「おぉ!」
思わず三人は声を漏らした。
世界樹広場から麻帆良学園の中央を貫く大通り、そこでは麻帆良祭の開始と共に、仮装パレードが始まっていた。
只の仮装ならば、適当に拍手でも送ってお仕舞いだが、ここは麻帆良。動く恐竜のロボットに、バルーンで作られたお城、その周りを彩るのは仮装したダンス関係の部活の人間だろう。煌びやかな光の軌跡が目に映る。
午前十時を持って開始された麻帆良祭は、早速の大喝采に包まれていた。
「相変わらず派手だなぁ」
「うん、本当に」
千雨の呟きに、アキラが答えた。千雨にとっては数年ぶりの光景だ。以前は只の傍観者だったが、今回は千雨自身も祭りの開催者側だ。少し気分が違っていた。
今、千雨とアキラと夕映は三人で仮装パレードを見に来ている。千雨とアキラは午前中はクラスの喫茶店のシフトには入っていないので、このまま少し祭りを探索する予定だ。とは言っても、その格好はメイド姿。胸元にはクラスと出し物の名前が入ったプレートが付けられている。遊びながらも、広告塔代わりになって来いというお達しである。
「千雨さん、来ましたデスよ」
「うわ、本当に参加してやがる」
クラスの午前中組は相変わらず喫茶店オープンのための準備に追われているが、一部の人間は仮装パレードに出場して、宣伝するとの事。
事実目の前にはクラスメイトの柿崎美砂を含んだチアリーダー組やらが踊り、長瀬楓をはじめとする肉体派の面々が広告の手持ちプレートをぶん回していた。
「うわ、すげー目立ってる。つかハズイ」
「だね」
「視線を外しておきましょう」
千雨の意見に、二人も同意した様だ。だが、そんな事もお構いなしなのがパレード参加組だ。
「お、長谷川殿ではないか! おーい!」
「アキラー!!」
「夕映っちー!」
パレードでも目立っている2-Aの面々が、千雨達を見つけてブンブンと手を振る。
その行動に、千雨が明らかに嫌そうな表情をするも、関係無いとばかりにパレード組は千雨達にアプローチし続ける。
アキラは苦笑いしながら、小さく手を振り返す。夕映は小柄な体躯を使い、ひっそりとパレード組の視界から見えない様に隠れたりする。
やがてパレードは進み、千雨達の視界から2-Aのパレード組が消えた。
「ふぅ、やっと行ってくれたか。よし、んじゃわたし達もどっかへ行くか。夕映は図書館島だっけか?」
「はい、探検部主催の図書館島ツアーのガイドをやる予定デス。良かったら千雨さん達も来て下さいね」
「おう」
三人はそう言いながら、仮装行列の観客の群れから抜け出し、図書館島へと続く分かれ道まで一緒に歩いた。
夕映に「頑張れよ」などと言いながら別れた。
丁度その時、空に花火が鳴った。色とりどりの煙を破裂させる昼花火だ。どうやら仮装パレードは無事フィナーレに至ったらしい。
そう、これからが本当の祭りの開始だった。
第41話「heat up」
「いらっしゃいませ」
客を出迎える声が、ひっきり無しに店内に響く。
2-Aの喫茶店は早くも盛況を見せていた。余りの盛況ぶりに、客の滞在時間に制限を付ける程である。
問題児なクラスであるが、2-Aの生徒の容姿は秀でていた。
男子部の生徒としても、お近づきになりたいクラスであったし、あわよくば……とも思う生徒もいる。
そんなこんなで下心満載の男達であったが、2-Aの生徒の邪気の無い態度や雰囲気に、下心は薄れつつあった。まだ男に媚びる様な態度を取っていれば、男達も色々と思うところがあったのだが、『メイド喫茶』などというお題目を上げつつ、けっこうサバサバとした印象の喫茶店であった。
もちろん、メイド扮する女生徒とお喋りなんかも出来るが、そういう接客をしている生徒は、うまく話を盛り上げて、早々と場を切り上げてしまう。
ちなみに当初は某秋葉原の様なコテコテに男に媚びる喫茶店の案もあったのだが、さすがに女生徒の視点では却下され、どこか重厚な雰囲気の本格喫茶となっていた。
飲食物には喫茶店としての場所代も含まれ、少し値段は高いものの、その分美味しい紅茶やらコーヒーやらを提供している。あやかや五月のお墨付きだ。
店内では雰囲気作りとして、あやかチョイスのクラシック音楽が流されている。祭だというのに、普段よりも静謐な空気を作っているあたり、徹底していた。
「三番テーブルにこれを持っていってくださいな」
「了解~」
バックスペースでクラス内を取り仕切っているのも、もちろんあやかだった。次々とクラスメイトに指示を出していくが、それに不満を持つ者はほとんどいない。多少人使いが荒いので、サボろうとする者もいるが。
美砂も、あやかの指示に合わせて各テーブルを回っていた一人だ。
「ねぇ、君。午後暇? よかったら俺達と回らない?」
下心が薄いと言っても、もちろんこの様に露骨にナンパする客もいる。
「あはは、ごめんなさい。私先約があるので~」
美砂も慣れたもので、そこらへんは軽くあしらってしまう。
そうやって一時間ほど経った頃だろうか、教室の入り口に一人の男性が現れた。
髪は黒いものの、欧米人特有の肌の白さがある中年男性だ。黒のスーツに身を包んでいるが、仕立ての良さからして素人目でもブランド物と分かる品だった。あごヒゲに口ヒゲを生やしながらも、綺麗に整えられて清潔感がある。片目に片眼鏡(モノクル)を付ける男性は、威風堂々とした品格があった。
一瞬、教室内が男性の威圧感に静まり返る。その空間の中でクラシック音楽だけが響き続けた。男性は教室内をグルリと見渡す。その時――。
「あぁ~~、パパ~~~!!」
静寂を破ったのは美砂だった。男性に向かって走り、そのまま首へと抱きつく。男性は美砂を軽々と抱きとめた。
「おぉ、久しぶりだな美砂! その格好似合ってるじゃないか!」
美砂を両手で持ちながら、男性はくるくると回る。まるで幼い子供をあやしているかの様だ。
「へへへー。さすがパパ、分かってるぅ!」
男性の褒め言葉に、美砂は満面の笑みを浮かべた。美砂と男性の一連のやり取りを見ていた人達は、一様に緊張を緩めた。
バックスペースから見ていたクラスメイトも、ホッとしたのか一気に話し始めた。
「びっくりしたわぁ~。堅気じゃないお方かと思ったわ~」
ころころと笑いながら、近衛木乃香が酷いことを言い始める。
「なーんだ、美砂のお父さんかよ。あれ? って事は噂のスーパーマンなのか?」
「ねぇ、かえで姉。あの人すごかったの?」
鳴滝姉妹に見つめられ、楓は返答に困った。
「うーん、拙者にはちと分からないでゴザルな~」
なはは、と笑っているが、内心は冷や汗ものだった。
(柿崎殿の父親殿か。一体何者でゴザルか)
美砂の父親は、特に威圧などしていない。ただあるがままにそこに〝いた〟だけだ。なのにあの溢れる威圧感。楓も戦慄せざる得ない力の片鱗だった。
美砂の父親は、美砂に腕を掴まれたまま席へと案内される。それに嫌な顔せず、むしろ娘との久々の再会に笑みを強くした。
事情は聞いていたので、あやかも美砂に休憩時間を与え、親子は二人でテーブルを一つ使う事となった。
「ほう、うまいな」
給仕されたコーヒーを一口飲んで、美砂の父親は意外な美味しさに驚いた。
「学生の模擬店という事で期待してなかったんだが、中々だな」
「でしょ~、うちのクラス、料理すんごいウマイ人とかいるんだよ!」
父親に会えた事が嬉しいのか、ニコニコとしながら美砂はクラスの事を語り出す。
「――でね、あ、そうそう。私の友達を紹介するね~」
バックスペースから、ちょこちょこと覗き見していた釘宮円と椎名桜子を呼んだ。
「円~、桜子~、ちょっと来て~」
「なになに~」
「ま、待ってよ、桜子!」
美砂の呼びかけに、若干躊躇した円を引っ張りながら、桜子は美砂達のテーブルへと向かう。
「この二人は同じチア部の友達なんだ。こっちが円で、こっちが桜子」
美砂は軽い感じで紹介していく。
「ど、どうも。釘宮円です」
「椎名桜子って言います。美砂のパパさん」
「ちょっと、桜子」
桜子の軽い物言いに、円が嗜める。しかし――。
「ハハハハ! いや、失礼。楽しいお嬢さん方だ」
そう言うなり、美砂の父親は立ち上がった。
「〝わし〟が――
美砂がジロリと父親を睨みつける。娘は父親が『わし』というと、「ジジ臭くてヤダ!」と機嫌悪く言うのだ。
「私が美砂の父です。娘とは今後とも親しくしてやってほしい」
美砂の父親が円と桜子に、そっと握手を求めた。
「え、あ。こちらこそ……」
「もちろんですよ~」
慣れぬ握手に戸惑いながらも、円はぎこちなく握手をした。桜子もひょうひょうと握手をする。
分厚く力強い手。円は一瞬自分の父親を思い出したが、たぶんそれ以上にこの手は大きい。そんな気がした。
それに一連の挨拶で、この父親が美砂の事を、とんでもなく溺愛しているのを円は感じた。 円と桜子を加えながら、美砂は捲くし立てるように様々な事を父親に話した。合間合間に桜子がボケやらツッコミを入れて、話を盛り上げていく。
美砂の父親も、微笑ましいとばかりに、笑顔を浮かべっぱなしだった。
しかし、その笑顔がある一言で凍りついた。
「そういえばねパパ、私好きな人が出来たの!」
ピシリ、と確かに空気が凍った様に、円は感じられた。美砂の父親は先程と同じく笑顔を浮かべているが、どこか堅さがある。
円は美砂の無邪気さに、頭を抱えたくなった。視線を反らすと、美砂の父親が手に持つコーヒーカップに違和感を覚えた。
「――ひっ!」
美砂の父親は、相変わらず表情はにこやかだが、コーヒーカップを持つ手が小刻みに震えていた。更にはカップの中身たるコーヒーが、急激に沸騰したかの様に気泡をゴポゴポを出している。その異常極まり無い光景に、円は引きつった悲鳴を漏らす。
どうにか助けを求めようと、隣に顔を向けるも、そこに桜子の姿は無かった。どうやら要領良く逃げたらしい。
「桜子のヤツ~」
目の前の親子に聞こえぬよう、小さく毒づいた。
だが、そこで円は閃いた。
「そろそろ私、給仕に戻ろうかな~、と思います。じゃあ、後は親子水入ら――」
「あ! そういえば円も康一さん知ってるね。円も康一さんについてパパに教えて上げてよ」
さり気なく場をフェードアウトしようとするも、それも美砂に防がれた。美砂はまるで自慢の彼氏を紹介するかの様に、父親に無邪気に話している。
「ほう、その男は康一と言うのかね?」
美砂の父親の視線が鋭くなった。円は冷や汗が出る。
確かに円は康一と会った事がある。準備期間中に、美砂の紹介で一度だけ会話した程度だ。
康一についての印象は薄い。正直、美砂が一人で騒いでるばかりで、身長も低くて気弱そうな康一の風貌は、円の好みからはかけ離れている。ほんの少しの会話の印象を単語にするならば、良くて『穏やか』、悪く言えば『軟弱』だろう。
「うん、そう。広瀬康一さんって言うの! 麻帆良学園の高等部に通う一年生なんだって」
「ほう、高校生なのか――」
気のせいか、周囲の空気が更に重くなった様に、円には感じられる。まるで胃の中に漬物石でも落とされたかの様だ。
「でね、でね、その康一さんったらスゴイんだよ~」
そこから始まるのは、美砂と康一の出会いの話であった。
円は再び頭を抱えた。
(よりにもよって、なんであの与太話をお父さんに話しちゃうの~)
手からビームが出ただの、悪漢から救ってくれただの、真面目に聞く方が馬鹿馬鹿しい。
父親の立場なら、普通は娘が性質の悪い詐欺にでも引っかかったと思うだろう。
円は美砂の父親が憤慨する所を想像した。
しかし、実際には違っていた。
「ふむ、そんな事があったのか」
美砂が一通り話し終えると、美砂の父親はコクリと頷き、顎に手を置いて考え始めた。
当初こそ、美砂の話に怒りを感じてたものの、詳しく聞くに連れて、その表情は「興味深い」と言わんばかりに変わっていた。
そして何かを思い立ったのか、美砂の父親は首肯を何度かした。
「では、その青年には借りが出来てしまったのだな」
そう言うなり、美砂の父親は立ち上がる。
「え、パパ。もう行っちゃうの?」
「あぁ、少し調べ物があるのでな。なに、三日ほどはここに滞在するつもりだ。何かあったら連絡しなさい」
美砂の頭を軽く撫でた後、美砂の父親は会計を済ませて出て行った。
◆
夕映と別れた千雨とアキラは麻帆良内を当ても無く散策していた。
図書館島に後で行こうという予定はあるものの、それ以外は特に決めていない。
それに今の麻帆良は適当にぶらついているだけで、様々な出し物や催しを見る事が出来た。人込みが嫌いな千雨だが、アキラと一緒にいる事で若干その傾向は和らいでいた。
「このアイスうまいな」
「うん、手作りとは思えないね」
ウルスラ女子の料理研が路上で販売してたジェラートを食べながら、二人は歩いていた。千雨はマンゴー味、アキラはストロベリー味のジェラートを選んでいる。
「あーちゃん、そっち一口くれよ」
「うん、いいよ」
そっと出されたジェラートを、千雨は手に持ったプラスチックスプーンを使わず、直に噛みついた。
「はむ。うん、こっちも美味いな」
「……」
アキラはそれをじっと見ている。そして、今度は千雨がジェラートを差し出した。
「ほい、あーちゃんも一口」
「あ、うん。ありがとう」
何故かドキドキしながら、アキラも直接ジェラートを舐めようと、口を開き――。
「おぉ~~~~!!」
と思った所で近くから歓声が上がった。
アキラはそれで距離感を間違い、口元を汚してしまう。
「なんだなんだ?」
「……何なんだろうね」
千雨の問いかけに答えるアキラは、少し不機嫌だ。
「あ。あーちゃん、口元」
「え?」
千雨はアキラの口元を指差す。そのまま一指し指で、すくう様にアキラの口元のジェラートを拭った。千雨はそのまま指先に付いたジェラートを、自らの口で食べてしまう。
「うん、取れたぜ」
「あ、あ、あ、ありがとう」
顔を紅潮させながら、アキラは小さく呟いた。茹だった様なアキラを引っ張りながら、千雨は歓声の元へと向かう。
そこではそこそこの人垣が出来ていた。人波を掻き分けて見ると、中央に小さなステージが見える。
「なんだあれ? クイズでもやってるのか」
「な、なんだろうね」
アキラの受け答えは未だ曖昧。のぼせ上がった様にポーっとしている。アキラが時折こうなるのを知っているので、千雨は特に気にしなかった。
ステージの上には二つの席があり、そこに二人の人間が並んで座っていた。テレビで良くあるクイズ番組似た様相だ。
二人の間には大きめのモニターがあり、そこでは数字が素早く何度も表示されていく。
「さぁ、答えを出してもらいましょう!」
司会とおぼしき男子生徒が言うなり、席同士に座ったステージ上の二人はフリップボードを出した。そこにはお互い違う数字が書かれている。
「174」
「212」
どうやらそれが二人のクイズの回答か何からしい。
「さぁ、正解は……『174』! またしても数学研の勝利です!」
「おぉ~」
司会の煽りに、観客は歓声を上げた。
「んーと、これって『フラッシュ暗算』とかいうヤツか?」
「うん。テレビで見た事あるね」
以前、何かの教養番組で見た記憶があった。モニターに次々に表示されていく数字を加算していく競技だったはずだ。ちなみにアキラの調子も戻ってきた様だ。
どうやらこれは一般客の挑戦者と、麻帆良学園高等部の数学研究会の会員が勝負をするイベントの様だった。
「ふーん、一般客が挑戦するのか。でもこれじゃ数学研の圧勝に決まってるだろ」
「そうでも無いみたいだよ」
ステージの横にはボードが置かれていた。そこには『初級』『中級』『上級』と書かれている。対戦方法は数学研と挑戦者の一対一のサドンデス方式。フラッシュ暗算でどちらかが間違ったら即負けというルールの様だ。
数学研側のフラッシュ暗算はかなり難しく設定してある。それに対して挑戦者側は初級や中級といった難易度に応じ、暗算の桁数などのハンデが貰えるとの事。そして上級になるとルールは対等。数学研の猛者とまったく同じ桁数、同じインターバルのフラッシュ暗算で戦わねばならないらしい。
千雨達が今見た対戦も、どうやら『上級』の戦いの様だった。
「なるほどね。これだとそこそこやれそうだな」
「さすがにあの速さの暗算は難しいよ」
千雨達がそんな話をしていると、またステージに挑戦者が現れた。どうやらまた上級の挑戦の様だ。
「なんでまた上級なんかに挑戦するんだ?」
「ちーちゃん、アレ」
アキラの指差す先を見る。ボードの端っこには、参加料や景品といった文字が見える。
「うわ、景品狙いか。……ってマジかよ」
千雨はその景品を見て驚いた。
このゲームの参加料は二百円であり、『初級』『中級』『上級』でそれぞれ勝った時の景品があるらしい。『初級』は三百円分のお菓子、『中級』は五百円分の図書券、そして『上級』になるとなんと五万円分の商品券になると書いてあった。ちなみに同じ挑戦者が二度参加する事は不可とも書かれている。
この盛況っぷりは計算能力に自信のある大学生やらが、一稼ぎを目的に挑戦し続けてる様だ。「参加料が二百円なら負けて元々」といった感じだろうか。
「五万円って奮発したなぁ。数学研がトチらなければ、そりゃ儲かるだろうけど」
実際勝ち続ければ、例え一回二百円でもそれなりに稼げるだろう。『五万円の商品券』と『参加料二百円』という二つの誘蛾灯が、貧乏学生を我先にと誘い込んでいく。
ジェラートをペロペロ舐めながら、千雨はボーっとその有様を眺めていた。
「あ、惜しい。九回目の数字の桁入れ違えてるな」
「え、九回目?」
「あぁ、34を43で計算してやがる」
「へー」
ボーッとしながらも、千雨は計算過程の間違いまでを見抜いていた。
「ねぇ、ちーちゃん。思ったんだけど……」
「ん?」
「出てみたら?」
「出る?」
千雨はキョトンとする。
「え、わたしがか?」
「うん、勝てそうな気がするんだけど」
「いや、確かに勝てるだろうけど……」
どうやら千雨は自身が参加する、という選択肢を考えて無かったらしい。アキラに促されて、千雨は考え始める。
「ほら、それに商品券五万円だし」
「五万……」
五万円という事を考えると、かなり魅力的な提案な気がしてきた。先程までは自分が出場する事を考えず「そこそこの値段だな」と割り切っていたが、改めて考えればかなりの額だ。
「新しいノートPCは無理そうだが、欲しいゲーム機が買えるな」
千雨の中で決断がなされた。
「よし! ちょっくらわたしも出場してくるよ」
「うん、頑張ってね」
ジェラートの残りを一気に食べながら、千雨はステージ脇の挑戦者の列へと向かう。
ある程度の列が出来てるものの、実際の所フラッシュ暗算では初見殺しがが多い。大抵のものは一度目で失敗するので、列はスルスルと消化されていった。
「はい、次の人。難易度はどうする?」
数学研の会員だろう人が受付を行なう。テーブルには参加料の百円玉が大量に入った缶があった。千雨はそこに二百円を投じながら「『上級』で」と答えた。
「はいはい、『上級』ね。それじゃ今の挑戦者が終わったらステージ上ってね。丁度良かったね、君で午前は最後だよ」
千雨が『上級』と言っても、大して気に留めずに対応された。あれだけ『上級』の挑戦者が多ければしょうがない事だろうが。
それに数学研側の回答者も、さすがに疲れが出てきている様だ。千雨を最後に、おそらく休憩に入るのだろう。千雨はタイミングが良かった。
「また数学研の勝利です! さてさて、それでは次で午前の部の最後の挑戦とさせて貰います。それでは数学研会長へのラストチャレンジャーどうぞ~!」
どうやら回答者は会長だったらしい。
同じような構成で飽きがきたのか、拍手はまばらだ。
千雨はなんかいたたまれないといった感じで、とぼとぼとステージに上った。さっきまで五万円に釣られて、勢いで快諾したものの、よく考えれば千雨は人前が苦手なのだ。祭り気分に浮かれ勢いで参加したものの、千雨のテンションは一気に落ち込んでしまった。
ステージに上ると、周囲の客が千雨に一身に向かう。
(うっ……)
(ちーちゃん、ガンバレ)
すくみそうになる千雨に対し、アキラがスタンドを通して千雨にエールを送った。
千雨もアキラの姿を見つけると、幾分リラックスする。
ステージ上の回答席に座ると、隣の数学研の会長らしい男子学生がうろんな視線を送ってきた。ふふん、と小馬鹿にしている印象だ。
その態度に千雨は少し苛立ちを感じつつも、モニターを見つめる。
「それでは、第一問始めます!」
司会の合図で回答席の間にあるモニターに、問題開始のカウントダウンがなされる。
会長は慣れた様子でリラックスして見ている。対して千雨も、幾分気落ちしながら投げやりな態度で見ていた。
カウントダウンし終わると、二桁の数字が次々と表示されていく。
ぱっぱっぱっぱっ、とまさに間断なく数字が明滅した。ものの十秒で十個もの数字が表示される。普通の人ならまず計算など無理だろう。
「さぁ、それでは答えをどうぞ!」
司会の合図に、千雨と会長が同時に回答をフリップボードで出した。千雨はしぶしぶ、会長は自信満々といった様子だ。
「326」
「326」
お互いが同じ答え。会長は少し驚きながらも、余裕の表情を崩さない。
「おぉ、答えが一緒です! さて、正解は……326! 両者正解です」
久しぶりに歓声が上がった。その中でアキラは「千雨ちゃんがんばれ!」と声を上げていた。
「――チッ、早く間違えろよな」
千雨のすぐ横で会長が舌打ちをしながら呟く。どうやらステージの長丁場に、疲れが溜まってるらしい。悪態をつかれながらも、千雨は余り気にせず隣を見た。すると――。
「……お、デカイな」
再び会長の小さな呟きが聞こえる。その視線は観客席のアキラに向かっていた。より正確に言うならばアキラの胸元。千雨の知覚領域が会長の視線をより正確に知覚してしまう。
「ぬ……」
千雨は少し苛立つ。アキラは中学生とはいえプロポーションは抜群だ。そのため男の視線を集めてしまうのは理解している。だが、身近で露骨に言われれば腹も立つ。
千雨は深呼吸をして、吐いた。
(落ち着け、わたし。こんな事で怒ってどうする)
別に直接アキラが害されたわけでは無いのだ。千雨はどうにか心を落ち着かせる。
「なかなか凄そうなチャレンジャーが来ました! 次は第二問です!」
そんな事は構いもせず、司会の進行は続く。
そして、また同じような問題が出された。それに千雨も会長も次々と正解し続けていく。最初こそ余裕の態度を取っていた会長だったが、千雨のあまりやる気の無さそうな表情とは裏腹に、淡々とまるで機械の如く正解していく姿に、驚嘆を隠しきれなかった。
千雨にとって見れば、この程度は正解出来て当たり前だった。電子の海を自由自在に泳ぐ千雨にとって、この程度の桁数の単純な四則演算など児戯に等しいのだ。
千雨は調子に乗って出場した事を、少し後悔していた。それでもここまでやって負ける訳にはいかなかった。なにせ隣の会長とは直接話したわけでは無いが、ブチブチと聞こえる呟きが苛立ちを加速させていく。こいつにだけは負けたくない、そんな意志がふつふつと沸くのだ。
「まさか! まさかの十問目まで成功! これほどの難問にまで喰らいついてきたチャレンジャーは今回初です!」
白熱した戦いに、先程までボチボチとだった観客の数が増えていた。
隣では会長が苛立たしげに指でテーブルを叩き、横目で千雨を睨みつけていた。
ふと、会長がなにかを閃いた様だった。
「すまない、少し提案があるのだが、どうだろう?」
会長が何やら司会に話しかけた。
「提案ですか?」
「あぁ、そうだ。このままではお互い千日手だ。ならばどうだろう、難易度を一気に上げて見ては?」
観客も「少し面白そうだ」といった感じに会長の提案を聞いていた。
「なるほど! 面白そうですね!」
司会は観客をも煽るように同意する。
「具体的には桁数を三桁に、インターバルを半分にしようではないか」
「おぉっと、これはかなりの難易度ですよ。大丈夫なんですか」
「はは、僕も自信は無いさ。でも挑戦者の彼女とならいい調子で勝負できそうでね」
会長は爽やかにそう言い放つが、内心は苛立ちが募っていた。彼とて三桁で短いインターバルの暗算など、正答率は格段に落ちる。だが、まったく当たらないというわけでも無い。千雨が外す事を前提に、何度かやれば勝負がつくだろうとタカをくくっていた。
「挑戦者さんはどうでしょうか? 難易度を上げるのに同意して頂けるでしょうか?」
「え、あの、その」
司会が千雨に質問を投げかけた。
質問と言いつつ、観客の空気がとてもじゃないが断れる雰囲気では無い。隣で会長は嫌らしくほくそえんでいた。
千雨は急にマイクを向けられた事にしどろもどろになりながらも、会長のその態度に反撃を思いついた。
「は、はい。同意します。ただし、一つ条件があります」
「おぉ、どんな条件でしょうか」
千雨は司会の質問に答えながら、メガネを指先でツイとかけ直す。
「桁数は四桁でお願いします」
「よ、四桁!?」
観客は「おぉ~」と歓声を上げ、隣では会長の顔が引きつっていた。
「し、しかし四桁ともなれば、かなりの難問ですよ」
「問題ありません」
千雨はちょっと顔を伏せながら答える。
「会長、どうでしょうか?」
「あぁ、うん。そうだね、せっかくだから挑戦してみようか」
こんどは会長が断れない雰囲気に見舞われていた。冷や汗を流しながらも、千雨の提案を了承する。
「お互いの同意が取れましたので、難易度をアップしての第十一問目に入ります。両者、準備は良いですか? それではスタートです!」
司会の言葉と共に、モニターにカウントダウンの数字が現れる。
ゼロが表示されるやいなや、四桁の数字がすごい勢いで表示されていった。先程のインターバルの半分、ほんの少し息を止めた程度の時間で、十個もの数字が表示されては消えていく。
千雨はさっきまでと同じく、特に気合を入れずにモニターを見ていた。会長は先程よりも切羽詰った様に、顔に皺をよせながらモニターを凝視する。
「いやぁ、この問題は無理でしょう~。果たして両者の答えは? 回答お願いします」
「71282」
千雨はポンといつも通りにボードを開示する。
「くっ……58921だ」
対して会長は悩んだのか、苦しい表情をしながら回答を出した。
「回答が分かれました。果たして正解はどちらか、それとも両者不正解か! それでは解答は!」
中央のモニターに表示された数字は『71282』。千雨の正解である。
「おぉぉぉぉっと、正解が出たァ! なんと、なんと挑戦者の勝利だぁぁぁぁ!!」
歓声が弾けた。そんな中、隣の会長が呆けた様に立ち尽くす。『僕の五万円がぁぁぁ』という呟きを聞く限り、どうやら自前で用意した景品の様だ。
千雨はそのままステージの中央にまで引っ張られ、簡単な称賛の言葉と共に、景品が譲渡された。
パチパチと拍手を送られながらステージを降りる千雨に、アキラが近づいてきた。
「おめでとう、ちーちゃん。すごかったよ」
「あぁ、うん。なんか勝っちゃったよ」
あはは、と乾いた笑いを浮かべる。
手にはぴらぴらと揺れる五万円分の商品券があった。
ちなみに午後からの数学研のイベントは休止となった。会長の落ち込みようが激しかったのが理由、との事である。
◆
外は初夏の日差しによる暖かさがあったが、図書館島の地下は静謐な冷気に満たされていた。それは地下だからという理由ばかりで無く、魔法による温度や湿度の調整がなされているからだ。
これだけの巨大な規模を誇る施設を、クウネルを始めとした数人のスタッフで賄えるはずが無い。図書館島の維持には最大限に渡り魔法が使われた結果だった。
司書であるクウネル・サンダースの仕事の大半は、この施設維持の魔法の調整にある。
そのため、図書館島の奥底にある一室では、エアコンすら無いのに快適な空気を保っていた。
その部屋――司書室の一つでは部屋の主たるクウネルと、最近隣人になったばっかりのドクター・イースターが茶を飲んでいた。
「――いやはや、なんとも。お互い奇縁もあるもんですね」
クウネルがにこやかな笑顔を絶やさす言った。
「まったくです。昔もさる事ながら、今に至ってお互い向かい合ってお茶を飲むなんて」
ドクターは電子眼鏡(テク・グラス)を外してテーブルに置いた。そうしてからティーカップを手に取り、紅茶を飲む。
彼ら二人には接点があった。かつてあった大戦、その折にお互いは敵同士として戦ったのだ。
特にドクターはクウネルの本名に驚いた。まさに二十年前の大戦で大活躍した一派の一人であったからだ。
対してクウネルはと言えば、《楽園》の名前は知っているが、さすがにその時にまだ若かったドクター・イースターの名前までは知らなかった。
それでも幾つかの会話をしていけば、お互いがかなりの接点を持って、戦場で対峙していた事が分かったのだ。もちろん、ドクターは武器を持って最前線で戦ってた訳では無いが。
外ではお祭り騒ぎが始まっていた。
さすがに図書館島の奥底にまで音は聞こえない。しかし、クウネルが外部の風景を魔法でドクターに見せてくれていた。
「へぇ、賑やかだなぁ」
「そうですね。この時期になると、この図書館島も一気に騒がしくなるのですよ」
クウネルが言うには、祭り気分に浮かれて、図書館島の地下へと挑戦するものが増えるのだらしい。更には、図書館島上部のガイドツアーだけで無く、地下へのガイドツアーも毎年密かに企画、実行されるとか。
仕舞いには窃盗狙いの輩も多いので、侵入者の選別や保護、捕縛などに忙しくなるらしい。
「そんなに忙しいのに、お茶なんてしてていいんですかな?」
「はははは、何事も息抜きは必要ですよ。それにその手の連中が動くのは夜と相場が決まっています」
そんな会話をしている時、クウネルは「おや」と呟きながら眉を潜めた。
「どうかしましたか?」
「いえ……なんでしょうか。今違和感があった様な」
クウネルはそう言いながら、周囲の魔力を探査する。特に異常は感じられなかった。
「ふむ、異常は無いみたいですね。世界樹の周期的な波動かもしれません」
「世界樹、ですか?」
「えぇ。世界樹の活動が活発化する一年に数日の日を狙って、麻帆良祭は開催されるんですよ」
クウネルはつらつらと得意気に話し出す。
「しかし、それだと手間が多くありませんか?」
「でしょうね」
ドクターの疑問に、クウネルが首肯する。世界樹が活発化する数日に、わざわざ外部から大量に人を呼び寄せるなど、警備を考えればかなり危うい。麻帆良を敵視する組織などがあるなら、なおさらだ。
「ですが、ここで問題なのは手間では無いのです。世界樹が活発化する数日に、人を大量に呼び寄せねばならない。これは合理的では無い価値観、所謂『伝統』により根付いているんですよ」
「じゃあこの麻帆良祭は祭事、神事という事なのですか?」
電子眼鏡(テク・グラス)をかけ直しながら言うドクター。クウネルはニンマリと笑顔を深める。
「ご名答です。この麻帆良祭は世界樹に対する神事。れっきとしたオカルト儀式なのです」
クウネルがパチンと指を弾くと、二人の目の前にあったティーカップの中身が、再び入れたての紅茶で満たされた。
「故に、麻帆良はこの行事を毎年行わねばいけないのです。実際、世界樹は膨大な魔力を内包し、極東の地脈の集積点でもあります。この土地の管理は関東魔法協会にとっての、一番の優先すべき目的です。まぁ、とは言っても世界樹は今のところ無害。数十年に一度、周囲の人間を強制的に縁結びにしてしまうくらいで、大した事はしないのですがね」
「でも、興味深いですな。こういう風習に対し、なんらかの意味や目的があると、オカルトを漠然とは分かっているつもりなのですが」
ドクターがぼりぼりと頭をかく。ふふふ、とクウネルは笑った。
「魔法使いでない人間には分かりにくいでしょうね。この時期の世界樹はいわば子供なのです。たくさんの人間が集まってきて、きゃっきゃと騒ぐ。実際世界樹に起こる発光現象などは、その余波にすぎません。そしてそこで行なわれてるのは、純然たる浄化のシステムです。大量の人間が麻帆良に滞在する事により、多くの人の体を通して魔力を循環させる。それが世界樹を活発にし、また安定の材料にもなるわけです」
「ふむ、何となくは分かります。とは言っても畑が違うので、その話に整合性があるかまでは判断できませんけどね」
二人はその後も雑談を続けた。そしてある時、クウネルがピクリと固まった。
「おぉ、これは……」
「また何かあったんですか」
ドクターが訝しげに聞く。クウネルはその言葉に返事をせずに、指をパチンと弾き、先程外の風景を見せた様に、映像を魔法で投射しはじめた。
「おやおや、これは」
ドクターの表情が和らぐ。映像に映っているのは夕映だった。どうやら図書館島の地上部分でガイドツアーのガイド役をやってるらしい。
「このミスマッチ。そそりますね」
クウネルは笑みを張り付かせたまま呟いた。
夕映の格好はバスガイドの様な、ちょっとシックなレディスーツよいった装いだ。しかして夕映の身長が低いため、どうにも浮いた印象を抱かせている。
クウネルにはそこがツボらしい。
男二人は地下の一室で、夕映のガイドツアーっぷりを眺め続けた。
つづく。