状況は最悪だ。
しかし、まだ皆が生きている。
アキラも、ルイも、ドーラ一家も、ウフコックも、そして夕映も。
喉の奥からせり上がる恐怖を奥歯で噛み潰し、まっすぐ前を見据えて歩く。
背中には両親の温もりがあった。人工皮膚(ライタイト)に焼きついた二人の手の平は、決して幻じゃないはずだ。
ならば、立ち向かわねばならない。
今の千雨には、周囲に光の糸が見えていた。
《学園都市》に戻ってきてから感じていた違和感。見られている様な感覚の正体に、今になって気付くことができた。
空気中を満たしている特殊な電子ネットワーク。
何人にも視認できないはずのソレを、より感覚が鋭敏になった千雨は感じていた。
腕を振るい、その無数の糸を束にしてグシャリと掴む。
「?」
見つめていた周囲の人間達は、千雨の奇異な行動に眉をひそめた。
だが――。
「――ふッ!」
呼気一つ、周囲にあるネットワークへの電子干渉(スナーク)を開始すると、千雨にしか見えなかった光の糸が、周囲の人間にも見えるように発光し始めた。
「そうだ。こいつらと正面向かって勝てるはずがないんだ。わたしは戦うための努力を重ねてきたわけじゃない。なら、やれる事をやるべきだ」
ルイの「お願いします」という言葉が耳に残った。救うべき味方は多く、倒すべき敵も多い。
近づいてくるヘリの音が聞こえる。ネットワークを斜め読みする限り、どうやら《学園都市》の防衛システムが働いてるらしい。
「敵は目の前のコイツらじゃない。《学園都市》そのものだ。なら――」
千雨の髪がパシリと紫電を帯び、弾けた。前髪の一部の特殊塗料が消し飛び、本来の白い髪が色を覗かせ、淡い光を放っている。
「いただくぜ、《学園都市》ッ!!!」
千雨を中心に閃光が広がる。
不意の光に『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の面々が銃を構え、『原子崩し(メルトダウナー)』が笑みを崩さぬまま、千雨に狙いを付ける。
ビルの隙間を縫うように低空飛行をする『六枚羽』の影が、遠く視界に入ってきた。
輝きの中心に立った千雨は、携帯電話を取り出した。
そこへ一通のメールが入る。わざわざ液晶を開かずとも、今の千雨にはその内容が容易に分かった。
「――ったく。遅いぜ」
千雨はそう吐き捨てながら、口角を吊り上げた。
『千雨サン、お待たせしたネ』
たった一言のメール。されどそれは千雨にとっての、最後にして最大の援軍だった。
第29話「千雨の世界ver2.01」
少しばかり時間はさかのぼる。
ロシア東部、太平洋に接するある田舎町に二人の姿があった。
超鈴音と葉加瀬聡美。
千雨のクラスメイトにして、中学生ながら大学部に研究室を持っている、天才科学者の二人である。
「うぅっ、やはり寒いですね」
「だからこそネ」
初夏といえど、緯度の高いロシアは寒かった。国土が広いため気候にはバラつきがあるものの、六月に気温十度を下回る時があるほどだ。
二人は千雨からの連絡を貰い、一路空路でロシアの土地にまで来ていた。
向かう過程でも様々なことがあったが、ここでは割愛する。
元々二人は様々な研究の実験をするため、幾つかの地域に実験用の施設を作っておいたのである。
ここの施設もその一つだ。麻帆良から一番近いという理由もあり、やって来たのだ。
千雨からの依頼は簡単。「《学園都市》との電子戦の折、助けて欲しい」という物だった。
二週間ほど前に起きた『スタンド・ウィルス事件』。千雨は麻帆良のほとんどのネットワークを手中に置き、膨大な演算力を駆使して敵を撃退した。
その事件の最中、千雨は超達の研究室も制圧してしまったわけだが、超達の持つ技術に違和感を持ったのだ。
彼女らの技術力には、千雨から見れば〝空白〟があった。技術とは本来積み重ねで出来ていく。そのため系譜の様なものを作り、ある程度の向上過程を読み解いたり、技術を発達を予想できたりもする。
されとて超達の持つ技術の一部には、その前後が無かった。ポッと出の技術が幾つも使われており、なおかつそれらの出力が現代技術に合わせる様に調整されていた。
千雨は力押しで超達の技術に打ち勝ったものの、彼女らの科学力には感嘆の念を感じていたのだ。
その技術の根本が何処にあるのかは分からない。自分とて似たような物なのだ、そこを探る気はなかった。
だが《学園都市》に行くにあたり、都市内で自分の力がどこまで及ぶか分からず、彼女達への救援を求めて今に至る。
◆
超達とて、本来そんな要望に軽く答えるわけにはいかない、
だが、超達にとってこれは好都合だった。
「ワクワクするネ」
「えぇ、学園都市との電子戦争。現行のシステムの出来を確認するのに丁度良いですね」
超の言葉に、葉加瀬はメガネを上げながら答える。
二人とて千雨達が窮地にいる事は分かっていたが、それ以上にこれからの出来事に胸を躍らせる。研究者の性だった。
町の片隅にある廃工場、元は精肉工場だった場所に二人は入る。ボロボロの内部を進んでいくと、ある場所に大きな扉が見えた。
金属製の扉である。厳重な電子ロックもされたそこを、葉加瀬は片手にもったノートパソコンを接続し、あっという間に開放する。
扉が開き始め、隙間から冷気が溢れ出た。
二人は一瞬身震いするものの、何事も無い様に中へ入っていく。
「終ぞ麻帆良内では、完全稼動出来なかたネ」
超がポンポンと叩く先には、巨大な円柱がある。直径三メートル、高さ五メートルに及ぶ円筒形のソレは超達が開発した特殊サーバーだ。それが二つ、連結する形で置かれている。
「消費電力も、発熱量も桁違いですからね。大学の研究棟では、すぐに電源落ちちゃいますよ。それにこの巨大な冷凍庫並みの冷却システムが無ければ、あっとい間に蒸し焼きになっちゃいます」
彼女らがわざわざロシアに、サーバーを移設した理由だった。
サーバーはブーンという巨大な音を響かせ起動し始めた。表面の金属もすぐに熱を持ち始める。
「コンディションも上々、ハードウェアに問題なさそうネ」
「定期メンテナンスのおかげですね。さっさとやっちゃいましょうか」
超は白衣を翻した。
「敵は《学園都市》。四つのターミナルセンターなど、幾つか問題あるが、まぁいいネ。物理的な問題が無い限り、私達の障害にはならないヨ」
超は不敵な笑みをこぼした。
「それに千雨サンと、もう取引したしネ」
「超さん。本当にあんな要求で良かったんですか?」
葉加瀬はノートパソコンから顔を上げ、ジトリと超を見た。
「何言うてるネ! とても重要なコトヨ」
「あーはいはい、分かりました。それじゃ超さん」
「うむ。『超包子7号ロシア店』のデリバリーサービス開始ネ!」
超の携帯から一通のメールが送られる。
そして背後にあるサーバー『超包子7号ロシア店』が、豪快な唸り声を上げた。
◆
千雨は電脳世界にダイブをした。広がるネットの海に立ちふさがるのは、一万五千の『シスターズ』。
彼女らと正面から戦い続けた千雨は、彼女らの単純な実力が自分を上回っている事を知っている。
分割思考を最大の四千にした。千雨の周りに四千の分身体が現れ、『シスターズ』と対峙する。
(時間が無い)
千雨の体には銃口が突きつけられ、目前にヘリが迫っていた。おそらく二秒にも満たない時間で、千雨はこの状況を打破しなければならない。
(上等ッ!)
高速思考がより高まった。本来、普通の人間であれば呼吸一回で満たしてしまう時間に、千雨は幾回もの思考を重ねつつ、行動を起こす。
(コイツらとは目的が違うんだ!)
『死体安置所(モルグ)』での攻防が、千雨の思考を柔軟にしていた。
四千もの千雨が、まるでミサイルの様に電脳世界を飛ぶ。海中に真っ白い軌跡を残しながら、一万五千人の壁に立ち向かう。
そんな千雨の後方から、風が吹いた。
(へ?)
後ろからやってくる膨大なデータの津波。それを構成するのは小さな〝肉まん〟だ。
千雨達だけを避け、それらは『シスターズ』を襲う。
〈『シスターズ』は再び迎撃を開始すると、ミサカは――ムグッ〉
『シスターズ』の動きが止まった。
千雨の前にヒラリと一枚の紙が落ちる。
『――デリバリーお待ちネ――超包子』
見れば、迎撃を開始しようとする『シスターズ』の口に、肉まんのデータが詰め込まれた。
『シスターズ』は一瞬だが固まり、そのままモグモグと咀嚼しながら動き出す。
「クハッ! ハハハハハ! そうだ、そうだよ。真正面からぶつからず、スマートに、だよな」
どこかシュールな光景に笑いがこみ上げる。何も相手に合わせてやる必要は無い、小バカにしてやるくらいが丁度良いはずだ。
ふと、緑色のジャケットが脳裏を掠めた。
四千の千雨は、それぞれ更に四人に分身した。
演算力の無い、殻だけのダミーを作ったのだ。数の上では一万六千と、『シスターズ』の一万五千を上回る。
所詮数だけだ。だが、それで良かった。
「どうせ抜けるのは一人で良いんだ!」
肉まんの津波に混ざり、一万六千になった千雨は『シスターズ』に向かう。ぶつかる直前に左右二つ、八千同士に別れた。
「まだまだぁぁぁぁぁぁ!」
『シスターズ』もそれに合わせ、左右に分割する。されど千雨はまだ終わらない。左右に分かれた二つが今度は上下に二つ、合計四つのグループに別れ、更に八つ、十六へ。
次々と分割する千雨に合わせ、『シスターズ』も別れていく。
そして――。
「正面ががら空きだぜ」
『シスターズ』はいつの間にか薄く広がっていた。一人一人の間は離れ、網は目が大きくなっている。
千雨が〝目指すべき場所〟へと、道は開ききっていた。
一万六千にまで分かれた全ての千雨は、全て囮だ。本体たる千雨はじっと動かず、この時を待っていた。
「うぉぉぉおおおおおおおッッッツツツツツツ!!」
ネットの海を切り裂く千雨の軌跡は、まるで大渦を見ているようだった。先ほどの加速が比にならない程の速さで、『シスターズ』の隙間を駆け抜けていく。
『シスターズ』も千雨の目的に気付き、包囲を狭くした。玉砕を狙うが如く、己の体を省みずに千雨へぶつかっていき、そして弾かれていく。
『シスターズ』も無事ではすまないが、千雨とて無事ではすまない。体を構築するデータの所々が吹き飛ばされ、ほうほうの体だ。
だが千雨は何も一人では無い。
超の肉まんが爆発しデータの奔流として、『シスターズ』の動きを阻害した。
「ハハハハッ!」
笑いが込み上げる。瞳には揺ぎ無い闘志があった。
『シスターズ』にぶつかりながらも、加速は止まらない。まるでブレーキが壊れていくようだ。
それでも、『シスターズ』の開けた穴を通り抜けるには至らなかった。
遠く見える穴の出口が、ゆっくりと『シスターズ』により塞がれていく。もう腕一本程度の隙間しかない。
千雨はそれを見ても、ただ笑みを深くするだけだ。
「『閉じてるものがあればコジ開けろ』! だろ、バアさんッ!!」
ドーラの言葉が過ぎった。
千雨はそのまま小さな隙間へ頭から突っ込む。衝撃が体を襲った。『シスターズ』の分厚い壁が千雨の体を受け止める。千雨の動きがピタリと止まった。
だが――。
「吹き飛べぇぇぇぇぇぇぇ!」
背中に二つの手の平があった。そっと、柔らかく、されど力強いその手の平は、確実に千雨を助けた。
まばゆい光を放ち、千雨の髪の毛が全て白くなっていく。
その瞬間、千雨に覆いかぶさっていた『シスターズ』の壁が、破裂する様に吹き飛んだ。
弾けた『シスターズ』の群れの隙間を、閃光となった千雨が貫いていく。
向かうは《学園都市》の中枢。頂くは鍵。
そのまま千雨は学園都市の巨大な衛星アンテナを経由し、空を舞う。グングンと高度を上げ、目指すは静止軌道、三万六千キロの彼方だ。
大気圏を突破し、視界を満遍なく星の光が占めていた。直下には青い地球がある。
「見つけたぜ、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』!」
《学園都市》の誇る、現行で世界最大の演算力を持つコンピュータの名前だった。衛星軌道上に留まり、膨大な演算能力で《学園都市》の研究を支えていた。
それが持つ、強固なセキュリティという扉の鍵を、一秒も関わらず千雨は壊していく。
人工衛星内にあるモニターに写ったのは、『肉まんをかじる金色のネズミ』の絵だった。
《学園都市》に光が降り注いだ。
◆
瞬き一つ。それが千雨が電脳世界で戦った時間だった。
前髪の一部だけだった髪の発光も、電脳世界に合わせ今では髪の全体にまで広がっている。
銃を構える『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の姿が見えた。
『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を奪ったとて、未だこの周囲は『シスターズ』の影響下だ。分割思考をしながら、千雨は『現実』と『電脳』の二つの戦いを始める。
「――ふッ!」
指を軽く振った。『猟犬部隊』の面々の持つヘルメット、そのヘッドマウントディスプレイを瞬時に電子干渉(スナーク)する。
映したのは『肉まんをかじる金色のネズミ』だ。
「クッ、何だこれは!」
彼らは視界を奪われ焦り、引き金を引くも照準はバラバラ。千雨に掠りもしなかった。
千雨はそのまま走り出す。目指すは麦野沈利、そして夕映だ。
目前に『六枚羽』が近づき、敵味方の識別を瞬時にした。狙いが千雨とドーラ達に設定され、機銃がせり出す。
更に横合いからは絹旗も千雨目掛けて近づく。
「こなくそぉぉぉぉぉ!」
千雨は『六枚羽』へ伸びる電子の糸を鷲掴みにし、思い切り引っ張った。
電子干渉により制御システムを乱された『六枚羽』は、まるで本当に糸に引っ張られる様に傾き、同時に機銃の照準も変わる。
銃弾は絹旗を襲った。
「わわっ!」
絹旗は悲鳴を上げながら、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を削り取らんとする大口径の弾丸に、必死に耐えていた。
周囲に降り注ぐ弾丸や振動を掻い潜りつつも、千雨の足は止まらない。
「夕映を、返せぇぇぇぇえl!!」
千雨の知覚領域が広がる様を、麦野はその能力の高さ故に、違和感として覚えていた。
「うるせぇんだよ! クソガキィィ!」
麦野の手から閃光が放たれた。されど――。
「ぐぅ!」
千雨の髪を掠る。狙いとは違う場所を通過した。
(発射角がズレた。――ッ! 違う、私の)
千雨の髪が更に強く光った。目は戦意を失わず、今の〝事象〟を当たり前として受け取ってる目だ。
麦野にとって、千雨のにやつく口元が、何とも言えず不愉快だった。
(私の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を乱しやがったァァァァ!)
『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』、それは超能力者が持つ自分独自の感覚だ。
本来他者が理解する事は困難で、間接的にならともかく、直接の干渉は限りなく難しい。
しかし――。
「こぉの、ガキがぁぁぁぁ!」
麦野が雄たけびと共に放った光線は凡そ十条。いずれもが千雨から反れるように発射角が乱れた。
「貰ったぁぁぁぁぁぁ!」
体を低くして、千雨は麦野にぶつかっていく。麦野の右手は能力発動のため伸ばされ、左手には夕映を引きずっていた。
麦野は冷静に左手の夕映を離し、千雨の顔面へ拳を振り抜く。
「ごふぅっ!」
壊れかけのメガネが完全に砕け、千雨の顔と麦野の左手に裂傷を作った。千雨は慌てて目を瞑ったため、どうにか眼球への傷は防げている。
転がりながらも、千雨の闘志は乱れない。顔を血で染めつつ、再び獣の様に走り出す。
「幾ら乱されたってさぁぁぁぁぁぁ! この距離じゃ関係ないよねぇ!」
叫びなら麦野は腕を振り上げる。至近距離での『原子崩し』。
目前に浮かんだ光球を散らせたのは千雨では無かった。
麦野は自らへ浴びせられた弾丸を防ぐために能力を駆使した。
「チィィツ!」
遠くで硝煙を上げる銃を持つドーラがいた。
「行きな! アキラ!」
アキラは地面を飛んでいた。『フォクシー・レディ』が限界以上のスピードで、地を滑空する様に走る。アキラはさながらバイクレーサーの様な体勢だ。
「夕映ッ!」
アキラは手を伸ばし、麦野の横をすり抜けた。左手にはガッシリと夕映の体が掴まれている。そのままアキラは無事だった車二台のうち、ドーラが乗り込んだバンへ向かった。
「ちーちゃんも早くッ!」
アキラは千雨に悲痛な声を上げた。見れば後部座席には、ボロボロのルイも運び込まれていた。
「先に行っててくれ。ここにはまだ先生もいる。それに……コイツは駄目だ。この『原子崩し(メルトダウナー)』を残したままじゃ、わたし達は帰れない!」
千雨は麦野の能力を理解していた。距離を取り逃げる。この莫大な射程を持つ麦野相手に、それでは駄目なのだ。
先ほど千雨がバランスを乱させた『六枚羽』が復活し始めた。
さらに追加で二機がこちらへ向かっている。その二機がドーラ達の乗る車へ機銃の照準を合わせた。
「このままじゃみんなお陀仏だ! さっさと車を出しなッ!」
ドーラの指示を受け、二台の車が煙を巻き上げながら走り出す。
「ドーラさん、まだ千雨ちゃ――」
アキラの言葉を遮るように、ドーラが頭を撫ぜた。
「大丈夫さ。いいかい、あたし達は賊だ。戦場で人間一人盗むくらい容易いことさ。今はあたし達の心配をするよ」
バンの開け放っていた後部ドアの片方が、ヘリの機銃で弾き飛ばされた。
夕映がヨロリと立ち上がり、手近にあった銃を取った。
「あいつを、あのヘリを壊して、千雨さんを迎えに行きます!」
◆
千雨の残った場所はまさに戦場と化していた。一人で近代兵器と余裕で渡り合えるレベル5が暴れ、その合間に本物の兵器たる戦闘ヘリの攻撃が入る。
地面が割れ、車が次々と爆発する。まるで空爆の中にいるような光景だ。
瓦礫から這い出る影がある。白衣を着た、顔に刺青のある男。
「クソォォォォ! テメェら、ターゲットはどさくさに逃げやがった、『六枚羽』にブッ殺される前に回収するぞ!」
木原数多が命令を出した。
ヘッドマウントディスプレイを投げ捨てた『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の面々は、次々と車に乗り込んでいく。
「追わせると思うかぁぁぁぁぁぁ!!!」
千雨は必死に声を振り絞り、周囲に干渉した。ヘリの機銃と『原子崩し』を反らせ、装甲車を襲わせる。約半分が破壊された。
しかし、残りの半分は夕映たちを追いかけ、走り去った。
「絹旗! あんたも行ってきな! 私はこのガキを始末してから追う!」
絹旗はコクリと頷きながら走り去る装甲車、その一台の天井に飛び乗る。
依然、千雨の周囲には銃弾と閃光が満ちていた。軌道の計算と確率を元に、それらを掻い潜り続ける。
その間も千雨の知覚領域はグングン広がっていく。『シスターズ』の迎撃も跳ね除け、『樹形図の設計者』と超の協力の元、次々と周辺の演算装置をジャックしていく。
隣接する学区にいる学生達の携帯の液晶に、『肉まんをかじる金色のネズミ』のイラストが表示されていく。大型の街頭モニターにすらその絵が映っていた。
(まだだ)
周囲の発電装置をも奪っていく。その電力をを演算装置のある物体へ、片っ端から送り込んでいった。
(まだだ!)
千雨の感覚が際限なく広がっていった。そして、〝空間そのもの〟に干渉を始めた。
(何だ、これは)
そして、見つけた。《学園都市》の上空に〝何か〟があった。
(扉? それとこいつは)
都市内でも一番高い建物の壁面を、人影が走るように昇っていく。黒い尾をなびかせる影が見えた。
(おかしい。《学園都市》そのものに何かが、魔力か?)
千雨が《学園都市》を手中にしていくのに比例し、魔力が集まっていく。白と黒の光の粒が、まるで雪の様に降り注いだ。
(だがまるで――)
「クッ!」
千雨の目前に光が迫り、無駄な思考を止めざるを得なかった。現在千雨の並列思考は全開で働き、余裕など無い。
「また避けやがったか、この○○が。一体何なんだよ、オマエ」
麦野が卑猥な罵倒と共に、疑問をぶつけた。
千雨は血みどろの顔を袖で拭い、口の中で邪魔だった奥歯を吐き捨てた。一緒に血塊も飛ぶ。
「わたしが誰かだって?」
千雨は笑みを強くした。
瞳にたぎる、力強い輝き。
依然は恐怖に震え、逃げ出した存在へ、高々と言い放った。
「わたしは長谷川千雨。たんなるッ! ただのッ! 一女子中学生だッ!」
視界が広がった。周囲に舞っていた白い光の粒が、二つの人影を形作り、消える。
力が一気に膨れ上がり、ネットワークを通し『シスターズ』が一気にショートしていく。
一万五千にも及ぶ並列演算が、まるでドミノ倒しの様に崩れていった。
千雨を縛る鎖が弾け飛ぶ。もはや彼女を縛るものは何も無い。
「決着だ! レベル5ッ!」
学園都市に『千雨の世界』が広がっていった。
◆
車は激しく揺れていた。
ヘリ二機による機銃は猛威を奮う度、左右へ激しくハンドルが切られ、車内に置かれた物が宙を舞う。
千雨の電子干渉のおかげで多少照準がずれているらしく、未だ車は直撃を免れていたが――。
「これじゃあ、ラチがあかん!」
ドーラは愚痴を吐きながら、バンの後部ドアからライフル銃を撃ち放つ。
されどその程度で最新鋭の無人戦闘ヘリが落とされるはずはなく、空しく装甲に小さな音を響かせるだけだった。
その中で夕映は苛立ちを募らせていた。
夕映の身体スペックを考えれば、戦闘ヘリの機銃、その銃口を打ち抜くのも不可能では無い。
自身もそれを理解し、火力が少ない中での起死回生として、先程から狙っているのだ。
「――ッ」
夕映の放つ銃弾は、大きく的を外れる。
ライフルを持つ左手がピクピクと振るえ、銃身をうまく保持できなかった。
「なんでこんな時に! なんでッ!」
悔しさと焦りで目じりに涙が溜まった。
麦野に傷つけられた左手は、その傷跡をしっかり残していた。義体のおかげで痛みは感じていなかったが、かわりに繊細な作業には支障が出ているのだ。
「夕映」
アキラはウィルスを通して送られてくる、千雨の状況の把握に努めていた。
彼女は銃を持った事が無く、現状ではする事が無い。悔しさを滲ませる夕映に、声をかける事も出来なかった。
『六枚羽』が急に高度を落とした。墜落するのではないか、という程地面スレスレを飛ぶ。有人飛行ではできない芸当だった。
「マズイ!」
ドーラが焦りの声を上げた。先ほどまでの撃ち下ろす様な射撃ではない。水平になぎ払う射撃がこれから行なわれるのだ。
夕映の背中に冷たさが走った。
(駄目デス、ここで、ここで決めなければ。皆が、皆が死んでしまうッ!)
後部ドアの真正面に、ヘリの本体が現れた。
ヘリの前面の装甲が、夕映にはまるで醜悪な悪魔の顔の様に見える。
狙うは機銃の銃口。刹那の時に夕映の左手が一層震え、照準が乱れる。
その時、舞い落ちる白い光の一つが、夕映の周囲を取り巻いた。
夕映の肩に一つの手が置かれた。
「――え?」
◆
トリエラの体に、血が流れていない箇所など無かった。
千雨達が去った『死体安置所(モルグ)』と呼ばれる地下施設で、トリエラとピノッキオの激闘は続いていた。
施設のあらゆる所が崩壊し、この場所が埋まるのは時間の問題に見える。
資料などを破壊するために、ドクターが設置した爆薬はせいぜい部屋の機材を壊す程度のものだった。
元々強靭に作られている、施設そのものを吹き飛ばす程では無い。
だが、トリエラが戦いの最中に振るった人外の膂力が、施設の支柱となる部分をことごとく破壊し、ドクターの爆薬が施設崩壊をより促す結果になった。
「はーッ、はーッ」
トリエラは口を大きく開け、呼吸を繰り返した。
服は破れ、切り裂かれ、もうボロ雑巾の様になっている。
左腕も、肘から先が綺麗に切断され、周囲に転がっていた。
対するピノッキオも疲労は色濃く見えるが、トリエラの様な体の欠損は見受けられ無い。
周囲のパイプが弾け、頭上からは破片などが絶え間なく落ちている。
時折その隙間から光の粒も落ちてきていた。されど二人にそれを構う余裕は無い。
立っている床とて平坦ではなく、数々の残骸によって、まるで山奥の森の様に起伏に富んでいるのだから。
「ハァ、ハァ。い、いい加減、死んでくれないかしら」
「それはコッチの台詞だ。死なぬ存在とは厄介だな。だが――」
ピノッキオが一歩を踏み出した。それに合わせ、トリエラも脚に力を込める。
床を踏み砕き、一直線にピノッキオまで迫る。
「うあぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
残った右手で拳を力の限り振り抜いた。
ピノッキオはトリエラの動きを感覚で理解しつつ、その視線すらも観察し、拳の軌道を予測する。
紙一重では避けない。なぜならその距離で避けたなら、一緒に肉も抉られるからだ。
本能が恐怖と歓喜の嬌声を上げ、ピノッキオの動機が激しくなった。頭蓋を引っかく音などもう聞こえない。
拳から離れていながら、空気を切り裂く轟音が、ピノッキオの鼓膜を激しく叩いた。
そのまま振り抜いた体勢のトリエラの腿に、ナイフを突き刺す。
「がぁぁぁぁぁッ!」
血の噴水をピノッキオは顔で浴びる。
それに構わず、苦悶の声を上げるトリエラの鼻先に、ピノッキオは膝蹴りを放った。
カウンター気味の一連の攻撃を受け、トリエラは後方へ吹っ飛ぶ。
「――だが、脳漿すらすり潰せば、動かなくなるだろう」
トリエラは激痛の中、必死にピノッキオの姿を探すも。
(目が、目が見えない!)
視界が曇りを帯び、ピノッキオを探せなかった。
目を擦るというワンアクション、それが致命的だった。
視界を取り戻したトリエラに見えたのは、眼前に迫るナイフ。
(間に合わない)
トリエラに過ぎったのは自分の死では無い。不死たる彼女は、例えミンチになろうと長い歳月があれば元に戻れる。
彼女が思い描いたのは夕映の死だった。このナイフに貫かれるのは、自分の最後の希望たる夕映なのだ。
その時、周囲の光の粒が何かを形作り、弾丸がピノッキオのナイフを弾き飛ばした。
不意の横槍に、ピノッキオが固まる。返してそれが彼の致命的な隙になった。
「ああああああああああ!!」
トリエラは今度こそ力を振り絞った。体に巡る血の一滴すら無駄にせず、まさに渾身の一撃をピノッキオの体に叩き込む。
ピノッキオは咄嗟に後ろに飛び、威力の軽減を計るも、その程度では甘い。
「――ゴッッふォッ!!」
かろうじて肉体の貫通は免れたが、彼自身が弾丸になった様に壁に突き刺さり、落ちる瓦礫に押しつぶされていった。
トリエラは体だけでなく、精神にすらこびり付いた倦怠感を、どうにかいなしながら立ち上がる。
そして、銃弾の放たれた方向を見て固まった。
「――え」
白い光が集まり、淡い人影を形作っていた。
それはトリエラの良く知る人物であり、彼女が世界で一番愛してやまない人物だった。
涙が溢れた。
たとえそれが幻だとしても、目の前に彼が立つ光景を、トリエラはこの十年間夢見てきたのだ。
「ヒ、ヒルシャーさぁぁん」
トリエラの大人の皮が剥がれ、出てきたのは泣きじゃくる一人の幼子だった。
まるで仔犬が母を求めるように、トリエラは目の前に立つヒルシャーに歩み寄る。
ヒルシャーはどこか困ったように、そしてどこか嬉しそうに、泣きじゃくるトリエラを抱きしめた。
周囲には施設の崩壊の音が響き続けている。瓦礫に埋もれるようにして二人は立っていた。
「ヒルシャーさん、私、私……」
泣きじゃくるトリエラは言葉が出なかった。夢の中で思い描いた再会では、次々に話したい事が沸いたのに、今は真っ白になっている。
ヒルシャーは、限りある時間をかみ締める様にトリエラを見つめた。
彼がここへ来れたのは奇跡に等しかった。《学園都市》で行なわれている術式に巻き込まれ、生と死が曖昧なこの空間で、つかの間の体を保ててるだけなのだ。
見つめる瞳は親子のソレとも、恋人のソレとも違った。だが、愛情に満ち満ちていた。
ヒルシャーは、銃ばかり握っていた無骨な手でトリエラの頭に触れた。
彼が覚えているトリエラはもっと小さかったはずだが、彼女の身長は彼と並ぶ程に伸びていた。
――トリエラ、君がずっと後悔してるんじゃないかと、心配していた。
「え?」
トリエラはドキリとした。トリエラはこの十年、何度も後悔している。
『公社』襲撃の最中、トリエラがヒルシャーと別行動を取ったほんの少しの時間に、彼は殺されてしまった。
ヒルシャーの叱咤も、罵倒も、別れの言葉すら貰えず、彼は死んでしまった。
トリエラの瞳に恐怖が過ぎった。あの日の出来事が走馬灯の様に蘇り、体がすくむ。
トリエラにとって、ヒルシャーの拒絶は何よりも恐ろしかった。
離れようとするトリエラを、ヒルシャーはひっしと抱きしめる。
「あっ……」
トリエラの吐息が漏れた。
――君に出会えて嬉しかった、ありがとう。この言葉を、ずっと伝えたかった。
「あぁぁ――」
トリエラの目から、涙が滝の様に溢れた。しゃくりを上げ、嗚咽と共に血の混じった鼻水まで出てきている。
――もう時間が無いみたいだ。トリエラ、君は生きているんだろう。そして、君にも生きがいが出来たんなら立ち上がってくれ。
周囲の粉塵が、ぼやけたヒルシャーの顔をさらに淡くした。
「ヒ、ヒルシャーざん、わ、私、い、妹が出来たのッ! 私、わた……」
ヒルシャーはにっこりと微笑んだ。
――そうか。良かったな。
クシャリ、と髪を再び撫でた手が、霞むように消えた。光の粒となり、上方へ舞い上がる。
トリエラはそんな光の粒を目で追った。溢れ出る涙もそのままに、ヒルシャーの昇った先には、地上へ伸びる微かな光があった。
「行かなきゃ……」
トリエラの周囲の残骸が爆ぜた。
◆
ピノッキオは、落ちてくる破片と瓦礫に囲まれた、小さな空間に居た。
後ろにある破片に背を預け、辛うじて体を起こしているような状況である。
トリエラの攻撃により、彼の体の内臓の幾つかが破裂していた。口から溢れる血液は死へのカウントダウンだろう。
目が霞んだ。
手の先からナイフが落ち、もう再び握る力さえ残っていない。
「お、じ、さん」
霞んだ視界の先に、父の様に慕った〝おじさん〟が見えた気がした。
だが、例え本物だとしても、この一筋の光も無い空間で見えるはずが無い。
幻影だと分かりながらも、ピノッキオは手を伸ばした。
その時、力が抜け、ガクンと腕が落ちた。
「あ……」
幻であるはずの〝おじさん〟が、その手を握ってくれていた。
そのままピノッキオは、しな垂れるように地面に伏せた。
指先には、おぼろげな温かみがある。
(ははは、悪党の死に目なのに出来すぎてる)
血が溢れ、体を寒気が襲う。しかし、手だけは温もりに包まれていた。
もう幻影すら見えない。
辛うじて動く片方の手で、コートのポケットを漁った。指先に触れる感触は、いつか買ったウサギのキーホルダーだ。
(誰、だった、か)
思考は途切れ途切れになり、心臓も動きを次第に緩やかにしていった。
(眠い……。あぁ、これが……)
ピノッキオの顔が至福に満たされ、彼は眠りについた。
体の隙間から光の粒が溢れ、瓦礫の隙間を縫う様に上を目指す。
粉雪が天上に戻っていくように、光が目指すのは、《学園都市》の空に現れた『扉』だった。
◆
■interlude
崩れ行く『死体安置所(モルグ)』を目の前にして、一人の少女は目に悔しさを溜めた。
瓦礫の隙間から光の粒が溢れ、空を目指し舞っている。
その光景に、涙を溜めつつ怒りを吐き出した。
「なんでッ! なんで、あなたがッ! 先生を殺した、あなたが、なんでッ!」
金色の長い髪を振り回し、少女は叫ぶ。
地面を力の限り蹴った。拳を壁に撃ち付けた。
されど、彼女の怒りは、悔しさは、収まらない。
涙を零さない様に空を見上げた。
彼女の見上げる先では、まだ戦っている人がいる。
「行かなくちゃ、いけませんわね」
彼女の矜持が、これ以上の無様さを拒否していた。
涙を袖で拭い、高音・D・グッドマンはあるべき場所へ走り出した。
■interlude end
◆
夕映の左肩に手が置かれ、震える左手にもそっと手が重ねられた。
不思議とそれを受け入れ、いつも通りに夕映は引き金を引く。
弾丸の軌道は、夕映が思い描いたものと寸分たがわず、機銃の銃口に命中した。
機銃の破壊の衝撃でバランスを崩した『六枚羽』は、地面と接触し、そのまま炎上した。
「あっ」
夕映はすぐに振り返る。彼女の前にあったのは、在りし日のジョゼの姿だ。
淡い光が集まり、ジョゼが人としてそこに立っていた。薄っすらと体が透けるジョゼは、どこかの映画の幽霊を彷彿とさせる。
バンの後部にいたドーラやアキラも、その光景を唖然として見ていた。
「ジョ、ジョゼさん。な、なんで」
夕映は目の前の存在が本物かどうかすら考えず、声をかけた。目の前にいるジョゼは、夕映が良く知る彼より、大分若かった。
――尻拭いさ。夕映の幸せを望んだはずの僕の判断が、逆に枷となってしまった。
ジョゼが申し訳なさそうに顔をしかめる。
――すまない。僕が君にやれる事はもっとあったはずなのに。
ジョゼの独白に、夕映はプルプルと顔を振った。
「違います! ジョゼさんは私をあの部屋から連れ出してくれたデス。あの白い部屋から」
自分を背負ってくれたジョゼの背中を、今の夕映はペンダント無しでも思い出せた。
「おかげで、私は自分の世界を広げられたんです。あの狭い部屋では見えなかった、風も、匂いも、本も、友達も、そして――」
夕映はぐっと下唇を噛み締めた。
「だから、私はッ!」
零れそうな涙を堪える。そんな夕映の頭を撫ぜる手があった。
横を向けば一人の少女がいた。彼女もまた、ジョゼと同じように淡い光を放っている。
身長はさほど変わらないながらも、夕映よりも幼そうに見える。
キリリとした眉を持ち、肩で揃えた髪をカチューシャでまとめていた。
「あなたは」
トリエラの時と同じように、ジョゼの書斎の写真を思い出す。
――私はヘンリエッタ。トリエラがあなたのお姉ちゃんなら、私もお姉ちゃんだね。
そう言って、ヘンリエッタはニコリと笑った。
かつて、ジョゼが夕映と出会う前に『フラテッロ』として一緒に戦っていた少女だった。
ジョゼへの狂おしい愛情と共に、散っていった少女である。
その時、運転席から声が上がった。
「ママァ! やばい、前に回りこまれてる!」
『六枚羽』の最後の一機が、道の先でホバリングをしていた。後方からは追いすがる装甲車の群れ、『猟犬部隊』も迫っている。
――夕映、僕はいつでも君の幸せを願っている。そして、今だけはそれを助ける事が出来る。
ジョゼは懐から拳銃を取り出し、スライドをガチャリと引いた。
ヘンリエッタも手に持ったバイオリンケースから、特殊な形のサブマシンガンを取り出す。
「お、おいアンタら」
ドーラが思わず声をかけた。それに対しジョゼが頭を下げる。
――夕映を、お願いします。
あまりの真正面な真摯な言葉に、ドーラは呆気に取られるも、にやりと口を歪ませた。
「我が子のために地獄から、って所かい。難儀な事だね、まぁ、まかせな」
ジョゼはドーラの言葉に笑みを浮かべた。
ヘンリエッタもアキラの元にトトトと近づいた。アキラから見ればヘンリエッタはとても小さい。狭いバンの中で、腰を折るようにして目線を合わせた。
――あの、妹をお願いします。
ヘンリエッタもペコリと頭を下げる。
アキラはそれを見つめつつ、ただ「うん」と言い、ヘンリエッタの頭を撫ぜた。
ヘンリエッタはくすぐったそうに顔を赤らめながら、アキラから離れた。
「ジョゼ、さん」
――心配するな夕映。君は助けたい人が居るのだろう。行きたい場所があるのだろう。なら道は僕らが開こう。それに……。
ジョゼの言葉をヘンリエッタが継いだ。
――私〝達〟が負けるわけないもの。せっかく出来た妹を前に、かっこ悪い所、見せられないしね。
そう言いながら、ヘンリエッタはバンの後部ドアから飛び出した。そして――。
「え?」
ヘンリエッタの体が弾け、四つの人影となった。一つはもちろんヘンリエッタだ。
だが他の三つは。
困惑する夕映に、ジョゼが声をかける。
――あれも君の……うーん、姉って事になるのかな。
頬を申し訳無さそうに掻いた。
彼女らも、ヘンリエッタと同じく条件付けをされ、血と硝煙の中で命を削らされた、人形たる少女である。
彼女らに血の繋がりは何も無い。ただ〝あの場所〟で過ごした小さな幸せの日々が、彼女達の繋がりだった。
それを知らず、夕映はただ硝煙に身を焦がす、四人の少女に見とれていた。
「あれも、お姉ちゃん」
メガネをかけた少女が、手馴れた様にサブマシンガンを操り、近づいてくる装甲車に向かっていく。
短髪の少女はバンの天井に乗り、長大な狙撃ライフルの照準を前方の無人ヘリに合わせた。
お姫様を思わせる小柄な少女は、アサルトライフルを持ち、ヘンリエッタと協力しながら『猟犬部隊』を迎撃する。
少女達四人の攻撃が、周囲に爆発を起こさせた。次々と《学園都市》の近代兵器を撃沈していく。
目前の無人ヘリが、道路脇のビルに突っ込む様を見て、助手席のアンリは感嘆の声を上げた。
――僕も行く。夕映、幸せになってくれ。
ジョゼは返答を聞かず、そのまま戦場へと飛び込んでいった。
夕映はその言葉に、声を詰まらせた。
(私、私、幸せです)
そんな夕映の背を、ドーラがバシンと叩いた。
「今がチャンスだ。ユエ、チサメを迎えに行くよ」
「え?」
夕映が顔を上げた。
「ママ~、無茶だぜ。今車を引き換えしたら、もう俺たち戻って来れないよ」
「バカ息子が。誰が車で行くって言ったんだい!」
ドーラがバンのスライドドアを開け、隣を並走するピックアップトラックを、ジェスチャーで近づかせた。
「いいかいアンリ、あんたらはこのまま『壁』へ向かうんだ。あたしらはチサメを回収して、この車を追う」
「ママ!」
アンリは何かを悟ったのか、驚きの声を上げた。
「ユエ、来な」
そのままドアに近づくと、ピックアップトラックの荷台が目の前まで迫っていた。
ドーラの指示に従い、そこへ夕映は飛び乗った。ドーラも続く。
荷台に乗った男衆を掻き分けたり、逆にバンへ向けて蹴り飛ばしたりしながら、ドーラはさほど大きくない荷台にスペースを作った。
「こいつさ」
荷台には白いシートが被さった物体があった。
バンから見つめていたアキラは、それが麻帆良を出発した時から車に載っていたのを思い出す。
ドーラはシートを勢いよく剥がした。
小さな車のボンネット部分だけを削りだした様な、奇妙な機械があった。
その後ろには、小さな操縦席も付いている。
まるで鉄籠にエンジンを載せたような機械だった。
そして一番の特徴は、エンジン部分から四枚の羽が折りたたまれる様に付いてる所だ。
「こ、これは?」
余りの奇天烈な機械に、夕映は言葉を失った。
「フラップター、うちの爺さんが作った小型飛行機だ。いささか航続距離に問題はあるがね、性能はピカイチさ」
ドーラは操縦席に乗り込み、夕映を手招きした。
「この部分にベルトがある。落ちたくなけりゃ、しっかり締めておきな」
ドーラの指示通りに夕映はベルトを締める。今度はドーラがゴーグルを放り投げてきたので、それも付けた。
「あの、これで?」
「決まってるじゃないか!」
ドーラもゴーグルを下ろしながら、フラップターのエンジンを始動させる。
ブーン、という重低音が鳴り響く。
「野郎供、しっかり押しなッ!」
ドーラの指示の元、フラップターを荷台の後ろへ突き落とす様に男達が動いた。
「え? え?」
夕映はその行動に、疑問符を浮かばせ続けた。
「さぁ、行くよ!」
走ったままのトラックから落とされたフラップターは、閉じていた羽を開き、そのまま高速で振動させる。
「えぇぇぇぇ~~!」
地面への激突の恐怖で、夕映は声を上げる。
だが、フラップターは地面と接触する事無く、そのまま空高く舞い上がった。
夜闇を切り裂く様に、フラップターが天空を駆けた。
周囲には淡い光の粒が舞っている。
(この光はジョゼさんが纏っていた光? 一体、何が起きてるんデスか……)
夕映の思考を遮る光景が目に映る。
遠くに闇を切り裂く閃光が走ったのだ。
建物を破壊しながら、遠く空へと突き進んでいく。月明かりに照らされた雲さえ霧散させるそれは、『『原子崩し』に他ならない。
「あれは!」
夕映は音にかき消されない様に、大声で指を差す。
「間違いないね、チサメだ!」
フラップターは一路光の根元へ向け、飛んだ。
つづく。