「駄目です! 制御が利きません!」
関東魔法協会の地下本部施設の司令部では怒号が飛び交っていた。
本部付けの構成員は、今の状況を打開すべく、様々な試行錯誤をしているが、そのどれもが失敗している。
前方の巨大モニターには、麻帆良を睥睨する映像が映し出されている。
その映像の中で一際目を引くのは巨人だ。機械で構成された、歪な姿。ある程度の魔法使いなら、あれが何を模しているか分かるはずだ。
巨人は、東洋に伝わる幾つかの鬼神を模倣していた。
魔法世界には鬼神兵と呼ばれる兵器もある、恐らくは同じコンセプトで作られているのだろう。
鬼神兵は咆哮を上げながら、周囲の建物を破壊していく。あのままでは観光客に少なくない被害が出るだろう。
「電子精霊の復旧はどうじゃ!」
関東魔法協会の長たる近衛近右衛門が、焦燥を滲ませながら叫ぶ。
彼はスタンド攻撃を受けた直後から、携帯で連絡を密にしつつ、この司令部へ魔法を使って急いだ。
連絡をしながら、司令部内ではおおよそのスタンド攻撃の対象が判明した。
一般人においてスタンド攻撃を受けた人間を、今の所は確認できなかった。しかし、魔法使い――その勢力に所属する人間は現在確認できる限り全員が攻撃を受けていた。
近右衛門は到着した時点で、麻帆良の維持運営を賄っている電子精霊の制御は失われ、結界は不安定な状況になっている。
それだけでは無い。
先程の大きな振動とともに、地下から六体もの巨大な鬼神兵が現れた。更には千体はいるだろう人型のアンドロイド兵器までも各所から飛び出してくる。
電子精霊の制御を奪われたせいで、正確な情報管制が出来ないものの、幾つかの映像を見る限り両方とも敵対行動を取っていた。
おそらくは、これも電子精霊――いや、吉良吉影の仕業なのだろうと思う。
「一体、どうやって電子精霊を!」
歯噛みをする。後手後手に回ってしまう現状に、無意識に手を壁に叩きつけた。
電子精霊は奪われたものの、幾つかのカメラは映像を司令部へと送ってきている。
その内の一つの画面へと、近右衛門の目線が釘付けになった。いや、近右衛門だけでは無い、司令部にいる多くの職員、魔法使い達がそれを見る。
「あやつが、吉良吉影か……」
近右衛門の目が鋭くなった。
世界樹広場の中心に立つ男。ビジネススーツを着ており、普通だったら特に目にも留めない只のサラリーマンの様に思える。
今も、普通に佇む姿に異常が無い。
だが、それこそが異常なのだ。観光客は立て続けに起こる事態に、混乱をして逃げ回っている。阿鼻叫喚の絵図の中、吉良だけが常と変わらず立っていた。
近右衛門は決断する。
現状で人道的手段での解決など望むべくも無い。
吉良吉影の速やかな抹殺、排除こそが必要だった。
「龍宮君と連絡が取れるかの?」
麻帆良内の通信は混乱しているものの、まったく繋がらないわけではない。
オペレーターが龍宮真名の携帯電話へと連絡を入れる。
『学園長、仕事かい?』
真名の声が司令部の中に響いた。オペレーターが電話をスピーカーから流している。
真名の言葉の言外の意味を理解しながら、近右衛門は口を開いた。
「分かっておるじゃろう。この非常時じゃ、君に仕事を頼みたい。お主はどこにおるのかのう?」
『今は2-Aの教室さ』
「そうか。そこから世界樹広場までの狙撃は可能かの?」
『無理ではないよ』
「なら早急に頼む。報酬は言い値で構わぬ、速やかに吉良吉影を排除して欲しい」
『分かった。善処しよう』
真名との電話が切れるやいなや、近右衛門は学園中の魔法使いへ指示を出していく。更には関西呪術協会、オカルトGメンへ救援を頼んだ。もはや確執や沽券などを気にしていられない。この巨大なオカルトテロに対しては、出来る限り被害を抑えるために尽力しなくてはならない。それが長たる自分の役目だと、近右衛門は思っている。
日本政府への連絡。来場客の避難のための自衛隊の要請。事は速さが要求された。
近右衛門が指示を出している間に、未だに映像を取得できるカメラの一つが、女子中等部の屋上にいる真名を捉えた。
彼女はライフル銃を構え、遠く世界樹広場を見つめている。目標までは三キロ近くある。本来なら狙撃など不可能だろう。しかし、魔眼を持つ真名と魔法の存在が不可能を可能に変えた。
真名は屋上の出来るだけ高い場所へと陣取る。世界樹広場自体が周辺より高い位置にあるため、辛うじて射線に入れられたが、狙撃が難事なのは変わらない。
ましてや、今は街には破壊が満ちていた。巨大な鬼神兵や、宙を舞う破片の隙間を通さなければならない。
呼吸を整え、真名が引き金を引く。その瞬間、銃口に魔方陣が浮かび上がり、光の軌跡を残しながら弾丸が飛ぶ。
ほんの一瞬の出来事。
近右衛門を含む数人は、息を呑んで結果を待った。
もう一つのモニターに映っているのは、ターゲットたる吉良吉影だ。
(これは当たる)
凝視する近右衛門に確信が走った。
解像度の低いカメラ映像だが、銃弾が光の軌跡を残しているため、その射線が明確に分かる。
確信は外れず、銃弾は吉良の頭部に吸い込まれ――。
「なッ――!」
吸い込まれず、銃弾は弾かれた。
吉良の前方に、まるで透明な盾でもあるかの様に、弾丸は綺麗に防がれた。
真名が次々に弾丸を撃ち出し、連続して吉良に襲い掛かるも、その全てが弾かれる。
その不可思議な現象を、この司令部に存在する人間達は良く知っていた。
「ま、魔法障壁じゃとッ!」
魔法障壁。
戦いを担う魔法使いにとっては必須の技術であった。
自らの魔力を使い、周囲に透明な壁を作る。それにより、物理的・魔力的な攻撃や衝撃を、緩和・無力化する魔法である。
「龍宮君の狙撃をあれだけ受けて、障壁が一枚も破壊されていない。かなりの強度じゃぞ……」
吉良吉影はスタンド使い。それは間違いなかろうが、まさか魔法使いでもあるのだろうか。
「学園長、吉良吉影に関するデータです」
近右衛門の机の上に、バサリとプリントアウトされた冊子が置かれた。
スタッフに返事する時間が惜しいとばかりに、冊子を捲る。
表紙に添付されている顔写真を見る限り、モニターに映る男性に間違いない。
その中に書かれている事は平凡。
麻帆良に生まれ、麻帆良学園で小中高と進み、やはり学園内の大学へ進学している。
その後は麻帆良市内にある商社へと就職。
どこにでもいそうな経歴であった。
ただあるとしたら備考欄にある、丸の中に『軽』と書かれている記号。
これは世界樹から発せられる『認識阻害』と呼ばれる魔法の影響度である。これが強い場合は丸に『重』と書かれ、弱くも強くも無ければ何も書かれない。
『認識阻害』と呼ばれる魔法は、『魔法は秘匿する』という魔法使いの矜持の維持のためには必要な措置だった。ましてや情報化と呼ばれる近代に置いて、魔法を秘匿するためには、機械ではなく人に対して何らかの予防策を取らねば為らなかった。
ただ、『認識阻害』は人によって個人差がある。
余りにもその魔法の影響を強く受けすぎる場合、通常生活に支障をきたす場合があるのだ。そのため、そういう人間に関しては特別な措置が行なわれ、魔法を使って〝調整〟される。
しかし、軽度の場合は違う。
軽度の場合には、他者との認識の違いが起こるものの、直接的に生活に支障が起こる分けではない。
そのためよほど酷い状況でもない限り、魔法使いは介入しない事になっている。
麻帆良学園に存在する生徒は、一部の魔法先生により、これらのチェックを長い時間を通して行なわれるのだ。
吉良の備考欄にある記号は、『認識阻害』の影響度が軽度であるという事だ。
それ以外に、魔法に関わりのありそうな記述は存在していない。
「ぬぅ……」
糸口は掴めない。それでも今は手をこまねいてる場合では無かった。
それに、事態の中心があの吉良である事は間違いない。
「高畑君に連絡を取ってくれ。厳命じゃ。何を持ってしても、高畑君を世界樹広場へ向かわせるんじゃ」
吉良が魔法使いなのかどうかは判断できない。しかし、おそらくは違うのだろうと近右衛門は思う。
先程の大規模な念話、電子精霊の掌握、魔法障壁。これらから察するに、オカルトに秀でた協力者がいると予想する。
何より、先程の魔力障壁の密度は生半可では無かった。
あの障壁を打ち破れる存在は、麻帆良ではおそらく近右衛門を含めて数人しかいないだろう。
ならば、こちらの最大のカードをぶつける。
高畑の攻撃力は折り紙付きだ。
「鬼神兵-Dに、まずは魔法先生で総攻撃をかけるのじゃ。魔法生徒には避難誘導と、アンドロイド兵の迎撃を!」
鬼神兵にはAからFまでのナンバリングがなされ、モニターに表示されている。
また、鬼神兵と共に出てきた二メートル程の大男が、アンドロイド兵である事が判明していた。
そんな中のの鬼神兵-D、現在『鬼ごっこ』の参加者が集まる広場に現れた鬼神兵には、高畑が対処している。彼を世界樹へ行かせるためには、彼の代わりに鬼神兵と戦う存在が必要だ。
「大変です。結界が、結界の稼働率が急激に落ちています!」
「ぬぅ――」
電子精霊が制御を失った事から、予想していた事態ではあった。
麻帆良を覆う結界が解除される。
それは麻帆良という巨大な霊地が、完全な無防備になるという事だ。
魔法の術式によっては、都市一つに呪いをかける事すら可能だ。その様な攻撃を防ぐためにも、そして麻帆良を通る巨大な霊脈を安定させるためにも、結界は必要不可欠だった。
モニターに表示された麻帆良結界の稼働率が0になり、結界は消えた。今、麻帆良は霊的に裸の状態で、その姿を世界にさらす事になる。
「くっ……いや、しかし、これならばエヴァの封印も!」
結界が解ければ、エヴァンジェリンの封印も解かれる。彼女の参戦を願えば、この状況を覆せるかもしれない。
しかし――。
「いえ、結界は完全には解除されてません! まだ存在しています! 稼働率を0にしただけで、まだ作動しているのです!」
「――ッ」
今結界は完全な解除にはいたらず、維持はしてある。つまり、車で言うならば、エンジンはかけてあるが、アクセルには触れてない状況だ。
つまりはエヴァの封印は解けず、ますます八方塞になっていく。
(明らかに計画されてるのぉ。エヴァに関する情報、こちらに裏切り者でもおるのか? この場合〝協力者〟が問題なのか)
近右衛門の中に様々な疑問がよぎる。
これほどの規模のテロを起こしながら、犯人の意図が読めないのだ。
自らの姿を晒しながら、明確な要求も見せない。思想の発露とも思えぬし、単なる快楽的行動とも思えない。
本来、行動には目的が伴う。その規模が大きければ大きいほど、明確な目的が必要になるはずだ。
一見すれば吉良は狂人の様に思えるが、結界の処理の仕方でその考えは消えた。結界に関しての明確で合理的な行動、これは精緻な計画に則っている。
(しかし、荒い)
結界に関しての行動以外は、このテロは荒かった。
麻帆良を壊滅せんばかりの数々の兵器、これらは確かに問題だ。
だが、司令部でモニタリングできる限り、その行動に統一性がない。
まるで〝行動目的そのものを考えながら動かしている様に〟。
近右衛門は首を振る。今は何より対処だ。
画面に映るのが鬼神ならば、その属性は『魔』。
「皆聞くのじゃ、今から麻帆良結界の内側にもう一枚結界を作る!」
近右衛門は自らの代理となれる後進を育成しなかったのを悔やんでいた。
もし仮にその様な人物がいれば、近右衛門は前線へ飛んでいける。彼自身、前線に何年も立っていないので不安はあるものの、戦力の一端には成れるはずだった。
しかし、この状況において、麻帆良の指揮権を移譲出来る人間はいない。
それならば、この場にいながら出来る最善の事をすべきだった。
「ほい、っと」
右の手の平に息を吹きかける。そうすると手の平に切り傷が生まれ、血が流れた。
ボタボタと流れる血を気にせず、右手を司令部中央の床に付ける。
「やはり――本部の霊脈が荒れておるのぉ」
この霊地は世界樹を中心とした霊脈、地脈で成り立っている。地下のこの本部施設もその影響が大きい。結界もこの施設を基幹にしているぐらいだ。
しかし、この時ばかりはその影響の大きさがありがたかった。
「ぬぅんッ!」
近右衛門の声と共に、血が司令部の床に広がっていく。雫が線を描き始め、複雑な幾何学模様をものの数秒で創り上げた。
血の魔方陣。
司令部の人間は、その卓越した技術の高さに驚愕する。
これは魔法使いとしての極みの一端。『極東一』と言われる近衛近右衛門の真骨頂であった。
「邪を滅し、魔を打ち砕け、我が血はその代償ぞ」
近右衛門の顔に皺が強く刻まれる。ボタボタと流れる脂汗。血からは彼の魔力がコンコンと垂れ流れている。
それでもまだ発動はしない。
近右衛門の行使するべき魔法には、まだそそぐべき魔力が足りないのだ。
「ならばッ!」
左の手の平も歯で掻き切る。そのまま左手も魔方陣に叩きつけた。
血が燐光を帯び、魔法が発動する。
「ぬぅぅぅぅ!!!」
ゴォッ、と不可視の清涼な風が、近右衛門を中心にして広がった。その風は麻帆良に内在していた矮小な魑魅魍魎を消し去り、鬼神兵を弱体化する。
広がった風は、麻帆良結界の存在していた場所の、ほんの少し内側に小さな膜を作る。
麻帆良結界に比べれば脆弱なそれだが、個人で発動した結界としては破格。麻帆良は再び霊的な加護を得た。
モニターでは、鬼神兵の動きが鈍ったらしい報告が上がる。
それに対し、近右衛門はニィッと笑みを作った。
汗と血は流れるまま、顔面を蒼白にした近右衛門は立ち上がり、近くにあった椅子にドカリと座った。
「が、学園長!」
それに気付いた司令部の人間が近寄り、近右衛門の両手を治療しようと、杖を取り出す。
「ふぅ、はぁ……とりあえずこれで幾分か事態を緩和出来たはずじゃ。いいか、出来る限り鬼神兵を足止めし、一般人の被害を防ぐのじゃ」
近右衛門は治療を受けながら指示を出す。
事態は余談を許さなかった。
第44話「人の悪意」
2-Aの教室では本来、ヴァーチャル空間のイベントショーが行なわれるはずだった。
もちろん、現在それは中止されている。
立体投射のライトは継続して稼動し、室内に西部開拓時代を思わせる風景が再現されていたが、教室の窓側の暗幕が開かれ、外からの日差しで立体投射は実際の風景を透過する形で描写されていた。プカプカと空中に浮かぶスクリーンにも思える。
激しい揺れの後、暗幕を開いて外を見た2-Aの生徒は固まった。
校舎内では非常ベルが鳴り響き、悲鳴が絶え間なく聞こえる。
「なんやの、あれ」
夕映の隣で、外を呆けた様に見つめている近衛木乃香が呟く。
クラス内は二つの人間に別れた。混乱してとにかく逃げようとする者と、余りの事態に理解が及ばず呆気にとられる者だ。
木乃香は後者らしい。夕映の背後では、男性客が何かをわめきながら次々と教室外へ出ようとする。あまりの慌てぶりに出入り口に人が挟まり、身動きできない状況だ。
「本当に、何なんでしょうね」
木乃香も返事を期待したわけでは無いだろうが、夕映は一応返事をする。
視線の先には、麻帆良の街並みに突如現れた巨大な人型の物体があった。
物体――機械の様でもあるし、生物の様でもある――は暴れ始め、次々と街並みを壊していっている。
まるで出来の悪い特撮映画だ。
夕映の中にある特殊眼球が、それを凝視する。見えてくるのは異常な魔力の流れ。予想は出来ていたが、どうやらあれは魔法による産物の様だ。
「――鬼神」
木乃香とは反対の隣に立っていた、桜咲刹那が言う。
「知っているのデスか?」
「いえ……ですが、私が知る鬼神にそっくりなのです。私が住んでいた京都でも十数年前に現れた事があるらしく、その時の資料にあった姿に似ています」
鬼神。
そう言われると、どこかしっくりするものがある気がする。
夕映がふと視線を反らすと、刹那の背後で真名が誰かと電話をしていた。
真名は電話を切るやいなや、バックスペースから大きなカバンを取り出す。
「すまないが、仕事が入った」
そう言うやいなや、彼女は窓から外へと飛び出した。
「あー!」
真名の自殺するがの如く行動に、クラスメイトの多くが悲鳴を上げる。
だが、一部の人間は特に驚きも無く見送った。
「――ッ! みなさん、先生がいない今、私(わたくし)が責任を持ってあなた達を守りますわ!」
あやかが教室内に聞こえる様に大声を出す。
「まず速やかに校舎から出ましょう」
あやかは次々と指示を出す。入り口で固まっていた男性客をしっかりと誘導し、クラス全体の避難を整然と行なおうとする。
「お嬢様、こちらへ」
「あぁ、うん。せっちゃん……」
木乃香は刹那に腕を引っ張られ、窓際から離れた。
夕映は二人の胸元を見る。二人ともやはりスタンド攻撃を受けている。
刹那と木乃香が仲が良いとは聞かないが、木乃香を心配する刹那を見る限り、二人には何かしらの関係があるのだろう。
そんな二人を見ていて、夕映はハッとする。
(千雨さん、アキラさん、無事デスか?)
(――ッ、あぁなんとかな。一体何なんだあのデカブツ)
(こっちも無事。でも……)
すぐに千雨とアキラから返事が来た。二人ともやはり困惑している様だ。
(千雨さん、やはり行くんですか?)
(わたしが行ってどうにかなるか分からない。けど行く。行かなくちゃ、そうじゃなきゃ――)
千雨の声は、どこか切羽詰っていた。どうにも感情が整理しきれず、普段とは違う悪い方向へ意識が向いている様だ。
(無謀。それにつきます。けれど、私達だからこそ、やれるのかも知れないデス)
千雨達には『スタンド使い』との交戦経験が何度もある。スタンド使いとは、いわばジョーカーだ。単純な力では超能力に大きく離され、汎用性では魔法に劣る。それでも『スタンド』の存在は危険なのだ。
時には驚天動地の威力を見せる、それこそが『スタンド』。
それに、『スタンド』は『スタンド使い』にしか見えない。この法則が厄介であり、スタンド使いでない人間は、スタンドそのものを観測できずに、相手のルールに乗せられてしまう。
その点、千雨達三人はお互いの力をうまくリンクさせる事により、その欠点を補っている。
かつてあった『スタンド・ウィルス』事件、《学園都市》で遭遇した老化させるスタンド。それらのどれもが強力な力であった。
ならばこそ、自分達が――。
(千雨さ――)
「きゃぁぁぁぁ!」
千雨に何かを伝えようとした瞬間、木乃香の悲鳴が聞こえた。木乃香が窓の外を指差す。
次に聞こえたのは破砕音。
ガラスが割れ、何かが教室に飛び込んでくる。床の一部が破砕された。
「なっ……」
窓を割って入ってきた人影。それは鬼神ほど大きくは無いが、常人よりも遥かにでかい。
二メートルを越える体には、幾つかの機械が装着され、ケーブルまで飛び出している。
アンドロイド。
魔力を用いて稼動するアンドロイド兵の姿があった。
「あ……あぁ……」
アンドロイドの目の前には、固まって逃げ遅れた宮崎のどかがいた。
「本屋!」
「宮崎さん!」
のどかに対して大声で呼びかける声。しかし、恐怖によりガタガタ震えるばかりで、のどかの足は一歩も動かなかった。
アンドロイドはそのままガパリと口を開けると、その中から光が漏れた。
「ま、魔力!」
「マスター、口からですぅ!」
アンドロイドの口に魔力光が集まる。
夕映の特殊眼球と、アサクラのセンサーがいち早く反応した。
窓際に佇むアンドロイドに、のどかに次いで近いのは夕映だ。
義体の力を振り絞り、一気にアンドロイドへ近づく。
「のどかから離れるデスぅぅぅぅ!」
夕映の渾身の拳が、アンドロイドの頬を直撃した。
鉄を鉄で殴った様な金属音。
口から発射される魔力砲は、夕映の拳で射線が反れた。反れた魔力砲は、教室の窓や天井、更には隣のクラスとの壁をも破壊する。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
「腕がぁぁぁ、腕がぁぁぁぁ!」
悲鳴は一層強くなる。魔力砲により開いた壁の大穴からは、隣のクラスでの惨事の一部が聞こえた。
しかし、夕映にはそれを心配している余裕は無い。
「ぐぅぅ!」
今度はアンドロイドの右手が、夕映のを頭部を鷲掴みにする。そのまま夕映を体ごと床へと叩きつけた。
「がぁぁぁぁぁッッッ!」
激痛。
床が割れ、破片が舞う。
叩きつけられる際に両手でガードした事により、ダメージは軽減した。しかし木製の床タイルは砕け、華奢な夕映の体は、ピンボールの様に跳ねた。
再びアンドロイドは夕映を掴み、二度目の攻撃に移ろうと右手を振り上げる。
「ゆえぇぇぇぇぇ!」
固まっていたのどかが、夕映に向けて走り出す。
それを取り押さえたのは長瀬楓だ。
「それ以上はやらせはせんでゴザル!」
楓が四人に増えていた。
分身の術。現代にまで伝えられていた、忍の技術がそこにあった。
四人に増えた楓は、一人がのどかを避難させ、残りの三人で夕映を救おうとアンドロイドへ向かう。
楓は手に持った小刀で斬りかかるが、そのどれもが分厚い装甲に阻まれた。
「ぬぅ、硬い!」
しかし、更に楓の背後から飛び出した影があった。
「まかせろ、楓!」
刹那だ。手に持つ長刀を振りかぶり、夕映を鷲掴みする右腕に狙いを定める。
「斬岩剣!!」
鋭利な一太刀。
光刃が煌めき、アンドロイドの右腕は綺麗に切断された。夕映も解放される。
「ゲホッ! ゲホッ!」
解放された夕映は、地面に蹲る。
「マスター! 後ろ!」
咳き込む夕映に、アサクラの警告が届く。特殊眼球にアサクラが投射した情報が過ぎり、危機を正確に把握した。
「くっ」
歯を食いしばりながら、床を転がった。先程までいた場所には、アンドロイドの左腕が突き刺さっている。
ゴロゴロと地面を転がった後、夕映は起き上がった。楓と刹那が至近距離で攻防を繰り広げているのが見える。
視界の中に、また魔力の流れが目に留まった。
「長瀬さん、桜咲さん、先程のがまた来ます!」
「ぐっ!」
「何だと!」
魔力砲の予兆。夕映の予想は外れず、口が再びガパリと開かれた。
しかし、夕映にはしっかりと魔力の流れが見えた。
「首です! 首の後ろのケーブルを切ってください!」
アンドロイドの首の後ろに、二つのケーブルがあった。
「ほう、これでゴザルか!」
楓の武器では、アンドロイドの装甲を断ち切れない。それでもケーブル程度なら切れた。
分身による一体が背後に回りこみ、ケーブルの一本を切断する。
まるで頚動脈を切られたかの如く、魔力が噴水の様に、首もとのケーブルから飛び散った。 それでも不完全な形で魔力は口に集束していく。
アンドロイドは左腕一本で、刹那と楓の攻防を凌いでいる。
このままでは魔力砲が発射される。時間が無い。
「なら!」
夕映は再び拳を握り締め、楓と刹那に加勢するかの如く走る。
「夕映!」「綾瀬さん!」「夕映っち!」
背後には心配するクラスメイトの声。
それでも夕映は止まらない。
(千雨さんなら……)
夕映の中にある偶像が、自分と重なる。
「ここです!」
再びの拳撃。狙うはアンドロイドの足元、ひび割れた木製のタイル群だ。
先程夕映が叩きつけられ、ボロボロの有様の床。
ゴン! という音と共に、夕映の拳が床を穿つ。アンドロイドの足元が崩れ、小さな穴が出来る。
かなりの自重を持つアンドロイドは、急激な床の形状変化に対応できず、出来た穴に下半身を埋もれさせてしまう。
「貰ったぁぁぁぁ!」
その隙を、刹那は見逃さない。
下半身が埋もれたアンドロイドの肩に足を乗せ、そのまま体を浮かせる。全体重を乗せ、刹那は手に持った刀の切っ先をアンドイドの頭頂部に押し付ける。
金属が引き千切れる音と共に、頭頂部から顎にかけてを刀が貫いた。
砲口を潰された魔力砲は、行き場を失う。激しい火花が散った。
「まずいデス!」
魔力の飽和。
高圧の魔力が、アンドロイドの内部で弾けた。
「きゃあああぁぁぁぁ!」
爆発。再びの悲鳴。
楓の分身が夕映や刹那を抱え、教室の端まで瞬時に運ぶ。爆発の直撃は避けたものの、分身は全て消滅した。楓自身も浅くない怪我を負っている。
「くっ……楓すまん。恩に着る」
「なに、軽いでゴザルよ」
刹那と楓はそんな事を言い合っていた。
見渡せば、窓際は跡形も無く消えていた。教室の床の三分の二が消滅し、天井も破壊されている。かろうじて教室を形作る枠組みだけ残っていた。
夕映はその惨状を見ながら、違和感を覚える。
(なぜ……、これほど被害が……)
爆発の規模の割りに、被害が少ない。見ればクラスメイトで爆発による大怪我を負った人は見えない。擦り傷や切り傷がせいぜいだ。
そして――。
「こ、このかさん?」
クラスメイトを守るように木乃香が立っていた。彼女の体には淡い燐光がある。
(魔力、濃密過ぎる魔力デス。そうか、だから被害が――)
その中で、夕映が感じていた疑問に明確な答えがでた。
スタンド攻撃の対象者、その区分が。
「お嬢様……」
夕映の隣では、刹那が悲しそうな声を漏らした。
◆
「はぁ、はぁ、クソ! クソ!」
千雨は悪態をつきながらも、走り続けた。
夕映に聞いたクラスの状況が、千雨に焦燥感を覚える。
この現実感の無い光景の中で、少し震えた夕映の声は、その事実を強く感じさせた。
恐さはある。悲しさはある。
ウフコックのいない事により、その思いは強い。
また、千雨は自らの力を存分に振るえる事が出来ないでした。麻帆良全体のネットワークが何者かに制圧されている。
千雨の手元には演算装置はほぼ無く、対抗すら出来ない。
その状況は、《学園都市》で『シスターズ』と戦った時を思い出した。あの時も、超の援護や謎の人物の介入があって、初めて勝利できたのだ。
状況が重くのしかかる。
少しでも気を緩めれば、そこらの道端に座り込んでしまいそうだ。
(先生! 先生! 先生!)
すがる対象を思い浮かべる。ウフコックがいたら、どれだけありがたい事か。
しかし、ウフコックの現状を考えると、背中が凍りついた。
「ダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ。わたしは、先生を――」
頼れない。
これ以上ウフコックが傷つくかもしれない事に、千雨は耐えられない。
轟音。
千雨の頭上を、魔法使いが飛んでいく。
その背後を、夕映の報告にあったアンドロイドが追いかけていった。
周囲の人間は千雨とは逆方向に逃げていく。
千雨はその人波を掻き分けながら、世界樹へ向けて急いだ。
耳に響くのは破壊音と悲鳴。
麻帆良は一人の悪意により、戦場に変わってしまった。
「うぅ……」
その状況に、目頭が不意に熱くなる。
想像してしまうのだ。もしこの状況がどうにかなったとしても、昨日までの生活は戻らないだろうと。
両親が死んでから初めて手に入れた、ほんの少しの陽だまりの日々。
それは水が手の隙間から零れ落ちるように、たやすく無くなってしまう。
なぜもっとしっかりと掴まなかったのか、なぜもっと優しく包まなかったのか。
悔恨だけが一人歩きしてしまう。
千雨が走っていると、不意に見覚えのある看板が見えた。
ついこの間、クラスメイトに誘われて行ったカラオケボックスだ。看板は崩れ落ち、店内も廃墟の様な有様だった。
首を振れば、コンビニも見える。夜中に女子寮から抜け出して、買い物に行ったのは先週の事だ。
バカバカしいとか言いつつも、そんな何気ない事を友人とやれたのは、本当に楽しかった。
「に、逃げろぉぉ!」
大声の警告。
見ると十メートル程先で、崩れた建物の破片が車を押しつぶしている。車体から漏れた液体からの刺激臭が、風に乗り千雨の鼻にまで届く。
「えっ」
その事に気づいたのもつかの間。
車の傍の小さな火花が一瞬で燃え広がり、爆炎となって破裂した。
光、音、熱、衝撃。それらが千雨の体に叩きつけられる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
口から漏れる言葉は無意識のものだ。
吹き飛ばされ、千雨はゴロゴロと石畳を転がる。
幸い爆心地から離れていたため、炎が直撃する事は無かった。
痛む体に叱咤をしつつ、のそりと起き上がる。そして――。
「な、何だよ。何なんだよ、コレ」
目の前に広がる惨状。車はボロボロになりながら、残り火の中にシルエットを残している。それを中心にし、真っ黒くなった石畳が放射状に広がる。そこらかしこに、人の形をした何かが落ちていた。
車、人影、うめき声。
千雨の中で両親の最後がフラッシュバックする。
「――――――ッッ!!!」
嘔吐感。喉元をせり上がる異物に耐えられなく、千雨は膝をつき、地面に嘔吐する。
口からだけではない。鼻を突く肉の焦げた臭い。異臭が千雨の感情を撫で回す。
ポロポロと涙が零れた。
人の悪意が恐ろしいのだ。
人はこれほど醜い事をたやすくしてしまう。
テレビでは知っていた。両親が死んでからの日々で、嫌でも体感した。
それでも、改めて目の前に突きつけられる現実に、千雨の心は壊れそうになる。
「先生ぇぇ、先生ぇぇぇ……」
幼子が母を頼るように、ただ言葉を紡ぐ。
しかし、その言葉に答える存在は、千雨の傍に存在しなかった。
つづく。