一つの部屋があった。
窓が一つも無く、壁は打ちっぱなし。見方によってはデザイナーズマンションの一室とも言えるかもしれない。
その部屋にはたくさんのポスターが貼られている。音楽史上に残る数々のロックスターやギタリスト。例え興味が無くても、一度はその名を聞く、といったスターばかりだ。
その下には多種多様なギターが陳列し、乱雑にアンプが置かれている。
部屋の中央にはソファーが一つ。周囲には食べ物や飲み物が散乱し、生活感が溢れていた。そのソファーの対面には大量の液晶モニターが並べられている。一部はテレビやミュージシャンのライブが流されているが、ほとんどは共通のあるモノが映っていた。
麻帆良中に設置された監視カメラなどのライブ映像が映されている。世界樹を中心に、黒いもやが広がる様がありありと映し出されていた。
そして、そのモニターの前に男が一人。長く伸びた前髪を片側で流し、肩にはギターのストラップ。両手でエレキギターを持っていた。
麻帆良に広がる災害をモニター越しに見つつ、男はウットリとし、ギターを奏でた。激しい曲調。そこにあるのは喜びであり、激情であり、感謝であり、救済であった。
感情の高まりを抑えきれず涙が頬を伝う。
密閉された部屋の中で、男はひたすらギターを奏で続けた。
男の名を『音石明』と言う。
第9話「Agape」
視界に映るのは、一面の〝黒〟だった。
世界樹広場全てを、あの黒いもやが満たしきっている。しかも、そのもやは未だ増え続けていた。千雨はそっともやに触れてみた。
「うわっ!」
「大丈夫か、千雨」
触れた部分から侵食が始まり、肌を少しづつ黒い染みが覆っていく。うかつな自分を呪いつつ、千雨は感覚を研ぎ澄ませ、侵食を分析しようとする。
魔力のフィルティング情報を使い、かろうじてウィルスが認識できた。電子干渉(スナーク)を使い、電子分解を起こさせ、どうにか侵食を止めたものの、染みの除去は予想以上に困難な作業だった。魔力に近い性質のため、千雨はそのノウハウをまだ会得しておらず、手探りでのスタンドへの干渉だからだ。
「なんとか対応できるだけマシかな」
「万全じゃないにしても対処法があるのは僥倖だ」
千雨は前方を見据えた。世界樹の下、ここから真っ直ぐ百メートル程に人影を感じる。スタンド・ウィルスによるノイズが多いが、間違いなくアキラだろう。
ローマのスペイン広場のような巨大な階段が、世界樹の真下の広場まで繋がっているはずの風景が、もやにより、階段の一段一段すら視認できない。だが、千雨にとっては関係の無い事だ。多少のノイズがあろうと、地形ぐらいは把握できる。知覚領域を広場全体へと広げる。
「先生、たのむ」
「あまり期待はするなよ」
肩に乗っていたウフコックがクルリと反転(ターン)。何重にもなっている特殊繊維の生地がスルスルと千雨に被さり、気付けば防護服を纏っていた。
頭部には透明な特殊アクリル板が視界を遮らないように使われていたが、あまり役に立たないだろう、と千雨は内心思う。右手はプラプラと揺れている。時折生地にあたり、激痛を催すも、それは我慢した。何も痛いのは右腕だけじゃないのだ。
呼吸を整え、階段の上を睨む。
「行くぞ!」
ウフコックへの合図と、自身への叱咤だった。
重い体を無理やり動かし、もやの中へと飛び込んだ。防護服のいたる所に取り付けられたライトは、地面にすら届かない。防護服の表面を照らすのみだった。それでも千雨は走り続ける。雨は一層強くなり、防護服越しに感じる、足裏の感触は心許ない。石畳が雨水で滑りがよくなっていた。
(ここまで来て、転んで死んだら笑い話にもならないな)
〈ドクターの話のタネにはなるだろうな〉
栓の無い話をしつつも、なんとか階段の半分までは進めた。そこで防護服を見れば、侵食がかなり進んでいた。
「うわっ!」
あわてて服の内部を見た。構造上、大きめに出来ており、千雨の視点から、内部のかなりの所までを見渡せた。もやは服の内部まで達していた。
左手を防護服の内側から目先まで持ってくれば、侵食は手首近くまで進んでいる。
「こいつはヤバイ」
自らに電子干渉(スナーク)し、スタンド・ウィルスの分解を始める。だが、千雨の膨大な演算処理を使えど、その速度は微々たるものだった。歯噛みをしつつ、その処理を並列思考に放り込み、千雨自身は再び広場の中央を目指す。
体が重かった。それは疲労もあれど、ウィルスの影響による所も大きい。只でさえ少ない体力が抉られるようだった。
息も切れ切れで、中央広場まで辿りついた。千雨の体を血と汗と雨水が混じりあい覆っている。そして、更にそこにウィルスが侵食が進んでいた。
発生源に近づくなり、スタンド・ウィルスは一層濃さを増し、千雨の能力ではそれを抑えきれなくなっていた。
〈時間が無い、早くしろ。大河内嬢を急いで救出しろ〉
「あぁ! さっさと終わらせて風呂に入る!」
ターゲットは目前、渾身の力で千雨はアキラの元へ走った。だが――。
「なんだよ、コレは!」
千雨に向かい、丸太程の太さの鞭が振り落とされた。闇の中、千雨の知覚がそれを正確に察した。アキラの後ろに立つ、二メートル程の人間型のシルエット、その背中から生える尻尾状の物体が千雨を襲っていた。防護服が破られる。それを尻尾に絡ませるように脱ぎ捨てるが、五本ある尻尾は次々と千雨に狙いを定め、襲ってきた。
「ここに来てぇ!」
ウフコックに干渉し左手に銃を産み出す。銃口を尻尾へと向けた時、ウフコックから制止の言葉が放たれた。
「止めろ千雨、忘れたか! スタンドを傷つければ、スタンド使いも傷つくことを!」
「あ……」
承太郎に渡された資料を思い出す。斜め読みした資料の中に確かにあった言葉だ。
一瞬の躊躇が千雨を無防備にする。尻尾の一撃を腹に受け、地面をゴロゴロと転がった。
「ぐあぁぁぁぁ!」
脱臼し、骨折をした右腕が地面に叩きつけられ、押さえ切れない絶叫が漏れる。防護服を失った事により、スタンド・ウィルスの進行もより一層強くなった。
もう、麻帆良の街の灯りは消えていた。停電は全域に渡り、一部の電源を残し、そのほとんどが奪われている。
また、世界樹を中心に漆黒が加速度的に広がり、先ほどまで世界樹広場で収まっていたはずのもやが、今や学園の施設の一部までを覆っている。感染者は三桁に到達しようとしていた。
雨はより強く降る。地上にある熱を全て冷やすように。抗うべき灯火を消し去るように。
麻帆良壊滅は時間の問題であった。
だが、その中心にまだ微かな〝輝き〟が残っている。
口の中には血とジャリと雨水の冷たさが広がる。痛みは体中を駆け巡り、もはやどこが痛いのか分からなかった。心臓と肺は休む暇無く動き続け、オーバーヒート寸前だ。逆に体は雨に冷やされきっている。
アキラを助けられない不安が心に広がり、自らの死への恐怖が渦を作っている。痛みへの肉体的反射で、我慢していたはずの涙が瞳に溢れた。
だが、手の中に感触があった。背中を押してくれた人々がいた。臆病な千雨に輝きを見出してくれた人がいた。
そして……暗闇の向こうには、かつて千雨を救ってくれた人がいる。
微かな輝きは、より一層輝く。麻帆良を覆う闇も、降りしきる雨も、全身を襲う苦痛も、瞳の中の炎だけは消す事が出来なかった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
千雨は、翔る。
◆
アキラは暗闇の奥底にいた。
さっきまで、視界には微かな街の光が見えていた。だが、今はそれすら見えなくなっている。
手も足も動かず、まるで体の内側から磔にされているようだ。かろうじて出来る呼吸も、今は細い。する度にパリパリという音がして、痛みが走る。
涙も、心も枯れ果てていた。ただ、体の表面も雨水が滑るのみ。漆黒の感情が、絶望だけをアキラに残し、心を食い荒らし終わっていた。
懺悔も届かず、謝罪は虚空。救いを求める手を掴む者も誰もいない。視線すら動かせず、傀儡に成り果てたアキラに出来る事はもはや無かった。
耳に雨音以外のノイズが走った。微かな音だ。
それはどこかできいたことがあるおとだった――。
『ちーちゃん』
色が、見えた。
しかし、それは幻。アキラの視界には未だ漆黒が根付いている。
闇が人々を蝕んでいくのを感じた。裕奈の顔を思い出した。高畑の倒れる姿も思い出した。
枯れたはずの涙が再び流れる。届くはずのない懺悔がよぎり、消え行く謝罪の念を抱いた。
動かないはずの手が微かに動いた。右手が闇の先へと延ばされる。
痛みを堪えながら、細い声を発した。
「た、す、け、て……」
しゃがれた、汚い声。こんな状況なのに、自嘲の笑みが漏れそうになる。
その声に誰も答えるはずはな――
「大河内ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
届いた。
◆
巨大な鞭が地面を穿つ。石畳に亀裂が入り、巨大な破片が宙を待った。
縦に、横に、斜めに。一つを避ける度、他の尾が方向を変え振り回された。
ノイズ混じりで、その本来の能力を発揮できない千雨は、ウフコックとともに尾の嵐の中を進む。
〈屈め!〉
「くっ――」
頭上を通る尾に髪を数本散らされる。
千雨自身が得られる情報を、ウフコックと共有。ウフコックの知覚と〝カン〟も総動員して、闇の中を疾走していた。
千雨の襟元から、ネズミ姿のウフコックが顔を出し、鼻をヒクヒクさせた。本来、感情の匂いを嗅ぎわけるウフコックだが、今はその力がかなり失われていた。だが、『攻撃』という強い意志を嗅ぎ分けるくらい、造作も無いことだった。そして、ウフコックが持つ経験こそが、『情報』を失った千雨が頼れる力だった。
〈右に避けろ!〉
「あいよ」
アキラまでもう十メートルも無い。しかし、尾の嵐はより一層激しさを増し、千雨へと襲い掛かる。石畳の破片すら、飛礫となり千雨を傷つけた。
「くそぉぉ」
千雨のノイズ混じりの知覚が、確かに目の前にアキラがいる事を感じている。最後の一歩が踏み越えられなかった。
ふと、アキラのシルエットに動きがあった。広場に来てからずっと、千雨が知覚できる限り、微動だにしなかったはずなのに。
アキラの右腕が伸ばされ、空を掴む。それはまるで――
「た、す、け、て……」
微かな、微かな声が千雨の耳に届く。しゃがれた老婆のような声だった。血が沸騰したようだった。熱さが、自然と体を動かした。
世界樹広場を覆っていた知覚領域を狭め、周囲十メートルまで絞る。並列思考が加速し、限界を越える四千人の並列思考を作り上げた。その一人一人が周囲のノイズを分解し、千雨に確率の世界を見せる。
アキラへ向かい、まっすぐ千雨は駆けた。尾の一撃、一撃を致命傷をさけて避ける。体に裂傷が走るのも気にしない。傷口はウィルスで真っ黒く染まり、千雨の体力をごっそりと奪っているはずだ。
だが〝輝き〟は収まらない。激情が肉体を凌駕する。アキラへの最後の一歩を前に、二本同時に尾が攻撃を仕掛けた。
(避けられない!)
背筋が凍り、体が固まる。
〈あきらめるな!〉
だが、頼もしい言葉とともに、それは解けた。
ネズミ姿のウフコックが、千雨の頭を駆け上り、飛ぶ。空中で反転変身(ターン)し、特殊鋼材となり、真上からの一撃を反らさせた。
もう一本の一撃を、千雨はかろうじて避け、アキラ目掛けて飛び掛る。
「大河内ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
伸ばされたアキラの右腕を掴み、思い切り引っ張った。自分よりも冷え切った体が、胸元に当たるのを感じる。
「先生ぇぇ!」
「まかせろ」
千雨の願いを、ウフコックは瞬時に悟る。先ほど展開した特殊鋼材が千雨とアキラを覆った。二人の人間が顔を寄せてやっと入れる程の小さい空間を作り上げる。
それは『殻』だった。卵の『殻』を彷彿とさせる。違いと言えば、金属でできている事と、大きさぐらいなものだった。中身は――たいして本物と変わらない。ギュっと詰まった黄身と白身が入っている。孵化はすぐそこだった。
◆
『殻』を割ろうと、尾が攻撃しているのが振動で分かる。一体どれほど持つのだろうか。一分か、それとも二分か。だが、今はそんな事は関係ない。
ウフコックが細工してくれたのだろう、二人の人間が身を屈ませてやっと入れる空間は、かすかに明るかった。『殻』の裏面がほのかに光っていた。
それにより、千雨は自らの体のほとんどがウィルスに蝕まれている事が分かった。染みは首筋まで広がっている。
そして、目の前には無表情なアキラがいた。数日前とは別人、まるで人形のようである。ここにきて千雨は緊張でツバを一飲みする。
動く左手で、アキラの肩を強く握った。
「なぁ、大河内。助けにくるのが遅れてすまない。本当はもっと早くこれるはずだったんだけどな」
千雨の声に、アキラは一切反応しない。
「わたし、な。前、麻帆良にいた事があるの知ってるだろう。初等部時代なんて悲惨だったぜ、ほとんど友人もいなかったしな。まぁ、お気楽なこの学園の奴らだ、何かと言うと話かけてくる奴はいたがな、明石とか」
明石、という言葉にアキラがピクリと震えた。
「だけどな、わたしはそれなりにやれていた。転校するまでやる事が出来たんだ。それは、ある人のおかげなんだ」
『殻』に響く衝撃が、ピシリと嫌な音を立てた。
「幼稚舎の時さ、わたしは不思議に思う事が多かったんだ。だってよ、テレビでは『二足歩行ロボットを世界で始めて開発~』なんて言ってるのによ、幼稚舎から見える大学ではさ、ロボットが走ったり、あまつさせ鬼ゴッコまでしてるんだぜ。おかしいったらありゃしない」
千雨はクック、と笑いを噛み殺す。
「わたしさ、幼稚舎の子供達に言ったんだよ『あれおかしいだろ!』ってさ、そうしたらもう袋叩き。ガキが揃って『おかしいのはお前だ』って大合唱だ。もう泣きに泣いたよ。それからもな、わたしが疑問に思った事を、かぶせる様に否定されていくんだ。うちの親も、一生懸命話は聞いてくれるんだが、結局はわたしへの説得に入って終わるんだよ。もう、完全に人間不信だ。冬に桜が咲いても誰も疑問に思わないし、近くの大学校舎が半壊してるのを驚いただけでも笑われる、ってどんなだよ。なぁ? 」
相変わらずアキラは無言、無表情のままだ。
「でも、そこである人がわたしに言ってくれたんだ。『私にはあなたが何を言ってるかわからない。だから一緒に考えてあげる』ってさ。初めてだった。わたしの隣で一緒に悩んでくれる人が居て、本当に、本当に……嬉しかったんだ」
千雨の声は尻すぼみ、涙がポツポツと落ちた。
「今まで、そんな事言ってくれる奴なんで居なかった。わたしは、その救いがあったからここまで来れた。立ち続ける事が出来たんだ。モノクロだった世界に、そいつが色を取り戻してくれた。そいつとは初等部で離れちまってな、会えなくなっちまったんだ。なにせこのマンモス校だからな」
千雨はアキラの額にゴツリと、自分の額をぶつけた。
「なぁ、大河内。今、お前の世界は真っ黒で色あせてるんだろ。だから、そんな目をしてるんだろ」
無表情の顔に、雫が一筋流れた。
「今度はわたしが色を取り戻してやる。大丈夫だ、今のわたしならできる」
アキラの瞳がすぐそこにあった。目に、微かな光が戻る。
「今度はわたしが一緒にいてやる、一緒に考えてやる。だから、自分を否定するな!、そうだろ――」
アキラの瞳に、しっかりと千雨が映る。
「あーちゃんっ!」
その言葉が、アキラの耳に染み入った。
「……ちーちゃん?」
「あぁ、そうだ!」
『殻』が割れた。千雨の左手と、アキラの手はしっかりと握られている。
アキラの瞳はしっかりと光を映し、顔には表情が戻っていた。
「ちーちゃぁぁぁん……」
クシャリとアキラの顔が潰れ、涙と嗚咽が漏れる。
その瞬間、アキラの周囲を紫電が走った。火花がバチバチと弾ける。
〈サセルカヨォォォォ!!〉
合成音のような声が、確かに響いた。電撃がアキラの服を焼き、そのまま千雨を襲う。
「やっぱりか……」
ポツリと千雨が呟いた。
電撃は千雨に触れることなく、徐々に分解されていく。電気の流れを操る事など、ウィルスを分解する事にくらべれば千雨にとって造作も無かった。
〈どうだ千雨〉
「中だ。あーちゃんの中に〝いる〟」
千雨はアキラに顔を近づけ、そのまま唇を押し付けた。アキラの顔が涙と驚愕と羞恥でとんでもない事になっている。千雨はそのまま舌を伸ばし、アキラの口内をまさぐった。ふと、舌先に痺れを感じ、その方向へ舌を通じて電子干渉(スナーク)させる。
(ビンゴだ!)
パチリという音とともに、千雨はアキラに棲くうモノに噛み付き、体内から引きずり出した。
「グギャァァァァァ」
甲高い奇声が響く。アキラの体内から出たそれは、黄色く発光していた。体躯は一メートル二、三十センチというところだろうか。人間の形をしながらも、頭は鳥のような奇妙な姿をしている。
「お前が真犯人、ってところか」
千雨の知覚にはスタンドとしての反応がある。だが、電気を纏い、発光しているせいだろう、肉眼でもはっきりと姿が捉えられていた。
「キヒ、キヒヒヒヒ。知ッテルゾ、長谷川千雨。麻帆良カラ逃ゲ出シタ臆病者ガ。コノ『レッド・ホット・チリ・ペッパー・OTT』ヲ前に良ク楯突ク。ダガナァ、麻帆良中ノ電力ヲ手中ニ収メタ俺ニ敵ウ訳ガナイダロォ!」
『レッド・ホット・チリ・ペッパー』と名乗ったスタンドが大量の電気を周囲に走らせた。スタンド・ウィルスの闇さえも切り裂き、周囲が一瞬明るくなる。
『チリ・ペッパー』の後ろには、アキラのスタンド――狐に近い姿の女性型――が従うように立っている。
「……お前の能力は『電気を操る』のか? あーちゃんを操ったのもお前か?」
「ギャハハハ、マァソレダケジャナイガナ。『電力』ガ大キケレバ大キイ程、自分ノ、ソシテ他ノ奴ノ能力ヲ強化デキル。ソレガ俺『レッド・ホット・チリ・ペッパー・OTT』ダ!」
「そうか、なら簡単じゃないか」
千雨のウィルスの侵食は顔の半分まで覆っていた。だが、『チリ・ペッパー』から庇う様に、アキラを背にし千雨は立っている。
ウフコックはクルリと反転(ターン)し、千雨の首に巻きついた。高性能な演算装置を内臓したチョーカーである。
千雨にはリミッターが掛けられている。
それは千雨の能力を応用し、空間に擬似的な演算装置を作る事、通称『ループ・プロセッサ』の禁止だった。
いくら強い電子干渉能力を持っていても、その演算が出来なければ意味が無かった。そのため千雨は、空中に電子干渉(スナーク)で回路を作る事を思い浮かべたのだ。それにより、演算装置を作り、干渉能力が上がり、演算装置を増やす、というループが起こり、千雨の能力は際限無き上昇をもたらす事になっていた。それを危険視する学園都市から、千雨に向けて首輪が掛けられたのは当たり前の事だった。
つまり、千雨には演算装置が足りなかった。そのため、莫大な干渉能力を余しているのだ。なら、どうすればいい? 調達すれば良かった。
目の前で放たれる電撃を、素手で掴み、簡易的なエネルギー源とした。そのままメイド・バイ・ウフコックのチョーカーを通し、電子干渉(スナーク)を周囲に行った。ケーブルを使わない、独自のネットワークを作り上げる。
麻帆良に光が戻り始めていた。
◆
麻帆良工大にある研究室の一室で、超鈴音は複数のモニターの前に座っていた。薄暗い研究室の中、モニターの光だけが明りだった。
超鈴音は若干十四歳ながら、麻帆良内で知らぬものはいないとまで言われる、天才中の天才である。麻帆良内で大規模な停電が起き、ネットワークが寸断される中、彼女のいる研究室だけは平時と変わらぬ働きをしていた。
彼女により作られた特殊な発電機と、〝この時代〟には相応しくない強固すぎるセキュリティが、電気を操るスタンドからシステムを守ったのである。
「超さん、どうですか?」
「うーむ、なんとも言えないヨ」
世界樹広場を映しているカメラ映像には、相変わらず黒いもやが見えるばかり。ときたま走る電撃が、事態が推移してるのが確認できるが、それだけだった。
超の背後には、メガネをかけた少女が立っていた。超のクラスメイトにして、共同研究者の葉加瀬聡美である。
「あれ、超さん見てください。この数値……」
「どれネ」
葉加瀬が指したのは隣のモニターだった。それは麻帆良内のインフラに関するデータであった。電力の数値が急激に変動している。超は椅子から立ち上がり、研究室の窓を開いた。叩きつける雨の中、目を凝らす。
「明りが戻ってきてるネ……」
真っ暗だった麻帆良に、街の光が戻り始めていた。ふと、研究室の電灯もつき、部屋が一気に明るくなる。
「フフフ、勝負はついた、ってところかネ」
「超さん、しっかりとデータを取っておきましょう」
二人は笑顔を振りなきながら、モニターの前に戻る。が、そこで表情は一変した。
「な……」
「う、嘘ですよね!」
研究室にあるモニター、全てにデフォルメされた金色のネズミの画像が表示されていた。キーボードを叩こうと、一向に反応しない。綺麗に電源と演算装置を奪われたのを超は確信した。
「ハハハハ、やられたネ。さすが《楽園》の怪物。数世代先のセキュリティもザルのように破るカ」
「チャ、超さ~ん。システム復帰できません~」
「いいネ、せっかくだから私達も麻帆良を救う一助となろうじゃないカ」
泣き喚く葉加瀬を背景に、カカと笑う超。視線は世界樹へと向けられた。
◆
千雨が作り上げた電子のネットワークを、四千にまで分割された思考がダイブする。ウフコックの補助をそのままに、片っ端から演算装置のあるものをジャックしていった。それと平行し、電力の復旧も忘れない。
『チリ・ペッパー』へと流れている電力ラインを、正常な形へと戻していく。いくら演算装置をジャックしようと、電源が入ってなければ意味が無い。麻帆良中のパソコンを初め、携帯電話にテレビに洗濯機。演算回路を持つ全てを無造作にジャックし、並列処理を施す。ジャックした機器には表示できるなら、ウフコックを模した画像を表示させた。
麻帆良中に完全な明りが戻り、ウフコックの画像も溢れた。もはや『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は千雨の電子干渉(スナーク)の敵では無かった。
千雨に向かって放たれる電撃をいなしつつ、指をパチンと弾いた。その途端、千雨を侵食していたウィルスが一斉に消え失せ、塵となった。
「ナ、ナニヲシタァーーー!」
『チリ・ペッパー』の顔が驚愕に染まる。目の前で行われた『スタンド能力の無効化』、それを行ったのがスタンド使いじゃないというのが信じられなかった。
「へぇ、スタンドっていうヤツもそんな顔ができるのか」
未だ周囲にもやが覆う中、千雨は平然と言い放つ。
「ホザクナァ!」
『チリ・ペッパー』はアキラのスタンドを〝操作〟し、周囲のウィルスを一斉に千雨に叩きつける。それに対し、千雨の髪が解け、長髪が舞った。本来、人工毛である千雨の髪の毛には特殊な用途が想定されている。電子干渉の補助である。事故前の髪の色を演じていた有機塗料がパリパリと剥がれ、白い光を放つ髪が現れた。
「だから意味無いって言ってるだろ」
千雨は左腕を無造作に横に振るった。まるで巨大な手がもやを掴む様に、周囲の闇が一瞬で消える。その力は空まで達し、世界樹の上空の雨雲までを分解した。闇が払拭され、月と星々の光が麻帆良を照らす。
「ナァッ!」
それだけでは無かった。千雨の電子干渉(スナーク)は広場を中心に伝播し、麻帆良中にあるスタンド・ウィルスを分解していく。
「ウ、嘘ダロ……」
『チリ・ペッパー』は後ろに後ずさり、よろめいた。膝をついたまま立ち上がらない。
「チ、チカラガ出ナイ」
『チリ・ペッパー』の後ろに立つ、アキラのスタンドの目に光が灯った。呪縛から解き放たれたようだった。
アキラのスタンドの姿が霞むと、倒れ伏しているアキラの元に現れた。
「アキラ、大丈夫?」
「あの、あなたは……」
「ワタシハ、アナタ。アナタノ『スタンド』よ」
どこかおかしいイントネーションながら、女性らしい口調だった。
狐顔のスタンドに怯えつつ、アキラは言葉を交わす。千雨はふと、アキラが裸なのに気付き、ウフコックに頼みコートを出してもらう。それをアキラの肩に掛けながら、その手を握った。
「あ……」
強く握られた手から、温もりが伝わる。一緒に考え、立ち向かってくれる人がいる。その安心感が、アキラを自分の鏡である『スタンド』と向き合わせた。
「あの……私はあなたが恐い。人をたやすく傷つける力を持つあなたが。でも、それも私。私逃げていた。きっとちゃんとあなたと向かい会えたらこんな事にはならなかった。だからゴメン」
アキラは自らのスタンドの手を握った。
「恐いあなたは私。ずるい私はあなた。これからはしっかり見る。お願い、私の力になって『フォクシー・レディ』」
「オーライ、ソレガワタシノ名前ネ、最高ニクールダワ」
アキラのスタンド『フォクシー・レディ』はガッシリとアキラの手を握り、その〝傍に立った〟。
千雨とアキラは、キッと『チリ・ペッパー』を睨みつける。もはや逃げ道が無い『チリ・ペッパー』は慌てるばかりだった。
「クソォォォ!」
渾身の力で、チリ・ペッパーは近くの電源ケーブルに飛び込んだ。千雨達はそれを何もせず見送る。
「まったく、さっきから言ってるだろ。『もうお終い』だって。なぁ?」
千雨はあらぬ方向を見つめながら喋った。まるでその方向にヤツがいるように。
「さてと、始末をつけるか」
髪が発光し始めた千雨。その袖をアキラが引っ張った。
「あの、ちーちゃん。私も、私達もやる!」
後ろでは『フォクシー・レディ』もコクリと頷いていた。ちなみに何故か先ほどから千雨の腕には、『フォクシー・レディ』の尻尾が一本絡まっている。
「わかった。存分に暴れようぜ、あーちゃん。サポートは任せろ」
「う、うん。行くよ! 『フォクシー・レディ』!」
「オーライ! showdownヨ、アキラ!」
千雨に絡んでる以外の四本の尾が弾け、千雨の誘導の元、電子の海へ消えていった。
◆
光の海を『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は泳いでいた。
だが、そこにはかつて程の自由も、力も無かった。電気の海を漂いながらも、力が徐々に力が失われていく。
「本体マデ、ドウニカ戻ラナケレバ……」
『チリ・ペッパー』の自我は強い。電気を操るという能力故、本体の意志を確認している時間が無いのだ。そのため、本体から離れてもこれだけの活動が行えていた。
だが、今はそれが仇となっている。
本体の元へ戻ろうと、電気ケーブルの海を泳いでいたが、どこを行っても行き止まり。千雨の妨害に合い、帰還がままならなかった・
「クソ! クソ! アト一歩デ俺達ノ『呪縛』ガ解ケ、『本当ノ自由』ガ手ニ入ッタト言ウノニ!」
罵詈雑言を吐きつつ、『チリ・ペッパー』は逃げ続ける。だが、ふと足元の違和感に気付いた。
「ナ、何ダト、マサカ!」
足に尾が絡みついていた。そして絡みついた部分からは黒いもやが染み出てきている。更に今度は左腕に尾が絡みつく。更に右腕。更に首。絡まった先から〝染み〟が広がっていく。
「アァァァァー! チクショーーー!」
『チリ・ペッパー』から光が失われていく。もはや、終わりは時間の問題だった。
◆
『まったく、さっきから言ってるだろ。『もうお終い』だって。なぁ?』
モニター越しの千雨の視線が、音石明の心臓を跳ねさせた。彼は焦りと緊張を音に変え、ギターをかき鳴らす。
「大丈夫、大丈夫だ。この場所がバレるはずが無い」
音石が生活しているこの場所はシェルターだった。麻帆良工大のある研究室が数年前、閉鎖環境の研究をする際に作った地下シェルターである。その後、研究チームのリーダーである教授が急死し、多くの者に忘れられる形で放置された。
音石は自分の計画にあった避難場所を探す際、このシェルターに気付き、根城にしていたのだ。
「大丈夫、大丈夫だ……」
ギターのネックをガリガリとかじり、脂汗が地面に落ちる。目が泳ぎ、足を小刻みに揺らす。その足に違和感があった。まるで何かに縛られているような。
だが、足を見ても何も無い。試しにズボンを捲り上げた。
「あぁぁぁぁ!」
足に黒い染みが出来ていた。それが徐々に広がっていく。今度は左腕に圧迫感。次は右腕、更に首。そのどれもに染みが広がっている。
「『レッド・ホット・チリ・ペッパー』めぇ、しくじりやがったなぁ!」
音石明は自らのスタンドをなじった。体から体力がそぎ落とされる恐怖がせり上がる。
床に倒れ、もがいた。誰も来ないこの場所で、ひっそりと死ぬのが恐かった。
「誰かー! 助けてくれー! ここから出してくれー!」
その瞬間、天井が爆ぜた。
厚さ数メートルはあるだろう分厚い鉄筋と、大量の土が一瞬で消え、空が見える。
雨雲が無い、綺麗な月夜だった。その月の光の中、一つのシルエットが浮かび上がる。
「よかろう、その願い叶えてやろう」
金色の長髪に、黒いマント。妙齢の女性の姿をしたそれは、身体年齢を幻術により底上げした『不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)』エヴァンジェリンだった。
千雨の麻帆良ジャックにより、電力は回復していても、エヴァを抑える結界は復旧していない。つまり、今のエヴァの魔力は枷無き時と同じであった。
「まったく、余計な知恵を働かせるな。〝千雨達〟は」
髪の中から取り出したのは通信機だった。
「おかげで事のあらましが良く分かったよ。いい度胸しているな、小僧――」
「あぁぁぁぁぁぁ……」
エヴァの殺気を直に受け、音石は硬直する。スタンド・ウィルスの侵攻と、目の前の吸血鬼。二つの恐怖の前に、音石は思考が止まった。
「――なぁに、殺しはせんよ。それに幾ら死にたくなっても『死なせない』。覚悟しておけ」
エヴァの口角が高い角度で釣り上がる。そこにあるのは愉悦。
音石の絶叫が木霊した。
◆
承太郎が世界樹広場に到達した時、もう事態は終息を迎えていた。
広場の中央では、千雨とアキラが背中合わせに眠っている。裸にコート一枚と、アキラの姿も目の毒だが、何より千雨の姿が酷かった。見るからに骨折、裂傷のオンパレード。さらに何故か髪の色まで変わっている。
「俺の仕事はまだ終われんか。ウフコック、二人はコチラで保護するぞ」
千雨のチョーカーがクルリと反転(ターン)し、ネズミへと戻る
「お手数をかける、〝空条殿〟」
「すまんが、名前で頼む。お互い今日から戦友だ」
「了解した、〝承太郎殿〟」
その後、承太郎はどこかへと電話を掛ける。数分後にスピードワゴン財団の迎えが来ることになった。
これ程の規模になった大事件。魔法使いどもに二人をそのまま渡したらどうなるか分かったものでは無かった。そのため、スピードワゴン財団での回収が最善だと承太郎は判断する。
(それにしても――)
承太郎は千雨を見ながら思う。まさか、ここまでの〝輝き〟を持つものだとはな。
頭上にヘリコプターの音が響いた。
帽子を飛ばされないように抑えつつ、呟く。
「本当に、やれやれだぜ」
第一章エピローグへつづく。
(2012/03/03 あとがき削除)
(2010/12/30 あとがき追記削除)