救いを求める民衆を探し助けながら、敵のいない経路に逃がしていた“ソルの軍隊”は、突如陥穽に落ち込んだ。 助けを求める人々を餌にして、キメラアントが待ち構えていたのだ。 ゴリラ型、オランウータン型、テナガザル型、メガネザル型。すべて猿系のキメラアント。 道幅の狭い歓楽街。頭上まで張り出した看板の群れ。コンクリートの密林の中を縦横駆けまわるその動きは、まさに野生。そして野生の獣ゆえ、気配を消すのもお手のものである。 ――まいったネ。 中肉中背、さしたる特徴の無い、ゆえに同胞の中では異色とも言える容姿の主は、ポリポリと頭をかいた。 もとより彼は気楽な男である。 Greed Island Online のコミュニティーに参加した理由も、おそらく他の同胞たちとさして変わらない。 キメラアント対策、ひいてはダークたちの画策に加わったのも、とくに強い動機があったわけではなく、たまたまほかの人間より彼らに近い位置に居たためにすぎない。 もとより、それほど鍛えられた念能力者でもない。 さすがにほかの同胞と比べれば頭抜けているものの、強烈な意思を以って己を鍛え抜くその動機が、彼には無かった。 だが。 たまたま、ダークたちに協力するにあたって彼の特訓を受けた。 たまたま、探索に適した念能力だったので、部隊を指揮するダークの意思を、ダイレクトに感じることができた。 そこに、才能の萌芽があった。 ――まいったネ。自分にこんな才能があるなんて。 頭をかきながら、彼は一瞬にして迎撃陣に組み替えた。 彼の念能力、“六面俯瞰(キューブサイト)”に、もとより不意打ちなど通用しない。 罠にはまったふりをして相手の油断を誘ったのだ。 大胆な方策である。 ふり(・・)であっても、罠にはまった以上、そこに不利は厳然と存在する。 相手に賢明に立ち回られれば劣悪な態勢で戦わなくてはならなかった。 それでも彼があえてスタンドプレイに走ったのは、ほかでもない。“ソルの軍隊”に、4体ものキメラアントと正面から立ち合い、死傷者を出さずに勝利する地力が無かったためだ。 民を守れ。そして自分の命を守れ。 ダークの遺命を果たすために、ああああはあえて力戦を避けたのだ。 奇策は当たれば実入りがでかい。 この逆撃と、それに続くああああの的確かつ辛辣な指揮が功を奏し、彼らはだれ一人死者を出すことなく、4体のキメラアントを殺すことに成功した。「あ、ありがとうございます!」 泣きすぎて枯れた声で、囮にされていた人々が礼を言ってくる。 彼女たちがこうなった原因を作ったのは自分たちである。いま泣きながら礼をいう人々も、事実を知れば手のひら返すだろう。 ――でも、それでいいじゃあないか。 感謝されたら喜んで、罵倒されたら泣けばいい。 ああだこうだと考えるより、その方が単純でいいじゃないか。「よっ、ありがとさん! 避難所まで送るからついてきてちょーだい!」 軍を動かす彼とはかけ離れたいい加減さで笑うと、ああああは部隊を進めた。「さあみんな、あっちにははぐれた子供がうろついてるぞ! 助けに行こう、大丈夫、なんとかなるさ、ぶぁーっと行こう!」 中央目抜き通りの片隅に、ひとつの死骸がある。 ミンチになっていない、食べられても居ない、きれいな死体である。体の上に手を組ませてすらいる(・・・・・・・・・・・・・・)。 だから、空の上からでも目を引いたのは、自然なことだったのだろう。「ダーク」 日の光にも似た黄色の髪の青年、ソルは、死骸の前に降り立つと、つぶやき立ちつくした。 市街は地獄だった。 ダークたちの策略でこうなったのだ。出会ったら殴ってやるはずだった。 不思議とソルは、死骸を目にするまで、ダークが死んでいるとは思っていなかった。「命をかけてまで、するべきことだったのかい? ねえ、ダーク」 遺体を見やり、ふと、ソルは違和感に気づいた。 すぐさま眼にオーラを集める。“凝”。隠ぺいされたオーラを見破る技術である。 案の定だ。ダークの指のそばには、オーラで文字が書かれていた(・・・・・・・・・・・・・)。日本語である。 ――敵はフォックス。キメラアントになって奴らを率いている。凶狸狐型。王宮に向かった。狙いは王。 ダークの遺言だ。 書かれた情報は必要最低限。おそらくそれしか書けなかったのだろう。 はるか遠くで上がる銃声を聞きながら、ソルはしばらくその遺言の前で動けなかった。「いたぞ、レアモノ(ごちそう)だ!」 ふいに、空から声が飛んできた。 ソルは迷わず視線を移した。居た。 トンボ、フクロウ、コウモリ、キメラアントの集団。フクロウにぶら下がる一体のキメラアント、ワニの姿をしたそれのみ、オーラのケタが違う。「師団長クラス」 どこか他人事のように、ソルはつぶやいた。「都合よくはぐれてやがったな? レアモノの集団(メインディッシュ)の前に喰ってやるぞ」 ワニ型のキメラアントが哂う。 そのさまを、ソルは虚ろな瞳で見つめる。 師団長の命令一下、キメラアントたちがソルに襲いかかる。「――都合がいい?」 ようやく。 ソルは呟くようにいった。 瞳が、急速に焦点を結ぶ。 そこには明確で、強烈な意思がある。「ああ、たしかに好都合だ――空に居るのなら、遠慮なく全力が出せるからな!」「なにを――」 オーラが爆発的に広がり、それが収束したかと見えた、刹那。 眩いまでの白い光が、線となってワニたちのわきを通り過ぎていった。 つぎの瞬間。 ――光の線が爆発した。 そうとしか思えないほど、爆炎が猛り狂った。 悲鳴すら上がらない。炎の蹂躙はそれほど圧倒的で、瞬間的だった。 気づけば4体のキメラアントなど、影すら残っていない。師団長クラスと思しき、ワニ型すら。「――裏切り者は、フォックスか」 顧みもせず、ソルは遠くを見つめ、拳を握りこんだ。 ――誰かがわたしたちを裏切ります。 闇色髪の少女、ミホシの占いは当たっていた。 それでも、ただ裏切られただけなら、ソルは黙って受け入れただろう。 だが、ダークが死んだ。多くの人が死んだ。そして国王が死ねば国が乱れ、より多くの人間が血を流すことになる。 そんな事態は、なんとしても避けねばならない。「フォックス。キミを、殺すよ」 覚悟を、言葉にして。ソルは王宮に向けて飛んで行った。 同刻、リマ市の南端。 一台のライトバンが猛烈なスピードで市内に突っ込んできて、止まった。 限界を超えて酷使し続けた結果だろう。エンジンルームからは、もくもくと煙が出ている。 動かなくなった車から、次々と人がまろび出てきた。 キャプテンブラボーと、その仲間たちである。 彼らは辺りを見回して、いずれも悲痛な表情を浮かべた。 郊外ではあるが、このあたりはキメラアントの侵入経路でもある。町のそこここに、血と死体と人のうめき声があった。「くっ! 何処だ! ドコに行ったらいい!?」 舌打ちしながら虹色髪の少女、ライが叫ぶ。 ほとんど同時に白い影が動いた。防護服の超人、キャプテンブラボーである。 彼はライトバンの屋根をけり、天空高く跳び上がり、叫んだ。「心眼! ブラボーアイ!」 そのまま市街地を一望し、やおらブラボーはバンの上に飛び戻った。 「見えたぞ! 同胞たちはここよりまっすぐ北だ! 北西では軍隊とキメラアントがぶつかっている。ならば進路は東だ! ゆくぞ! 無辜の民を犠牲にしてはならない!」「……何でもありだな」 あきれたように、白いコートを着た長身の決闘者、海馬瀬人が言った。 若干素である。「ふん――だが」 腕を振り、街に残る阿鼻叫喚の残滓を示しながら、海馬は口元をゆがめる。「これを見て放っておけるほど、オレも血は冷たくはない。よかろう――凡骨、いやレット!」「なんスか!?」 バンのバックドアは外からしか開かない。 誰も出してくれないので後部座席に這いだし、ようやく出てきたレットは、状況を把握しきれていない様子で返してきた。「オレたちは別ルートを行く!」 海馬はそう宣言した。「そんな勝手に――いや、なんでもないっス」 レットが抗議しようとして海馬ににらまれ、すぐさま発言をひっこめた。「しかし」 渋るブラボーに、海馬は言う。「一人でも多くを助けたいのだろう? なら、兵力を分散するリスクも覚悟しろ」 リマ市は広く、そこに広がるキメラアントたちの数は多い。 固まって行動していては、とても手が回らないのも事実だ。 それに、人選も最適。 集団のなかに居る限り、レットは実力を発揮できない。 だがレットの発は、使用時の戦闘力はブラボーを超えるほどに強力無比。 ならば遊ばせておくよりは青眼に乗せて機動的に運用しようと言うのが彼の腹である。「なら、俺も別れましょう。ツンデレ、幼女二号、来てくれ」 言ったのはアズマだ。「どこまでもその呼び方、変えないつもりね」「……幼女二号とか酷過ぎる呼び名だ」「幼女一号は妾か?」 ツンデレと虹色髪の少女、ライが肩を落とし、ツンデレのツインテールにとり憑いたドリルヘアの幼い幽霊姫、ロリ姫が己を指した。「アズマ」「心配しなくても、このメンツなら戦えますよ。俺たちを、信じてください」 ブラボーに対して、アズマはがっと拳を突き出した。「はいはい! わたしは? わたしは!? そのハーレムにかわいい歌姫の需要はありませんか!?」「悪い。“加速放題(レールガン)”で飛んでいくつもりなんだ。あんたは俺に掴まれないだろう?」「ひどい差別を見た!」 若干もめたものの、皆、別れての行動に異論はなく、その覚悟が、ブラボーに沁みぬはずが無い。「では、オレは西へ」「俺は東へ」「そしてこの俺は、西北だ」 海馬、アズマ、そしてブラボーが拳を打ち交す。 皆、それぞれの調子で笑い合い。「では、王宮で会おう!」 各人の無事を誓い合い、散っていった。 ソルが疾風の如く王宮に飛び込んだ時、宮殿内はすでに静寂に包まれており、いまだ血みどろの戦いを続けている外とは異世界のようだった。 だが、有るのは真正の地獄。 迎撃に当たっていたとみられる軍人たちの残骸が足の踏み場もないほどに散らばっており、屋内は死臭と血臭でむせかえるほどだ。 蒼白になりながら、仲間の起こした惨劇を目に焼き付け、そしてソルは奥へと進む。 プロハンターを多数抱える集団の長として歓迎されていたソルは、コミュニティーを築く折、国王に面謁を許されている。それゆえ迷うことなく玉座の間にたどりつけた。 そこでソルは息をのんだ。 悪意の塊が、まがまがしいオーラを伴い、けたたましく笑う声が起こったのだ。 ソルは見た。 王を守るように折り重なって死んでいる人々。 兵士だけでなく、王宮に勤めていたであろうスーツ姿の人間もある。 その、向こうに。腹に大穴をあけて、それでも倒れ伏した王を仁王立ちで守る、この国の指導者の姿が、あった。「ぎゃははは、スゲーぞ! 大した根性だ!」 ポドロフを嬲りながら、狂気のように哂う狐のキメラアントの、おぞましい姿。「フォックス」 ソルは押し殺した声で、絞り出すように言った。「――へっ。ソルか。ちと楽しみすぎたか」 キメラアント、フォックスは、醒めた瞳を取り戻すと舌打ちした。 ポドロフは、まだ立っている。王を守るため、王を1ミリでも死から遠ざける、ただそれだけのために、致命の傷を負った体を無理やりに立たせている。「……なぜ、こんなことを」 ごく抑えた声で、ソルは問いかけた。「王になるため。他に理由が必要かよ?」 フォックスの返事は、キメラアントとしては完全に正当なもの。 そこに人間としての心の働きは、一切介在していない。 ――ああ、だったら。 なんの斟酌もなく、この同胞の記憶を持った獣を刈ろうと、ソルは改めて決めた。 そして人と獣は相対す。 まっすぐに向けられたソルの瞳に、フォックスの口元が不快にゆがむ。「……スカした面しやがって。前々からその面ぁ気に入らなかったんだ――よ!」 消えたともとれる速さで背後に回ったフォックスの爪がソルに襲いかかる。 一瞬の交錯。鈍い音とともに、ソルの足元に亀裂が入った。返しにソルが振った裏拳は空を切った。「遅ぇ! どうした!? ソルさんともあろうお方が、止まって見えるぜ!」 喜悦に喉を震わせるフォックス。 無言のまま、ソルのオーラが大きく膨れ上がる。 それに押されるかの如く、フォックスは後じさった。 ソルのオーラは急速に縮む。 キメラアントの群れを焼き尽くした時と同じ現象。 しかし、それ以上はなにも起こらなかった。「へっ。てめえの“氷炎”の種は、もう割れてんだよ!」 得意の面持ちで、フォックスは哂った。 ソルの念能力の正体は、単純明快。 オーラに物理干渉力を持たせる。ただそれだけの、しかし、強力無比の能力だ。 たとえば物理干渉できるオーラを風船状に変化させ、収縮させる。 内部の空気は加圧圧縮され、高熱を発する。それを敵に向けて解放すれば、敵を焼きつくす炎となるだろう。 逆に真空状態にまで減圧してやれば、対象の持つ水分を気化させ熱を奪い、凍らせることもできる。これこそが“氷炎”の原理。「――そうだろう? ソルさんよぉ!」 フォックスは得意満面でソルの手妻の正体を解いて見せた。 ワニ型たちとの戦闘を、フォックスは探知系の念能力を持つキメラアントに見張らせていたのだ。「それが、どうした?」 能力を暴かれたソルは、しかし冷たく返した。 フォックスは速やかにソルの念能力を封じるべきだった。 しかし、フォックスはソルの知性にコンプレックスを持っていた。頭脳戦モドキで勝つことにこだわった。これが致命的な失策。「な、あぎゃぁっ!!?」 フォックスの腕が、いきなり千切れた。 ソルがオーラを巻きつけ、ねじ切ったのだ。 空気がプラズマ化するほどの力を加えられる、ソルのオーラの圧力。 それがただの暴力として自身に向けられればどうなるか、フォックスはそこまで想像することができなかった。ひと桁は格下のただの人間相手と、どこかで考えていたが故の、致命的な油断。「ッ、畜生!」 フォックスが、オーラを爆発的に広げる。 本来ならばその圏内にあるオーラは、すべて消え失せるはずである。 しかし。ソルの身には、相変わらず力強いオーラが纏わりついている。「オーラを無効化する能力、だろうね。すごい能力だと思うよ。でも、錬度が足りないな。ほら、痛みとパニックで、発動できないじゃないか」「うわあああっ!?」 悲鳴を上げて逃げだしたフォックスは、つまづいて無様に転んだ。 それからばたばたと地面を這い、軍靴に触れて、はたと動きを止めた。 哀れな狐は見た。虫の息で、それでも倒れることを拒絶した、この国の巨人の姿を。「うわあああっ!!」 鬼気迫る形相に、どうしようもない恐怖に駆られて、フォックスは逃げた。 それも、見えない壁に阻まれる。ソルの念能力によるオーラの壁。それがまとわりつき、瞬く間にフォックスの両足をねじり折る。 表情を見せずに、啼くように。 ソルはフォックスを見下ろしていた。「ボクは――悲しいよ。フォックス」「――へ、へへ。善人ぶるんじゃねえよ、この偽善者が。てめえだっていろんなもんを踏みにじってきてんじゃねぇか」「ああ、その通りだ」 と、絞り出すようにソルは言い。 にやりと笑う、フォックスの姿が、一瞬にして変わる。それは、銀髪紅瞳の少女の姿。 ソルの顔色が変わった。「それは」「見覚えがあるかよ。てめえが持ってきた“挫折の弓”をめぐって争い、死んだ――オレの女だよ」 フォックスは明らかに憔悴している。それでも言葉は止まらない。「別に、どうでもよかったんだ。あんな女……あんたらにはいろいろ世話になったしよ。そんなもん気にしやしねえし、すぐに次の女つくったし」 でも、気づいたんだよ。 と、キメラアントの同胞は言った。「感情に、蓋して、自分を騙してただけだったってな。キメラになって、思い出して、初めて分かったんだよ。オレはあんたとダークの奴が……憎かったんだってな。へへ。全部ぶっ壊してやりたいくらい、たまらなくなぁ」 女の姿で、フォックスは哂う。 それは、逆恨みでしかない。“挫折の弓”の奪い合い、その末の全滅に、ソルたちの意思は一切介在していない。 それでも憎まねばならぬほど、フォックスは、あるいは少女を愛していたのかもしれない。「どうした? ソル。殺せよ。同じ奴を二度殺して、それでもきれいごとを吐いて見せろよ!」 なおまくし立てようとするフォックスの首を、ソルは無言のまま、ねじ切った。 それから、しばらくして。「う…ポドロフ?」 意識を取り戻した王が、肥満した体を起き上がらせた。 探し人は王の目の前に居る。死すべき体を動かしていた奇跡という名の燃料は、すでに切れていた。王を守るために、最後まで立ったまま、ポドロフはこと切れていた。「ポドロフ」 王はまさに絶句した。 やがて、急に老けこんだ王が、力なくつぶやく。「体を厭えと、言ったではないか……」 体を横たえ、自らはおるマントを体にかけてやり、軍隊式の敬礼で、王はポドロフを送った。知らずソルも従っている。 戦友を見送ってから、王はようやくソルに向き直った。「ハンターの……ソルよ。若き勇者よ。よくやってくれた。おかげで余の身は救われた」 王はフォックスとの因縁を知らない。 あるいは知っていて、あえて言わなかったのかもしれない。 とにかく王は短く褒賞の言葉を送り、そうしてから決然たる語調で言った。「すまぬが、余を軍の司令部へ。こうなった以上、この老体にも役目があろう」 フォックスの死から前後して、彼に従うキメラアントたちは、ブラボーらの手により、次々と討たれている。終息しつつある災禍のなかで放映された王と勇者のすがたは、市内の住民はおろか国中に希望を与えた。