広瀬康一は重い足取りを引きずって教室へ入った。
あの襲撃事件から二週間以上も経っているが、未だ犯人への糸口が掴めていなかった。いや、それどころか何をすればいいのかすら判らない。ただ、手の中にザラついた〝卵〟の感触があるだけだ。
あの日、病院に運び込まれた後、康一は三日間程入院した。一緒に運び込まれた絹保は怪我すら無いのに意識不明。康一に至っては、大量の出血痕が見えるのに傷が無いという状況だ。
精密検査を受けたり、警察の事情聴取を受けたりしてあっという間に三日間が過ぎ、康一のみが退院と相成った。康一はあの日の事を話していない。〝話すことが出来ない〟し、〝思い出す〟事も出来ないのだ。
あの日、目の前に立った人間の顔も体格もおぼろげだ。男だった様な気もするが、確信が持てない。それぐらい記憶があやふやにされているのだ。
康一は事情を聞きに来た人物達に、ただ知らぬ存ぜぬを通し続けた。
絹保が目覚めない事と、ここ最近の不審者の目撃で大事になりそうな中、あの事件を覆い隠さんばかりに麻帆良での爆発事故が起きた。どうやらガス漏れ事故らしいが、康一も病室の窓からその光景を見ていた。
まるで麻帆良が戦場に変わったようだった。そこらかしこから上がる悲鳴や黒煙。後日、さほどの被害規模では無い事が発表されたものの、沈んでいた康一の精神はさらに押しつぶされた。
「はぁ……」
ため息を一つ。
康一は何人かの朝の挨拶に小さい声で答えつつ、自分の席へと向かう。
「よう、康一」
「……おはよう」
クラスメイトである東方仗助の言葉も軽く返し、自分の席へ座る。
そんな康一を、仗助と隣に座る豪徳寺薫は背後から見つめていた。
仗助達も康一がここ二週間程気落ちしている事を知っている。学校を欠席していた数日の間に何かがあっただろう事も察していた。
無理に聞き出すのも戸惑われ、気が紛れるだろうと何回か遊びに誘ったものの、全て断られている。
リーゼントに長ランという時代錯誤なツッパリスタイルをしている二人だが、その中身はけっこう優しい。友人である康一を放っておけず、一度無理やり聞き出そうとした事があったが、康一が怒り心頭で拒絶したのだ。気弱な康一が怒った所を二人は初めて見た。
そんな事があったせいか、どこか仗助達と康一の間に薄っすらと溝が出来ていた。
仗助達の視線の先では、康一がぼーっとしながら座っている。
周りの学生達は時間を惜しみながら、教科書や参考書を必死で読み漁っている。
仗助達とて例外では無い。康一を見ながらも、手元には教科書が開かれている。
「なぁ仗助。康一の奴、今日が期末テストだって気付いてないんじゃないか」
「だろうな」
仗助は頬杖を付きながら教科書を斜め読みしていく。昨日それなりに勉強した箇所なので、頭には入っている。あくまで確認のための作業だ。
そうしていると、担任の教師が教室に入ってきた。
日直の号令の後、教師から期末テストの用意を言い渡された。クラス中が粛々と準備をする中、康一一人だけが慌てている。
(やっぱりな)
仗助は予感が的中したと思った。どうやら本当に期末テストを忘れてたらしい。
康一は慌てて教科書をバッグに戻したせいで、ペンケースの中身を床にぶちまけた。更に慌てながらペンケースの中身を拾う。周囲の人間がそれを手伝っていた。
仗助はそんな康一を見ながら小さく呟く。
「本当に、どうしたもんかね」
第34話「痕跡」
空条承太郎は久しぶりに麻帆良の地へやって来ていた。
先月起こった《スタンド・ウィルス事件》、そして犯人たる音石明の死から一ヶ月が経っている。
音石明を殺した真犯人は未だ謎だ。だが、承太郎とて暇では無い。
麻帆良にいつまでも張り付いているわけにはいかず、一時的に麻帆良を離れていた。
その間自分達――スピードワゴン財団――の保護下にある大河内アキラが、何かしらの事件に巻き込まれた事を知った。
承太郎の支援を行なっているスピードワゴン財団から、逐一送られてくる事件の経過。その断片の中に見え隠れする言葉があった。
〝イタリア〟。
綾瀬夕映、ジョゼ、義体、社会福祉公社、ジョンガリ・A、スタンド使い。
本来スタンド使いと呼ばれる存在は稀有なのだ。なのに、何かに導かれるようにこの場所へ集まってくる。スタンドに関する研究チームも持つスピードワゴン財団とて、所属しているスタンド使いの数はたかが知れている。
学園都市、ピノッキオ、リゾット・ネエロ、パッショーネ・ファミリー。
事件の進行と共に、〝イタリア〟という言葉はより強く絡まっていく。
丁度同時期、承太郎の視線はイタリアに向いていた。
元々、イタリアにある《パッショーネ・ファミリー》というギャング組織にスピードワゴン財団は注視していたのだ。
この《パッショーネ・ファミリー》には、スタンド使い〝らしき〟人物が多いと財団は見解を示している。スタンド使いか否か、それをスタンド使いじゃない人間が判断するのは難しい。
されど、このギャング組織には不可解な痕跡が多いのだ。人間一人分の肉体が、幅三センチ足らずの立方体の細切れになり見つかった事件。まるで、タンク・ローリーにでも引かれた様に薄くペラペラになった遺体。どう見ても不自然とか言いようが無い事件の数々。これらの事件の背後には《パッショーネ・ファミリー》の影がちらついた。
ある程度の知識があれば確信に至るだろう。
偶然も多々あるだろうが、おそらくイタリアには《矢》がある。
触れた者に『死』か『スタンド使い』か、二者択一を強制する《矢》だ。
そんなイタリアの《パッショーネ・ファミリー》に動きがあったらしい。秘密主義で知られる組織のボスが死んだ、との事だ。
千雨達が《学園都市》に潜入している間の前後、組織内で何やら激しい抗争があった様だ。
現在崩れかかった組織を立て直し、ボスの座に就いているのは十五歳の青年だという。
話だけを聞けば馬鹿馬鹿しい戯言だと思う。だが、幾つもの情報がこれを是としている。
更に調べていくと、この青年の出生に怖気がたった。
名前は『汐華初流乃(しおばなはるの)』、日本人女性を母に持つイタリア国籍の青年だという事だが、父親の名前が分からないのだ。
ただ十五年ほど前、彼の母親と承太郎の宿敵たるDIO(ディオ)に親交があった事が確認されている。
ディオ、承太郎の血筋『ジョースター一族』と浅くない因縁がある男だ。
彼とジョースター一族の戦いは百年を越える。自らを吸血鬼としたディオは、無限の生をいきていた。そしてこの長い戦いに終止符を打ったのは、誰でもない承太郎だ。
しかし、ディオの残した因子はまだ世界中に散らばっている。《矢》もその一つだ。彼のシンパと言える存在も多々いるだろう。
承太郎には理解出来なかったが、ディオに魅了され信奉する人間は多かったらしい。
『汐華初流乃』、どうやら今はジョルノ・ジョバァーナと名乗っているらしいが、彼にはディオの遺児である可能性がある。
十五歳がギャングのボスになる。この結果だけ見ても、ジョルノが只者であるとは思えない。
結果、承太郎は思うのだ。
この一ヶ月余りの事件、様々な要素が絡まり見えにくくなっているが、本来はもっとシンプルなのでは無いかと。
《矢》と《矢》。
麻帆良に存在する《矢》と、イタリアにあるだろう《矢》。その二つの力の引き合いこそが、事件の根幹じゃなかろうか。
「ったく、やれやれだぜ」
麻帆良の石畳を歩きながら状況を確認すると、知らず愚痴が零れる。
承太郎が周りを見回すと、以前来た以上の喧騒に包まれている。どこもかしこも人々が騒ぎ、何かを作っている。
「学園祭って奴か、それにしたって――」
本格的すぎる。学生達が遊びながら作ったものとは思えないイミテーションが、街中に溢れていた。
また激しすぎる喧騒に、承太郎は顔をしかめた。
承太郎は知らなかったが、現在は麻帆良祭の準備期間であるが、喧騒は例年以上だ。準備期間が短縮された事がその主な理由だった。
そのため学生達は毎日の徹夜を押し、いつになくハイテンションなのだ。
人込みを掻き分けながら、承太郎は進む。
今、承太郎はある人物に会うために、待ち合わせ場所に向かっていた。
遠く、人込みの中でも飛び出る長身が見えた。髪型は時代遅れのリーゼント。否が応にも目立つ男だ。
承太郎と男の目が合う。どうやら相手も承太郎の存在に気がついたらしい。
承太郎が近づくと、男はペコリと頭を下げた。
「お久しぶりッス、承太郎さん」
「元気そうだな、仗助」
承太郎の言葉にニコリと笑うのは、東方仗助だ。
リーゼント頭に長ラン。一昔前の不良の格好をしているが、彼が優しい事を承太郎は知っている。
そして仗助こそが、十五歳も年下の承太郎の『叔父』であり、今日の待ち合わせ相手だった。
◆
「久しぶりだな。二年って所か」
「そうッスね~。前会った時がじいちゃんの葬式でしたからね」
二人は場所を移し、通りに面したオープンカフェでくつろいでいた。
テーブルの上にはコーヒーが二つ。温かい陽気のため仗助はアイスコーヒーを頼んだのだが、承太郎はホットだ。この陽気でも未だロングコートを脱ごうとしない承太郎ならではだった。
コーヒーを飲みながら仗助を見る。目の前の仗助は、承太郎の祖父であるジョセフ・ジョースターの息子だ。晩年見つかった隠し子でもある。
そのため承太郎の方が年上に関わらず、仗助は承太郎の『叔父』となる関係だった。
「それにしても、騒がしい所だな」
「毎年こんなもんッスよ。それに麻帆良祭当日になればこんなもんじゃないですし」
仗助はそう答えながら、ゾゾゾッとアイスコーヒーをすすった。
元々宮城県に住んでいた仗助だが、中学になる時にこの麻帆良に入学した。それからは寮制の学校という事で、ほとんどの時間をこの麻帆良で過ごしている。
「そういやめでたく高校生になれたようだな。遅れたがおめでとう」
「ははは、ありがとうございます。まぁ、ほとんどのクラスメイトは中学からの顔見知りなんで、実感沸かないスけどね」
承太郎はコートの内ポケットから封筒を取り出した。
「進学祝の小遣いだ。受け取れ」
仗助に封筒を差し出す。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ! あざースッ!!!」
仗助は封筒を受け取り、中身を覗いて更に感嘆の声を上げた。
血筋による体の大きさと顔の彫りの深さ故に大人っぽく見える仗助だが、こういう時には年相応の子供に見える。
封筒をバッグに仕舞う時も、目元がニヤニヤと笑い続けていた。
それから二人は近況など、他愛も無い話をする。
そこで、ふと話が仗助のクラスメイトの話に移った。
「ふむ、それでお前はそのクラスメイトを元気付けたいってわけか」
仗助は頬杖を突きながら、もう片方の手でグラス内をストローでグルグル回している。カラカラと氷が音を鳴らした。
「ん~、まぁそうっちゃそうなんですが。なんつーか、いい奴なんスよ。そのぶん放っておけないつーんスかね」
仗助の言葉はどうにも要領を得ない。
「どういう事だ」
「いやね、最初は落ち込んでただけだと思ったんスよ。だけど、へんな仕草っつーんスか。ちょっとおかしいんですよ」
仗助がアイスコーヒ-を混ぜる手の動きが速くなった。
「たまたま見たんスけど、康一……あ、そいつの名前なんですが、その康一が良く手に何か握ってるんですね」
「ふむ、クセか何かか」
「それがよく判んないッス。手の中でボールか何かを握る仕草をしてるんスが、見ると『何も無い』んですよ」
仗助がその仕草を再現する。まるで手の中にボールがあるかの様に指を動かす。出来の悪いパントマイムの様で、確かに奇妙な仕草だった。
「前からそんなクセがあったのかどうかは、さすがに分からないんですがね。余りにも血走った目でソレをしてるんで、もしかしてヤバイもんでもやってんじゃねーかと」
「薬物の可能性があると思ってるのか」
「ビビリな康一が手を出すとは思えないんですがね。ボールの幻でも見てるのか、いつも何かを握っている仕草をしてるんスよ。まるで〝俺たちに見えない何かを見てる様に〟」
ピクリ、と承太郎の目線が鋭くなる。
「いつぐらいから、その少年はそんな行動を取っているんだ?」
「二週間ぐらい前ッスね。丁度数日休んで学校に来てから、ずっとそんな調子なんスよ」
二週間前。確か麻帆良での爆破事件もその頃だと、承太郎は思い返す。
(――スタンド)
《矢》はこの街にあるのだ。だったら街にスタンド使いはまだ沢山いるはずだ。
そして恐らくその少年こそ《スタンド使い》であろう。
確証は無い。だが、何かしらの予感があった。
痕跡だ。真犯人たる人間の痕跡。今、自分はその淵に手をかけたのだ。
仗助はスタンド使いでは無い。故に仗助には見えなかったのだろう、その少年が握っていたモノを。
「もう一度、クラスメイトの名前を教えてもらっていいか?」
「え? 別にいいスけど」
仗助はちょっと不思議そうな顔をした。
「広瀬康一ッス」
――広瀬康一。
承太郎はその名前を刻み込んだ。
◆
ドタバタと騒がしい喧騒が教室の中を満たしていた。
千雨は辟易しながら、どこか他人事の様にその光景を見ている。
「ちょっと明日菜さん、なんですのソレ!」
「うっさいわね、別にいいでしょ!」
雪広あやかと神楽坂明日菜のいつものやり取りが始まった。
仕切り屋のあやかと大雑把な明日菜が衝突するのも、数えれば十回を越えているだろう。
期末テストが終わった翌日から、麻帆良学園内は麻帆良祭に向けた準備期間となる。例年より一週間も短い準備期間のため、必然学生達は慌しくなった。
ある程度計画的なクラスは期末テスト前からチョコチョコと準備をしていたらしいが、2-Aに限ってそんな殊勝な心掛けは無い。
テスト終了と共にゼロからの準備が始まった。
麻帆良祭では学生達による催し物の営業を可としている。中等部から金銭の扱いも許可されるため、三日間という短い期間ながら学園祭とは思えない規模の金額が動くのだ。
大学の研究室などは、企業への技術プロモーションという側面も持っている。逆に企業側が麻帆良の優秀な学生を青田買いしていく事もあるくらいだ。
中高生にとっても無関係では無い。毎年クラスの出し物での売り上げが発表されるが、トップともなれば金額の桁が八桁に及ぶこともある。
クラブにとっては部費を稼ぐチャンスだ。部費の少ない弱小クラブも、麻帆良祭での逆転を狙っている。
まさに学生達から見れば千載一遇。
この機に一発当てれば様々な夢が叶うかもしれないのだ。俄然気合が入る。
実際2-Aも出し物を決めるときに紛糾した。
『武道四天王』がいるのでリングを設置した武道ショーをやろうという意見や、お好み屋などの飲食店という意見。
バンドや演劇など様々な案が飛び出したが、クラス内では意見が割れた。
実際、期末テスト期間になっても出し物は決まらなかった。結果、体育館などの施設使用の申請締め切りに間に合わず、武道ショーやら演劇などは立ち消えとなってしまった。
残るは教室内で出来るものだけとなり、飲食店という意見が大多数を占めた。
これで決まりかと思いきや……。
「メイド喫茶だ」「いや、そんなありきたりじゃ飽きられる、ここは巫女さん喫茶に」「それこそ……」
とかくやもまた意見が割れた。最終的に鶴の一声ならぬ超の一声が決定打となった。
「だったら全てやればいいネ」
というわけで2-Aの出し物は『メイド喫茶』となった。教室を改装しながら、クラスメイトが必死で縫い物をしつつ、更にその横では軽食やドリンクの検討が為されている。
内装の雰囲気はヴィクトリア調もかくやといった感じで、元々の校舎の作りと合わさり、なかなか異国情緒溢れる欧風な出来になってきている。みんなが着るメイド服にしろ、漫画などに出てくるものよりも本格的でクラシカルな印象となっていた。
だが、これだけ見るとそこらにある十把一絡げの『メイド喫茶』と変わらないが、2-Aのメイド喫茶には『〝超電脳〟メイド喫茶』と、奇妙な文字が頭に付いていた。
内装やら衣装作りを必死でしている片隅で、超がスポットライトの様なものを付けたスタンドを幾つか立てていた。そのスタンドが並ぶ中央に、まだ未完成だろうメイド服を着た和泉亜子が立っていた。
「さぁさ、お立会いネ。実験開始するヨ。あ、教室の暗幕も閉めておいて欲しいネ」
昼間という事で、暗幕を使ってもまだ教室内は幾らか明るい。薄ぼんやりした教室の中、みんなの視線が亜子に集まった。
「うぅ……」
亜子が恥ずかしそうに身じろぐ。
「では、スイッチオン!」
超の言葉と共に、スポットライトに小さな明りが付く。さほど強い光量では無いようだ。
だが、スポットライトの点滅と共に亜子の姿が一変した。
「ふ、ふぇ~~、なんやのぉ!」
先程までメイド姿だったのに、何故か今は露出の激しいバニーガール姿になっている。
『おぉぉ~~~』
周囲から一斉に感嘆の声が上がる。
「どうネ、私の研究室で開発した立体投影は。この様にボタン一つで様々な衣装にチェンジ可能ヨ」
そう言いながら超は次々と亜子の衣装を変えていく。
「ギャーーー!」
一部に余りにも過激な衣装があり、亜子は絶叫を上げた。最終的には元のバニーガール姿に落ち着く。
「ムフフ、露出が激しいように見えても心配いらないネ」
超は亜子に近づき、露出の激しい二の腕をツンツンと突付いた。
「ひゃ……って、あれ?」
「もちろん肌が露出してる様に見えても、実際は服の上に投射してる仕組みネ」
肌を直接触られると思い声を上げた亜子だったが、思いがけない服越しの感触にキョトンとした。超はそんな反応を交えつつ、このシステムの解説をしていく。
超はスポットライトが当たる中央に手を伸ばし拳を握る。そして一拍置いて開けば、手の平からファンシーにデフォルメされた魚が飛び出した。空中にプカプカと浮いている。まるで空を泳ぐ魚の様だ。
「こーんな風なありえない物も投影可能ヨ。これで衣装共々教室内を不思議空間にコーディネイト出来るネ」
超がそのままパチンと指を弾くと、亜子の周りの空間だけ水に満たされた。まるで透明な円柱形の水槽に入れられた様だが、どうやらこれも立体投影らしい。
「まぁ、まだ長時間は稼動できないから、喫茶内の限定イベントくらいにしか使えないのが問題ネ」
ナハハと笑う超。
実験は終わったのか、葉加瀬が暗幕を開き、明るい日差しが教室を照らした。
それと同時に亜子のバニーガール姿が徐々に透過し、メイド服姿と重なって表示される。
「暗幕が無いと、さすがに完全に映像を重ねる事ができないネ」
「ムムム、ですがこれは使えますわね。普段はクラシカルな王道メイド喫茶。客入りの短い期間だけイベントと称してこれを行なう……超さん、これはどれくらいの規模で実行できますの」
あやかが顎に手を添えながら聞く。
「もちろん教室内は完璧にカバー出来るネ。費用に関してもウチの研究室の名前を出してくれればこちらで負担するヨ。丁度実験データも欲しかったしネ。ただ、人や物が立体投影を妨害すると思うので、このライトの数をかなり多くしなくちゃいけないヨ」
ヒョイと超が指でつまんで出したのが、どうやらそのライトの本体らしい。五センチほどの楕円形の機械であり、かなり小さい。
「これを教室中に設置するネ。まだ実験機で耐久度が低いから、一個に付きせいぜい一、ニ時間の稼動が限界ヨ」
「ですが充分ですわね。超さん、ぜひご協力お願いしますわ!」
「了解ネ、いいんちょ」
ガッシリと握手する二人。
その周囲にクラスメイトがワイワイと集まってきた。
「でもすごいよねー!」
「これ使えば、私達全員イケメンにも変身できるんじゃない!」
「いやいや、モンスターとかに変身して、ダンジョン喫茶とかも」
「なら教室ごと空中の風景にして……」
様々な意見を出し合い、笑いあっている。
千雨はそんな一連の様子を教室の端にある椅子に腰掛けつつ、遠めに見ていた。
(テンション高ぇ……)
千雨は机の上に載ったノートPCをポチポチ打ちながら、内心で呟く。
何故か千雨は経理係に決定し、準備に使われる材料費やらなどの集計を任されていた。
まだ準備初日という事で大した仕事は無いが、手持ち無沙汰なのでポチポチと数枚ポッキリの領収書の内容を打ち込んでいる。
(つーか超の屋台手伝うのに、こっちでまでコスプレなんてやってられるか)
ふと千雨の視界に、縫いかけで放り出されたメイド服が視界に入った。ミシンを使っているのに、縫い目は醜く波打ち、どうにも拙い。
(クソ、なんでこんな事も出来ないんだ。もっと綺麗に縫えよな)
千雨は料理などの家事はほぼ全滅しているが、裁縫だけは得意だったりする。それは以前好きだった彼女のある趣味からなのだが……。
(コスプレなんて……)
(好き、だよね)
千雨の思考に割ってはいる言葉。アキラだった。千雨とアキラはスタンド・ウィルスにより思考の共有化や通信などが出来るのだ。
少し離れている場所に立つアキラを、千雨はキッと睨みつける。それに対しアキラはニコリと笑い返すばかりだ。
何か言い返そうとするも、反論が出ず口をパクパクさせた。千雨は顔が赤くなるのを感じ、柳眉を下げることもせずそっぽを向く。
この二ヶ月ばかり、千雨は生活のほとんどをアキラに依存している。そのため大抵のことを見透かされているのだ。
千雨の学習机の上にあるノートに書かれた自作ポエムも、クローゼット内にある自作のアニメコスチュームも、千雨の恥部となるものは全て見られていた。
ついでに餌付けにより胃袋も握られているのだから、千雨がアキラに勝てるはずも無い。
(~~~~ッ!)
コスプレ好きで悪いかよ! という意志が脳内を走り回りながら、羞恥で言葉に纏まらない。
あさっての方向を向きつつ、懊悩する千雨の姿を見ながら、アキラは「ほうっ」と吐息する。
千雨の羞恥の感情がスタンドを通し伝わり、何故かアキラの血圧が上がった。息も荒くなる。
「ど、どうしたんデスか、アキラさん」
ジュルジュルと『バジル風大納言小豆ジュース』なる物を飲みながら実験を見ていた夕映が、隣に立つアキラの変化にビクリと驚く。
「ハァハァ……うん、何でも無い。何でも」
赤味を隠すように頬に手の平を添えつつ、息も荒々しいアキラ。どう考えてもおかしいが、夕映は「そうですか」と答えながらニ歩離れた。
だが興奮の収まらないアキラの視線の先を見て、夕映は納得した。
顔を赤くしながらうんうんと唸る千雨。その困っている姿が微妙に可愛かった。
ついで、近くの席の机の上には作りかけのメイド服がある。
夕映の聡明な頭脳がこの状況からある結論を導く。
(千雨さん)
(――ッ! な、なんだ夕映)
千雨と夕映も《楽園》という超科学の技術により、意志一つで通信をし合える繋がりがあった。
(千雨さんなら似合うと思うデス。そのメイド服も)
(なななな、何を言ってるんだ、夕映!)
千雨が再び顔を上げ、夕映を見つめた。
(別に恥ずかしがらなくて良いと思うのデスが)
(う、うるさいッ! 大体なんで急にそんな話にッ!)
などという言葉の応酬が千雨と夕映の間で繰り広げられた。だが、傍から見れば無言で見詰め合ってるに等しい。
幾らか距離があるが、目で見つめあいながらお互いが表情を変えている姿は、まさに『目で通じ合っている』様に見えた。
「うわ~、無言で会話してるわ~」
「ゆえゆえ、すごい」
呆れたように呟く早乙女ハルナと、何故か感嘆している宮崎のどかがそんなやり取りを見ながら呟いた。
千雨はアキラや夕映と通信しつつ、イライラとノートPCのキーボードを叩いた。
未だ気恥ずかしさは抜けず、顔は赤くなったままである。
ふとそこで、ワイワイと騒ぎあってた集団の中心人物、超の言葉に千雨の名前が混じった。
「なら、千雨さんに頼むと良いネ。きっとあっという間に作ってくれるヨ」
「ふえ?」
急に話題を振られ、キョトンとする千雨を、ワイワイガヤガヤと寄り集まっていた2-Aの集団が見つめた。
一斉に見つめられ、千雨が後ずさる。
「い、一体何なんだ」
「むふふ、もちろんこの『〝超電脳〟メイド喫茶』の要たる投影データヨ。さすがに幾つかの衣装データは私とハカセが試作したが、今後を考えるとさすがに人手が足りないネ」
「だ、だからって何でわたしにッ!」
「いや~、千雨さんはそういう衣装デザインとか得意なのかと思ったヨ」
「――ッ!」
タラリと冷や汗が流れる。何故バレてる、と内心苦虫を潰した。
「それに私達のクラス、そんなにデジタルに強くないヨ。モデリングデータを作れるのは、私とハカセ除いたら千雨さんくらいネ」
「うぐッ……」
確かに中学二年生となれば、それぞれ人並に携帯やらパソコンやらを弄るが、千雨の様に専門的スキルを要求するのは無理だろう。
「千雨さん、お願いネ」
ウィンクしながら片手でお願いする様なポーズを取る超に、千雨は拒否の言葉を飲み込んだ。
「わ、わかったよ」
「みんな、千雨さん了承してくれたようネ」
わぁぁぁぁ、とクラスメイトが千雨の周囲に集まった。
「長谷川ー、カウボーイみたいな衣装作ってよ! 西部劇みたいなヤツ」
明石裕奈が早速千雨にオーダーを言った。
「ぐッ、だったら着替えりゃいいだろ、着替えれば」
「え~、違うよ。こうメイド服を着たまま、ヒラリと回転したらカウボーイってのがカッコイイんじゃん」
「訳わから……、いや、確かにそれはアリかもな」
即座に否定しようとするものの、裕奈の言葉のどこかが千雨の琴線に触れたらしい。
「千雨ちゃん、私はウエディング・ドレスが良いなぁ。こうね、フリルの間に花の蕾がいっぱいあって、歩くたびにそれが開いていくの」
「え~、それキモくない?」
「そうかなー」
そんな会話が周囲で囁かれる中、千雨は思考を分割しながらノートPCを電子干渉(スナーク)していた。
このPCは経理用に、と超に今日貸与されたばっかりの物だ。恐らく彼女の事である、千雨が了承する事も考慮し、立体投影とやらのモデリングソフトを入れてあるはずだ。
(やっぱりな、ビンゴ)
ハードディスクの中身をザラっと自らの能力で直接洗い出しつつ、お目当てのソフトを見つけ、ある程度の内容把握をする。この間五秒程度だった。
(どうせこいつら、ある程度のモデリングでも見せてやらんと落ち着かないだろう)
「衣装のデータを作るなんて、そんなすぐに出来るわけ無いだろ」なんて言えば、ブーイングし出すのが目に見えていた。
付属してあったサンプルデータを脳内に読み込み、衣装やら風景やらの構築方式も大雑把に覚えていく。
その間、千雨の右手はノロノロとノートPC上のカーソルを動かし、件のソフトのアイコンをクリックしたばかりだ。
ジジジ、と小さい駆動音を上げながらソフトが起動した。
立ち上がったソフトをマウスでポチポチとイジりながら、サンプルデータに偽装したファイルを読み込む。実際はバックステージで、千雨が数秒で捏造したデータだ。
幾つかのサンプルデータを読み込み、それらをつぎはぎしている作業を見せ、裕奈所望のカウボーイルックを作り出す。
「ほらよ、こんなもんか? まぁサンプルデータの寄せ集めだから、わたしはほとんど何もやってないがな」
「うわ~、でもすげぇよ長谷川! いい感じで雰囲気出てるじゃん!」
モニターに表示された衣装に裕奈は驚嘆の声を上げる。
千雨に賛辞を送りながらも、あーだこーだと細かい注文を付けている。千雨もそれに「へいへい」と答えながら、適当にいじっていく。
ガヤガヤとパソコンの周りに人が集まり、千雨にどんどんリクエストを挙げていく。最初はある程度相手していた千雨だったが、注文の多さに次第に苛立っていく。
「ってゆーか、お前ら自分の仕事しろよ! 暑苦しい!」
ついには千雨の方が爆発する。鳴滝風香など「はせがわが怒った~」などとケタケタ笑いながら走り回っている。
そんな喧騒の片隅で、どこかモデル然とした風貌の柿崎美砂が、同じチアリーディング部所属の釘宮円と話していた。
「フフフ、なーんか面白くなりそう。そう思わない円」
「まぁ騒がしくはなりそうね」
周囲の余りのハイテンションっぷりに、円は少し呆れながら言葉を返した。
「3Dってすごいよねー。今回の麻帆良祭ではパパも来るし、私もスンゴイ衣装作って貰わなきゃ!」
「パパって。あんたんち、お父さんすごい忙しいんじゃなかったっけ」
「パパはいつも世界中を飛び回る仕事をしてるらしいんだけど、今回は都合付いたんで来てくれるらしいの!」
美砂は嬉しそうに言う。にこやかな笑顔の美砂に円もどこか微笑ましさを感じ、つられて笑った。
「そっか、良かったじゃん」
「うん!」
つづく。
(2011/04/04 あとがき削除)