しばらくして、玉座の間に三々五々と人が集まってきた。 兵士がいた。王室関係者もいた。手傷を負って肩で息をしている者もいたし、助けを求めてまろび出てきた者も居た。 安全を見計らって出てきたのか、からだに傷一つ負わず、疲れも見えぬ身で、これ見よがしに王の安否を気遣う者も居た。 結局十数人の人間が、リマ王の周りに集まった。 そこに交じる気になれず、さりとて王の無事を喜ぶ人々を止める気にもなれなかったソルは、王が自ら出発を告げるのを、ただ待っていた。 ソルは疲れ切っていた。 体が、ではない。心がだ。 自分の心は誰からも理解されず。親友を失い。かつての仲間に裏切られ、心の傷跡を抉られた。救いなど一点もない。本音を言えば、何もかも放り投げてしまいたかった。 それでも、この金髪の正論家は何一つとして捨てようとしない。 抱えるものに押しつぶされそうになりながら、誰も助けてくれないなかで、それでも孤独に皆を支えている。 歓喜の声を背景にした孤影。 その、一幅の絵画のごとき光景を踏みにじるかのように。 不意に、拍手の音が響いた。「誰だっ!?」 ざわめく人々を尻目に、ソルが素早く誰何の声を上げる。 探るまでもない。ふいに生じたオーラは隠しようが無く、強い。 王座を狙った凶悪なキメラアント、フォックス。彼が築き上げた屍の山の陰に、音の主は居た。 黒いローブを身に纏った男だ。 若い。年のころは二十歳前だろう。フードから漏れる髪は、禍々しい闇色。 半ば隠れた顔の造作は、ぞっとするほど美しい。だが、見入るより先に嫌悪を抱かざるを得ない、そんな雰囲気を持ち合わせていた。「おめでとう」 切れ長の瞳をぎらぎらと輝かせながら、男が拍手した。 その目を見た――瞬間。ソルはおぞましさに背筋が震えた。 この男は危険だ。 誰よりも、なによりも。 そう、あの凶悪な元同胞のキメラアント、フォックスでさえも、“危険”と言う一点に限っては、この男には及ばないだろう。「……国王陛下。さきにお逃げください。南から迂回すれば比較的安全です」 ―― 一分一秒でも、この場に王を居させてはいけない。 予感に駆られて、ソルはリマ王に避難を促した。 幾人かが王、ひいては自分を守るように罵声を投じたが、ソルは振り向かなかった。 その必死が伝わったのか。「――わかった。無事を祈る」 王はうなずくと、配下の者たちに避難を促し。 ソルはオーラを壁状にして、彼らの脱出を援護し。 危険な男はにやにやと笑いながら、それを見逃しにしていた。 王たちは虎口を逃れた。 この場に残ったのは、ただ二人。ソルと、男のみ。 玉座に上る階段の一段目に立つソルと、フロア中央、屍山血河の中心に立つ男。 彼我の距離はおよそ10メートル。 たったそれだけしか離れていない。そう、ソルは感じた。「キミは、何者だ」「……エンド。そう名乗っても、オレが何者か、見当もつかんだろうがな」 ソルの問いに、そう言って男は肩をすくめて見せた。 そんな仕草にさえ、ソルは嫌悪感を抱かずにはいられない。「ともあれ、おめでとう」 男――エンドはふたたび祝辞を述べると、続けて言った。「このリマ王国を恐怖の底に落とした化け物ども――その頭を、お前は倒した。 民を守り、王を守り、国を守ったお前は掛け値なしに、そう、何の掛け値もなしに、こう呼べる……“英雄”と」 ――英雄。 その言葉に、ソルは反感を覚えずにはいられない。 ダークたちの暴走に気づくこともできず、無能をさらし、いたずらに犠牲者を出しただけである。「英雄なんておこがましい。ボクはただの愚か者だよ」「謙遜するなよ。内実はどうあれ、お前は間違いなく英雄だよ……そして」 ソルの心を読んだかのように、男は黒いローブをひるがえし、哂い、それから言った。「――英雄を殺したオレは、最強の力を手に入れる!」「どういう」 意味だ、と、真意を問いかけて、ソルは言葉を止めた。 エンドの背後から、突然影のように現れた、ひとりの男。 見間違えようがない。ソルが築いたコミュニティーの運営を大いに助けてきた、得難い仲間にして片腕。「レ……フ?」 驚きのあまり、続く言葉が見つからない。 なぜレフがいまここに、しかも自分を殺そうという男の後ろに侍っているのか。「あらためて名乗ろう」 ソルの様を楽しむように口元をゆがめて、男はふたたび名乗る。「オレはエンド。一連の事件の――黒幕だ」 そう、男は言った。 ダークが死に、ポドロフ将軍が死に、フォックスが死に、多くの関係ない人々の命が失われた、この一件を、裏で糸を引いていたのは、自分だと。「すべて、キミが……」「ああ。オレがこいつを使って、やったことだ」 エンドは傍らに居るレフを示して見せた。 黒髪の少年は、無言のまま影のごとくエンドに従っている。まるで、ソルに対してそうであったように。 ソルは痛恨の表情で唇をかみしめる。「レフ、なぜだ。なぜこんな企みに加担した!?」「……加担という言葉は、正確ではないな」 ソルの悲痛な問いに、返すレフの声には、温度が無い。 人の意思をまるで感じさせない、ぞっとするほど冷たい声音だ。「――私はエンドの従属物だ。主の意思に従わないという選択肢などない。自らの意思で協力するというニュアンスのある“加担”は、用法として正確じゃない」「……どういうことだ?」「――“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”」 ソルの問いに、横から答えたのはエンドだった。「遺体遺品にオーラを込めることで、死者を再現する念能力だ。それで再生したレフには、半自立、独立思考型の念獣、という以上の意味などないさ」 ソルはレフの言葉の意味を、ここで知った。 つまり、レフはすでに死んでおり――エンドの念人形として蘇らされたのだ。「いつから……いつからレフは操られていた?」「最初からだ。お前と出会った時から、レフはオレの操り人形だったさ」「……そうか」 ごく、静かに。ソルはつぶやいた。「いま、納得したよ。ブラボーたちをNGLに引きずり込んだのも、ダークたちに妙な策を吹き込んだのも、おそらく、フォックスをけしかけたのも、全部キミが、レフを使ってやったんだね」 瞳に強い意志を宿して、ソルは糾弾するように言葉を投げつける。 その反応を楽しむように。このおぞましい男は口の端から歯を見せ哂う。「そう、お前がフォックスにやられないよう、ダークのそばに情報を置いてやったりもしたな」 ソルは、ダークの亡骸のそばにあったメッセージの存在を思い出した。 フォックスに関する情報を伝えた、オーラによる伝言。ソルはダークのダイイングメッセージだと思い込んでいた。「なぜ」「いまこの状況が欲しいからさ(・・・・・・・・・・・・・)」 エンドの言葉の意味を、ソルは察しきれなかった。 キメラアントがこの国を襲い、ソルがこれを退治して英雄になる。 いままでのエンドの言動を総合すると、彼の目的はそれしかない。 だが、なぜ。 その理由が、ソルには見当もつかない。「なぜだ。キミの目的はなんなんだ」「そこまで教えてやる義理はないさ――さあ、冥土の土産にしちゃ十分だろう? とっとと死んでくれよ――英雄ぅ!」「悪いが、そう簡単に死んではやれないさ――外道ぉ!」 エンドの語調の強さに魅かれるように、ソルは感情を爆発させた。 ソルはずっと怒りを覚えていたのだ。 ソルを騙し、他人を手ゴマのごとく使い捨てにして、死者を冒涜するような真似さえする、この外道に! ソルの“錬”が燃え上がる。 エンドとレフ。ふたりのオーラが、応じるように爆発した。 ――オーラの強さでは、ボクが上。 感じたレフだったが、油断はしなかった。 当然だ。エンドのオーラからは異常な禍々しさが感じられる。 そしてなによりも、エンドの凶悪無比な念能力を、無視できるはずが無い。 ――“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”。 死者を蘇らせ、意のままに操る念能力。 もし、この能力でフォックス――あの、王にならんと欲した凶悪なキメラアントが蘇れば、自分の念能力の正体すべてを晒してしまったいま、勝算は薄い。 ――警戒すべきは、フォックスの遺骸に近づかせないことだ。 ソルは傍らに転がっている凶獣の亡骸の位置を確認した。 欲を言えばいまここで焼き払ってしまいたかったが、やれば一瞬、敵に対して無防備になる。それは避けねばならなかった。 この時、ソルはレフの念能力を意識の隅に追いやっていた。 ――“感情の種(エモーショナルシード)”。 対象にオーラの種子を植えつけ、特定方向に対する感情を暴走させやすくする念能力。 能力の特質をよく知るが故に、現状での有用性が薄い彼の念能力に対する警戒を、ソルは欠いてしまっていたのだ。 ソルは考えるべきだった。なぜエンドがわざわざレフの姿を見せ、己の念能力まで明かしたのか。「どうした、かかって来ないのか――なら!」 動かないふたりに、ソルが必殺の熱線を繰り出そうとした、直前。 エンド。この凶悪な男は、ぞっとするような笑みを浮かべ、言った。「もう済んだ(・・・・・)」「……なに?」「“感情の種(エモーショナルシード)”は、ただ感情を増幅する能力じゃない。高ぶらせた感情を吸収し、種に蓄えることこそ、その本質だ」「――そして対象が死ねば、あるいは除念しようとすれば、術者の手元に戻る。蓄えた感情はそのままにな。マツリの“仲間を思う心”。フォックスの“野心”により育った種は、いまお前に根付いている。そして」 エンドの説明を引き継いだレフは、ふいにソルを指差した。「成長した“感情の種”は、術者の意思をトリガーとして爆発する」 そう、すでにこの時点で、ソルは詰んでいたのだ。 すべてを察したソルが、何か行動を取るよりも早く。「ほ・ほ・え・み・の・爆――弾(エモーショナルボム)!」“感情の種”を植えつけられたソルの心臓は、爆発していた。 血反吐を吐いて、ソルが倒れる。 致命傷である。ほどなくしてソルは死んだ。 最後に、エンドに手を向けて。最後まで、抱えようとして。 救国の英雄は死んだ。その姿は、映像としてリマ王国中に流された。「ふ、ははははは、よく見ろ、リマ国民よ! お前たちの英雄は、いま死んだぞ!」 英雄の遺体を踏みつけにして、エンドが笑う。 巻き起こる悲鳴、憤怒、憎悪、絶望。感情の渦はすべてエンドに向けられる。 それが視覚化されたように、瘴気じみたどす黒いオーラのシャワーを、エンドは全身に浴びた。 そのすべてを、吸収したように。 エンドのオーラが、爆発的に膨れ上がる。 どす黒いオーラが、王宮を全体を包み込むまでに――膨れ上がった。「己に向けられた悪感情を力に変える。これこそ、オレのもう一つの念能力、“悪の華(ビカロマニア)”。一国の悪感情を吸い上げた今のオレは、地上最強だ――そして」 つぶやき、ジ・エンドは宣言した。「いまこの時より、オレがこの国を、ひいては世界を支配する!」 宣言して、エンドは手を一振りした。 血に倒れ伏していた屍の山から、二つの影が起き上がってくる。 キメラアント“最古の三人”の一人、凶狸狐のキメラアント、フォックス。 電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人にして、たった二人でグリードアイランド攻略を成し遂げた“炎氷”の念能力者、ソル。 生きていたころと寸分たがわず、だが、決定的に何かを欠いた、そんな姿で、彼らは蘇った。 いや、彼らだけではない。 玉座の間には、先程までいなかった人間が、何人もいる。 エンドと同じく、皆一様に、黒のローブで頭まですっぽりと包んだ姿だ。 顔は、わからない。だが、みんながみんな、強力なオーラを秘めた能力者だった。「やはり、オーラが強いと違うな。これほどの術者を蘇らせて、まだ余裕があるか」「エンド。ポドロフ将軍は蘇らせなくてよろしいので?」 自らの強さを確かめるように、手を握り、開くエンドに対し、レフが口を挟んだ。「いらんよ。オレはこの国を穏便に支配したいわけじゃない……恐怖で支配するんだ――フォックス!」「はっ!」「外で暴れている虫どもに命じろ。王宮に集まるようにと。ほかの奴らは手近な黒い布を集めておけ。オレの軍団のあかしとして、全員に身につけさせろ。オレは」 エンドは部屋の隅に目をやった。 テレビカメラと、何人かの人間が、無表情でそこにいる。 テレビ局の人間だ。彼らの多くは殺され、エンドの忠実な下僕になっている。 移動系能力者によって取材班は各所に運ばれ、現地レポートを行ってきたのだ。「――奴を、従えに行く。ミナミ、連れて行け」 彼らの一人の声をかけ、エンドは目を外に向けた。“ソルの軍団”は王宮前まで来ていた。 避難しそこなった人たちを拾い上げ、避難させ、キメラアントたちと戦ううちに、いつの間にかたどり着いてしまったのだ。 ソルに避難を促されたリマ国王たちが、王宮から出てきたのは、まさにこの時だった。「君たちは」「国王、無事でしたか。ソルの仲間ですっ!」 事前にダークから国内の要人の顔を暗記させられたのが幸いした。 軍団の戦闘に立つ一見凡庸な青年、ああああは、まっすぐ王に向かって跪く。さすがに言葉づかいにも気を使っていた。「おお、あの若き勇者の」 そんな言い方をした王に、ソルの安否を問い、ああああは彼の無事を知った。「すまんが助けてくれんか。すぐに統帥府に行かねばならん。ポドロフ亡きいま、軍部の混乱だけは避けねばならんのだ」 王はさらりと重要な情報を漏らした。 もっとも、ポドロフの死は、すでに全国に放送されている。当人は知らないが、すでに隠す意味はなかった。「といっても、この状況じゃあ」 ああああは言葉を迷わせた。 どこから銃弾が、爪牙が降ってこないかわからない状況だ。 なによりダークの遺言がある。民を守れ、自分を守れ。それを優先するのなら、王を守っている余裕などない。 と、その時である。 突然、王宮より禍々しいオーラがほとばしった。「な、なんだぁ?」 驚くああああだったが、彼は瞬時に適切な判断をした。 仲間とともに王を連れて、急いで統帥府に向かったのだ。 ――どの道、王が死んだら国民みんなが難儀する。だったらこれも遺命のうちだ! そう開き直った結果である。 より多くの人間を助ける、という視点から見れば、この判断は正しい。 結果、王たちも“ソルの軍団”も、王宮に向かい集まって来るキメラアントたちと遭わずに済んだのだからこの男も王も、よくよく悪運が強い。 最後にソルの無事を祈って、ああああたちは去っていった。 命拾いしたのは、リマ軍兵たちも同じだった。 薄皮を剥がれるように、戦力を失いながらも持ちこたえて来た彼らだったが、すでにその数は半数を割り込んでおり、多くの古参の兵も犠牲になっていた。 若年兵は役に立たず、果てにはポドロフの死を知って、士気は完膚なきまでに崩壊した。 そこに、国王が姿を現した。 ポドロフと並ぶ国の象徴である。それが強兵を引き連れて前線に立ったのだ。意気が上がらぬはずがない。 現場指揮官スハルトの励ましと、戦図を描くモラレスの手腕、そして動じぬセロ長官の督戦もあり、部隊は完全に持ち直した。 ちょうどその時、キメラアントが退き始めた。 追いたいところであるが、彼らも限界である。王を保護するためにも、ひとまず統帥府に向かって退却していった。 助かったと言えば、あるいはキャプテンブラボーたちもそうだったかもしれない。 移動に次ぐ移動、キメラアントたちとの連戦は、彼らを否応なしに消耗させていた。これ以上戦いを続けていれば、あるいは万一のことが起こっていたかもしれない。 突如キメラアントたちが退きはじめたおかげで、彼らはようやく一息つけた。 凶悪なオーラを纏う“悪”がブラボーのもとに姿をあらわしたのは、この直後である。「――よう。ゲームマスター」 現れて、開口一番。エンドはそう言っておぞましい笑みを浮かべた。