ネギは頭上を見上げて、しずなに聞く。
「あのー、しずな先生。これは、引っかかった方が良いんでしょうか?」
「え?いえ、別にわざわざ引っかからなくても良いんですよ?」
「あ、そうなんですか。コミュニケーションを円滑に進めるために、引っかかった方が良いのかと思ったんですが」
しずなは困ったように微笑む。
「そんな事しなくても、円滑に進めますよ」
「そうですか? では」
ガラッ。
「あ」
黒板消しが落ちてきた。
「えい!」
それをネギはクラス名簿で打ち上げ、それは水の入ったバケツに当たり、そのまま転がったバケツに玩具の矢が張り付いた。
「「「「「お、おお~!」」」」」
その様子を見たクラス中の人間が神業に唸り、拍手する。
そんな中、ネギは教壇の前に立ち、言う。
「こんにちは。今日からこの学校で英語を教えることになりましたネギ・スプリングフィールドです。三学期の間だけですけど、よろしくお願いします」
一瞬の沈黙の後…。
「「「「「キャアァッ! か、かわいい~!!」」」」」
歓声が教室に響いた。
第十話 新生活の第一歩
次々に生徒達が席を立ち、ネギは女子中学生という名の津波に飲まれた。
「何歳なの~?」
「えっ!? その、十歳で…」
「どっから来たの!? 何人!?」
「ウェ、ウェールズの山奥の」
「ウェールズってどこ?」
「今どこに住んでるの!?」
パワフルな生徒達の勢いに、ネギは押され気味だ。
その向こうでは、生徒がしずなに確認を取っている。
「…マジなんですか?」
「ええ、マジなんですよ」
その質問に、しずなは微笑んで肯定した。
「ホントにこの子が今日から担任なんですかー!?」
「こんなカワイイ子もらっちゃっていいの~!?」
どんどん騒ぎが大きくなっていく中、ネギは声を張り上げる。
「あ、あの! 質問なら順番に聞きますから、席に座って下さい!」
「「「「「は~い」」」」」
ほぼ全員が声をそろえて返事をした。
ノリの良いクラスである。
「ええと、では、質問のある方は手を挙げて下さい」
「はい!」
勢いよく手を挙げたのは、出席番号三番の朝倉和美だ。
「ええと、では、朝倉さん」
「おお!」
「出たな、麻帆良のパパラッチ!」
はやし立てる声に、どーもどーも、と朝倉は手を振りながら立ち上がる。
「では、まず最初に、先生は十歳ということですが、学力の方はどれくらいなんですか?」
「大学卒業程度の語学力はあります」
「「「「「おお~」」」」」
全員が感心したような声を上げる。
「オックスフォードを出たという噂がありますが、それは本当ですか?」
「ええ、一応は…」
表向きは、そうなっている。
「では、最後に、皆が気になってることだと思うんですが…」
「はい?」
「「「「「好きな子はいますか~?」」」」」
お約束の中のお約束。
ほぼ全員が声を揃えて聞いてきた。
「へ? 好きな子?」
思い浮かべるのは、ただ一人。
ボッ!
「「「「「いるんだ~!!」」」」」
一瞬で真っ赤になったネギに、クラスは大騒ぎだ。
「誰? その子、どんな子~!?」
「その子の名前は!?」
「可愛いの!?」
「その子との関係は!?」
「その子も外国人!?」
「あうあう…」
一気に騒がしくなった生徒に、ネギは顔を真っ赤にしてうろたえる。
「いいちょ、止めなくていいの~?」
「いいんです。これは大切な事なんです! どこの女狐がネギ先生に色目を使ったのか知らなくては!!」
「女狐…」
「色目って…」
「ショタちょー…」
暴走する生徒達に、ネギは涙目だ。
この暴走は、一先ずはしずなが治めたものの、マリアはアスナ達の部屋にネギと共に居候する事が決定している。ネギの『好きな子』が知れるのは、最早時間の問題である。
興味津々の生徒達の視線を背中に感じ、頭を抱えたくなるのを堪えながら、ネギは授業を始めたのであった。
* *
「……よし、居ないな」
アルカ・スプリングフィールドは、現在逃亡中であった。
「はぁ……」
繁みの中、アルカは溜息を吐いた。
まさか、こんな事になろうとは……。
あの店長との鬼ごっこを始め、既に一時間は経っている。
この数年間、欠かさず鍛錬に勤しみ、鍛えてきた筈なのに、逃げ切れないとはどういう事か。
「あの店長、まさか忍者とかじゃないだろうな…」
アルカがそう思うのも無理は無い。
東堂店長は思わぬ所から現れるのだ。
逃げた先の木の上から降ってきたり。
逃げた先の天井に張り付いていたり。
逃げた先の三階の窓に張り付いていたり。
いつの間にか、後ろにいたり。
バッ!
アルカは思わず後ろを振り向くが、誰も居ない。
再びアルカは、疲れたように溜息を吐く。
あの店長との鬼ごっこは、既にホラーの域に達していた。
アルカは徐に懐から小袋を取り出して、それを撫でる。
この小袋の中には、アルカの師であった式神の紙が入っていた。
アルカの師であるアースとライラは、数ヶ月前にその役目を終えた。
もちろんアルカは悲しかったが、彼等は言ったのだ。これは、死では無いと。
ただ単に、今のアルカでは、この二人を実体化させられる実力が無いのだ。
それでも、今まで実体化させられていたのは、アルカの願いの結果である。
だから、早く強くなって我々をまた呼んでくれ。
そう言って、彼等は紙に戻ったのだ。
彼等ほどの式神を使役出来るようになるのは、一体何時になるのかは分からない。
けれど、可能性はゼロじゃない。
アルカは誓いを胸に、再び小袋を撫でた。
そして、小袋を懐に戻した瞬間……。
「見~つけたぁぁぁ!」
「ぎゃああぁぁぁぁ!?」
東堂店長が血走った目で繁みに飛び込んできたのだ。
「さあ! 可愛くなるんだぁぁぁぁぁ!!」
「嫌だっつってんだろうがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
アルカのホラー鬼ごっこは終わらない。
* *
「いや~。本当にごめんねぇ、マリアちゃん」
「いえ、良いんですよ。気にしないで下さい」
のほほん、という空気を撒き散らすのは、『フラワーショップ・スズモト』の店長、鈴本陽一だ。
鈴本が謝っているのは、マリアの住まいの事である。
前々から鈴本の家の離れを貸すという約束をしていたのに、それを守れなかったのだ。
「あの謎の爆発さえ起きなければねぇ~」
その爆発があったのは、つい二日前の事であった。
夜中に人の話し声がしたと思ったら、次の瞬間聞こえたのは爆発音。
何事かと思って様子を見に行けば、そこには誰も居らず、一部が崩れた離れが在るのみだった。
「爆発物なんて置いてなかったんだけどねぇ? やっぱり悪戯なのかなぁ?」
物騒だよねぇ、とやっぱりのほほんと言う店長に、マリアは苦笑いを浮かべる。
それは、絶対に魔法使いの仕業だろう。
だって、学園長の口元が引き攣っていたし、それに…。
「まあ、学園長が見舞金を出してくれたし、良い業者さんを紹介してくるらしいし、予定よりは早く直るみたいだから、安心だねぇ」
そう。学園長が見舞金を出し、業者の手配までしたのだ。
「学園長って、良い人だねぇ。この学園都市の代表なだけはあるねぇ」
のほほん、と笑うこの店長は魔法使いの事を知らない一般人だ。
それもあって、学園長は店長に気を使ったのだろう。まあ、当然といえば当然なのだろうが。
「あ、マリアちゃん。あそこがうちの店だよ」
鈴本店長が指したのは、商店街の中にある小さな花屋だ。
「これからよろしくね、マリアちゃん」
「はい、店長」
にっこり笑いあう二人は、のほほん、とした空気を撒き散らし、お互いの存在に和んだのであった。