康一と承太郎は並んだまま歩き続ける。
大通りに出ると、道の端は露天やら屋台が準備期間ながら早くも連なっていた。通りの中央も祭りの準備をする人々でごった返している。
二人は人込みに逆らわず、そのまま流れに身を任せて進む。
「あ、あの~、どこへ向かっているんでしょうか?」
「いや、何処へも向かっていない。ただ歩いているだけだ」
「え?」
承太郎のきっぱりとした答えに、康一は呆気に取られる。話があると言われたから、てっきり何処かの喫茶店やらに入るのだとばかり思っていた。
「すまないが、このまま話を始めて良いだろうか?」
「えーと、だったらとりあえず何処かに落ち着いてからにしませんか」
「広瀬君には申し訳ないのだが、〝歩きながら〟だから好都合なんだ。一箇所に留まっていたら話しづらい事もある」
「??」
康一は疑問符を浮かべる。承太郎の言葉がどうも要領を得ないようだ。
じっと承太郎の顔を見上げるも、彼はただ前を向いているばかりでなかなか話を切り出そうとしない。
「……えーと、ですね」
沈黙に耐えられなくなった康一が、話とやらを促そうとすると――。
「広瀬君」
「は、はい」
承太郎の唐突な呼びかけに、康一は焦る。
「君が持っている〝手の中にあるモノ〟は何だ?」
「――ッ」
ゾワリ、と怖気が走る。康一の背中に冷や汗が流れた。
それはこの二週間、ついぞ知ることが出来なかった非日常への欠片。自分しか見えないはずのモノが承太郎には見えている、その事実が康一の心に不安を広げる。
「そ、それ――は――」
喉がカラカラになり、声が詰まる。顔は伏せられ、視線は自分の靴の爪先をただ呆然と向けられていた。
手の中にある〝卵〟を強く握り、思い切り良く顔を上げ、承太郎を見る。
「――ッ!」
そして再び康一は声を詰まらせた。
承太郎の背後にナニかが立っていた。青白い、奇妙な姿をした人影。奇抜なデザインをしながらも四肢があり、人の様相をしているソレを最初は人形かと思った。
だが違う。目には力があり、体から生命の力強さが伝わった。
「やはり見えるのか。俺の『スター・プラチナ』が」
承太郎のその言葉に、康一は混乱しながらもこの人影が『見えない事が正常』なのだと理解する。
「こ、これは?」
「『スタンド能力』。俺達はそう呼んでいる」
承太郎は自らの後ろに立つ人影――『スター・プラチナ』を視線で示しながら言う。
「ス、スタンド?」
康一は聞きなれない名前を反すうする。いや、違う。〝アイツ〟――■■――も言っていたはずだ〝スタンド〟と。
「そう、スタンド能力。魔法や超能力とは違う、世界に自分のルールを強制する異質な力だ。例外はあるが、スタンド能力は基本的に《スタンド使い》にしか見えない」
承太郎の言葉の一つ一つが、康一の忌まわしい記憶の断片を蘇らせる。手の中の〝卵〟を強く握り締めた。
「これの意味することは簡単だ。広瀬康一君、君は《スタンド使い》だ」
「――」
分かっていた様な気がする。康一は承太郎の言葉を聞いても無言。ただ無様な姿を見せないために、表情を硬くした。
「二週間程前、君は病院に運ばれているね」
だが、そんな薄っぺらい鎧も容易に剥がれる。康一の表情は瞬時に焦りに包まれた。
「一緒に運ばれたのは湾内絹保。《学園都市》からの留学生だ。本来ならば君と接点の無いはずの少女だが、調べていくと君は何度か《学園都市》へ赴いているようだね」
淡々と語る承太郎。康一は不安と共に、時計の音の様なものが聞こえた。カチカチ、カチカチと。
(これは――)
康一は自らの体内にある異物を再認識した。それは〝アイツ〟に強制されたルール。今なら『スタンド』だと分かる異物、それが自分の言動を監視しているのだ。
「君らは一緒に運ばれた。だが大量の流血痕がある君は無傷、対して傷痕らしきものが一切無い湾内絹保は未だ目覚めず入院している」
とぼとぼと歩きながら、周りの喧騒は徐々に遠くなり、康一の耳には時計の音と承太郎の声だけがはっきり聞こえる様になっていく。
心臓が喉から飛び出そうだった。ワイシャツがベットリと背中に張り付く。
「君は湾――」
「言うなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
康一の叫び声と共に、周囲の空間が一変する。
「――」
承太郎は何か声を発しようとするも無音。それだけじゃない、周囲の賑わいも喧騒も、全てが聞こえない。
どうやら自分の聴覚が異常をきたしたのでは無い事を、周囲の人間の慌てぶりで理解する。
(音を消す能力)
康一が握っている〝卵〟がブルブルと震えた。康一を中心に無音のフィールドが球状に広がっていく。
(まずいな)
康一のスタンド能力は、感情の爆発により際限なく音を消しているようだ。能力の限界はいつか来るだろうが、周囲に対する混乱を考えると看過する事はできない。人込みの中というのも厄介だった。
(『スター・プラチナ』ッ!)
承太郎がスタンド能力を発動させた。
康一の無音空間をも飲み込む様に、承太郎だけが動ける世界が作り上げる。
承太郎のスタンド能力『スター・プラチナ』はほんの数秒だけ時間を止める事が出来る。そしてその中を承太郎だけが動けるのだ。
承太郎はそのまま自らのスタンドで康一の襟首を掴み、人の少ない路地の方向へと康一ごと投げた。
投げたと言ってもそのままでは大怪我をしてしまう。道の端にある垣根がクッションになるように、うまくコントロールした。
(時間か――)
承太郎が止めた時間は約三秒。時は動き出す。
「――ッ、うわぁぁ」
康一は急に視界が切り替わったうえ、背中にも衝撃が走ったので混乱した。おかげでどうやらスタンド能力は消えたらしい。
植物の垣根に体が埋もれている康一は、混乱したまままるで溺れた様にじたばたと暴れている。
通りがかりの人達も康一の奇異な行動に目を止めるが、どこかコントの様な状況にクスクスと笑いながら歩き去っていく。
承太郎は先程康一の影響下にあった周囲の人間を確認するが、どうやらさほど混乱してない様だ。
ジタバタと暴れながら、なんとか立ち上がった康一に向かい、承太郎は近づく。
康一は体に付いた葉っぱを落としながら、未だに何故自分がこんな場所にいるか理解できない様だ。
「広瀬君、すまなかったな」
「あっ――」
康一は承太郎を見上げながら、今さっき起こった事をなんとなく理解する。
「も、もしかして今のが――」
「あぁ、そうだ。君を移動させたのは俺のスタンド能力だ。そして、君がついさっき使った能力もスタンド能力だ」
康一は体中から一気に力が抜けた。
(今のが、スタンド能力。そして僕が使ったのも――)
異質な力には慣れているはずだった。《学園都市》という箱庭で嫌というほど見たし、自分自身にもその力はこびり付いている。
そして、また異能が自分へと押し付けられたのだ。
「――」
そんな康一を、承太郎はただジッと見つめる。
「――ッ」
康一はまるで承太郎に責められているようだった。自分の中にある罪悪感が、爆発的に大きくなっていく。康一は承太郎の視線から逃げるように、下を向いた。
そうだ。
自分は逃げたんだ。
《学園都市》からも。湾内絹保からも。〝アイツ〟からも。
手には超能力があった。『音声複写(エコーズ)』、市販のICレコーダー以下の能力だった。
手の中にはスタンド能力があった。名前はまだ無い。卵の形をした音を消せる力。
どれもが役に立ちそうに無い能力。
しかし、自らの負のレッテルにはなった。
どんな形にしろ、マンガやアニメの様な異能を持ちつつも、自分は逃げ続けている。
逃げた先で何かを捨て、そこでも逃げる。
その自分の有り様に、自然と震えが昇ってきた。
ギュっと歯を食いしばるも、心に落ち着きは戻らない。
康一が俯いたまま動かなくなったのを見て、承太郎は諦めた様に胸元からメモ用紙を出す。
「君の力は危険だ。このままでは取り返しがつかなくなるかもしれない。落ち着いたらここに連絡してくれ、出来る限り力になろう」
承太郎は押し付ける様に康一にメモ用紙を渡し、そのまま踵を返した。
康一はただ渡されたメモ用紙を見つめながら、承太郎が見えなくなるまで終ぞ顔を上げる事させ出来なかった。
そしてそんな二人を見つめる小さな人影が、近くの建物の窓際に存在している事にも、康一は気付かなかった。
第36話「理と力」
古菲が渾身の拳を振り抜いた。
「フッ!」
対する烈海王は呼気を一つ。余裕を持って拳を捌いていく。
手の甲で古の腕を軽くいなし、軌道を反らす。
古はそれでも手を止めず、次々と拳や蹴りを放った。
だが、そのどれもが烈の体に直撃せず、ただ服を掠るばかりだ。
「ぬ~、これでどうアル!」
焦れた古が大振りの攻撃をするも――。
「甘いぞッ!」
あっさりとかわされ、たやすく無防備な体の内側まで詰め寄られてしまう。
烈は古にピッタリとくっ付きながら、その腹部に軽く手を添えた。そして――。
「フンッ!」
裂帛の気合。
ゼロ距離から放たれた寸勁により、古の体が内側から揺さぶられた。
「がッ!」
古は苦悶の声を上げながら吹き飛ばされる。
ゴロゴロと芝生を二回転した後、芋虫の様にまるまりながら痛みに耐えている。
「古、礼節がなっていないぞ!」
組み手が終わってなお、倒れたままの古に烈の叱咤が飛ぶ。
「老師、さすがにそれは酷いアルよ~」
烈のに対し古は涙を流しながら訴える。ここ数日の見慣れた光景であった。
二人がいるのは、麻帆良内にある広場の一つだ。麻帆良市内に数多くある広場は、公園やレクリエーション施設として多く使われている。古達が使っているのは、中国武術同好会が良く使う広場であった。
円形の広場を中心の底にし、外側に行くほど段差になるように作られている。すり鉢状の中心たる場所だけ芝生がひかれ。それ以外の段差部分は格子状の石畳で出来ている。周囲には麻帆良特有の街路樹が多く、なかなか壮観な風景だ。
古がなんとか回復してからも、二人の鍛錬は続いた。
古の所属する中国武術研究会も、今回の麻帆良祭では演舞発表の予定がある。
今回、その演舞の練習に烈が特別講師として参加しくれるらしい。
とは言ってもさすがに準備期間の初日。会員の多くはクラスの出し物の準備に追われていた。
古は中国武術研究会『部長』の肩書きを持っているが、実際の所中国武術研究会は同好会なのである。部よりも重要度は低かったりする。
よって本格的な練習は明日からとなっていた。
だが、なかなか麻帆良を離れられない古にとって、師たる烈が麻帆良にいるのは好機に他ならない。
暇を作って貰っては、こうやって鍛錬に勤しんでいるのだ。ちなみに超のアルバイト要請も、古は烈との鍛錬のために控えていた。
つかの間の休憩の際、古が烈に質問をする。
「そういえば老師はいつまで麻帆良にいるアルか?」
「ふむ。さすがにそろそろこの地を去ろうかと思っている」
「え~、もっといて欲しいアルよ~」
古の言葉に烈は内心苦笑いをしながら答える。
「そうもいくまい。まだ私も修行の身。ここで後輩に教えを説き続けるわけにはいかんよ」
「で、でも。老師より強い人なんて少ないアル。海王様達くらいしか思い浮かばないネ」
「海王、か」
海王。烈の名前にも入っているそれは、烈の武の門派に与えられる高位の称号である。つまり、一握りの武人にしか与えられない強さの証なのだ。
「確かに我が中国武術は武の極みたる〝理〟の頂点だろう。だが我々は越えねばならぬモノがある」
「越えねばならぬモノ、アルか? 老師、それは何ネ?」
ワクワクといった感じで古は聞く。
「簡単だ。〝理〟の対となる〝力〟だ」
「力? ワタシもけっこう力持ちアルよ」
そう言いながら近くにあった石のオブジェをひょいと片手で持ち上げる。
「そう単純な事でも無いのだ。……いや、ある意味単純かもしれんな」
烈は少し思案する。
「古は『オーガ』を聞いた事があるか?」
「おーが、何かむかーし聞いた記憶があるよーな……」
ムムムと顎に手をやり、文字通り頭を捻り出す古。
「『オーガ』、範馬勇次郎という武術家の通り名だ。我らが〝理〟の極地なら、彼こそが〝力〟の極地だろう」
「範馬勇次郎。なんか聞き覚えあるネ。そんなに強いアルか?」
「強いな。私は何度か彼の戦いを見ているが、彼は技を使わない。使うとしても余興だ。武の道にありながら武を使わず、己の膂力のみを使って戦う。そういう男だ」
古はポカーンと、口を開けている。頭にはハテナマークが浮いていた。
「武術家なのに武術を使わないアルか? それってバカアルか?」
古の言葉に烈は一瞬硬直し、その後噴出した様に笑った。
「クハ! ハハハハ、バカか。確かにそうだな、オーガはバカだ」
烈は一通り笑った後、顔を引き締めた。
「……だがな、そのバカに我らが中国武術は一度負けたのだ」
「負けた? 負けたアルか!」
「古には言っていなかったな。去年の事だ。海王の一人であられる劉海王が、範馬勇次郎に倒されている。顔の皮を剥がされてな」
途端、古の顔に緊張が走る。
「劉、老師が……」
「そうか、古も一度会っていたな。あぁ、その劉海王が負けたのだ」
烈の脳裏に闘いの一部始終が蘇る。劉海王は烈の師であり、齢が百を越えてなお、比肩するものがほとんどいない強者であった。
「一瞬だった。圧倒的な〝力〟による闘い。我らはあの男に勝たねばならん」
烈は強く拳を握り、闘志を露にする。
「劉老師……。うん、決めたアル!」
古が体を飛び跳ねさせ、拳を振り上げた。
「ワタシがそのオーガをぶっ倒すアル!」
勢い良く叫ぶ。
「とりあえず、今度の麻帆良祭で格闘に関する大会に沢山出るネ!」
古の言葉に、烈は笑みを浮かべた。
「ほう、大きく出たものだな。それにこの祭りでは何か大会があるのか?」
「そうネ! 中武研の後輩が言ってたアル。今年は小さい格闘大会が何個かあるらしいネ」
「ふむ」
烈はなにか思いついたような表情をした。
「ならば私もどれかに出場しよう。切りが良いだろう、その大会が終わったら麻帆良を去るとしよう」
烈の言葉に、古が喜びを露にする。
「おぉ! 老師も出るアルか! 老師が出場する大会決まったら、ワタシにも教えて欲しいアル」
「いや、教えん」
烈が口角を上げる。
「私と戦いたくば、全てに出ろ。そうすれば私とも戦えるぞ」
そんな烈の挑発に、古も闘志を燃え上がらせた。
「ヌフフフ、分かったアル! ワタシは全部に出て、片っ端から優勝するアル!」
そう、古は力強く宣言した。
◆
「う、うまい」
もぐもぐと箸を進めながら千雨が呟く。
千雨とアキラが座るテーブルには幾つかの点心が置かれていた。
肉まん、あんまん、餃子に春巻きなどという一般的なものから、小籠包やちまきといった手のかかる物まである。
超の屋台で働くためにやってきた千雨とアキラだったが、仕事に関する一通りの説明を受けた後、屋台の試食を勧められたのだ。
思いのほか仕事の説明は早く終わり、開店まで一時間程ある。自分達の給仕する物に興味があった千雨達は時間の余裕も助け、その申し出を快く受けたのだ。
アキラを口元を手で隠しながら咀嚼し、その美味しさに表情をコロコロと変えていた。
「本当に美味しい……」
「どうネ、うちのシェフの腕前は」
超が自信満々といった表情で聞いてくる。
「いや、本当にスゲェよ。中学生とは思えないレベルだな」
路面電車を改造した屋台。その車内にある厨房でクラスメイトの四葉五月が仕込をしていた。千雨の言葉に、手を止めないまま「ありがとうございます」と小さい声で答える。
目の前にある数々の点心、冷凍食品などでも食べれる身近な品々もたくさんあるが、これらの料理は全て五月の手作りらしい。
料理に舌鼓を打ちながら、超に全て五月が手作りをしている事を聞かされた際、千雨達は少なからず驚いたものだった。
アキラも五月が料理上手なのは知っていたが、これほどとは知らなかったようである。
元来小食の千雨も美味しくて箸が止まらないようで、先程からヒョイヒョイと皿に乗った点心を平らげていた。
「あ~、千雨サン。仕事前だからあんまり食べ過ぎると後が大変ネ」
「う……」
口に胡麻団子を頬張りながら、言葉に詰まる千雨。
気付けばけっこう食べており、体が重くなってたりする。
千雨はテーブルに置いてあるお茶を一口飲み、気まずそうにごちそうさまと呟いた。
続いてアキラも箸を置く。元々体育会系のアキラは健啖なのか、食事量も余裕があった。。
「じゃあお皿を片付けたら、開店準備と行こうかネ!」
超が立ち上がるのに合わせ、千雨達も立ち上がった。
千雨もアキラも件のチャイナドレスを着ていた。
千雨は以前と同じく、髪をアップにしお団子状にしていた。裾が膝上までしかないの短いミニの赤いチャイナドレス、腰にはエプロンも巻かれている。
対してアキラはいつも通りのポニーテールのまま、青いチャイナドレスを着ていた。身長が高く足が千雨よりも長いため、アキラは裾が膝下まで伸びて長いものを選んでいる。だがサイドに付けられたスリットが普通より深めに作られており、足元の露出は千雨以上に多かったりする。
「了解。色々ご指導ご鞭撻頼むぜ店長」
「まかせるネ」
こうして千雨とアキラの『超包子』でのアルバイトが始まった。
◆
承太郎と分かれた康一は、ただ何をする事も無くボーッとしていた。近くの建物の壁に背中を預け、辛気臭い顔を地面に向けている。
日は傾き、空が橙色に染まり出す。
未だ喧騒は止まないが、その音は遠い。
人気の少ない裏通り。ただ無気力に俯き、手の中の〝卵〟の感触を確認した。だが――。
「こんなモノ……」
手にある〝卵〟にイラ立ちを感じる。消えろ、と意識すれば卵は綺麗に手の平から消えていた。
もう片方の手には承太郎に渡されたメモ用紙があった。承太郎の名前と携帯電話の番号が書かれたソレを、最初は捨てようとも考えたが、とりあえずポケットにねじ込んでおく。
(帰ろう)
康一は寮に帰るために歩み始める。
相変わらず足取りは重く、ヨタヨタと歩く様は情けなさが溢れ出ていた。
背を預けていた建物から離れたところで、道の小さな段差に足を引っ掛けてしまう。
「うわっっと」
あやうく転びそうになるが、どうにか持ちこたえる。
その時『ビスビスッ!』と奇妙な音が聞こえた。聞きなれない音に振り向くも、そこには何も無い。
ただ足元に異常があった。
「蟻の巣?」
自分が先程まで立っていた場所に、小さな穴が沢山開いていた。一つ一つを見れば蟻の巣の様だが、ここは石畳の通りである。石畳に綺麗な幾何学模様を描きながら、小さな穴が整然と並んでいる。
康一はその穴に触ろうとするも、奇妙な〝空気の感触〟を感じ、慌てて手を下げた。
すると――。
「うわッ!」
目の前は幾つもの小さな光条が通り過ぎた。そして地面には再び小さな穴が開いている。
康一は愕然としながら、瞬時に恐怖が迫り出す。
ガタガタと震える体を叱咤し、逃げ出そうと必死に走り始める。
ビスビスッ! っと再び何かが弾ける様な音が背後からした。同時に肩を何かが掠める。
「ぐぅ!」
熱を帯びた痛み。
見れば、半袖のワイシャツの肩に赤い穴が数個出来ている。赤いのは自らの血だった。
近くにあった街灯の根元に飛びついた。自らの体を完全に隠せるわけでは無いが、小柄な康一だと体を丸めれば街灯の影にほとんどが隠れた。
康一は街灯の影に座り込みながら、自分を〝撃ってきた〟方向を覗き見た。
そこに目ぼしい人影は見えない。しかし。
「何だ、アレ」
近くの建物の二階の窓枠部分に小さい人影があった。本当に小さい。十センチ足らずの小さな人影が沢山あるのだ。
良く見ればその小さな人影の一つ一つが銃を持っていた。人影の格好も見れば、まるで軍服の様な格好をしている。康一はすぐにミリタリーフィギュアのミニチュアを想起した。
見えるだけでも人影は二十を越えている。そのミニチュアの兵隊が、どうやら自分を狙って攻撃したらしい。
「あれもスタンド?」
少なくとも、自分の知っている《学園都市》の超能力であの様なものを見たことは無い。それに《学園都市》ならば、こんな能力を作る前にもっと効率的な兵器を作るだろう。
ゴクリと喉が鳴る。
一見すればオモチャの兵隊だが、あのミニチュアの一つ一つの持つ銃の威力は本物だ。
先程の『ビスビスッ!』というのも発砲音だと想像できた。
ズキズキと痛む自らの肩を握った。恐らく針で刺された程度の穴だとは思うが、当たる場所によっては致命傷になるだろう。
「なんで、なんで僕ばっかり……」
恐怖が体を覆う。出来もしない後悔が頭を過ぎり出す。
(誰か、助けてよ)
視界に涙が滲む。そこで、康一は先程渡されたメモ用紙帳を思い出した。
「そうだ、電話! 電話だ!」
震える手をポケットに突っ込み、お目当ての紙をどうにか見つける。
そして携帯電話を取り出し、承太郎の電話番号を入力しようとする。
「えーと、09……」
その瞬間、遠くからの小さい発砲音と共にメモ用紙が弾けた。
「わっ!」
康一は慌ててメモ用紙から手を離し、体を丸める。携帯電話も落としてしまい、石畳を滑り遠くまで行ってしまう。
石畳に落ちたメモ用紙は、ミニチュアの兵隊の攻撃のせいで穴だらけになっていた。
「あぁ……」
最後の頼みが途切れ、康一の顔に絶望が走る。
「まーったくよぉ~、困るんだよなぁ。余計な事されるとよぉ」
ふいに康一の背後から男の声が聞こえた。男の声に、康一の動機が激しくなる。
「広瀬康一の監視を〝命令〟されててよぉー、楽な仕事だと思ったらあの空条承太郎と接触しちまう」
康一は未だ振り向けない。街灯をピッタリと背にしたまま、男の声を必死に聞いていた。
「まぁ、おかげで終わりが見えた。『空条承太郎と接触したら殺してよい』、これが〝アイツ〟が課した俺へのゴールだ。おかげで解放される事が出来るぜ、この胸糞ワリィ爆弾とよぉ!」
(ば、爆弾ッ!)
自らの心音が更に速くなる。男の言っている事が、なんとなく分かった気がする。おそらくこの男も〝アイツ〟にスタンドを課せられているのだろう。
(こ、この人も僕と同じ、なら――)
康一はどこかすがる様に後ろを振り向いた。
男は十メートル程先に立っており、自分と同じ制服を着ていた、どうやら同じ高校生らしい。
だが、背も肩幅も自分より大きく、一目で上級生と分かった。髪を後ろに流しながらも、襟首でまとめて尻尾の様に髪を垂らしている。
顔立ちは良いが、どこかふてぶてしい表情をしていた。
(む、無理だ)
しかし、康一は男を見てすぐに悟る。この男と和解は無理だろうと。
なにも男の体格や言動に惑わされたわけでは無い。
目。目であった。
嗜虐を好む瞳。康一が《学園都市》でさんざん見て、逃げ出す切っ掛けになった目を男は持っていた。
康一の心身に刻まれた、《学園都市》での苦痛の日々が思い出される。
ガチガチと歯の根が合わなくなる。
「さーてと広瀬君よォ! 早速なってもらおうかァ!」
男がポケットに手を突っ込み、歪な笑みを浮かべた。
同時に男の周囲に様々なものが集まる。
足元にはミニチュアの兵隊。今度は模型の様な戦車も混じっている。
空中にもやはりミニチュアの戦闘ヘリ。男の頭より少し上に四機も浮かんでいた。
男を中心にミニチュアの軍隊が整列していた。その光景に、康一は恐怖を深める。
「この虹村形兆のスタンド『バッド・カンパニー』の餌食になァァ!」
男――虹村形兆――はそう吠えた。
つづく。
(2011/08/31 あとがき削除)