「――ッ」
腕が浅く切れたが、アキラは小さなうめき声だけで耐えた。
流れる風景の中、必死で自らのスタンド『フォクシー・レディ』にしがみつく。
「フォクシー・レディ!」
尻尾を地面に叩きつけて黒いもやを出すものの、それでアンドロイドを巻けるとは思えない。なんせ相手は機械なのだ、スタンドとは言えウィルスは通じないだろう。
それでも煙幕代わりなればいいと、『スタンド・ウィルス』をばら撒く。
アキラは戦場となった麻帆良市内を駆け抜ける。
駆け抜けながらも、大量のアンドロイドの攻撃にさらされていた。
なぜなら彼らの攻撃定義には『スタンド使い』が登録されており、アキラはその上位にリストアップされている。本人の知らぬ所で、アキラは大きな標的とされていたのだ。
狭い路地から狭い路地へ、更にその路地の壁から壁へと三角飛びをする。スタンドはアキラの意志を受け、必死に逃走を続ける。
アキラの視覚は目まぐるしく変わっていき、体も激しく揺さぶられた。
「うぅ……くっ……」
胃がシェイクされ、吐き気を催すも、どうにかそれを堪える。
建物の屋根に着地すると――。
「ゴォォォォォ!!」
背後五十メートル程から、アンドロイドの叫び声が聞こえた。
口には光が溜まっている。
(――来る!)
その光を、アキラは何度も見ている。
魔力による砲撃だ。
アキラは左右に動きながら、背後の魔力砲に備える。
轟音。砲撃は建物を破壊しながら突き抜けてくる。
「――ンン!!」
背筋を走るのは壮絶な恐怖。アキラは体を硬くするも、スタンドは足を止めなかった。
魔力砲を避けるため、今度は建物から飛び降りた。
すぐ背後を魔力の塊が通過する。背中がチリチリとした。
浮遊感からくる不安を、どうに耐える。
大通りの中央に着地するが、そこも安全とは言えない。
通りは観光客に溢れていた。
銘々が別の方向へ避難しようとしており、それが混乱を助長していた。統率されていない人の群れは、それだけで危険だ。なにせ、人と人がぶつかり合いながらも、止める人がいないのだ。幼子も転ばされ、他の人間に踏まれていた。
アキラはそういう場所に降り立ったのだ。
「うわ! なんだコイツ!」
「ひぃッ!」
空から降ってきたアキラに、周囲の人間が過剰に反応する。
アキラはスタンドに跨っていたものの、スタンドは他者に見ることが出来ない。民衆にすれば、アキラは空中に浮かぶ謎の人間に見える。
「あ、あの私は――」
アキラは必死に弁明しようとするものの、そんな時間は微塵も無かった。
背後に魔力の光。気付いたときには、スタンドが無意識に回避行動を取っていた。
魔力の奔流がアキラが先程までいた場所――民衆のド真ん中に突き刺さる。
「ギャアァァァァァ!」
「いやぁぁぁぁ!」
悲鳴。
「あ……あ……」
アキラは自分のせいで被害にあった人々を見て、茫然自失となった。
「アキラ!」
『フォクシー・レディ』の叱咤が飛ぶ。
「――ッ。うん、ゴメン。行こう、千雨ちゃんが待ってる……」
自らのスタンドに頷きながら、アキラは更に強くしがみ付いた。
背後からはまだアンドロイドが追いかけて来ている。それでも行かねばならない。
しかし、アキラの手はより一層震えていた。
第46話「終幕」
麻帆良の街並みは徐々に崩れていった。
黒煙が上がり、甲高いサイレンの音が悲鳴をかき消す。
多くの人間は混乱し、現状把握に至らなかった。どこへ避難すべきなのか、一体何が起きているのか。
目前に見える巨大な鬼神兵という脅威と、人を脅かす人型の機械の群れから、ただ逃げる事だけを考えた。
鬼神兵の振るう腕が建物を破壊し、アンドロイドの光線が車を炎上させる。
祭りのために立てられた大きな門のモニュメントも、衝撃により倒壊し、観客を押しつぶした。
民衆は当ても無く逃げ惑う。
沈没する船からいち早く逃げ出そうとする様に、弱者を押しのける人の浅ましさがそこにあった。
しかし、カルネアデスの板に罪は無い。あるとしたらそれは――。
◆
「夕映ッ!」
「――お姉ちゃん!」
人波を逆走する夕映を見つけ、トリエラが叫ぶ。
トリエラは夕映の傍まで近寄ると、その小さな体を抱きしめた。
「良かった……本当に、良かった」
「お姉ちゃん」
トリエラの力強い抱擁に、夕映の中の緊張がほぐれていく。その暖かさにほだされ、瞳の端に小さな雫が溜まった。
夕映の髪はボサボサに乱れていた。顔も煤けて酷い有様だ。抱きしめながらも、トリエラは夕映の乱れた髪を手櫛で揃える。
「あぁ、もうこんなに汚れちゃって!」
トリエラは不安を押し殺し、まるで泥遊びをした娘を叱る様な態度を取る。夕映はハンカチで顔を拭われながらも、特に抵抗せずに流されるままにした。
「おチビちゃんも無事で良かったわ」
「はいです、お姉さま!」
トリエラが、夕映の頭に乗るアサクラを撫でる。すると、アサクラはピョコンと嬉しそうに跳ねた。
「夕映、逃げましょう。――って言っても無駄なのよね」
今、二人がいる場所は世界樹広場に近い。ここまで来ている事を考えれば、夕映の意図は明確だ。
「……、駄目なんデス。千雨さん達が、あの場所へ向かってます」
あの場所、そう言いながら夕映は世界樹を見る。
「それに、今やらないと……」
夕映はトリエラの胸を見た。彼女の体内にも薄っすらとスタンドの影があった。分かりきっていた事だが、今はその現実が――辛い。
「私の、私の大事なモノがみんな無くなってしまうデス」
夕映がクシャリと顔を潰した。何も好き好んで戦いたくなど無いのだ。
それでも、夕映は知っているのだ。戦うべき時に戦わねば、容易く大事なモノを失う事を。
トリエラはそんな夕映を見ながら、内心の憤怒を押し殺して笑顔を作る。夕映を悲しませた存在へと、怒りは向かっていた。
「そうか、そうよね……」
夕映の髪を撫でながら、怒りの中に己の悔恨を思い出す。
トリエラの脳裏に過ぎるのは十年前、『社会福祉公社』の壊滅の日。トリエラはヒルシャーの最後すら看取れず、その亡骸に縋ったのだ。
燃え盛る炎の中で、トリエラは全てを失った。
絶望の中、十年経って見つけた希望こそが夕映なのだ。トリエラは夕映を抱きしめ、逃げ出したかった。
しかし、同時に夕映に同じ思いをさせたくないという気持ちもある。
後悔は辛い。トリエラの心に突き刺さった棘も、十年経つが未だに根強い。
(ヒルシャーさん、私は……)
トリエラは夕映を再び抱きしめ、上を向いた。奥歯を噛み締め、盛れそうな何かを垂下する。
「……お、お姉ちゃん?」
「大丈夫。大丈夫よ、夕映。私が連れてってあげる。どこまでも――どこだって」
トリエラは夕映を離すと、拳銃を取り出し、残弾を確認する。右手で拳銃を持ち、左手で夕映の手を握った。
「行くわよ、しっかり付いてきなさい」
「はい!」
トリエラは走り出す。夕映も手を引っ張られたまま、足を速めた。
二人が向かうのは世界樹。視線の先には、未だ混乱が渦巻いていた。
◆
図書館島の奥底も、混乱に満ちていた。
「これは……」
ドクターもモニターに映る光景に衝撃を受けていた。
図書館島から繋がるネットワークのほとんどが断線し、やっと見つけたネットワークの隙間から、外部の映像を盗み取ったのだ。
千雨の携帯へは電話が繋がらず、アキラや夕映も同じ。
ドクターは天井を見上げながら息を吐いた。
「僕は無力だな」
彼の腕力は成人男性の平均より遥かに劣る。ましてやアキラや夕映とは比較にならない。
ドクターも当初は外部に出る事も考えたのだが、自分が出て行っても何の役にも立たないのを自覚している。
この地下室に篭り、何か出来ないかと模索していたのだ。
〈――ドクター、頼みがある〉
スピーカーからウフコックの声が聞こえた。
「ウフコック?」
ドクターは隣室へと急いだ。ドアをスライドさせた先には、散乱した室内が見える。
やはりさっきの地震が尾を引いている様だ。
そんな中、ウフコックが収まってるはずのカプセルが口を開き、体にケーブルを巻きつけたビショビショに濡れたネズミが這っている。かつてとは比べ物も無い程弱々しい足取り。体毛に隠れているため、肉体の衰えは余り見て取れないが、動きを見れば一目瞭然だった。
ウフコックは鼻を引くつかせ、ドクターの方に顔を向けた。ウフコックが体内の亜空間を制御できず、時折視力を失うのは、日々彼の体調管理をしているドクターの知るところだ。
「ドクター、いるのか?」
「あぁ、いるさ。君の前にね。どうしたんだい、バスタブの湯加減でも悪かったのかい。見たまんまの濡れネズミだ。酷いな」
ドクターが軽口を言う。
「酷い浸かり心地だったな。出来れば二度と入りたくないもんだ」
ウフコックの口元が緩んだ。そして――
「ドクター、分かってるのだろう。私が何を君に頼みたいのかを」
ドクターは深い溜息を吐いた。
「分かってる。分かってるさ。僕だって同じ気持ちだ。でも、僕らに何が出来る。君の願いを叶えたくたって、その方法が無い。ましてや君は――」
「どうせ死に体だ。外に放り出すだけでも構わない。頼む」
ドクターは肩をすくませる。そして、おもむろにテーブルの引き出しから拳銃を一丁取り出した。
「豆鉄砲だろうが、無いよりはマシかな」
そう言いつつ、ドクターはウフコックをそっと掴み、自らの白衣の胸ポケットに入れた。
「ドクター……」
「余り期待しないでくれよ。所詮僕だ、十中八九犬死さ。でも、万が一千雨の元に辿り着けたら――そうだな、ヴィンテージワインでも奢ってもらおうか。スンゴイ高いヤツだ」
「あぁ、善処しよう。頼む」
ドクターはそのまま部屋を出た。向かうは地表、世界樹広場。
そして、ドクターとウフコックがこの部屋へ戻ることは二度と無かった。そう、二度と。
◆
千雨はほうほうのていで、世界樹広場へと辿り着いていた。
自らの知覚領域を最大限に使い、あらゆる脅威を回避しつつ、なんとかやって来たのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息は切れている。なのに、いつもよりも冷たい感触が千雨の体を覆っていた。
千雨がここに来るまで、遠くに悲鳴を幾つも聞いた。
おぞましい悪意が、千雨の心を折ろうとしていた。
それでも千雨は向かわねばならなかった。
棒立ちになりそうな足を叱咤し、引きずる様にここまでやって来た。
後は長い階段を上るだけだ。
千雨は階段を上りながら、二ヶ月前の事を思い出していた。
『スタンド・ウィルス』事件。
アキラを救うために、あの時も千雨はこの場所へ向かった。
しかし、あの時とは違う。
麻帆良は今あの時以上の非常事態の渦中にあり、千雨の手の中の水はもう零れようとしていた。
夕映やクラスメイトの様に、背中を後押ししてくれる存在は無い。
千雨は自分自身の義務感だけでやってきたのだ。
そしてなにより――ウフコックがいなかった。
千雨はいつも強敵と向かい合う時、傍らにはウフコックがいてくれた。傍に立ち、時に厳しく、時に優しく諌めてくれる愛しい存在。
でも、ウフコックは今いない。
その現実が、千雨の心を弱くしていた。人はすがるものが無いと、どこに立っているのか分からなくなる。
千雨も、自分自身がまっすぐ立てているか分からなかった。
しかし、事態はその確認の猶予も与えてくれない。
千雨は抱きすくめるように、ウフコック謹製の拳銃を握り締める。ただそれだけが、千雨にとって縋れるものなのだから。
一歩、一歩階段を上がれば、広場の全景が見えてくる。千雨からすれば、己の能力で視認するより早く状況を理解できた。
だから――。
「あ……」
口を開けたまま、肉眼に映る光景に呆けてしまう。
世界樹広場は死に満ちていた。
濃い赤。
死体、骸、肉片、指の断片、黒ずんだ衣服、赤黒い液体、すえた臭い、ハラワタ――。
知覚領域に納まる情報が、これらをフェイクだとは認めない。
千雨の心臓が早鐘を打つ。
広場に足を着けた時、ピチャリと跳ねた。
丁度千雨の足元に血溜まりが出来ていた。
「血……」
靴についた赤黒い液体。
その血溜まりを作っている根源たる存在――肉片を目で追いかけた。
「高畑せ――」
見覚えのある顔の破片が、石畳にあった。
目がギョロリとむき出しになり、生前の面影は無い。
蘇ってきた吐き気を必死に堪える。
その肉片を見ないようにしながら、視線を広場の中央へ向けた。
たくさんの骸の中、唯一一人の男が立っていた。
その男も満身創痍である。
体中に血の染みを作り、左腕は肘から先が無い。傷口からブスブスと煙が上がっている。
辛そうに息を吐きながら、彼は世界樹を背もたれにして、辛うじて立っていた。
「吉良……吉影」
確信が過ぎる。
声しか聞いた事は無い。それでもあの男こそが、吉良吉影だと理解した。
「長谷川千雨……か」
男――吉良は千雨を一瞥して笑みを作った。
千雨は昨日、この男とすれ違った事を覚えていない。いや、思い出せる分けが無かった。
魔法使いの骸の群れに立つ、血みどろの男。それを、昨日すれちがった男と同じだと思える程、千雨の精神は正常では無い。
「な、なんでわたしの名前を知ってる、吉良吉影ェェ!!」
千雨は恐慌を起こしそうになる。
吉良は周囲の骸を「邪魔だ」と言わんばかりに掻き分けながら、千雨へと近づいてくる。
「二ヶ月前から、君には注目していた。あの状況から、まさか全員を救ってしまうとはね、驚いたよ」
吉良に向けて、千雨は拳銃を突きつける。銃口はカタカタと揺れていた。
「あの日から、君の事は調べさせて貰った。あぁ、僕には頼もしい〝友人〟がいるのでね。調べるのに特に苦労も無かったよ」
〝友人〟と言いながら、吉良は世界樹を見上げる。
「実に興味深い。君は僕に似ていた。あぁ、似ていたんだ」
「わたしが、お前に似ている、だと」
吉良が歩くたび、ビチャビチャと黒い雫が跳ねた。吉良の穿くスラックスも、膝下からグッショリと血が染み込んでいた。
「似ているさ。君は僕にソックリだ。この麻帆良という歪な街の中で、君は孤独な日々を過ごしたらしいね」
吉良の言葉に、千雨の灰色だった日々が思い出された。
誰に何を言っても理解されない、同意されない。言葉がナイフの様に、千雨の幼心を抉った。未だに彼らの言動の一つ一つがフラッシュバックされ、千雨の惰弱な心を弄ぶ。
「――認識阻害障害。これは僕と君のプロフィールに記されているモノだ。それが何か知っているかい?」
「は?」
こいつは何を言っているんだ。障害? 障害が何だって。
千雨の心に様々な言葉が過ぎるが、そのどれもが口から出ない。
吉良は歩きつつ、体を傾けている。息も荒い。それでも、口元の笑みは変わらなかった。
「今更説明するでもないが、僕も君と同じ幼少の体験をしているのさ。そしてその原因こそが――」
吉良は残った右手で、真下を示した。
「この麻帆良だ。この麻帆良こそが、僕らの体験の原因。魔法使い共はね、自分達の既得権益のために、ロクでも無い魔法をこの地にかけている。それこそが『認識阻害』、いわばタチの悪い洗脳ともいえる」
千雨はじっと吉良の言葉を聞き続ける。心の底に残ってたわだかまり。薄々は気付いていたのだ。麻帆良に来て、魔法を知り、その存在をより詳しく調べた時に。
自分の幼少期の体験に、麻帆良による意図的な介入があったのでは、と。
だが、それはある程度は納得し、折り合いをつけていた。今更、という気持ちがある。
「そ、それがどうしたって言うんだよ」
「わからないのかい? そして、何故僕らのプロフィールに〝認識阻害障害〟などと書かれていたのかを」
その意味を考え、千雨は目を見開いた。視界が一気に狭まっていく。
「この『認識阻害』のタチの悪い所は、効果が曖昧な所だ。洗脳効果が強すぎれば、その異常さが浮き出し、危険性が露見する。だが、この『認識阻害』はうまく調整してある。おかげでこの『認識阻害』の効果が薄い場合は、周囲の人間関係から孤立する〝程度〟で済む」
「程度……」
「あぁ、そうだ。〝程度〟だ。それがね、この麻帆良側の認識なのだよ。彼らはね『僕らの孤独を知りながら、それを放置していた』。彼らにとっては、僕らの孤独程度は、考慮に値しないモノだったのさ」
フラッシュバックが駆け巡る。
「君と僕は似ている。この麻帆良の土地に見捨てられた、可愛そうな人間なのさ。なのに君は、この麻帆良のために戦う。滑稽だね」
「違う、わたしは――」
「いいや違わないさ。たとえどんな思惑があろうとも、君は結果的に麻帆良を救っている。そしていみじくも僕と対峙している。麻帆良を捨て切れなかった僕と、麻帆良を捨てたはずの君が」
吉良はもう千雨の目の前にまで来ていた。
「僕は、平穏を望む。ただこの世界樹と、麻帆良の街並みがあればいい。魔法使いも、学園都市もいらない。ただ、平穏を作り出すために、僕は行動を起こした」
爆音、悲鳴、サイレン。焼け付く臭い、血、怒号。
意識を少し外に向ければ、日常とはほど遠いモノが溢れていた。
(コイツは、何を言っているんだ)
この状況の何処から『平穏』などというものが生まれるのだ。そんなもの、生まれるはずがないだろう。
なのに、吉良の目は自信に満ち溢れていた。己の片腕を失い、体から決して少なくない量の出血をしている。
(コイツは、『化け物』なんだ)
麻帆良という街の歪さが生み出した化け物。それこそが吉良吉影だと、千雨は思った。
たとえ、これほどの惨事を想像しても、実行など出来るはずがないのだ。
なのにこの男は、それを平然とこなす。スタンド使いであるとか、そういう範疇を越えている。
「長谷川千雨。何故君は麻帆良にいる。麻帆良は君を必要としていない」
吉良がゆっくりと右手を突き出した。
千雨は吉良に照準をつけた銃口が、体の震えからしっかりと固定出来ないでいる。
「必要と、していない?」
「そうだ。君は異物。たとえどれだけ馴染んだように誤魔化そうと、所詮醜い何とかの子だ。己の特異性で浮く。水と油が溶け合わない様に、君はこの麻帆良にとっては異物なんだ」
「ふ、ふざけるなぁ!」
異物、という言葉が、この二ヶ月の生活を否定された様に感じられる。
千雨は怒りのままに引き金を引くが――。
「なッ!」
銃弾は吉良の目の前にある不可視の壁に阻まれた。
弾丸が弾かれたのを、千雨は自らの感覚で知る。
「なんで、なんでお前が――」
「不思議かい? 僕の周りに魔法障壁があるのか」
千雨はエヴァとの戦いで散々苦しめられた魔法障壁を思い出す。
「何、不思議な事じゃない。僕はこの広場にいる限り、〝友人〟の加護を得られるんだ」
吉良は再び世界樹を見上げた。
「僕が何故、麻帆良が君を必要としていない、と言ったか分かるかい。麻帆良は『世界樹』だ。世界樹の存在こそが麻帆良という街を作っている。僕はね、この世界樹と友達になったんだ。君が大河内アキラに救われた様に、僕は世界樹に救われた。ただ、それだけだ」
吉良が発言すると、まるで同意すると言わんばかりに、世界樹が発光し始めた。
「世界樹にとってもね、君は異物なんだ。君は誰にも求められていない。君は邪魔者なんだ。君は――」
「やめろ……やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ!」
ゆっくりと吉良の右手が千雨に向かって伸びてくる。
千雨が再び引き金を引こうとするが、それは吉良の背後から伸びたもう一つの手に防がれた。
「なッ――」
スタンド。
吉良の背後には、左腕を失った人型のスタンドが立っていた。
そのスタンドが、千雨の手から拳銃を奪い取る。
千雨は奪い取られた反動で尻餅をついた。血がパシャリと跳ねる。
「か、返せ! それは、それは先生の!」
千雨のために作られた、真っ白い回転式拳銃。それが吉良の血みどろの手に握られた。
「へぇ、これが拳銃か。なかなか重いね」
吉良は自らの右手と、スタンドの右手を器用に使い、拳銃を色々といじくる。白い本体が、血で徐々に汚れていく。
まるでウフコックが汚されている気がした。
「やめろって言ってるだろぉ!」
パチリと紫電が走る。千雨の電子干渉(スナーク)だ。だが、千雨の本質は電撃による攻撃では無い。その威力たるは微々。皮膚を軽く火傷させる程の威力しか無いが、その電撃も魔法障壁に防がれた。
たとえ電子干渉(スナーク)を全力で使おうと、今の千雨には演算装置が圧倒的に足りない。電子精霊がネットワークを掌握している今、千雨に出来る事は限られていた。
周囲に小さな電撃を放ちつつ、涙目で叫ぶ千雨を見下ろしながら、吉良は愉悦の表情を見せる。
「ふぅん。これは君にとって大事な物らしいね」
弾倉を開け、吉良は銃弾の一つをスタンドに持ち上げさせた。
「キラークイーン」
吉良は自らの能力を呟く。弾丸の一つを爆弾化させたのだ。
「どれ、試し撃ちしてみようか」
その弾丸を装填しなおし、吉良は銃口を骸の山へと向けた。
「何を! 何をするんだ!」
「見てなよ。きっとすごいよ」
乾いた銃声が一つ。そして――。
「ばぁん」
吉良の呟きと共に、銃弾が爆発する。
銃弾が当たった魔法先生の骸の山は、爆炎と共に破裂した。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
世界樹広場に、文字通り血の雨が降った。血肉が空中を舞う。千雨が叫びながらも、びしゃびしゃと鮮血が周囲に降り注ぐ。
「これは便利だね。頂いておこうか」
吉良は残弾を確認しながら、銃を懐へとしまう。
「お前はぁぁぁぁぁぁ!!!!」
千雨は獣の様に這い蹲りながら、吉良へと飛び掛った。紫電を纏った体当たり。それも不可視の壁に当たり、跳ね返される。
倒れそうになる千雨の首元を、吉良のスタンド『Queen』が掴む。千雨は首を絞められたまま宙吊りになった。
「くっ――はッ!」
本能が空気を求めて暴れる。宙吊りになった千雨は、襟元の圧迫をどうにか外そうともがいた。
痛みか苦しさか――それとも悔しさか。涙を流しながらも、千雨は必死に暴れ続ける。
血みどろのローファーの切っ先が、吉良の膝にコツンと当たった。さすがにこの程度の衝撃は、魔法障壁に抑制されないようだ。それは千雨にとっての最初の、そして最後の反撃だった。
「さようなら、長谷川千雨」
カチリ、という音と共に、爆炎が千雨の視界を覆った。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして広場の入り口から悲鳴が上がった。千雨が爆炎に包まれる光景を見た人物、それは――。
◆
「アキラさん!」
「夕映!」
トリエラに先導された夕映は、世界樹広場まであと少しという距離で、アキラと合流を果たした。
だが、アキラの背後からは追いかけてくるアンドロイドの姿が三体ほど見える。
「――ッ。アキラちゃん、伏せて!」
トリエラはアキラの姿を認めると、援護のために拳銃を向けた。
アキラはこちらへ向かい、真っ直ぐに向かってきている。トリエラには見えなかったが、おそらくアキラはスタンドに乗って移動しているのだろう。
「当たれッ!」
連続した銃撃音。それらはアキラに当たる事無く、ことごとくがその後方のアンドロイド達へと命中した。その数発が一体のアンドロイドの首のケーブルに運良く当り、魔力の漏洩を起こし本体ごと爆発させた。
残った二体のアンドロイドは一部欠損しながらも、アキラとの距離を縮めようとする。
「こんのぉ!!」
瞬動。
トリエラは付け焼刃の瞬動を使い、アキラを一気に追い越して、一体のアンドロイドへ肉薄した。
突如現れたトリエラに驚きつつも、アンドロイドは迎撃しようとするが――。
「壊れろ! ポンコツ!」
トリエラの力任せのパンチにより、頭部をひしゃげさせながらアンドロイドは地面へと突き刺さった。
トリエラの大振りを見逃さないわけ無く、残った最後のアンドロイドが魔力砲を放つべく、口に魔力を溜めるが。
「お姉ちゃんに、何するデスかぁ!」
夕映の手から、近くに落ちていた瓦礫の破片が投擲された。義体の人工筋肉をフルに使い射出された瓦礫は時速四百キロにも達する、まさに砲弾といっていい威力だ。
拳大の破片が、アンドイロドの口に命中した。砲口たる口内を破壊されたアンドロイドは、魔力飽和により爆散する。
「夕映……」
「アキラさん、無事で良かったデス」
アキラは夕映に近づき、スタンドから降りた。お互いの安全を確かめる。
そこへトリエラも戻ってくる。
「トリエラさん、ありがとうございました」
「アキラちゃんもどうにか無事ね」
アキラの謝辞を、トリエラはアキラの頭を軽く撫ぜながら答える。身長の高いアキラは頭を撫でられる事が少なく、少し照れた。
「でも、再会を喜んでばかりはいられない様ね」
トリエラがそう言うと、遠くにアンドロイドの姿が幾つか見えた。
「また……。ごめんなさい、なんでか私をずっと追いかけてくるの」
アキラが悔しそうに言う。
トリエラがアキラの背中にポンと手を置く。
「後はお姉さんにまかせておきなさい。夕映、アキラちゃんと一緒に向かうのよ」
その言葉に、夕映は戸惑いを持つ。
「でも……」
「でもも何も無いでしょ。大丈夫よ、私がこの程度でどうにか出来るわけないでしょ。それよりも夕映達が心配だわ。いい、無理だったら逃げなさい。千雨ちゃんも連れて、とにかく遠くへ逃げるのよ。もしかしたら、そうすればこのスタンドの効果範囲から逃げられるかもしれないわ」
トリエラは自分の胸元を指差す。ここへの移動の間に、トリエラは夕映のスタンドについての推論を聞いていた。
「でもお姉ちゃんが」
「大丈夫。私は不死身よ。こんな爆弾くらいで死ぬわけないわ」
夕映の頭部に乗るアサクラに、トリエラは手を伸ばした。
「おチビちゃん、夕映の事をよろしく頼むわね。この子、そそっかしいから、あなたが頼りよ」
「はいですぅ、お姉さま! おまかせください! マスターはこのあちゃくらがしっかりとお守りするですぅ!」
アサクラはトリエラの指にくすぐったそうにしながらも、満面の笑みを浮かべる。
「うっさいデス。調子にるな」
「あう!」
夕映の指が、頭部のアサクラを小突く。
「お姉ちゃん――」
「しっかりしなさい。あなたは〝私達〟の末の妹なんだから、もっと自信を持ちなさい」
「――、はいっ!」
アキラがスタンドに乗り込み、夕映もそれに続く。
「お姉ちゃん、行って来ます!」
「えぇ、行ってらっしゃい」
夕映達はそのまま風の様に、世界樹へと向かった。
トリエラはその姿を見届ける事無く、ただ背中を向けた。
風が吹いた。焦げ臭く、熱気も含んでいる。そして、この体になってから、明確に感じる事が出来る『血』の臭い。
「あぁ、もう本当、嫌になるわ」
麻帆良に来てまだ三週間しか経っていない。
それしか経っていないのに、騒乱はあちらからやってくる。
でも、この三週間は楽しかった。
記憶の奥底で散らばっていた『家族』という言葉の意味を、身を持って思い出す事が出来た。
「姉らしく、してやらないとね」
トリエラの顔が獰猛に歪む。夕映の前では絶対に見せない表情、そこには怒りがあった。
目前に迫った機械仕掛けの大男に向かい、トリエラは駆け出した。
◆
先程までたくさんあった人の姿も声も、混乱の中心ではまばらだった。とっくに多くの人間が避難しきっているのか、もしくは――声すら発せなくなったのか。
アキラ達はさしたる妨害が無く、世界樹広場に向かう。
だが、二人には心配があった。
先程から千雨へ連絡がつかないのだ。
おそらく、今千雨に何かが起きている。その確信は、二人をより焦燥させる。
世界樹広場への階段を『フォクシー・レディ』が跳ねる様に進む。
鼻にツンと突く臭いがあり、アキラは表情を険しくした。無意識に、じんわりと不安が広がる。
「もう、すぐ」
アキラの呟きに、背中に掴まる夕映もコクンと頷いた。
二人が世界樹広場に入った時、見えたのは異常な光景。
「え――」
濃い赤。
広場一面が奇妙な色で溢れていた。
それを一呼吸置いて認識する。これが全て血なのだと。
二人は呆気に取られる時間も無かった。その血の園の中央に、見慣れた人影を見つけた。
一人の男の目の前で、少女が首を掴まれていた。掴んでいるのはおそらくスタンド。
「ち、ちさ――」
それはアキラか、夕映の呟きなのか。判別はつかなかった。
なぜなら――。
爆炎。
千雨の顔が、爆炎に包まれた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
アキラが恐怖に満ちた悲鳴を上げた。
おかげで夕映は冷静でいられた。トリエラの言葉を思い出す。
「アキラさん! 急いで!」
それだけで充分だった。アキラは、千雨の元へとスタンドを走らせる。
男――おそらく吉良吉影が、千雨の首元を離す。
ドサリと地面に倒れ落ちた人影に、もはや力は無い。
ブスブスと燻りながら、顔面からは煙が上がっている。
夕映は冷静さを持ちながらも、体中の細胞が怒り狂うのを感じた。
「き、吉良ァァァァ!」
走るスタンド上から、夕映は飛び出した。
二重に加速された勢いのまま、夕映は吉良へと飛び蹴りをかます。
「ほう、君達は」
ゴォン、という鐘でも鳴らした様な重い音。
夕映の蹴りは、吉良の目の前の空中で止められた。
魔力による壁、夕映の特殊眼球にはその密度の高さが浮き彫りになる。
「魔力障壁!」
「ご名答」
夕映の攻撃は通らない。しかし、逆は通るのだ。
「マスター!」
アサクラの警告。
「Queen」
吉良の呟きと共に、隻腕のスタンドが夕映に殴りかかる。
無防備な体勢の夕映は、その拳を腹に受けてしまった。
「げほッ!」
吹き飛ばされ、地面を転がる。
しかし、夕映は痛みを押し殺し、どうにか立ち上がる。
「ちーちゃぁん!」
その隙を狙い、アキラは倒れていた千雨を拾い上げ、吉良の目の前から離脱していた。
夕映もそちらへと向かう。
夕映は戦闘態勢を取ったまま、背後に千雨とアキラを庇う形で、吉良と対峙する。
「ちーちゃぁぁんん……」
背後からはアキラのすすり泣く声が聞こえる。スタンドから降りたアキラは、自らの膝の上で千雨の体を横たえている。
吉良と対峙しながら、チラリと見ると、そこには見るも無残な千雨の姿があった。
顔の皮が剥げ、肉がむき出しになり、血すら焦げ付いている。
それはほんの一時間前に見た千雨とは程遠い姿だった。
アキラの戦意はもう砕けている。目の前に吉良がいるというのに、千雨の姿を見た途端、泣き縋るばかりだ。
千雨の呼吸は浅い。
口とも鼻とも思えぬ場所から、小刻みな音が聞こえ、指先がピクピクと動くばかり。
「あちゃくら!」
夕映は己のペンダントを外し、千雨の胸元へと投げた。
「は、はいですぅ!」
アサクラもその意味をしっかりと理解していた。ペンダントはアサクラの本体であり、夕映の肉体管理もしている。
簡易的とはいえ、肉体のスキャンを行い診断する事ぐらいなら出来た。
アサクラはすぐさまバイタルチェックを行い、千雨の肉体の状況をチェックしていく。
「だ、ダメですぅ。顔の火傷の深度が深く、ショック症状を起こしてます。心拍も下がってます。早く医療施設へ連れて行かないと、連れて行かないと!」
「――ッ!」
夕映はその状況に歯噛みをする。
「アキラさん! アキラさん、しっかりしてください! このままじゃ千雨さんが死んでしまいます! 早く抱えて逃げてください!」
強く叱咤する。
アキラは「千雨が死ぬ」という言葉に、嗚咽を一瞬止める。今、アキラの膝の上に千雨がいた。見るも無残な姿でいる千雨の命が、零れ落ちようとしている。
アキラは千雨を抱きすくめる。
「私が殿を務めるデス。だから早く、早く千雨さんを。あちゃくら、あなたは千雨さんをしっかりと見てるデス!」
「は、はいぃ」
アサクラはオロオロとしながらも、夕映に返事をする。
その時、千雨の指が少し動いた。
アサクラの本体たるペンダントに、千雨の指がわずかに触れた。
「――え」
流れ込んでくる記憶、意志。アサクラはそれが千雨の最後の言葉だと気付いた。
「ち、千雨さまぁ……」
千雨の意識は僅かにだが戻っていた。だが、喋る事も出来ず、ほのかに残った力で、アサクラに自らの思いを伝えたのだ。
アキラは千雨とアサクラをまとめて抱き上げ、スタンドに乗った。
夕映は相変わらず吉良と対峙したまま、体勢を崩さない。
「おいおい、もう帰るつもりか。残念だな」
吉良は余裕を感じさせる言葉を吐くが、片腕を失って血にまみれる彼も、満身創痍に他ならなかった。
しかし、夕映は無言。この男と話す時間すら惜しいのだ。
アキラはスタンドを走らせ、世界樹広場から飛びだそうとするが――。
「でも、果たして帰れるのかな」
吉良の声。
世界樹広場の外縁部に、小さな白い粉が風に舞っていた。
アキラ達はそれに気付かない。
「――キラークイーン」
アキラ達がスタンドに乗り、広場を飛び出そうとした時。夕映がそれに追いすがろうと走り出した時。
世界樹広場の周囲に爆炎が広がった。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
「――ッッ!!」
それは吉良が爆弾化した小麦粉を風に舞わせたものだった。そのため命中精度は落ち、直撃はしなかった。
それでも、『フォクシー・レディ』は爆風に煽られ、ひっくり返される。アキラも千雨やアサクラを抱えたまま、血みどろの地面に叩きつけられた。
夕映も不意な爆発により防御もままならず、背後に転ばされた。
「残念。出来なかったみたいだね。それに、〝タイム・オーバー〟だ」
――タイム・オーバー。
夕映はハッとする。自分がここに来た理由、それを思い出したのだ。
胸に取り付いたスタンドを見る。
スタンドの刻んでいた時計の様な音は、もう止まっていた。
さぁっ、と背中が冷たくなる。
夕映は自分が冷静である様に思えたが、千雨の姿を見て、やはり動転してたらしいと自覚する。
夕映が顔を上げると、自分を見下ろす吉良の顔があった。彼の背後のスタンドは、何やらスイッチの様な物を手に握っている。
夕映はその時理解した。
だから、せめて、と思う。
首を振れば、アキラが呻きながら必死に千雨を抱きかかえている姿があった。
夕映もそこに手を伸ばし――。
「ザ・ゲーム」
カチリ、と吉良のスタンドがスイッチを押す。
「――ッ!」
それと同時に、夕映の体内で爆発が起こった。
体の内側をミキサーにかけられた様な苦しみ。だが、それも一瞬であった。
意識はあっという間に無くなり、二度と目覚める事の無い骸へと成り果てる。
夕映が意識を失う間際、最後に見たのは血を吐くアキラの姿だった。
(おねえ、ちさ――)
夕映の伸ばした手は地に落ちた。
同時刻、麻帆良内にいた一部の人間達が同時に死亡した。それらの身元に共通する事は少ないが、ただ一つ『ただの一般人では無かった』という事だけが上げられる。
麻帆良の地下にある司令部は血に塗れ、街中にも多くの骸が出来上がった。
「はははははは! すごいぞ! 僕の能力はすごい!」
吉良は笑う。
自らの能力により、麻帆良に巣食う魔法使いは今一網打尽にされた。
それと同時に、体の力が抜ける。彼とて限界であった。
世界樹の幹に背中を預け、ずるずると座り込んだ。
◆
五分ほどだろうか。吉良は晴れ渡る麻帆良の姿を見ていた。
腕の傷口は己のスタンドで焼いたために、とりあえず出血は防いでいる。
「やはり、〝最初〟からは無理か」
疲れを感じさせる溜息。
これだけの殺戮をしておきながら、彼の心に悔恨や罪悪感は無く、あるのは己への労わりだった。
麻帆良の街並みに、ゆっくりとした静寂が戻ってきた。
鬼神兵の動きは鈍くなり、その動きを停止させる。
もくもくと上がる黒煙とサイレンはあるものの、破壊音は消えた。
その時、南の空に異物が見えた。
吉良はそれを見て、舌打ちをする。
「やはり来たか、《学園都市》」
吉良が世界樹に指示を出すと、《学園都市》に関する情報を電子精霊が整理する。
どうやら麻帆良の状況を察し、《学園都市》は麻帆良に制圧部隊を仕向けた様だ。
現状での敗北は必然。
「これが問題だな……」
何かを思案する吉良。
その間にも、遠くを飛ぶ影の姿が大きくなり、それが輸送機だと分かってくる。
《学園都市》からの輸送機は三十機程。それらが隊列を為して麻帆良へ向かってくる。
吉良はそれを認めると、懐から何かを取り出した。
《矢》。古めかしい鏃、この一連の原因ともなった物だ。
吉良は世界樹を見上げ、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「頼んだよ、我が友。さぁ使おう、君の力を、さ」
吉良はサクリ、と《矢》で世界樹の幹を傷つけた。
《矢》には特殊な力があった。
傷つけた生命に対し、スタンド使いになれるかどうかの試練を貸す力。
そしてもう一つ。『スタンド使い』の力を、飛躍的に上げる、暴走にも似た力の爆発を起こさせる力。
今、『スタンド使い』たる世界樹はスタンドを暴走させながら、自らの魔力でそれを制御していた。
麻帆良祭の三日間。この時期だからこそ、世界樹の体内には魔力が溢れかえっていた。その力を、スタンドに注ぎ込む。
世界樹の葉の一つ一つが膨大な光を放ち、巨大な光の柱を形作った。
その光は太陽にも似ていた。
はるか古代の人間が太陽に見た創生の光。
今、それを世界樹が体現しようとしている。
「君の力、『ビューティフル・ドリーマー』だ。そして――」
吉良の手の中に、スイッチが一つ現れた。
「僕の『バイツァ・ダスト』。さぁ、行こうか。長い旅になる」
吉良の第三の能力『バイツァ・ダスト』。
この能力の発動条件はややこしいが、幸い条件は整っていた。
吉良はスイッチを押す。すると彼の姿は空間に出来た穴へと吸い込まれ、この世界から存在を完全に消した。
世界樹の光はより一層強まり、世界を覆おうとしていた。
◆
ノイズが体中を走った。
アサクラは、亡骸となってしまった千雨とアキラの体の間から這い出る。
体にまだ幾ばくか残る機能が、二人の死亡を断定していた。
「千雨さまぁ……アキラさまぁ……」
常時発信され続ける夕映のバイタルサインも消えていた。少し離れた場所に、夕映の遺体もあった。
「マスターぁぁ」
アサクラはポロポロと涙を零す。A・Iであるアサクラにとって、涙は幻に過ぎない。
しかし、アサクラにも悲しみが理解できるのだ。
夕映達に説明されていなかったが、アサクラは夕映の過去を知っていた。
自らの本体たるペンダント、そこに書き綴られた夕映の虫食いの記憶。アサクラはその一部を保有している。
夕映の喜びも、悲しさも、辛さも、怒りも、アサクラはずっと昔から知っていた。
いわばアサクラは、もう一人の夕映だったのだ。
アサクラにとって、この一週間はかげがえのない程素晴らしい日々だった。
短かい日々だったが、それでも己の中にあったゼロたる経験が一になるのは、計り知れない喜びがある。記憶の知識が、経験や思い出に昇華された。
かつて夕映が喜んだ、祖父の暖かい手。
アサクラは姉と慕う存在が自分の頭を撫でる時、その夕映の虫食いの記憶を思い出す。思考ルーチンに走る喜びの信号、これこそが『暖かさ』なのだと確信した。
だからこそ今、アサクラの中で悲しみの信号が止まらない。
設定として作られた感情表現は、歯止めの効かない程の幻の涙を流せ続けた。
決して地面に染みを作ることの無い涙が、アサクラの顔を覆っている。
「ひぐっ、ひぐっ」
そんなアサクラの顔を、ノイズが走る。
千雨の亡骸からポロリと落ちたペンダントには亀裂が走り、アサクラの本体たるストレージ媒体がむき出しになっていた。
アサクラは自らの本体を背負い、歩き始めた。
向かうは世界樹。光を帯びだしたその根元へと、ゆっくりと歩き出す。
諸悪の根源たる吉良は何かを喋っていた。アサクラには理解できないが、出来る限りの情報を記録した。
「お姉さま、すいません。私は、私は、誰もまもgbakまもれha;ませんでした」
ノイズがより一層強くなる。
アサクラは自分より遥かに大きい世界樹の幹に、どうにか辿り着いていた。いつの間にか吉良はいなくなっている。
光が周囲を覆っていた。
「マスter、まda」
光の奔流の中に、膨大な情報の流れを感じた。
アサクラは願うのだ。
夕映が、トリエラが、千雨が、アキラが、皆が笑って暮らせたら、と。
この一週間の間、食卓を皆で囲んだ事を思い出す。アサクラは食べれないが、夕映の味覚を多少拝借する事は出来た。
食事の楽しさが分かったかもしれない。
でも、一人ではダメなのだ。
皆がいてこそ――。
アサクラは光の奔流の中で思いを託す。
自らの思い、千雨から預かった記憶。ノイズ混じりの思考の中で、それらを情報の流れに託した。
それは大洋にボトルレターを投げ込む様なものだ。人に届くかすら分からない。届いたとしても、それは遥かな未来になるかもしれない。
アサクラはコロンと倒れ、仰向けになった。
「あああaaaあああaあああa……」
天に伸びる光。その遥か遠く先の隙間に、アサクラは皆が笑い会う光景を見た。
自らの機能が停止する数秒前、アサクラはその光景を見て安堵し、笑みを浮かべた。
「マste」
実体化モジュールが停止し、アサクラの体が消えた。残ったのはボロボロのペンダント。それもひび割れが進行し、パキリと真っ二つに割れた。
アサクラの思いはキラキラと小さな粒になり、光の奔流に紛れた。そして――。
◆
麻帆良学園女子中等部二学年の主任教師をしている新田は、校舎内を走り回っていた。
一通りの生徒の退避は完了しているものの、まだ校舎内に残っているのかもしれない。
巨人が動きを止めたのをこれ幸いと思い、新田は校舎に再び戻ったのだ。
五十を過ぎた肉体は、すぐに呼吸を乱れさせる。
それは何も年ばかりの話ではないだろう事が、新田の表情の険しさからも読み取れた。
学園祭という事もあり、校内は宴会の後の様に荒れている。ベニヤ板やダンボールで作られた敷居が多く、隠れ場所はたくさんある。
新田は大声を張り上げ、生徒が残っていないかを確認し続けた。
「あとはここか」
新田が最後の確認に向かったのは学園長室だ。
あの巨人が現れて以降、学園長と連絡が取れない。
生徒の避難を優先したために考えが至らなかったが、もしかしたら学園長は怪我でもして学園長室に取り残されてるかもしれない。
そんな懸念があり、新田が学園長室に寄ったのだ。
ドアを開け放つと、倒れた本棚やら、床に散らばった書類やら、荒れ果てた室内が見えた。
これはどこでも同じだ。
あの巨人が現れた時の揺れは、まさに大地震といってよかった。
新田は書類や棚を掻き分けながら、室内に人影を探す。
「学園長! いませんか!」
大きな書斎机の後ろも影も見たが、近右衛門の姿は見えなかった。
(どうやら逃げられたらしいな)
新田はほっと息を吐き、部屋を出ようとする。その時――。
「な、なんだ!」
窓からまばゆい光が降り注いだ。
あまりの眩しさにまともに目も開けれず、腕をかざして隙間から窓の外を見た。
「せ、世界樹!」
世界樹の発光現象は、この麻帆良での有名な謎の風物詩である。
新田も何度も見ている現象だ。しかし、これ程の光量では無かったはずだ。
「一体、何が起きているんだ!」
光は新田の体をすり抜ける。光はあまねく生命を包み込み、その心をも溶かした。
新田の中にあった不快感も無くなり、心地よい原初の香りを嗅ぐ。
室内は光に覆われた。
◆
船を漕いでいた頭が腕に当たり、新田は意識を取り戻した。
「……う、うむ」
目元をぐにぐにと揉む。
どうやらいつの間にかうつらうつらと寝てしまったらしい。
麻帆良学園の学園長たる新田は、自らの書斎机で様々な決済を行なっていた。
疲労がじっとりと体に染みている。
「どうも座りなれないな」
とは言うものの、新田が学園長になって長い。なのに、彼はなぜか自分が座る革張りの椅子に違和感を覚えていた。まるで〝自分の椅子じゃない〟かの様に。
「さすがに、疲労も溜まるか……」
背もたれに上半身を預けながら、新田は窓の外を見た。
そこでは様々な声が上がりながら、復興が徐々に進んでいる。
「もう二ヶ月か」
二ヶ月前、麻帆良は大地震に襲われた。
局所的な直下型地震。
麻帆良は石造りの建物が並ぶ、西洋的な街並みが広がる、これは明治期より作られた伝統的な街並みであり、おおよそ地震には弱い作りである。
しかし、この街並みが麻帆良に作られた要因に『地盤が安定している』という点があった。
地震多発国である日本の中でも、麻帆良の地震の数は極端に少ない。どうやらそれらの事も要因の一つとなり、麻帆良の都市建設は始まったらしい。
その予想は外れる事無く、一世紀に近い長い間、麻帆良にとって地震は無縁の存在だった。
されど、今年の六月には大地震が起こった。まさに青天の霹靂である。
だが、死者や怪我人は少なく、迅速に避難出来た事は幸いだった。
麻帆良はその後、多くの支援を受けて、復興への道を歩んでいた。
壊れた石造りの建物は再建に時間がかかりそうだが、国から文化財として認められ、どうやら支援金も貰えそうなのだ。
新田も麻帆良や学園の再建・復興のために、寝ずに働き続けている。
学園の無事な施設を避難所として開放したり、外部の組織に援助を頼んだりと様々だ。
その中でも特にありがたかったのが《学園都市》だった。
『超能力開発』などという物騒な謳い文句を持つ《学園都市》に、新田は最初余り良い印象を持っていなかった。だが《学園都市》は、震災後なんと三十分で救援に来てくれたのだ。
最新型のパワードスーツとやらを使い、瓦礫を撤去して被災者を数多く救ってくれたのだ。
おかげで死傷者の数はグンと減った。
それに、その後も次々と空輸されてくる物資のおかげで、麻帆良市民は特に飢える事も無く、被災後を過ごせる事となった。
この初動の速さというのも、地震が局所的だったのが良かったらしい。
麻帆良を中心に起こった地震は、ほぼ麻帆良だけに被害を及ぼし、隣接する市などではほとんど被害が無かったとか。せいぜい花瓶が落ちたという程度のもので、家屋の倒壊数はゼロだったらしい。
そのため、被害が無かった《学園都市》は迅速に行動できたのだ。
また、初動が遅い日本政府よりも、独自に自治権を持ち都市国家としての側面が強い《学園都市》の方が早く動けたのも、道理と言えた。
とにもかくにも、新田は様々な助けを貰いつつ、自ら老骨に鞭を打って、復興という一大事業に参加していた。
「しかしなぁ、こんなにもズサンだったとは――」
様々な書類を整理していく中で、問題も多数あった。
その一つが『存在不明』の生徒だ。書類上存在するのに、見た人も聞いた人もいないという奇妙なものだった。
どうにも書類上の不備があったのか、それとも学園のデータベースが改竄されているのか。
学園全体の五パーセントにも及ぶ、この書類のみの生徒の処理に、新田は奔走させられている。
そしてもう一つ、それが麻帆良の中心部に出来た巨大な大穴だった。
麻帆良学園の中心部、本来ならば〝麻帆良〟広場と言われる場所に、突如現れた穴。それはかなりの大きさで、現在《学園都市》側が調査をしてくれている。
どうにも穴の下には建築物の様な痕跡も見えるらしい。それが震災後の地盤沈下などの、被害の原因の一つではないかと言われている。
学園の敷地内とはいえ、新田はたかが学園の責任者に過ぎない。これらの案件では、行政の采配を期待していた。
「まったく、次から次へと」
麻帆良の風景を見ていると、新田は無性に何かが足りない気がした。
一瞬、視界に巨大な樹の姿を幻視する。
「いかん、いかん」
街を覆う巨大な樹、そんなものが存在するはずなど無い。
幼稚な妄想に頭を振り、新田は再び書類とにらめっこを始めた。
麻帆良は徐々に、日常を取り戻し始めていた。
第三章〈フェスタ《殻》編〉 終