ユウたちが東部特別開発地区に足を踏み入れたのは、アズマたちに遅れること二十日。五月初日のことだった。 薄靄のたちこめるドナ川の渡しの手前まで来たところで、カミトは運転するバンを止めた。 橋の中央に、人が立っていたのだ。「うわ」 助手席に乗っていたシュウが、淡い歓声を洩らすのを聞いて、ユウは身を乗り出した。 窓の外、車を止めるように立っていたのは、金髪の少女だった。 細身で、すらりとした手足。淡いブルーの瞳、そして特徴的なアーモンド形の瞳と、とがった耳。「エルフだ」「えっ!?」 ユウのつぶやきに神速で食いついたのはレットだった。ユウを押しのけるようにして、彼はシートの間から身を乗り出してきた。「うわー、エルフっスよエルフ! 本物っスよぶっ!?」 当人にとっては至極失礼であろう歓声を上げるレットに裏拳を見舞うと、カミトは少女の前まで車をすすめ、パワーウィンドウを開けた。「こんにちわ。わたしはカミトよ。あなた、同胞よね?」 カミトがにこやかにあいさつすると、エルフの少女も笑顔になった。「うん、そう。わたしマツリ。よろしく。カミトさんの名前、セツナから聞いてます。連絡もらったから、迎えに来ました」「そう。じゃあ、案内してくれる?」「はい」 マツリはうなずいて、一同に車を降りるよう言った。「一般車両じゃ、まだこの土地の往来、できないです。いま手持ちの装甲車ないから」 そう説明するマツリに従って、一同は下車した。 全員念能力者である。下手に車に乗っているより、外の気配を肌で感じているほうが、よほど安全といえた。 足元にまとわりつく薄靄のせいだろう。ユウは吸い込んだ空気に潤いを覚えた。橋の先には森がある。森の中にまで這い寄る薄靄が、木々の足元を隠していた。 しばらく歩くと、足元の靄は薄くなっていき、一キロメートルも進んだころには消えていた。足元は踏み固められた土である。舗装もされていない。「このへんのフラットタイガー、あらかた駆逐したはずだけど、きおつけてね」 先導するマツリが注意を呼び掛けた。 マツリに続いてシュウと、なぜか異様にテンションの高いレット。その後ろで、レットを汚物のように見つめるミコと、エルフが気になって仕方ないユウ、最後尾に、背後を確認せずとも防御できるカミトが歩いていた。「フラットタイガー?」 シュウが尋ねた。「この土地を未開にしている元凶の害獣よ。その名の通りフラットな虎――気をつけて!」 カミトが説明を中断し、声を張り上げた。 手に持つ鎖の片方。先端に三角形がついた鎖が、ひとりでに前方をさしている。 みな、瞬時に“凝”た。それでもオーラが見えないのは、敵が野生の肉食獣(ハンター)だからだろう。 空気が固化したように張り詰める。 耐えかねたように、ずるりと、獣が現れた。 フラットタイガー。毛皮の敷物を連想させる平面的な虎は、地を這うように姿を見せる。左右から一匹づつ、計二匹だ。「うわ、マジでぺったんこ」「誰がぺったんこだ!?」 ユウの率直な感想に、なぜかシュウが激しく食いついた。 むろんユウには彼がなぜ怒るのか、わからない。 後ろから鎖を回して全員を守る体制をとっていたカミトが、シュウを憐れむような目で見た。「エルフさんはオレが守るっす!」 レットがマツリをかばうように前に出て、ミコは上空に彼女の念獣を飛ばした。新手を確認するためだ。「みなさん! こいつの弱点は――」 マツリが口を開いたときには、すでにユウとシュウが飛び出している。 二人はそろって地面ごとフラットタイガーの顎を蹴上げ、あらわになった胴体に、一方は正拳、一方は手刀を見舞った。「腹、だろ? グリードアイランドプレイしてりゃ、弱点探すのは習慣だからな。常時這いつくばってるのも、弱点を守るためなんだろうよ」 ぐったりとなったフラットタイガーを振り払いながら、ユウは笑った。手は血の朱で染まっている。 見かけより重量感のある音を立て、フラットタイガーが地面に落ちる。その下から、赤い色が染みだしてきた。「さ、さすがです」 マツリは少し腰を引きながら感心したように手を指をあわせた。「お、オレの出番なしっスか……」 レットが構えた拳を落とす。 瞬間。「馬鹿! 上だ!」「木の上ですわ!」 ユウとミコが同時に叫んだ。 言葉が終らぬうち。 木の上から、突如絨毯のごとき獣が襲いかかってきた。フラットタイガーだ。 空を滑空しながら、フラットタイガーはレットに襲いかかった。「うわっ!?」 不意を打たれたレットはあわてて身構える。 クロスさせた彼の腕まで、わずか数十センチ。 虎の牙は、届かなかった。 カミトの鎖が逆巻くように旋回し、襲いかかるフラットタイガーからレットを守ったのだ。 弾かれたフラットタイガーは、弧を描いて再びレットの首筋に牙をつき立てんと襲いかかる。 しかし、それは果たせなかった。 彼方より飛んできた一条の弾丸が、フラットタイガーの目を正確に打ち抜いたのだ。 フラットタイガーは断末魔の声をあげ、森の中に墜落した。弾丸は眼底を突き破って脳まで達している。致命傷だった。「フラットタイガーはその平面的な体を活かして、空中を滑空して襲ってくるんだ。気をつけるんだな」 声は、森の奥から聞こえてきた。 みな、視線をそちらに向けた。 しばらくして、森をぬけてきたのは三人の男女だった。 目つきの悪い、黒づくめの少年。 金髪碧眼ツインテールで、なぜか制服ニーソの美少女。 銀髪に金銀妖眼の中性的な容姿の美青年。「誰?」「どなたですの?」「ふん。アズマにその連れか」「あーっ!? あの時の目つき悪い少年少女!」「セツナに、アズマさんたち!」「やっほー、アズマにツンデレちゃんにセツナ」 ユウ、ミコ、シュウ、レット、マツリ、カミト、と。 ほぼ同時に、みなが声を上げた。 それぞれの意外な再会により、ちいさな混乱が生じた。 シュウとアズマは、何度かの邂逅のすえ、たがいに犬猿の仲となっている。 ツンデレにとってシュウは、アズマに重傷を負わせた仇だ。 そのツンデレとアズマに、レットはぶちのめされたことがある。 ユウは、そのあたりの因縁をかけらも知らなかったが、セツナの顔は“全力全開中二秒”という強烈な印象とともに脳裏に焼き付けられていた。 セツナはと言えば、おもにシュウの姿を見て、悲鳴を上げた。彼のトラウマを作成した相手だったから当然と言えた。 残るメンバーは、事情を知らない。だから首を傾げるしかなかった。 ともあれ、カミトがその場を抑えて、それぞれ矛やら恐怖やらを収めさせることに成功した。 カミトがいなければ、とうてい収まらなかっただろう。「カミトさん、すごい。尊敬する」 尊敬のまなざしを注いだのは、エルフの少女、マツリである。「ふっ」 シュウに、とりあえずこの場にいる市民権を与えられたセツナと、ツンデレにおびえていたレットが半歩前に出てひそやかな自己主張を行った。 マツリの目はそちらにまったく向かわなかったが。「とにかく。それぞれ知らない顔もあるみたいだから紹介させてもらうわね」 そう言って、カミトは一同を見渡した。「とりあえず向こうからね、端っこのスレた目してる金髪少年がシュウ。隣の黒いかわいい娘がユウちゃん。こっちのしょぼいのがレット、この娘がミコ」「スレた……」「かわいい……」「しょぼい……」 カミトの端的な紹介に、シュウたちは微妙な顔になる。「きゃっ」 と声を上げたのはミコで、これは肩に手を置かれためだ。「で、こっちの目つき悪い黒いのがアズマ。隣がツンデレちゃん+ロリ姫ちゃん。で――」「切ないセツナくん」「おいっ!?」 割り込んできたマツリの紹介に、セツナが全力で抗議の声を上げた。「ちょっとひどすぎないかい!? 仮にもボクはリーダーだよ? リーダー! サブリーダーのキミがそのあたりしっかりしてくれないと、人がついて来ないじゃないか!」「さぶ(・・)リーダーはキョウスケくんに任せています。わたしは黒幕」「なんでだよ!?」 いきなり掛け合いを始めたふたりに、みな毒気を抜かれた。 この上ない自己紹介ではある。「どこまでもわたしはツンデレって呼ばれるんだね……ツンデレってなに?」「なんでエルフさんとあんなに仲良さそうなんスか……ショボそうなくせに!」 若干二名、隅のほうで、ぶつぶつ呟いていたが。 合流時、混乱はあったものの、昼過ぎには無事カピトリーノの丘にたどり着いた。 丘の防備は一変していた。 まだ工事中のところも多いが、木の柵で重囲していた防御陣が、軒並み分厚い鉄板張りになっている。「これ、アズマの仕業?」 以前の状態を知っていたカミトが驚いて尋ねた。「ああ。国に持ち込んで作らせてる。ま、工事車両の何台かは、フラットタイガーに襲われて、乗せた資材とともに消える予定だけど」 もちろん実際に消えるわけではない。そういうことにして、「なくなったことになった」それらは周旋にかかわった政治家などのポケットに還元されるのである。危険区域の開発にはこういったうまみが付いて回るし、だからこそ仕事は早いと言えた。 むろん、いままでセツナたちがそういった要人たちと築いてきた良好な関係がなければ、一夕には成しえなかっただろう。 彼の言葉からそこまで読みとれたのは、ごくわずかだったが。「黒いわねー、アズマ。ツンデレちゃんが染まらないことを祈るわ」「なりふり構ってないだけだよ」 カミトの言葉に、アズマはしれっと応じた。「だが、相手はあのキメラだ。こんなものすぐに」「破られるだろうな」 口を引き結ぶシュウに、アズマが返す。「それでも一秒は時間を稼げる。一秒で、やつらはどれほどの人間を殺せると思う? ほんの一瞬足止めできるだけでも、十分な意味があるさ」 自分の金でもないしな、とアズマはうそぶいた。「ふん」 と、シュウは不機嫌そうに鼻を鳴らした。 シュウとアズマを比べれば、アズマのほうが、思考を一段深いところに置いている。その事実が、気に入らないのだろう。 アズマの資質が優れている、というわけではない。 アズマにはおのれが知術を尽くしても及ばない敵手がいた。シュウにはいなかった。その、経験の差だ。 一方、ユウたちのほうは素直に感心している。マツリも、アズマの見識に称賛の言葉を惜しまない。それを見て、レットやセツナなどは自分もいいところを見せようと、頭を悩ませている。 そうしているうちに鉄柵の防御陣を超え、町に入った。 そこで、出迎えたものは。「WELCOME!(ようこそ)」 全身タイツにブリーフ一枚。顔に女性用下着を被った変態だった。 しかもひもパンである。その上シマシマだ。 至近で見てしまったミコが失神した。カミトもドン引きだ。シュウは視界に入らぬがごとく構え、ユウは、ああ、と納得している。 レットは、その格好に何かトラウマでもあるのか、耳をふさいでしゃがみこみ、「パピヨンはいやっす」と連呼している。アズマとツンデレは、顔見知りなのだろう。軽く挨拶を交わし。「ふっ。ちなみにマツリのパンツさ」「なんで言っちゃうの!?」 セツナのよけいな説明に、マツリが顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。