麻帆良祭は何事も無く終わるはずだった。しかし、現実にはこれ程大きく変わってしまっているヨ」
「でも、タイムマシンあれば過去へ飛んで、吉良とかいう奴も止められるだろ」
「それも考えたが難しいネ。《カシオペア》の時間跳躍には大量の魔力が必要ヨ。現在の魔力じゃ、こうやって時間の流れを遅くしたり、少し先の未来を観測するのが関の山ネ。それに、おそらく過去へ飛んでも無意味ヨ。時系列の閉鎖が起きている今、あの時間帯だけは何処へ行こうと逃げられない。例え過去へ飛び吉良を殺そうと、矛盾をはらんだまま取り込まれるのがオチネ」
超の言葉に、不思議な感覚を覚える。何故超はここまで事象を掴んでいるのか、その違和感。
千雨の表情から何かを察したのか、超は言葉を続けた。
「――それもこれも、知る事が出来たのはこいつのおかげネ」
超はそう言いながら、フラッシュメモリーを千雨に投げた。
「おっと、何だよコレ」
「中のデータを見てみると良いネ」
千雨はメモリーを電子干渉(スナーク)してみる。すると――。
「な――ッ」
それは記憶だった。千雨自身の記憶であり、誰かの記憶でもある。吉良と呼ばれる人間の存在。吉良の宣言に始まり、麻帆良が戦場に変わり、そして多くの人が死んでいく。吉良の心を抉る言葉、苦痛。千雨自身の死もあった。断片的な映像や音声となって、千雨の中を駆け巡る。そして千雨達への思い、笑顔。これは一体誰の――。
「あちゃくら、って言ったかネ。あの夕映っちの頭に乗ってたA・I。彼女が送ってくれた情報ヨ」
「あちゃくら、が……」
それはとても奇跡的な事だったらしい。この繰り返される世界の一巡目。まだ時系列の閉鎖そのものが完成していない時に、能力を発動させた世界樹にうまく紛れ込ませ、過去へとデータを飛ばしたらしい。
「――ッ」
データの内容に震えた。恐怖が体に染み込んでくる。超の言った内容、それに伴う実感が初めて千雨の中に生まれる。
「私は所用で世界樹を数日前から観測していたネ。おかげで昨日それに気付けて、ギリギリまで作業をしていたヨ。データの破損が酷くて、復元に手間取ったネ」
「だから連絡取れなかったのかよ。つか、世界樹ってどういう事だ」
千雨の言葉に、超は苦々しい笑みを浮かべる。
「本来、時系列を閉鎖させる、なんて事を容易く出来るはずないネ。そして仮に出来るなら、それは〝人間〟ではありえない」
「世界樹がやってるっつーのか?」
「この事件の根は深いネ。吉良吉影は実行犯だが、共犯がいる。世界樹《蟠桃》、そしてそのスタンドこそがこの麻帆良の閉鎖の原因ヨ。そのデータを復元する際、断片的ながらその名前があったはずネ。『ビューティフル・ドリーマー』と」
手の中にあるメモリーをもう一度精査する。確かに吉良とおぼしき人間が発言していた。
「――『ビューティフル・ドリーマー』」
「おそらくそれがこの状況を作ったスタンドの名前。彼らの目的は正確には分からないが、麻帆良は〝平行世界を移動できる〟吉良吉影と、〝平行世界を作り続ける〟世界樹という二つの存在に弄ばれている。彼らは何かを目的をし、その目的が果たされるまで、この一時間を繰り返し続けている。これが私が調べて分かった事ヨ」
◆
どれぐらいこの空間にいたのだろう。
それを知ろうにも、時計が役立たないのでは意味が無い。
千雨は超の長々とした説明が一区切りした所で、とりあえず紅茶を一口。乾いた喉が潤った。
「――状況は分かった。けどなんでわたしを呼ぶのかが分からねぇ」
「いや、千雨サンだからこそ呼んだヨ。むしろ私はこれくらいしか思いつかないネ」
いつの間にか超の目の前にはチェス盤が置かれていた。目の前の駒を、超は話しながら次々と動かしていく。
その動きを、千雨は数秒程固まったまま見ていた。
「時に千雨サン。千雨サンは麻帆良が好きカ?」
超の言葉に、背中がヒヤリとする。千雨は視線を泳がせながら、小さく呟いた。
「――いや、嫌いだ」
机の下で拳を握った。
「この街の能天気な所が嫌いだ。虫唾が走るような雰囲気に腹が立つ。あからさまな悪意だったらいい。けど善意を押し付けられて傷つけられる事ほど、惨めな事は無い」
ぽつりぽつりと千雨は語った。アサクラが残したメモリーにあった吉良の言葉。『孤独を容認されていた』、そこに麻帆良に対する憎しみもある。
「わたしはこの街を出て行けるときに、少しだけ寂しさや不安があった。だけど、これで解放されるっていう喜びの方が強かった」
千雨は顔を上げて、どこか遠くを見つめた。
「麻帆良の外は和やかだった。悪意が悪意としてあり、善意が善意としてある。ぼやけてた視界が一気にクリアになった気分だ。でもさ、でも――」
目を瞑り、息を強く吸う。
「わたしのお父さんとお母さんを殺したのは、明確な悪意だ。麻帆良には無い強い悪意。わたしが麻帆良を出るのを止めてれば、とも何度か思った」
千雨の独白を聞きながらも、超はチェスの駒を動かす手を止めない。やがて盤上の駒は少なくなっていった。
「それに後から知ったけど、訳有りの夕映と夕映のじいさんを守ってたのも、結果的には麻帆良だったみたいだな。それにアキラの事だってある。わたしさ、二ヶ月前にここに来るのすげー嫌だった。さっさと仕事済ましてドクターの所に戻るつもりだった。けどさ、けど、この二ヶ月、クラスメイトはひっきり無しに引っ張りまくるしさ、わたしに出し物の手伝いさせるし。ウザイってーの」
そう言いながらも、千雨の口角は少し上がっている。
「わたしは麻帆良が嫌いだ。それでも、ほんの少し、ほんの少しだけ好きになれたかもしれない。いや、なってるんだと思う」
千雨は超の顔を真っ直ぐに見て言った。
「――ククク。そこまで正直に言ってくれるとは思わなかったネ」
「なっ!」
超の反応に、千雨の顔が紅潮する。
「て、テメェ――」
「だったら私も話さないとフェアじゃないネ」
超はチェスの盤上から、一つ駒をはじき出し、それを手に取った。超の手の中にある駒は、まるで盤上を見下ろしている様だ。
「私はこの駒と一緒ネ。盤上を外から見守る傍観者。本来私の目的はこの一年後の歴史の改変にあるネ。でもこの《カシオペア》の力の関係もあって、こんなにも長くここへ滞在してしまった」
超は自嘲気味に笑う。
「失敗だったヨ。外から見守ってたら冷徹になれたネ。でも、私はこの場所が気に入ってしまったネ。あの馬鹿馬鹿しい日々も、慌しい喧騒も。本当は、今動くのは時期じゃないヨ。それでも、私はこの麻帆良で出会った人達を気に入っているネ」
超の顔に陰りが出た。
「それにあちゃくらサンの記憶を見たネ。あそこに映った巨大な鬼神、アンドロイド。あれらは私達が来年の計画のために試作したものヨ。まさか制御を完全に奪われるとは思わなかったネ」
「げッ、あれお前が作ったのかよ。最悪じゃねぇか」
「ご尤もネ。けど、本来は魔力不足で非殺傷の兵器になるはずだったヨ。それをあれ程の兵器に変えるなんて、どれほど魔力をそそいだのやら……」
手に持っていた駒をコツンと盤に戻した。
「これは私の贖罪でもあるネ。だから、一人の麻帆良の人間として戦うヨ。そして、この事態を解決するのに千雨サンが必要だとも思ったネ」
「私が?」
千雨は訝しそうに、目を細めた。
「あぁ、そうネ。千雨サンとウフコック氏に――」
「そ、そうだ! 超に話したい事があったんだ」
千雨は話の腰を折りながらも、超にウフコックの事について話した。ウフコックの体に異常が起こっている事を、懇切丁寧に説明する。腰を折られた超も、千雨の剣幕に真摯に聞く事にした。
「――ふむ。問題は肉体の成長の限界の無い事と、肉体そのものの歪みカ。でもおそらくその欠点は意図的に残されたものだと思うヨ。不老不死、それは永遠に生きられるのでは無く、〝生に終わりが無い〟。きっと《楽園》の開発者もそれを見越して、ウフコック氏に終着点を作ったんじゃないカ?」
「うぐっ。だ、だとしてもわたしは先生にまだ死んで欲しくないんだ! どうにかならないか!」
千雨は苦々しい顔で懇願する。
「無理では無い、と思うヨ。要は歪みを取り除き、生物としての限界を設定するって事ネ。この《カシオペア》を使えば、不可能じゃないヨ。肉体を若返らせ、相応の遺伝子治療を施す。おそらくウフコック氏ならば、遺伝子治療をしやすい様に施されてるんじゃないかネ」
「ほ、本当か!」
「――ただし、失うものはきっと多いネ。若返らせるというのは、人格や肉体も含めての事。今のウフコック氏とは完全に別の物になってしまう。果たしてそれがウフコック氏の望むものなのか――」
そう言われると、千雨も言葉を詰まらせた。そしてその行動は、奇しくも吉良の行動と同じであった。
「しかし、ウフコック氏の体調が悪いとは、それは盲点だったヨ。私が見つけた突破口こそ、千雨サンとウフコック氏だったね」
千雨はキョトンとした。
「わたしと、先生?」
「そうヨ」
超は手元のチェスを再びいじり始める。次々と黒の駒が無くなり、やがて黒のキングは白の駒に囲まれる事となる。
「チェックメイト。おそらくこれがこの〝ゲーム〟の終着点ヨ。キングに逃げ場は無い。完全な詰みネ。けれど――」
いつの間にか隣に新しいチェス盤がもう一つ現れた。黒のキングは、隣の盤へと飛んで逃げる。
「おい、反則じゃねーか」
「そう反則。これが吉良吉影の力ヨ。都合が悪くなると逃げる。自分が気に入らなければもう一度やり直す。空間に穴を開け、自由自在に世界を渡り歩く。ルールがルールとして成り立ってないゲーム。だからこそ千雨サンとウフコック氏ネ」
そこには黒のキングが消えたチェス盤が一枚残された。
「これもまた最悪の形ネ。吉良が消えた世界は、死んだ者、無くなった物をそのままにして、構成されなおし、上書きされるみたいヨ。《カシオペア》を通して見れた断片的な情報だから確定ではないがネ。無くした積み木をそのままに、残った積み木だけで積みなおした歪なモノが出来上がるはずヨ。吉良に蹂躙され、吐き出された世界。吉良は都合よくリセットボタンを押し続けられるヨ。故に――」
黒のキングのてっ辺を指で押した。
「『吉良を殺してはいけない』。いや、殺した時点で相手の思う壺ネ。吉良はおそらく自分の死をゲームの終着点とする――だが、殺した時点で世界はうやむやになり破綻するヨ。そのくせ、他の盤上にある吉良が動き出す。また幾つもの平行世界を食いつぶし、自分の何かしらの願望が満たされるまで動き回る」
超は残された盤上を見た。
「残された世界は、ある意味幸せな世界かもしれないネ。吉良を、この事件の核心を誰も知らずに、安寧のままに過ごす世界。……でも、そこに本当に安寧があるのかも分からない事を除けば。世界樹により何を塗りつぶされるのかも分からないという、恐ろしい結果があるネ。だからこそ『吉良を殺してはいけない』。これが私の出した結論ヨ」
「おい、でも殺さないと、アイツのスタンドにわたし達が殺されるんじゃねーか」
「そう、そこが問題ネ。この災厄は吉良という存在の歪なルールの上に乗っているネ。吉良こそがルールであり、ルールこそが吉良になっているヨ」
超は白のキングを盤の中央に叩きつけた。
「だが、千雨サン達ならばおそらくこのルールすら変えてしまえる。『スタンド・ウィルス事件』、そして学園都市の戦いを見る限り、私は予感してるヨ」
《学園都市》を制圧した千雨、そして〝他次元〟へ肉体を分割しているウフコック。
「――ッ。だけど、わたしは先生を――」
「わかってるネ。でも聞いて欲しいヨ。強制など出来るわけが無い、けれど、この麻帆良は千雨サン達を待っているネ」
「わたし達を待っている?」
千雨はこの都市から一度逃げ出したのだ。それでも、この都市は自分を待ってくれているのだろうか。
それに吉良はかつて、どこかの世界で言ったのだ。
――麻帆良は君を必要としていない。
お前は麻帆良という世界に馴染めない。例え馴染んでいると感じていても、それはまやかしにすぎない。お前は邪魔だ。お前がいるから災厄を起こすのだ。お前が、お前が――。
吉良の残した呪詛が心を過ぎる。
顔をしかめるが、その心にポツリと落ちるモノがあった。
「あぁ、そっか」
たった二ヶ月。目を瞑れば、アキラと過ごした共同生活が思い出された。夕映と遊びに行った事を思い出す。クラスメイトに部活見学をさせられた事もあった。もちろん、目の前の超に頼まれ、屋台でバイトした事も。
ウフコックを助けたい。それは千雨に取って譲れない思いだ。それでも、今――。
「捨てられるわけ、無いか。わたしって奴は欲張りなんだ」
必要としているとか、されていないとかは関係ないのだ。
ただ千雨は、千雨の世界を――。
目の前のチェス盤を見つめた。
「なぁ、超。わたし達なら出来るのか?」
「確証は無い、けれど確信はしてるネ」
「そっか」
スー、と息を吸って、吐いた。
目に意思が宿る。
それは輝き。きらきらと眩しいほどの星々が、千雨の瞳の中で煌めいた。
「超。確か言ったよな、わたし達だったらルールが変えられる、って。だけどルールを変える必要なんざ無い。キングを倒すだけだったら簡単だ。ルールにすら乗らなければいい」
千雨は目の前のチェス盤を掴み、ひっくり返した。ばらばらと宙を舞う駒。その中の一つを千雨は掴み取る。そしてそれをひっくり返った盤へと叩きつけた。
ミシリ、という音と共に駒の先端は割れていた。
「チェックメイト、だろ」
握るは黒のキング。千雨は歯を剥き出しにして笑う。
ルールに乗らない、そんな馬鹿げており、なおかつ単純な答えに、超は呆れと喜びを感じた。
相手はルールは提示しているが、こちらも同じルールに乗らなくてもいい。チェス盤が置いてあるからといって、対面に座る必要など無いのだ。
「クククク……ははははははは。そうね、それだったらたぶん千雨サンの勝ちネ」
底抜けの馬鹿げた答えに超は笑う。それは嘲りでは無い、確信だ。自分には無い考え、それを持つ千雨に、超は希望を垣間見た気がする。
千雨もつられて笑い声を上げた。
二人しか存在しない空間で、ただ笑い声だけが響いていた。
◆
千雨は通常空間に戻った。今は女子寮の自室にいるだろう。
「まだ少し時間はあるネ」
この空間は広いように見せかけているが、実際千雨一人を呼び込むのにも窮屈だったのだ。
これ以上の人間に知らせようとしても難しく、たとえ知らせても意味が無いだろう。
なにせ超が得た情報のほとんどは、通常時間に置いて『ビューティフル・ドリーマー』が発動するほんの数分前に得られたものだからだ。
昨日、超はアサクラの送った断片を解析して、この場所の構築を決意する。その後はこの空間から、《カシオペア》を使って、ほんの少しの未来の情報を観測してきたのだ。
だが、どれだけ時間をかけようと、得られる情報は曖昧だった。
時系列が歪められた『ビューティフル・ドリーマー』の時間軸は、観測する度にその情報を変える。玉虫色に変化している未来。それを最初は理解できなかった。しかし、後に目まぐるしい未来の変化が、様々な平行世界の焼き増しだと気付いた。
見る度に形を変える万華鏡の様だ。不可思議で不安定な未来の中にも、超は一定の法則を見出したのだ。
「おっと、来たネ」
それでも、より近くなればその未来は安定していく。この空間は時間を止めている分けでは無く、ゆっくりとだが確実に時は流れている。
『ビューティフル・ドリーマー』の時間軸に近づく程に、観測は正確になっていく。
超の端末に映るのは、世界樹に制圧された電子精霊から漏れたデータの断片だ。完全な解析は出来ないものの、この中には重要となるキーワードが幾つも見つけられるのを、超はこの場所で知った。
そのデータの断片を見続けていく内に、超の瞳が驚愕に彩られていく。
「な、何なのカ、コイツは――」
モニターに流れる情報の中に、様々な単語を見つける事が出来た。
《国際警察機構の介入が開始される》
《パッショーネ・ファミリー、ジョルノ・ジョバーナの存在を麻帆良内で確認》
《範馬勇次郎が侵入》
《学園都市に動き有り》
それは仮に本当ならば最悪な未来図であった。
国際警察機構の介入も厄介だが、パッショーネ・ファミリーと範馬勇次郎も危険度としては変わりが無かった。
「ジョルノ・ジョバーナ、範馬勇次郎」
超は先日、イタリアでジョルノ・ジョバーナという青年がギャング《パッショーネ・ファミリー》のボスになった事を知っている。彼女の持つ未来のデータの中にも、ジョルノ・ジョバーナの名前は残っていた。曰く『最悪のスタンド使い』として。その詳細は分からないものの、筆舌に尽くしがたい程のものらしい。
超自身との接点は無かろうと思いながらも、警戒していた人物の一人だった。しかもギャングのボスになったという話を聞く限り、もうジョルノがスタンドに覚醒しているのは間違いなさそうだ。
そして範馬勇次郎。
彼の存在も異常であった。人間に生まれながら、人間としての限界を打ち破った存在。その遺伝子は超の時代にも研究対象とされ、強靭な魔力や筋力を持たせる肉体強化の礎になったと言われる、
超の体に施されている魔力を底上げする呪紋回路も、元を辿ればこの研究に行き着くのだ。
人間に生まれながら、その種族そのものの進化を底上げしてしまった異物――怪物だ。
「ハハ……何でこの名前が出てくるネ。偶然、いやそんなはずは無いヨ」
『ビューティフル・ドリーマー』というスタンドが関わっている以上、そんな偶然があるはず無かった。
ならば必然。意図的に作られたと見るべきだ。
「平行世界を作り、やり直しをしているだけじゃないのカ。平行世界からの様々な状況の収集? 違う、可能性を重ね合わせているのカ」
歪さが浮きあがる。平行世界を透明なセロファンに書かれた絵とするならば、そこに重ねられるだけ絵を重ねる。様々な色が混じりながら、歪な輪郭が浮かび上がるだろう。それこそが超の観測した未来だった。
万が一、国際警察機構が介入したかもしれない。万が一、パッショーネ・ファミリーがやって来たかもしれない。万が一、範馬勇次郎が侵入するかもしれない。万が一――。
『万が一』の全てを一にしてしまう。
そうやって並立出来る限りの全ての可能性を、『ビューティフル・ドリーマー』はこの時間軸に放り込んだのだ。
だが、これこそが『ビューティフル・ドリーマー』のスタンド能力の本質だった。
「因果の集束。正直馬鹿げているし、厄介だが一体何が目的なのかネ」
これほどの事態を引き起こせば、吉良の目的は困難になるのでは無いか。
「んん、デメリットに目がいってたガ――」
ハイリスク・ハイリターン。おおよその事象に置いて当てはまる言葉だった。
「潰しあいが目的カ? これほどの災厄を招きながら一体何をするつもりネ」
拳を強く握った。いつの間にか体が汗ばんでいた。
「それでも、やるしかないネ」
超は決意を新たにする。
今、超の持ち駒は少ない。彼女が一年後のために用意したアンドロイド兵や鬼神兵も、いつの間にか電子精霊に制御を奪われていた。電子精霊もその名の通り精霊の一種であり、魔力と強い因果関係を持っている。
世界樹に操られた電子精霊は強固だ。人が操れる魔力よりも、遥かに巨大な魔力を持つ世界樹により動かされているからだ。本来は意思無きエネルギー体のはずが、今は吉良に制御されてるのか、本当に意志があるのか不明だが、世界樹は吉良に加担している。
その事実は、電子精霊の制御の奪回がより困難な事を示していた。
「行なえるだけの対策を考えておくネ」
千雨との約束もある。そして自らの尻拭いもあった。
「このままじゃいられないヨ」
体感時間にして一時間。それが超がこの空間にいられる限界だった。
おそらく『ビューティフル・ドリーマー』の時間軸に突入すれば、超もまた『ビューティフル・ドリーマー』の弄る駒の一つになってしまうだろう。
超はモニターにジョルノや勇次郎の情報を表示させる。ついでに電子精霊の情報の断片から、危険と思われる単語や、目に止まった単語を片っ端から解析していった。
故に、超は見逃してしまった。
絶望の後には希望が残る。彼女は情報の断片に、微かに残っていた希望の単語に目を止める事は無かった。
《佐―――が――しま――》
《殻》は破れ、《雛》に至る。
これは少女が生まれる物語。
第三章 side B 〈ビューティフル・ドリーマー《雛》編〉
第47話「そして彼女は決意する」
つづく。