「システムが乗っ取られたって?」
千雨が驚きの声を上げる。
近くのサーバーへ電子干渉(スナーク)すると、この施設内のネットワークがズタズタに喰われている事が分かった。
「こいつは……『シスターズ』? あの研究所の奴らが夕映を取り戻しに来たってのかっ!」
予想以上の侵攻速度に、千雨は歯噛みをする。
「――だといいけどね。クソッ、施設内の隔壁を好きに操っているみたいだ。地下駐車場や、そこから伸びている地上への資材搬入通路も隔壁が下ろされた。このままじゃドーラ達は隔離され、連絡も車での脱出もままならない」
未だ隔壁の下りる音は、施設内に響いていた。
施設内を監視するモニターを見れば、施設への正規の入り口から、装甲服を着て銃を持った人間達が入って来た。銃口を前方に向け、体を低くして走ってくる。
「なんだよこれ」
千雨は見慣れぬ人間達に恐怖を感じていた。まるで映画か何かの映像の様だった。
「学園都市側からの襲撃だ。もう少し時間を稼げると思ったんだがね」
モニターに表示されたマップデータを見ながら、ドクターは言った。
「正規の入り口から、僕らのいる地下三階の部屋まで一直線になる様に隔壁が下ろされたみたいだ。僕らが離脱するためには、彼らを迎撃するか、もしくは隔壁を突破するかの二択になった。ちなみに前者はご遠慮願いたいな。現在の侵入者は六名程だが、施設周囲にはもっと車があるみたいだ。とても徒歩じゃ逃げられそうにない」
「んな事より、アキラ達を見捨てられないだろ!」
千雨はウフコックに干渉し、チョーカー型の演算装置に反転(ターン)させる。
「千雨、やってくれるかい?」
「やるしかないだろ。先生、サポート頼む」
〈あぁ、まかせろ〉
千雨は施設内の監視カメラの映像を見た。半年とは言え、我が家だった所が破壊され、蹂躙されていっている。
思い出が崩されていくようで、寂しい思いがよぎった。
夕映は隣でそんな千雨の表情を見て、拳を堅く握る。
「――っ! とにかく、システムを奪い返すぞ!」
千雨は電子干渉(スナーク)を開始し、ネットワークへ飛び込んだ。一万五千という圧倒的な数の『シスターズ』相手に、余力など無い。
部屋内のサーバーの演算力を借り、施設中央の管理システムを奪い返すべく、攻勢に出る。
〈敵性のアクセスを確認。ミサカはこれを迎撃します〉
複数の声が重なり、エコーの様に聞こえる。圧倒的な数の攻撃に、千雨は主導権を握る事が出来ない。
「クソォォォォォォ!」
管理システムの影は見ることが出来るものの、その前には一万五千の壁。並列思考を最大の四千にまで膨らせるものの、圧倒的に演算力が足りてなかった。
幾ら四千にまでコマを増やしても、千雨一人と部屋内のサーバーの演算力しか無いのだ。一万五千という膨大なマンパワーに対抗できない。
〈千雨、急げ。侵入者が地下二階にまで来ている。時間がないぞ〉
「んな事言ったってぇぇぇぇ!」
あらゆる方法を試していくものの、その壁は厚く、高かった。
絶望的な状況での千雨の戦いは続く。
第26話「sorella-姉妹-」
夕映の目の前で、千雨は唸り声を上げながら目を瞑っていた。
どうやらこれが千雨の能力の『電子干渉(スナーク)』なのだろう、と自分の知識と照らし合わせながら結論付ける。
戦況は芳しくないようだ。セキュリティシステムも乗っ取られ、自陣にありながら満足な迎撃行為も出来ない。
相手側はネットワーク制御を受けていない扉を壊す程度しか、障害が無いのだ。
「地下一階を通過され、相手はもう地下二階だ。ここに来るのも時間の問題だな」
ドクターはそう呟き、キーボードを叩くも、どうにもあまり意味が無い様である。
夕映は施設内の地図を軽く見て、その作りをしっかり覚えた。
ベッド脇には先ほどウフコックが反転(ターン)した拳銃とナイフがある。夕映はそれらを手に取った。
不思議と焦りも緊張も無い。
(これが『条件付け』というものなのでしょうか)
ただ、千雨の悲しそうな表情を見て、ふつふつと怒りが沸いてくる。
夕映はそっと部屋を出、侵入者達の方へ走り出した。
そんな中、ドクターはモニターに集中しつつ、様々な情報を整理していた。
(今の彼らの目標はおそらく『破片』では無く《楽園》そのものに移っているのだろう)
国連法のグレーゾーンたる『破片』も重要だが、今この場所には《楽園》の技術そのものがあるのだ。
今までは特例により、学園都市の保護という名目で不可侵を貫き通したが、今回のアクションによりそのベールも剥がされている。
(狙いは僕。もしくは施設そのものあろう)
今、夕映のあるべき価値はこの施設の特例が消えた事により、相対的に下がっていた。
(まさに一蓮托生。全員の命が天秤に乗ってしまった)
◆
『死体安置所(モルグ)』の周囲には、何台かの装甲車が止まっていた。
その一台の内部にはモニターや通信機が溢れ、一つの指揮車となっている。
奥の一席に、白衣を着た男――木原数多の姿があった。
現在『死体安置所(モルグ)』を襲撃しているのは、学園都市の理事長直轄の部隊『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』である。
その指揮を取る木原はニタニタと笑顔を浮かべながら、事態の推移を見守っていた。
「『シスターズ』順調に稼動中。相手側のシステム奪回の迎撃にも成功しています」
「突入部隊、地下二階まで制圧完了。あ、いえ連絡が入りました。『目標アルファ確認。保護の有無を確認されたし』」
木原はその言葉に、少し考え込んでから口を開いた。
「『破片』のガキはもういい。適当に始末しておけとクズどもに伝えろ」
木原の背後に、ゆらりと人影が立つ。
「おぉ、アンタやっぱり行くのか。俺は気に入ってたんだがなァ、まぁ短い間楽しかったぜ」
無造作に伸びた金髪に、幽鬼の様な表情。ピノッキオだった。
「世話になったな」
指揮車のドアを開け、ピノッキオは外に飛び出した。そんなピノッキオに木原は更に声をかける。
「ここはゴミクズの様な街だが、運がよければアンタの願いも叶うかもしれねェ。せいぜい夢見とく事だな。この街では下を向けば、脳天を撃ちぬかれる」
ギャハハ、と木原は何が面白いのか、ツボに入ったように笑う。そのままドアは閉められ、ピノッキオの姿は見えなくなった。
「さーてと。例のガキの始末は終わったのか?」
通信員が顔を強張らせた。
「それが……」
「あァン」
「ひっ、ぜ、全滅です。六名全員と、通信が途絶えました。『シスターズ』も突入部隊の壊滅を報告してきています」
「全滅……クハハハ、ガキ相手に全滅ってマジかよ。相変わらず使えねェクズどもだ。能力者でもないガキにねぇ。あの男がこだわる理由もそこら辺にあるのかねぇ」
その時、装甲車を衝撃が襲った。
「な、なんだァ!」
車の中の天地が逆さまになる。鉄板を叩くような音。それが車が転がっているという事実に、木原が気付くまで時間がかかった。
横転した状態で車が止まり、木原は外へ這い出た。
見れば自分達の乗った車以外にも、数台の車が転倒したり、破壊されたりしている。
その道筋は、まっすぐ『死体安置所(モルグ)』へと続いていた。
こめかみから血が一筋流れている。木原はそれを拭いながら、怒りを滲ませた。
「おい、テメエァ! どうなってる!」
木原の怒声で、『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の動きが慌しくなってきた。
◆
時は少し遡る。
千雨達の部屋を脱した夕映は、拳銃を片手に通路を進んでいた。
頭に施設の地図は入っている。相手の移動経路も掴んでいるのだから、遭遇箇所も大体の予想は出来た。
走りながら、夕映は体の違和感に気付く。常より体が軽く、まるで飛ぶように走れるのだ。
体にあった重りが取り払われた気分だった。
(軽い。それに)
拳銃もしっくりきていた。女子が持つには大きいはずのグリップも、手になじみ、片手で持っても落としそうに無い。
腰には鞘なしのまま、ナイフを突っ込んである。
拳銃一丁に、ナイフ一本。銃は初めて撃つ素人だ。
相手は装甲服にライフルを持つ人間達。本来なら結果は見えている。
だが、夕映の心には恐怖も焦りも憐憫も不安も無かった。
ただあるのは事実。自分なら負けるはずが無い、知識のみの根拠だった。
(そろそろ遭遇するはず)
通路を曲がろうとした夕映は、角で止まった。近くから鉄が擦りあう音が聞こえたからだ。
角の先からライフルが三発放たれ、夕映の前を弾丸が掠めた。
「チッ、外したか。目標は始末しておけ、だとさ。とりあえず皆殺しにしていいそうだ」
「さっさと終わらせようぜ。昨日から働きづめだ」
夕映の聴覚が、男達の会話を拾った。相手は『シスターズ』で施設のシステムを乗っ取っているのだ。こちらが先に補足など出来るはずもない。
夕映は通路の角に体を隠しながら、右腕と顔の半分だけを出し、射撃をしてみる。
乾いた音が一つ、通路に響いた。
本来ならば射撃の衝撃に驚くべきなのだろうが、夕映のしなやかな人工筋肉は軽い衝撃しか夕映に伝えない。
(射線が少しずれてる。右に二度程修正する)
男達は急な射撃に、一度遮蔽物に隠れるものの、一発こっきりの散発的な射撃に笑みを深めた。
リーダー格の男がハンドサインで指示を出し、夕映へ向けて突入を開始しようとするが。
夕映はそれより早く動いていた。
角から飛び出し、人とは思えぬスピードで間合いを詰める。
魔力さえ感知する、特殊な眼球。人工的な魔眼とも言えるそれが、突入部隊の持つ銃口の向きを正確に捉えていた。射線に入らぬようにしつつ、全力で走る。
(クッ! 速すぎるデス!)
スピードの加減がうまくいかず、男達の合間をすり抜け、床との摩擦で煙を上げながら止まった。
夕映はその時、致命的な隙を作ったものの、男達はあまりの動きに驚いて呆けている。
体の感覚を確かめつつも、夕映は相手側の隙を見逃さない。
拳銃を即座に二発、近くの男へ向かい撃つ。狙いは装甲服の隙間、関節だ。
「がぁぁぁ!」
男は苦悶の声を上げながら、銃を落として倒れた。
他の男達もやっと状況に気付き、夕映に向かい引き金を引こうとするも、それもまた遅い。
狭い通路の壁や天井を足場に、まるで猫の様に飛び交う夕映。
義体の人工筋肉は、今その真価を発揮していた。
男達は夕映を補足出来ない。
夕映は壁を蹴った勢いそのままに、一人の男に飛び掛った。銃を持たない手で、男の顔をヘルメットの上から殴りつける。
「ごぼぉぉぉ!」
男はくぐもった声を上げながら吹き飛んだ。ヘルメットはベコベコに歪み、隙間からは血があふれ出している。
「二人ィッ!」
歯をむき出しに、咆哮を上げる。
夕映が上空へ飛び上がると、先ほどまでいた場所が蜂の巣の様になる。
長い髪で弧を描きながら、空中で体を捻り天井に〝着地〟。
一人の男の頭頂部へ向け、銃を連射。
ヘルメットの天辺を撃たれた男は、力を失い倒れる。
「三人ッ!」
天井を蹴り離れ、体を横に回転しながらさらに一人へ近づく。長髪も一緒に回転し、さながらそれは独楽だ。
独楽は男の目の前に着地し、回転の勢いを膝に乗せ、男の胸部へ叩き込んだ。
「四人ッ!」
残る突入部隊は二人。夕映の視界の端と端、左右に分かれる形で存在していた。
二つのライフルから放たれる銃弾を、夕映はその場から動かずに回避した。
制服が破けるも、夕映は血の一滴も流していない。
一人の男のヘルメット下、首の付け根の隙間に銃弾を撃ち込む。血の花が咲いた。
「五人ッ!」
残った最後の一人は恐慌を起こし、銃を乱射する。
されど夕映にはその程度、もはや問題では無い。
数分にも満たないこの戦いで、知識と肉体にあった溝は埋まりつつある。
「ば、化け物ォォォォォ!」
男の叫び声を、夕映は繰り出した蹴りで止める。ライフルが空中を飛んだ。
十メートルの距離は、もはや夕映にとって指呼の距離だ。
怯んだ男の腕を掴み、壁に押し付ける。
「ひいぃぃぃぃぃっ!」
夕映の睨みつける眼光に、男は情けない声を上げた。
「私がッ! 私が化け物なら、あなた達はなんなんデスかぁぁぁぁ!」
夕映の拳が男の顔の横を通る。にぶい音とともに、コンクリートの壁に小さいヒビが入った。
「……」
男は泡を吹きながら失神する。夕映が手を離すと、そのままズルズルと壁を伝って倒れてしまった。
「なんで……なんで、放っておいてくれないデスか」
夕映の呟きに、誰も答えなかった。
◆
周囲の男達の意識が無い事を確認して、夕映を千雨達の元に帰ろうとする時、違和感がよぎった。
顔を横に振るう。頬に線が走り、血が舞った。
「――ッ」
壁に何本かのナイフが刺さる。夕映は体を転がしながら、ナイフの投擲元を探った。
金髪の男が立っている。淀みを宿した目が、夕映を睨みすえていた。
知らずゴクリと喉が鳴った。
「やぁぁぁ!」
銃を構え、男に向かい放つ。男の動きは夕映と比べれば、遥かに緩慢だ。
されど、夕映の弾丸は男を掠る事すら出来ない。
初めて陥る不可解な事態に、夕映は混乱した。
カッ、という音。手首に衝撃が走り、銃を見たら銃口にナイフが刺さっている。
一瞬視線を動かした隙に、男は夕映の目の前まで迫っていた。
夕映は銃を投げ捨て、腰のナイフを取り出す。
男は手に持ったナイフを振りかぶり、夕映に切りかかった。
両者の間に火花が散る。膂力では圧倒的に優位なはずの夕映の方が押し負けていた。
「こぉのぉぉぉぉぉ!」
一度離れた刃が、再びぶつかり合う。一撃、二撃、三撃と刃を煌めかせなら、夕映はどうにか持ちこたえた。
(なんでしょう、この感じ。不思議です)
自分を誘拐した男――おそらく彼がピノッキオなのだろう、と夕映は思った――のはずなのに、そのナイフ捌きに何かを感じた。
ピノッキオも思うところがあるのか、少し眉をひそめる。
経験の差だろう、隙を見つたつもりになり、大振りになった夕映のナイフ。それを避け、ピノッキオは蹴りを夕映のがら空きの腹に見舞った。
「げふっ!」
夕映はゴロゴロと地面を転がされる。苦痛に顔を歪めながら、追撃を恐れ脚に力を入れるも、追撃はやってこなかった。
ピノッキオは棒立ちのまま、倒れた夕映を見下ろしている。
「君、僕に似てるね。……そうか、君のナイフは〝僕のナイフ〟か」
ピノッキオは訳のわからない呟きをボソボソとした。
「あなたはピノッキオ、でいいんデスよね。どういう意味でしょうか」
ピノッキオの瞳から感情は読み取れない。ただ顔にぽっかりと穴が開いてる様だった。夜に、井戸の底を覗き込んだ様な恐怖を夕映は覚える。
「そのまんまだよ。君、義体なんだよね『公社』製の。君にはおそらく僕のデータも使われてるのさ。ナイフの捌き方がそっくりだ。十年前の嫌なクセまで思い出したよ」
「データ、ですか」
夕映も感じていた。鏡写し、とまではいかなくとも、夕映の中に染み付いたナイフの軌跡と、ピノッキオの軌跡が被るのだ。
「ははは、どこまで行っても過去に縛られる。現実はどこまでも追いかけてくる。嫌になるね、お互い」
初めてピノッキオの顔に感情が表れる。嘲笑、まるで今までの自分を振り返り嘲っている様だ。
「君と会ったもの戒めだ。君は僕だ。もう一つの僕だ。あるべき形で祝福されたもう一つの僕。だから、僕は君を殺さなくてはいけない」
ピノッキオの雰囲気が変わった。顔から表情が完全に抜け、目の下の隈が一層広がった気がする。
暗い闇がピノッキオを中心に広がっていく様だった。
「あなたの事情は知りません。で、でも私にはまだ会いたい人がいる、やるべき事があるんデス!」
夕映は目の奥が熱くなるのを感じながらも、必死に堪える。
思い浮かべるは、いつかの千雨の背中。泣きながらも、彼女は戦場へと身を投じていったはずだ。
(あの勇気、少しでも私にください)
ナイフをギュっと握り締め、夕映はピノッキオへ飛び掛った。
◆
万策尽きる。
圧倒的な物量の前に、千雨は逆転の糸口が掴めずにいた。
(せめて隔壁だけでも……)
管理システムの一部、隔壁の操作だけでも取り戻せば、千雨達は脱出できるのだ。
されど、道は遠く険しい。
幾度もの失敗が、首筋をチリチリとさせる程に焦燥を感じさせた。
「先生ッ! 敵が来るまでどれくらいかかる」
先ほど言われた情報を思い出し、ウフコックに千雨は問いかけた。
〈わからん。だが、とりあえず最初の侵入者は撃退できたようだ〉
「げ、撃退って誰が? ま、まさか」
〈千雨、集中を乱すな。今お前が離れたら、この部屋のネットワークも制圧される。察しの通り綾瀬嬢が出て、迎撃に成功した様だ〉
「ゆ、夕映は無事なのか! それに相手の狙いは夕映なんだろ」
〈無事だ。今のところはな〉
その言葉に千雨はほっとする。
〈だが、その認識は間違いだ。相手はもはや綾瀬嬢を狙っていない。おそらくこの施設そのものを頂くつもりだろう〉
千雨は少し考えて、ウフコックに確認した。
「それってわたしのせいか? わたしがドクターを巻き込んだから……」
〈何、元からアイツらはこうするつもりだったんだ。ただ、時期が早まったに過ぎない。綾瀬嬢が時間を稼いでくれたが、余裕は無い。相手の援軍がいつまた侵入してくるかわからん現状だ〉
夕映が頑張っている、その事に千雨は力を取り戻す。
「あぁ! やってやる!」
どこまでも広がるネットワークの海に、千雨とウフコックは浮かんでいる。
向かうべき先には『シスターズ』が壁を作っていた。
「いっけぇぇぇぇ!」
ネットの海に軌跡を作りながら、千雨は一直線に壁にぶつかって行く。
『シスターズ』の壁は一瞬へこむものの、すぐに盛り上がり、千雨を包囲しようと形を変えた。
「くぅぅぅっ、もうちょっと、もうちょっとなんだ!」
『シスターズ』の隙間から手を伸ばすも、その手は空を切る。
弾け飛ばされそうな千雨の耳に、男性の声が聞こえた。
『スマートじゃないなぁ』
「へ?」
千雨は『シスターズ』とぶつかりながら、キョトンとした顔になる。
『いいかい、泥棒ってのはスマートじゃなきゃいけない。それが俺の美学だ、わかったかい、お嬢さん』
「ど、泥棒って、わたしは泥棒じゃないっ! それより誰だよ、アンタ!」
「ニョホホホホ、おー恐い。だけど可愛いからおじさん許しちゃおう。まぁ知り合いのよしみだ、今回は俺が手を貸してあげよう」
千雨の体が不意に二つに分裂した。
「へ?」
見れば千雨自身の体は色が希薄で、分かれた方の千雨は色が濃かった。
『シスターズ』達はもう一人の千雨に攻撃をし続け、色の薄い千雨は無視している。
『君のダミーデータを作り出し、囮にした。少しの間なら奴らの目を盗んで、システムをいじるぐらい可能なはずさ。ささ、どうぞどうぞ。じゃあ俺はお先に帰らしてもらうわなー』
千雨の目の前にシステムへの道が出来ていた。『シスターズ』の波が割れているにも関わらず、誰もそれに違和感を覚えていない。
「一体、何者なんだ。先生、知ってるか」
〈いや、わからん〉
千雨とウフコックは謎の声が作り出した道を、まっすぐに進んでいく。
『あ、そうそう。言い忘れてたんだが、俺の知り合いがもうすぐここへ来るんだわ。会ったら優しくしてあげてちょうだい。彼女、けっこうナイーブみたいだからさ。まぁ、そこがかーいーんだけどね』
男はそう言い、今度こそその場から居なくなった。
緑色のジャケットに黄色いネクタイ、そんな男の影が千雨には見えたような気がした。
◆
ピノッキオの熾烈な攻撃に耐えかねて、夕映の持っていたナイフの刃が砕け散った。
体勢を崩したピノッキオの追撃を、夕映はギリギリでかわす。
だが、そのかわす事も予想の範囲内なのだろう、夕映がかわした先にはピノッキオの蹴りが待っていた。
「グフッ!」
内臓に響くような蹴り。地面を転がり、夕映は壁に頭をぶつけて止まった。
更に放たれた投げナイフを、夕映は人工筋肉の力を最大限に使い避ける。
一本が肩を掠め、制服に血が滲んだ。
痛みはすぐに引くものの、傷口に鈍い重たさが感じられる。
「はぁーっ、はぁーっ」
荒い息をどうにか整えようとするものの、相手はその暇すら与えない。
死の予感が夕映の中によぎる。明確な恐怖が目の前に立っていた。
「だけどぉぉぉぉ」
武器すら無くなった夕映は、無様に床をごろごろと転がりながら、ピノッキオの攻撃を避け続けた。
体中にアザが出来、傷口が衝撃で開く。血が飛び出した。
なんとか立ち上がった夕映は、そのまま壁や天井へと飛び上がり、常無い速さでピノッキオに蹴り放った。
ピノッキオはタイミングを合わせて蹴りを捌き、カウンター気味の掌底を夕映に当てる。
夕映は再び壁に衝突した。
「はっ――」
肺が痙攣し、呼吸をうまく出来なかった。一瞬朦朧としたが、なんとか意識を保つ。
「終わりだ」
ピノッキオがナイフを投げた。真っ直ぐと夕映の眉間へ飛んでいく。
(避けれないっ)
夕映の中に走馬灯が過ぎった。ジョゼの顔。のどかやハルナ、このかの顔。クラスメイトや部活先の先輩の顔。千雨の顔。
息を詰まらせながらも、目を反らさない。真っ直ぐ自分へ飛んでくるナイフを見つめ、最後まで夕映は抵抗するつもりだった。
そして――。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!!!」
女性の怒声、ついでコンクリートを破壊する轟音が響いた。
夕映とピノッキオの間の天井が崩れ落ちる。分厚いコンクリートの破片が、ピノッキオのナイフを弾き飛ばした。
巨大なコンクリート片と砂煙が、二人の間を遮る。
そして、破片と共に上の階から現れたのは一人の女性。長い金髪をポニーテールにし、顔にはゴーグル型のサングラス。
肌は褐色で、ところどころ黒い染みが出来た季節外れのロングコートを羽織っていた。息は荒く、良く見れば肌に玉の汗が浮かんでいる。
女性は夕映の姿を見つけると、ツカツカと音を立てて近づいてきた。
サングラスを投げ捨てる。その下に見える瞳は赤い。
夕映はなんとか呼吸を取り戻しつつ、近づいてくる女性を警戒し、体を堅くした。
女性は腕を広げ――。
「へ?」
夕映をギュっと抱きしめた。
「ごめん。ちょっとこうさせて。やっと……やっと会えた」
「あ、あの~」
夕映は事態が分からず、目をキョロキョロさせた。
未だ周囲の砂煙は酷く、視界は晴れない。
その中でもはっきりと見えた女性の顔に、どこか見覚えがあると夕映は思った。
「あの、ちょっと離して下さい。今はそれどこじゃないデス」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと嬉しくてね」
女性は夕映を離し、ニカリとした笑顔を向けた。
二十歳ぐらいなのだろうに、その笑顔はどこか子供の様だ。
「夕映、でいいのよね。私はトリエラ、あなたを守りにきたの」
「トリエラ、さん……守りに、デスか」
「うん、本当はもっと早く着くつもりだったんだけど、間に合わなくて。それでも、あなたが生きていてくれて、本当に良かった」
トリエラ、その名前で夕映はジョゼの部屋の写真を思い出す。ジョゼが持っていた一枚の写真にあった女性の一人、その名前は確か――。
「も、もしかしてジョゼさんのお知り合いでしょうか」
「知り合い――そうね。それで、ある人にあなたを頼まれたの。でもそれ以上に、私はあなたを助けたかったのよ」
「……なんで、デスか?」
夕映の中に、何かを期待する気持ちがあった。
「いきなり初めてあってこんな事言うのも変だと思うでしょうけどね――」
トリエラは一瞬躊躇したが、言葉を続けた。
「――私はあなたの〝お姉ちゃん〟なのよ。血の繋がりも何も無い、けれど世界で唯一残った姉妹。それが私達なの」
「――〝お姉ちゃん〟……」
いつか見た絵本を思い出した。父と母と姉がいる、家族の話。
とても遠いように見えた風景が、少し近くになった気がする。
トリエラの傷だらけの指が、夕映の手にそっと触れた。
「そう。〝あの場所〟でほんの少しだけ一緒に過ごしたね。私達を繋ぐのは、血ではなく絆。〝あの場所〟で生きて、死んだ。そんな人達との繋がりの上に私達がいるの」
「……」
夕映はトリエラの顔をじっと見つめ続けた。
「だからね、信じられないかも知れないけど、私はあなたの〝お姉ちゃん〟のつもりよ。夕映がどう思おうと、私はあなたのピンチにはいつも駆けつけるわ」
夕映の表情が固まり、そして――。
「ふぇ」
「え?」
「ふぇ~~~~~ん!」
夕映からボロボロと涙が零れた。玉の様な涙の粒が、滝の様に溢れてくる。
「あわ、わわわわわ、ど、どうしたの夕映! ご、ごめんなさい、急だったかしら。それとも私なんか変なことを――」
「違うんです。エグッ、嬉しいんです」
夕映は涙を袖で拭う。
「私、家にいてもずっと一人で、前からお姉ちゃんが欲しくて、ジョ、ジョゼさんが死んでッ」
ジョゼと過ごした家。今でもあるその家には、もう夕映しかいない。
夕映の言葉は取りとめも無く吐き出され続ける。トリエラはそれを聞いて、夕映を再びギュっと抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫よ、夕映。後はお姉ちゃんに任せなさい」
「ヒグッ、その私が妹なんかでいいんですか。だって私は――」
「言ったでしょう、私達は唯一の姉妹……えーとその、か、『家族』なのよ。うん、そう」
トリエラはどこか照れくさそうに、うんうんと頷きながら言った。
「だから安心しなさい。お姉ちゃんが後はどうにかしてあげるから。友達が待ってるんでしょう、ここは任せて先にいきなさい」
「で、でも」
「麻帆良で待ってて。お姉ちゃんもすぐに向かうわ。私、夕映の友達や、夕映の部屋見てみたいもの。それにね――」
トリエラは腕を曲げて力こぶを作った。
「お姉ちゃんはとーっても強いの。だから大丈夫。ほら、もう隔壁は開いてるはずだわ。今度会う時は麻帆良で会いましょう」
トリエラは夕映の体を離し、トンと突き放した。
そしてピノッキオがいるだろう砂煙の方に体を向ける。夕映は後ろ髪を引かれながらも、千雨達のいる部屋へ向かおうとする。
ふと振り返ると、トリエラの背中が目に入った。その背中は夕映が見てきたヒーローの姿と重なる。
「――ッ! お、お姉ちゃん! 私、待ってます! 麻帆良で、麻帆良で『おかえり』って言えるまで待ってます!」
トリエラは振り返らず、ただ親指をグっと上げた。
その姿に安心し、夕映は通路を走っていく。
◆
夕映を見送った後、振り向かなかったトリエラの顔は先ほどのそれと違い、剣呑な雰囲気を帯びている。
(あの子、傷だらけだった)
体中にアザや裂傷があった。それだけでない、皮膚の上には幾つもの真新しい治療痕もある。
麻帆良でさらわれてから、学園都市に入ったまでのおおよその経緯はL3によって知らされていた。にもかかわらず、その全てが後手に回らずを得なかったのが悔しかった。
砂煙が晴れ、コンクリート片の向こう側にピノッキオの姿が見える。
「ひさしぶりね。随分汚らしいナリになったじゃない」
「やっと済んだか。僕をあんまり待たせないで欲しいな」
十年。トリエラは十年前にも、ピノッキオと何度か戦っていた。
その戦いでピノッキオに重傷を負わせ、殺したと思ったのだが、彼は今も生きている。
ピノッキオの瞳に歓喜が宿った。カリカリと頭蓋を引っかく音が激しくなり、殺意の衝動が体の隅々にまで巡る。これからの死闘に、細胞全てが喜悦を叫んでいた。
「さぁ、はじめよ――」
「よくも!」
ピノッキオの言葉を、トリエラの呟きが遮る。
トリエラは顔を伏せ、片手に持ったショットガンをギュっと握る。
「よくも、よくも、よくも、よくもッ!!」
バキリ、という音と共に握っていたショットガンが潰れた。
「よくも、〝私の妹〟に酷い事してくれたわねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
憤怒の形相。赤い瞳が怒りの炎を上げ、更に色を濃くしている。食い縛った歯からは、ギロリと伸びた犬歯が見えた。
ピノッキオは危機を察し、感覚だけで回避行動を起こす。砲弾の様なトリエラが、二人の間にあったコンクリート片を吹き飛ばし、ピノッキオのいた場所を通り抜け、壁に拳を撃ち放った。
爆発音。分厚いコンクリートの壁は、トリエラの拳打の一撃で崩壊した。比喩ではなく、その威力はまさに大砲そのものである。
「万ッ死に値するわッ! 楽に死ねるとは思わないでねッ!」
ピノッキオの頬に、冷や汗が一筋流れる。
されど――。
「面白い。ならば死合おうか」
両手にナイフを取り出し、ピノッキオは構えを取った。
つづく。
(2011/08/31 あとがき削除)