千雨とウフコックは自室で夕食を取っていた。とは言ったところで、典型的な現代っ子の千雨が料理ができるはずもなく、簡素なカロリーブロックをもそもそと口に放り込み、牛乳で押し流している。
ウフコックもネズミの姿に戻り、自分用に調整された食事をカリカリと摂取していた。
ちなみに千雨の食べているカロリーブロック。実は学園都市謹製の最新技術により作られた一級品で、一般流通してなかったりする。そのため市場ではプレミアにより価格が高騰していた。ネットオークションに流せば一箱ウン万円というアホみたいな価格であり、千雨が胃に流し込んだ分だけでも、近場の焼肉屋で『メニューの高いものから三つ』が平気でできてたりする。
千雨達が丁度食事を取り終えた時、コツコツと控えめなノックが聞こえる。指先に付いた残りかすをぺろりと舐めつつ、千雨は玄関のドアを開けた。
「長谷川さん、準備はよろしいですか?」
動きやすそうな私服にバックパップにヘッドライト。さらに足には編み上げのサバイバルブーツと完全装備な夕映が立っている。時間と周囲の人影を気にして、声を潜めながらの訪問だった。
「あぁ、丁度夕飯も食べ終えたところだよ」
「? ずいぶん遅い食事デスね」
「ちょ、ちょっとな、色々あって」
「太りますよ?」
千雨の頬がヒクヒクと引きつった。
第3話「図書館島」
今日の放課後、図書館島を案内された千雨だったが、なんだかんだ言いつつも五時ごろには帰宅していた。今は九時を回ったくらいである。じゃあその間何やってたのか、と言うと例の本の分析だった。
図書館島で魔法が掛けられているだろう本を数冊、千雨の能力で出来る限りの情報をサンプリングし、記憶野に保存しておいたのだ。自室に戻った後、部屋のパソコンに電子干渉(スナーク)をし、モニタにデータを出力。自らの電子干渉ネットワークを形成し、幾つかのサブノートをも並列演算させながら、ウフコックとあーだこーだと検討していたのだ。
千雨自身、演算能力には秀でていても、物事を調べ、検討し、判断するといった事は人並みなのだ。なのでウフコックにもお知恵拝借とばかりに検討に付き合ってもらっていた。
そして気付いたらこんな時間、と相成ったのである。
千雨は夕映の後に付いて、寮の廊下を歩いていた。まだ九時過ぎと言うのに人影はほとんどない。
だが、それも仕方の無いことだった。『寮』とは言うものの、それぞれの部屋にはキッチンにシャワールームが付き、部屋の出入りの際に靴を履き替えるため、廊下は土足。実質アパ-トメントに近い作りをしており、自室だけでほとんどの事が済むのだ。
また、寮内にも簡単な小規模店舗がいくつかあり、生活品程度には困らない仕様になっていたりする。
寮の管理人が厳しいというのもあり、夜の寮の廊下はひっそりと静まり返っていた。
千雨自身も管理人の話を噂で聞いたが、そんなに厳しそうには思えなかった。いつも正面玄関の窓口に座っている女性である。美人なのだが未亡人だという話だ。いつも付けてるヒヨコエプロンが嫌に印象的である。
思索にふけっていたら、いつの間にか目的の場所に着いたらしい。寮二階のサロンのバルコニーである。
「ここは女子寮に代々伝わる秘蔵の脱出スポットなのデスよ」
バルコニーの柵、その右から三番目の柱の根元をクイと回す。そうすると柱がスポリと床から抜け、柵がドアのように開き、手すりとしての意味を無くした。
夕映は千雨を手招きし、柵の無くなったバルコニーから下を覗かせた。
「ほら、見てください長谷川さん。実はこの下は壁の模様に隠れて見づらいのデスか、一階まで降りれるようなはしごになっているのデスよ。」
「うわ、本当だ……」
降りる先には、先行した木乃香達三人が手を振っていた。
「さぁ、行きましょう、長谷川さん!」
「お、おう」
ちなみに夕映達は完全な脱出劇をした、と思ってるが実際は甘い。千雨ですら驚く技術で作られた警備システム。それが見逃すはずがない。
管理人室に置かれたモニターには、はしごをえっちらおっちらと降りる二人の姿は鮮明に映っていた。
あらあら、と言った風情で見守る管理人さん。時折あるこの手の違反も、麻帆良の技術を持ってすれば完全に防げるのだが、それはそれ。自分の目の前でやったり、よほどの非行に走らない限り、管理人は大体見逃しているのだ。
それに、金曜の夜に図書館探検部が抜け出すのは例年の事である。それに、あちらには〝彼〟が居る。からかわれる心配はあれど、命の心配はまったく無いであろう。
千雨達の姿はモニターにはもう映っていなかった。
◆
女子寮を無事脱出した(?)千雨達は、図書館島の内部へと進むべく、島の裏手にある出入り口の前に立っていた。
「ここが我ら、図書館探検部秘蔵の第七秘密入り口デス!」
「第七?」
夕映の言葉に、千雨は首を傾げた。
「あんな~、図書館島内部への入り口はけっこうたくさんあるんよ。図書館探検部が発見できただけでも十五も見つかっとるんやで」
「だけどね、そのうちの八つは泥棒対策のダミーで、五つは表層のみへの連絡通路。実際に地下に繋がってるのは三つなんだけど、私達的にはここが一番オススメってこと!」
「あ、でもですね、歴代の部の活動記録を見ると、どうやら周期的に通路は塞がれたり開通したりしてるみたいなんですよ。なのでこの通路も実質『今のオススメ』って事になるんです……」
三人の補足に感心する千雨。
「へ~~……って地下っ!? 地下に何しに行くんだよっ!」
聞いてないぞ、と言わんばかりの剣幕だ、まぁ実際に聞いてないんだが。
「ふっふっふ、今更そんな事を言うデスか」
「愚問だね千雨ちゃん」
「そんなん決まってるやないか~」
「そ、それはもちろん――」
「「「「探検ですっ! 」」」」
四人の声が重なる。
「ア、ソウデスカ」
つまり具体的な目的は無い、と千雨は認識した。
探検部の四人はキビキビと装備を確認し始める。ブーツの靴紐を締め直し、ヘルメットを装着し、ヘッドライトの調整を行う。ザックから取り出すはロープ。のどかは缶詰や水の数を確認している。ハルナの手元には最新型の端末がある。
「あ、あれ?」
タッチパネル型の端末を弄っていたハルナが声を上げた。
「どうしたデスか」
「夕映~、どうしよう。なんかマップデータが開けないよ」
「またデスか」
図書館島の地下は、ゲームのダンジョンのような場所であり、命に関わらないものの数々のトラップが行く手を塞いでいる。迷路状になった通路も、探索や冒険の大きな障害となっていた。
そのため探索した際に得た、トラップなどのマップデータを探検部内で共有しているのだ。麻帆良工大の大学生――やっぱり探検部OB。現在は麻帆良工大図書館冒険部に所属――により作られたシステムが、それらを担っている。
もっとも、図書館島の地下は、目の前の入り口と同じく、頻繁に中の構造が変わる。そのため毎回のデータ更新が必須なのだ。利便性が良く好評なんだが、いかんせん学生の作ったものであり、時折この様なトラブルが起こっている。
そして、ハルナは高校生の男子部員達が三日ほど前に潜ったデータを受信したのだ。手元のディスプレイにはその内容がバグり閲覧できなくなっているのが映っている。
「どれ見せてみろよ」
何気なく近づいた千雨は、ハルナの端末を受け取る。
(エンコードでもミスったのか。読み込む際にファイルを破損しているな)
周囲に気付かれぬ様、千雨は電子干渉(スナーク)を発動させた。端末の記憶媒体に直接接続し、中身のプログラムそのものを精査する。思考を四百まで分割し、一気に分析する。
(プログラムの製作者は大学生か? 学生の割には良く出来てるが、こいつは端末側に負担をかけすぎだろ)
ソースに残った断片的な残滓、そこから製作環境や製作年度を割り出し、簡易的なプロファイルを行う。以前、麻帆良工大謹製のソフトウェアに含まれていた共有ライブラリデータが幾つか見つかったのだ。
(マップデータそのものは簡単に修復可能だ。ちょっとクライアントの方をいじるか)
そんな事を考えつつ、千雨は端末をポチポチと押す仕草をした。心配そうに見守る四人に対して口を開く。
「この程度、簡単に直せるぞ。それにちょっとソフトイジっていいか? バグらないようにしてやるよ」
「え、本当に? それにそんな事も出きるの?」
「まぁな、時間はかけないよ」
なにせ、千雨は無線状態で精密機器を直接ジャックできるのだ。端末の記憶媒体とパネルに接続し、演算を全て自分経由にした。この程度の事なら、手も触れずに一秒もかからず処理できる千雨だが、それは不審すぎるだろうと思い、ダミー情報をパネル表示させた。自らに干渉し、高速でデータ改ざんをしているように演技させる。
片手でタッチパネルを弄る千雨。高速で動かす指の先では、見るからに『デジタル』といったわざとらしい画面が、上から下へとアルファベットの羅列を流した。
「おぉ! 」
「よくわからないデスがすごいです」
「長谷川さんはパソコン得意なんか~」
「め、目が回りそうだね」
ソースコードのように見えて、実際は暗号アルゴリズムで変換した千雨自作のポエムなのは内緒だ。バックグラウンドではとっくにマップファイルの修復と、クライアントソフトの改良が終わっている。
変な罪悪感に苛まれながらも、一、二分ほどこの状況に耐えた。指が疲れ、演技が面倒くさくなったあたりでやめ、ハルナに端末を返す。
「ほらよ」
「ありがとう、千雨ちゃん! おぉ、直ってるし! しかも、ソフトも使いやすくなってるー!」
ペタペタとタッチパネルを弄りながら、興奮するハルナ。
(おおげさだなぁ)
〈いや、一般人から見たら驚くべき所業だろう。最近ズレてきたな千雨〉
辛辣極まりないウフコックのツッコミに、思わずORZフォームを取りそうになる千雨だった。
◆
地上にある図書館島の一般階層を見たときも驚いた千雨だったが、地下も負けず劣らずのトンデモぶりだった。
本棚だらけの開けた空間。時折街頭のような物が設置され、窓が一切無いにもかかわらず、それなりに明るい。水が流れる隙間を縫い、地面から生えるように立つ巨大な書架。そのの上を千雨は歩いている。
歩きつつ、千雨は内心で呟く。
(ど、どんだけ広いんだよぉ!)
ポツポツと周囲を照らす光が、見れば目線の先にどこまでも広がっている。東京ドーム○個分なんて例えがあるが、見える範囲だけでも二、三個は入りそうな感じだ。
さらに天井もとんでもない事になっている。『秘蔵の第七秘密入り口』とやらを入った後、十数分ほど続いたのはひたすらに階段を降りる事だった。降りに降りに降りて、たどり着いたのがこの図書館島、地下”一階”だそうだ。
地下一階を銘打ちつつも、天井は高すぎて見えないのだ。ヘッドライト程度では見えない高さらしい。
「長谷川さん、私達からはぐれないように気をつけてくださいね」
「お、おう」
端末でマップデータを確認しつつ、細心の注意を持って先行する夕映とハルナ。その背中を追い、千雨はおっかなびっくりに歩を進める。そんな千雨のさらに後ろには木乃香とのどかが付いていた。図書館島初心者の千雨のために、後ろから見守っているのだ。
本棚の天板を通路として歩きつつ進むのは、物を大事にしてないようで罪悪感を感じる千雨だが、実際のところ周囲にはそこ以外に進めるような場所がないとのこと。一見安全そうな書架の間の通路も、トラップが盛りだくさんらしい。
「いやー、千雨ちゃんのイジったこのソフト、調子いいね。それに先輩達のデータも今のところ大丈夫みたい。変更されたトラップも通路もないみたいだしね」
「油断は禁物デス。ありえない事が起こるのが図書館島デスから」
夕映がハルナを諌めた。
「ともかく、今日はこのまま進んで、地下三階の第二百八十二図書室を目指します。個人的にもあそこは珍しい自販機もあり、好きデス」
「あ、あそこは探検部でも行き着けの場所で、快適なスペースになってるんですっ」
「へぇ~」
のどかの補足に頷きつつ、『第二百八十二』という桁数はスルーする。ツッコむのが面倒なのだ。
千雨は周囲を見渡す。図書館島の地下は人の気配が無く、しんとしていた。にもかかわらず、施設としての設備はしっかりとしており、整備も行き届いているのだ。本や本棚をオモチャのように並べつつ、そこらかしこにトラップを仕掛ける。なのに荒廃していないあたりが凄すぎる。
視認できない巨大さを考えると、費用はとんでもないものだろう。
(本当にどれくらいでかいんだか。先生、ちょっと調べてみるわ)
〈気を付けろよ、千雨〉
腕時計の文字盤に写る黄色いネズミが尻尾を振った。
それに首肯で返しつつ、千雨は知覚領域を拡大させる。周囲二十メートルに綺麗な立方体を作った後、それを下へ下へと伸ばしていった。四角柱はグングンと伸び、概算で地下十階を越えた。
(深いなぁ)
やはりまったくの無人という訳ではないらしく、時折図書館島関係者だと思われる人を数人を確認する。だが、それと混じって、ありえないような動物の影も領域をかすっている。鱗で覆われた翼だ。そうファンタジーで見るドラゴンのような――
(まさかな)
歩きながら首を振る千雨に、木乃香は首を傾げる。
(お、なんだこれは)
部屋である。千雨の知覚領域が到達した先には一人の男が優雅に紅茶を飲んでいた。ぶかぶかのコートをきた美青年。だがどこか胡散臭さのようなものも滲んでいる。
それを領域越しにマジマジと観察していた所、男は口元に近づけようとした紅茶を止めた。周囲を睥睨した後、天井を見上げ、千雨のいる方向をじっと見つめる。
ゾクリ、と千雨に悪寒が走る。地下数百メートル先にいる男と目が合ったような気がする。男は千雨を見つめたまま、口元に笑みを作った。そして、口をパクパクと開く。
『コ・ウ・チャ・ハ・オ・ス・キ・デ・ス・カ?』
「ひぃいいいいいいい!!!??? 」
パニックになった千雨は知覚を切る。
突如奇声をあげた千雨に、夕映たちは驚いた。
「は、長谷川さん!」
「どったの千雨ちゃん?」
「あわわわわ、このかさぁぁん」
「だ、だいじょうぶやで。のどか」
夕映とハルナは千雨を心配し、のどかを腰を抜かして木乃香の腕に抱きついていた。
「だだだだだだだ、大丈夫だ。ぜぜぜぜぜ全然なんともないぜ。と、とてもクールなコンディション極まりないぜ、わたしはなァァ!」
涙目をしつつガクガクと震える千雨の言葉に、信憑性は皆無だ。
夕映は、千雨が何かを幽霊などと勘違いし怯えてる、と推測した、ハルナに目線で問うと、苦笑いしつつも同じ意見のようだ。薄暗く、人気の少ない図書館島を探検する際、この手のパニックになる人はたくさんいるのだ。言うなれば非常口の無いお化け屋敷みたいなものである。この状況で出来る事は少ない。
夕映は千雨に近づくと、震える手を取り、ギュっと掴む。
「安心してください、長谷川さん。大丈夫です。私達がいます。何も怖くないのデスよ」
頭一つ分小さい夕映が、千雨を見上げながら言う。
「だだだ、だからへへへへ平気だと、いいい言ってるだろ」
〈千雨……〉
あまりの体裁に、文字盤のネズミは肩をすくめた。
「無理しなくていいんデスよ」
掴まれた手のひらが、さらに強く握られる。夕映の熱が千雨に伝わってきた。震えが体中からスーッと消え、潤んだ視界が明瞭に戻り始める。
冷静さが戻り、現状を認識すると、千雨の顔が一気に紅潮する。
「あう、ああああうううう」
千雨は目をグルグルと回し、頭から湯気を昇らせる。今度は別の意味でパニックになっていた。
そんな千雨を、ハルナは嫌らしい視線で、木乃香とのどかは安堵したように見つめる。
「震えはどうやら止まったようデスね」
「あ、う、うん」
手を繋いだまま問いかける夕映に、顔を頷かせて隠したまま千雨は答えた。
夕映はハルナに先頭を頼み、千雨を引っ張る。
(こうやって手を引っ張られるなんて、いつ以来だろうな)
『ちーちゃん、早く、早く!』
『ちょっと待ってよ――ちゃんっ!』
脳裏によぎる過去の映像。おぼろげな少女の姿が夕映と重なった。
「どうしました、長谷川さん」
「い、いやなんでもねぇ」
千雨の視線に振り向く夕映。
ふと、二人の足元が消えた。
「「え?」」
真下には穴。円柱状の穴が千雨と夕映を大口を開けて飲み込む。
「「キャァァァァァーーー!!」」
二人が落ちると、穴は綺麗に消えた。残るは悲鳴の残響のみ。
ハルナと木乃香とのどかは突然の事態に呆然とし、口をあんぐりと開け固まった。
「「「た、大変だぁーーーーー!」」」
ハルナ達は焦り、走り回ったり、地面を叩いたり、二人を大声で呼んだりするも結果は何も変わらず。最終手段として図書館探検部レスキュー隊への緊急コールボタンを連打するのだった。
◆
アキラは千雨の部屋にまで来ていた。片手にはラッピングされた新品のハンカチを持ち、ドアをノックする。深夜とは言えないまでも、寮内での部屋の出入りが推奨される時間帯ではないので、インターフォンは控えたのだが――。
(反応が無い。いないのかな)
少し強めに叩いても、なんの物音も返ってこない。
しょうがない、と思いつつインターフォンを押すも、やはり同じだった。
(もしかしてシャワー? 大浴場かな?)
ドアにそっと耳を近づけるも、水音一つ聞こえず、廊下側に設置されている換気口からは、部屋の電気は一切見えない。
(こんな時間にどうしたんだろ)
ふと、放課後に千雨が夕映達図書館部と一緒に思い出した。
そして、夕映達が時折深夜に寮を抜け出し、図書館島に潜っているのはクラスメイトには周知の事実である。さらには明日は土曜で休み。
(そうか、付いていったんだ。残念)
アキラはあきらめ、踵を返した。
アキラは今日の放課後、部活に顔を出すも寝不足がたたり、寮に戻ってきたところでダウンしてしまったのだ。目を覚ましたのはついさっきである。
ハンカチをそっと抱き、自室へと戻るアキラ。蛍光灯が時折揺れ、ピシャリと光を放った。だが、それを見たものはいなかった。
◆
落とし穴の中をすごい速度で落ちつつ、千雨の頭は冷静さを保っていた。死の予感と夕映の手のぬくもりが、芯のようなものを千雨の脊髄に流し込む。
「あわわわわわ」
口から一定の声が漏れつつ、カチコチに固まった夕映を、無造作に抱き寄せる。知覚領域を広げ、現状を把握した。
〈千雨っ!〉
(了解だ先生っ!)
自らの肉体を電子干渉(スナーク)し、マルチタスクが考え出す、最良の動きを空間上でトレースさせる。
頭から落ちているため、クルリと一回転し体勢を整え、ウフコックに干渉。改良された軽合金製のフックと、それに繋がれたワイヤーを複数だし、ばら撒いた。
だが落とし穴の壁は、つるつると光沢を持つ金属面であり、そのどれもが引っかからない。
「くそっ!」
パラシュートでも出すか、とも思うが、穴の深さを考えると効果は期待できないだろう。思考の高速化により、ゆっくりと流れる視界を感じつつも、焦りが手詰まりをおこさせた。
『楽園』の技術にによって死の淵から戻った千雨と、そこで産まれた万能兵器たるウフコック。そんな二人がたかが落とし穴に敗北を喫していた。
「まだだ! こんなところで死んでたまるかよォ!!」
半年前の情景を思い出す。思い出の中の二つの影が、千雨を奮い立たせた。
しかし、そんな千雨の思考をあざ笑うように、落とし穴の中に、落とし穴が産まれる。
「へ?」
空間を切り取ったように、空中に開いた穴は、再び千雨達を飲み込んだ。
「うおぉぉぉぉぉいいい!!」
「あわわわわわわ」
千雨達が入った後、穴はキュポンという音と共に消えた。
◆
落とし穴の中で、さらに変な穴落ちた次の瞬間、千雨は椅子に座っていた。なんのタイムラグも感じていない。手の温もりも消えておらず、目線を横に向ければ夕映も隣の席に座っている。
視界を正面に戻せば、目の前のテーブルで紅茶が湯気を上げていた。
「は?」
湯気の向こうには、先ほど知覚領域で感知した、胡散臭い男が笑顔で座っていた。両手を机の上で組み、その上にあごを乗せている。観察するような視線が不愉快だった。
「て、てめぇは!!」
〈落ち着け千雨〉
「う、うぐ」
ガタンと立ち上がる千雨を、ウフコックが諌める。
ふと、握っていたはずの夕映の手が消える。横を見れば人形然とした夕映が、両手を掲げ、自らの両頬にバチンと平手をくらわした。
「いいっ!」
狂ったか? と失礼な考えを持つ千雨。
「夢……では無いようデスね。落とし穴に落ちたと思ったら、こんな場所に。途中の記憶が判然としませんが、図書館島の奥底にあるこの一室。考えられるのはあそこしかない」
ぶつぶつとつぶやく夕映。
「こ、ここが伝説の! 図書館島の司書室なのデスねっ!!」
夕映は椅子をなぎ倒しながら立ち上がる。瞳がスパークを帯びる様にキラキラと光り、鼻息はタイフーンのようだ。
ついで、ビシッ! という擬音を響かせつつ、夕映は胡散臭い男を指差す。
「あなたがその伝説の司書さんなんデスねっ!!!」
千雨は夕映の後ろがドドンと爆発する幻影を見た。
「はっはっは。いやはやご名答。僕がこの図書館島の司書をやっているクウネル・サンダースです。相変わらず面白い子ですね、綾瀬夕映君」
「えぇ!? わ、私の名前をご存知なんですか」
「僕は図書館島から出れない体質でしてね。君達のことをいつも楽しく見させて頂いてるんです。綾瀬夕映君の活躍もいつも拝見していますよ」
詐欺師っぽいアルカイックスマイルが夕映に降り注がれる。夕映は、あわわわと叫びつつ、恐縮です、と答えた。
「そ、それで司書さんにお願いがあるデス!」
「はい。なんですか?」
「サインをもらえますか!」
「はは、それくらいお安い御用ですよ」
夕映はヘルメット帽とサインペンをクウネルに差し出す。クウネルはそれを受け取ると、キュッキュと帽子に『くうねる・さんだーす』とひらがなで書いた。
「はい、どうぞ。おっと忘れるところでした」
クウネルは夕映に渡した帽子を片手でさっと撫ぜ、指をパチンと弾く。そうするとクウネルのサインがポーッと薄く輝き、すぐに収まる。
「僕のサインは悪用されると困るので、少し細工をしました」
「は、はぁ」
なんの事かわからず、夕映は首を傾げるが、千雨はおおよその現状を察した。
〈千雨、おそらくバレてるぞ〉
(だろうなぁ。今のだってアレだろ――)
夕映が伝説とまで語る司書が、顔を出す理由はやはり自分だろう。自分の知覚領域を感知したりする輩ともなれば、その存在は限られる。
クウネルは大はしゃぎをする夕映を一瞥し、正面に向きなおった。
「まず、こんな形でご招待したのを詫びねばなりませんね。申し訳ありません」
クウネルは二人に頭を下げる。
「ですが、こちらにも要件があったのです。それは長谷川千雨さん、あなたにです」
(ついに来たか)
千雨の背がひやりとする。
「わたしにだって? はっ、一介の小市民であるわたしにどんな用があるんだ。伝説の司書さんとやらはよ」
「有体に言ってしまえば〝取引〟ですよ」
「〝取引〟?」
クウネルの言葉に、千雨は考え込む。ちなみに夕映は隣でじっと二人の会話を聞いていた。
「えぇ、〝取引〟です。あなたにとって、損は無いはずないですよ」
クウネルはそう言いつつ、笑顔を深めた。
〈気をつけろよ千雨。この手の輩は嘘を吐きつつ揺らぎが無い。惑わされるな〉
(はいよ、先生)
千雨はメガネのブリッジを上げつつ、椅子にふんぞり返った。
「損もなにも、わたしには欲しいものなんてないぞ」
「そうですか」
嫌に簡単に矛を収めるクウネルに千雨はいぶかしんだ。すると、クウネルの手元から何かが投げられる。それはテーブルの上を回転しながら滑り、千雨の目の前で止まった。
本だった。四六判の革張りで出来た一冊の本。タイトルが何やら英語とは違うアルファベットの組み合わせで表記されている。
「こ、これは!」
「なんですかこの本は。英語――いや、ラテン語でしょうか?」
夕映が横から覗きこむ。千雨は瞬時にネットワークを介し、言語データを習得したため、その言葉が読めていた。『初級魔法概論Ⅰ』それが本のタイトルだ。
「どうです? よろしければその本、お貸ししますよ」
クウネルの言葉に歯軋りしそうになりながらも、千雨は耐え、疑問を投げた。
「何が目的なんだ」
「目的? そうですね、面白そうだからでしょうか」
クウネルの言葉にカチンとくる千雨。脳内で「こちとら遊びじゃねーんだよ!」と叫んでいる。心の声はしっかりとウフコックまで飛び、文字盤のネズミがビクリと震えた。
千雨の拳がギチギチと固められ、テーブルを強く圧迫する。
「あ、あの~、すみませんデス。状況がさっぱり読めないのデスが――」
緊迫した空気に、夕映の声が混じる。
「ははは。僕はね、長谷川千雨君に興味があるだけなんですよ。この麻帆良の地を去ったはずの君が、学園都市に行き、再びここの地に戻ってきた。君が何を経て、何を知ったのか。そしてこれから何を選択するのか、をね」
「が、学園都市! は、長谷川さんは学園都市から来たのデスか? もしかして超能力者なのデスか?」
「あ、あぁ、えーと、それはだな――」
嘘がばれたような気まずさがあり、千雨は目をそらす。
三年前、麻帆良から引越した際、千雨は学園都市近郊のある街で暮らしていたのだ。だが、半年前のアノ事件で重傷を負い、学園都市に運び込まれた。その際、学籍だけは移したものの、実際はほとんど学園都市内の学校に通わず、麻帆良へと転校したのだった。
そのため、どこの学校から来たの? いう質問に、学園都市近郊の学校名を出していた。
「おっと、これは失礼しました。どうやら綾瀬夕映さんはご存知なかったようですね」
「てめぇ……白々しいぞ」
〈千雨、挑発だ〉
ウフコックの声に、なんとか爆発しないですむ千雨。
「いやはや、なんて事でしょう。まさか長谷川千雨さんの秘密をばらしてしまうなんて。では、フェアに僕の秘密も明かしましょうか」
そう言ってクウネルは人差し指を一本、上にかざした。
「私は〝魔法使い〟です」
ゴウ、と指先に炎が灯る。熱風がチリチリと二人の肌を掠めた。だが、すぐに炎は消え、シャボン玉に変わる。周囲にシャボン玉が幾つも浮かび、周囲のものをおぼろげに反射する。ついでシャボン玉がはじけたと思うと、今度は中から花びらが飛び散った。赤、青、黄色。極彩色の色の渦と、花の香りが奇妙なお茶会を覆いつくす。
「ぐっ!」
「おぉぉぉぉぉ!」
千雨は目を見開き、目の前の不可解な現象を知覚しようと努めた。対して夕映は、ただただ目の前の出来事に感嘆している。
二人の耳に、パチンと指をはじく音が聞こえると、花びらの渦は霧散した。
「どうです? 信じてもらえたでしょうか」
柔和そうな表情を向けるクウネルだが、実のところドヤ顔である。
「す・す・凄すぎるデスうううううう!!」
夕映大興奮。壊れた人形の様に手をグルグル回しながら、抑えられない高揚感を身も持って現している。
何事かを叫び続ける夕映を放置し、千雨はクウネルに問いかける。
「おい、これっていいのかよ?」
「これ? もしかして魔法の秘匿の事ですか。いやー、駄目に決まってるじゃないですか。一般人に魔法がばれて、その秘匿処理を怠った場合、オコジョ刑にされますよ」
「おいおい……」(オコジョ刑?)
クウネルの適当すぎる答えに呆れる千雨である。
ちなみに、オコジョ刑とは魔法がばれた場合、その責任者が負う刑罰であり、姿をオコジョに変えられ収監されるとか。後に千雨は知る。
「どうして、自分の正体を明かしたんだ? メリットなんてないだろう」
「ありますよ。あなたが〝取引〟のテーブルに付きやすくなる。そのためならこれくらいのリスクは当たり前です。どうです、話を聞きませんか」
クウネルの言葉に無言。後ろでは夕映が未だに絶賛オーバーヒート中で締まらないが。
(どう思う?)
〈情報が少ないな。秘匿を旨とするのはわかるが、それがリスクに直結してるのかは判断できない。おそらく、”嘘をついていない”が”本当のことも言っていない”と言ったところだろう。だが、この手の輩は律儀な所もある、聞くだけ聞いたほうがいいだろう〉
(なるほどな)
二人が結論を出したとき、クウネルに声をかけられた。
「〝ご相談〟は終わりましたか?」
「――ッ。あぁ、取引とやらを聞こうか」
動揺を悟られまい、と必死に取り繕う。それを見て楽しむクウネル。千雨のイライラは増していった。
「では、来たれ(アデアット)」
クウネルは一枚のカードを取り出し、そう呟く。気付いた時には、クウネルの周囲にたくさんの本が浮かんでいた。本が意志を持ったように一列に並び、クウネルを縛るかの様にらせん状に取り巻く。
プカプカと浮かぶ本の一冊を無造作に取り、千雨たちに見せた。
「これは私のアーティファクト『イノチノシヘン』です。人の半生を記憶する魔法のアイテムだと思ってください。この一冊一冊が人が生きた証です」
そう言われ、千雨はクウネルの周囲の本を見る。
「ここまで言えば判るでしょう? 私は長谷川千雨さん、あなたの半生を記録したいのです。その代わりにあなたが今必要なものを上げましょう」
「必要なもの?」
「えぇ、単純にして明快です。麻帆良にいる間の私の援助ですよ」
「……は? 一つ言っておくが、わたしは自分の体を売るつもりなんてないぜ」
「いえいえ、そういう意味ではないですよ」
クウネルはイノチノシヘンを消した。指を弾くと、千雨の目の前に先ほど置かれたラテン語の本が浮かび上がる。クウネルは片手で本を掴み、コツコツと表紙を叩いた。
「何時まで居るのかは知りませんが、魔法について、あなたは知りたい。いや、知らなければいけない。違いますか?」
ニコリと微笑むクウネル。
「ふぅ、条件がある。腹を割って話してくれないか? 正直あんたと話していると疲れる」
「おやおや、腹を割るも何も、僕は先ほどから正直に話していますよ。あなたの事は興味深いし、面白そうだ。ぜひともその生き様を私のコレクションに並べたいと思っています」
(先生、こいつは本当に享楽者のようだぜ。腹は立つが、受けるべきじゃないだろうか)
〈いざとなればやり様がある〉
両者の見解は一致した。
千雨は腕をドンと叩きつける。
「それじゃあ、取引とやらの条件を詰めようじゃないか」
千雨とクウネル、二人の口元が三日月を描く。夕映はそれを見守るばかりである。
◆
千雨とクウネルの間に交わされた取引は単純である。
千雨はクウネルに対し、その半生をアーティファクトに記録させる。ただし、その時期は一年後以降、三年以内とされた。理由としては、クウネルが取引の持ち逃げをしないかという千雨側の理由と、記録した時点での人生しか反映されないアーティファクトのため、数年後の方が面白そうだというクウネル側の理由が合致した結果だった。
ついで、クウネルが千雨に対し行うべき事。まずは千雨自身の情報の秘匿である。千雨がクウネルと接触している事をはじめ、魔法に関する知識を有することなど、クウネルが知る千雨についての事柄を一切学園に報告しないという事である。そして、千雨が知り得たい情報の提供である。もちろんそこには然るべき程度があり、それも交渉しだいとなった。
さらに、千雨の要求内容には夕映の身柄についても追記された。魔法の事を知りつつも、それを学園側に報告せず、また身柄も拘束しない旨を約束させた。クウネルも面白がってる節があったが、一応は自らの過失なので素直に従う。
それらの条件を書面に記し、お互いサインをする。法的根拠も強制力も何も無いが、片方がやぶった場合、お互いが使い道のある誓約書である。しかるべき場所にばら撒けば、火種になる物品だ。
「さて、と色々聞きたい事があるんだが――」
そう千雨は切り出しつつ、知覚領域を広げた。部屋の中を満たし切り、言葉を続ける。
「あんた、いや魔法使いは〝コレ〟を認識できるのか?」
先ほどから夕映はほとんど言葉を発せず、二人のやり取りを聞き、断片をつぎはぎしながら情報を整理している。だが、今の千雨の言葉がさっぱり判らず、首を傾げた。
「ほう、やはりこの違和感はあなたでしたか。私が感じたのは〝見られている〟という感覚だけで、具体的には何かはわかりません。ただ二十年前には戦場で何度か感じましたね。おそらくそれに類する能力か技術といったところでしょうか? ちなみに心配する必要は無いと思いますよ。よほど鋭敏でない限り、魔法使いとて〝ソレ〟は感じられません。おそらく麻帆良の中でも片手に納まるでしょうね」
「か、片手?」
本当かどうかは判らないが、千雨はその言葉に愕然とした。まさか、初日にその片手とやらに当たったのではないだろうか。そう思うと運の無さも、自分の怯え具合も悲しくなってくる。
「あぁ、ありがとよ。参考にする」
肩を落とす千雨。
「では、早速ですが、魔法について簡単なレクチャーでも行いましょうか」
「簡潔にたのむ。忘れてたが、こちとら遭難してるんだった。さっさと帰らないと、上がやばそうな気がする。だから、今回は要点だけでいいし、あとできればさっきの本みたいな情報媒体も欲しい」
「連れないですねぇ。まぁいいでしょう」
千雨の物言いに苦笑いを浮かべるクウネル。
「では、簡単に言います。魔法とは、魔力を用いて現象を引き起こす技術体系です」
「魔力ねぇ」
フィクションでよく聞く単語だが、いかんせん千雨にはそれが信じられなかった。なんせ知覚領域なんてものを使える千雨だ、そんな不思議パワーがあれば気付くだろう、というのが千雨の考えだった。
「魔力とは、人間の中にもあり、大気中にもある力の総称です。せっかくですので見せてあげましょう」
クウネルは空気を掴む様に手を握り、そして開く。肉眼で見る限りは何も見えない。
「これが魔力です。ちょこっとばかし凝縮してみました」
「コ、コイツが! コイツが魔力だって言うのか! 」
千雨の知覚は鋭敏にソレを感じ取る。今まで当たり前のように感じていたどこにでも存在していた〝流れ〟。空気のように当たり前に扱っていた、判然としない空間を満たすもやがクウネルの手のひらに集まる様は衝撃的だった。千雨の脳内ではマルチタスクがフル回転し、人工皮膚(ライタイト)を通じて集まる大量の情報を処理している。その情報から、千雨の中での魔力が定義づけされていった。
「一般人でも魔力は多かれ少なかれ持っているんですが、これを見たり感じられる人はほとんどいないんですよ。やっぱり面白いですね、長谷川千雨さん」
その瞬間、後ろでは聞き捨てなら無い言葉が発せられる。
「あ、あのー。その丸いポワポワした物体。普通は見えないんでしょうか?」
「「へ?」」
千雨とクウネルは珍しく同じ言葉を発したのだった。
◆
「ではお二人にはこれをお渡ししますね」
千雨と夕映がこの部屋に来てから一時間が経っていた。その間色々あったが、とりあえず戻ることになり、地下一階への直送エレベーターとやらまで見送られたのだ。
そしてクウネルに渡されたのは二枚のカードだった。金属のプレートには細かな装飾と、優美な筆記体が彫られている。
「夕映さん。あなた達で言う、第二秘密入り口をご存知ですか?」
「あ、はい」
ふと夕映は胸元に手を伸ばす。
「……確かダミーの入り口デスよね。通路の先にドアが一つだけあり、そのドアを開けても壁しか無いという――」
「実はあの入り口、ここへの直通ルートなんですよ。ただし魔法がかかっててましてね、このカードはその解除用のカードキー、と言ったところです」
「おぉぉぉ! そうなんデスか」
「ふーん」
千雨は興味なさ気な返事をしつつ、カードをじろじろと見た。先ほど定義した魔力情報をフィルティングしつつ知覚してみれば、確かにプレート状には微量な魔力が感じられる。
何冊か借りた本が、紙袋の中でガサリと音を立てる。
帰るにあたりクウネルに魔法関連の本を幾つか見繕って貰っていた。また、周囲の人間を誤魔化すために、ギリシャ語やラテン語といったものだけを選別している。正直、千雨ならば本の中身を電子干渉(スナーク)し、インクパターンを記憶野に保存する事など容易なのだが、能力の秘匿故にに自重した。
「でわ、長谷川さんに夕映さん、ぜひまた遊びに来てくださいね」
「内心遠慮したいぜ」
「ぜ、ぜひ来るデス!」
夕映の魔力が見える発言の後、クウネルは一層夕映を気に入り意気投合。いつの間にか名前で呼び合う間柄となっていた。
「そ、その時にはぜひ、魔法を教えてほしいデス!」
「ふふふ、夕映さんのような方に魔法を教えれるなんて、面白そうですね」
ハハハ、と笑うクウネルを遮る様にエレベーターのドアが閉まる。ウィーンというモーター音が聞こえると、エレベーターが上昇をはじめた。
「やはり、私の勘に間違いはありませんでした。千雨さん、あなたはやっぱり面白い人デス。一緒に居ればもっと楽しい事が起きるような気がします。たった一日一緒にいただけで、私の世界は広がりました」
興奮冷めやらぬと言った夕映はキラキラと目を輝かせている。千雨はいじわるをしたくなった。
「綾瀬。お前判ってるのか? 知ることで失う事もある。平穏や日常、家族に友人、信頼や愛情。不変だったものが崩れていくかもしれないんだぞ。お前は今、片足を突っ込んでるんだ。引き返すなら今だと思うぜ」
「――そうかもしれませんね。でも、不変なものなんてきっと無いと思うデスよ」
夕映は一息吐いて、言葉を続ける。
「家族だって友人だって死にます。私達はきっといつも流れの中にいるんデス。だから私は色々なものを知り、聞いて、話したい。そこに悔いを残したくないのデス」
「だけどよ、今日見たことや聞いたことを他人に話したとしても、信じて貰えないだろう。綾瀬がどれだけ真実を語ろうと、人の目には映らない事だってある。言った事、感じた事を一切聞いてもらえず、自分自身に嘘つきのレッテルだけが重ね貼りされていく。そんな時お前はどうする?」
静かなる慟哭だった。
「どうするんでしょうね。その場に立たなきゃ判らないと思うデス。でも、どうすればいいかは判ります。信じてもらうようにする、もしくは〝信じてくれる人を探す〟。私ならきっとそうするでしょう」
夕映は制服の下のネックレスを、布越しにギュッっと掴んだ。
「いやに直球だな」
「シンプルさに真理があるのは多くの偉人が多種多様な語彙を持って語っています。それに尊敬する祖父の教えでもあるデス」
「おじいさん?」
「えぇ祖父――デス。祖父は色々な事を知ってる素敵な人だったデス。私にとって祖父は世界そのものでした。ですが、祖父は生前言ってたんデス。『この世には面白く不思議な事がもっとたくさんある』って。今はその言葉がよくわかるデス。長谷川さん、私は今うれしいんデス。あなたと出会えて、『わたしの世界』がもっと広がりました」
夕映の言葉をかみ締める。
「――世界が広がる?」
「えぇ、そうデス。のどかも、ハルナも、木乃香も、クラスのみんなも、探検部のみんなも、全てが広げてくれた『わたしの世界』デス。だけど長谷川さん、今日あなたのおかげで、もっと広げることができました」
夕映は千雨の手をギュっと握る。
「わたしはみんなと、もっともっと楽しく、不思議なものを見てみたいデス。長谷川さんとも一緒に見たいんデス」
チン、と一階に着く音が聞こえ、エレベーターのドアが開いた。
「さぁ、行きましょう。みんなが心配してるデスよ、〝千雨さん〟」
それは何かの合図のようだった。
「わかったよ、〝夕映〟」
ちなみに二人が地上に戻ると、おおげさなテントが張られ、捜索本部なるものが立ち上げられていた。ヘルメットにマスクにゴーグルといった、一昔前の学生運動のようないでたちをした男達並ぶ。どうやら彼らが探検部レスキュー隊らしく、千雨達を捜索していたとの事。
探検部のみんなに泣かれたりなんだったりで、全員が部屋に戻れたのは日が昇る直前だったとか……。
◆
「ふふ、君の大事なお姫様は健やかに育っているようですよ」
クウネルは司書室の片隅にある一枚の写真を見ていた。クウネルと男性が、テーブル越しに談笑している姿が写っている。
「因果なものですね。平穏を望む君が死に、魔法使いである私はピンピンしている」
クウネルにとって、男は友人であった。図書館島から出れないクウネルだが、時折図書館の地上階に現れる事がある。その時に知り合った男性であった。〝真っ黒な髪〟の温和な男性。彼の独特な波長とウマが合い、頃合を見ては遊びあう友だったのだ。
「これ以上、友が死ぬのは忍びない。ぐうたらな私ですが、見守ることぐらいはしましょう。まぁ見てるだけでしょうが」
言葉を返す友人は、もういない。
「……それに、あの娘も――」
◆
「臭うな」
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、いつもと違う道を警邏と称して歩いていた。結界と繋がっているエヴァは、不審者がいればわざわざ出歩かなくても感知できる。
そのため、警備員としての職務の警邏は、毎回適当に麻帆良を徘徊して帰るだけであった。
侵入者が通るとは思えない麻帆良の片隅で、エヴァは違和感を覚えた。平和ボケしたここ数年感じなかった、あの凄惨な臭いだ。
「面倒くさそうだな。おい、茶々丸、録画をしっかりしておけ」
「了解しました、マスター」
ガイノイドにして従者たる茶々丸に指示を出す。
人通りの少ない石畳の通路、そこから外れて数メートル先に小さい倉庫がある。長らく使われていないのか、所々塗装がはげ、錆が浮いている。
濃密に薫るソレに、ペロリと舌が唇を舐めた。それと共に、異様なこげ臭さがある。
倉庫の入り口には鍵がかかってないらしく、隙間が開いていた。隙間からは黒い染みが覗ける。
エヴァは無造作に両開きの引き戸をあける。ギギギ、と不快な金属の擦れる音が響く。先ほど感じた香りは消え、異臭が吹き出た。
「おや、まぁ」
エヴァは呆れたように呟いた。
中は体育倉庫のようだった。汚れた体操マットが積み重なり、古い跳び箱が散乱している。
だが、そこには異質なものがある。
血。血。血。血。血。
地面も壁も天井も、倉庫の中にあるありとあらゆるものが血に染まり、ドス黒い色をしているのだ。
そして中央には黒く積み重なる影が見える。
人だった。大口を開け、苦悶の表情をしている男子学生が五人ほど積み重なっている。見える範囲では外傷が無く、周囲の血の量と相まってエヴァに不審を抱かせる。
「茶々丸、周囲は?」
「問題ありません。センサーの範囲内に人影なしです」
「フン」
エヴァは男達に近づく。腐ったようなツンとした臭い。血よりも濃厚な腐敗臭がエヴァの顔を歪めさせる。一番手短な男の口に指を突っ込む。
「茶々丸、ライト」
「了解」
照らし出された男子学生の口内を見た。
「やはり死んでるな。死後一週間ってところか。それにしても――」
外傷が無いのに舌が焦げていた。
「まぁ、どうでもいいがな。帰るぞ茶々丸、臭くてたまらん。ジジイの所に報告したら、さっさと風呂に入り寝たい」
「わかりました」
翌々日、『男子学生変死事件』として発表された。
それは、これから麻帆良で起こる事件の最初の1ページ……。
つづく。
(2010/12/30 あとがき削除)