藤堂和也と相坂さよ、二人の結末。
首から下が黒く染まった相坂さよだけが残り、藤堂和也は消えた。影に飲まれて消えた。生き残る事ができたというのに、それを拒否した。
彼は死にたいとは思ってなかった。生きたいと思っていた。
けれど、彼の世界が欠けてしまうのだけは、許容できなかった。
だからおとなしく飲み込まれた。世界で一番弱虫な藤堂和也の生き方だった。
門番は楽園がなければ生きていけないが、楽園も門番がなければ生きていけない。
それでも門番なのだから、楽園を犠牲にするわけにはいかない。
――傲慢な男。
女が泣いていた。楽園が泣いていた。門番を殺してしまった事に泣いていた。絶望と悲哀と後悔に満ちた声が響いていた。
静かに、寂しさを我慢して、誰にも知られずに泣いていた少女は、亡くしてしまった。
自分が自分から奪ってしまった。一人だった自分を救ってくれた人を。
壊れる。
壊れてしまう。
相坂さよが壊れてしまう。
ペルソナと融合しながらも意思を保っていられたのは偏に藤堂和也への想念からであった。それが崩れ去ってしまったとなればどうなってしまうのかは、明らかだった。
悲しみを叫ぶ相坂の顔に黒い線が延びていく。それは体から伸びていた。
植物の根のように幾本も伸びていき、侵食を始める。
それでも相坂は泣き続ける。侵食されていても、自分を失いつつあっても、もう、相坂さよが頑張る意味がなくなってしまったから。
なんのためにここにいる。なんのために、妹と出会えてからもこの学園に留まり続けていたのか。
一つしかない。
男がいたから。
好きな男がいたから。
成仏なんかしたくなかった。
一緒にいたかった。
散歩をしたかった。
もっと海に行きたかった。
妹に紹介したかった。
好きといってほしかった。
隣で歩きたくて、一緒に食事して、普通の恋人になりたかった。
クラスメイトに協力してもらって、ロボットに乗り移って、腕を組んで歩きたかった。
もう、全部、なにもかも、できなくなった。
自分が殺したから――
相坂さよの慟哭は消えないまま、彼女は侵食された。
白き肌も、髪も、魂も黒い悪意に飲み込まれた。
藤堂和也に恋慕した少女は消えて、涙を流し続ける悪魔が生まれた。
*
さよは声を上げ続ける。
大気が連動するかのように悲鳴を上げて暴風が巻き起こる。
大地が割れて大小の岩が飛び交う。
破壊。破壊の嵐。
――そこに意思はなく、意図はなく、泣いているだけであった。
エヴァはこの状況を作り出したものの真意を理解した。これは京都のときと似ているが、まだ状況は終わっていないのだ。
周囲はネギの故郷のまま、これが重要なのだ。トラウマを刺激する格好の素材だ。
エヴァが視線をネギに向けると、彼はもう叫んじゃいなかった。
震えながら、尋常じゃない汗をかきながら、荒い息で、真っ青になって、相坂を見つめているのだった。
彼の生徒だった相坂は悪魔になった。
守るべきの、守らなくちゃいけない、生徒を悪魔にしてしまった。この光景を作り出したものたちのような、悪魔に。
岩が焼け焦げた家に衝突し、倒壊する。もちろんそれは本当にあったことじゃない。サウザンドマスターがそういうふうに演出しているだけだ。
それだけでも、錯乱していれば事実と混同してしまう。本当に過去で起こったことなのだと。ここはネギの生まれ故郷なのだと。
風がネギの頬を掠めて血を流させる。髪を切っていく。そして、また岩が飛び交い、今度は石像を破壊した。
がらがらと崩れていく、ネギの知り合いだったもの。
「落ち着け! それは、ただの幻だ! 現実ではない!」
エヴァがネギに呼びかけるが、届かない。
わかっていた。もう、手遅れだ。
ネギのペルソナは侵食が始まっていた。首筋が黒く、染め上げられていた。
ネギの前に一匹の悪魔が現れた。マントを羽織った、卵型の頭に角が生えた悪魔。
ギザギザの口を大きく開き、ネギに殺意をむける。しかし、女性と老人が立ちはだかった。長い金髪を持つ美しい女とパイプを銜えた老人。
「――おねえちゃん。おじいちゃん」
ネギの呟きがエヴァの耳に入った。
悪魔は二人を気にも留めず、口から光を吐いた。それを二人が身を呈して防いだが、ネギを守るのが精一杯だった。
二人の足が石へと変わる。
足首だけだったのが膝、太もも、腰まで石になっていく。
胴体、腕、首、苦悶に満ちた顔。二人は時間もかからずに、物言わぬ石像になった。
そして、一瞬で破壊された。
風の刃で切断され、岩で押し潰されて粉々になった。
ネギを守ってくれた二人は、死んだ。
「止まれ! ネギ、ネギ・スプリングフィールド! これは現実じゃない! これは、これは、まやかしだ!」
その声は風でかき消された。
相坂からのものではなく、ネギの魔力が風の精霊と呼応して発生してたものだった。
ネギは泣いていた。誰も守れなかった自分を責めているのだと、エヴァは理解した。
無力さを、惨めさをかみ締めて、きっとネギは生きてきていたのだ。
だから力を欲した。
だからペルソナを手に入れた。
なんのために。
立派な魔法使いに、マギステル・マギになるために。
ではない。
もっと単純な、絶対の感情故に。
復讐のために、力を欲したのだ。
「――――――――――――――――――――――――――――」
ネギは絶叫を上げた。ペルソナが一気にその小さな体に侵食した。
肌が黒く染まり、赤毛の髪も黒に、瞳孔もなにもかも。服さえ、動きやすいズボンとシャツだったのだがいつのまにかフードを被っていた。
魔法使いの衣装だった。
ネギは空を飛んだ。もうやめさせたかった。誰も死なせたくないと願っていたのだろう。
悪魔となったネギは、悪魔となった相坂に戦いを挑んだ。
*
咆哮と悲鳴と懺悔、二人の悲しみが共鳴していた。
どちらも戦いなんか望んじゃいない。
一人は男のために、一人は滅ぼされた村のために。
救う力を与えられ、守る力を与えられ、その本質に気付くことなく、飲み込まれた。
意志が弱かった。心が弱かった。
そんなことはわかっている。わかっていても、ここまで導いた存在を黙って見過ごせるわけがなかった。
足は小さい。力は弱い。皮膚は擦り切れ、自慢の金髪は焦げてしまっていて美しさが損なわれてしまっている。
勝てるわけがないだろう。負けるに決まっているだろう。
そんなものは関係ない。
あんな二人を嘲笑し、好いた男を愚弄するものを許しておけるわけがない。
「――殺す!」
エヴァは走った。魔力を封印されて落ちこぼれの魔法使い程度の力しかなかったが、気にも留めなかった。
触媒を手に持ち詠唱する。
「魔法の射手・連弾・氷の17矢!」
超初歩的な魔法。それでもまっすぐ向かうのではなく、あらゆる角度から襲うように工夫をした。
サウザンドマスターは微動だにすることなく障壁で防いだ。
エヴァは距離を詰めてその細い腕で殴りかかった。
もちろんこれも障壁にあたり、皮膚に届かない。ニヤついた笑みを浮かべる男に、届かない。
「なにをそう怒っているんだ? エヴァンジェリン」
不思議そうに尋ねてくる。それがエヴァの心をさらに尖らせる。
「願いが叶っただけだ。なにをそんなに怒っている。なにをそんなに悲しんでいる」
「ふざけるな! この、人形が!」
「俺はふざけてなんかいない」
サウザンドマスターはエヴァの胸倉を掴み、地面にたたきつけた。
「お前も気付いているだろ。俺はあくまで願いの結果としてここにいるだけだ。俺はナギ・スプリングフィールドではなく、サウザンドマスターとして呼ばれた。呼んだのは向こうで倒れているガキどもだ」
「そんなことはどうでもいい!」
「まあ聞け。あいつらは魔法世界から留学してきたやつらだ。なにを思ってここに来たかというと、勉強の為だとかそんなわけはない。あいつらは英雄願望を持っていた。魔法を使ってここの世界の人間を助けてやろうってな。随分と傲慢だ。そうは思わないか」
エヴァは答えない。サウザンドマスターを睨みあげて歯を食いしばっている。
「ところがだ、実際はなにもできない。やることといえば学園の修復。戦闘要員のサポート。誰でもできる仕事だ。特別なんかじゃない。ちっともな。それが我慢できなかった。だからあいつらは願った。敵を、悪を、自分たちが正義の味方になるための踏み台を――」
サウザンドマスターがエヴァのもとから飛び退った。直後、彼のいた場所を巨大な剣が走っていった。
気絶していたはずの神楽坂がいまはハリセンではなく分厚い剣を担いでいた。
神楽坂は逃げたサウザンドマスターに跳躍し、全力で斬りにいった。
「頑張るじゃないか、中学生」
空中で移動し、斬戟を避けるサウザンドマスター。
「うるさい! あんた、絶対に叩きのめしてネギを元に戻させてやるんだから!」
「そんとおりや!」
逃げた先で犬上が式神を乗せた拳をたたきつけた。物理と気の相乗。今度はサウザンドマスターの障壁を歪ませた。
「それだけやない、藤堂の兄ちゃんも相坂いう幽霊の姉ちゃんも――!」
言葉を遮るかたちでサウザンドマスターの拳が犬上の懐に入った。
体勢が崩れたところを杖で殴られ、また地面に落ちていく。
サウザンドマスターはエヴァ、神楽坂、犬上を見下ろしたままため息をついた。
「ネギと相坂ならばまだしも、藤堂和也までもとはな。あいつは、ただの影だぞ」
「知っている。藤堂尚也というもののシャドウだったのだろ」
エヴァの答えに、サウザンドマスターは横に首を振った。
「それは嘘だ。あいつは誰でもない。誰かのシャドウでもない」
「――そこから先はあなたが言うべきことではありませんわ」
高音が背後から影を纏った状態で殴りかかった。これも避けられたが、追った。空中に影で足場を形成し、サウザンドマスターに密着した。
シャドウとの戦いで疲労しているにもかかわらず動作の一つ一つが機敏であった。強くなっていた。
エヴァは少々驚いたが、納得した。己の弱さを、醜さを認められたのだから当然だった。
それでも、拳は届かない。
高音の従者である佐倉も遠距離から援護をしているが、まだ足りない。
英雄は偽者でも英雄であった。
残酷なほどに、悪魔よりも恐ろしく遥かな強さを兼ね備えていた。
「影使い、お前は気付いているんだろうな。悪意に敏感な、お前は」
サウザンドマスターは笑っている。
「黙りなさいといっています!」
「嫌だね。だって――言ったほうが愉快だからな」
風の魔法で高音を吹き飛ばす。そのとき、エヴァの従者である茶々丸が傷だらけの体で接近して障壁に手を触れた。
「駄目だ! 茶々丸それは!」
「障壁解除プログラム展――」
茶々丸の言葉が止まった。腹を、杖の先端で貫かれた。
損失、異常、茶々丸の瞳にエラーの文字が浮かんでいた。通常運行が危険であると判断されて強制終了されたのだ。腕から力が抜けていき、蹴り飛ばされて地面へと自由落下していった。
エヴァの目の前で、鈍い音がした。また一人親しきものが奪われた。
「哀れな機械だ。あいつを弟などと擬似的家族関係に置こうとして、精神の安定を図ろうとする」
「それがいけないことですか! それが! それが!」
高音が強く叫んだ。
「愚かだと言っているんだよ。あいつは、藤堂和也は、そんなものではない。お前たちが憎む悪意そのもの」
サウザンドマスターがそれを言った。
「あいつはニャルラトホテプ、大いなる悪意そのものだ」