教室中からの好奇の視線で顔が引きつるのを堪えつつ、千雨は転校の挨拶をした。
「えーと、長谷川千雨と言います。よろしくお願いします」
適当すぎる挨拶に棒読み極まりない口調だが、その内容に関係なく、そこかしこからハイテンションな歓迎の野次が飛んだ。
「おぉ! やっぱり長谷川じゃん!」
「千雨ちゃんだー、おかえりー!」
初等部時代に何度か同じクラスになった明石裕奈や佐々木まき絵の言葉に、我慢していた千雨の顔の筋肉が崩壊した。
(うぜぇ……)
千雨は顔を隠すように俯きつつ、伊達メガネのブリッジをくいっと上げ、感情の落ち着きを取り戻そうとした。
横から苦笑いをしていた担任の高畑も、その機微を察したのか、助け舟とばかりにホームルームを進行させた。
「あぁ~、みんなとりあえず落ち着いて。長谷川君は以前はここの初等部に在籍してたが、この度ご家庭の事情でこの学園に戻ってきたとの事だ、みんな仲良くしてあげるように」
は~~い、とクラス中から上がる元気な返事がまた千雨のモチベーションを下げていた。
「それじゃ長谷川君、廊下側から三番目列の一番後ろが君の席だ。これから授業だから長谷川君への質問は休み時間にやるように」
高畑は言うだけ言って教室を後にした。
担任の声を半分聞き流しつつ、千雨はトボトボと自分の席へ歩き出した。相変わらず好奇の視線は衰えることを知らない。
(わたし、やっていけるだろうか)
千雨にとってこの麻帆良の地にいい印象は無い。この場所に戻ってきたのだって、己の意思では無かった。この土地に来ると、昔感じた何とも言えない孤独感を思い出す。だが、昔はなかったが、今はあるものはある。
〈大丈夫だ千雨。私がついている〉
千雨は左腕に巻いた腕時計を見た。アナログの文字盤には金色のネズミが描かれている。そのネズミがウィンクをしたのを見て千雨は思わず顔が綻んだ。
席に着くなり、右隣の裕奈が挨拶をしてきたので、千雨は適当に流した。丁度一時間目の予鈴が鳴り、担当の教師が入ってきた。
千雨は大慌てでカバンを漁り、筆記用具とノートを出した。
「あっ」
転校が急だった事もあり、まだ教科書を貰っていなかった。確か昼休みに取りに来てくれと言われたのを思い出した。
(まぁいいか)
千雨にとって手元に教科書が有るか無いかなどは関係なかった。視界を広げるように……
ごつん、と机と机がぶつかった。
左隣の生徒が席を寄せてきた。
「長谷川さん、まだ教科書がないのデスね。とりあえず授業中は私のを一緒に見ましょう」
「あぁ、ありがとう。今日の昼には貰う予定なんだけどな。えーと……」
「綾瀬です。綾瀬夕映と言います」
「そ、そうか。綾瀬、ありがと」
「いえいえ~」
表情をピクリとも動かさず、ひょうひょうと少女――綾瀬夕映――はのたまった。
教師が黒板に板書をし始めた。真横に夕映がいる状況ではノートを取らないわけにもいかず、千雨は真新しいキャンパスノートに細々と書き写し始めた。
漏れそうなため息を飲み込み、突きそうな頬杖を我慢しながら、千雨の三年ぶりの麻帆良学園での生活が始まった。
千雨の世界 プロローグ
「ふぅー」
昼休み、千雨は人影の少ない屋上の片隅で菓子パンをかじっていた。
休み時間の度に教室中の生徒に囲まれ、トイレにすら自由に行けず、千雨は辟易としていた。
特に朝倉和美とかいう女の執拗な質問攻めにはまいったとしか言い様がなく、意趣返しの一つでもしてやろうか、というのが千雨の本心である。
昼休みには逃げるように教室を後にし、売店まで直行し飲み物とパンを調達したのだ。初めての場所だろうと、今の千雨にとって〝売店への道筋〟など造作も無いことだった。
コロッケパンをもぐもぐとリスのように頬張りつつ、頭の中にうずまくグチが口からこぼれた。
「なぁ、今回の――」
軋むような音と共に、屋上のドアが開かれ、二つの人影が視界を横切った。
「ん、ゲホゲホ、ング、ング」
ごまかす様に咳き込みつつ、千雨は牛乳を喉に流し込んだ。
(クソ、気付かなかった。調子狂うぜ)
この半年間の慣れきった〝感覚〟を切っているせいで、二人が近づくのを見過ごしていた。
千雨は二人を視線で追いかけた。金髪の見るからに幼い少女と、その後ろを一歩引いて歩く緑髪の長身の少女。
「あ、お前らは確か……」
「こんにちわ、長谷川千雨さん。私は同じクラスの絡繰茶々丸と申します」
長身の少女が答え、一礼した。幼女の方はは千雨を一瞥するも、興味ないと言った風だ。
「茶々丸、早くしろ」
「了解です、マスター」
千雨の前で、茶々丸は淡々を昼食の準備をした。シートを引き、重箱を並べ始めた。
幼女はシートの中央にドカッと座り込み、昼食の準備が整うのを待った。
「準備ができました」
「うむ、では頂くぞ」
日本人らしからぬ容姿の幼女が、箸を上手に使い、和食をどんどん消化していく様をぼーっと見つつ、千雨はふと茶々丸に質問を投げかけた。
「なぁ、絡繰さん……だっけ。その、絡繰さんはロボットなのか? 」
「はい。正確にはガイノイドと言います。この麻帆良学園で作られ、中等部に編入しました」
(やっぱりコスプレじゃないのか)
ジト目になりつつ千雨は呆れていた。茶々丸の容姿はパッと見人間と変わらないが、耳にはメカメカしいアンテナが立ってるし、脚は球体関節がむき出しだった。これでは疑うなという方が難しい。
「相変わらず、非常識な所だぜ」
千雨の呟きに、幼女の箸が止まった。先ほど千雨の存在を素通りした視線が、再び千雨に向いた。
「おい、貴様。名前は何と言う」
「はぁっ? いや、いきなり初対面でどんな口調だよ。大体教室で自己紹介したし、さっきだって隣の絡繰さんが言ってただろ。それに名前を聞くならそれなりの――」
「いいから答えろ」
年齢不相応の威圧感のある瞳に見つめられ、千雨は言葉が詰まった。この半年ほど、何度か味わった感覚を思い出す。そう、明確な死の予感だ。
「ぐっ……」
ジトリと首筋に冷や汗が流れる。幼女は視線をそらさず、千雨を射すくめている。幼女の口に愉悦が浮かんだ。
「は、長谷川だ。長谷川千雨だ」
「ふむ、千雨か」
(いきなり呼び捨てかよ!)
搾り出すように名前を言ったら、先ほどまでの威圧感は霧散した。
「ところで千雨、お前何者だ?」
「は?」
「千雨は何者だと聞いている。おかしいのだよ。いいか、茶々丸がロボットだと初見で気付く。千雨はこれが普通だと思っているのだろう。それがおかしいのだ」
「マスター、私はガイノイドです」
「ええい! うるさいぞポンコツ! 横槍を入れるな」
なんだかなー、と目の前の光景を眺めつつ、千雨は並列思考で自分の言動を洗っていた。
(何かおかしいところあったか?)
〈いや、ないはずだ。少なくとも私には確認できない〉
目の前では幼女がグリグリと茶々丸の頭をイジっていた。一段落し、落ち着いたのか幼女は言葉を続けた。
「はぁはぁ……で、だ。長谷川千雨。お前の言動や疑問は一般的には正しい。極めて正しい。場所がこの〝麻帆良〟で無ければな」
千雨の脳内に衝撃が走った。
(え? いや、そうか。なんとなく判った。それで、――そうなのか。ここでは〝疑問を持つ事〟が異質なのか)
幼い頃の情景が頭をよぎる。何を言っても取り合ってもらえず、友達も離れ孤立していった自分。
ここに戻ってくる時に貰った情報のピースがカチリと頭に入る。
ギチリと歯が軋んだ。
〈落ち着け千雨。まだ初日だぞ〉
千雨の一瞬硬くなった態度に、目の前の幼女は得心がいった様に微笑んだ。
「は、はぁ? だからどういう事なんだ。わたしにはさっぱ」
「白々しい演技はいいぞ。興がそがれる。まぁ、どういった目的であろうと構わん。千雨は面白そうなので老婆心ながら忠告をしただけだ」
千雨はカァーと顔が赤くなるのを感じた。それを見て幼女はクックと笑いをかみ殺した。
千雨がコチラ側に来て半年、目の前の〝怪物〟相手に腹芸は無理か……と時計盤のネズミが目を瞑った。
「クククッ。なかなか正直な奴のようだな千雨。気に入ったぞ。お前にも茶々丸の作った食事を分けてやろう。あと茶々丸、茶のお代わりをよこせ」
幼女は自分の隣をぽんぽんと叩きつつ、ニヤニヤと笑っている。
千雨はなにか無性に腹が立ち、おもむろに立ち上がり二人に背を向け、無言で出口に向かった。
「悪いな! わたしはこれから職員室まで教科書をとりにいかにゃならん」
「なんだ食わんのか、めったに無いことだぞ」
「どうぞマスター、お茶です」
「うむ。あ、そうだ千雨。一つ忘れていたな」
その言葉に千雨は足を止め、顔だけ振り向いた。
「私の名だ。私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。特別だ、エヴァと呼んで良いぞ」
「そうか」
千雨は小さく呟き、ついでエヴァに対して言葉を発した。
「エヴァ、わたしは長谷川千雨。たんなる! ただの! 一女子中学生だっっ!」
その瞬間、茶々丸のセンサーが一斉にエラーを起こし、視界が真っ白に染まる。
エヴァは口を浸けた緑茶からビリリとしびれが発したのを感じ、口を離した。
「なっ!」
熱ではない〝何か〟により、エヴァの舌先は火傷をしていた。
「え……」
また、茶々丸の視界も正常に戻っていた。この間一秒にも満たず。
一人と一体が気付いた時には、屋上に千雨の姿は無かった。