人は誰もが聖域を持っている。
決して汚されない、恒久的な、唯一の場所。
人はそこで己自身を見つめ、避けられないサダメを見つめ、抗えない現実から逃避する。
聖域。
自分だけの場所。
それは人それぞれだろう。
自分の部屋、学校の教室、仲間が集まる廃ビル、街中にたたずむ朽ちた階段。
魂の安らぐ場所。
失われたく無い場所。
永遠であって欲しい場所。
……分かっている。
多分誰もが理解しているのだ。
そんなものは無い。
恒久的な存在など無い。
いつかは失われる。
それは侵略者――外的要因であったり、仲間内での不和――内的要因。
そういったもので容易く聖域は崩壊する。
そう、簡単に崩壊する。
砂で出来た城のようなものだ。
幾ら思い入れがあろうが、大切にしていようが……いつかは無くなる。
だが。
だからこそ人は聖域を大切にするのだろう。
失われてしまうものだからこそ。
終焉までのその時を――懸命に。
必死に守るのだろう。
「……そうさ、間違ってなんかいない」
今俺がいるこの場所。
ここは紛うこと無い聖域だ。
そして聖域は今まさに崩壊しようとしている。
――外的要因、侵略者によって。
ガン! ガン! ガン!
俺の目の前に存在する扉が大きな音を打ち鳴らす。
侵略者は扉をけたたましい音を奏でながら叩く。
それはまるで終局を告げる鐘の音だ。
俺をこの聖域から追い出そうと。
俺の聖域を無き者にせんと。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
今にもその扉は打ち破られそうだ。
だが俺は決して引かない。
この小さな小さな空間。
2メートル四方も無い空間。
この空間は俺の聖域だ。
――絶対に、守る。
「こらぁっ! さっさと開けろ! いつまで入ってるつもりだ!?」
侵略者は吠える。
「早く出ろ!」
「い、いやだね! ここは俺の聖域だ! お前なんかに渡してたまるかぁ!」
「分けの分からんことを言っとらんでさっさと開けろ! 殺されたいのか!?」
侵略者の声は必死だ。
よっぽど俺はここから追い出したいらしい。
くくく……いいさ、抗ってやる!
「はっ! 殺せるもんならやってみろ! 例え死んでもここから出ないぞぅ!」
「お、おい。今なら許してやる。だからさっさと……頼むからさっさと出ろ! げ、限界なんだ……!」
「俺はいつも限界だ!」
「私の方が限界だ!」
どうやらこのバトル、限界バトルのようだ。
どちらが先に限界を超えるか……見物だ。
「き、きさまぁ……覚えていろよ。後で必ず殺すぞ……!」
「俺は一生ここから出ないからいい」
「こ、こうなったら魔法で扉を吹き飛ばすしか……!」
何やら物騒なことを言い始めたぞ!
と、止めなければ!
「おいやめておけ。そんな事をすればどうなるか……頭のいいお前なら分かるだろ?」
「……ほ、ほぅ……何だ、言ってみろ? ど、どうなる、ははっ」
「……」
まあ、特には考えていない。
「ふ、ふあっはははは! もう限界だ! 扉を吹き飛ばすぞ!」
「や、やめろエヴァ! そ、そんな事したら二度とお前を起こさんぞ!」
「貴様に起こされたことなぞ一度も無いわ!」
「じゃ、じゃあこうしよう! 逆にこう考えるんだ! そこですればいいさ! あの何か妄想具現化? 出来んだろ? そこをトイレだと思えばいいさ!」
「あははははは! はははははっははははぁ!」
あ、駄目だ。
エヴァはもう駄目な感じになってきた。
しかし俺もまだ出れない。
出たくても出れないんだ。
ここだけの話、勢い良く座りすぎて便器に嵌ってしまったのだ!
トイレの! 便器に!
今の俺たるや、便器魔人なんて魔物的な名前で呼ばれることも厭わない感じだ。
この情けない姿をエヴァに見られるのは不味い。
――いや……逆に考えてみるか。
見られてもいい、そう考えればいい。
そうさ。
何を渋っていたんだ俺は。
別にエヴァに見られようが今さらだ。
もっと情けない姿も見られてきた。
そうだよ、今さら便器に嵌ってる姿を見られようがどうってこと無いわ。
明日って今さ!
「おい、エヴァ。さっきまでのは無しだ。入っていいぞ……ただし、静かにな」
「あははははははは! クカカカカカカカカカッカカァ!!」
「お、おいエヴァさんや。何どうしたの? 笑い声がやばいよ? 中の人がしんどいよ、それ」
「ケカカカカカカカカッ! 亜krmfだplgまぽgjmrgめぽrmがぺろgmれmがpm!」
「……」
……そうか。
もう、駄目、なんだな。
エヴァは既に、理性を、失っている。
なら、もう……駄目なんだろう。
この場をどうすることも、出来ない。
仮に第三者がこの場に現れるなんて奇跡が起きない限り……
「――どうかしましたかマスター? お手洗い前で一体何を叫んでいるのですか……?」
奇跡キター!
「ちゃ、茶々丸! 助けてくれ! エヴァに殺される! 被害者俺! 殺害現場トイレ!」
「……あの、意味が」
「だからトイレとエヴァがやばいの! 俺は今すぐにもエヴァに殺されそうなの! 事件はトイレで起きてるの!」
「……理解不能です。私は何をすれば、いいのですか?」
そう!
まずこの場で片付けるべき最優先事項は……!
「トイレを今すぐに一つ頼む!」
これしか無い!
■■■■
結論から言って間に合った。
最悪の事態は避けられた。
半狂乱のエヴァを茶々丸さんが別荘のトイレに連れて行き、丸く収まった。
しかし俺の尻は未だトイレに収まったままだ。
「……でも、これでいいのかもしれない」
自分の聖域。
唯一の聖域、トイレ。
ここでなら、一生を過ごすのも、悪くない。
何より幸せなことだと思う。
どこよりも安らげる場所で、永遠(とわ)の時を過ごす。
「……何て素晴らしい」
そう、素晴らしい。
素晴らしい、はずだ。
その、はず、なのに。
「……あぁ」
どうして。
涙が出る、んだ。
「あ、あぁ、あああ……」
いや。
分かってはいた。
聖域は壊されるんじゃない。
無くなるんじゃない。
どんな形であれ、最終的に自らの手で放棄するんだ。
一生安穏とした場所で過ごす、人はそれを出来ない。
人の精神はそれを許容出来ない。
いつかは出なければならない。
いつかは消さなければならない。
自ら。
だから、涙が出る。
それを知ってしまった。
現実に、聖域に浸ることで……俺は理解してしまった。
「あぁぁぁあぁ……ああぁぁぁぁぁぁ……」
「やかましいわ! 男がめそめそ泣くな!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「もっとやかましいわ! 別に大泣きしろと言ったわけじゃない!」
「……落ち着いて下さい。あなたは助かります」
「仕方ない。便座ごと破壊するしかないか」
――そうして、俺の聖域は失われたのだった。
次回予告
「え? おつかい?」
「ああ、そうだ。これをじじいの所へ持って行け」
「や、やだよ! 外こえーよ! 昨日外見たら何か刀持った変質者いたもん!」
「いてたまるか! あ、いや、まあ……いないこともないか」
「いるじゃん! やっぱいるじゃん! 外ってあれだろ? スーパーミュータントとかいっぱいいんだろ!? もう俺このvault(布団)から出ない! ノゾミハタタレター!」
次回・初めてのおつかい