■interlude
午後四時を過ぎれば、この街は一気に賑わいに埋め尽くされる。
《学園都市》の住民のほとんどが学生となれば、当たり前の事であった。
部活やバイトの無い者達は、放課後を友人達と楽しく過ごすために、歓楽街へ乗り出す。
第七学区のとある通りにあるファーストフード店も、学生服を着た人間に埋め尽くされていた。
二階の窓側の席の一角。
三人の男子学生がハンバーガーやポテトを片手に歓談していた。
一人がノートパソコンを取り出し、動画サイトなどを三人で見て笑う。
ふと、思い出したようにブラウザのブックマークをクリックし、あるサイトを開いた。
『学園都市伝説』と呼ばれるサイトだった。
なまじ超能力なんてものがあるので、この手のオカルト話は信憑性がある様に感じられるらしく、近頃学生に人気があるのだ。
ブラウザのスクロールボタンを押し、ゆっくりとページを下にずらしていく。
・風力発電のプロペラが逆回転するとき、街に異変が起きる!
・使うだけで能力が上がる道具レベルアッパー!
・○○公園のボートに恋人同士で乗ると、二つに別れる。
・中央図書館の検索端末で呼び出してはいけない本があるらしい。
・怪奇! 毛玉人間。夜の街に忍び寄る恐怖!
・どんな能力も効かない能力を持つ男。
・夕方4時44分に学区をまたいではいけない!幻の虚数学区に迷い込む!
「どんな能力も効かないって、んなのあったら俺も欲しいぜ」
一人の学生が、ページを見ながらそうのたまった。
「まだレベルアッパーの方がありそうじゃね。そういやこの前隣のクラスの岡村がさ――」
「は? なにそんなサイトあんのかよ」
日常の談笑の中に、そっとその都市伝説は消えていった。
■interlude end
第24話「衝突-burst-」
「あら、死んじゃってるわね」
麦野たち四人を研究所の奥で出迎えたのは、依頼人たる天井亜雄の遺体だった。
「絹旗~、こいつで間違いないの?」
「はい、写真を見る限り間違いありませんね。血も固まってなく新しい。おそらく私達が来る直前に殺されたのでしょう」
「ふーん、運の無い依頼人ね」
麦野は天井の遺体を足蹴にしつつ、周囲を探った。
「滝壺、どう?」
滝壺と呼ばれた少女は首を振った。
「ううん、何も感じないよ」
「超能力者じゃないって事か。まぁいいわ。フレンダ、そっちは?」
麦野は金髪の少女へも声をかける。どうやら部屋内に残った端末を弄っているようだ。
「ん~、駄目みたい。結局のところ全滅って感じ。根こそぎデータブチ壊されてるわけよ。それ系の能力者いればサルベージも出来そうだけど、私達には無理ね」
「そっか。でも無駄足ってのも尺ね。お、これは」
麦野は何か気付いたように、周辺の紙束を手に持った。
それらをパラパラとすごい勢いで斜め読みしていく。
三十秒ほどで何束かの資料を読み、ニヤリと笑いながら顔を上げた。
「私達はツイてるわ。どうやらここには〝お宝〟があったみたい。そして今もお宝は近くにある。せっかく出張って来たんだから、手ぶらは損よね~」
麦野は資料を放り投げ、腕を一振りする。光が部屋を満たした後、資料の束は綺麗に無くなっていた。
◆
夕映を背負いつつ、千雨は走る。
ウフコックに反転(ターン)して貰ったベルトで、夕映と千雨はしっかり固定されていた。
只でさえ体力の無い千雨には、人一人を抱きかかえて走るのは困難であり、背負う事でなんとか走れる状況だった。
ときおりよろめき壁に手を付きつつも、この場所を脱しようと急ぐ。
通路のあちこちは破壊され、いまだ研究所内の喧騒は途切れていない。
千雨の鼻筋を汗が流れる。夕映を背負って走ってるせいで、気付けば汗びっしょりだった。
息も荒く、苦しい。
倒れそうになる体を、細い二本の足で支えつつ、ただがむしゃらに走った。
背中から来る絶大なプレッシャーを、千雨は本能的に悟っているのだ。
だが、その存在から千雨が逃れる事は出来なかった。
「見~つけた」
真後ろから声がかかり、千雨の背筋に悪寒が走る。
コツコツ、とヒールが床を叩く音が響いた。
千雨は固まったように動けなくなり、どうにか首だけでもゆっくりと動かそうとする。
喉がカラカラになって痛かった。ツバを飲もうとするものの、うまくいかず、乾いた感触だけが口内に残る。
ボタボタと床を濡らす汗は、きっと走ったからだけでは無いのだろう。心臓の鼓動が速まった。
(なんだ、なんで私はこんなに緊張してるんだ)
千雨の鋭敏な感覚が、無意識に能力者が放つ『AIM拡散力場』を感知していた。
そして、今声を発している人物の〝ソレ〟が規格外なのも感じていた。
「ふーん、なんか普通の子じゃない。ちょっとイモ臭いけど」
顔が日影にあり見えない。
されど、そのシルエットはこちらに近づく度に、日影を抜けて鮮明に見えてくる。
顔が見えた。
どこかお嬢様然とした美女だが、目に鋭利な輝きが見えた。
(ま、まさか。先生、コイツは)
〈私も思い当たる。この都市で仕事をする上で、知らずにはいられない面構えだ〉
以前見た、思い出したくないリスト。その四番目にあった顔である。
麦野沈利、この学園都市で四番目に恐ろしい超能力者の名前だ。
その麦野の後ろには、更に三名の少女が付き添っている。
常ならば多少は受け止められた威圧感も、今の千雨は様々な要因が重なり過酷だった。
震える膝をなんとか叱咤しつつ、千雨はどうにか口を開いた。
「こ、こんな所で『原子崩し(メルトダウナー)』さんが何の用だよ。わたしは急いでるんだ、悪いが後にしてもらえないか?」
千雨の言葉に、麦野は少し感心しながら返答した。
「へぇ、私の事知ってるんだ。なら話は早い。その背中の、置いていきなさい」
ピクリ、と千雨の眉が動いた。
「あなたもどうせ『破片』狙いのコソドロでしょ。あいにくソイツは私達が貰うことにしたの。ただ働きは嫌だし、それに――」
麦野は指先を唇に添え、からかう様に言う。
「あなたみたいな子には、ソレは持て余すでしょう。うまく使えば、レベルの壁も越えられるかも――」
ギシリと千雨は歯を鳴らし、手の中でウフコックに干渉する。
右手に現れた大口径の拳銃を、千雨は麦野に突きつけた。
(――銃が瞬時に現れたッ。このガキ、空間移動能力者(テレポーター)か?)
千雨の行動に多少驚きつつも、麦野は冷静に千雨を観察していた。
「おい! 訂正しろよ厚化粧! 夕映を物扱いだって……こいつはわたしの友達だ!」
厚化粧、という言葉に麦野は表情を固まらせ、後ろの少女達は笑いを堪えている。
麦野が鋭い視線で少女達を睨みつけ、なんとか含み笑いの音は消えた。
「おい、イモガキィ! こっちは穏便に済まそうとしてるのに、何様のつもりだ。あァん!」
嘲笑に怒りを含ませた様な表情を、麦野は曝け出した。
「私が誰か知ってるのに、銃を突きつけるなんてなァ。意味ねぇのわからねェのかよ!」
「はん、本当に意味ないと思ってるのか? コイツは〝特別製〟だぜ」
少しの降着。お互いがお互いの出方を伺っていた。
とは言っても、アドバンテージのほとんどは麦野達にあった。
虚勢を張ってはいるが、千雨は内心焦りが加速するばかりである。
(クッ……怒りに任せて突きつけたが、レベル5相手に銃は効かないだろうな)
〈おそらく。だが、一瞬程度なら時間を稼ぐことは出来る。その隙に逃げろ〉
ウフコックがそう言い、拳銃の内部が変形したのを千雨は感じた。
時間にして五秒にも満たない静寂。
ウフコックの合図の元、引き金を引こうとする千雨を止めたのは、意外な声だった。
『見つけたぜ、リゾット。あの背負われてるガキ。今度こそ間違いないんじゃねぇか』
千雨と麦野達が来た通路とは違う、三叉路の別の通路から人影が歩いてくる。
話している言葉はイタリア語だろうか。
思わぬ闖入者に、千雨と麦野達の視線がそちらに集まる。
やって来たのは三人の男。ガタイの良い、見るからに西洋人といった体の男たちだ。
先頭にはリゾットと呼ばれたフードを被った男。手に持った写真と夕映を見比べている様だ。
『あの馬場とかいう男もなかなか使えたな。間違いないだろう』
『俺のスタンドを使うか?』
『プロシュート、やめておけ。敵は女ばかりで好都合だが、とばっちりはゴメンだ』
リゾットにプロシュートと呼ばれたスーツの男は、チッっと舌打ちしながら、とりあえず拳銃を取り出した。
(なんだ、なんなんだよ)
〈どうやらイタリア語だな。しかもターゲットはやはり綾瀬嬢だ〉
(なんでこのタイミングに……最悪だ)
千雨は麦野に銃を突きつけたまま、リゾット達の動きを警戒している。
ふと、麦野が口を開いた。
『ねぇ、おっさん達。悪いんだけどコイツには先約があるの。調子コイた事言ってないで、どっか行ってくれる』
流暢なイタリア語だった。
翻訳には自信あるものの、リスニングには自信の無い千雨にはさっぱり意味が分からず、ウフコックの通訳を通してなんとか理解した。
麦野の言葉にリゾットとプロシュートは無言。
最後の一人である坊主頭の男が前に出てきた。
『あぁ、おい女ァ。俺ら――』
『ホルマジオ。こいつは今までとは〝違う〟』
リゾットはホルマジオを手で制した。不満はあるものの、ズコズコとホルマジオは下がる。
すると、リゾットの雰囲気が変わった。半歩足を前に出し、戦闘体制を取る。
それに合わせ、プロシュートも拳銃を前へ突き出した。
麦野の後ろにいる絹旗と呼ばれる少女も軽く構えをとり、隣のフレンダも懐から何やら短い棒の様なものを何本か取り出した。
千雨も相変わらず銃を突きつけている。
三者三様、一触即発。まるで空気そのものが爆薬に変わったようだった。
千雨は震える手を、力の限り握り締め堪える。
だが、麦野沈利はその中央に立ち、まるで何事も無いように泰然としていた。目を猫の様に細め、愉快そうに笑っている。
「無駄なんだよ。アンタらみたいなクズが幾ら集まってもね」
麦野はそう言いながら、光る指先をリゾット達の方へ向ける。
それを合図にリゾット達が動いた。
リゾットは麦野に向けて走りながらも、体が周りの風景に溶ける様に消えていく。プロシュートは銃を撃ちつつ、光を警戒ししゃがんだ。
麦野の指先から光線が放たれた。
ゴウッ、という空気を切り裂く音。光は真っ直ぐ進み、その射線上にある物を全て解体していく。
『やべーーぞ、こいつッ! リゾットォォー!』
プロシュートは地面に伏せながら、リゾットの名前を呼ぶ。麦野に向けて放たれた銃弾は、麦野がもう片方の手で作った光の盾に分解された。
麦野沈利の超能力『原子崩し(メルトダウナー)』は、名前の通り原子を崩すという強力無比な能力だ。その光に貫かれたものは、例え何であろうと分解される。
そんな麦野の前に、周りの風景に溶けていたリゾットが現れる。
『メタリカァァァァァァァ!!』
麦野の腕、その皮膚の下から剃刀の刃が現れ、皮を切り裂いた。
「チィッ!」
突如出血した右腕に、麦野は驚きを隠せない。
リゾットのスタンド能力『メタリカ』は磁力により鉄分を操る事が出来る能力である。
その範囲は人体の鉄分すらも入り、射程距離ならばこうやって人体の鉄分で物体を作り出す事も可能だった。また、その鉄分を全身に纏わせ、周囲の風景に溶け込む事も出来るのだ。
麦野の首を狙い、懐に飛び込もうとするリゾット。
だが、麦野の後ろから飛び出した小さい影が迎撃した。
「超遅すぎです」
絹旗最愛だった。
小さい体に似合わぬ膂力で、リゾットを一蹴する。その力に能力が使われているのは明白だった。
リゾットは蹴られた腹部に鉄分を集めて、どうにか衝撃を緩和する。
「ナイス、絹旗」
麦野は指先をリゾットに合わせ、再度光を放とうとする。
『甘いぞ、『メタリカ』ァァァ!』
麦野の腕が何かに引っ張られる様に動き、光の向きが変わる。通路の天井を穿ち、周囲に破片を撒き散らせた。
リゾットはスタンド能力で、〝麦野の右腕の鉄分を磁力で引っ張った〟のだ。
圧倒的な力と巧者の技術、二つがぶつかり合う戦場を見て、千雨は震えていた。
虚勢のハリボテは無残に剥がれ、表情は青ざめている。
(なんだよ、なんだよコレ)
レベル5が放った無造作な一撃は、通路や天井を幾何学的に抉っている。千雨はそれを鋭敏な感覚で精確に知覚し、愕然とした。
(熱で溶かしたというレベルじゃない。強度や構造なんかも関係なく、空間ごと分解してる……)
抉られた天井や建物の鋼材などは、まさに光が真っ直ぐ通ったままに分解されていた。その誤差は限りなく小さく、微少そのものである。
千雨は千雨だからこそ感じられた視点で、レベル5の余りの強大さを理解したのだ。
銃口がガクガクと乱れる。背中にある夕映の体がずっしりと重くなった気がした。
〈千雨っ! 引き金を引けっ!〉
ウフコックの言葉に、条件反射のまま持っていた銃の引き金を引いた。射線は麦野とリゾットの間。
壁面にぶつかった弾丸は、光を爆発させた。
「照明弾だとぉ!」
不意の光の激流に、周囲の人間は目を焼かれる。
〈今だ! 走れ!〉
言葉に押され、千雨は夕映を背負い走り出す。
知覚領域に、目を腕でかばう麦野の姿を確認した。
千雨の脳裏に甘い誘惑が沸く。千雨は走りながらも左手に銃をもう一つ反転(ターン)させた。
ウフコックのサポートが無ければ、肩を脱臼するだろう大口径の拳銃を、力の限り麦野へ乱射する。
(当たれ! 当たれ!)
恐怖と逃避による銃撃。今ならもしかしたら――という夢想にも似た千雨の懇願だった。
だが、それらは全て麦野へ防がれる。唯一、一部の弾が壊した壁の破片が、麦野の頬を浅く切るのみだった。
「――っ!」
麦野は目を焼かれながらも、その頬の感触に苛立ちを募らせる。
リゾットもすぐさま動いていた。目を瞑ったままで周囲の磁力を操り、金属片を麦野達、『アイテム』の面々へ撃ち放った。
それらを麦野と絹旗の能力が盾になる形で防がれる。
目を焼かれた面々の視界が戻った時には、もうその場に千雨はいなかった。
頬の血が一滴垂れて、麦野の服を汚した。右手にも裂傷が出来ている。麦野は苛立ちを隠そうともせず、青筋を立てる。
「フレンダァ! あのイモガキを始末してきな。あいにく私達はここを離れられない」
フレンダと呼ばれた金髪にベレー帽の少女は、「え、私?」と言わんばかりの表情で麦野を見つめる。
麦野が顎で千雨の逃げた方向を指し示し、しぶしぶ追いかけ始めた。
周囲を省みれば、通路はその大部分が破壊され、外の風景が丸見えである。黒煙がそこらかしこから昇りながらも、サイレンなどの物音一つしない。
どうやらしっかりと情報封鎖されているようだ、と麦野は再確認した。
目の前には奇妙な出で立ちの男が三人。
まずはこいつらを殺して、そしてあのメガネのガキも殺し、『破片』を奪う。
シンプルでありながら、麦野には何ら不可能ではない、順当な計画だった。
◆
睨み合いが起きていた。一分にも満たない時間だが、お互いが動かず無言のままの状態が続いた。
麦野は怒りをそのままに、思考に余裕を取る。目線で滝壺に確認を取るも、少し顔を傾けた後、首を横に振った。
(力場らしきものを感じながらも良く分からない、か。さっきの奇妙な現象を見る限り、こいつらが噂の『スタンド使い』とやらか)
麦野は目の前の三人の男達を見た。
(能力のプロセスがまったく分からない、まさに天然の『超能力』といった所ね)
右手をペロリと舐める。傷口から剃刀が現れ、それをペッっと口で吐き出した。
床に落ちた剃刀が、小さな金属音を響かせる。
(さっきは腕をこの剃刀に引っ張られた気がする。磁力の能力? それにしたって剃刀が現れた理由にはならない。もしや後ろの男達の能力か? ――まぁ、いい)
麦野は手の平に光の塊を出した。リゾット達が身構える。
(だったら、その『スタンド能力』も、全て蹂躙すれば事は済む)
笑みを深くした麦野は、イタリア語で男達へ語りかける。
『あんた達さぁ、なんか勘違いしてるみたいだからいい事教えてあげようか。私の能力ってね、別に〝手や指先からじゃなくても使える〟んだわ。もう、あんな小手先の力では反らせられないわね』
麦野の周囲に光の玉が五つほど浮かんでいる。今までは指先や手といった、肌から直接現れていた光が、麦野が一切触れずとも不意に空中に現れた。
それらはまるで砲塔の照準を合わせる様に、ギラギラした光をリゾット達の方向へ向けた。
――マズイ。それがリゾット達三人が共通して感じた事だった。
リーダーたるリゾットは即座にこの場からの戦線離脱を決意し、背後に構える二人に言葉をかける。
『ホルマジオッ! プロシュートッ!』
ホルマジオはその言葉に反応し、ポケットから〝ミニカーの様な物〟を数個取り出し、麦野の方向へ投げた。
ホルマジオのスタンド『リトル・フィート』は、そのスタンドで傷つけた〝人や物を小さくする〟という能力だ。小さくするためには時間がかかるが、小さくなったものを元のサイズにするのには時間がかからない。ただ能力を解除するだけだからだ。
今投げた〝ミニカーの様な物〟の物も、もちろんミニカーそのものでは無かった。
手の平に乗るほどのサイズの物体がむくむくと大きくなり、トンを越える鉄の塊になる。
投げた勢いのまま、本来の乗用車サイズに戻った車の群れが、天井や壁を破壊しながら麦野達へと迫った。
更に車の中にはガソリンもたっぷり詰まっている。それらは巨大な爆弾でもあった。
狭い通路で爆破したら、リゾット達も只ではすまない。
しかし――。
『さぁ、出番だぜペッシ』
プロシュートは右手を掲げた。右の手の平からは、皮膚を突き破って釣り針と釣り糸が垂れている。
もう片方の手で釣り針をチンと叩くと、釣り針が生き物の様にうねった。
『掴まれッ! リゾット、ホルマジオ!』
プロシュートが右腕を中心に、〝釣り針〟に引っ張られた。壁の穴を通り、体がすごい勢いで空中へ放り出される。
リゾットやホルマジオは、プロシュートの手や足に掴まり、便乗する形で空を飛んだ。
グングンと引っ張られるプロシュートは、研究所近くの車道を一つ通り越し、数百メートル離れた一台のオープンカーの座席に突っ込んだ。
オープンカーには、気の弱そうな顔立ちのペッシが釣り竿を持って立っている。
その釣り竿こそがペッシのスタンド『ビーチ・ボーイズ』であった。
『あ、兄貴ィ。俺のタイミングはどうでした?』
『完璧だぜ、ペッシ』
プロシュートは遠くの研究所を見ながら、ニヤリと笑った。
爆発音が研究所から轟いた。
◆
一方、麦野は車の津波に視界を覆われていた。
『原子崩し(メルトダウナー)』で車を壊そうとしても、所詮は〝線〟の攻撃であり、〝面〟を有する車を止める手立てにはならない。
「チィッ! 絹旗ァ、ぶちかませっ!」
そう言いながら、麦野は後ろに下がり、滝壺を背後にかばう。
周りに浮かんでいた五つの光球で、自身を中心に幾つもの螺旋を描き、光の円盤を幾つか作り出した。
麦野の能力は云わば〝砲台〟であり、自身の肉体を強化するような力ではない。
故に、彼女は自身の肉体の防御を優先しなくてはいけなかった。
小柄な絹旗はその合間を飛び出し、車の群れへ体を突っ込ませる。
『窒素装甲(オフェンスアーマー)』――窒素を操り、自分に纏わせる絹旗の能力だ。一種のパワードスーツな様なものであり、それが彼女の膂力の正体だった。
ズン、と絹旗と車がぶつかり合った。
さすがにあの車の群れを止めるにはいたらず、絹旗の両足が床にめり込み、そのまま二本の尾を引きながら押し戻されていく。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
絹旗の雄たけび。
常には無いほどの感情を露わにし、必死に車を止めようとする。
だが止まらない。ならば――。
麦野は盾の隙間から、光の線を一本撃ち放つ。
こちらに来る前に爆発させる――それが麦野の判断だった。
狙いは一台の車のガソリンタンク。タンクは穴を開けられ、ガソリンが飛び散る。
「絹旗、下がりなっ!」
金属と金属がぶつかり合い、火花は周囲に溢れている。そこへガソリンが引火するのは必然だった。
絹旗は迫り来る車を蹴り、その反動で一気に離れる。
車が爆発したのはその時だった。
一台の爆発が、次の爆発へとつながり、あっという間に巨大な熱量が吹き荒れた。
飛んでくる鉄の破片を、麦野は自らが作った盾のシェルターで分解しながらやり過ごす。
麦野の盾の内側に潜った絹旗も、能力を維持し続け、隙間からくる熱風を防ぎ止めた。
数秒か数分か。爆発は施設の天井も床も壁も破壊している。周囲にまともな状態で残っているのは、麦野達を中心とした一メートル程の床だけだった。
未だ空気は熱く、肌をチリチリと焼く。滝壺が咳き込み、煙のせいか目から涙を流した。
絹旗は麦野と滝壺を抱え、崩れかけた床から飛び降り、研究所の駐車場へ着地した。
麦野は腰に手を当て、ふぅと一息吐く。そして、クククと笑い出した。
「やられたわね。あれが『スタンド使い』とやらか。なかなか面白いじゃない」
「スタンド使い、ですか?」
麦野の言葉に、絹旗が問うた。
「おそらく間違いないわ。それで滝壺、どう?」
後ろで煤まみれになった滝壺は、顔をハンカチで拭いていた。
「う~ん、ちょっと違和感あるけど、だいじょうぶだと思うよ」
「じゃあ問題ないわね。このまま『スタンド使い』を追うわよ。あのオッサンどもをミンチにしないと気が済まないわ」
麦野は正門前で待っているはずの車を呼び出す。そんな麦野に、絹旗はまた問いかけた。
「フレンダはどうしましょう、なんか超嫌な予感するんですが」
「まぁ、大丈夫でしょ。死ななきゃそのうち合流するだろうし」
あっけらかんとしつつ、麦野は手をふる。
◆
千雨は壁に手を付きながらも、足を止めていなかった。
呼吸は荒い、動機も激しい。
元々体力が無い上に、レベル5との遭遇で心も削られていた。
夕映という守るべき存在がいたから何とか立ち向かえたものの、実力差を正確に測れる千雨としては恐ろしすぎる事だった。
体中から汗が噴き出る。反面、顔は青ざめていた。
気を緩めると、胃から全てを吐き出しそうだった。
窓の外は完全な夜。街灯の明りがポツポツと見える。
(――ちーちゃんっ――)
アキラの声が脳内に走る。
その声に一瞬ほっとするものの、一緒にウィルスを通じ流れてきた感情は不安、恐怖、罪悪感。
(あーちゃん、どうした? 大丈夫か?)
アキラの状況を知るべく、千雨は問いかける。
(う、うん。こっちはなんとか大丈夫。それより夕映は?)
(あぁ、なんとか助け出した。だけど今やばくて――)
アキラへの言葉が止まる。
千雨は広げた領域に人影が入ってくるのを感じたのだ。『シスターズ』の影響下のため大きい領域が張れず、感づくのが遅くなった。
「こ、こいつは『原子崩し』と一緒にいた女か?」
〈誰か分かるか?〉
「あの金髪の女だ」
相手は小柄ながら、千雨の足より圧倒的に速かった。
(悪い、あーちゃん。敵に追いつかれたみたいだ。とりあえず逃げる)
(ちょ、ちょっとちーちゃん!)
まるで電話を途中で打ち切る様に、アキラとのラインを閉じた。
背後から「見つけた!」という声が聞こえる。
「ま~ったく、〝毛玉女〟の事といい、私って結局貧乏くじな訳よ」
金髪の少女――フレンダが千雨に追いつこうと走ってくる。
「そこのメガネ、さっさと止まりなさーい!」
「ゼェゼェ、誰が止まるかっ! クソ、わたしは金髪に祟られてでもいるのか」
〈否定できんな〉
千雨は夕映を抱えながら、必死に走る。
例えここでフレンダと一戦交えても、更に後ろから来るかもしれない『原子崩し(メルトダウナー)』に追いつかれた時点でアウトなのだから。
「止まらないってんならぁぁ!」
後ろからフレンダがぬいぐるみを投擲した。千雨は瞬時にそれを精査し、中に爆弾が仕掛けられているのを見抜いた。リモコン式の簡素な爆弾である。
(うぇ、あれはやばいっ!)
千雨は電子攪拌(スナーク)を使い、爆弾を千雨とフレンダの丁度中間で爆破させる。
「げぇっ! あいつ発電能力者(エレクトロマスター)? やばい、やばい」
フレンダはそう言いながら、腰に巻いたベルトを一本外に投げ捨てた。ベルトには何個かぬいぐるみが固定されている。
千雨は息も絶え絶えに、拳銃を背後に構えた。
照準は曖昧、集中力は切れかけている。放たれた弾丸は、壁面を小さく削るばかりだった。
「うおっと」
フレンダは身を屈ませながらも、器用に走り続けている。
スカートからマラカスの様なものを指で挟みつつ取り出し、その柄の尾を引っ張った。気の抜けた様な音と共に飛んでくる、小さなミサイル弾。
千雨もそれらをなんとか銃で撃ち落す。
「ぜぇ、ぜぇ。くそ、このままじゃジリ貧だ」
千雨の撃つ弾丸を、フレンダは巧みな移動で避け続ける。
「ふーん、やるじゃない。でもね、あんたが能力者でも、手はあるってね!」
フレンダはポケットから小さなボールを取り出し、床に叩きつけた。
キィン、という甲高い音が耳朶を打つ。
「なぁっ!」
学園都市が開発した、能力者鎮圧様の特殊音響弾だった。
千雨は脳が揺さぶられた様になり、一気に平衡感覚を失う。視界が波を打っていた。
「ははは、もーらいっ!」
フレンダは耳栓を投げ捨て、千雨に一気に近づく。
〈千雨、避けろっ!〉
「へっ?」
ウフコックの言葉にも、即座に反応できない。
次に訪れたのは顎への衝撃だった。
千雨の手から拳銃が滑り落ちた。体の力が一気に抜けて、そのまま床へ倒れる。
(せ、先生っ)
〈ぐぅっ、すまん。私もすぐには動けん〉
千雨と同じく、ウフコックも脳を揺さぶられていた。
千雨はウフコックたる拳銃へ手を伸ばそうとするものの、その手はフレンダの足の裏で止められた。
「ぐぁぁぁぁ」
手を踏み砕かんとする圧力に、苦痛の声が漏れる。
「思ったよりチョロイね。さぁってと、背中のお荷物を貰いますよ~」
千雨と夕映を固定していたベルトがするすると解かれてゆき、離された。
「やめろぉぉぉぉ!」
「ったく、ウルサイなぁ。さっさと死んじゃえ」
先ほど出した小型ミサイルを、千雨に突きつけた。
千雨は最後の力を振り絞り、踏まれてない手でフレンダの足首を掴み、全力の電子攪拌(スナーク)をする。
「ひっ!」
発電能力者には遥かに及ばない電撃だが、フレンダを一瞬すくませる程度にはなった。
「うぉぉぉぉ!」
そのまま千雨は転がる様に前に飛んだ。
先にはよろついたまま歩くウフコックがいる。拳銃を脱ぎ捨て、ネズミの姿でふらつきながらも千雨に近づいてきたのだ。
「先生っ! たのむ!」
ウフコックは何も言わず、千雨の手の中で普段より歪な拳銃へと反転(ターン)した。
千雨は揺らぐ視界の中、フレンダの人影に向けて引き金を引く。
銃弾二発が外れ、三発目がフレンダの持っていたミサイルへ当たる。
「ギャアアアアアアア!」
フレンダの右手が爆発し、指が空中へ弾け飛んだ。
血をボタボタ流しつつ、怒りに目と顔を真っ赤にしたフレンダが、千雨に蹴りを放つ。
胸を圧迫された千雨は、そのまま仰向けに転がされ、銃を持ったままの右手を踏み抜かれた。
「こぉの、クソメガネ! 私の右手をどうしてくれるんだよ!」
フレンダは目を血走らせ、痛みを堪えるためかふぅふぅと息を荒くしている。目じりに涙も溜まらせながら、指の無くなった右手を押さえていた。
「ごほっ!」
千雨は意識が朦朧として答えることが出来ない。
フレンダは左手で、グリップに針金の様なものが付いたツールを取り出す。
「楽に死ねると思うなよォ!」
そしてそのまま左腕を振り上げ。
「ダメェェェェ!」
フレンダの頭部を〝尾〟が横殴った。血を撒き散らしながらフレンダは通路を転がる。
降り立ったのはスタンドに乗ったアキラ。千雨の異状を感じ飛んできたのだ。
尾の二本で床に転がったままの夕映を掴み上げ、アキラは千雨に手を伸ばす。
「ちーちゃん、乗って!」
千雨はなんとかアキラの手を握る。その途端グイっと引っ張られ、アキラに抱きしめられる形でスタンドに乗った。
倒れたままのフレンダをそのままに、アキラは窓ガラスを割り外へ飛び出す。
近くで爆発音が轟いた。
研究所の一部が、炎を吹き上げ崩れ落ちていく。その光景を背に、千雨達は研究所を離脱するのだった。
つづく。
(2011/08/10 あとがき削除)