まどろみの中に千雨はいた。
枕元にある時計のアラーム音でどうにか意識を取り戻すも、体に残るじっとりとした疲労のせいで、なかなかタオルケットから這い出る事が出来なかい。
「うーん」
アキラのうめき声も聞こえる。どうやら彼女も千雨と同じに疲れている様だ。
この一週間ほど、学園祭のクラスの出し物の準備に超の屋台と、二人は奔走していた。
充実していたとも言える。
千雨はかつてこれほど学校で様々な事をした事は無かった。ウフコック達と会う以前にだって、千雨は部活に入った事すら無かったのだ。
そう考えれば、この日々はとてもかけがいの無いものなのだろう。
それでも、千雨は非日常に生きていた。
今、こうやって目を瞑っていても、千雨には周囲の事が容易に把握できた。部屋の内装、アキラの寝姿、周囲の物の輪郭が頭の中に浮かぶ。
人工皮膚(ライタイト)――千雨の皮膚に使われている、《楽園》の科学力の結晶だ。
本来は宇宙空間での周囲の認識・知覚のために作られた技術らしいが、千雨はその力の延長線上である電子干渉(スナーク)をも発達させ、製作者であるドクター・イースターも驚く使い方をしている。
これらの力は、もはや千雨の在りかたの根幹にまで根を張っており、切っても切り離せない状態になっていた。
ぼんやりとそんな事をとりとめなく考えながら、千雨は自らの肌を触った。この人工皮膚はいつも艶やかで張りがある。人工とは思えないぐらいの自然さで、千雨に馴染んでいた。
「ん?」
感触に違和感があった。指先にザラリとした感覚があり、目を開けて確認する。千雨の知覚領域にも確かに奇妙な物質が見えた。
「なんだ……これ?」
砂……いや、金属粉だろうか。指先には銀色のザラついた粉が付いていた。良く見れば指先だけではない、手も、目の前にある腕にも、更には――。
「な、な、な――」
知覚領域を広げて驚いた。自分の体表に満遍なく、奇妙な銀色の粒が付いていた。
千雨はタオルケットをひっぺ返して、ベッドから転げ落ちた。ベッドのシーツの上には銀粉が大量に落ちている。まるで砂場で遊んだ子供が、そのまま布団で寝てしまったかの様な惨状だ。
自らの顔を手の平で拭う。やはりザラリとした感触が帰ってきて、パラパラと銀粉が零れ落ちた。
「なんだこりゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
千雨の絶叫は、脳内にあるラインからアキラと夕映にも伝わる。アキラは驚きながらベッドから飛び起き、夕映は遠くの別室で驚いて目を丸くしていた。
「ど、どうしたのちーちゃん!」
アキラが起き上がりながら千雨に問う。更には廊下からどたばたとした音が聞こえると、ドアの施錠が外れて慌てた夕映も転がり込んでくる。どうやら部屋の電子錠をアサクラに解かせたらしい。
「何があったんデスか!」
二人を目の前に固まる千雨。
「わ、わからない」
言葉をぽつりと零す。
後は、ただ肌からサラサラと銀粉が落ちるばかりだった。
第39話「夢追い人への階段――前夜」
千雨は銀粉を落とすために朝から部屋付きのシャワーを浴びた。千雨がシャワーを浴びている間、アキラが簡単な朝食を作り、夕映がドクターへと連絡を入れる。
状況を聞いたドクターはその銀粉を採取した上で、研究室に来るようにと返す。
「本当に一体何なんだ」
千雨は髪をごしごしと拭きながら愚痴を吐く。シャワーを浴びたせいでほとんどの銀粉は落ちたものの、バスタオルにはまだキラキラと輝く粒が幾つか付着していた。
アキラはテーブルに朝食を並べる。夕映も相伴に預かる形だ。
「とりあえずイースターさんのご指示通りに、銀粉は摂取しました」
夕映がひょいと持ち出したのは、台所によくあるタッパーウェアだ。片手で持てるそのタッパーの中に、銀粉が小さな山を作っている。
「ただ、イースターさんの電話での反応を考える限り、あまり大事では無いと思いますが――」
「本当にそうあって欲しいもんだ」
実際、今のところ千雨の体にさしたる異常は無かった。ただ朝の段階で、体の皮膚上に塩でも浮き上がる様に、銀粉が付着していただけである。現在は体の節々を見る限り、突如銀粉が浮き上がってくる様には見えなかった。
「でも何かあったら大変だよ。とりあえず朝ご飯は食べて、それからすぐに図書館島に向かおう。学校には遅刻するって連絡しておいたから」
アキラは心配そうに言う。
「デスね。私も付き合います」
夕映も頷きながら賛同した。
「悪いな、二人とも。それにしたってよりにもよって準備期間の最終日になぁ」
「麻帆良祭当日じゃなかっただけ良かった、と思うべきデス」
千雨の言うとおり、今日は麻帆良祭の準備期間最終日。明日からは麻帆良祭が開催される予定だった。
今日も学校はあるものの、学園都市である麻帆良の街中は祭りムード一色。こうやって朝食を食べながらも、窓からは祭り特有の賑わいが聞こえた。
街中のホテルももうほとんどが満室という事だ。明日になれば駅も大混雑するだろう。都内から始発で大量に来訪する人間がいるので、生徒によって電車の混雑を避け、前日から学校に泊り込んだりもするらしい。
「はい、千雨ちゃん。ブルーベリーで良かったよね」
「ん? あぁ、ありがと」
アキラはそう言いながら、千雨の口元にトーストをそっと渡す。千雨の手元にあったはずのトーストに、最近の千雨お気に入りのブルーベリージャムが薄く塗られていた。千雨はジャムが好きだが、甘すぎるのも好きではなく、トーストを食べるときにはかなり薄く塗るのだ。アキラは一緒に暮らすうちに、そこら辺まで心得てしまっている。
(まるで餌をもらう雛鳥と、餌をやる親鳥ですね)
夕映は朝食をもぐもぐと咀嚼しながら、じとりと目の前の光景を眺める。アキラに甲斐甲斐しく世話されている千雨だが、世話されている事自体に違和感を覚えていない様だ。
「まさにヒナとオヤドリですぅ~~」
食事のテーブルを走り回っていたアサクラが、千雨達を見て叫んだ。ぷりぷりと体を揺すりながらアサクラはそんな事をのたまう。
(コイツ……)
夕映は「思考を覗かれてるのでは」という錯覚を覚えた。
アサクラの発言に、千雨とアキラはきょとんとする。
「雛と親鳥って、何言ってるんだあちゃくら」
意味がわからないといった風に、千雨は首を傾ける。アキラも不思議そうにしながら、千雨の口元のパンくずをティッシュで拭っている。
(自覚が無いデス。でも、ならば――)
夕映は意を決し、手元にあったフォークで皿の上にあったウィンナーを刺した。そしてそれを千雨の口元へ近づけた。
「ど、どーぞ」
「ん? ありがと。はむっ」
千雨は抵抗無く受け入れる。夕映は良く分からない快感を覚えた。
(これはぁぁ)
犬のお腹を擦っている様な、猫のあご下をくすぐっている様な、そんな得も知れない快感だった。
千雨はもしゃもしゃとウィンナーを咀嚼する。ちなみに今、千雨の手には食器が何も握られていないという驚愕の事実があったりする。
恍惚とする夕映を、アキラは穏やかな顔で見つめていた。
◆
朝食後、三人は寮を出て一路図書館島に向かった。
図書館島の秘蔵の入り口を使い、地下深くまで一直線に行く。
以前、クウネルと会談した場所がある階層に、ドクターの研究室はあった。千雨もあれから研究室に行きがてらに、クウネルとは何度か会っている。
「おや、こんな時間にここに来るとは。サボタージュですか?」
「体調不良だよ」
今回も廊下で出会った――というより向こうから登場した形で、クウネルと顔を合わせる事になった。クウネルの存在はとかく知覚しずらい。千雨もある程度警戒しているものの、この男はいきなり地面から沸く様に現れるのだ。
千雨も魔力の感知が出来るようになり、目の前の存在がどのようなものなのか、何となく察せられるので、余り気にしない様にしている。
クウネルは呼吸をしていない。臓器の鼓動も無い。というか、しっかりとした肉体すら無い。目の前の人間に見える姿は、魔力により構成されていた。
魔法に関する基礎知識をある程度仕入れた千雨だが、クウネルの正体までは分からなかった。だからと言って、問いただそうとかそういう気は起こらない。そこら辺の分別はさすがに付いていた。
(スタンドやら超能力なんてのを見てるし、幽霊もどきなんて今更。それに薮蛇はゴメンだ)
正直、千雨としてはこれ以上トラブルとは関わりたく無かった。それでもクウネルとは契約がある。魔法の情報を千雨に与えるという対価の代わりに要求されたのは、千雨の半生を記録するという事だった。どうやらクウネルはそういう道具を持っているらしい。
また、その契約のおまけという形で、魔法による傷の手当てを受けている。そのため邪険にするにも気が引けた。
「それより、わたしの半生とやらを記録するってーのはどうなったんだ? やるんならちゃっちゃとやってほしいんだけどな」
「いやいや。まだ早いでしょう。もう少し経ってからの方が面白そうですね」
「くっ……」
ニコニコと笑うクウネル。まるで見透かす様だった。
「司書さん、司書さん。魔法はいつ教えてもらえるんデスか!」
横からひょいと出てきた夕映が、クウネルに質問した。夕映はクウネルにあこがれがあるせいか、けっこう仲が良かったりする。
「おや、綾瀬さん。うーん、そうですね。じゃあ麻帆良祭が終わった当りはどうでしょう。簡単な魔法なら教えてさし上げますよ」
「本当デスね! 約束デスよ!」
夕映は目をきらきらとさせる。
「おーい、さっさと行くぞ」
千雨はクウネルの脇をすり抜け、ずかずかと廊下を先に行く。
「待ってください」
夕映がそれを追いかける。アキラはクウネルにお辞儀をしてから、二人に続いた。
「おやおや――」
クウネルは仲が良さそうな三人を見て、笑みを深める。
かつてクウネルは夕映の祖父であるジョゼと友人であった。不思議とウマが合い、何度もお茶をしたものだ。あいにくクウネルはこの図書館から離れる事が出来ない、そのためもっぱらジョゼが尋ねてくるばかりだったが。
それでも、ジョゼの残した夕映の事は心配だった。ジョゼが何かしらの事情があったのはどことなく理解していたし、夕映の事は終始気にしていた様だった。
そのため、本来なら出れない図書館島から分身体を飛ばし、夕映の保証人代わりなんて事もやった事があった。
最近、この図書館島の地下の同居人として、ドクター・イースターなる人物が住み始めた。彼の目的の一つに夕映の治療があると聞き、クウネルは歓迎した程である。
今、夕映の体調が安定してきていると聞き、クウネルは素直に嬉しかった。
「それでも――彼女は――」
呟きには確信があった。彼の経験から言えば、夕映には安穏とした日常は遠いだろう。
そしてそれは何も夕映ばかりでは無い。むしろ、夕映と共にいる彼女こそ。
「魔法、ですか」
本来、クウネルは誰かに魔法を教える事などほぼ無い。
しかし、彼女のこれからを考えれば、必要になるやもしれない。
それに――。
いや、嘆くまい。自分はこれまでも同じ事を繰り返し見てきたのだ。
クウネルは目を細めた。
◆
盆地故にあまり強い風が吹かない麻帆良だが、建物の屋上となるとそれなりに風が吹いていた。
広瀬康一はなびく髪をそのままに、祭り気分に浮かれる麻帆良を見下ろしている。
「……《エコーズ》」
その言葉はスイッチだった。彼の身の内に宿る《スタンド》と《超能力》という二つの歯車がカチリと合わさり動き出す。
麻帆良の上層にまで飛んでくる喧騒の『音』を能力ですくい上げた。そして、その音を体内に吸収しながら、精査に調べ上げていくのだ。
単なる雑談や議論、噂話まで様々な『音』を康一は自らの能力を使い、重要なフレーズだけを探して洗っていく。
〝■■吉■〟への手がかりを探すために――。
一時間程そうしていると、建物の屋上のドアが開いた。出てきたのは長身の男――承太郎だった。
「あ、承太郎さん」
「康一君、どうだ?」
康一は承太郎の問いに首を振った。あの虹村形兆の襲撃から一週間、康一は自らの能力の習熟がてら、この場所にて情報を探っていた。
能力の使い方は大分なれたと言っていい。以前、超能力はその力の弱さゆえ使い道が限定し、スタンドに至っては力そのものを把握していなかった。
だが今は違う。承太郎のアドバイスの元、自らの力を把握し始めている。
なにより、自らの持つ《異能》の方向性には引かれるものがあった。
(この力は色々な使い方ができる)
『音』、それは空気の振動である。康一の能力はそれに直接的に干渉し、様々な加工が出来た。力も応用性が利けば有用な武器にも道具にもなる。
武力がある事に越したことは無いが、康一は自らの能力が暴力以外の使い道が多々ある事が嬉しかった。
「そうか。じゃあそろそろ行くぞ」
「は、はい」
康一は去っていく承太郎の背中を追いかけた。
口数が少ない承太郎だが、その実かなり面倒見が良い事を、康一は一週間共に動いて知っていた。
康一の傷でさえ、承太郎がこの麻帆良にいる魔法使いに働きかけて、魔法による治療をしてもらったのだ。
(魔法か……)
体中に穴が開いていたはずなのに、もうほとんど傷口は分からなかった。治療を受けた当日はまだ鈍い痛みが残っていたものの、次の日には痛みはまったく残っていなかった。
(二回目、なんだよな)
麻帆良側が言うには、どうやら康一は以前にも治療を受けていたらしい。そう、康一が入院する切っ掛けとなったあの事件の時だ。
(魔法があれば、もしかしたら――)
絹保も助けられるのでは、という甘い幻想が過ぎる。
しかし、康一は思い出す、〝■■〟が言った言葉を。
――おっと、超能力や魔法なんかで無理やり起こしてもルール違反だからね、気をつけたまえ。
(〝アイツ〟は魔法の存在を知っていた。その上で、この街で何かをしているのか)
目的は何なのか、単なる愉快犯なのか、何故自分が狙われたのか。それらが判然としなかった。統一性の無い、愉快犯の様にも思えるが、魔法使いの膝元で捕まっていないあたり知能犯にも思える。
(僕が考えても思いつくものでもないか)
二人は階段を降り、建物の一階にやってきた。彼らが居たのは七階建てのマンションだった。
学園に近いそのマンションの周囲には、早くも学生が入り乱れている。
今年の学園祭の準備期間は、例年より短いためほぼ自由登校になっている。朝のホームルームにさえ出れば出席扱いになり、その日一日どの様に過ごしても構わない。
おおまかに言えば、クラスの出し物の準備に参加する生徒、部活の出し物の準備に参加する生徒、サボる生徒、の三通りに分けられた。もちろん康一は三番目だ。
康一のクラスはどうやら何かを販売するらしい。荒稼ぎするべく仗助が張り切っていた。薫はしぶしぶといった体だったが。
そんなクラスから密かに抜け出しつつ、康一はこうやって街を徘徊していた。
「あっ!」
そんな時、康一は聞き覚えのある声が耳朶に響く。
振り向けば、一人の女子中学生が自分を指差していた。
「確か、君は……」
見覚えはある。先日、康一が襲われた際に一緒に巻き込まれた少女だ。
「はい、柿崎美砂です! 覚えてたんですね、康一さん!」
美砂は屈託の無い笑顔で康一に近づく。
「あ、空条さんもこんにちわ」
「あぁ」
おまけの様に扱われながらも、承太郎は口数少なく答える。
「えーと、柿崎さん」
「いやだなぁ、年下なんだから美砂って呼び捨てでいいですよ」
年下と言いながらも、美砂は康一より背が高い。康一も美砂の嫌に馴れ馴れしい態度に辟易する。
「う、うん。美砂ちゃん、それでどんな用事が――」
「そうなんですよ。私クラスの出し物で買い物頼まれたんですけど、皆忙しくて一人なんです」
「ふーん、そうなんだ」
なんとなく話の先が読めた気がする。
「それで康一さん、お暇なら買い物に付き合ってくれませんか?」
美砂はそう言うが、実際は先程まで釘宮円が一緒に付いて来ていた。ただし、康一を見かけた美砂に追い返されたのだ。
「あー、うん。でも――」
ちらちらと承太郎に助けを求める康一。だが康一の背後からは、美砂の懇願の瞳が承太郎に向けられている。
美砂とて危機感は薄いが、現状を知っている上で遠まわしに承太郎に許可を求めていた。
「……かまわん。行って来い」
「えぇっ!?」
「やったー!」
承太郎の返事に、康一は驚き、美砂は喜んだ。
ぶっちゃけ承太郎も美砂の扱いが面倒くさくなったのだ。
それに、何処にいるかも知れない人間を、男二人で手がかりも無く追い続けても意味は無い。
「何かあったら電話をくれ。すぐ駆けつける」
そう言うなり、承太郎は康一を置いて歩き始めた。
「え、あ、そんな。承太郎さ~ん!」
「ささ、行きましょう。康一さん」
美砂にずるずると引っ張られる康一。さながら強引な姉と弱気な弟の様な図だが、年齢は逆だ。
承太郎は歩きながら、内心ほっとしていた。
ここ数日の康一は、気を張り詰め過ぎていた。自らの力の使い方を知り、ひたすらにその修練もしている。彼がここ数日、学友などと話している姿も見ていない。
そういう意味では、美砂は彼にとっての良い気休めになるのではとも思っている。
それに――。
(『スタンド使い』は惹かれあう)
スタンド使いの多くが、この言葉を聞くと頷いてしまうだろう。絶対数の少ないスタンド使いだが、同じ街にいるだけで自然と出会い、なぜか戦う。承太郎の知るだけでも枚挙に暇が無い程だ。
ならば、この事件の真犯人とて例外では無いだろう。いずれ相対する事になるはずだ。
だが、それでも腑に落ちない事がある。
(虹村形兆――スピードワゴン財団の監視下の元、爆発して死亡)
ある程度の予測はあったが、形兆は尋問するまでも無くその命を絶たれた。
密室の中で、体の内側から弾ける様にして肉片へと姿を変えてしまった。部屋内部の肉片などの検分を進めた限り、爆弾に使われるような火薬や金属片などは発見されいない。
ならば必然、魔法やスタンド、超能力といった特殊な能力になる。
(真犯人の力――スタンド能力は爆破? 爆弾?)
推察は出来る。それでもその能力の大きさには驚かせられる。
判明しているだけでも音石明、虹村形兆、広瀬康一、湾内絹保の四人がその能力により枷がはめられている。どの人物が、どの時期に枷をはめられたか判明してないが、少なくとも三人以上同時に能力の対象に出来るようだ。
(能力が強すぎる、本当に〝スタンド〟なのか?)
スタンド能力の強さは距離に比例する。例外はあるが、強いスタンド能力ほど効果範囲は狭くなる傾向がある。
それから考えると、この能力は範囲の制限すらなく、相手に束縛を与え、更には何かしらの法則の元に対象の殺害まで行なえる。
ありえない――とは言えないのが『スタンド能力』だが、不可解ではあった。
(いや、違う。俺は何か勘違いをしていないか)
承太郎は麻帆良を歩きながら、思いを巡らせた。
(そうだ、何故俺は〝犯人が一人〟だと思っているんだ)
知らず、犯人像を絞っていた。
犯人が自らの存在を隠す事を徹底してるため、いつの間にか犯人を一人だと思っていた。音石明は〝アノ人〟と言い、康一は〝ヤツ〟や〝アイツ〟と対象を単数として証言している。
その言葉が承太郎の思考を誘導していた。
可能性として注意しておくべきだ、そう思いながら承太郎は黙考を続けた。
◆
「やっぱりね」
ドクターは千雨の腕を触診しながら、納得する様に呟く。
「やっぱり、ってどういう事だよ」
「ははは、大丈夫。焦らなくてもいいさ、問題なし、健康だ」
千雨の顔色を察し、心配させない様にドクターは笑う。
「まぁ簡単な話さ。千雨の閾値(しきいち)が上がったに過ぎない」
「しきいち、ですか?」
聞き慣れない言葉に、背後で見守っていたアキラが質問する。
「あぁ、簡単に言えば千雨の人工皮膚(ライタイト)の能力が上がったって事さ。いや馴染んだといった方が正しいかな」
「はぁ……」
あまり要領を得ない様だ。
「人工皮膚(ライタイト)は本来千雨の実際の皮膚では無い。それが今までもそこそこ馴染んでいたんだが、ここに至って〝馴染みきった〟って事さ。それでいらなくなった人工皮膚内の余分な金属を皮膚から体外へと排出したんだ」
ドクターは近くの端末に、簡単な図を表示させながら説明する。千雨はもちろん、アキラや夕映もなんとなく理解したようだ。
夕映がぴょこんと挙手をした。
「質問です。それではこの様な現象はこれからも起こるのですか?」
「うーん、絶対無いとは保証出来ないが、僕はもう起こらないと思うよ」
ドクターは懐からタバコを取り出したが、それを千雨に奪われ苦笑いを浮かべる。
「正直、千雨の閾値は頭打ち――これ以上の成長は望めないだろう。現状でもはっきり言って異常な数値なんだ。《学園都市》での一件での能力の急激な成長があり、ここに来てこんな事が起きたんだろうね」
ドクターは手持ち無沙汰に、テーブルに乗っていた冷えたコーヒーカップを引き寄せて、一口飲んだ。
「健康診断は終了ってわけさ。そういえば千雨、ウフコックが何か話があるみたいだよ、学校に行く前にちょっと隣に寄っていってもらえるかな」
「先生が? あぁ、じゃちょっと行ってくるわ」
千雨は立ち上がり、部屋を出て行こうとする。ドクターは一緒に立ち上がろうとするアキラや夕映に目配せをした。
「千雨ちゃん、私達ちょっとイースターさんと話あるから、先行ってて」
「お、りょーかい」
アキラの言葉に千雨は頷きつつ、部屋を出て行く。
残ったのは三人、アキラと夕映と、ドクター・イースターだ。
「えぇっと――」
「どちらでしょうか?」
ドクターの言葉に、夕映が言葉を重ねた。
「どちら、とは何がだい?」
夕映は「ふぅ」と溜息一つしつつ、ドクターをジロリと睨みつけた。
「この場合二つしかないでしょう。『私達だけに話す事がある』のか、もしくは『私達に話を聞かせたくない』のかデス」
「うん。相変わらず聡いね。この場合は後者かな、君達に千雨とウフコックの話を聞いて欲しく無かった――いや、千雨とウフコックの〝二人だけにさせたかった〟かな」
「そう……デスか」
そのドクターの言葉から分かる事は多くない、だが明るい話題では無いのだろう。
アキラは無言で壁を見つめた、その向こう側にはウフコックがいる部屋があるはずだった。
◆
「先生、来たぜ」
ノックもせず、気安い足取りで千雨は部屋に入っていった。
部屋の中は相変わらず雑多であり、中央ではウフコックが溶液に満たされたカプセルに身を沈めている。
ネズミサイズの体を考えれば、明らかに大きさが合っていないプールだ。千雨も漬かれそうな大きさのカプセルの中で、ゆっくりとウフコックが目蓋を開けた。
〈千雨、来たか〉
カプセル正面のスピーカーから、ウフコックの声が聞こえる。いささかノイズも伺えるが、千雨は余り気にしなかった。
「あぁ、久しぶり、先生。悪いな、最近色々忙しくてさ」
以前はほぼ毎日ウフコックの所へ通っていたが、ここ数日は顔すら見せられなかった。
千雨は謝罪をしながら、椅子を一脚引っ張り、ウフコックの前に座る。背もたれに両肘を乗せ、だらしなく頬杖を付いた。
〈文化祭、とやらはどうだ?〉
「どうだ、ってもまだ始まってないんだけどな――まぁ準備期間でも充分うるさいよ」
何かを思い出したのか、千雨がキシシシと笑い出す。
〈ん、どうした?〉
「いやさ、聞いてくれよ。この前、超の屋台のバイトやってる時にさ――」
千雨はこの一週間で起きた様々なトラブルを話す。その度にウフコックは相槌を打ったり、助言を与えたりする。
他愛も無い雑談、以前であれば日常的に交わされていた会話だろう。
「――ってさ。あ、そういえば先生も話あったんだよな」
〈あぁ〉
ウフコックはためらいながら答える。
〈千雨、そこの机の上から二段目の引き出しを開けてみろ〉
「二段目、これか?」
千雨はウフコックの指示通りに引き出しを開けると――。
「これって……」
引き出しには拳銃が入っていた。千雨はこの銃を知っている。
表面は白く、鮮やかな光沢を放つ。流麗なデザインの回転式拳銃。
千雨がかつて二度の戦いで使った《千雨の銃》。千雨の願望やイメージを、ウフコックが具現化した銃だ。ただその時と違うのは撃鉄だ。かつて撃鉄は内部に埋まるように作られ、ウフコックが共にいないと撃つことが出来なかった。だが、この銃は撃鉄は通常の銃と同じく、外部に露出している。
千雨はズシリと重い拳銃を握った。弾倉にはきっかり六発弾丸が入っている。引き出しを見れば予備の銃弾とガンベルトが見えた。
知覚領域で内部まで知覚すれば、どれもこれもが見事な精度で作られている。明らかにメイド・バイ・ウフコックだと分かる一品だった。
「先生……どうして、これが」
千雨の静かな怒りは、怪我をしているウフコックを叱るものだった。体調が悪いにも関わらず反転(ターン)し、これを作ったのが分かったからだ。
〈状況は聞いている。もっと早くに渡したかったんだがな〉
ウフコックはカプセル内にぷかぷかと浮きながら、淡々と話す。
「だからって、それは先生が回復すれば済む話じゃねーか。もう少しなんだろ、わたしはそれまで待って――」
〈千雨〉
千雨の声をウフコックが遮る。
〈良く聞け。私はもう長くない〉
「……は?」
沈黙が室内に広がった。千雨はただ目を見開き、ウフコックのいるカプセルを見つめ続けた。
「いや、だって、ドクターが治療中だって、それに先生は不死なんだろ、なのに」
〈ドクターには黙っていて貰った。奴を責めないでくれ〉
焦る千雨に、ウフコックはゆっくりさとす様に話す。
〈私は確かに不死に近いだろう。肉体を幾つもの別次元に格納している。例え現在のネズミの姿をミンチにされようと、おそらく少し経てば復活する事が出来るだろう〉
「だったら、なんで」
〈だが、不老では無い。私の肉体は膨大だ。年を経ればその分、肉体は比例して巨大になっていく、際限無くだ。何れ自重を支えきれなくなり、私は自らの肉体に殺される。それも本来ならもっと先だったのが〉
千雨はごくりと唾を飲んだ。その言葉の先が分かったのだ。その時、千雨は気を失っていたが、後にその場の詳細は聞いている。
「《学園都市》での、スタンドなのか?」
〈そうだ〉
思い出されるのは《学園都市》で遭遇したスタンド使い、その能力は周囲の生物の老化だった。ウフコックはその能力の影響を受けて暴走したらしい。結果、夕映を救う事にも繋がったのだが。
(また、なのか)
ギリリ、と千雨は歯を食いしばる。「またスタンドか」という思いと、自らがウフコックを学園都市に連れて行ってしまったという悔恨の思いが巡る。
〈私の根幹そのものに大きな歪みが出来てしまった。もはや修復も出来るまい〉
「うぐ、いや他にもあるだろう。《楽園》に行くとか、それに魔法だって!」
千雨の言葉に、ウフコックはただ首を振り、否定した。
〈《楽園》とて不可能だ。私を作られた時にいたプロフェッサー、――三博士は、もはや《楽園》に一人しかいない。それに今《楽園》は衛星軌道上にある、生半可な手段じゃ辿り着けまい。魔法に関しても、ここの司書をしているクウネル氏に助力を願ったが無理だった〉
「あ、あんなエセ魔法使いじゃなくて、もっとすげぇ魔法使い呼べば、大丈夫かもしれねぇだろ」
千雨は縋る様に可能性を探す。
〈学園長殿によれば、クウネル氏は世界でも十本の指に入る魔法使いだそうだ〉
「そん、な」
体中にブワリと冷や汗が浮かんだ。恐ろしい想像が頭の中に次々と沸いてくる。そして一緒に思い出されたのは、半年以上前のあの夜、両親と過ごした最後の日。
「はっ、はっ、はっ」
呼吸が浅く速い。手がカタカタと震え、体中の力が抜けて膝を付きそうになる。なんとか机に体を預け、体勢を維持した。
〈千雨、落ち着け。これは私にとっての寿命なのだ。それが少しだけ早い形で現れたに過ぎない〉
ウフコックはあえて〝首輪〟の影響は話さない。千雨に人権的な保護を行なうために、《学園都市》に対価としてはめられたウフコックへの枷。千雨の能力『電子干渉(スナーク)』を意図的にループさせ、単身で《学園都市》をも制圧させてしまう力『ループ・プロセッサ』を封じるためにはめられたのが〝首輪〟だった。
本来、千雨がその力を使う事により、ウフコックは人格を歪ませる程の苦痛を覚えるはずだった。逆を言えば、能力さえ使わなければ問題無いはずの首輪、しかして今回はその首輪こそがウフコックの根幹を歪ませたのだ。
ウフコックの治癒は、ドクターとクウネルが協力し合えば可能だったかもしれない。だが、それを妨害させる程の歪み作ったのが〝首輪〟だったのだ。
捨てられた仔犬にはめられた首輪が、やがて成長するにつれて首に食い込み、その成長を歪ませるように。ウフコックの人格と精神にも、強く歪みを作っている。
急激なウフコックの老化は、彼の芯を確かに歪にさせたのだ。肉体の成長に限界を作られていないウフコックには、その歪みこそが危険なのだ。
千雨の力を最大限に使えば、おそらく以前ならば〝首輪〟は外せた。しかし、もう遅い。〝首輪〟は力強くウフコックの首元に食い込み、彼自身の崩壊を想定しなければ外せないだろう。
「うぅっ、うっ……」
千雨はぽろぽろと泣き出した。彼女のそんな姿を前にして、ウフコックは真実を言えない、言える筈が無い。
千雨の姿は、半年前に《学園都市》で目覚め、両親の死を知り泣きじゃくった姿を思い出させる。
それに言ってしまえば、おそらく千雨はよりウフコックに依存してしまう。彼女は〝卵〟なのだ、まだ殻を破らずにひっそりと羽根を休ませている雛。自分はきっと彼女を覆う殻なのだろう。
雛が殻に依存する、それは馬鹿げた光景だろう。だから言う、ウフコックはその言葉を。
〈千雨、私はお前の何だ?〉
「えっ――」
ウフコックの言葉に、千雨は一瞬涙を止める。
幼い顔立ち、半年前に比べれば少し背が伸びただろうか。そんな取り止めも無い事を思いながらも、ウフコックは言葉を紡いだ。
〈親か、兄弟か、師か?〉
「っ」
千雨は口をつぐむ。心の端にチクリと何かが刺さった。
〈私を通して、両親を見るな。私は所詮ネズミだ、人とは生きる時間も違う〉
「違う! 先生、わたしは先生を――」
口では否定するも、千雨はウフコックに失った両親を重ねている事を自覚していた。
〈私はお前の両親にはなれない。兄弟にも、師にも〉
「先生、やめてくれ!」
千雨は泣きながら首を振る。
〈私が成れるものなど一つしかないだろ。だから――〉
ダン、と机を叩く音が響いた。千雨は机を力まかせに殴ったのだ。
「もういい! 先生は私が治す。治してみせる」
そう言うなり、千雨は部屋を出ようとする。
〈待て、千雨。行くのなら銃を持っていけ〉
「いらねえよ。先生を治したら、もういらなくなるだろ」
〈千雨ッ!〉
ウフコックの強い声色に、千雨は怯えながらも振り向いた。
〈お前には守りたいモノがあるはずだ。だったら銃を持て、そうでなければまた繰り返すぞ〉
「――ッ!」
ウフコック自身、意地悪な囁きだと理解している。だけど、今は千雨の手に銃は必要なはずだった。
千雨は顔を歪めながら、早足で机に戻り、銃と弾丸を引っ手繰る様に抱える。
〈それでいい。学園祭の前にすまなかったな〉
「うるせぇ、先生は私が治してやるから、おとなしく寝ていろ!」
ウフコックは肩をすくめながら、部屋から出て行く千雨の背中を見つめ続けた。
金色の毛の中にある真っ赤な瞳が、どこか寂しそうに光っていた。
◆
街には夜の帳が落ちていた。
あの後、千雨は学校に行かず、人目の少ない場所で時間を潰した。
アキラと夕映にも連絡はいれてある、二人も心配していたが「一人にしてくれ」と無理やりに通信を切った。
以前、承太郎と初めて出会った公園。
麻帆良を見下ろすように出来た、小さな丘に出来たそこで、千雨はベンチで膝を抱えていた。
思考はウフコックを救う事に終始している。
(ドクターは治せない。《楽園》も駄目。魔法使いも治せない)
千雨の知る限りの可能性を検討していく。
(《学園都市》か? でも《楽園》でさえ出来ないのに、あそこで出来るのか)
施設や場所だけでない、千雨は今までに様々な異常なモノを見てきた。
(ならばスタンド能力は? 先生を老化させる力があるなら、治す力があるかもしれない。承太郎さんに聞いてみるか?)
しかし、スタンド使いは絶対数が少ないと聞く。過剰な期待はしない方がいいだろう。
(いや、待て。今この街にはスタンド使いを発生させる《矢》があるんだ、ならば――)
どす黒い思考が千雨の中に広がった。
〝治せる者を探す〟のでは無く〝治せる者を創る〟という思考。一瞬、甘美な妄想に思えるものの、その思考をどうにか振り切った。
(駄目だ。それじゃ駄目なんだ。だけど、あの《矢》の凄さが分かった気がする)
《矢》という存在がどれほど魅力的なのか、そしてどれほどの可能性があるのかを。
犠牲を考えなければ、おそらく様々な奇跡が可能となる。もちろん創りだしたスタンド使いが自らに牙を向く事もあるだろうが。
承太郎が言うには、様々な外部の組織からも、《矢》目当てにこの麻帆良へと圧力がかかっているらしい。
切羽詰った千雨としても、その気持ちはなんとなく理解できた。
「八方塞がりかぁ……」
そう思うと、体が一気に冷えた気がする。ウフコックを失うという想像が、千雨の心を萎縮させる。
「あるはずだ、何か先生を救える方法が」
魔法使いという、オカルトで不可思議な存在が匙を投げている。他にどんな方法が――。
「あっ」
千雨は思い出す、一週間前に見せられたアレを。
「そうだよ、いるじゃねぇか」
バイト先のオーナーである少女、彼女のいう事が確かなら。
「未来人の天才がいるじゃねーか」
超鈴音、ウフコックもドクターも、彼女が未来人だという事は知れない。
それにただの未来人なら無理かも知れないが、彼女はなんて言ったって天才だ。もしかしたら、という可能性がある。
今、ドクター達が思いつかず、千雨が思いつく存在は超だけだった。
ベンチから立ち上がる。
「携帯で……いや、今ならまだ屋台にいるのか」
もう営業時間は終わっているが、今なら会えるかもしれない。
千雨は公園を飛び出した。
坂を一気に走り降りながら、前夜祭に浮かれる街中を疾走した。
通りは夜ながら、なかなかの盛況であり、そこらかしこから喧騒と音楽が聞こえた。
学園祭前夜という事で、夜遅くても多少の融通は効いているのだ。その分、警備は強化されているが。
そんな中、焦りすぎたせいで千雨は人とぶつかってしまう。
「おわっ」
「おっと」
そのまま尻餅をつく。
ぶつかった相手は男性の様だ。二十台後半ぐらいの男性は、ブランドものだろうジャケットを小脇に抱え、ワイシャツにスラックスという姿。ジャケットを抱えてる腕の先には、少しこじゃれたバッグを持っていた。
胸元のネクタイは紫といういかつい色をしながら、彼の存在そのものはシックであり、人波に容易に埋没する様な印象だった。
「あぁ、すまないね」
「いえ、こちらこそすいません」
謝罪の言葉に、千雨もおうむ返しの様に言葉を返す。どう考えても千雨の前方不注意だった。
どうやら男性もよろついた様だが、千雨の様に倒れはしなかったらしい。
千雨の目の前に、男性の手の平が差し出される。
「あ、ありがとうございます」
「いや、かまわないさ」
その手を握り、男性に引っ張られて千雨は起き上がった。そしてそのまま会釈をしながら立ち去ろうとするも――。
「あ、あの」
男性の手は離れていなかった。千雨の手をしっかりと握り続けている。
手は握られたまま、男性の親指が千雨の肌をまさぐる様に、くにくにと動いた。
「ひっ」
ぞわり、と鳥肌が立つ。言い知れぬ嫌悪感。目の前の紳士然とした男の目が、ギラリと光った気がする。
千雨は怯えるように、その手を振り切った。
「あ、いや、余りにも綺麗な肌でね。思わず職業柄見とれてしまった、本当にすまない」
男性は両手を挙げながら、大げさなまでに頭を下げて謝罪した。
その態度に、いぶかしげながらも千雨は幾分安心する。
(な、なんだ。もしかして化粧品とか取り扱ってる人なのかも)
ぺこぺこと謝罪する自分より年上の男を見て、気まずくなった。
「いえ。き、気にしてません。あの、わたし急ぐんでこれで」
男性の反応も見ずに、千雨はそそくさと逃げ出した。
それでも、男性は千雨の背中に向けて謝罪をする。ただ伏せられた顔には笑みがあった。
千雨の肌を触った親指を、ぺろりと一舐めする。
「あぁ、なんて美しい〝手〟だ。長谷川千雨」
周囲に人が居るにも関わらず、男の声は誰の耳朶を揺らさない。
その醜悪な笑みさえも、見る人間はいない――はずだった。
「おい」
男の肩に手が置かれていた。男の背後には一人の男子高校生が立っていた。頭の両側を刈り上げ、頭頂部だけにパーマをかけた特徴的な髪型の高校生。
その目は決して友好的では無く、殺意に満ちていた。
「ちょっと面かせや、〝吉良吉影〟さんよぉ」
男――吉良吉影――は、高校生の言葉に愉悦も、落胆も、悔恨も、一切の感情を見せずに頷いた。
◆
街の喧騒から少し離れた場所で、吉良と高校生は対峙した。
「おい、てめぇ、虹村形兆って名前は知っているな」
「あぁ、知っているよ。まだ僕の中にしっかりと〝刻み込まれている〟」
吉良は抑揚無く淡々と答える。
「なら、話は早い。俺は虹村億泰、形兆は俺の兄だ」
億泰は怒りを滲ませながら、自らの存在を相手に叩きつける。
「ふむ、虹村億泰君か。覚えたよ、それで要件は何かな」
「――っざけんな! テメエのやった事はなぁ、兄貴からしっかり伝わってるんだよ!」
億泰は携帯電話の液晶を突き出す、そこに表示されているのは形兆が知る限りの吉良の情報であった。
「なるほどな、どおりで『ザ・ゲーム』の参加人数が減っているわけだ。君のお兄さんはゲームオーバーだ。残念だね」
「っ、この、野郎」
ブチブチ、と億泰の頭部に血管が浮かび上がった。
「わかってんのか、こいつを警察やらネットに流す事だって出来るんだ」
「でもしていない。それにしてくれても構わんよ、何しろ〝もう遅い〟」
時刻は遅い。学生中心の街ならば、本来静寂に包まれている時間帯だ。
だが年に一度のこの時期だけは、その規範は破られ、夜中でも喧騒が街を覆う。
もう少しで日付が変わる時間だった。
「あいつはなぁ、兄貴はクズだった。それでもよぉ、俺の残されたたった一人の兄貴だったんだよぉぉぉ!」
億泰が叫ぶ。
彼の背後に『スタンド』が浮かび上がった。力強さに溢れている、おそらくはパワー型のスタンドなのだろう。
「ほう」
吉良は感嘆の声を上げる。
「だからこそ、俺はキッチリとけじめをつけなけりゃならねぇぇぇ!」
億泰はそのまま吉良に襲い掛かる。背後のスタンドは、右手を――まるで凶器の様に――構える。
「『ザ・ハンド』ォォォォォ!」
ガオン、という音と共に『ザ・ハンド』は右手を振りぬいた。
「ちっ!」
吉良は脇に抱えていたジャケットを投げつけながら、背後へと転がる。手に持っていたバッグも、近場へとそっと転がした。
投げられたジャケットは右手に触れた途端、その存在そのものが消失した。
「俺の『ザ・ハンド』は触れた全てのモノを削り取る! あきらめな!」
その威力に冷や汗をかきながらも、吉良は冷静に対処をする。
「やれやれ、相変わらず頭の悪い兄弟だ」
吉良の傍にも、自らのスタンドが立っていた。ピンク色の肌をした人型のスタンド。『ザ・ハンド』と同じく屈強な姿である。
「『キラークイーン』」
吉良の手には、ジャケットから引き千切ったボタンが一つあった。それを億泰に向けて指で弾いた。
「甘いぜ、てめぇの能力は知って――」
「遅い」
億泰がスタンドで削りとる直前に、ボタンが爆発した。
爆発を幾分か削ったものの、そのダメージは億泰本人にも響いた。
「くっ! て、てんめぇぇ!」
億泰は肩膝を突きながら、吉良を睨みつける。吉良は悠然と立ちながら、億泰を見下ろした。
「君の能力は強力が、如何せん使い方が悪い」
「へ、ご説教ありがとうよ。けどもさぁぁぁ!」
億泰はその場で『ザ・ハンド』を振るった。ガオン、という音と共に周囲の〝空間〟が削られる。
「なにっ!」
空間はその穴を埋めようと周囲の物を引き寄せた。そして吉良もそれに巻き込まれる。
吉良はいつの間にか億泰の間近へと移動していた。
「貰ったぜ! 『ザ・ハンド』ォォォォォォ!」
「くそぉぉぉ、『キラークイーン』!」
『ザ・ハンド』は吉良に向けて右手を振り下ろす。対して吉良は自らのシャツのボタンを引き千切り、爆発をさせた。しかし、そのどれもが億泰に捌かれてしまう。
「このぉぉぉぉ!」
スタンドでどうにか攻撃を避けようとするも、相手のスタンドは空間そのものをも削る。
吉良は体を捻って避けようとするが――。
「ぐあぁぁぁぁぁ!」
左腕を肩口からごっそりと『ザ・ハンド』に削られた。
吉良は痛みでうずくまる。その姿を、今度は億泰が見下ろした。
「さっきまでの偉そうな姿はどうしたんだよ、殺人鬼さんよぉ」
億泰は吉良への警戒を解かないまま、先ほど地面に転がされた吉良のバッグへと近寄った。
「き、貴様、まさか」
「へへへ、こいつかな」
足先でバッグをひっくり返すと、中から異物がゴロリと落ちた。
手。
それは人の手だった。手首で寸断された人間の手、華奢なその作りと大きさは成人女性のものだろうと推測できる。
「やっぱり、この情報はマジモンなのか」
億泰は携帯を見ながら、吉良の事を確認する。
「手首フェチの変態殺人鬼。俺の兄貴もクズだったが、お前も終わってるよ」
「たのむ、たのむから彼女だけはぁ」
億泰へ懇願する吉良。だが、それは無常にも叶えられなかった。
「それはできねぇ相談だわな」
ガオン、とスタンドの右手が振られ、女性の手首は消滅した。
「あぁ……」
それを見て、嘆きの表情をする吉良。
「さてと、それじゃあ――」
「ははははははッ!」
億泰の呟きを、吉良の奇声が遮った。
「そうか、そうなのか。虹村億泰、君は僕の中に刻み込まれた」
泣き笑い、とでも云うのだろうか。狂気に満ちた表情で吉良は言う。肩からは血が溢れ、とめどない痛みがあるはずなのに。
「てめぇ、何を言ってる。本当に狂っちまったのか」
「狂っている? あぁ、狂っているさ。この麻帆良という土地は、土地そのものが狂っている」
血は地面に水溜りを作っていた。吉良は青白い顔をしながらも、意識ははっきりとしている。その顔を見ると、億泰は怖気が背中に走った。
「だが、私はこの場所を愛してしまった。だから、だから私はぁぁぁぁぁ!!」
「ご高説は地獄ででもしてろ! 狂人に付き合う義理はねぇぇんだよぉ!!」
億泰は『ザ・ハンド』を吉良の頭部に向けて振り下ろす。その威力は地面すらも抉り取った。
しかし――。
「な、なんだよ。なんで、今」
削ったはずだった。しかし、億泰は今しっかりと見たのだ。頭部を削り取る瞬間、〝吉良の姿そのものが消えた〟のを。
きょろきょろと周囲を見渡す。
その時、夜の十二時を知らせる鐘の音が鳴った。
上空に、どこかのサークルが打ち上げたのだろうか、余興の小さい花火が空を彩る。
空に輝く光が、億泰の視界を一瞬染め上げた。
「ど、どこに――」
「《負けて、死ね》」
声が聞こえた。
同時に、ずぷり、という音と共に億泰の胸元から手が生える。いや、生えたのでは無い、貫かれたのだ。
「がっ……はっ……」
億泰の口から血が溢れだした。体から力が一気に抜けていく。それでも必死に抵抗を試み、胸を貫いている腕から脱した。
そして、かろうじて首を動かして背後を見る。
「な……、なんで……」
そこに立っていたのは、紛れも無く〝吉良吉影〟だった。
〝五体満足〟であり、〝ジャケットとスラックスを着て〟、〝手にはバッグ〟を持っている。
彼の胸を貫いていたのは、吉良のスタンドの腕だった。
「まさか僕にアレを使わせるとはね。だが、ありがとう。おかげで私は一つ賢くなった」
無傷の吉良吉影がそこにいた。
億泰は血で言葉を詰まらせながら叫んだ。
「げはっ! まだ、だ。まだ兄貴、に、虹村形兆の仇はとれて、ねぇぇ!」
「虹村形兆?」
その言葉に、吉良は首を傾げた。
億泰の背後でボロボロの姿の『ザ・ハンド』が立ち上がるも――。
「――くたばれ」
ボソリと呟かれた吉良の一言を切っ掛けにして、億泰の体が内側から破裂した。
断末魔の言葉すらなく、億泰は肉片となって生を終えた。
吉良はスタンドを使い、飛び散る血や肉片から自分を守ったものの、ジャケットの裾に血の染みを見つけて顔をしかめた。
「まいったな、こいつは落ちそうにない」
そのまま何事も無かったかのように踵を返す。
日付を跨ぎ、いつのまにか学園祭当日になっていた。
だが、まだ日が昇るまでは時間がある。
「そういえば、虹村形兆と言っていたな」
億泰の最後の言葉を思い出した。
「はて、一体どんな人物だったのだろう」
心底不思議そうにしながら、吉良吉影は夜の中に消えていった。
●吉良吉影
・スタンド名『Queen』
第一の能力『キラークイーン』
触れたものを爆弾に変える。
対象は一つのみ。
第二の能力『ザ・ゲーム』
条件付爆弾。
能力者本体がリスクを背負い、相手にルールを強制する爆弾。
ルールに従わねば爆弾が発動する。
またそれらの条件は、あくまで能力者本人の価値観により対等であり、決してフェアでは無い。
第一章において、音石明を殺した能力である。
第三の能力『■■■■■■■■』
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つづく。
(2011/09/13 あとがき削除)