風呂から上がったユウは、エルフの少女、マツリにハーブティーをご馳走された。「お風呂上がりにいい。体が温まるから」 そう言って勧めてくれたのだが、正直なところ、ユウは気が進まなかった。 他人の入れた飲み物を口にするという行為自体、あまり好きではなかったし、なんだかわからない葉っぱで淹れた飲み物には、まったく食指が動かなかったのだ。 そのうえ、ユウは悩んでいた。 風呂場でのマツリの発言である。 NGLに行く。 その行為は、敵の強さを肌で感じられないぶん、よけいに怖い。 さらに、おおきな問題がある。 カミト、シュウ、アズマ。切れ者三人が、まとめてリマ王国へ行ってしまったいま、相談できる人間がいないのだ。 むしろユウが相談を受ける立場にあるという恐ろしい状況である。 この問題に関しては。「とりあえず、明日みんなに相談して考えよう」 と、マツリには言っておいたのだが、意見をまとめる立場として、考えておかなければならないことは無数にあった。 そんなことを考えて飲む茶が旨いはずがない。 それでも薬効はあったのか、体が火照ってきた。眠気を覚えて、ユウはあくびをかみ殺した。「眠くなってきた?」「ああ。もう寝させてもらおうかな。じゃあ、マツリ、またあし……た……」 席を立とうとして、ユウは机に突っ伏した。 体に泥がまとわりついたように重い。強烈な睡魔が、波のようにユウの意識を削っていく。それが自然ならざる要因によるものだと気づいて。 ユウの最後の意識は、睡魔にさらわれていった。 つぎに目が覚めた時、ユウはベッドの上に転がされていた。 マツリの家の客間ではない。 窓が小さい、閉塞感のある部屋には、ベッドが一つあるきりだ。ユウはすぐに、ここがどこなのかを把握した。 飛行船の個室だ。 細部は違うものの、つくりに見覚えがあったし、なによりこのゆったりとした浮遊感と、微細な振動は、飛行中の船特有のものだった。「目が覚めた?」 不意に、声をかけられた。マツリのものだ。振り返ろうとして、ユウは自分が縛られていることに気づいた。「これはひどい」 自分の状態を確認して、ユウは思わずつぶやいた。 マツリに借りた、微妙にきつい寝間着の上から、体のラインをおもいきり強調するように、細い紐で亀甲縛りにされていた。 しかも微妙に縛りがきつい。 紐が細いせいか、口にするのがはばかられる部分に、思い切り食い込んできていた。 この恰好のまま搭乗口を渡らされたのかと思うと、ひどいとしか言いようがない。「マツリさーん。ちょっと怒らないからこの紐を解いてくれないかな」 無理やり笑顔を作って、ユウはマツリに呼びかけた。 力を入れれば千切れそうな細い紐だが、相当丈夫にできていた。 そのうえ、力が入られないよう心得て縛ってあるので、自力ではどうしようもない。「怒られるからいや」 ユウの額に血管が浮かんだ。「怒られると思ったのなら……」 口角をひきつらせながら、ユウは怒りを押さえつけて話す。「なんで無理やり拉致なんてしたんだ。レットも変態仮面も賛成してたし、俺も協力していいと思ってたんだぞ?」「でも、明日みんなで話すって言った」 マツリが言う。背中越しなので、ユウには表情が見えない。「あの三人とも、連絡取るでしょ? あの人たちは反対する」「……それがこんな暴挙に出た理由か」 ユウはため息をついた。 初対面のアズマはわからないが、カミトやシュウは、NGLに行くことに否定的な意見を出すことに間違いはなかった。 だけど。 結局、最終的にはNGLに行くことを了解してくれる。ユウはそう確信していた。 だからこれは、マツリの早計だったと言わざるを得ない。 仲間たちに筋を通して、その上でNGLに向かうほうが、こんな暴挙に出るよりも、ずっと成功率は高い。ユウはそう考えていた。 それを伝えようとして。 ユウの視線の温度が零下に落ちた。「たっだいまー! エルフさん! そろそろ到着するっスよー!」 調子に乗った馬鹿がドアを開けて入ってきたからである。 ユウの怒りのすべてが、彼に向けられたことは言うまでもない。 ユウたちがいなくなって、残された面々は大混乱に陥った。 最初に気づいたのはミコだった。テーブルの上にあった置手紙を読んで、彼女たちがなぜこの場にいないか理解したからである。「ど、ど、ど、どうしましょう!?」 ミコはあわててツンデレに相談したが、ツンデレも、どうしていいかわからない。「ど、どうしよう!?」「落ち着け。慌てるで無い。先ずは皆と相談せよ」 慌てふためくふたりを見かねて、ロリ姫が口をはさんだ。 とりあえず変態仮面に声をかけてから、セツナの家に向かおうとしたふたりだったが、そこでレットの姿も消えていることに気づいた。 それが混乱を助長することはなかったが。 セツナの家に向かい、すでに目を覚ましていたライに居場所を聞いて、眠りこけているセツナをたたき起したところで、ツンデレたちはさらに動転した。 少なくとも半日は、カミトたちと連絡が取れないことを知ったからである。 国柄、個人の携帯電話での国際通話ができないのだ。 カミトたちが国境を超えたのは今朝がた。目的地に着くまでは連絡のとりようがなかった。 マツリのほうも同じで、携帯を切っているらしい。連絡が取れない状態だった。 さすがに、こんな変則的な事態では、セツナも納めるすべがない。 ライは相変わらず口を開かないし、変態仮面は変態だし、ミコはおもにユウの心配をして慌てるばかりだしといった風で、結局考えるのはツンデレの役目になってしまった。「――二手に分かれましょう」 さんざん考えたのち、ツンデレは断を下した。「アズマたちの意見を聞けるのが、一番いい。だけど、半日のロスは取り返しのつかない事態を起こしてしまうかもしれない。 ――だから、分かれましょう。ここに残ってアズマたちに相談する人間と、追いかける人間に」「わたくしは追いかけさせてもらいますわ」 たおやかに手を挙げたのは、ミコだった。 「わたくしの念能力なら、広範囲の捜索が可能です。たとえユウさんたちがNGLに入っていたとしても、きっと探し出して見せますわ」「自分も、行く」 長身を揺らして口を開いたのはライだ。オールバックの髪は、早朝からピッチリと固められていた。「もちろんわたしも行かせてもらうわ。セツナとパンツ仮面さんはアズマたちに連絡と、ここの守備を任せる。できる限り早く帰ってくるから――任せたわね」「ふっ。まかせてもらおう」「うむ」 ツンデレの言葉に、セツナが髪をかきあげながら了承し、つづいて変態仮面がうなずいた。 五月二日、午前八時過ぎ。彼女たちはマツリたちを追いかけ、NGLに向かった。 当然のことながら、マツリ失踪の知らせを最後に知ったのは、カミトたちだった。 Greed Island Online の管理人、ソルを中心とするコミュニティーに存在する専用の回線を使って、セツナたちと連絡をとったカミトは、一連の報告を受けて、受話器をとり落としそうになった。 話を聞いて、錯乱しそうなほどに慌てたのはシュウである。 ユウの親友を自称するこの金髪の少年は、すぐに引き返してマツリたちを追うことを主張した。 アズマはこれに反対した。ここですべきことがあるというのがその理由である。「冷たいな。オマエの連れも、下手したら巻き込まれるんだぞ」 アズマを睨みつけながら、シュウが言った。焦りのさまがありありと見て取れる。「あいつが戻ってきてから、あいつの保護者はやめたんだ。対等の相棒として、あいつが下した判断は否定しない。あいつがあいつのできることをやっているなら、俺は俺ができることをやるだけだ」 シュウの視線を真っ向から受け止めて、アズマは答えた。「正論ね」 カミトがうなずく。「ここで念能力者を物色することは、わたしたちしかできない。だったら、わたしたちがすべきことは――全速で仲間を集めて引き返すこと。違うかしら?」 シュウは、しばらく答えなかった。 カミトがシュウを説得するつぎの言葉を放とうとしたとき、シュウはやおら口を開いた。「半日だ」「え?」「半日で念能力者を集めるぞ」 そう言うと、シュウはソルに、コミュネィティーのみなを集めるよう依頼した。 シュウの瞳には、決意の炎が燻っていた。 仲間を助けるために。 三様の思いが、彼らの心をNGLに向かわせた。 だが、NGLではすでに絶望の芽が萌芽していた。 かの国の最奥に、巨大な土山がある。 否。これは蟻塚、住まうはまがまがしき異形の蟻の群れであった。 土で固められた鍾乳洞のような空間に、乱雑に積まれているのは肌色の山。 人だ。裸に剥かれ、目や口から体液を垂れ流している彼らは、生きていながら、すでに食材である。 その間を行き交うように、異形の蟻が闊歩していた。「ヂートゥ?」 声を上げたのは、人ではない。蟻の一体だ。節足を持つ、二足歩行の白き大虎の姿をしている。「そ。コルトにハギャにザザン――みんな名前をつけた」 返事をしたのは、隣り合って話す、チーターの姿を模したキメラアントだ。 白虎はフンと鼻を鳴らした。「下らん」「なんで? 名前があったら便利じゃねーの?」「兵隊アリに個を示す名など不要だ。要らぬ自我を芽生えさせかねない……効率的であることは認めるがな」「……相変わらずあんたの言うことはわかんねーな。ま、そういうことで、これからオレ、ヂートゥだから。お前、とかそこの、じゃ返事しないからな!」 離れていく白虎の背に、ヂートゥは何度も声をかけた。「ちぇ」「あの方たちに言っても無駄だぜ? ヂートゥ」「ハギャか」 ヂートゥは振り返った。 声をかけたのは、獅子の形をしたキメラアント、ハギャだった。「頭硬てーんだよ。なにしろ“最古の三人”だからな――ま、強ぇのは認めるけどよ」 キメラたちは、白虎の背を見た。そこからは、彼らには理解できない、莫大な量のエネルギーが放射されていた。