星の瞬きが視界を覆っていた。そして、それらが尾を引き光のラインを夜空に描いている。
「うわー、きれい~」
「ほらほら、見てよあそこ!」
クラスメイトの声に、夕映はハッっとする。思わず見惚れていたのだ。冬に入り、夜になると肌寒さも増した。厚着をしているが、チクチクと刺すような冷気が服の隙間に入り込む。白い息を両手に吐きつつ、ゴシゴシと擦った。
その日は、普段閉鎖されている女子寮の屋上が開放され、多くの生徒が詰め掛けていた。今年はある流星群の大出現の年らしく、テレビでも一週間ほど前からこの話題で持ちきりである。そのため、今日は特別に寮長の監督の元、生徒達へ屋上が開放される事となった。
もう十一月となり、クラスメイトも屋上に行くにあたり、それなりの厚着をしている。夕映もパジャマの上にダッフルコートとマフラーをしていた。鼻がむずむずし、マフラーに顔の半分を押し付ける。
「ゆえゆえ、あっち空いてるよ、行こう」
「ひゃ~、なかなか絶景だねぇ」
ルームメイトの宮崎のどかと早乙女ハルナが呼びかける。
「わかりましたデス」
二人の姿を追いかけつつ、返事をした。あまり広くない屋上に、人が溢れている。中等部だけで無く高等部の生徒もいるので、なかなかの混雑ぶりだ。
背の低い夕映は、人垣に入ってしまうと空が見えなくなってしまう。人の隙間にかすかに星が見える程度だ。だが――。
「こんな夜空でも月はしっかり輝くのデスね」
どこまでも透き通るような高い夜空に、月が輝いている。満月だ。人垣も、一際空高く浮かぶ月は隠せなかったようだ。周りを跳ね回る星の群れには負けん、とばかりに常に無い輝きを放ってるように夕映は感じる。
やがて人垣が途切れ、星の海が目に飛び込んでくる。地平線まで続く夜のスクリーンだった。
「おぉ、流れ星のバーゲンセールだ! こりゃあ願い事叶え放題だねぇ。のどかは何願うの?」
「えぇっと、読みたい本があるから、それが図書館に入るようにって……」
「即物的~! さっすがのどか」
「ふ、ふぇ、? パルちがうよ~」
「やれやれデス」
二人の会話を聞き流しつつ、夕映は夜空を見上げる。少し首が痛かった。
いつかの『祖父』との思い出がよぎる――気がした。記憶には無い。だが、〝感覚〟はある。確かあれは天体望遠鏡が――。
周囲の喧騒が消え、星の光と冷気のみが夕映の世界だった。だが、温もりはあったはずだ。肩に手の重みがあり、彼の吐息が頬をかすめた。ただ、私はそれが嬉しかった。
「ゆえゆえ、寒いの?」
のどかが夕映の手を握った。ギュっと掴まれた手のひらから、心配する気持ちが伝わる。いつかの逡巡を捨て、目はしっかり今を見つめた。
「いえ、ちょっと昔の事を思い出してましたデス」
グシャグシャと頭を乱雑に撫ぜられた。
「も~、また『おじいちゃん』の事でも思い出してたんでしょ、本当におじいちゃんっ子なんだから」
ハルナは笑いつつも、夕映に温もりを伝え続ける。ルームメイトの二人は夕映の祖父が数年前に死んでいる事を知っている。だが、それを口に出す事に対する遠慮はしない。夕映もまたそれを望んでいなかったからだ。
「『祖父』は、その……素敵な人デス。尊敬に値する素晴らしい人だったのデス」
若干赤くなりつつ、目線を反らして夕映は呟く。もちろん二人には聞こえている。
寒さと喧騒が心地よかった。コートの隙間に手を突っ込み、胸元のペンダントを触る。ヒヤリとした表面、だがそれも気にせずギュっと握った。夕映の視界をまた流れ星が落ちた。
(もし、叶うなら――)
十分程星の祭典を堪能し、三人は部屋に戻った。ベッドに潜り、明りを消す。カーテンの隙間からもあの星空が見えていた。そして月も。
暖かいものに包まれたような感じがする。冷たいはずのペンダントが、夕映に温もりを与えた。
眠気のせいか、頬に一筋涙が流れた。誰かの名前を呟く。だが、夕映すらもそれが誰の名前なのか分からない。ただ、その姿を月が見守り続けた。
その夜、夕映はぐっすりと眠れた。
去年のある日の事である。
千雨の世界 第ニ章〈エズミに捧ぐ〉 第11話「月」
ピンと栗色の髪が跳ねた。事件からおよそ二週間、千雨の髪の色も完全に元に戻っていた。当初、特殊な有機塗料が剥がれてしまい、それを市販の染料で染めてごまかしていたのである。
しかし、さすがは『楽園』の技術。時間が経てば自動的に髪を覆い、元の色に戻してくれるのだ。これからは髪が伸びようと、根元の白髪部分にドキドキする事は無くなった。
千雨の口が開いた。無警戒な姿だった。布団を無造作に放り投げ、へそを出して大の字で寝ている。エプロン姿のアキラはその姿に微笑を浮かべつつ、そっとベッドに腰を下ろした。
千雨の髪を一撫でした。サラリと流れるストレートの髪の感触は、自分とほとんど変わらない。だが、この髪も肌も、そのほとんどが人工物だという。先日、同居するにあたりアキラは千雨の実情を聞いていた。
◆
「人工皮膚(ライタイト)?」
「あぁ、そうだ。それが今のわたしを覆ってるんだ」
部屋で千雨は向かい合いながら、アキラにおおよその事を話していた。もちろん、機密に関する事は話せない。だが、千雨が半年前に『事故』に遭い、両親を失った事を話した。
「その時にな、わたしも重傷でさ、学園都市に運ばれて改造されたってわけだ」
千雨は二の腕まで袖をめくり、肌をツルリと触る。
「綺麗なもんだろ。一応細胞と同化しちまったから、よほどの技術力が無い限り、本物とは区別がつかないらしい。で、おかげで得た能力がコレだ」
千雨はテレビを指差す、するとテレビの電源が入った。指を鳴らす、エアコンのゴウゴウと風を吹き始めた。
「これがわたしの能力『電子干渉(スナーク)』。凄まじいリモコンとでも思ってくれ。そしてもう一つ人工皮膚(ライタイト)を通した周囲への超感覚もある。まぁ電子干渉(スナーク)の延長線上、すげぇレーダーって感じかな。この部屋の中ぐらいだったら何でも知覚できるんだ。はは、ロボットみたいだろ。恐いかな、あーちゃん?」
自嘲気味の笑い。明るく語っているが、どこか目に不安があった。
「ううん、そんな事無い。それよりも!」
「ふぇっ」
アキラは頭をブンブン振り、髪が尻尾の様に舞った。
「そ、その寿命とか! こ、子供を産む機能とかどうなの!」
「あ、あぁ……。確かそこらへんは大丈夫って言ってたぜ、ドクターが。あ、ドクターってのはわたしの治療した人で、今の保護者だ」
「そっかぁ、良かった」
千雨の手を掴み、体を乗り出していたアキラは、ペタリと床に座った。どこか安心していて、悲しそうだった。
「……ちーちゃん、さ、ご両親の事とか、その色々あると思う。私はまだ親いるから分からない。けど、分からないけど一緒にいて考える事はできると思う。寂しくなったり悲しくなったら、私にどんどん言っていいからね。私、背高いから、ちーちゃんくらい抱える事できるし」
アキラのすこし寂しそうな笑顔に、千雨は心が暖かくなった。両親が『殺されて』半年。ウフコック達のおかげで立ち直れはしたものの、吹っ切れてはいない。いや吹っ切ってはいけないのだ。
寝る前、まぶたの裏に両親の顔が映され、胸が締め付けられる時がある。『もしも……』とありもしない未来を夢想する時もあった。
だから、アキラのその真摯な一言は、千雨には何より嬉しかったのだ。
「あれ、あれ、どうしたんだろ」
ふと、千雨の瞳からポロポロと涙が落ちた。まるで意図しないそれに、千雨は困惑する。
「あれ、嬉しいはずなのに、ど、どうして涙なんか出るんだよ。チクショウ、おかしいだろ」
「ちーちゃん――」
アキラは千雨に近づき、そっと肩を抱いた。
「ち、違うんだぜ。別に悲しくて泣いてるわけじゃないんだ、ただ、なんか涙が……」
「うん、分かってる」
「分かってねぇよ、わたしは全然、そういう事じゃなくてだな」
「うん」
千雨の筋道が無い言い訳に、アキラは逐一答える。アキラの肩に、千雨の涙が広がった。
部屋の片隅で状況を見守っていたウフコックは、そんな千雨を見て安心していた。最近お得意のサスペンダースタイルに、金毛をなびかせている。
「良かったな千雨」
二人に聞こえぬよう、小さく呟き、ウフコックは寝床に向かう。最近作られたウフコック専用ベッドだ。そこに寝転がり、腹を仰向けに、ネズミらしく寝た。
千雨のすすりなく様な声と、言い訳だけが部屋に響いた。
「め、目にゴミが入っただけなんだ」
「うん、そうだね」
◆
そんな先日のやり取りを思い出し、アキラは微笑んだ。
そして、ふと毎朝の儀式を思い出す。髪を撫でていた指先を滑らせ、髪先から頬へ、そして口元へと移す。千雨の唇は朝なのに潤いを無くさずてかてかと光っていた。その唇を撫ぜ、指先を千雨の口の中へと入れる。
「フォクシー・レディ」
小さく呟いた。すると、指先から黒いもやが溢れ、千雨の中に流れ込む。二人で決めたとは言え、このどこか背徳的に見える行いが恥ずかしく、頬が紅潮する。
ほんの一、二秒で指を離す。今、千雨の体の中には『スタンド・ウィルス』が根付いている。だが、その進行速度は微少。アキラのコントロールにより、ウィルスの侵食は最低限に抑えられていた。
アキラのスタンド『フォクシー・レディ』の能力は、対象にウィルスを感染させ、死に至らしめるというとてつもないものだ。だが、元来のアキラの性格が災いしたのだろう、その進行速度は遅い。健常な人間だったら最速でも一週間以上かかってやっと死ぬ、という兵器としては微妙なものだった。二次感染も発生しない。更にウィルス感染者が五人まで、と決まっていた。
スタンドの本体『フォクシー・レディ』には尾が五本ある。その一本一本が拳代わりとなり、攻撃する事もできる。そして、対象をウィルスに感染させる事もできるのだ。しかし、感染をさせるとその尾は石のように固まり動かせなくなってしまう。一本を代償にし、一人に感染させるのだ。尾は五本で最大五人。これがアキラのスタンドの限界だった。
更には感染させる対象が増えるたびに、スタンドの身体能力が落ちていく。具体的に言うと一本に付き一割減、といった所だった。
ちなみにあの事件の最中は、『音石明』のスタンドにより底上げされ、これらの制限が無くなっていた。
このように枷が多い能力だが、反面能力の効果範囲やコントロールは優れていた。
今、千雨に感染させたウィルスも、実際の所ほぼ害は無い。放っておいても十数年は無害なはずだ。よほどの大怪我や重病にかからない限り、感染しっぱなしのウィルスが原因で死ぬことは無いだろう。
ではなぜウィルスを感染させるかと言うと、千雨とアキラ、お互いの安全のためだった。千雨はスタンドを知覚領域を展開することで、なんとか視認できるがその輪郭を追う程度だ。自我を持つスタンドの声を聞くことも本来は出来ない。だが、アキラのウィルスに感染することで千雨はスタンドを肉眼で見ることができるのだ。
アキラも千雨にウィルスを感染することで、千雨との通信ラインが出来るというメリットがあった。これは承太郎の監視の元でアキラの能力が分析され判明した事である。アキラはウィルスに対し、その進行速度をコントロールできる。そのコントロールする通信系統に千雨が逆アクセスできる事がわかったのだ。
さすがに千雨以外はやる事は出来ないが、ウィルスを通じての会話や、画像の送信などが行えた。
携帯電話があるご時世、そんなに必要なものでも無かったが、荒事に巻き込まれる可能性のある二人である。用心に越した事は無く、お互いの合意の元で、千雨へのウィルス感染が決まった。
「あっ……」
アキラも意識すれば千雨が感じられた。ウィルスを通して、気配を感じるのだ。
万一の事も考え、寝る前にはウィルスを解除する。そして体力の回復をした朝に、また感染させていた。
そんな朝の儀式を終え、アキラは臨戦態勢を取った。これから千雨を起こし、身支度を整えさせなければならない。
可愛い衣装が好きなくせに、それを人前でするのが恥ずかしく、千雨はいつも地味な姿をしていた。
アキラとしては元が可愛いだけに、色々といじって見せびらかしたい気持ちがある。だが反面、その可愛さを独り占めしたい気持ちもあった。
なので、いつも通りの大きなメガネに、後ろで束ねた髪という格好を千雨は今でもしているが、そこにはアキラの細かなデティールアップがあったりする。
寝ぼけ眼な朝の千雨は、アキラの言うがまま成すがままだった。そしてアキラもそれを楽しんでいた。
「ちーちゃん、起きて」
戦いが始まる。
◆
昼休みのチャイムが鳴る。四時限目の古典の先生は、鳴るなりそそくさと教室を出て行った。
千雨も周りを警戒しつつ、教室を出ようとする。と、そこへ。
「〝千雨ちゃん〟、一緒にお弁当食べよ」
「あ、あぁ。わかったよ〝アキラ〟」
アキラが行く手を遮った。
放っておくと、猫のようにどこかに飛び出してしまう千雨を、アキラが襟首を持つように捕まえ、机を寄せ合った一角へ連れて行く。ここ最近のいつもの光景だった。
ちなみに「ちーちゃん」「あーちゃん」と呼ぶのは恥ずかしいらしく、人前では止めている。
「あははは、また捕まっちゃったね千雨ちゃん」
「いい加減あきらめな。アキラに敵うわけないじゃん」
まき絵と裕奈が机を動かしながら笑った。いつの間にか机がガシャガシャと寄せ合い、一つの小島を作っている。
その片隅へ千雨は座らされ、目の前にアキラ特製の弁当が置かれた。
「――ありがとう」
「どういたしまして」
千雨の控えめな感謝の言葉に、アキラは快活に答える。姦しい談笑の中、千雨は弁当を広げ、もそもそと食べ始めた。
(あ、これうまい)
ほとんどが冷凍食品であるが、一部千雨の好みを狙い打つアキラお手製の一品が入ってたりする。傍目からも分かるほど嬉々として、それをもぐもぐ食べる千雨。どこか小動物を思わせる姿に、テーブル周りの数人は癒されてたりする。
「何気に長谷川は癒し系だな。頭に耳でも生えてそうだわ」
「アキラ、完全に餌付けしとるねぇ」
裕奈と亜子が何やらボソボソと話していた。
食事も終わり机が戻された。千雨もトイレにでも行くか、と席を立った所を呼びかけられる。
「おい、千雨。ちょっといいか」
「げぇっ」
そこに立っていたのはエヴァだった。横にはいつも通り茶々丸がいる。
事件後からお互いの直接的接触は無く、時折クラスで目が合っても千雨は視線を避けていた。いつも通りビビっていたのである。
エヴァの尋常じゃない強さは身に染みており、触らぬ神に祟り無し、と露骨に避けていた。だが、千雨とていつまでも避けれぬ事は知っていた。何せクラスの席順が至近距離なのだ。
「な、なんでせう」
古典口調になりつつもなんとか返事をする。
〈千雨、大丈夫だ。今のところ敵意は無い。はずだ、たぶん〉
(何だよ『今のところ』とか『はずだ』とか『たぶん』とか! 嘘でももっと自信持って言ってくれよ!)
ウフコックに泣き言を言いつつ、千雨はエヴァを見た。いや、見たふりをした。視線はエヴァの後ろの貼り出された『渋み 神楽坂明日菜』と書かれた汚い習字を見つめている。
(きたねぇ字だな)
〈部首の跳ねが逆だな。また、漢字とかな文字の大きさが不釣合いだ〉
もはやエヴァの事から現実逃避をし、心の中では習字の批評を始めている。
そんな千雨の状態を察したアキラは、そっと千雨の横に立った。背中からは不可視の尻尾が一本飛び出し、千雨を守るように浮遊した。
「おいおい、そんな警戒をするな。むしろお前達の思ってる事と逆だ。謝礼がわりに食事に招待しようと思ってな」
ニヤァとエヴァが顔を歪める。その気配に、アキラは足がすくんだ。
(わたし的には言葉のチョイスも問題だと思うんだが)
〈いや、文字数的にも画数的にも書きやすい部類だろう。そしてヘタなりに、なにか熱意は感じるぞ〉
それを他所に、千雨とウフコックの習字談義も過熱していた。
一触即発な気配を放ち、対峙するエヴァとアキラ。二人に挟まれ、明日菜の汚い習字を論議し始める千雨とウフコック。それらを興味深げに見守るのはクラスメイトだ。
一部〝裏〟を知る人間は、剣呑な雰囲気に緊張をしていたが、他の生徒は千雨を奪い合う二人、という穿った見方をして嬌声を上げていた。
「うぅぅむ、これがリアル修羅場か。勉強になるわー」
「ゆえゆえ、なんか機嫌悪そう」
「べっつにぃ、何でもないデスよー」
目線するどく、口調も投げやりな夕映だった。
この変な空気は、茶々丸のツッコミにより、エヴァがあらぬ誤解を振りまいてる事に気づくまで続く。
そして千雨とウフコックの論議は、習字から得られる作者のプロファイリングまで展開していた。
(粗野で大雑把。だが情熱家)
〈直線にブレが少ない。決断力があるな。だが、もう少し向上心を持つべきだ〉
ちなみに明日菜は食後のシエスタタイムに入り、机に突っ伏して寝ていた。
「高畑せんせ~、ムニャムニャ」
完全に蚊帳の外だった。
◆
昼休みに変な騒ぎがあったものの、その日の授業は滞り無く終わった。エヴァも、後で迎えを寄こすという捨て台詞を残し、帰っていった。
放課後、今日はアキラの部活も無く、千雨は二人で帰路を歩いている。気分を変え普段とはちょっと違う道を通る事にした。
その通りは賑わっていた。
学生が多いこの街だが、それと共に外部からやってくる者も多い。また人口のわりに家族単位での居住が少なく、外食の比率が高いという事もある。金銭的にも学生は毎食外食というわけにいかないが、それを取っても外で食べるものが多い。
千雨達が通ったのは、そんな食事処が立ち並ぶレストラン街だった。和洋中を中心に、トルコ料理やイタリアンもある。学生が立ち食いしやすいクレープなどの屋台も出ていた。
平日にも関わらず、地方のお祭り並の人並みである。千雨も数年前までは慣れていた光景だったが、久しぶりに見るとなかなか威圧される。
「相変わらずの人の多さだな」
「そうだね」
はぐれまいと、二人の距離は心ばかし近くなっていた。
歩いていると、路上にテーブルを出し、カフェテリア形式でもディナーを出すイタリアンレストランが見えた。
『おい、それは俺のだぞ』
『けっ、何言ってやがる、テーブルの真ん中にあって俺のもお前のもあるか』
そのカフェテリア席で二人の男が英語で言い争っている。顔の半分をひげで覆った男と、チョビひげのキザそうな男だ。二人ともガタイが良いらしく、無理やりそれをスーツに詰め込み、パッツンパッツンになっている。
どうやらテーブル上に並んだ料理を取り合っているようだった。
ドン、と机を叩く音がした。料理の一部が浮く。
『アンタら、いい年なんだからもっと静かに食いな!』
中央を陣取るふくよかな老婆が吼える。顔に刻まれたしわは深いが、体中から覇気が溢れていた。鷹のように鋭い目。彫りが深く、明らかに日本人では無い。桃色の髪を後ろでお下げにし、まるで二本の角のように固めていた。
『でも、ママ~』
『うるさいよ、シャルル、ルイ』
髭面の男達はどうやら息子らしい。怒られてる二人の影には、もう一人男がおり、静かに食事を続けている。
またもう一つのテーブルには、先ほどの男達と同じく不恰好なスーツを着た男達が数人。同じような食事に手をつけている。肌の色からも様々な人種がいるようで、共通する事と言えば、食事の汚さぐらいなものだった。
二つのテーブルには山のように食事が盛られ、それらをガツガツと食いこぼしを飛ばしながら胃に詰め込んでいる。
総勢九人ものその所帯は、通りを歩く人々の視線を一手に集めていた。千雨達も例外で無く、彼らのやり取りを見ていた。
「――なんか、あの前通るのやだな。ちょっと通りはずれないか」
「うん」
千雨とアキラはわき道を通り、大通りから一本外れた道へ出た。ここは商店なども少なく、また寮までの最短の道とは外れており、人通りも少なかった。
並木道に石畳が引かれた、なかなか趣のある通りだった。夕焼けが二人を照らした。
「さっさと帰るか。なんかエヴァから色々あるみたいだしな」
「そうだね、ちーちゃん」
並んで歩く二人。ふと千雨は後方に気配を感じた。誰かが走ってくるようである。
千雨は振り向く、それに釣られアキラも後ろを向いた
「あれは……」
「おぉ、アキラに千雨じゃないアルカ。こんなところでどうしたアル」
クラスメイトの古菲(クーフェイ)だった。褐色肌の中国人留学生である。中国拳法の名人、という話を千雨は思い出した。
「古か」
「くーちゃんこそどうしたの?」
「どうしたもこうしたも無いアルヨ。見たとおり鍛錬してるアル」
そういう古菲は身軽そうな服を着ていた。喋ってる間も足の動きは止めず、もも上げを行っている。
「へ~」
「あ、千雨ちゃん。くーちゃんは中国武術研究会の部長で、とっても強いんだよ」
アキラのそんな言葉に気を良くしたのか、古菲は照れながら拳法の型を見せ始める。
「そ、そんな事ないアルヨー。私なんてまだまだ未熟アル!」
そう言いながらも、凄まじい武術を見せていた。飛び上がって蹴りを放つも、その回数は片手じゃ数え切れない。
(すげぇ……つかあんな事普通できないだろ)
〈片足で四メートルも垂直に飛んでいるぞ〉
千雨とウフコックも内心ツッコミを入れていた。
「うわぁ、くーちゃんカッコイイ」
アキラだけが素直に褒めていた。
「えへへー。あ、でも今度師匠がこっちへ来てくれる、ってさっき連絡があったアルヨ。それで思わず張り切っちゃったアル」
「へぇ、良かったじゃん」
「うん! 久しぶりに会えるから楽しみアル!」
古菲が来た道から、息も絶え絶えの男達の集団がやって来た。話から察するに、どうやら集団でランニングをしていた所、はしゃいだ古菲だけが一人先行してしまったらしい。
「もう、みんな遅いアルヨー!」
「はぁはぁ、む、無茶言わないでください部長」
筋骨隆々、タフさが外見からも分かる男達が、古菲の周りに倒れこんでいる。
「よーし、じゃあ最後に流しで十周走るアルヨ! 再見(ツァイツェン)アキラ、千雨!」
「うん、じゃあねくーちゃん」
「気を付けろよ~」
千雨達に別れを告げ、古菲は砂煙を上げ去っていった。
それに男達がよろよろと追随する。
「大変だな、あいつらも」
千雨の言葉に、アキラは苦笑いをした。
つづく。
(2012/03/03 あとがき削除)