マリアは簀巻きにした小動物を片手に持ち、悩んでいた。
それは、数時間前に聞いたアルカとエヴァンジェリンの会話が原因である。
「どうしようかなぁ……」
実のところ、マリアはあまり『原作』を覚えていなかった。大筋のストーリーは分かるのだが、細かな所までは覚えていないのだ。
確か、エヴァンジェリンの封印が弱まる、もしくは一時的に解かれるのが大停電の日だった筈だ。もし本気で襲われるとしたら、その日になるだろう。しかし、ここは物語の中ではなく、現実。それに、狙われているのはアルカである。例えアルカがネギより強いといっても、相手はかの有名な『闇の福音』だ。どう転ぶか分からない。
「どうにかして、協力体制を取れればいいんだけど……」
けれども、アルカのあの頑なな態度を見る限りでは、ただ断るだけでなく邪険にしそうだ。とてもじゃないが、協力し合うのは難しい。
大停電の日までエヴァンジェリンが大人しくしている保障はなく、アルカがエヴァンジェリンと戦って無事であるという保障も無い。
「うう、心配事だらけ……」
せめて、アルカの動向をつぶさに知ることが出来れば良いのだけれど、と思いつつ、マリアが深い溜息を吐くと、マリアの右手辺りから声が聞こえてきた。
「お嬢、どうかなさったんですかい? さっきから溜息ばかり吐いてますが……」
声の主は簀巻きにされた小動物、オコジョ妖精のカモミールだ。
マリアはカモを見て、ふと、思いついた。
「ねえ、カモくん」
マリアはにっこりと微笑み、告げる。
「ちょっと、私に雇われてみない?」
「は?」
第二十四話 大停電の夜
ここ最近、アルカ・スプリングフィールドは身の危険を感じていた。
「好き、嫌い、好き、嫌い、スキ、キライ……」
原因は、そう、自分が勤める店の店長である。
店の隅でおどろおどろしいオーラを振りまきつつ、花占いをする東堂店長は、いい感じに煮詰まっているようだった。
「いやー、時限爆弾を見てる気分だわ」
「恐ろしい事を言わないで下さい……」
ケラケラと笑いながらそう言う常連客に、アルカはげっそりした様子で言い返した。
「店長が爆発したら、被害を受けるのは、俺なんですよ……」
「ふふふ、そうね。もし爆発したら、ちゃんと教えてね。次はバニーか純黒のウエディングドレスだと思うの」
「え、何ですかソレ。店長が爆発したら、ソレ着せられるんですか? そんなモンこの店にあったんですか?!」
「うふふふふふ。店には無いわ……。ウチにあるのよ!」
「あんたの家かよ!?」
ほほほほ、安心して、ちゃんと店長が買い取ってくれるわ! と高笑いしながら常連客は去っていき、アルカは、いや、売らないでー!? と去っていく客に悲鳴交じりの声を上げたのだった。
身の危険ってエヴァンジェリンの事じゃないのかよ、と突っ込みが入りそうな、ある意味平和な日々を見守る目がある事など、アルカは気付かず、その日を迎える事となる。
『招待状 アルカ・スプリングフィールド殿
明日、遅ればせながら、貴殿の歓迎パーティーを開こうと思う。
場所は世界中広場。時間は午後九時から。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル
P.S. 貴殿が来ないのであれば、兄君を招待しよう。』
茶々丸からそれを受け取ったアルカは、苦い表情をしながら、その招待状を懐に仕舞い、店内に戻っていった。
その様子を見ていた小さな影が、走り去るのに気付かずに……。
* *
時刻は午後八時半。
周りは停電の所為で灯りは無く、暗闇に閉ざされている。
「あ、アルカくんがお店を出たよ」
「ふわー。よく見えるね、マリアちゃん」
アルカが勤める服飾用品店『KANON』を、店から三百メートル程離れた位置から、暗闇の中でマリアとネギは見張っていた。
「これ以上近づくと気付かれるかもしれないからね……」
「うう、僕が気配を消すのが苦手なばかりに……」
落ち込むネギをマリアが慰めるが、こればかりはネギの所為ではない。アルカが年のわりに気配に敏感すぎるのだ。
「それにしても、カモくんにあんな特技があるなんて……」
「腐ってもオコジョ妖精、肉食獣だからねぇ……」
二人はアルカの後をつけているだろう小動物に、思いを馳せる。
今回、アルカがエヴァンジェリンに呼び出された事を知る事が出来たのは、何を隠そう、オコジョ妖精カモミールのおかげだった。
「まさか、カモくんがあんなに気配を殺すのが上手だとは思わなかったよ……」
たとえ下着ドロの犯罪者、種族を超えた救いようのない変態に身を落とそうとも、その体に流れるのは小さくとも肉食獣の血だ。気配を殺し、辺りに溶け込み、獲物を狙う能力は衰えてはいなかった。
その能力や、邪な下心さえ出さなければ、双眼鏡にてアルカの受け取った手紙を覗き見ることすら可能としたのだ。
「肉食獣って凄いよね……」
なんという能力。
恐るべし、オコジョ妖精。
だが、しかし……。
「なのに、なんで下着ドロ……」
残念な気持ちで一杯になりながら、マリアとネギはアルカの後を追った。
* *
さて、何だかんだでエヴァンジェリンに呼び出され、アルカは世界樹広場にやってきたわけだが……。
「な・ん・で、お前等がいるんだ?」
眉間にふっか~い皺を刻み、アルカが睨み付けるのは、仲良く手を繋いで、てへっ、と笑うマリアとネギだ。
「えぇっと、何でだろうね? マリアちゃん」
「何でだっけね? ネギくん」
あらぬ方向へ視線を飛ばしながら、しらばっくれる二人に、アルカは深い溜息を吐く。
「もう、いい。いいから、お前等さっさと帰れよ」
しっしっ、と手で追い払う仕種を見せるアルカに対し、マリアとネギは、何にも見えない聞こえな~い、とばかりに目を瞑って耳を塞ぐ。
「お・ま・え・ら・な~」
アルカは口角が引き攣るのを感じながら、二人ににじり寄る。
「邪魔だって言ってるんだよ! さっさと帰れ!!」
それに対し、ネギは負けじとアルカを睨み返し、叫ぶ。
「嫌だよ! アルカを置いて帰れる訳ないだろ! エヴァンジェリンさんを相手にアルカ一人で立ち向かうなんて無謀だよ!!」
「何だと!?」
眦を吊り上げて、アルカはネギの胸倉を掴んだ。しかし、ネギはそれに怯む事無く怒鳴る。
「何で誰にも相談しないんだよ!? 僕だって、アルカが他の魔法使いに相談していれば、此処にアルカを助けてくれる人が居れば素直に帰るよ! けど、アルカは一人じゃないか! 何でも一人で解決しようだなんて無茶だ! それは、思い上がりだよ!!」
「なっ……!?」
一触即発。
そんな刺々しい雰囲気の中、睨み合う双子を横目に、マリアは走り寄ってきたカモを回収する。
「お嬢、何かあったんですかい?」
「ただの兄弟喧嘩よ。けど、正面きって言い合うなんて、初めて見た……」
いつもはアルカに対して罪悪感のあるネギが引くのだが、今回は全く引く気は無いようだ。
「このまま取っ組み合いの喧嘩になった方が、お互いの距離が近くなりそう……」
「いや、お嬢。それはちょっと、時と場所が悪いんじゃ……」
このまま上手く仲直りしてくれなだろうか、というマリアの願いは、カモの言う通り、あまりに条件が悪く、脆くも打ち砕かれた。
「おやおや。予定外のお客様がいるな。ようこそ、我が主催の歓迎パーティーへ。ネギ・スプリングフィールド殿、ならびに、マリア・ルデラ殿」
暗闇の中、月光に照らされ現れたのは、金の髪をなびかせて歩み寄る、妖艶なる美しい女。
その声を聞き、ネギとアルカ、そしてマリアは声の主の方へ視線を向けた――その、次の瞬間。
「「見ちゃダメ(見るな)!!」」
バッチーン!!
「痛ぁっ!?」
マリアはネギの左目を、アルカはネギの右目を、慌てて塞いだのだ。見事なコンビネーションだ。
しかし、咄嗟の行動だったため、うっかりネギの目を叩くかのような勢いがついてしまい、ネギが痛みに悶絶する。だが、マリアとアルカの手は離れない。
アルカは自らも目を瞑り、びしっ、と女に対して指をつきつけ、怒鳴る。
「何て格好してやがんだ、この痴女!!」
「パンツ丸見えの格好だなんて、健全な青少年に対して何考えてるんですか!? この変態!!」
「え? チジョ? チジョって何? 変態って、何? 変質者が出たの!?」
「んなぁっ!?」
アルカとマリアの抗議に対し、金髪の女はのけ反り、純粋なネギの反応に胸を抉られた。
金髪の女の格好は、上は黒のマントとボンテージ、下はすけすけのスカートと、それによって丸見えの黒いパンツといった姿だったのだ。
見えているのはパンツではなく、そういう衣装なのだが、少なくとも、純粋なお子ちゃま達にはそう見えず、色気たっぷりの妖艶な衣装を纏う女は、ただの露出狂に堕とされてしまったのだった。
「ちっ、これから大変な決戦が待ってるって言うのに、こんな痴女が現れるなんて……」
「お巡りさーん! 変態です! 変態がいます!! 助けて下さいぃぃ!!」
「ええぇぇ!? 変態!? 変態が居るの!? 吸血鬼対策はしてきたけど、変態対策はしてこなかったよ!?」
眉根を寄せて苦悩するアルカ、助けを求めるマリア、そして、二人に目隠しされながら慌てふためくネギ。
純粋なるお子ちゃま三人組の攻撃に、金髪の女、吸血鬼の真祖エヴァンジェリン・A・K・マクダウェエルは息も絶え絶えだ。もう止めてあげて、彼女のHPはもうゼロよ!
茶々丸が四つん這いになって撃沈するエヴァンジェリンの背を撫でながら、ふるふると首を振るも、お子ちゃま達は尚も騒ぎ続ける。
「いいか、ネギ。痴女の場合は痴漢と違ってタマがないから、蹴り上げてもあんまり効果は無い、が、しかし、少なからず効果はある。躊躇わずやれ」
「え、チジョって、チカンの仲間なの? チカンって、女性の敵でしょ? 前にアスナさんから習ったよ。そういう場合は、完膚なきまでに叩きのめせ、って言ってた!」
「おまわりさぁぁぁぁん!!」
騒ぐお子ちゃま達を前に、エヴァンジェリンは四つん這いの格好から遂に崩れ落ち、腹這いになる。その背を撫でる茶々丸は、必死になって首を振るも、お子ちゃま達は我が身を守る事に必死で、彼女の様子には気付かない。
ぶっちゃけ、戦う前から勝敗が決まりそうになっている。
純粋なるお子ちゃま達に変態の烙印を押されたエヴァンジェリンは、泣く子も黙る西洋のなまはげ、誇りある悪、闇の福音エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだとは、とてもじゃないが名乗る気にはなれなかった。だって、アレだ。あの様子だと、『エヴァンジェリン=変態』という図式が完成しかねない。
「ちゃ、茶々丸。一旦引いて、着替えてくるぞ」
「はい、マスター」
よろよろと立ち上がり、一度この場を去ろうとするエヴァンジェリンだったが、ここで、残念なお知らせが有る。
「あれ? もしかして、エヴァンジェリンさん?」
マリアが思い出してしまったのだ。
あれ? そういえば、エヴァンジェリンさんって、大人モードの幻術が使えなかったっけ? と、マリアが思い出し、改めて目の前の変態を観察したのだ。
「うーん? 似てる、かも?」
けど、『原作』では黒いドレスを着てなかったっけ? とうろ覚えの記憶を引っ張り出すも、思い出せない。
首を傾げるマリアに対し、アルカが口を開いた。
「いや、仮にも『誇りある悪』だぞ? そんな人間がパンツ見せて悦に浸っている訳無いじゃないか!」
『原作』のエヴァンジェリンの衣装などちっとも覚えていないアルカは、マリアにそう断言した。
「そうだよ、マリアちゃん。エヴァンジェリンさんは怖い吸血鬼だけど、変態なんかじゃないよ!」
「そっか。それもそうだね」
アルカとネギの言葉にマリアは納得し、素直に頷く。
純粋なるお子ちゃま達は、たとえ恐ろしい吸血鬼であろうと、有名な悪の象徴に対してちょっぴり夢を抱いており、それがパンツまる見せのエヴァンジェリンの存在を否定する。
そんなお子ちゃま達の夢を打ち砕く存在、吸血鬼の真祖エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
「マスター、しっかり」
「こんな、こんな筈じゃ……」
再び地に膝を着き、撃沈していた。
本当に、世界はこんな筈じゃなかった事ばっかりだ。
「もう、もういい……。もう帰る……」
「ああ、マスター。お労しい……」
悄然と肩を落とし、ふらつきながら去っていくその背中の何と哀愁漂う事か……。目からオイルが流れそうになるのを茶々丸は堪えつつ、エヴァンジェリンの後を追うのであった。
さて、無事に変質者を退治したお子ちゃま三人組は、再び緊張感を持ちつつ、恐るべき吸血鬼の真祖を待ち続けたが、遂に彼女は現れることは無かった。
エヴァンジェリンが現れなかった事に三人は首を傾げつつ、話し合う。
「そういえば、エヴァンジェリンさんって、具合が悪くて最近ずっと学校を休んでるんだ」
「もしかして、今日も具合が悪かったのかな?」
「成程。ネギ、お前お見舞いに行かなかったのか?」
「え、だって、怖くて…行ってない…です……」
ネギは最近のエヴァンジェリンの出席状況を語り、マリアは可能性を打ち出す。そして、教師としてお見舞いに行くべきだったかと悩むネギを見て、アルカは『原作』との違いから、エヴァンジェリンが風邪をこじらせたと判断し、納得した。
「やっぱり、教師としてお見舞いに行くべきだよね……」
「ネギくん、私も一緒に行くわ」
「俺も行く」
自分の命を狙う敵である存在を気にかけ、あまつさえ、お見舞いに行こうとする子供達。
そんな彼等をこっそり物陰から見守るのは、ネギとマリアに頼まれて、様子を見守っていたタカミチである。
子供達の様子に心が温まるのを感じつつ、タカミチはエヴァンジェリンに向かって静かに合掌するのであった。
* *
さて、大停電のその翌日。
不貞寝しているエヴァンジェリンが、子供達のお見舞いという名の襲撃に遭い、良心というか、プライドというか、そんな繊細なモノが抉られている、その頃。
遠く離れたイギリスのウェールズでは、ルデラ家の名物三兄弟は友人を迎え、酒を酌み交わしていた。
「いやー、今回は世話になったな、ロバート」
「いや、少し嫌味を言ってきただけだ。大した事はしてない」
日本から帰ってきたロバートの土産である大吟醸を早速開けながら、上機嫌でガルトはロバートのグラスに酒を注ぎ足す。
「これで、兄さん達の暴走も無くなる…いや、少なくなるかな」
「いや、俺はお前の暴走の方が問題だと思うんだが……」
機嫌良く酒を飲むランドに対し、ゴルトは眉間に皺を寄せている。
「しっかし、まさか麻帆良にあの『闇の福音』が居るとはなー」
「ああ、だが、あのナギ・スプリングフィールドの呪いと、学園結界により力を封じられているらしい。それに、あそこは優秀な魔法使いが多いからな。釘も刺したし、大丈夫だろう」
「そうか、なら、安心だな」
そう言って、酒を酌み交わす彼等は知らない。
噂の吸血鬼の真祖から、アルカに挑戦状が送られ、それにマリアが首を突っ込んだ事を。そして、その事を書いた手紙を、一番見られてはいけない人物に見られてしまう事を。
彼等は、まだ、知らない……。
騒動の本番は、これからである事を……。