急に飛び込んできた声に、一同は戸惑った。 不意を打たれたこともあるが、それ以上に、聞き覚えのない声だったからだ。 ユウは戸惑いながら、声の源――窓の外を見た。 姿は見えない。夜目の効くユウだが、明るい場所から闇の中を見通すのは、勝手が違う。それでも闇のむこうに誰かいることはわかった。 闇の間境を超えて、彼らは姿を現した。 ふたり連れの男だった。 影のない笑みを浮かべる金髪の貴公子と、端正だが影のある面差しの、黒髪の優男。ふたりのオーラに、揺れはなかった。静かで、力強いオーラだ。 窓の縁まで来て。金髪の貴公子は、さわやかに笑った。「やあ。はじめまして。自己紹介をさせてもらうよ。僕の名はソルだ。こっちはレフ」 彼は自ら名乗った。いっしょに紹介された連れも、こちらはにこりともせずにうなずいた。「え?」 と、声を上げたのはカミトである。「ソルって、あのソル? Greed Island Online の管理人のひとりの?」 よほど驚いたのだろう。カミトは常になく目をまん丸にしている。 カミトの言葉で思い当たったのだろう。ほかの数人も声を上げた。 ソルの名は、ユウも知っていた。 Greed Island Online の存在は早くから知っていたし、同胞狩りを釣り出すために、常時アクセスしていたこともある。管理人の存在と名前は、頭に入っていた。 印象としては、“人がいい人”。究極的には競争相手でしかない他の同胞に、グリードアイランド攻略の要とも言える情報を、自分から惜しげもなく与えていたことが、ユウの記憶に残っていた。 現れた実物のソルは、その印象からまったく外れない、人の良さそうな好男子だった。 迎えに出たセツナとともに部屋に入ってくるなり、ソルは白い歯を見せ、笑いかけてきた。「はじめまして。ネットでは知っている人もいると思うけど、ボクが電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人のひとり、ソルだ。よろしく」 言いながら、ソルはみんなに握手して回った。 かたく手を握られ、ユウはあっけにとられた。癖者ばかり見てきたユウにとって、はじめて見るタイプの人間だった。「セツナの本物だ」 ぼそりと、マツリがつぶやいた。 ユウは思わず噴き出した。「はっ――はははははっ! マジだ! 比べたらセツナがパチもんっぽい!」「ヤバイマジツボに入ったっスよ!」 レットも机をバンバン叩きながら笑い、ほかのみんなも笑っていた。さすがにカミトやアズマは自重していたが、それでも肩がふるえている。 ふたりの容姿はそれほどよく似ていたし、自信あふれるソルに比べれば、セツナの格好つけは、薄っぺらく見えたのだ。「はい、そこまで」 いきなり、ユウは口をきけなくなった。 ソルの指先が、不意に彼女の唇を抑えたのだ。 ユウは愕然とした。避けられなかった。速かったわけではない。だが、彼の唇が指に当たるまで、動けなかったのだ。「人を侮辱するのはよくないよ。ましてや面と向かって笑うなんてとんでもない。彼にも名誉があるんだ。それを傷つける行為は、結局おのれをも傷つけることになる。気をつけないとね」 正論である。しかも、セツナだけでなく、ユウをも気遣った言葉だ。 ソルの笑顔には、なんの底意も見られない。「……セツナ、悪い」 気がつくと、ユウは謝っていた。 一直線の正論には、それだけの力があった。自分が恥ずべきことをしていた気になって、ユウは顔を赤らめた。「イケ面は死ねばいいっスのに……」「なんでなんでなんでなんで顔を赤らめているのかなお兄ぃは友には一度もそんな顔見せたことないのに……」 約二名が小声で呪詛を唱えていた。 一方、ユウの謝罪を見て笑顔でうなずいたソルは、振り返って皆を見渡した。「ボクたちはいま、リマ王国で、五十人ほどの同胞とともに、コミュニティーを作っているんだ。いわばセツナくん。キミがやったことの二番煎じだね」 なんのてらい(・・・)もない様子で、ソルが笑いかける。 セツナのほうは、うろたえてしまって、生笑いで応えていた。「それで、ここへはどんな用で?」 セツナに会話を任せておけないと思ったのだろう。カミトが口をはさんだ。「キミは?」「カミトよ」「カミト……Greed Island Online では見なかった名だね――そうそう、要件をまだ言っていなかったか。これは失礼。 そう、ボクたちがここを訪ねた要件。それはまさに、キミたちが話していた事柄についてなんだよ」 澄んだ青い眼で皆を見渡すと、ソルは話しはじめた。 リマ王国は、ドナ川中流域の小国である。位置的には、ユウたちが集まっているカピトリーノの丘から、北東に三百kmほど行ったところにある。ヨルビアン大陸東部特別開発地区とは、近接していると言っていい。 形としては王国ではあるが、実際は軍部が政権を担う軍事政権である。王室との関係も悪くなく、軍部を掌握している指導者ポドロフが老齢であることをのぞけば、政情に不安はない。 ソルたちは仲間を連れて、この国を訪れた。 ソルたちは歓迎された。多くの者がライセンスを持つプロハンターであり、全員が念能力者なのだ。体制に取り込めればよし、そうでなくとも、ただ居るだけで、なにがしかの抑止力が期待できる存在だった。彼らの中にはハンター協会とつながりの深い者もいたので、なおさらだったろう。 しかし、ここにも、セツナたちと同根の不安があった。国家の体制上、外からは閉じられた国である。キメラアントに対しては、どうしても備えておかねばならなかった。「――つまり、手を貸せと?」 口をはさんだのはシュウである。目元にまだ怒りの名残があった。 ソルはこれに首を振った。「いや、協力さ。キメラアントに対抗するアイデアや情報、キメラに対する警戒網の構築に関してね。キミたちにとっても悪い条件じゃないはずだよ」 助力ではなく協力。ソルが言ったことはそれだった。 ユウたちにとっても、願ってもない話だった。 地勢上、東と北からの警戒網をほぼ任せておけるのだ。それだけ人手を使わずにすむ。 シュウが、にやりと笑った。「なるほど。Greed Island Online を構築したあんたらしい考えだ。俺はいいと思うが――どうする?」「わたしは賛成」 賛意を表したのはカミトである。「特にデメリットもないしね。メリットも多そう……念能力者を融通してもらうことは、可能かしら?」「ああ、構わないよ。ただ、こっちは寄り合い所帯、と言うか、大所帯のせいで、キミたちほど統制がとれていなくてね。ボクの動きに積極的に協力してくれている仲間は、それほど多くない。 だから、できるのは紹介までだ。説得はキミたちにやってもらうことになるよ」 カミトの提案に、すこし困った顔でソルが答えた。 彼らのほうでも、いろいろと事情があるらしい。「それでいいわ……でも、こればっかりは外の人たちに任しておけないわね」 カミトがうなった。 戦えないものがいくら頭で考えても、本当に有効な手段を出すのは難しい。 ここは実戦担当者が物色すしなくてはならない。 だが、極力外に出ないよう決めたのは、つい先ほどのことだった。「オレが行こう」 手を挙げたのはシュウだった。 戦闘、策略両方をこなすシュウなら適任と言えた。「俺も行く。探したい念能力もあるからな」 腕を組んで乗り出したのは、アズマだ。 彼もまた、適任と言っていい。だが、シュウが口をゆがめて拒否した。「要らん。来るな」「お前が留守番してろ。俺が行く」「はーい、喧嘩はやめましょうね」 口喧嘩を始めたふたりを、カミトの鎖ががんじがらめにした。「わたしも行くわ。それで文句ないわね」 ふたりを押さえつけるように、カミトは笑った。凄みのある笑みだった。 シュウとアズマは、不承不承といった様子でうなずいた。 カミトたちは即日リマ王国へと旅立つことを決めた。 急ぐ必要はない、と、ソルは言った。 彼らの警戒網は、現在NGL付近に集中している。そこから何の連絡もないのだから、けっして急がなくてもいいのだと。 だが、リマ王国で費やす時間に予測がつかないこともあり、急いだほうがいいという結論に至ったのだ。 あわただしく旅立っていくシュウたちを見送って、ユウは、ひとまずマツリの家に戻った。 ユウは落ち着かなかった。 体が火照っていた。興奮のためである。想像もつかない大きな流れの渦中に、ユウという存在がたしかにある。それを、さきほどの会談で再認させられたのだ。 ミコもツンデレも風呂に入って、すでに仲よくベッドに並んで寝ころんでいる。すこしだけ親しくなったのか、なにやら話している様子だった。 ユウは体の火照りを覚ますように、リビングに行って冷たい井戸水を何度も飲んだ。 そんなことをしていると、マツリに風呂に入るよう勧められた。 マツリは、みんなが入ってしまうのを待っているのか、まだ風呂に入っていない。ユウは急いで汗を流すことにした。 風呂場はユウが想像した以上に立派だった。 総面板張りで、浴槽も詰め込めば三、四人は入れそうな大きさだ。よい香りが漂っているのは使っている木材のせいか、それとも香草でも焚き込めてあるらしかった。 広い浴槽に足を延ばし、ユウはほほを緩めていた。 ゆるゆるである。配るべき場所には気を配っているものの、彼女が許す最大限に緩んでいた。手足を伸ばして入れる風呂は、久しぶりだった。 湯船に手を泳がせながら気持ちのいい汗を流していると、ユウは脱衣所のほうに気配を感じた。感じるオーラから、人も特定していた。マツリだ。「ユウさん。お湯加減、どうかな」「ちょうどいいよー」 ユウが返事をして、しばらく。 扉が開いた。 マツリが、裸で、そこにいた。「わたしも入るね」「う、あ」 ユウは思わずうめいた。 自分が女性に対して性的欲求を感じないことを、ユウはすでに何度も実証している。だが、素っ裸の女性を生で目にするのは、さすがにこれが初めてだった。 しかもエルフだ。やはり性的な興奮は覚えなかったが、かなり動揺してしまった。 マツリはきれいだった。 服の上からも感じていたが、まず体のラインが美しい。肉付きは薄いが、ぺたんこではなく、なだらかな丘陵は確かに胸を主張している。 すらりと均整のとれた体が描くラインは、白磁のごとき肌とあいまって、極上の芸術品から受ける種類の感動をユウに与えた。 マツリのほうはユウの視線に斟酌することなく、湯船に入ってきた。 ユウは足を引っこめて、場所を開ける。広い湯船に、ふたりは対角に座った。 ユウはドキドキしていた。性的欲求は感じないものの、本来異性であるマツリと裸で風呂に入っている。その背徳感がすごかった。あとぴょこんと飛び出した耳を超さわりたかった。「ユウさん」 ユウがマツリの耳をガン見していると、マツリのほうが声をかけてきた。「なに?」「ユウさん、変な人」 真顔で言われて、ユウは最初、なにを言われたのか理解できなかった。 頭に入った言葉を、十分に咀嚼して、ようやくユウは半眼になった。「いきなり失礼だな」 非難しても、マツリのほうはどこ吹く風である。「セツナから聞いたユウさんとは、ちょっと違う。ジョーから聞いたユウさんとも、やっぱり違う」「ジョー?」 ユウはその名を繰り返した。かすかに覚えのある名だった。「わたしの仲間。NGLに行って帰ってきてない」 端的に説明すると、マツリは視線を落とした。 意味するところはひとつしかない。キメラアントの女王を殺しに行って、返り討ちにあったのだ。 そのとき、ようやくユウはその名の主を思い出した。 グリードアイランド内にいたとき、セツナとともに行動していた関西人の名だ。「そうか。死んだのか」 ユウが感慨とともにつぶやくと、マツリは泣きそうな目になった。「死んでない。ジョーも、ほかのふたりも。絶対生きてる」 ユウには返す言葉がない。 常識的に考えればすでに喰われているに違いない。さらに救われない可能性をユウは考えついたが、とても口にはできなかった。 マツリは、仲間の命を、いまだあきらめていない。 それを、ユウは笑えない。シュウが、カミトが、ミコがレットが、同じ状況にあれば、ユウもけっしてその命を諦めないに違いなかった。「お願い、ジョーたちを助けて。」 マツリが、すがるように言ってきた。「ソルさんたちも言っていた。時間はまだある。だから、助けに行くのを手伝って」 不可能だ。とは、ユウは言えなかった。 だが、易々とうなずける言葉ではない。カミトたちから留守を任されたこともある。ユウがなによりも守らなければならないのは、ここの住民の命なのだ。 ユウは悩んで、ふいに起こった疑問を口にした。「なぜ、俺に頼むんだ?」「ユウさんなら、あそこで生き延びられると思った。あなたには、そういう勝ち運がある」 マツリは断言した。信じて疑わない様子だ。 その信頼を裏付けるものを、マツリは取り出した。“千人列伝(サウザントライブズ)”。 名と出身地を記せば、その者の業績を知ることができる、彼女の念能力である。すでにその背には、誰かに聞いていたのだろう。ユウ、流星街と書かれていた。「幻影旅団の人間すら、倒してる。実力以上のなにかを、持ってる」 お願いします、と、マツリが頭を下げた。 マツリの願いに、ユウは答えられなかった。「その頼み、オレに任せてくださいっス!」 窓の外から、レットの声が割って入ったからである。 ユウは眼を眇めた。マツリも汚物を見るような目になった。 格好をつけているが、のぞきにきたに違いなかった。 きっかり一分後、変態仮面の“地獄のジェット・トレイン”により、レットは成敗された。