物心、そんな物がいつ付いたのかは分からなかった。
ただ最初の記憶だけは覚えていた。
真っ白い部屋。ベッドも天井も壁紙も床も。
四肢はほとんど動かず、本能的なまどろみの中にいた。
周囲は何もかもが白で構成されていて、薄っすらと輪郭を残すのみである。
その真っ白い空間を、何か色の付いた煙の様なものが漂っている。少女はその色を目で追いかけた。
「おぉ、成功だ」「どうやら魔力をしっかり視認出来ているようだ」「三体目でやっと成功例か」。そんな言葉が部屋の隅のスピーカーから洩れ聞こえる。
当時は何のことか分からなかったものの、二年後、少女が三歳になった時にはその意味が理解できた。
この白い部屋も、自分に植え付けられた知識も、体に施された手術痕も、只の実験のためのものなのだと。
空虚な時間。
頭に膨大な知識と、感情という名のガラクタが置かれていた。ガラクタは所詮ガラクタで動くことはせず、寂しさも悲哀も、少女にはただの単語でしかなかった。
母の温もりは知識で。優しげな声はスピーカー越しで。向けられた笑顔は自分を通り過ぎる。
頭には膨大な知識があり、それを反すうするだけでも時間は潰せた。
だが、部屋には何冊かの本があった。
幼稚な絵本であったが、少女はある一冊の本を頻繁に読んだ。
主人公の女の子が母と姉と一緒に、父の誕生日にケーキを作るという話である。
女の子は苺を手に入れるために姉と冒険をし、クリームを作るために母と一緒に魔物と戦うのだ。しかし、それは全て女の子の夢で、ケーキを作っている最中に寝てしまったらしい。最後に父が帰って来て、家族全員でケーキを食べて、話はおしまいだ。
少女は考える。
姉はともかく、自分が産まれたというなら父と母が存在しているはず。
一体、どこにいるのだろう。
ぼんやりとそれを夢想した。顔を想像するために絵本を見るが、本の絵はお世辞にもうまいとは言えず、その作業を助けてはくれなかった。
◆
ある日、少女は夢を見た。一人の男性が立っているのだ。
その男性が笑うと自分も嬉しくて、もっと笑って欲しいと思う。
その男性が悲しむと自分も悲しくて、その悲しみをどうにかしたいと思う。
その男性が怒ると――。
その男性が喜ぶと――。
感情というガラクタが、〝ジョゼ〟という名の会った事もない一人の男性によって繕われ、まるでパッチワークのような歪な心が出来上がった。
「ユエ」
その声の先には、夢で見た男性の姿があった。
「ジョゼ?」
「うん、よくわかったね。僕はジョゼッフォ・クローチェ。君のフラテッロ(兄弟)だ」
「フラテッロ……」
「そう、僕たちは兄弟だ」
兄弟、これがそうなのだろうか。ユエは多少疑問を持つものの、彼女の持つ知識はこれを是とした。
仕事上の相棒、フラテッロ(兄弟)。そう知識は示していた。
ジョゼは頻繁にユエの部屋へやって来た。
ユエはジョゼと会い、話す事がともても楽しみだった。されど、彼もずっとこの部屋にいられるわけではない。
そのため、ジョゼは本やおもちゃなどを毎回持ってきてくれた。
最初は目新しく、はじめて見たおもちゃに興味を持ったものの、その仕組みがわかるとすぐに興味が失せた。
変わりにユエが興味を持ったのは本だった。ジョゼが来ない間は本を一日中読み漁り、貪欲に知識を吸収していく。
「ユエ、君の名前は〝月〟って意味なんだ」
「月、ですか。空に浮かぶという丸い円形の物体でしょうか」
「はは、そうだよ。東洋の文字『漢字』を知ってるかい? その漢字で月と書いてユエと読むのさ。ユエはどこか東洋的な顔立ちだったんでね、そう名づけたんだ」
「ユエ、『月』ですか。私もいつか月を見てみたいです」
そう言いつつ、ユエは天井を見上げた。無機質な蛍光灯が部屋を白く染め上げるだけだった。
第22話「ユエ」
ユエの願いは程なく叶えられた。
ある日、常とは違う雰囲気を纏ったジョゼが部屋に入ってきて、ユエを抱え上げた。
「ジョゼさん、どうしたんですか?」
「ユエ、月を見せてあげるよ」
「本当ですか」
「あぁ、本当だとも。だから僕の背中にしっかり捕まってくれ」
ジョゼの大きな背中に、ユエは力の限りしがみ付いた。
ヒーロー、そんな言葉が思い出される。自分をあの部屋から助け出してくれる王子様のようだった。
ジョゼはそのまま廊下らしき場所を一気に走り抜けていく。ユエの視界には、天井を照らす電灯の光が、一定間隔で飛び込んで来た。
今まであの部屋から出た事の無かったユエは、新たな予感に心を躍らせた。
不意に電灯が無くなり、視界一面に無数の小さな光が見えた。
「うわぁ」
周囲にときおり銃声が聞こえた。だが、ユエは目の前の光景に目を奪われている。
星空、これが星空。
ユエは植えつけられた知識から、正しい情報を引き出す。
満天の星がユエの瞳を煌めかせた。
でも、それ以上にユエを驚かせたのは、星空の中でも一際輝く存在だった。
「月、あれが月。すごい。あれが私……」
まん丸の満月が、ユエの真上に浮かんでいた。
遠くに浮かぶ小さな円。しかし、ユエには目の前に巨大な鏡が現れた様だった。
あまりの美しさに、知らず涙が一筋流れる。
「あぁ……」
手を伸ばす。あと数センチも伸ばせば、月を掴めそうだった。
その手はジョゼに遮られた。
ドサリ、とどこかに放り込まれた。それは車の後部座席だった。
「ユエ、しっかりとシートに掴まっててくれ」
車が荒々しい音をたてて動き出す。
シートを揺らす激しい振動に、ユエはコロンと仰向けに倒れた。
車の窓下からも空が覗け、ユエはそのまま月を見続けた。
「ふふふ」
車の中にはタバコの匂い、窓の隙間からは草の匂いがする。遠くから犬の鳴き声も聞こえた。
ユエにとっては全てが初めてで、新鮮だった。
ジョゼはユエを連れたまま、ヨーロッパを転々としつつ、最後にはある場所へと辿りついた。
「ジョゼさん。今度はどこへ向かうのでしょうか」
「日本さ。日本の麻帆良という土地だ」
「マホラ?」
ユエが初めて見た麻帆良の印象は、まさに驚愕の一言だった。
「す、すごい木ですね。私、あんな大きな木、初めて見ました」
「あぁ、本当だな。僕も予想外だよ。でも、ここならやって行けそうだ」
まず二人がやらねばならなかったのは、日本語の勉強であった。
ユエの知識内にも、日本語の言語情報は入っておらず、一からの勉強である。
幼稚舎に通いつつ、ユエははじめて同年代の子供達と触れ合い、少しずつ日本語を学んでいった。
ジョゼも日本語学校に通い、元々素養があったのか、数ヶ月で日常生活には支障が無くなった。
その学校で、日本語では『月』を『つき』と読むことにジョゼが驚く一幕もあったりする。
てっきり漢字はどの国でも同じ読みをする、と思っていたのである。
「ハハ、ユエも日本語がうまくなったじゃないか。ハハハ」
「ど、どうしてそんなに笑うんデス。ジョゼさん」
「いや、なに。その〝デス〟って発音が、中々面白いと思ってね」
「ひ、ひどいデス!」
そう言いながらも、二人は笑いあった。
ユエも、ジョゼに笑ってもらえるのが堪らなく嬉しかったのだ。
ジョゼは麻帆良に居を構える事を決意した。ここならば――という淡い希望があったのかも知れない。
居を構えるにあたり、ジョゼは日本の戸籍を手に入れようとした。
戸籍、という概念はアジアの一部の身分証明制度であり、ジョゼにとっては聞きなれないものではあったが、日本での身分証明としては必須のものらしい。
蛇の道は何とやら。昔取った幾つかのルートを使い、『綾瀬』という人間を書類上の親類とし、その下にユエの名前をつけた。
そして、ジョゼは持ち出せた幾ばくかの資金で一軒家を買い、そこを二人の家にしたのだ。
◆
「私が綾瀬夕映、デスか」
「あぁ、そうなる。これで晴れて日本人、というわけだ。さすがに僕は違和感が残るだろうからね。娘が日本人の男に嫁ぎ、一緒に日本へやってきた……という所かな。そして娘夫婦の子供が夕映、って設定だ」
「私が孫で、ジョゼさんが祖父。そういえばジョゼさん、最近しわが増えてきましたしね、ピッタリだと思いますよ『祖父』」
「な、何だと! ちょ、ちょっとどこだ夕映。一応僕はそこらへんも気にしてるんだぞ」
二人ながら、賑やかな家だった。
学校に行き、友達と笑い、家に帰る。家に帰ればジョゼとも話せた。
ときおりジョゼが望遠鏡を出して、天体観測をしてくれた事もあった。
そんな日々がいつまでも続くといい、そんな夕映の願いはあっさりと砕けてしまう。
夕映が十歳の時、ジョゼがころりと病で死んでしまったのだ。
心が壊れるようだった。
ジョゼという糸で縫われた夕映にとって、彼という存在は必要不可欠なのだ。ジョゼがいなければ、またガラクタに戻ってしまう。
ジョゼの居なくなった家を漁り、ジョゼの残り香を探した。
そして、ある一室で、夕映はジョゼの手紙を見つける事になる。
地下室に一つの箱が置かれていた。中には小さなペンダント。
飾り気も何も無い、金属光沢を持つペンダントである。
夕映はそれに触れ、驚いた。頭にジョゼの残した言葉の数々が流れ込んでくるのである。
なぜ、自分を連れて逃げたのか。
これからどうするべきなのか。
そして、ジョゼが何より夕映の幸せを願っていた思いの数々が、記憶としてその外部記憶装置(ストレージ)たるペンダントに納められていた。
「ジョ、ゼさん……」
ボタボタと、涙が床を濡らす。
冷え冷えとした家の中で、唯一そのペンダントだけが温もりだった。
夕映は、ギュっと……ギュっとペンダントを握り締める。
ジョゼの残した温もりが、夕映の心を繋ぎとめていた。
だが落ち着いた夕映は、泣いてばかりいられなかった。
ジョゼが死んでしまい、家には自分だけしかいなくなる。
子供一人では、満足に学校へも通えず、様々な制限がつくはずである。
何より、ジョゼとの思い出が詰まったこの家を失いたくなかった。
そこへ、一人の男がやってきた。大きな帽子にブカブカのコート、それを屋内に入っても取らなかった。顔はうっすらと輪郭が分かるばかりである。
発せられる声は低く、落ち着いていた。
だが、不思議とその姿に違和感を覚えなかった。
麻帆良に来てからのジョゼの友人だ、という男は夕映の後見人になってくれるというのである。
家もそのまま。様々な財産管理などといった処々の事柄も自分が行うと。
夕映はいぶかしがったものの、男の一言で納得をした。
「彼は私の数少ない友人でしてね。そんな彼との約束なのです、彼が死んだときには君の助けになるとね。会う度にあなたの写真を見せられ、毎回自慢されてたので、初対面ですが私は君をよーく知ってるのですよ。どうか私の力を、君のために使わせていただけないかな」
独特の飄々とした言葉ながら、男の発する強い思いは夕映に伝わる。
夕映は「お願いします」と頭を下げた。
家はそのままながら、中学に入ると共に、夕映は女子寮へと入寮した。
その中学二年の時、夕映はある女子と出会う。
ジョゼをどこか似た雰囲気を持つ女子であった。
風貌も言動も、一切似ていない。なのに、どこかが彼と被るのだ。
不思議に思いつつも、夕映は目で彼女を追っていた。
あぁ、彼女はまるで――。
夕映の感情の糸が不意にほつれていく。
追憶が徐々にまどろみに消え、過去にあったはずの感情の激しさが全て無機質な物に変わっていった。
〈『条件付け』と呼ばれる無意識野の洗脳記憶を消去していきます、とミサカは報告します〉
聞いたこともない少女の声が頭に響く。
ジョゼと呼ばれた男性への〝アイジョウ〟が消えていく。
彼への思いで形作られた夕映の心が形を失い始め、あの無様な物体へ戻ろうとした。
ジョゼが笑うと、自分も嬉しかったはずなのに。
ジョゼが悲しむと、自分も――。
ジョゼが怒ると――。
ジョゼが――。
ジョゼ、その名前をユエは思い出せなくなっていた。一体誰だったろうか。
とても大事な名前の気がするのに思い出せない、それなのに悲しみも不安もせり上がってこないのだ。
自分の中に、感情という名のガラクタが落ちていた。
糸がほつれ、バラバラになったガラクタ。ガラクタが無くなったおかげで、心の中の見晴らしはいい。
少女は虚空を見つめながら、そう思った。
◆
千雨達は夕映がいるのであろう、第十学区にある研究所まで来ていた。
二台の車を近くに止め、少ない人数で物陰から研究所を覗き込んでいる。
夜ともなり、人気も明りも少なかった。
「ふむ、少ないね」
「少ない?」
「警備の数だよ。研究所の大きさのわりに、外にいる人数が少なすぎる。特殊な警備システムでもあるのかと思ったが、ゲート近くの詰め所の大きさから考えたらもっと人員が沢山いるはずだ」
ドーラの言葉を受け、千雨は警備員の数を見た。視界に入る限りは三人。奥にももっといるのだろうが、千雨には判断がつかなかった。
相手が人工皮膚(ライタイト)を持っているとなると、無闇に知覚領域を広げるわけにいかない。
「まぁいいさ。ウチの男どもを正面から突っ込ませて囮に使おう。アタシ達は裏から入り込んで、ガメるものをガメるよ」
千雨が何か言う前に、ドーラは「シャルル」と言い、髭面の長男にテキパキと指示を出していく。
「ママ、俺もママ達についていくぜ」
その中で次男のルイが、ずずいと千雨とドーラの間に割り込んできた。
「ふん、頭数は揃ってるからいいだろう。車に運転手を二人残し、裏からの潜入はチサメとアキラ、それにあたしにルイだ。残りの男は正面から突っ込みな。派手に誘導し、派手に逃げるんだよ!」
男達はワラワラと車の荷台に飛び込み、手に銃やら何やらと獲物を抱えて戻ってきた。
そんな男達を背景に、千雨達はドーラの誘導の元、裏口へ向かい移動する。
「な、なぁバァさん。本当にあいつら大丈夫なのかよ。そりゃそれなりに出来るんだろうけどさ、相手は学園都市の警備員だぜ」
「心配するんじゃないよ。あの男どもは弱いけどね、あたしが鍛えたんだ。裏方家業必須の〝逃げ足〟だけは完璧さ」
シシシ、と歯をむき出しにしてドーラは笑う。千雨はドーラの「弱い」という発言に、不安を隠せなかった。
◆
研究所の裏手、資材搬入口であろう場所はあっさりと見つかった。
周囲には幾つものセンサーがある。
千雨達はひっそりと物陰に身を隠し、時を待った。
「……どうやら始まったようだね」
正面ゲートの方から、爆音や銃撃音が聞こえる。
それを合図に千雨達は物陰から飛び出した。千雨は周囲をすぐに電子攪拌(スナーク)し、情報をかく乱させた。
そのまま裏口に飛びつき、一瞬でドアのロックを解除する。解除する時に、件の違和感を覚えた。
(感づかれたか)
わざわざ囮を使ったものの、早々とシスターズに補足されたらしい。建物に千雨と似た力の展開を感じた。
千雨は通路を走りながらも、この研究所のデータベースからマップデータを奪い取る。どうやら低セキュリティのデータらしく、シスターズの妨害無しに奪うことが出来た。
並列思考を使い、夕映のいるだろう場所を洗っていく。一階中央にある隔離区域に狙いを定め、千雨は足を速めた。
「こっちだ。おそらくこっちに夕映がいる。アキラ、どうだ?」
「うん、ここまで来れば分かる。私も同じ方向に感じてるよ」
アキラのスタンド・ウィルス感染者の方向を探る力も、学園都市に来てからは気配があやふやになっていたのだ。どうにもこの街には、能力を阻害する〝何か〟があるらしい。
「ならさっさと頂くとしようか」
四人は廊下を走り抜けていく。途中出会う何人かの警備員を片っ端から昏倒させていった。
ドーラとルイも手に持ったライフルの銃床を振り回し、意外なほどの強さで警備員を倒していく。
「くそ、なんて広さだ!」
千雨はそう愚痴りつつ、角を曲がろうとしたものの、奇妙な違和感を覚えて後ろに飛んだ。 そんな千雨の行動に巻き込まれ、ドーラ達三人も地面に倒れる。
「うわぁっ」
千雨の頭上をナイフが数本飛び越し、壁に突き刺さった。
角の奥には男が立っていた。
無造作に伸びた金髪、その下には淀んだ瞳がじっと正面を見据えている。
「て、てめぇ、ピノッキオとか言う奴!」
千雨が銃を構え、アキラがスタンドを出した。だが、その行動をドーラが制した。
「チサメ、先に行きな。こいつはあたし達が相手しよう」
「うぇっ、あたし達ってもしかして俺も?」
ルイが驚いた様にドーラを見た。
「その、ルイさん。大丈夫なのか?」
「ハハハ、大丈夫ですよ。ピノッキオだかキノッピオだか知りませんが、このルイにおまかせあれです。ささ、千雨さんは先をお急ぎください」
千雨の言葉に一転、歯をキラリと輝かせながらルイは千雨の手を握り、そうのたまった。
アキラはそれをジト目で見つめている。
「あ、あの、たのむぜ! 絶対に死なないでくれよな」
「ありがとうございます」
千雨とアキラはそう言いつつ、ピノッキオのいない通路を進んだ。どうやら迂回して進むらしい。
残ったのはドーラとルイ、それにピノッキオである。
ピノッキオは千雨達に興味なしと言った体で、事の成り行きを見守っていた。
「あんたがピノッキオかい。噂はかねがね聞いてるよ」
「……」
ドーラの言葉に無言。
次の瞬間にはノーモーションでナイフが投擲された。
「ぐうっ」
「ひぃ」
ドーラはそれを銃身で受け、ルイはおおげさな動きで地面に伏せた。
ピノッキオはその間にも距離を詰めてきている。ドーラは銃身にナイフが刺さったまま、照準も定めずに引き金を引いた。
ガガガガ、という銃撃音とともに通路の壁が削られる。
しかし、弾丸はピノッキオの服を掠った程度だった。ピノッキオはドーラの懐に飛び込み、ナイフを振り上げた。
「ちぃっ!」
銃本体で辛うじてナイフを反らせるも、ドーラは肩を浅く切られた。金属同士がぶつかり周囲に火花が散った。
「ママをやらせるかよ!」
立ち上がったルイがピノッキオに向けて拳銃を放った。ピノッキオは体勢を低くして回避し、お返しにルイの持つ拳銃の銃口へナイフを放つ。そして低い体勢のまま、ピノッキオはドーラに向けてタックルをした。
「がふっ!」
ライフルがドーラの手から離れた。
ドーラは壁へ叩きつけられながらも、ピノッキオに向け膝蹴り撃つ。ピノッキオはガードをしながら後ろへ転がった。
一瞬のこう着。
ドーラは咳き込みながら腰に挿してあった大降りのナイフを取り出す。
ルイも駄目になった拳銃を捨て、地面に落ちたドーラのライフルを拾う。銃身を取っ手に鈍器の様にして構えた。
ピノッキオは首をさすりながら、ドーラ達を興味深そうに見つめる。
タイミングは完璧だったのに、反応が思いのほか速かったのだ。
「君達、何者?」
「只の賊さ。それにそんなにボーッとしてていいのかい?」
カラン、と金属音が聞こえた。通路の床に缶の様なものが転がっていた。
ピノッキオがドーラ達に視線を戻すと、二人とも防護マスクを顔に装着している。
缶から煙が勢い良く噴出す。
「ちっ!」
ピノッキオはその場を引き、後方へ走り出した。
「逃がすんじゃないよ! ルイ、さっさと追っかけな」
「さすがママ、えげつないぜ」
ドーラとルイはピノッキオを追いかけるために、煙の中に飛び込んだ。
◆
千雨とアキラは、ピノッキオの塞いでいた通路を迂回するように中心部へ向かう。
なぜかほとんど妨害に遭わずに施設内を進んでいった。
「千雨、硝煙の臭い。左方からだ」
「了解だ、先生!」
千雨は伏せながら、ウフコックに干渉し、手の中にアサルトライフルを作った。
いくらか照準の甘い銃撃が、千雨達の後方の壁に穿たれる。
〈――警備の不備を確認。ミサカの一部を物理的迎撃に回すと、ミサカは指令を出します――〉
千雨にノイズの様なかすかな信号が聞こえた。
視線の先には、千雨のこの施設へのアクセスを妨害した少女と同じ顔が見えた。
「あれは『シスターズ』」
銃を持ち、物陰から射撃体勢に入っている。見れば同じような少女の影が数人見て取れる。
「ちーちゃん、先に行って」
アキラがさも当たり前の様に告げた。だが、表情には出ずとも、その不安は感じられる。なにせ目の前で銃弾が跳ねているのだ、恐くないはずは無い。
「そんな事出来るかよ」
「大丈夫。ちーちゃんにウフコックさんがいるように、私にもいるから」
アキラの後ろに狐顔の人影が立ち上がった。
動く四本の尻尾を壁面に叩きつけ、壁を破壊する。その破片を尻尾の先が器用に掴み、「ブルン!」と尻尾を振り回して通路の向こうへ投げつけた。
腹に響く破砕音。スタンドの力で投げられた破片は、大砲の様に通路の壁を抉り取った。
「ね、大丈夫だから。はやく夕映を助けてきて」
「ハハハ。そうだな、少しだけ頼む。すぐ戻る」
千雨は乾いた笑いを残しつつ、ウフコックを防弾アクリル盾に変えて、弾丸を避けつつ通路を急いだ。
「ふぅ……」
「大丈夫? アキラ」
後ろからフォクシー・レディが心配している。カタカタとアキラの手が震える。
「恐い、恐いけれど――」
アキラは前方、物陰から銃を構えている。銃口が自分に向いているという現実に、体中が凍りつく様だ。
「引けない。私はちーちゃんと一緒にいる! これくらいの事で引けない!」
「ソレデこそアキラよ。ワタシ達ノ初めての二人ダケの戦い、気合イレテイクワ」
「うん!」
震える体を微かなプライドで押さえつけ、頭に一人の人物を思い浮かべた。
勇気が沸いてくる、そんな気がした。
つづく。
(2011/08/31 あとがき削除)