カラン、と氷がグラスを叩いた。
イタリアの南部は貧しい。さしたる観光資源も無く、経済が不安定な今、その煽りを一気に受けていた。
そんなイタリア南部の酒場。農家の息子達と日雇い労働者が集まる、所謂場末のパブだった。
その片隅に一人の男が酒を飲んでいた。誰かと戯れる事も無く、一人で、ひっそりと、隠れるように酒をあおるのだ。
ボサボサの髪に、壊れかけのメガネ。小太りの体躯をしている。
酒場の喧騒も男の耳には届かない。目は虚ろに店の壁の向こうを見ていた。
店のドアが開いた。誰かが入ってくる。喧騒が止んだ。
カッ、カッ、カッ。床を叩く一定のリズム。それは歩幅が乱れなく等しい事を指していた。
男は耳を澄ます。かつて聞きなれていた、その足音。訓練を受けた者の足音だった。
足音が自分の近くで止まり、男は振り向いた。
女性だ。自分と同じくらいの長身に褐色の肌。ブロンドの長髪を後ろで一本に纏めている。着飾れば美しい女性だろう。だが、女性は上から下まで、ピシリと揃ったパンツルックのスーツを着ていた。男装の麗人、そんな言葉が思い浮かぶ。どうやら酒場内の視線は彼女に集まってるらしい。
そして、女性は夜なのになぜかゴーグル型のサングラスをしていた。
女性の顔立ちに、男は誰かを思い出す。そして同時に一人の少女をも思い出した。苦い味が口の中に広がった。
(いや、違う。そんなはずは無い)
女性は男の隣に座り、カウンター越しに酒を頼んだ。女性はサングラスをずらし、男を見る。赤い瞳が男を見据えた。
「お久しぶりです、マルコーさん。探しました」
「お、お前は、まさか……。そんなはずは無い。生きているはずが」
女性の声に男は確信をするが、それを必死で否定した。
「信じられませんか? 私があの場所『社会福祉公社』が無くなって十年も経つというのに生きているのが」
女はサングラスを戻した。とたん表情が伺えなくなる。
「私も信じられません。あの人が死んで、私も処理されるはずだった。だけど、もう――」
「い、今更なんのようだ。用がないならさっさと帰れ。俺はお前達の顔なんて見たくないんだ」
男は懐からタバコを取り出し、吸った。手が小刻みに震えている。
「そう邪険にしないでください。私は十年前の事を調べてるんです。知っている事、教えてもらえますか?」
女性の言葉に男――マルコーは沈黙した。タバコを深く吸い、吐く。グラスに残ったウィスキーを一気に流し込んだ。
「……なにが聞きたい」
「十年前の襲撃の理由。なぜ、公社があんなにも簡単に解体されたのか。いつも『破片』という言葉で行き詰まってしまいます」
「ふん。答えは出ているじゃないか。まさにその通り『破片』だよ。空高くある楽園から、パラパラと舞い落ちる破片。その奪い合いにすぎんさ」
男は茶化す様に手をヒラヒラとさせた。
「マルコーさ――」
「例え話じゃない。そのまんまだ。知っているだろう、二十年前に起きた『大戦』。そこで猛威を奮った脅威の科学力ってヤツだ。ヤツら《楽園》は今衛星軌道上の隔離プラントで技術とともにまるごと封印されている。特例でも無い限り、あいつらの技術は国連法に触れる重罪だ。だが、どこにでも抜け道がある、それがヤツらが落とした『破片』ってわけだ。お前達の〝体〟にも使われてる技術だ」
マルコーは酒を注文しなおした。指先の震えは止まらない。
「人体の模造、そんなもんが真っ当な技術力で出来るものか。公社の創設には《楽園》が関わってたのさ。その漏洩があの襲撃に繋がり、そして公社のスムーズな解体に繋がる。見事なシナリオだろ」
「――マルコーさん、もう一つお願いします。私達が入れなかった『第三研究棟』、あそこには何があったんですか?」
「あぁ、それか。ジョゼの事か?」
運ばれてきた酒を、マルコーはまた一気に煽る。目が眠気を帯びだした。
「はい。ジョゼさんは最後まで、あの研究棟に足しげく通っていたのを私も、同僚も見ていた。そして、公社が解体される時に、あの人は消えた」
「はっ。よく憶えてやがる。ヘンリエッタが死んでからジョゼの野郎、仕事に精細を欠いていたからな。まぁ、いつも通りあてがわれたってわけだ、新作の義体とやらをよ」
ヘンリエッタ、その言葉に女性は唇を噛む。
「それは四期生ですか?」
「そうらしい。義体としては第三世代とか言ってやがったな。もっともその第三世代のサンプルケースだとかで、三人中一人しか成功しなかったらしいがな。幼児の頃からの生体改造だとよ。オカルトな奴らを相手にするための特注品らしい。眼球から骨格まで、拒否反応が出にくい様に、幼い頃からやるそうだ。気が長くて金がかかりそうな実験だ。次世代では遺伝子からの改造を施すとか言ってたが、全ておじゃんだ、笑えるよな」
ははは、とマルコーの笑い声だけが響いた。酒場の幾人かも、マルコーを見る。女性は無表情だった。
「ジョゼはなその娘に夢中だった、ってわけだ。毎日ガキにおもちゃだ、絵本だって持っていく。本当にイカレてやがった。だからだろう、あいつは公社が解体される時、あの娘と一緒に逃げ出した。『破片』も一緒に持ってとんずらだ。それを知ってるのは俺とジャンくらいなもんだろうな。あの騒ぎの中、全部がうやむやになっちまった」
「その娘の名前、わかりますか?」
「なんだ、それが目当てだったのか? 探してるのか?」
「約束、なんです」
女性の脳裏に、死に行く同僚の言葉が思い出される。自分が死んだ後の、ジョゼのパートナーを頼む。なぜなら彼女は自分にとっての妹みたいな存在だから、と。
「もう私以外、同僚は生き残っていない。ならば、最後の妹分の足取りだけでも、知りたいと思ってます」
「約束、ね。――そうだな、なんだったか忘れたが、ジョゼは変な事言ってたぜ。星よりももっと輝いて欲しいだの何だの。アジア系の顔立ちだ、とかでどっかの国の「月」って言葉をそのまんま名前にしたとか言ってたな。恥ずかしい野郎だ」
「星……月……」
かつて同僚達と流星群を見に行った事を思い出した。記憶が継ぎはぎになる前のヘンリエッタも、確かジョゼと星を見た話をしていた。
「ありがとうございました、マルコーさん。それで十分です」
女性は大目の金額をテーブルに置いて、立ち上がった。
「お、おい待てよ」
マルコーは立ち上がろうとするが、視界が歪み、テーブルに突っ伏した。女性が店から出て行く後姿が見える。目蓋が重くなってきた。
「待てよ、ト、トリエラ――」
その言葉を最後に、マルコーの意識は沈み、いびきをかいて眠りだした。
麻帆良で停電が起こる、一ヶ月前の出来事である。
第13話「導火線」
その日の千雨とアキラは早々と寮を出た。特に何があった、という分けではないが、千雨の寝起きが良かったのだ。
登校のピークには程遠い時間である。通学する人はまばらだった。されとて人がいないわけでは無い。
道着を着た人達や、野球のユニフォームを着た集団などがときたま視界をよぎる。部活の朝練をしてるものには遅い時間らしい。
「みんなご熱心な事で……そういやあーちゃんは部活出なくていいのか?」
「うん、とりあえず秋までは休部しようと思って。ほら私の場合、能力がまだ安定してないとも限らないし」
「そっかぁ、そりゃ残念だな」
「ううん、そうでもないよ」
少し頬を染めながらニコリと笑うアキラ、対して千雨は意味が良く分からず首を傾げた。
歩を進めていくと、何やら人だかりが出来ている。
「またか」
「くーちゃんだね」
先日、帰り道でも会った古菲だった。どうやら複数の男子と組み手を行っているようだ。
様々な格好をしている各部の男子達が、古菲に向かい拳を振り上げるも、それらをするりするりと捌いている。演舞のようだが、その実しっかりと理にかなった動きだった。
「ホアッ! とりゃ!」
古菲は男子達を瞬く間に倒していく。倒された男子達で背後に山が出来てきいた。
「みんなまだまだアルネ」
どこか高揚した表情で立つ古菲。その古菲にふと影が襲い掛かった。人込みから飛び出し、一足飛びに襲い掛かる。
古菲の頬に拳が突き刺さった。だが、古菲もそれを体をよじらせ、衝撃を軽減しようとする。
古菲はバランスを崩しつつ、転がる様に影の主と間合いを取る。
「古よ、お前もまだまだだな。だが、どうやら少しは成長しているようだ」
そこには成人男性が立っていた。不適な笑みを浮かべ、古菲を見る。
さほど身長は高くないが、体の筋肉の盛り上がりが服越しにもわかる。古菲と同じく赤みを帯びた肌が、同郷の匂いを感じさせた。髪を後ろでまとめ、三つ編みにし、道着を着ている様は、日本人が描く拳法の達人をそのまま絵にしたようである。
「うお、なんかまた出て来たぞ」
「すごい、くーちゃんにパンチしちゃった」
千雨はその胡散臭そうな姿に怪訝になり、アキラは見慣れない光景に驚く。
地面を転がっていた古菲も男の姿を見るなり、瞳をキラキラとさせた。
「烈老師! 来てくれたアルカー!」
古菲は男に向かい、じゃれ付く子犬の様に飛び掛った。
「フンハッ!」
だが、男に顎を打ち抜かれ、地面へヘナヘナと倒れ伏した。
「やはりまだまだだな。精進せい、古よ」
男は拱手をし、一礼した。周囲に立っているのはその男だけだった。
◆
千雨達は倒れた古菲に近づき看病した。いくら武道家とはいえ、女の子である。千雨達からすれば心配だった。
「おい、大丈夫か」
とか言いつつも、千雨は古菲の頬を容赦無くペチペチと叩く。やがて古菲は目覚め、先ほどと同じように男に飛びかかり、抱きついた。
「老師~! 会いたかったアルー!」
「それだけ元気なら大丈夫なようだな。それに壮健なようで何よりだ。だが、まだ鍛錬が足りんな」
「う~、老師にまだ勝てるわけないアル」
どうやら男は古菲の師匠らしく、その対面シーンを見つめる千雨とアキラ。ふと、古菲がその視線に気付き、男性を千雨達に紹介した。
「あ、千雨とアキラ、さっきは看病ありがとうアル。それでこちらはワタシの師匠の烈海王老師アル。と~っても強い拳法家ネ」
「烈海王という。どうやら愛弟子のご学友のようだな。馬鹿な弟子だがよろしくたのむ」
烈は拱手をし、千雨達にペコリとお辞儀をした。千雨達はアワアワと慌て、手を振った。
「い、いえ、こちらこそです」
「くーちゃんには色々お世話になって……あれお世話してかな?」
さり気なくぶっちゃけるアキラに、古菲はナハハと笑いながら応じた。
千雨とアキラ、さらに古菲と烈は登校時間までまだあるという事で、話しながらゆっくりと学校へ向かう。烈も少し付き添うそうだ。
「老師はいつ日本に来たアルカ。こんなに早く来るとは思わなかったネ」
「日本自体にはここ一年ほど滞在していた。今はある道場でお世話になっている」
「ふぇっ! 日本に来てたのなら、連絡して欲しかったネ」
「はは、すまんな。私も修行中の身。鍛錬と実践にいそしんでいたのだ」
仲の良い師弟は会話を弾ませていた。千雨達は少し離れ、二人をそっと見守っていた。
「つか、中国拳法とかってどれくらいすごいんだろうな。古が強いのは分かるが、今いちピンとこねぇんだよな」
「うーん、どうなんだろうね」
千雨達の会話に、烈が反応した。
「ふむ。それじゃ少しお見せしようか」
烈はクルリと振り向き、千雨と相対した。
「長谷川さん、だったね。私はこれから君がかけてるメガネを拝借しようと思う。正面から普通に歩いて取りに行く。だから君はそれを避けてくれないか」
「うぇっ?! あぁ、はい」
烈の突然の提案に驚きつつ、千雨は答えた。それと同時に周囲に知覚領域を張る。
「では、行くぞ」
だが、烈は一歩も動かない。千雨はそれをいぶかしむが、急に目の前に烈が現れた。
「なっ!」
〈千雨、どうした?〉
ウフコックの警戒の言葉も上の空。メガネのブリッジへ伸ばされる手を避けようと、千雨は後ろへ体を傾けた。だが――。
「おっと危ない」
地面に倒れそうになる千雨の片手を、烈が掴んでいた。もう片方の手にはメガネが捕まれていた。
「ふぇっ?」
千雨は驚きのあまり、変な声を出した。自らが絶対と思っていた知覚領域、それをすり抜けてきたのだ。
(ど、どうなってやがる。あの人、瞬間移動でもしたのか)
〈いや、彼は普通に歩いて、千雨のメガネを掴んだだけだ。そうか、そういう事か〉
千雨の疑問の声に、ウフコックは合点がいったという感じに、一人納得している。
「長谷川さん、不思議かね?」
そういうと、烈は千雨にメガネを返した。
「女性に非礼をしてすまなかった。あやうく怪我をさせる所だった」
「い、いえ。それよりさっきのは何なんです?」
「さっきのか。君は私が目の前に急に現れたように見えたかい」
「は、はい。そうです」
烈は少し嬉しそうに微笑みながら答える。
「簡単な話だ。〝呼吸〟だよ」
「呼吸、ですか?」
「そうだ。息を吸い、吐く。人間が普段から行っている呼吸だ。人間は息を吐く時に無防備になる。ただその時を見計らい、動いたにすぎない。幾ら鍛えようと、人間の生態には欠陥がある。そこを突く。これは中国拳法全般に通ずる基礎にして極意だ」
「生態、ですか」
「すごい。くーちゃんも出来るの?」
「アハハハ、ワタシにはまだそこまでは無理アルヨ」
烈の言葉に、千雨は少し感心していた。魔法やら超能力やらというものばかり見てきたせいか、このような現実的な技術に興味を持った。
「それにしても長谷川君はなかなか鋭いようだな。まさか、あの速さで反応するとは思わなかったよ」
「千雨は学園都市に居た事もあるから、そのせいアルかもネ!」
「ちょっ、おい、古!」
ちなみに千雨が学園都市から来た事は、もう公的にも隠す事ではないのでクラスメイトにバレていた。千雨が積極的にバラしたわけではないが、クラスメイトの報道部員にさりげなく漏らされたのである。
「ほう、学園都市か。そうすると君も超能力者なのか?」
学園都市、その言葉に烈の瞳が鋭くなった。
「あ、いえ。超能力者って言ってもボンクラで、ほとんど役に立たない能力なんです。アハハ」
千雨はクラスメイトに超能力を『リモコン代わり』程度だと教えていた。しかも数回使うだけで疲れるとも。そのため無理に請われて能力を使う事もほとんど無い。
「ふむ。実は先日、私も学園都市に行ってきてな」
「おぉ、老師すごい所行ってきたネ。ちょっと羨ましいアル」
「よく入れましたね。最近は一般人への入場規制がより厳しくなって、観光ツアーも減ってるらしいのに」
外部からの人材などを取り込むため、門戸を広げたものの、出入りのセキュリティは厳しくなったらしい。その様な事をドクターからの連絡で千雨は知っていた。
「うむ。入れなかったのでな。忍び込んだのだよ」
「おぉ、その手があったアルカ」
「「へ?」」
千雨とアキラの声が重なった。
「超能力者に興味があったのでな。その手合わせのために忍び込んだんだがな」
「超能力者は強かったアルか?!」
「正直、期待はずれだったな。確かに超能力はすごかったが、それとて銃器などの延長にすぎないのがほとんどだ。そして何より彼らは能力は持てど、戦う意志も術もまったく知らなかった。何人かの荒っぽい者達と手合わせ願ったが、赤子がナイフを持っているようだった。一般人には脅威かも知れぬが、我らから見ればあの程度、片腕で捻れる輩ばかりだ」
目を瞑り、淡々と語る烈。
「そういえば一人だけすごい能力を持った少年がいたな。白髪に白い肌の痩せた少年だった。少女をいたぶり殺そうとしてたので、思わず割って入ってしまった。何やら異質すぎる力のようでな、あらゆる物が彼に届かなかった。異常な気配に警戒し、標(短剣)を幾つか投げつけたものの、全て跳ね返された。おそらく普通に拳を交えていたら、四肢を失っていただろうな」
「ぶふぉぉっ!」
千雨は思わず噴いた。
「千雨ちゃん、大丈夫?」
「どうしたアル?」
「だ、大丈夫。大丈夫だ」
どうやら千雨には何か心当たりがあるらしい。
(先生、まさかとは思うが)
〈あまり深く考えるな〉
千雨の脳裏に、以前見た学園都市内のトップの能力者の一覧が思い出された。確かその数人の簡単なプロフィールの中の一人と、嫌に印象が似ていた。
「そ、それで烈さんはどうしたんですか」
「あぁ、もちろん倒した。脆いものだった。まさか崩拳の一撃で気を失うとはな。彼もまた戦いを知らないのだろう。だが、あの目は脅威だ。今はまだ私が勝てるが、彼が戦う意志と術を知ったら、おそらく勝てないだろう」
「ぶふぉっ!」
「老師でも勝てない、世の中にはすごい奴がやっぱりいるネ」
千雨は再び噴出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。さっき相手は何でも跳ね返す、みたいな事言ってませんでしたか。それって矛盾しません?」
「そこも説明しておこうか。私は先ほど〝呼吸〟の欠点を突いた。だがね、呼吸はそれと同時〝武器〟でもあるのだよ」
烈はしゃがみ、道端の小石を手のひらに乗せた。
「呼吸をし、体内に力の流れを作る。そして、それを放つ。このようにな。ハッ!」
手のひらの小石が、衝撃も無いのに内側から弾けた。
「これが『気』と呼ばれるものだ。国や場所によってはオーラや波紋と言ったりするな。我ら白林寺の拳法が行き着く先はここだ。人の生態を突き、生態を武器にする。件の少年にも『気』を纏わせた拳で攻撃したのだよ。そうしたらあっさりと片がついてしまった」
そう語る烈はどこか残念そうな表情だった。
変わって千雨はと言えば、顔を引きつらせハハハと投げやりに笑っている。
(駄目だ。やっぱこいつもファンタジーだ)
その後も、古菲は嬉しそうに烈の話を聞き、喜んでいた。
校門が見えた当たりで、烈とは分かれる。どうやら麻帆良市内に当分滞在するらしく、古菲は喜び跳ねていた。
◆
「これは本当かね」
「まだ確証はありませんが、かなり正確な情報かと」
「うーむ」
学園長室では、近右衛門と高畑が何やら話し合いをしていた。
高畑は書類を机の上に広げ、言葉を継ぐ。
「外務省に勤める友人からの話です。情報元のアメリカ政府から、米軍経由でリークされたそうです」
「殺し屋、のぉ」
本来、その手の輩は麻帆良にとって敵にならない。だが、政府筋からの情報となれば、何かを感じざるを得なかった。
「イタリア内部にある組織からの依頼で、さる殺し屋が麻帆良に潜入。三文芝居でも見てるようじゃな」
「アハハ、仰るとおりで」
軽口を叩きつつ、二人の表情は堅い。だが、その情報は馬鹿に出来なかった。
イタリア国内の情勢が危ういのは、今に始まった事ではない。ここ数年、GDPの成長率も低迷が続き、経済的な困窮が新聞の紙面を飾るのも珍しくない。経済不安が民衆の不満となり、一部ではテロへの加担の要因となっている。その混沌とした国家内のゴタゴタを、国家主導の元処理している組織は幾つかあった。何れも民間業者を装っているが、その資金源は明白だった。
今回の依頼元とされる組織も、その一つからだった。
「困ったものじゃな。この所、こんな事ばかりじゃ。わしもそろそろ引退時かの~」
「今学園長に辞められたらみんな困りますよ。もう少し頑張っていただかないと」
「年寄りの扱いがキッツイのぉ。ところで高畑君、その件の殺し屋君の詳細はわかっておるのか」
「いえ、それがさっぱり。今のところ目的すらはっきりしませんが……」
学園長の眉に隠れた瞳が、ギョロリと動いた。
「ガンドルフィーニ先生、彼をやったのももしかしたら」
「可能性は高いのぉ。高畑君、分かっておると思うが、当分出張は中止じゃ。〝ソチラ〟に関しては各方面への連絡を行い、救援を送ってもらおう。まずは麻帆良の治安を回復してからじゃ。わし以上に働いてもらうからの」
「ははは、こりゃ手厳しい。ですが望むところです。僕としても、同僚をやられたまま、おずおずと下がるわけには行きませんから」
温和な表情をしつつ、高畑の瞳には熱が帯びている。それは怒り、憤り、悔恨。様々なものだった。
つづく。
(2010/12/19 あとがき削除)