「マハブフダイン!」
俺の叫びに青龍が呼応して氷柱を乱立させる。
流れる川もその動きを停めて固体となる。
それを神取はまともに食らったうえで、
「さすがに、強い」
「平然とした顔で言ってんじゃねえよ」
変わらぬ口調でいた。冠かぶったタコみたいな気色悪いペルソナで防ぎ、ではなく耐え抜いたのだ。
俺は魔法を止めて懐に飛び込み、格闘戦で挑むことにした。魔法が通じないのなら物理的に破壊する。
殴り合いでなら俺が必ず勝つはずだ。
「私もろくなことができないので、ありがたい」
「――!?」
顔に一撃、腹に拳を滅多打ち。胃袋から逆流してきそうになったので歯を食いしばると腕を捕られ、投げられた。
俺は自分で凍らせた川に背中から叩きつけられてしまう。痛みとショックで呼吸が出来ない。
何が起こったかわからない。流れるような動作である。熟練している。
「これでも家柄はよかったのでな、護身術ぐらいは習得している」
「き、聞いてねえ」
「教える義理もなかろう」
神取は俺の腹の上に跨り、顔に目掛けて拳を振り下ろしてくる。
腕で覆えば今度は胸、入る度に俺の呼吸が止まり、このままでは心臓停止も時間の問題。
こんなの護身術じゃねえよ。
「青龍!」
「ぬうっ!」
以前、高畑とエヴァとの試合のときみたいに爪で引っ掻かせる。
注意が逸れた!
俺は無理矢理に神取を上からどかして走りだす。
やってられるかこんなやつと。
真正面から殴り合ってもハードとソフト、両面で負けているんじゃ勝ち目がない。
「逃がしはせんよ」
背中に追撃を受けて転ぶ。
蹴りか何かを入れられたのか、ジンジンと熱を持って疼いていた。
「少しばかりは見所があるかもしれんと思ったのだが、やはりつまらん。逝きたまえ」
「――ッ、サキュバス!」
「ムドオン」
命を刈り取る即死の呪文。
寸前でチェンジできたので俺の命はまだ残っている。しかし、これは僅かに伸びただけに過ぎない。
「未練がましい」
「し、死にたくねえんだよ!」
「生きる目的も夢も持っていないものが何を言う」
ペルソナを呼び出して俺を蹴りつける。
右腕は打撲で済まずに骨折。マカラカーンをしたところでこいつがやっているのは単なる物理的な攻撃。反射どころか壁にもならない。
「やれ!」
それでもサキュバス唯一の攻撃方法である鞭をしならせる。いくらMOONであってもこれは強力な技の一つ。
足を止めるぐらいには、なるはず、と思ったが。
「正面から来て勝てるとでも?」
神取はペルソナに軽く腕を払わせた。
それだけで、俺はサキュバスごと吹っ飛ばされてしまったのだ。鞭の攻撃は全く聞いた様子は無く、乾いた音のみが鳴り響いただけで今度は肋骨を数本折られる羽目になってしまった。
息も荒くなって汗が大量に滲んでくる。痛みに顔をしかめながらも見下ろしてくる神取の顔を睨んでいたら、おかしなことを口にした。
「ペルソナも使いこなせず、這いずり回ることしかできないのかね」
舐めきった、馬鹿にしきった口調。
しかしそれに腹を立てるよりも神取が放った言葉に疑問符が浮かんでくる。
俺はアキにこの力を授けられた時に知識も与えられていた。だから、二種類のペルソナを使えている。それなのに使いこなせていないということはどういうことだ。
「ふん!」
俺が海にやったかのように肩を砕かれた。どういう意図かはわからないがまだまだ俺を戦闘不能にする気はなさそうで、左腕を残してくれやがった。
お前がそういうつもりなら往生際を悪くしてやるさ。
チェンジ、青龍。
「ジオダイン!」
轟音が唸り、閃光が視界を奪う。
暗闇に慣れた目でこいつはきついだろう。それに電撃どころではなくむしろ天より落とされる雷なのだからダメージもあるはず。
生じた隙を突き、自分の意志ではもう動かない右腕をぶらさげて俺は森の中に逃げ込んだ。
「いくら隠れても共振がある限り逃げ切れはせん」
「わかってんだよ、そんなことは!」
声を出さなくてもどうせ大体の位置は察知されているため、黙っていずにああいえばこういう。
力が足りない。
「そんなに生きていたいのかね。幻に縋り、泡沫の夢の中でもぼんやりとしか過ごせないものが」
「うるせえな。どうして手前はそこまで俺を生かしておきたくないんだよ!」
「言ったではないか。こんなもの、終わらせたいのだ」
「だったら一人で死にやがれ。俺はまだまだ生きていたいんだよ。まだ数日だぞ」
「一人では―――死ねんのだ」
俺は身体を前のめりにさせて駆け出した。
「つまらん。逃げることしかできんのか」
「死にたくないって何回言えばわかんだよ」
神取は俺がさっきまでいた場所をペルソナに攻撃させた。
そこそこの太さがあった木々がへし折られ、大地を震わす。
青龍ではムドオンで即死。サキュバスも同じ魔法が使えるが特性なのかこいつには通用しない。もちろんドルミナーなども同様。
「刹那的快楽に身を任せ、君は何をしているのだ」
どこか落胆が混じった神取の声。
「君は何故生きたかった。生きる理由があったのではないのか」
五寸釘で呪いを穿っているかのように穴が発生する。
俺をいたぶってそんなに楽しいかよ、この野郎。
「うるせえ!」
俺が尚也に投げかけた言葉。それをいやがおうにも喚起させる。
言葉にするには多すぎる理由。
奥歯が軋みをあげる。
冷静になれ。
俺は生きていたい。飯も食いたい、酒も飲みたい、人生を謳歌したい。
だったら、邪魔をするこいつは俺が殺してやる。
どうやってだ。
そんなもん、方法はともかく武器は一つしかない。
なら、それを有意義に使うだけだ。
使いこなせ。
*
「もう諦めたのかね」
俺の目に神取の姿が映る。
太い木で顔が半分隠れているが、狙いを外すようなことはない。
「私としては望んだ結果になったこともないのだが、些かつまらんな」
安心しなよ。
引っかかってくれたらそんなこと思うことすらできなくなるからな。
「言い残すことはあるか?」
「あってもお前に伝えてどうする」
「それもそうだな」
即興で思いついたにしては上々の出来の策だ。
タネはたいしたことなくても、自信はあるし、一瞬で片はつく。
「最後に教えておこう。私のペルソナはニャルラトホテプ。フィレモンと相対するもの、傀儡の作成が得意だ。まったく、私と相性がいいはずだとは思わないかね」
ああ、そいつはお前ぐらいにしか扱えないだろうよ。
「では、さらばだ」
ニャルラトホテプの足が心臓の位置へ向かう。
一瞬、それが勝負の要だった。
言ったよな、お前は。
『這いずり回ることしかできないのか』
無様だよな、這いずり回るってのは。
だがよ、それでもだ。
その前に言った『ペルソナを使いこなせず』とかいうのが無ければな、手前を殺すぐらいはできるんだよ。
「サキュバスだと!」
お前が俺だと勘違いしていたのはそうだ、サキュバスだ。
俺はペルソナを接触する寸前に消す。
そして瞬時に青龍にチェンジ。
サキュバスは人型のペルソナ。
月明かりが届かないこの森の中だと判別には目ではなくペルソナ同士の共振に頼ってしまうはず。だから間違えた。
あと一手。
「そこか!」
神取が顔を上げた。
この木は樹齢が相当いっているようで、枝も人が乗ろうが折れることはない。
お前もそれで上を見たんだろう。
でもな、でもな、でもな、お前の腐った目に見えるのは浴衣だけだよな。
俺がいるのはな、
「ここだクソ野郎―!」
青龍が牙を剥き出しにして神取の腹に咬みついた。
*
「寒かった。さすがにこの時期にこの格好は寒かったぜ!」
「――まさか、寝そべるとは、な。驚、いた」
骨にも内臓にも届いているっていうのに、よく喋れるもんだ。
「これが使いこなすってことだろう。神取よお!」
「そう、だな。見事だ」
「お褒めいただきありがとよ。でもな、そんなことを言われてもな、」
青龍に爪までも食い込ませる。
「手前はなー、半殺し程度じゃすまさねえ!」
骨が砕けるのが伝わってきた。
あんまりよ、人を舐めきっていたら足元すくわれるってのを、教えてやる。
これだと食われる、だな。
興奮しているせいで汗が流れる。
これで俺の、俺の、俺の、
「俺の勝――」
ち……のはずなのに、膝が笑って立っていられない。
まさか、こんな、最後の最後に燃料切れかよ。
俺は堪えきれずに倒れこんだ。
湿った土が冷たいな。
「惜しかった」
もうペルソナも消えていた。
そうか、そりゃそうだよな。
十数回も使えることができたら燃費のいいほうだ。
それなのに発動させっぱなしにしておくなんてのは、蛇口を常に全開にしているようなもん。
あっという間に底をつく。当然だ。
まだ、死にたくねえ。
「数秒、それだけあれば私を殺すことが出来ていたのだが。残念だ」
何がだよ。
ペルソナを出す力どころか身体を動かす力も残っていない。
見えていたエラー。
タンクの残量。
まだ死ねない。
俺はまだ生きているのに。
「………」
ちくしょう。
死にたくねえよ。